※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

55 / 102
ep.20 Blood Red, Rose Blue 3

 

 

 

 馬が走る。

 蹄が地面を蹴立て、土煙と共に激しい音を立てる。

 鞍に跨り、手綱を握る男たちは全員が一様に険しい表情を浮かべて馬を走らせていた。

 男達が羽織っている屋外での活動を想定した厚手の外套が、疾走に合わせて旗の様に靡いていた。

 

 一団は急遽招集された冒険者達である。

 現在イルマートの街を襲っている緊急事態、そのどさくさに紛れるようにして発生した誘拐事件を解決するという依頼を受けて現場に急行しているのだ。

 たまたますぐに出動できるメンバーが集められただけとはいえ、彼らの士気は決して低いわけではなかった。

 依頼主から聞かされている情報によれば攫われたのは年若い婦女子であり、犯人は野蛮な盗賊たち。

 冒険者の一同は義憤に燃えて(提示された報酬もあって)、意気軒高であった。

 

 ただ――――強いて言うならば、敵の戦力の多くが不明であるため、ぶっつけ本番にならざるを得ないのが不安要素ではあった。

 そして、山賊に脅迫される形で呼び出された少女が一人、先んじて現場へ向かっている可能性が高いというのも不安材料の一つと言えた。

 

「…………っ」

 

 一団の中で特に険しい表情をしているのは、外套の下に赤い胸当て等を着込んだ青年――――今回の案件の依頼主に相当するヨアヒム・クラートフ伯爵である。

 彼のその内心での焦りを表すかのように、彼の駆る馬は一団の先頭の一歩手前という所まで出てきていた。

 先頭に飛び出してしまわないのは、付近の森林などの地理に明るい冒険者に先導を任せなければならないという事情から自制が働いているからである。

 ……そうでなければ馬が潰れる勢いで走らせていただろう。

 

 安静な顔立ちを苦渋で歪ませるように、ヨアヒムは奥歯をギリギリと噛み締めた。

 抑えても、抑えても、胸の内から焦燥感が消えてくれない。

 

(リオ……!)

 

 青年の脳裏に浮かぶのは一人の少女の姿だ。

 艶やかな金糸の髪と、鮮やかな空色の瞳の幼気な少女。

 

 彼は彼女の事を守りたいと思っていた。

 最初に出会った日に迷子の子猫のようだと思って拾い上げたときも、美しいドレスを纏った彼女の手を取って夜会で踊り明かした夜も。

 ヨアヒムは、リオ・オーガスタという少女の事を守りたいと思い、その力になりたいと思っていた。

 ただ、最近少しずつその関係が変わりつつあるのだということを彼も感じていた。

 いや、正確には二人の関係ではなくリオの側から自らに向けられる感情についてだが。

 

 ヨアヒムはリオが自分に向ける視線や感情に、異性としての好意が混ざりつつあることに気が付いていた。

 

 恐らくはリオ自身は無自覚であろうし、指摘しても本人は否定するのだろうが、傍から見ている分――そして向けられている側には、とても明瞭だった。

 だからここに来てヨアヒムは二人の関係を友人という関係から別の方向に切り替えるべきかと考えていた。

 今でもリオはヨアヒムにとって庇護すべき愛おしい少女だ。それは変わらない。

 だからこそ、ヨアヒムは軽々に彼女に()()()()()という選択肢を取るつもりはなかった。

 

 今まで多くの女性と情を交わした経験のあるヨアヒムだが、それはあくまで『一夜の』という但し書きが付く。

 お互いに傷つくことが無いように予防線を張り、それを確認しながら楽しむ男女の遊戯(ゲーム)

 それで互いにひと時でも幸福になれるのならそれで悪くはないとヨアヒムは思っていた。

 

 だからこそ、リオは別だ。

 少女の純真を、それも(おそらくは)()()を男女の遊戯(ゲーム)に組み込むような不義理は彼には犯せなかった。

 かといってその恋心を正面から受け入れ、幸せな花嫁にしてやるという選択肢もまた彼にはなかった。

 彼とて貴族だ。貴族の男子が嫁を迎えるときは一族と血族との紐帯を得るためであると相場が決まっているものであり、ヨアヒム自身も自分はいつか政略目的の婚姻をするものだと考えている。

 

 だからだこそ――――だからこそリオの恋は()()()()()()()()()、と彼は考えている。

 その想いに答えることはできないのなら……せめて、これから先のいつの日かに「良い思い出だった」と振り返られる……そんな()を見させられて上げたら、と。

 

 ヨアヒムには確信がある。きっとリオは今よりずっと美しい女性になるだろう。

 だから彼女が未来に花開くように護るのが、自分の今の役目だと。

 

「……爵殿。……伯爵殿!!」

「……あぁ、すまん。考え事をしていた。どうした?」

 

 物思いに耽っていたヨアヒムが顔を上げる。

 先頭を走っていた冒険者の一人が彼に声をかけていた。

 

「まもなく森の中に入ります。進めるところまでは可能な限り馬で進みますが、途中で徒歩に切り替えます」

「わかった。……急ごう」

「はい」

 

 伯爵が返事を返すと、一団は一層早く馬を走らせた。

 ばからっ、ばから、と蹄鉄がむき出しの地面を叩く音が響く。

 馬を駆るヨアヒムは一際表情を険しくして手綱を握る。周囲の冒険者にもその緊張が伝わるかのように、空気が張りつめていく。

 

 大きく張り出した梢が作る影が夕空の陽を覆い一気に夜が来たような闇を作り出す。

 馬を走らせてその闇の中を走り抜ける伯爵は、胸中に過ぎる言いようのない不安をもみ消すように、靡く外套の胸元を握り締めた。

 

 

 ――――守ると決めた。護りたいと願っている。

 ――――あぁ、だが、もしも。

 ――――もしも、()()()になっていたとしたら……。

 ――――もしも自分が、彼女を護れなかったとしたら……。

 

 

(……今は考えるな)

 

 鎌首をもたげてくる不安を振りきるように、ただヨアヒムは一心に先を目指して進むことしかできなかった。

 

 

******

 

 

 ――――あいつヤバくないか?

 

 

 手紙に記されていた人質の受け渡し場所、その近くにまで来た私は遠目に観察してそう思った。

 誘拐犯連中が待ち構えている場所に真正面から乗り込むほど私は猪突猛進ではない。

 一先ず遠距離から観察して――――その中に一人、異彩を放つ男がいるのに気が付いた。

 

 私が今立っているのは現場から100mほど離れた距離にある木の枝の上だ。

 そこから手をひさしのように目の上に添えながら『千里眼』で監視している。

 周囲は薄暗い程度だが、西の空がまだ半端に明るいせいで木々や人がシルエットになり見えづらい。

 所謂、黄昏時というやつだが……スキルの補正を加えれば問題は無かった。

 

 『敵』はおよそ十人。おそらくは山賊と思しき、粗野な身なりの男達だ。

 森の中のやや開けた一角にいるが、集まっているというわけではなく周辺の木の後ろに数名が身を隠すようにしている(私にはバレているが)。

 場所の真ん中には人影が三人。一人は人質として攫われたアンネ、そしてもう一人彼女の後ろ手を掴んで立たせている男。

 俯いて辛そうにしているアンネの姿を見ると胸が痛む。今すぐ何とかしてやりたいと思うが――――迂闊には踏み込めなかった。

 

 その原因が、最後の一人――――右手に騎兵刀(サーベル)を揺らしている男だ。

 

 体格は長身痩躯。短く刈り込んだ坊主頭に、のっぺりとした顔立ち。

 眼窩が作る影の奥の瞳は小さく、それでいて爛々と光る様はどことなく蛇を連想させる。

 左手から左胸にかけては丈夫そうな金属製の籠手と胸当てを装備しているが、全体的に身軽そうな出で立ちだった。

 そして、右手に携えている騎兵刀(サーベル)は黄昏時の薄い暗がりでもわかるくらいに、不吉な青白い光を発していた。

 まるで過剰に研ぎすぎた結果、触れただけで掌を切ってしまうようになってしまった包丁のような、嫌な意味で生々しい不吉な輝きだった。

 私が警戒しているのはその男が明らかにヤバい目つきをしているとか、集団の真ん中で如何にもリーダーっぽい立ち位置にいるとか、そういうことではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 『UH』というゲームでは各職業に備わっている鑑定スキルで、ある程度敵の能力値を把握することができる。

 これが現実化した現在でも有効なのは既に確かめている。

 だが、その上で私には――――あの男の力量を掴み切れない。

 

 能力値を把握できないという現象はゲーム時代にもあった。

 それにはスキルの熟練度と、対象のレベルが関わっている。つまり――――相手が強すぎるとスキルを使っても能力を読めないのである。

 つまり能力が読めないということは彼我の実力差を示しているということになる。

 自分の方が上回っていれば具体的な数値まで含めて全てをつまびらかにできるのだが、それが逆だと高いか低いかなどといった抽象的な情報しかわからなくなるし、最悪何もわからないということも十分にあり得る。

 攻略サイトなどではTRPGになぞらえて「目標値が高すぎた場合、目星の達成値がある程度良くても断片的な情報しか得られない」という風に解説されていた。

 

「…………」

 

 私はより意識を集中して男を観察する。

 そして決して全てを読み切れないというわけではないことに安堵する。

 だが、それはまだ安心材料にはならない。ギリギリ読める範囲でも、周囲の山賊が雑魚に見えるくらいには隔絶した能力差があるのはよくわかったからである。

 

 体力、耐久共にかなりのものだ。ゲーム時代の感覚が通用するのであれば、私が急所攻撃(クリティカル)を数発は叩き込まないと死なないだろう。下手な巨人族にも相当する。

 特に、敏捷度と器用度が出鱈目に高い。ここまでの高さだと、私の矢を見てから叩き落とすことだってあり得る。

 

「……っ」

 

 ごくり、と喉の奥で唾を飲む。

 ゲームの時代とは違い、こういった敵の強弱はより直接的な『実感』として感じられる。まるで直に手で触れるように。

 だからこそ、相手が『強い』ということしかわからないというこの状況が――――とても、とても恐ろしいものに感じられた。

 まるで電灯も松明も役に立たない、巨大な闇が前に横たわっているような感じがする。

 それでも――――ここで踵を返すわけにはいかなかった。

 

 視線をアンネに向ける。悲壮な顔で、祈るように俯いている彼女を見ると、自分の腹の奥でよくわからない、煮えたぎるような何かが湧いてくるのがわかる。

 その感覚が、私の中の恐怖を横へと押しやっていくような気がした。

 

 私が逡巡しながら様子を窺っている間、蛇めいたその男は周囲を見渡すように首を左右に動かしていた。

 そして()()()()()を向いて、突如声を張り上げた。

 

「どうしたよォ、嬢ちゃん!?いつまで穴熊決め込んでんだァっ!?来てんのは解ってんだぜェっ!!」

 

 木々の枝が揺れるほどの大きな声だった。

 それ以上に私自身の精神的な衝撃の方が大きかった。

 もしや、自分の今いる場所が見破られたのかと。

 

 だが、よくよく見てみればの男の視線は微妙に私の方からずれていた。

 恐らく……大まかな方向が解っているだけで具体的にどこにいるのかまでは解っていないのだ。

 

 

 しかし、それ以上に肝が冷えたのは次の行動だった。

 男は突如後ろを振り向いたかと思うと――――目にも見えない速さで、突如右腕を振り抜いたのだ。

 

 

「っ!?」

 

 喉奥から自分でも聞いたことがないような悲鳴が漏れた。

 私の視界の先、男が右腕に握った騎兵刀(サーベル)の柄でアンネの頬を殴ったのである。

 ゴキッ、という嫌な音が森の薄闇に響いた。

 

 男の持っている騎兵刀(サーベル)の柄は拳を保護するための覆い(ガード)が付いている。

 それで殴られたアンネは頬が晴れるどころではなかった。

 金属部分がどこかで引っ掻かったのか、頬が裂け鮮血が滲んでいた。

 口の中も切ったのだろう。唇の端から血が零れている。

 

「こっちにゃァ、見ての通り人質がいるんだぜェ!!お前が出てこねェんなら、出てくるまでこいつを嬲るぞ!!お前が出てくるのとこいつの歯がなくなるのと、どっちが先かねェ!!」

「お頭ぁ、あんまし女を傷物にすんのもどうかと思いますがね。いざ売るときに値が付きませんぜ」

()()()()()でも仕込ませろォ。しゃぶらせんなら、歯が無ェほうがいっそ具合がいいぜ」

「違えねぇ!!」

 

 げらげらげら、と下卑た笑い声が響く。

 ……あまりの醜悪さに吐き気がする。悪意の臭いがここまで届いて鼻が曲がりそうだ。

 頭が真っ白になる。指先の感覚が遠のいていく。

 それでも、私が目を離せないのはアンネがいるからだった。

 

 勢いよく殴られて頬と口から血を流す彼女は、悲鳴を上げることも無く、ただじっと耐えていた。

 無事なはずもない。ぎゅっと瞑られた瞼の端からはぽろぽろと涙が零れている。

 だが、それでも彼女は泣き出すことはなかった。

 

 何の為だ?決まっている。

 私に心配をかけまいと――――そう思っているのだろう。

 

「…………っっ!!」

 

 ギリリっ、と奥歯が軋むほどに顎を食いしばる。

 底の知れない男の実力、目の前で振るわれる暴力の光景に怖くないかと言えば嘘になる。

 でも、それ以上に連中の前に出ていかなくてはならない理由がある。

 

 ここで踏み出さなくては、()()()()

 既に()()()も終わっているところだった。

 腹の底から湧きあがってくるような熱を飲み下すように、唾を飲み込んでから――――、

 

 

 私は、木から飛び降りて奴らの前に姿を現した。

 

 

******

 

 

「よォよォよォ……、こうして会うのは初めて……だなァ」

 

 頭目であるセルペーが突如そう声を上げたが、他の山賊の面々にはそれがどういうことなのかはよくわかっていなかった。

 先ほど突然人質の女に手を挙げたときもそうだった。

 ここに来るようにと脅迫したプレイヤーが実際にやってきた、と確信していたのはセルペーただ一人であったがため、本当に人質を殴った光景を相手が見ていたかどうかという確証はなかった。

 

 そして今、セルペーが声をかけた方向には一見するとなんの人影も窺うことはできなかった。

 徐々に陽の沈みつつある黄昏時の暗闇が広がる森の虚があるだけにしか見えなかった。

 だが頭目の見立てが正しいことはほどなくして証明された。木々の陰から、開けている場所へと踏み出してくる小さな人影があったのだ。

 

 最初に見えたのは金色の髪だった。西から僅かに差す残照のような西日に照らされて、純金と白金を混ぜ合わせたような艶やかな長い髪が光を散らしていた。

 体躯は幼子のように小さく華奢で、人形のように整った顔立ちと相まって、見る人によっては庇護欲を掻き立てられるだろう。

 森の中では甚だ場違いと言えるフリルに彩られた衣装は、薄闇に溶け込むような暗青色(ダークブルー)

 手に携えているのは令嬢のような出で立ちに不似合いなはずの、それでいて何故かしっくりくる群青色(ネイビーブルー)から青空色(スカイブルー)のグラデーションで塗り分けられた弓と矢筒である。

 

 場に現れた少女――プレイヤーのリオ・オーガスタは端整な顔立ちに、険しい表情を浮かべ、目の前に立っている男達を睨みつけていた。

 

 頭目の指示で周囲の木陰に身を潜ませている山賊の男達は、そんな少女の出で立ちを見て、それぞれに雑多な所感を抱いていた。

 彼らがそんな余裕を持っていられるのも、矢面に立つのが頭目のセルペーだと言い含められていたからだろう。彼らはなんとなく野次馬染みた感想を各々の中で呟いていた。

 

 ある者は幼女愛好家に売り飛ばせば幾らになるのか皮算用し、ある者は衣服や弓矢といった装備品の額を図ろうとしていた。

 ある者は直接姿を現すまで気配の一つも感じられなかったことに感嘆し、ある者はそれほどの隠形を見破った自分たちの頭領に舌を巻いていた。

 少女の姿を見た瞬間に愚息をいきり立たせて鼻息を荒くしそうな男もいたが、残念ながらその男は先程私刑(リンチ)を受けて襤褸雑巾と化しており、何かを思考する能力は失われていた。

 

「……手短に話を付けましょう」

 

 僅かな沈黙を経て、リオは口を開いた。

 水晶の鈴を鳴らすような涼やかな声音には確かな緊張の色と、明確な不快感が滲み出ていた。

 

「彼女を……アンネを離してもらえませんか」

「いいぜェ」

 

 視界の端にチラチラと映っている他の山賊にも注意を払いながらリオがそう言うと、セルペーは意外なほどにあっさりと了承した。

 驚いたように瞼を幾度が瞬かせてリオが目を丸くするが――――直後に再度表情を引き締める。

 相手があっさりと条件を飲むときは大抵、交換条件として無理難題が出されるのが付き物だからだ。

 その想像に能わず、蛇面の男はたっぷりと嗜虐的に顔を歪ませてこう言った。

 

「ただし……てめェの死体と交換だがなァ……」

 

 男の右手に握られた騎兵刀(サーベル)の刀身が、不吉な青白い輝きを放っている。

 その剣呑な鋭利さを見せつけるようにセルペーが剣を眼前に掲げる。

 ニヤニヤと笑みを絶やさない男と、険しい表情を崩さない少女の顔が、鏡のようにその刀身に映り込んでいた。

 

「…………目的は、復讐とか、そんなところですか」

 

 小声で呟くようにリオが問う。

 内心では()()()()()()目的で自分を呼び出した可能性も考慮していた彼女だったが、純粋にこちらの死を望んでいるというというのは予想外だった。

 だが、それで状況が好転したとは全く考えていていない。

 むしろ、男の浮かべる薄ら笑いの奥から感じる不気味な悪意の香りが『殺意』というものだと理解して、()()()()と背筋に悪寒が走る想いだった。

 

 そんな風に恐怖を押し殺しながら投げられたリオの問いに、セルペーはやれやれと言った風に首を振った。

 

「んなワケ無ェだろうがよォ……。てめェが言ってんのはお前に片腕捥ぎ取られた阿呆のことだろォ?あんなチンピラ一匹の仕返しにわっざわざ人を呼び出すかっての……」

 

 しかし、わざわざアイツの後追けてトドメ刺したのは自分だけどよォ、とため息交じりに男はそう言った。

 それを聞いてリオは困惑する。この世界が現実化した時に初めて遭遇したあの山賊の男。自分がこの山賊の一党に狙われるのはそこから来る因縁であり、復讐の為だろうと考えていたからである。

 

「まァ、アイツのお陰でてめェを見つけられたのは運がよかったなァ……。んで、なんでかっつゥ話だったなァ……」

 

 男は手甲を嵌めた左手で、ガリガリと頭の後ろを掻いた。

 その所作は極めて投げやりかつ、()()()()()()()であった。

 それは事実その通りであった。セルペーという男はこうして『なぜ?』という風に理由を問われるのがとても苦手な性質(たち)だった。

 細かいものの経緯を考えられるほどに教養のある生活を送ってきたわけではないし、何より、彼にとって暴力とは常にそこにある生活の一部でしかなかった。

 

 故に、「何故殺すのか」という問いには結局こう答えるしかなかった。

 

「オレが殺したいと思ったから殺す。そして殺したいと思ったヤツを殺せたら()()()()()()から殺す。……んなところかァ?」

「…………っ!!」

 

 あまりにも身勝手。

 あまりにも不条理。

 

 奪うために殺すなら理解できる。

 犯すために襲うなら理解できる。

 

 だが――――殺すために殺す、というあまりにも前後の脈絡を欠いた、その意味不明な結論にリオは絶句した。

 そして同時に最大限の警戒を取る。この男には理屈が通じない、それ故に言葉を交わす意味がない。

 だから、本当に()()()()以外の選択肢しかないと本能的に直観してしまったのである。

 

 リオの体が強張る。

 額に一筋、冷たい汗が流れる。携えた弓を、左の手がギリギリと音が立つほどに握り締める。

 低く落とされた腰は、正面に駆けだすようにも脱兎の如く逃げ出すようにも見えた。

 

「……逃げて、リオちゃん……」

 

 緊迫が高まっていく両者の間に、消え入るような小さな声が響いた。

 セルペーの背後、山賊の一人に取り押さえられているアンネが、痛々しく鮮血を零す唇を開いて言葉を絞り出していた。

 

「貴方は、逃げて……。私は、大丈夫、だから……」

 

 ……当然ながら強がりだ。

 

 剣の鍔で殴られた頬は皮が一部裂けて血が流れ、腫れ上がって熱を持っている。

 口の中も裂けているだけでなく、歯が二、三本程折れていた。

 じんじん、と痛くて痛くて涙が溢れてたまらない。

 だが、それでもアンネは無理に表情を作って、リオに笑いかけた。

 

 ――――貴女は逃げてもいいのだと。

 ――――自分は大丈夫だから、と。

 

「……ありがとうございます。アンネさん」

 

 そして、それに返すようにしてリオは足先にぐっと力を込めた。いつでも動き出せるように。

 彼女の胸の内で心臓がバクンバクン、と車のエンジンのように烈しい音を立て始める。

 全身に巡る血の音が喧しく少女の鼓膜を打っている。手足は無意識のうちにビリビリとした痺れを生んでいる。

 

 リオの中で既に決定は済んでいた。

 だから、後はそれに突き進むだけだった。

 

 

 

「必ず助けますっ!!」

 

()()()()()()()ォッ!!」

 

 

 

 リオが矢筒に手を伸ばし弓に矢を番えるのと、セルペーが怒号を上げるのは全くの同時だった。

 次の瞬間――――()()()()()()()()()()

 

 

 

******

 

 

 流星矢(シューティングスター)

 上空に矢を放ち、任意のタイミングで落下させるスキル。

 滞空時間に比例して落下した時の威力が増加する特性がある。

 熟練度が低いうちは滞空時間も威力の増加率も低いが、私は昔からよく使っていたスキルなので、それなりに高い性能を持っていると自負している。

 今回使用したのは、散弾矢(ショットアロー)多数捕捉(マルチターゲティング)と併用したものだ。

 

 私は予め、一発上空に放っておき、細かい矢が周囲にいた山賊全員に当たるように仕掛けを打っていた。

 だが――――、

 

()()()()()()()ォッ!!」

 

 矢が落下を始め、山賊たちに降り注ぎ始めたその瞬間、頭目である蛇顔の男が声を張り上げた。

 どのようにしてかはわからない。だが、あの男は私が既に一手打っていたことを知っていたのだ。

 ……思えば、あの男は隠形スキルで気配を絶っていたはずの私の位置を大まかではあるが察知した上で声をかけてきていた。元から()()()()()()()が鋭いのだろう。

 

 だが、今そんなことを悠長に考えている暇はなかった。

 状況はすでに動き出している。

 

「ぐっ」

「がっ……!」

「うぅぉぉっ!?」

 

 周囲から微かな呻き声が聞こえる。矢に被弾した山賊たちの声だ。

 半数ほどが避け切れずに当たり、もう半数は回避。

 散弾矢(ショットアロー)の効果で分裂した矢は小さくなっていることと、()()()()()()()()()こともあり、どれも軽傷。

 そもそも牽制目的だったので別にそれでもかまわない。

 

「…………っ!!」

 

 そして――――当然のように蛇面の男は身を捻り、最小限の動きで躱している。

 私は、その男に向けて弓に番えた矢を引き絞り、放った。

 空気を裂く鮮烈な音と白い残像を残して矢が男に向かって飛翔する。

 

 だが、

 

「らァッ!!!!」

 

 銀色の鈍い光が奴の前で瞬いた。奴の左腕の手甲が矢を弾いたのだ。

 甲高い音が一つ周囲に木霊し、明後日の方向に飛んだ矢がどこかで木の枝を折る音がした。

 

 その光景を見て、乾いた喉の奥で唾を飲む。

 あの男の能力値(ステータス)なら出来るだろうなという納得が半分。

 そして――――本当に戦闘になってしまうことへの緊張が半分。

 

「ははァッ」

 

 男が笑った。

 眼窩の奥で爛々と眼を光らせて、

 裂けた口のような唇を歪ませて、

 

 ――――いかにも楽しそうに、男が嗤った。

 

「っ!?」

 

 その笑みを見て()()()と嫌な感覚を背筋に覚えた次の瞬間、私は反射的に横に転がっていた。

 私が飛び退いたのと、さっきまで立っていた場所が土煙を上げ、地面が()()()()のはほぼ同時だった。

 嫌な汗を背筋に感じながら体勢を立て直すと、騎兵刀(サーベル)を振り抜いた体勢の男が見えた。

 

「――――うまく避けたなァ」

 

 なら次はもっとうまく避けろよォ、と男が言う。

 

 私と相手は五メートル以上離れている。常識的に考えて剣の刃渡りが届くわけがないという距離。

 だが――こと()()()()にあってはそういった常識を覆す手段などいくらでもあるということを私は良く知っている。

 

 ドクンドクン、と胸の奥で心臓が音を立てている。

 肋骨の奥で太鼓が鳴るように重く、そして吐き気がするほどに痛く。

 

 意識が白くなりそうな緊張の中で、ゆっくりと――――見せつけるようにゆっくりと男が剣を構える。

 半身に体を構え、全身を脱力させながら、肘辺りに掛けた糸で右腕全体を上に吊り上げていくような、奇特な構えだった。

 

 ――――まるで、鎌首をもたげる蛇のような。

 

 そう思ったのと同時。

 男の腕が()()()

 

 

「ぐっ、げぁっ……!?」

 

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 ただその瞬間に理解できたのは()()ということだけだった。

 

 私の体の左半身。左の二の腕と前腕と、脇腹の辺りに()()()()とも形容するべき激痛が走り――――それに撥ねられるようにして、私の体が吹き飛んだ。

 まるでバカみたいにでかい羽子板をフルスイングされて、その側面の部分を体にめり込ませるようにして殴られたような痛みだった。

 その謎の衝撃に跳ね飛ばされて弓を取り落とさなかったのは奇跡的だった。

 

「が、ぁ゛っ、ぁぁっ……!!」

「おォ、おォ、直接ぶった斬って死ななかったヤツは久しぶりだなァ……!!」

 

 痛みと衝撃でぐらぐらと揺れる頭で、男の言葉を反芻する。

 

 ――――斬られた。今のは、あいつの剣で斬られた衝撃だった。

 震える体に鞭打って何とか立ちあがり、恐る恐る鈍痛の走る場所に手を這わせる。体が裂けていたり、血が流れているわけではないようだった。

 多分、あの男の剣では私の着ている上着を一発で切り裂くことはできなかったのだろう。

 結果として刀身で殴られたことによる鈍痛が生じている。

 

 ただ、体が直接斬られたわけではないにせよそのことは大した慰めにはならなかった。

 

「う、っぐぅ……!!」

 

 何せ()()のだ。

 じんじんと、総身に痛みが響いている。

 骨が折れているんじゃないかと思うほどの痛みだ。

 血が巡るごとに痛みが、ずきずきと音を立てて私の脳を蝕んでいくようだった。

 

 ――痛い。

 ――痛い、痛い、痛い!!

 

 本当は叫び出したい。

 本当は逃げ出したい。

 

 なけなしの勇気を振り絞って戦うと決めたはずなのに、私の心はただの一撃でひび割れそうになっていた。

 それほどに本当の意味での戦いと、振るわれる暴力は恐ろしかった。

 

「さァて……そう簡単に死んでくれるなよォ」

 

 だが、目の前の現実は私が痛みに蹲るような時間を与えてはくれなかった。

 もう一度、男が同じように構えを取るのを視界の端に捉えた私は、遮二無二逃げの一手を打った。

 

 全速力で、脚力にものを云わせてその場から飛び退く。

 するとすぐ横を突風のような何かが通り過ぎていき、背後の細い木を一本両断した。

 木の幹が抉れ、半ばから折れて倒れていく音が辺りに響く。

 

 ……間違いない『飛燕斬』だ。

 

 斬撃攻撃系のスキルの一つである『飛燕斬』は、刃物を振るうとともにその斬撃を遠距離に飛ばすことができる技である。

 熟練度が低いうち射程も威力も速度も大したものがない。……だが、あの男が使う飛燕斬の練度は恐ろしく高いに違いない。

 手元の剣を振ったのと、全く同じタイミングで斬撃が五メートル以上の間合いを飛んで着弾するなど、ゲーム時代でもそうは見なかった。

 実質、騎兵刀(サーベル)の刃渡りが伸びているようなものだった。

 そして、そんな情報がわかっても気休めにはならなかった。

 

「くっ……!!」

 

 獲物に襲い掛かる蛇めいた独特の構えから、何度も斬撃が放たれる。私にはその動きが全く読めない。

 奴の腕の動きが早すぎるせいで、一瞬腕がぶれるようにして消失したかと思うと同時に斬撃が襲い掛かってくる――――そのようにしか見えないのだ。

 

 それでも私がかろうじて避けられているのは、ただの()だった。

 背筋に()()()と嫌な感覚が走る。その次の瞬間に攻撃が来る、というそれだけの極めて不安定な回避だった。

 その為にはギリギリまで神経を集中させる必要があった。

 そうまでやっても中空を飛んでくる見えない斬撃は躱すだけで精いっぱいで、反撃に転じる余裕は殆どなかった。

 

 奴の斬撃は速く、長いだけではなかった。

 恐らくは『連牙斬』も複合させて放たれている。一瞬のうちに地面に斬撃の痕が複数刻まれているのが見えた。

 時折斬撃が重なり合うように放たれ太い木の幹であっても抉り取って倒壊させ、斬撃が囲むように放たれたときは必死に射程から離れて木を盾にして防いだ。

 

 明らかなジリ貧だった。

 ぜぇ、ぜぇ、と自分の息がうるさい。

 肺が苦しい。空気を吸っても吸っても胸苦しさが消えない。

 

「くそ……っ!!」

 

 木を盾にしながら弓を構えて、矢を放ったが――――その一射は奴が僅かに身を反らすだけの最小限の動作で躱された。

 まるで矢の軌道も来る瞬間も見え透いていたかのような反応だった。

 内心で舌打ちをするが、悠長にしている暇はなかった。

 奴の飛燕斬と連牙斬を組み合わせた斬撃が、私の隠れていた木を一撃で吹き飛ばしたのである。

 屈んだ身の上を砕けた木片と木屑、そして斬撃が通り過ぎていく。

 背筋に寒気を覚えながら再度その場から逃げ出した。

 

「どうしたどうしたァ!!お遊び(ゲーム)じゃねェんだ、殺す気で撃って来ねェと当たらねェぞォッ!!!!」

 

 

 ――――お遊び(ゲーム)じゃない。

 

 

 背後から聞こえた男の声が、滲みるように心に残る。

 そうだ。この世界はもう既にお遊び(ゲーム)ではないのだ。

 殴られれば痛い。斬られれば痛い。

 戦うから血が流れる。傷つけば血が流れる。

 その本当の意味を、私はようやく……本当に、ようやく実感し始めていた。

 

 剣で打ち付けられた箇所が酷く痛い。

 じんじんと痛みが絶えず、鳴りやまない。

 

 辛い。怖い。逃げたい。

 でも、駄目だ。逃げられない。

 だってアンネが捕まっている。

 アンネをあんな目にあわされて、それで引き下がれない。

 

 だから、駄目だ。許せない。

 許せない?誰をだ?

 自分だ。自分で自分を許せない。

 

 いや、待て。違う。

 そっちじゃない。そっちじゃあないだろう?

 

 

 ――――私が許せないのは、()()()()だろう?

 

 

「……っ?」

 

 その瞬間、自分の中で()()()と音を立てて、歯車が一つ噛み合う様な音が聞こえた気がした。

 何かとても重要で、それでいて簡潔な、何かの機構が回り出しそうな。そんな――――漠然とした予感。

 自分自身の奥の奥、その向こうから何か熱くて激しいものがせりあがってくるような気がする。

 

 以前にも感じたことがある。

 街に来た山賊の男を射ったとき、アンネが攫われたという手紙を読んだ時。

 その時にも感じた、腹の底から湧きあがってくる噴火寸前のマグマのような激しい熱だった。

 ギギギ……ッ、と噛み締めた奥歯が軋む音がする。文字通り火を飲むような心地で、私は喉奥でその感覚を押さえつけた。

 自分でもわからないその熱は、ともすれば叫び出してしまいそうな熱さだった。

 

 だが――――今回に至ってはそのような感覚に囚われている場合ではなかった。

 その僅かな時間の逡巡が文字通りに『命取り』だった。

 

「まァ――――本気でやろうが、結局はオレが殺すのに変わりは無ェんだがなァ……!!」

 

 ()()()、と背筋が震える。

 私に掛けられたその声は前方から聞こえた。

 顔を上げた私の目に映ったのは、ゆらりと騎兵刀(サーベル)を構えたあの男だった。

 

 『縮地』……一瞬のうちにして距離を縮める歩法のスキルで先回りしたのだと気付いた時には手遅れだった。

 既に私は、射程内に完全に捉えられていた。

 

「食い破れ、『人喰らい(マンイーター)』ァァッ!!!!」

 

 男が唱えた瞬間、その手の中にある剣の刀身がより一層不吉な青白い輝きを放ち――――残像さえ残さない速度で振り抜かれた。

 逃げられない。そう思った私は咄嗟に頭を守るようにして体を丸めて縮こまらせた。

 その上で、複数の斬撃が私の全身に打ち込まれた。

 

「ぐっ、ぅっ……!!!?」

 

 打ち込まれた斬撃は先程の比ではない威力だった。

 一刀一刀が、まるで私の上着の防御の上から肉と骨にめり込むような重たさだった。

 当たった個所から衝撃が深々と体の中まで食い込んでいき、体の芯の方で嫌な音がするのがわかった。

 

 バットに殴られたボールのように無様に地面を転がる。

 天地がグルグルと回転して眩暈がするが、そんなことに頓着している暇が無い。

 思わず叫びたいほどの痛みが全身を苛んでいる。体がバラバラになってしまったのではないかと錯覚するほどだ。

 叫ばなかった理由は一つ。喉の奥で錆のような味がする塊が絡んでいたからだ。

 

「…………がっ、はっ……!!!……あ゛ぁぁっ!!!!」

 

 えづきながら吐き出した塊は喉の奥に絡んでいた血痰だった。多分、内臓の何処かを痛めている。

 視界がぐらついて眩暈がする。痛みが酷すぎて吐き気がする。

 思考が纏まらない。痛みが激しすぎて、何かを考えることができない。

 それでも、それでも立たなければと思って立ち上がろうとした瞬間、激烈な痛みが走って膝が抜ける。

 

 何があった、と思って脚に目を向けると――――深々とした切り傷が刻まれていた。

 私の片脚の大腿。そこから下が流れ出した血でべったりと濡れていた。

 それを意識した瞬間、頭が爆発しそうな痛みが襲い掛かってきた。

 

「…………っつ゛、ぅっ……ああ゛ぁぁぁぁぁっっ…………!!!!!!」

 

 まるで脚が捥げてしまったのではないかと錯覚しそうなほどの痛さだった。

 いや、もしかすると間違いではないかもしれない。見たところの傷の深さは解らない。

 ただ脚と膝に力が入らないのだ。筋肉がごっそりと断ち切られているのかもしれない。

 耐えようとして、それでも耐え切れない痛みが嗚咽のようになって漏れる。

 歯を食いしばろうとして、それさえもできずに呻くしかできない。

 

 意識が白熱している。

 思考が白濁している。

 ガンガンと痛みが私の脳を殴りつけて、自分が何をするべきか、ということさえも分からなくなっていく。

 それでも、立ち上がらなければという使命感のようなものに従って、片脚で震えながら立つ。

 

 いや、立とうとしたのだ。

 それよりも前に――――眼前に突き出されたものが無ければ。

 

「死ね……ッ!!」

 

 それは極めて明瞭で、間違いの余地も、誤解の猶予も無い、混じりけなしの『殺意(・・)』というものだった。

 その手触りは怖気が走るほどに冷たく、熱く、そして鋭い、破滅的な感触だった。

 

 

 ――――つまり、私の腹に突き立てられた騎兵刀(サーベル)の刃の感触だった。

 

 

 吹き飛ばされた私に向かって男が縮地で間を詰め……そして立ち上がろうとしていた自分に向かって直接剣を突き出したのだ。

 その刃は、転がった拍子に捲れあがったジャケットを潜るようにして、私のブラウスを貫通して腹部に突き刺さっていた。

 見下ろした視界の中、細長く硬質な物体が自分の体の中に飲み込まれているのはなんだか非現実的な光景だった。

 

「がっ、」

 

 何かを言おうとして、それは全く言葉にならなかった。掠れた音が僅かに喉から漏れただけだった。

 突き刺された部分に痛みは最早感じなかった。正常に感覚を処理していたらおかしくなってしまうと脳が判断したのかもしれない。

 

 ただ感じられるのは悍ましいほどの不快感と嫌悪感だった。

 突き立てられた剣の切っ先が、筋肉と脂肪を掻き分けながら潜り込んでいく。

 ぶちぶち、と神経と血管が引き裂かれるような音がした。

 体の奥の深い所の内臓に、冷たく硬い感触が食い込んで、ぐりりっ、と捩じられる。

 内臓が抉られたその瞬間、体の奥の方から鉄臭いものが込み上げてきて口の端から溢れだした。

 どろり、と錆び臭い血の味が口の中一杯に広がって恐ろしく気分が悪かった。

 

 そして、勢いよく私の体に刺さっていた刀の切っ先が引き抜かれる。

 刀身に纏わりついていた血糊がびしゃっ、と音を立てて地面に染みを作るのを私は何処か呆けた目で見ていた。

 

 ……傷口から血が溢れだしている。

 ぽっかりと腹に開けられた穴から、とめどなく血が流れ出している。止まらない。底の空いたバケツのようだ。

 急速に私の命と言うべきものが零れていくという絶望感と喪失感が広がっていく。体

が芯の部分から冷え切っていき、寒気がする。

 立ち上がろうとしていた膝から力が抜けてその場にへたり込む。

 呆然とした気持ちで傷口に手を当てて押さえるが、そんなことは焼け石に水だった。血が止まらない。

 

 

 死んでいく。

 私が、死んでいく。

 

 

「う、ぁ、ぁ……」

 

 何かを喋ろうとしても口から溢れた血反吐に遮られて言葉にはならなかった。

 ただ「ブラウスを汚したら怒られるかな」なんていうバカみたいなことが脳裏をよぎった。

 明らかに現実を正常に認識できていない。

 

 呆けた頭で、呆然と顔を上げる。

 そこには振り上げられた一本の剣が見えた。

 既に東の空から昇った月の光を受けて、一層その青白い輝きを見せる騎兵刀(サーベル)

 

 私の血に濡れたその刃が、振り下ろされる。

 私の視界の中で、その一振りは嫌になるほどのスローモーションに見えた。

 

 そして、

 やがて、

 

 

 

 文字通り()()()()()ような痛みが私を襲った。

 

 

 全てが暗転して真っ暗になった。

 

 

 遠い何処かで、誰かの悲鳴が聞こえた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。