※この作品はR-18です。

The Unlimited Horizon   作:白臼

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細かい理屈に関しては突っ込まないで頂けると助かります。


閑章 『この世界の幾つかの情景』
閑話6 事象の地平面、X/0の間隙、或いは胡蝶の夢


 

 

「どうもこんにちは。はるばるご足労頂き感謝の念に堪えません」

 

 一人の男性の声が部屋に木霊した。

 

 何の変哲もない部屋だった。あまりに特徴が無さすぎてそれが却って特徴になるというほどの。

 壁や天井、机はいずれも白塗り。かといって潔癖なまでに白というのでもなく、むしろ細かな汚れが目立つ。

 つい最近になってここを使う予定ができたので頑張って掃除しました、と言わんばかりの雑な清潔さである。

 

 部屋の奥の壁際には黒板とその前に立つ男性が一人、弁を振るっている。

 その光景はちょうど大学の講義室の一角を彷彿とさせた。

 

「いえいえ、礼を言わなくてはいけないのはむしろこちら側です。――――部外者である僕の為にわざわざこのような場を設けていただいたわけですから」

 

 そう語ったのは机に座る一人の青年だった。

 ジーンズにTシャツ、机の横には先ほどまで被っていた野球帽を引っかけている。

 青年は朗らかな笑みを浮かべながらも、手元のメモ帳のページをペン先でつついているその仕草はどうにもそわそわとした雰囲気が拭えない。

 いかにも話を待ちきれない、という風に。

 

「えぇ、そういうことでしたら堅苦しい前置きなどは無しにして、早速初めて行きましょうか――――()()()()()()()について、私達が推測しうる限りのことを」

 

 それが愉快だったのか黒板の前に立つ男性は苦笑を一つ零してから語り始めた。

 

「申し遅れましたが、私は『The Unlimited Horizon』()運営チーム、サーバー保守点検担当の渡辺と申します。よろしくお願いしますね、ヒョーン・ヌラリーさん」

 

 

******

 

 

「さてと、俗に言う『あの日』――――ゲームであった筈のこの世界が現実になった現象が起きた日、具体的に言うと2121年4月19日の事です」

「はい、ちょうど土曜日で週末でしたね。その何日か前にサーバーのアップデートがあって、それから初めての週末だったかと思います」

「そう、その前の水曜日にサーバーの再調整を行ったのです。私の担当の仕事だったのでよく覚えています。……そう考えると、今のこの世界の状態の責任の一旦は私にあるのかもしれませんね……」

「……サーバーのアップデートの際に何か問題があったと?」

 

 ヒョーンの発言に対して渡辺は渋い表情をしてから「お恥ずかしながら」と呟くように言った。

 それに対して彼は口元をペンで叩きながら怪訝な顔をした。

 

「僕はメンテナンスが開けてから総計(トータル)36時間はログインしていたかと思いますけど、何か変なバグやラグには覚えがありませんね」

「……。えぇ、実際に運営側としてもそういった報告は受けていません。計算処理の速度や精度に異常は無かったのです」

 

 さらっと水曜日から土曜日までの72時(3日)間のうち半分はゲームをしていたという発言に若干引きながら、渡辺は一旦黒板に書き込みを始めた。

 カツ、カツ、と黒板の表面をチョークが走る音が小さな講堂に響く。

 

「我々が直前まで利用していたサーバーはアダムス社製2115年モデルでしたが、そこから徐々に換装を続けていましてね。『あの日』にはほぼ最新モデルと同等のものにアップグレードされていました。――――『UH』と同じような疑似世界構築型VRMMOに共通するソフトウェアはご存知ですか?」

「『ワールドシミュレーター』は色んな会社が出していますね。基幹技術はナノログス社のものでしたっけ」

「はい、その通りです。ハードの更新に合わせてソフト面も強化するために、新しくシミュレーターもアップデートすることになったんです。水曜日のメンテナンスはそれが主でした」

 

 ワールドシミュレーターは読んで字の如く、一つの世界を仮想演算するソフトウェアである。

 種類は幾つも存在するが前提となるデータ群を入力していけば、それが実際に存在しうる世界観をある程度自動で補完しながら処理してくれるソフトだ。

 

 例えば何かのイベントがあるならば、台詞が入力されていないNPCも書かれたシナリオに沿うように自律的な判断に基づいて言葉を話し、行動する。

 例えばある海域で特定のモンスターとの遭遇(エンカウント)率が高いのであれば、それが自然なものであるように海流や他のモンスターの分布を調整する。

 例えば何らかの美術品がその地域の名産であるならば、その美術品のデザインに合わせた文化形態が自動で調整される。

 

 リアリティの高い仮想世界を構築するためには欠かせないソフトだが、やはり欠点として相応の計算能力をハードの側に要求する。

 量子コンピュータが普及している22世紀にあってもその要求水準をクリアできるのは専用の調整をされた企業用サーバーくらいのものである。

 家庭用のゲーム環境では到底動かせないのは自明であるため、ほぼオンラインゲーム専用のソフトと言っても過言ではない。

 VRMMOというジャンルが2100年代(最近)の流行になっている原因の一つとも言えるだろう。

 

「……シミュレーターを更新してから、システムの処理に問題はありませんでした。順調そのものだったと言えるでしょう」

「まぁ、そうでしたね。むしろ動作は随分快適になったと感心した覚えがあります」

「……えぇ、そういった不具合ではなかったんです。むしろ、()()()()というのが問題だったと言いますか」

 

 導入したソフトの処理に問題は無かった、そう語りながら渡辺の言葉は歯切れが悪い。

 なおも彼の手はかつかつ、と音を立てながら黒板の上に幾つかの文言と図形を記入し続けている。

 そのうちの一つを指さし、彼は歯の間に物が挟まったようななんとも微妙な表情でヒョーンに説明した。

 そこには『NL-WS-2121-101―TT』と書かれていた。

 

「これはその時に導入されたソフトの型番なんですけどね。……実はこれ、正式には未発売だったんですよね」

「……開発中止のものとか、試作段階だったものとかを持ってきたということ……でしょうか?」

「えぇ、()()の『TT』は『試験型(TestType)』という意味ですよ」

 

 身内の恥を語るようで心苦しいのですが、という前置きがあって語られたことによるとこうである。

 実は『The Unlimited Horizon』の運営チームは当時そこそこ焦っていたらしい。

 2121年の段階でこのゲームもサービスを開始してから五年が経っていた。

 ゲーム産業は技術的な意味でも、嗜好的な意味でも日進月歩だ。その時は最新と言われていた筈の技術もやがては当たり前のモノとなり、流行(ブーム)は水物として流れていく。

 『UH』もそれは例外でなく、後発の別のゲームタイトル群に徐々にプレイヤーを奪われつつあるという危機感を抱いていた。

 

 そこで運営チームが行っていた幾つかの企業努力(テコ入れ)の一つがサーバーのアップデート。

 そして、当時の社長が人脈(コネ)を使って入手してきたナノロゴス社製の試作ソフトウェアであった。

 

「……悪い意味で煮詰まっていたんでしょうねぇ。あの時はあまり、みんな冷静ではなかった」

 

 ともあれ導入された試験型のワールドシミュレーターの動作は順調だった。少なくとも最初の二日ほどは。

 異常が起きたのは三日目……土曜日に差し掛かってからだった。

 

「ちょうど昼下がり、午後の2時頃だったでしょうか。サーバー内の情報処理速度が加速度的に上昇し始めました」

 

 渡辺はもう一度黒板の方へと向き直り、先程書き込んでいた図面(グラフ)を指示した。

 横軸は時間、縦軸はbps……1秒間当たりの情報処理の回数を示している。

 彼の語る通り処理回数は午後2時を境にして急激に伸び始めており――――そこを通り過ぎて図の全体像を最後まで視界に納めたヒョーンは、それが()()()()()()()()のかが理解できなくなり疑問をぶつけた。

 

「……えーと……途中でグラフが真上にまっすぐ伸びたまま戻ってきてないように見えるんですが……」

「……えぇ、そうですね。見たままです」

 

 グラフによると2時から上昇を続けた速度は、2時半を超える頃には指数関数的な勢いでなおも増加し――――3時に到達すると()()()()()を描いて上へと伸び上がっていた。

 そして、そこから先は断絶している。グラフはそこが終点だった。

 

「――――処理速度(無限大)。それが今のこの世界の元凶だと私は考えています」

「最新のサーバーと試作段階のソフトが噛み合って、異常な挙動をした……ということですか?細かく説明していただいても?」

「えぇ、説明は必要ですね」

 

 困惑するヒョーンに対して渡辺は苦い笑みを浮かべながら解説を始めた。

 自分も半信半疑であり、あくまでも仮設でありしかもそれを検証する方法は今のところないので「あくまでそう考えると筋が通る」程度の話――――と考えてください、と何重にも予防線を張った上でだが。

 

「22世紀では業務用のサーバーで使用されているものはほぼすべて量子コンピュータが使用されていることはご存知だと思います。その動作原理に関わってくる話ですが……まず、ミクロな視点で見た場合、量子の振る舞いは曖昧で厳密に定義することはできません。

例えばある一つの量子が右側に向いているか左側に向いているかという可能性は()()()()()()いる。言い換えれば右に向きながら、同時に左に向くこともできるのが量子の特性だと言えるわけですね」

 

 黒板で図面を引きながらの解説を見ながらヒョーンは頷いた。この辺りは量子コンピュータの基本的な説明だ。

 従来型のコンピュータが、一人の人間が高速で電卓を叩いて計算するような物なら、量子コンピュータはその人間が分身しながら計算するようなものである。

 『右に向いている可能性』と『左に向いている可能性』、その二つが折り重なっている量子の振る舞いを計算に応用する――――きわめて大雑把な理解だが量子コンピュータの仕組みはおおよそそのようなものである。

 

 黒板の上には量子を表す球体が描かれ、そこから左右に伸びる矢印が足されている。

 だが渡辺はおもむろにそこに別の矢印を足し始めた。

 

「……ですがそれはあくまで『右と左』という2方向の動きに限定した考えであり……本当は前後左右上下、それこそあらゆる方向へ向く可能性が重複しているとは考えられませんか?」

「…………」

 

 ヒョーンは沈黙した。彼の表情には流石にそれは在り得ないだろう、という字がありありと書かれている。

 確かに、解放された状態での量子の振る舞いであればあらゆる方向を向く可能性を内包しているだろう。

 だが量子コンピュータの処理は常に1か0で行われる。量子が()を向くか()を向くかの二択に絞られた段階で計算をさせているのだ。

 それ以外の可能性はない……筈である。

 

 そこまでの反論が喉から出かかったのをヒョーンは呑み込んだ。

 何せ自分にそのように解説している渡辺も自分と同じような表情をしていると気付いたからだ。

 つまり――――どう考えてもあり得ない、だが。

 

「もしも本当にそんな現象が起きたとすれば……計算を行う量子は無限通りの計算を同時に行うことが可能になる……。つまり、処理速度が無限になる?」

「……量子力学の分野では量子の動きを厳密には測定も規定もできません。どんな奇特な振る舞いでも、そうなる可能性が()()()()()()()()()()()()。無限の可能性なんです」

「………………」

 

 あまりに荒唐無稽な話に二人は苦い表情を浮かべた。

 聴者の青年の脳裏には無限に分身した人間が同じく無限の算盤を叩いて無限の計算を処理している光景が浮かんでいた。

 それは宇宙的恐怖とある種の前衛芸術めいたシュールレアリズムを感じさせる光景であったが、彼はペン先で自分の額を軽く小突いてその幻視を頭から叩き出した。

そんな彼を尻目に、黒板にはチョークで新しい情報が書き足されていく。

 

「まぁ、無理がある仮説だとはわかっているんですが……もしも無限大の処理能力を一時的にサーバーが獲得すれば、できないことは無くなるでしょう」

 

 新しく書き足されたのは1行の数式だった。

 『Xbyte/0sec=∞bps』。

 

「0秒の中で情報を幾らでも処理できる……ということでしょうか」

「そういうことになりますね。言うなれば特異点ですよ」

 

 特異点(シンギュラリティ)とは元々は理論物理学における用語であり、ブラックホールの中心点にあるとされる仮想上のポイントである。

 一つの星が自重で潰れていった果てに、やがて体積が(ゼロ)になる。だがその時点で重量が1でも存在するならば、質量は(無限大)になる。

 質量は重量÷体積で求められるが体積が()となった瞬間、どうあがいても無限の質量が発生することになるのだ。ここが特異点である。

 もしも本当に特異点の質量が無限であるならば、そのままブラックホールの周囲にあるもののみならず宇宙全体がとっくの昔に引きずり込まれていて然るべきではないか、という意見もありその実在は疑わしい。

 ただ、計算上は発生しうること。そしてその周りでは通常の物理法則は無意味になるだろうということだけは確実視されている。

 

「特異点の周囲、ブラックホールの内部に引きずり込まれれば時間も圧縮されて引き延ばされて永遠に『穴』の向こうに落ちることは無いとされています。光さえも脱出不能となるこの境界線を『事象の(event)地平面(horizon)』と呼称します」

「『事象の(イベント)地平面(ホライズン)』……」

 

 その言葉を反芻したヒョーンはぞわり、と背筋が粟立つ感覚を覚えた。

 初めて聞く単語ではあるが、彼が最も慣れ親しんだタイトルと一部が架かっていることに言いようのない恐ろしさを感じた。

 

「この世界はゲームが現実になったとか、そういうファンタジーな話ではありません。無限の処理能力を獲得したサーバーが生み出した0秒の間隙、一瞬にも満たない時間に存在する夢幻(無限)の中に我々は囚われているんですよ」

 

 渡辺は最後にそう締めくくった。

 彼が描いたグラフの中では、処理速度を表す一本の線が黒板そのものを真っ二つにするかのように上へと伸び上がっていた。

 

 

******

 

 

 ――――『九頭竜砦』。

 彼の悪名・英名も高い生産職専門ギルド、『シャンブルズ』の拠点である。

 オリエス大陸西南の沖合に浮かぶ無人島を丸ごと占有して建設されたこの本拠地(ギルドホーム)()()()もそうだったが、それから幾分かの時を経た現在は島の原型もわからないほどにその住人たちの手によって()()しつくされていた。

 

 どこから調達してきたのかわからないコンクリートによって島の土地は隙無く均されており、その姿は地球における埋め立て地に近いだろう。

 外周を囲う城壁の上には趣味と実益を兼ねて建造された防衛兵器群が所狭しと並び立って針鼠(ハリネズミ)のような有様。

 極めつけは島内に林立する無数の研究棟であり、住人が好き勝手に増築と改築を繰り返すせいで一つ一つが歪な造形になっていた。

 その姿は建物というよりは独自のルールに則って不定形な体を作り替えていく粘菌の群れのようでさえあった。

 

「……」

「あぁ、こっちにいたか」

 

 そんな混沌(カオス)を形にしたかのような風景を眼下に望む中央管制塔の窓辺にヒョーンは立っていた。

 靴音を鳴らしながら彼の方へと歩み寄ってきたのはスーツを着込んだ鉱人(ドワーフ)の男性である。

 ミトンのように分厚い手に一つずつ持っているのは暖かな湯気を立ち昇らせるコーヒーだった。

 

「ゲルマニア先生」

「君の分も入れてきた、一杯飲むと良い」

 

 ゲルマニアと呼ばれたその男性は片方のマグカップをヒョーンに手渡して、同じように窓辺に佇んだ。

 彼の名はザクリー・ゲルマニア。シャンブルズのギルドマスターを務める人物である。

 豊かな口髭にコーヒーが滲みないように慎重に口付けながら、彼は傍らに立つ青年に声をかけた。

 

「渡辺君の話はどうだったかね?」

「うーん……中々に突拍子もないというか……。まだ実感が追い付いていない感じですね。彼が書いていたあのグラフは、どのくらい信憑性があるものなんですか?」

「彼はサーバーの異変がゲーム内でどのように影響を与えているのかをログインしながら確認していた。彼のメニュー画面はサーバーの状況をモニターできるようになっていたと聞く。『あの日』の後に目覚めてから最後に残ったログが()()だったらしい」

「……」

 

 ザクリ―が淡々とした口調で先立っての説明を補足する。

 元運営スタッフである渡辺を保護し、ヒョーンを招いて今回の場を設けたのは他ならぬ彼だった。

 顎に指先を添えて思案するヒョーンにちらりと視線をやり、ザクリーは彼の思考が纏まるのを待った。

 両者の眼下では研究棟の一つが唐突に爆発した。どうやら実験中に事故が起きたらしい。

 

「彼の仮説が正しければ、我々がいるのこの世界は……0秒という一瞬ですらない時間の中に挟まっている、夢のようなものなのですね?」

「正しければ、だがね」

現実(リアル)はどうなっているのでしょう?」

「おそらくはサーバーは消し飛んでいるだろうな。無限倍速の処理に耐えられるハードは流石に存在しない。これはほんの一時のバグに過ぎない。だが、我々は一瞬先を迎えることはできないだろうがね」

「肉体は?」

「……おそらくは同時に死亡する」

 

 ザクリーが重い口調で口を開いた。二人の間に神妙な静寂が満ちる。

 そして窓の外では暴走したゴーレm……いや、ロボットが噴煙の向こうから姿を現していた。

 

「深催眠、という現象がある。限りなく本物(リアル)に近い幻覚は本物の肉体に同じだけの影響を及ぼす。……世界中のVR技術がその再現性にある程度の枷を設けていたのは、それを警戒しての事だ」

 

 例えば深い催眠状態にある人間に対して、ただの木の棒を「これは焼き鏝だ」と信じさせてから押し当てると火傷を負ったように水膨れが発生するという。

 あまりに浸透しすぎた仮想(バーチャル)は現実の肉体に悪影響を及ぼす。

 22世紀のVR技術をフル活用すればより没入感の高い仮想現実を体験できるだろうが、そうはしていなかったのは()()()の事なのである。

 

 ヒョーンは手の平に視線を落として何度か握っては開いてを繰り返した。

 手と指の筋肉が動く感覚、骨の感触、体温と血管の脈動まで、これが本物でなければ何なのかというほどの手触りだ。

 

「……少なくとも戦闘職の人間でいくらかの肉体的な損傷を経験した人間は、現実(リアル)の方も同じように傷ついているだろうということですか」

「あぁ。……ログアウト不能な今となっては確かめようもないがな」

 

 ザクリーの相槌に合わせて外では再び爆発が起きる。

 ロボットが背中に生やした大砲で砲撃を始めたようだ。

 

「ワールドシミュレーターは開発者のデザインが及んでいないところまで『どのように処理すれば自然になるか』を演算している。無限の演算処理を行えるとなれば、それこそ素粒子の振る舞いから宇宙の果てまで勝手に()()()()()いるだろう。完全にもう一つの現実になっているのさ、この世界は」

「……もう一つの、現実」

 

 その言葉を含むように青年は手の中にあるコーヒーを飲み下した。

 熱く芳しい液体が喉を伝い、胃の腑に流れ込んで満たしていく。

 ともすれば現実(リアル)以上に現実性(リアリティ)を感じさせる、そんな感覚だった。

 

「少なからずショックだったのかもしれませんね、僕は」

「ほう?」

 

 ヒョーンがぽつりと呟いた。

 カップの中、黒々としたコーヒーの水面がゆらゆらと揺れている。

 そこに映る自分の顔を眺めながら彼は自分の中にある思考を掬い上げるように口を開いた。

 尚、二人を尻目に外の爆発現場には急行する保安部隊よりも早く血気盛んな研究員(ギルドメンバー)が到着していた。

 走行手段も馬にバイクにスケートボードにバルクールにと個性豊かで中々に見飽きない。

 

「『あの日』の後に目覚めてこの世界の変化を目の当たりにして、取り乱すよりも興奮していたことを覚えています。僕の好きなゲームが本当の本物(・・・・・)になったのだと。そうなった理由は深く考えてはいませんでした。ただ漠然とどこかにある異世界に繋がったのだとか、適当なことを考えていました」

「……自分が若いころには、そういう創作物(フィクション)が流行っていたよ。君と同じようなことを自分も考えた」

「だから……それでも、今此処に在る世界が本質的には今までと変わらず、サーバーの中に再現されているものであるというのは、少し堪えましたね」

「夢を、壊されたような」

「そんな感じです」

 

 ヒョーンの言葉にザクリーは共感を返した。

 青年が思っていることは彼も同じように感じたことだからだ。

 仮想を本物だと思ってのめりこむことと、本物のようにのめりこんでいたものが仮想だと知らされることは、方向性が真逆だからこそ感じるものも真逆だった。

 

 つまりは興ざめ――――というやつである。

 変貌した後のこの世界を楽しんでいた人間ほどショックは大きいだろう。

 故にザクリーは今回ヒョーンに仮説を伝えることに消極的だったのだが――――隣に立つ青年は思いのほか朗らかな表情を浮かべていた。

 

「でも冷静に考えてみれば、そこまで大層に考えることでもないな、と思いまして」

 

 そんな軽い調子で語る声に虚勢を張っているという様子はない。彼は言葉の通り、衝撃の事実をあまり大きな問題だったと捉えてはいないようだった。

 青年の眼は窓の向こうで繰り広げられている乱闘を追っている。今はここぞとばかりに自身の発明品を乱れ撃ちしている研究員たちを、ロボットが右手にドリル、左手にチェーンソーを展開して迎撃し始めた所である。

 

「半世紀ほど前には自然知能(NI)人工知能(AI)はどちらも本質は複雑なアルゴリズムの集合体に過ぎず本質的な違いはない――――と提唱され、22世紀(いま)では当たり前のように受け入れられています。違いがあるとすれば発生の原因と過程だけでしかない……。この世界も同じことでは?」

「……若い人は順応が早いな。自分は受け入れるのに随分とかかったが」

「若さ、でしょうか」

「歳を取るとな、色々と新しいものを納得するのが難しくなるものだよ」

 

 それは胡蝶の夢のようなものかもしれない。

 現実の自分は眠っていて蝶の夢を見ているのか、それとも現実の自分は蝶として人間になった夢を見ているのか。

 本質は()()()()()()()なのだ。全ては主観が何処にあるかに過ぎない。

 仮想の(バーチャル)現実(リアル)実際の(アクチュアル)現実(リアル)と判別がつかないのであれば、どちらが真でどちらが偽なのか?

 

此方(こちら)彼方(あちら)何方(どちら)であっても大事なのは――――今、ここでものを考えて感じている自分の主体が何処(どこ)にあるかだと思います」

「……」

「そもそも『この世界は本物じゃない!』と駄々をこねたところで、これからのこっちでの生活が辛くなるだけですからね。それは嫌でしょう」

「……確かに、君の言う通りだ」

 

 ザクリーは鷹揚に頷いた。真と偽を、本物と偽物を区別する必要はないのだ。

 夢を見るモノが、蝶になっている間は蝶の自分に疑問を抱かないように、人間である間は人間としての自分に疑問を持たないように――――ただ自分の生きている世界と自分のあり様を受け入れる。

 例えこの世界が0秒の間隙に生まれた刹那の、須臾の夢のような物だとしても。

 

「さて、それなりに納得もしたことですから――――しばらくこちらの見学をさせていただいてもよろしいですか?」

「あぁ、構わんがね。しかしそれはそれとして出版する内容は確認させてもらうぞ。うちのギルドで研究している技術は一つ一つが世界の均衡を壊すえげつない変態技術(バランスブレイカー)だ。外に出すものは厳しく制限している」

「それはわかっていますよ」

 

 ギルドマスターとしての本分を語るザクリーの眼は真剣だった。

 この世界が現実(リアル)相当の物理法則を得て、ゲームシステムの枷が外れたことをきっかけにシャンブルズ内での研究は白熱する一方である。

 外部では様々な先進技術を再現しようと試みているプレイヤーが多数存在する以上、それらの研究資料の価値は値千金という言葉では計り知れない。

 わざわざギルドが無人島に引きこもって城壁まで建造しているのは、自分たちの研究を厳重に秘匿することで、それらを巡って様々な勢力が戦争状態に入らないように牽制するためでもある。

 例えば現在外で暴れているロボットだけでも近代科学技術の機械・人体工学とこの世界特有の降霊術による動像(ゴーレム)作成技術をハイブリッドさせた研究の賜物であり――――、

 

「おっと」

 

 話をしていると二人の目の前の窓へと瓦礫が飛び込んできた。

 砲弾のような速度で突っ込んできた飛来物はガラスを砕いて撒き散らし、それ自体も直撃すれば人体が四散するだけの運動エネルギーを有していただろう。

 

 ――――だが、それは軽い一声を上げたヒョーンの手によってあっさりと迎撃された。

 果たして何が起こったのか、余人の眼にも、隣に立っていたザクリーの眼にもわかることは無い。

 ただ起こったことと言えばバンッ!!!!という爆弾が至近距離で弾けたような凄まじい破裂音と共に、瓦礫もガラスも粉微塵になったということだけである。

 それらの塵は当然のように二人には一片、一粒たりとも降りかかるようなことは無かった。

 

「……そろそろウチの馬鹿どもを止めてやった方が良いかもしれんな」

「そうですね……。では、許可を戴いたということで――――行って(遊んで)きても、よろしいですか?」

「是非頼む」

 

 視線の先では暴走ロボットが体の至る所を破損させながらも、いまだ健在であった。

 しかもあからさまな警戒色の赤に染まった眼球部分からはビームのようなものを辺りに発射し、口から火を噴きながら研究員たちを薙ぎ払っていた。

 駆け付けた保安部隊は吹っ飛んでいくギルドメンバーの救助もそこそこに、周囲に防衛線を張り始めた。本格的な対処が始まるようである。

 

 そんな何とも頭のおかしい(楽しそうな)現場を確認してから、ギルドマスターの許可を得たヒョーンは中央管制塔から身を躍らせた。

 落下に合わせて吹き付ける大気が彼の頬を激しく叩き、シャツの裾を靡かせる。

 

 古い知人との語らいも、珍妙な敵との遭遇も、戦いの昂揚も――――全て全て、この世界と共に彼が享受する喜びの形だった。

 

 

 

 




『九頭竜砦』
生産ギルド『シャンブルス』の拠点。
オリエス大陸西南の海岸から1kmほどの無人島を魔改造して建造されている。
内部への出入りは非常に厳しく制限されており、専用の港からの1日2回の定期往来船以外の上陸は許可されていない。
島の外周には巨大な城壁が聳え立ち、ギルドメンバーが(趣味で)備え付けた多数の防衛兵器群が並べ立てられ睨みを利かせている。
島内の敷地をほとんど占有する多数の研究棟は不定期に内部での実験・事故で破損を繰り返し、その度に利用者が勝手に増改築を繰り返すため一つ一つが混沌とした外見になっている。
朝方に上った階段が夕方ごろには消失して見慣れない実験室に置き換わっているなどもしばしば発生する。
その様は建物というよりは増殖と変態を繰り返す生命体を彷彿とさせる。
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