「お酒がないってどういうことですか!?」
事務所の中に驚愕の声が響き渡った。
声の主人はこの私、リオ・オーガスタその人である。
普段はクールでミステリアスな
それだけの衝撃だったのである。
「お酒がないというのはだネェ。読んで字の通り、お酒がないということなんだヨ?」
「いや、それはわかってますけど……。えぇ……」
上品で重厚なマホガニー製の机ごしに私にそう答えるのは初老の
上等で上品なスーツに悪趣味一歩手前までタイピンやブローチなどの装飾品をあしらい、
彼は肩書きに似合わずいかにも好々爺然とした面立ちに「やれやれ参った」と言わんばかりの苦笑を浮かべ、肩をすくめてみせた。
「君の注文したお酒というのはそうそういつでも市場にゴロゴロ転がっているというタイプのものでもないからネ。探してもない時はない、そういう時もあるサ」
「うぁー……ショックです……」
「いやぁ、僕としてもネ?ちゃんと探しはしたんだヨ?可愛い
おどけた口調の中に確かな残念さ、無念さを滲ませながらネーロはそう締め括った。
どうやら冗談でも意地悪でもないようだと悟った私は事務所の来客用ソファーに背を沈めて天を仰いだ。
特に頼りにしていたあてが外れたのは実に落胆が大きい。どうしたものか。
私たちが今いるのはパガニーニ
いわばマフィアのボスの居室というだけあって、内装は彼の衣服のように高尚な品の良さとそれを破壊しかねない装飾過多がせめぎ合う空間となっていた。
ふんわりとしたカーペットに来客用のテーブルとソファー、部屋の持ち主のための事務机などは無難な並びだ。
しかしながらカーペットの無駄に毒々しいワインレッドの色合いにサイケデリックな幾何学模様を描くテーブルクロスの柄をはじめ、壁にかけられた魔物の頭骨にディスプレイ用の武器類、棚にショーケースじみて並べられた宝石群や机の横に佇む今にも動き出しそうな魔物の全身剥製などなど、部屋内の飾りはどれも
来客をもてなしてリラックスしていただくというよりは、威嚇して萎縮させることを目的としているのだろうか?
解釈としてはそっちの方が穏当なのだろうが、多分実態としてはシンプルに部屋の主人の趣味が悪いだけなのだろう私は思う。
「『モント・ブランカ』、大事に飲もうと思ってたんですけどうっかり全部飲みきっちゃんたんですよねぇ……」
この世界には『毒酒』と呼ばれる分類のお酒が存在する。
弱体耐性が強くなりすぎてまともな酒では酔えなくなった人間を対象として作られたものだ。
今日では効能が
『モント・ブランカ』もそうした毒酒の一つなのだが、この前に地下都市攻略を手伝ってくれた冒険者の男……キムロとの打ち上げの際に調子に乗って手持ちの2本を全部空けてしまったのである。
なのでネーロさんに注文していたのだが……思いっきりあてが外れてしまった。
この辺りの闇市場を取り仕切っている彼の伝手で手に入らないのだとしたら、これはもうお手上げである。
そりゃあ、確かにあれは禁制品であることを指し引いても高額な品だ。一本あたり少なくともウン十万は下らないだろう。
値段が釣り上がっている理由の一つにその生産量の少なさと単純な美味さがある。
数が少ない上に美味しいとあっては
私だって買う時は何本も一気に買って保管しておく。どこかの顔も知らぬ他人が同じことをしても文句は言えn……いや、言うわ。すごく文句言う。
腹が立ってきたな。私が買い占めるのはいいが他のやつは許さん。
今目の前に持っている奴がいたら弓に矢をつがえてしまいそうだ。
「ま、ボクのところでは見つからなかったとは言ってもだけどネ。他にも手の打ちようはあるんだけド」
「えっ?何かあるんですか!?」
ソファーの背もたれにぐでーっと沈み込んでいた私はその言葉にバッと跳ね起きた。
人が悪いじゃあないかこのネーロさんも。アテがあるのなら最初からそうと言ってくれれば良いのに。
「何、単純な話だよ。ウチの
「あぁー……なるほど、
その言葉を聞いて私は再度ため息をついた。
単純な話といえば単純な話だ。彼のお膝元で見つけられなかったのだから、そこ以外のところで探すべきだろう。
しかし私が難しい顔をしたのは私自身の手間が増える……というかネーロさんの伝手が使えなくなったことを理解してのことだった。
毒酒を探しにいくのであれば当然闇市場にいくことになるし、闇市場であるからにはどこかの別の
そこにネーロさんの手の人員を派遣すればいらぬ警戒を招くかもしれない。
極力私1人で行った方が良いだろう。私はパガニーニファミリーには用心棒のような形で雇われることが多いが正式には組織の人間ではないのでその辺のしがらみが薄く、フットワークが軽い。
「ネーロさんところの
「その上でそれなりの規模の闇市があるところとなると……首都のあたりが無難かナ?」
「ですよねー……」
互いに目配せし合いながら認識を擦り合わせる。
首都……つまりはセプテモール帝国の首都ロムレウスだ。
歴史と伝統、格式と格調高い花の都。物流と経済の街である
しかしながら私たちが首都の
「まぁ、アヴェンティンの方ならちょうど知り合いの酒屋があるので手がかりはあるでしょう……多分」
アヴェンティン街区。平たくいえば首都郊外に広がる
首都の方での暮らしを夢見てやってきたものの生活がままならなかった人間や、逆に首都での生活から
今では自警団を起源とするマフィアが自治を行い、数千とも一万とも言われる規模の住人が暮らす一大貧民街となっている。
もちろん数々の犯罪の温床となっているし住民は1人残らず不法占拠者なのだが、首都の官僚にはマフィアから大量の袖の下が渡っているため完全に放置されている。
ゲーム時代からそういう感じの成り立ちの街として設定されており、道を歩けば湧いてくるようにチンピラやヤクザと
現実化後の今も、治安に関しては大して変わっていない。
「ふむ、アヴェンティンの方に行くのはボクも止めはしないよ。キミならどこに行ってもちゃんと生きて帰ってくると信頼しているからね。ただ……」
街の情報をつらつらと思い返している私に、ネーロは机の向こうから声をかけてきた。
口髭を撫で付けつつ、鼈甲の眼鏡の目を油断なく光らせる。
「最近あちら
そう言って彼は卓上に置かれた小さな包みを拾い上げた。
指先で摘まんでしまえるくらいのサイズ薬包紙の包み。
今日こちらに訪問がてら、寄ってきた薬品工場で鑑定書を貰ってきた品だ。
その中身を知っている私は眉を顰めつつ、彼の忠告を胸に留めておくことにした。
******
ピピピ、ピピピ……と電子音が耳を叩く。
半端に甲高く、鼓膜を通じて聴覚野を直接揺さぶられるような目覚まし音。
この手のアラームはなんだってこうも頭に響くのやら。
いや、それくらいでないと眠りに落ちている人間を起こすのには不足だからなのだろうが。
「ふぁ……」
あくびを一つ噛み殺し、無意識のうちの動作で目覚まし時計のスイッチを切る。
その動作は脳のリソースを割かずに行われたぶん、脳の完全な覚醒を促すには不十分な刺激だった。
しかしアラーム音に叩かれた私の頭は再度眠りに落ちるには些か蒙を開きすぎていたようだ。
要するに眠かったけど頑張って起きることにした。
むくり、とシーツを剥ぎながら上体を起こす。
隣に視線を向けるとラストルがまだ静かな寝息を立てている。端末はプレイヤー個人個人に紐づけられており、設定しなければそのアラーム音もプレイヤー自身にしか聞こえないのだ。
昨夜、私が絞りすぎて寝落ちしてしまった彼の寝顔がなんだか可愛らしくて、私はそっと手を伸ばして顔を撫でた。
手のひらに感じるほのかな温度。少し髭でざらついた男性らしい頬の感触に硬さを感じる髪の手触り。
しばらくそうして遊んでいたかっったが、肌寒さを感じ始めて打ち切った。
この季節はまだ朝方は寒いし、窓の外を見ればしとしとと雨が降っている。
気温は案外低く、昨夜からそのまま素っ裸の私にはちょっと堪えた。
「うー……冷える冷える」
そう言いながら私は足先にスリッパを引っかけ、脱ぎ散らかしていたままだった昨夜の寝巻きを羽織った。
ネグリジェとカーディガンを着て裸族を即席で卒業した私は朝の身支度を整えることにした。
本当は朝風呂かシャワーでも浴びたい気分だが、残念ながら今日泊まっている旅籠はそこまでの設備がない。
なので今回は自分でお湯を用意して体を拭くことにする。
端末のアイテムボックスから浄水を保管している樽を出してきて水を桶に移し、そこに水と反応して熱を生む薬品を放り込む。
十秒そこそこ経つと放り込んだ錠剤のようなものが泡になり、温かい湯気を立てるようになる。
あとは手ぬぐいを浸して体を拭いていく。
それに匂いも問題だ。ここに宿泊しているのは私たちだけではないのだし、そういうのでバレて「昨夜はお楽しみでしたね」などと揶揄されるのも気分が良いものではない。
暖かく湿った布で全身を拭うとスッキリした気分になり、肌寒さも随分と和らいだ気になった。
一時的な寒さ凌ぎのために着ていた寝巻きを脱いで身支度を整えることにする。
最初は下着、ブラジャーとショーツ。柄をどうしようかと少し頭を捻り、薄紫のやつを身につけることにした。今の季節と雨が降っている今日の天気に合わせて、紫陽花のイメージだ。
次は腰にガーターベルトを巻いてショーツの端から吊り紐を垂らす。紺色のストッキングを履いて上の端を留める。ぷつ、と留め具の嵌る微かな音とその手触りを確かめる。
ブラウスはシンプルな白いものを纏って、襟元に藍色のリボンを巻いてタイにする。
上に羽織るジャケットと下に着るスカートは
手には黒絹の手袋、足元は黒い艶の
上着に巻き込んだ髪を手櫛で引っ張り出してから、全体を普通の櫛で整える。
光の加減で黄金色にも見える白金色の髪。金糸のように艶やかで絹糸のように滑らかな、私の
わずかばかりについていた寝癖も少し櫛を入れるとそれだけで、するりと水のように解けて滑らかなストレートに戻るのは我ながら見事なものだと思った。
乱れているところがないか手鏡で確認してから、軽く香水を撒いておく。
雨続きで空気が湿気ているし、爽やかな柑橘系の香りのものが良いだろう。
香水を軽く髪に馴染ませてから、側頭部に青い薔薇の髪飾りをつける。
『奇跡の青薔薇』という蘇生アイテムを加工した装備品。性能だけならもっと良いものはあるが、私は単純に色と見た目が好きで常備している。
今やすっかり私のトレードマークというか代名詞になっていて、鏡を見てもこれがないと始まらないなという気分にさせてくれる。
それと両耳に
右大腿にも革帯を巻いてそこに鞘込めの
本格的に戦闘を想定するなら弓と矢筒も用意するところだが、今はまだいいだろう。
あとは手鏡を取り出して
立った状態で自分の体を見下ろしながら、その場でくるりと回る。
視界の端で腰まである金の髪が香水のレモンのような香りと共に翻り、スカートの裾の白いフリルが靡いた。
「うん、よし」
少女らしい
姿見はないが、今日も見事な美少女ぶりを維持している
この自分の姿を自認して、私は笑みを浮かべた。
部屋の外に出て廊下を渡り、階段を目指す。
私たちが今泊まっているのは旅籠の2階にあたる。階下に降りれば食堂があるのでそこで朝食をいただこうと思う。
ここはフロラントとロムレウスを繋ぐ街道にいくつか存在している宿場町の一つだ。
まだこの世界の主な移動手段といえば馬車くらいなものであり、地球では1日車を走らせれば到着するような距離でも数日、数週間はかかるなどザラである。
街から街へと旅をするものにとってはこの手の宿場町は需要が大きいため、高速道路のサービエリア並に見かける……というのは過言だろうか。
それに小規模であっても町を街道の上に作っておくことは防犯と治安の面においても重要だ。
ゲーム時代、魔物はフィールド上には歩いていても街中には侵入してこないものだった。
人が多くいる場所に魔物はあまり立ち入ってはこない……土地面積あたりに一定以上の人口密度がある場合、魔物はそこを『街』とみなして忌避するのではないかというのが
その辺りの真偽はともかく、経験則としても魔物避けのために人が集まって暮らすのは有用であると今日では広く知られている。
なので、街から街へと旅をする際にはなるべく多くの人が固まって移動し、人が集まっているところ……今回のような宿場町を中継点にして目的地まで行くのがセオリーだ。
自前の戦力で身を守れる冒険者なら野宿も十分選択肢に入るが、非戦闘員の一般人ではそうもいかないからだ。
今回私がロムレウスに行くにあたっても
同じ方角(今回ならフロラントの南方)へ向かう商人たちは自然と寄り集まって即席の隊商を組んで旅に出る。
明確に誰が音頭を取っているというわけでもないが、それぞれ無事に目的地へと辿り着くために緩く連携を取って行動するのは商人たちの生活の知恵というべきだろうか。
そして今回、その中にはラストル以外にも私の顔見知りがいたりした。
「あら、リオさん。おはようございます〜」
「フェニアさん、おはようご合います」
人もまばらな朝の食堂、テーブルについていたのはライムグリーンの瞳が特徴的な
知らぬ仲でもないので私は彼女の対面に座って朝食を取ることにする。
「生憎の雨になりましたね〜。このまま降り続かれると嫌ですねえ」
「えぇ、まったくです。ただ、昨晩に比べると心持ち勢いが弱まってるのでこのまま晴れてくれるといいんですけれど」
「
「文明の利器が恋しくなりますよ、本当に」
朝っぱらからプレイヤーあるあるトークに花が咲く。
マグカップのコーヒーを啜りながらフェニアが目線を向けた先の窓には相変わらずの雨模様に覆われた空が見えていた。
しとしと、と降りしきる雨水が屋根を叩く。旅籠を造る木材が湿気を含む
長距離移動にあたって雨は天敵だ。道の泥濘に視界の悪化……。
晴れてくれるに越したことはないのだが、それも祈るしかなかった。
「天気が悪くても魔物対策にリオさんが警戒してくれればありがたいんですけどね〜」
「残念ながら今は
「うふふ〜。でも、非常時には頼りにさせていただきますので〜」
「まぁ、報酬は要相談ということで」
注文した朝食をつまみながら適当な雑談に花を咲かせる。
ちなみに
流石に都市部の高級宿というほどの
指くらいの厚みのあるベーコンは歯応えと食べでがあり、焦げ目の香ばしさと溢れる肉汁が食欲をそそる。
その油を直接流用して焼いた目玉焼きは半熟で、ナイフで表面を撫でれば大きく濃厚な黄身がソースのように溢れかえった。ベーコンと絡めて食べて濃い肉と脂の旨みを堪能する。
それらの味が濃いめなので、シンプルなバケットの味が優しく感じる。
パンの耳の部分の硬さと歯応え、白い部分の柔らかさと甘みで肉と卵の味をリセットする、実に良い組み合わせだった。
ここの宿の食堂は献立の種類が少ない分、量で補うスタンスのようで、肉も卵もパンもかなりでかい。
私は遠慮なく二皿目も注文してフェニアに苦笑いされた。
「……ところでずっと気になっていたことがあるんですけれど〜」
「はい、なんでしょうか?」
二皿目は黄身を崩さずに丸ごといただこう、と丁寧に目玉焼きを切り分けている私にフェニアが声をかけてくる。
手元に集中しながら声だけで応じると彼女はやや申し訳なさそうな声音で続けた。
「リオさんって〜……元は男性ですよね?」
「まぁ、そうですね」
「その……その上でなんですけど〜、ラストルさんとお付き合いされてるんですよね?」
「お付き合いというほどの仲ではないですけれど……」
と、そこまで口にして、はたと思い当たることがあった。
視線を前に向けると、対面に座る彼女は少し頬を赤くして気まずそうな顔をこちらに向けていた。
彼女が何を言わんとしているのか、その推察が電流のように脳裏を過ぎった
「……もしかして昨晩、うるさかったですか」
「はい〜。私、隣の部屋でしたし……。ここ、そんなに壁が厚くないので〜……」
「いや、まことにもうしわけない……」
動揺で手元が狂う。フォークで掬おうとしていた黄身が裂けて中身が溢れてしまった。
確かに昨晩は結構ハイになっていたのでかなり喘いでいたと思う。
ラストルにも激しく腰を使わせていたのでベッドもかなり軋んだろうし……。
指摘するフェニアはいつものニコニコとした柔和な笑みだが、やや口の端が引き攣っているようにも見えた。
私は
なのでそこは素直に謝った。
「まぁ、私も個人の男女の仲にはあまりどうこう言いませんけれど〜……。で、以前から気にはなっていたんですけれどリオさん、男性の方と
「いえ、ないですね」
フェニアは少し咳払いをしてからそう質問してきた。
気まずいところはあるのだが、どうにも彼女としては好奇心もあるようだった。
夜の生活に関する即席の下世話なそれではなくて、前々から密かに胸に温めていた疑問であったようだった。
恐る恐る、という風に聞いてくる彼女に対し、私はバッサリと一言で答えた。
「私、あんまり性別で人のこと見ていないんですよね。気に入った人なら男であれ女であれ……という感じです」
「……それはリオさんご自身の自認でもある?」
「確かにそうですね」
思った通りのことを
だから女性として生活してそのように振る舞っていても時折、自分の中で男性的な側面が顔を出すことがあるし、そのことを不思議にも思わない。
それは人付き合いの時に顕著で、相手によって『リオ』という個人が表に出す
男性相手なら女性的な指向で接していることが多いし、女性相手なら男性的な嗜好で振る舞っている。そんな気がする。
なので……というかだからこそ、性別そのものは
女性的な楽しみ方も、男性的な愉しみ方もどちらも知っているからだろう。
性別は二の次で、私が気に入ったか……もっと品のない言い方をすると私の心が濡れるか、勃起するかの話になってくる。
それが最も重要な判断基準である。
「……フェニアさんが望まれるようでしたら、私個人としてはやぶさかではないのですが」
「結構です」
かなり真剣なトーンでお断りされてしまった。目が笑っていない。
私としては別に茶化しているつもりでも冗談でもなかったので、そこまで力強くお断りされるとなかなかにショックであった。
気心の知れた相手だからこそのセックスの味わいというのもあるのだが。
内心で肩をすくめながら、私は崩れかけの黄身をパンの上に乗せて一息に頬張った。
溶け合う濃厚な卵の風味と麦の甘みを咀嚼しつつ、私は僅かばかりの無念さともにそれを飲み下した。