「ついたぁー!」
「お疲れ様です」
久方ぶり……そこまで久しいかな?まぁ、少なくとも今朝方ぶりではあるが、馬車から降りた私は歓声を上げた。
道路が整備されてサスペンションもあるとはいえ一日馬車に乗りっぱなし……というのが数日続くと移動疲れというのもひとしおである。
グッと腕を上げて背を伸ばす。座りっぱなしで体が固くなっていたのを示すようにバキバキと内側から音が聞こえた。
隣に立っているラストルも同じように体を解していた。
「こちらに来るのは久しぶりです」
「私もしばらくぶりですねぇ」
私達がいるのは首都ロムレウス市内の馬車用ロータリーだ。
今しがた自分達が降りた乗合馬車の他にも多々乗り物が入れ替わり立ち替わり入ってきて賑わっている。
馬車旅を終えた人々が大きな鞄をゴロゴロと転がしながら思い思いの方角へと足を伸ばしていく。
私達も人の流れに乗ってその辺りから離れ、本格的に街中に入っていった。
首都は伝統と文化の街だ。皇帝のおわす宮殿や国政の中心である議会もあることもあってか、街中の治安は程よく保たれている。
都会ならではの喧騒があるのは勿論なのだが、経済の街であるフロラント辺りと比べるとどことなく落ち着いているというか、
建物は古めかしくもよく手入れされて年季を感じさせ、看板や装飾はそれらと調和するように品よく整えられている。少なくとも目の入るところではネオン看板などは立っていない。
街を行く人の中にはこの国の伝統衣装である
街全体から上品さが漂っているようだ。お高くとまっていると感じる人もいるだろうが、たまにはこういうところも悪くない。
「リオさんはこれからどうされますか?僕は一旦ホテルですが」
「……誘っておられます?」
「いえ、そういうわけでは。ぁっ、嫌というわけではないんですけど」
「冗談です、冗談」
ゴミもなく、綺麗に舗装された石畳の道を軽く雑談を交わしながら歩く。
ラストルと話しながら、さてどうしようかと思案を巡らせる。
「んー……そうですね。私の方はなるべく早く用を済ませたいので、先に行っておいてください」
私の今回の旅の目的はフロラントで手に入らなかった禁製品の酒を闇市場で仕入れることだ。
貴重品なので数も少ないはずだし、だからこそ自分より先に誰かの手に渡っているんじゃないかと思うと気が気でない。
……フロラントからこちらまで来るのに既に10日かかっている。天候不順の影響もあり、平均日程の中でも遅れた方になる。
実は道中そういったこともあってかなり焦れているのは内緒だ。
楽しみにしていた品をようやく買いに行けるとなったら店頭になく、「それなら昨日売りきれたよ」なんて悔しい経験をしたことのある人はいるだろうか。そういう人は友人だ、ベッドに入ってきていいぞ。
そういうわけで旅疲れもあるが一晩明かしてから行こうという選択肢は私にはなかった。さっさと終わらせて後顧の憂いを断ちたい。
「ただ私の行き先は郊外の方になるので……今からだと着く頃には夕方ですかね」
「そうなると帰りは夜ぐらいになられますか?」
「うーん……一応戻ってくるつもりではいるのですけど、古い知人を訪ねるのでひょっとしたら今晩はそっちの方で飲むことになるかも……ですね」
「…………なるほど、そういうことでしたら」
少し寂しそうな表情で微笑むラストルに若干良心が痛む。
申し訳ない。また今度埋め合わせはするとも。
私だって惜しいとは思う。宿泊予定のホテルは『白狼亭』と言って首都内でも
食事は美味しいし、ベッドも上質で運動に適しており、温泉も完備している。私自身泊まるのを結構楽しみにしている。
なぁに心配はいらない。自分の用事なんてちょっと酒を買って帰ってくるくらいのことだし、それさえ終わればホテルに泊まりながら首都観光だ。
ラストルの仕事が終わるまで一緒に滞在して、しばらく気ままなバカンスでも満喫しようじゃないか。
そうだ。どうせだし『モント・ブランカ』が2本以上手に入ったら彼にもお裾分けしてあげようか。
一緒に晩酌をしてそれを今日の分の埋め合わせということにしよう。我ながら悪くない
こういうのを取らぬ狸の皮算用、というのかも知れない。
しかしながらそれでも私は上機嫌で頭の中で予定を書き込みながら、ホテルの前で彼と別れて足早に郊外の方へと歩き出すのだった。
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首都、と一口に言っても広いものである。例えば日本であれば東京とざっくばらんに言っても東側の首都圏を指すのか八王子や国分寺辺りまで含めるかどうかで広さの感覚が異なってくるだろう。
なのでここロムレウスでも人の賑わう「一般的に想像される首都」からその郊外にまで足を伸ばすとなると相応に距離があるのだった。
私の足でも、ラストルと別れた中心街からそこまで行くのに昼から夕方までかかってしまう。
まぁ、建物の屋上などをパルクールで直行すればもっと早く着くのだが、貴族や資産家の邸宅も多いこの辺りではそういった移動方法には規制が掛かっている。
衛兵のレベルも高いこともあり、無理をして喧嘩を売るような真似をしない方が良いだろうと判断して、流石の私も普通に道なりに進むしかなかったのである。
「うーん、やっぱりこれくらいはかかりましたね」
というわけで実際到着したのはそろそろ日も沈もうかという時刻だった。
ロムレウスの治安の良さと清潔さについては既に知るところだが、郊外に近づくにつれてそれも徐々に徐々にと薄れていく。
私の視線の先にあるのは、それもいよいよ反転して一般の人であれば立ち入ることを躊躇うような剣呑さを湛える場所だった。
古めかしい、というよりは朽ちていると言った方が適切な建物が立ち並ぶ。ひび割れて崩れた石と煉瓦、それを無理矢理後付けで雑多な資材で改修と増築を繰り返した歪な作り。
壁面には酔っ払いが反吐を吐きながら描き殴ったようなグラフィティともアートともいえない、ペンキを筆か何かで塗りたくっただけの汚れと滲み。
整備された石畳やコンクリートなどというものはなく、剥き出しの地面は打ち捨てられたゴミが散乱し、水捌けの悪い地面は先日降った雨によるものか湿った土の感触を伝えてくる。
夕暮れ、黄昏時に特有の半端な明るさと忍び寄ってくる暗闇による見通しの悪さが不吉な印象に拍車をかける。建物と路地に投げかけられる深い影はまるで人を飲み込む大きな穴のよう。
目の前に広がるそんなうらぶれた道へと一歩踏み込むーーーー空気が変わる。
肌の上でひりつくような緊迫の気配。まだ暖かい季節なのに冬の空気と静電気に当てられたような錯覚。
ちょうどダンジョン内の安全地帯から外に出たような感覚だ。
そしてそれはあながち間違いでもない。ここから先は首都郊外に広がる
ゲーム時代だった頃から仮にも街中であるにも関わらずフィールドやダンジョンばりに戦闘が発生する地域だった。
「…………」
無用な
警戒を怠らないように感覚を広げつつも、嗅覚はなるべく感度を絞っておく。
衛生という観念が丸ごと投げ捨てられているこの場所だ。風に乗って吹いてくる空気からは、廃棄物と排泄物の混じる饐えたような臭いがした。
この辺りには何度か来ているが、現実化の影響でこうして不衛生な臭いまで
服と体に染み付かないか、それが心配だ。
「…………?」
ざりざり、と靴底に荒い砂利の感触を覚えながら歩くことしばらく。
私は少しずつ違和感を抱き始めた。
なんというか……この辺り、妙に静かな気がするのだ。
アヴェンティン街区は先ほども述べたように人間が敵として湧いてくる戦闘エリアと言っても過言ではない。
街の入り口周辺では不用意に踏み込んできた輩を追い剥ぎ目的で襲いかかってくる
当然今の私はそういった連中に見つからないように静かにこっそり進んでいるわけだが、感覚の網を広げてもそうした気骨ある街の住人が引っかからないのが不可解だった。
まぁ、人間はいるにはいる。
例えば路地の隅に蹲って寝ている浮浪者だとか、
ただそうした連中も一様に正気と生気の失せた表情をしている。
皆、
少なくともざっと見て取れる範囲にはそういった薬を買う金欲しさにプレイヤーに喧嘩を売ってくるような
「んー……」
意識を集中させる。
壁を徹すように視線を注いで耳を傾け、周囲の屋内も探ってみる。
やはりそこにも人はいるが、皆一様に息を殺したように静かにしている。
流石に家でちゃんと暮らしている人に中毒者は少ないが……まるで何かから
「……これは」
そう思い立ったと同時、視界の端に映ったものが気になってそちらに足を向けてみる。
そこにあったのは倒壊した家屋だった。
貧民街である以上、建物の作りは杜撰で管理もろくに行き届いていないものも多い。
だが目の前にあるこれは老朽化によって倒れたというよりはーーーーなんらかの人為的な意図を感じる。
何ものかが直接手を下して破壊したのだと、そんな印象を受ける。
見渡せば周囲にも似たような建物が数件見受けられた。
蹴破られて開きっぱなしの扉、砕かれて倒れた石壁、へし折れた支柱、バラバラに飛び散った煉瓦と漆喰、崩落した屋根。
そっと瓦礫に近寄って中を覗き込み、少し息を吸う。
……褪せた鉄のような香り。古びているが間違いなく血の匂いがした。
ーーーーこの街には今、何か妙なことが起こっている。
そう確信させるには十分な光景だった。
内心で警戒心が一段階上がる。姿の見えない魔物のテリトリーに足を踏みいれた……そのことに遅まきながら気づいた時のような気分だ。
ふぅ、と一息吐いて気を落ち着ける。
元より安全でない場所だという認識はあった。
ただそれがある程度情報を知っている危険か、未知の危険かというだけだ。
違いは大きいが、警戒を怠るべきでないという事実そのものに変わりはない。
つまりは普段のフィールドやダンジョン探索と同じようにやるというだけだ。
気を落ち着けて、引き締める。やるべきことは
意識を刷新して警戒を怠らずに貧民街を再度進む。
相変わらずすれ違うのは薬中浮浪者と乞食くらいなもので、幸か不幸か、異変の原因と言えそうなものとは出会うことはなかった。
「……あったあった」
そうして歩いていると、ようやく目当ての建物が見えてきた。
外観そのものは周りのボロ屋とさして変わらない。ただそれはあくまで外壁が汚れていたり、漆喰が剥がれて下地が剥き出しになっていたりというくらいのことで、屋根や壁が崩れていたりはしなかった。中にちゃんと人がいるらしい。
よく見れば玄関扉の上に六角形を象った表札が掲げられており、そこには掠れかけの乱雑な字で『ハチノス酒店』と記してあった。
「……いないな」
ドアをノックして訪ねようとも思ったが、街がこのような空気感では大きな音を立てて人を呼ぶのは躊躇われた。
なので失礼を承知で屋内の気配を探るが……生憎と店主は留守のようだった。
落胆と焦燥が俄かに胸の内に迫り上がってくる。
今のアヴェンティン街区で妙な事態が起こっているのはわかっている。
それに此処の店主が巻き込まれて行方不明……というか亡くなっているとしたらどうするのか?
そんな最悪の想像が頭に過ぎる。冗談じゃないぞ、わざわざ此処まで足を運んだのにそれはないだろう。
「……いや、大丈夫だ。それはない」
口に出して冷静さを取り戻す。
壁を透かして中を覗くと、店内の酒は手付かずのままのようだった。
もしも家主が亡くなっていたらその日のうちに金目のものは一般住民に略奪されているか、マフィアが接収しているだろう。
特にここで取り扱っているのは禁制品の酒であり、だからこそ高額の価値がつくものも多いからだ。
店そのものが無事なら、店主も生きていると見て間違いないだろう。
そっと玄関前で屈んで地面の凹凸を指でなぞる。
少し前に振ったであろう雨の名残で湿り気のある土は、だからこそ近くここを通った人の足跡をしっかり残していた。
店の玄関扉を出入りした足跡は一種類。そして出て行ったものはついさっき付いたばかり。1時間も満たないだろう。
辿ることは難しくない。
私はそれこそ野外で獲物を追いつめて狩る時の心持ちで、足跡の主人を追って再び路地を歩き始めた。
改めてご無沙汰しております。