足跡を追ってアヴェンティン街区を行く。
もう既に日は西に沈み、ただでさえ寂れた街並みが夕闇に包まれて薄気味の悪さを醸し出す。
活気の失せた……以前を知る身からすると違和感を覚えるほどの静かな道を歩く。
路上についた探し人の足跡を追っていき、やがて私は一際人気を感じさせないところに辿り着いた。
建物は何軒も立ち並んでいるが、そのほとんどは完全に放棄されている。
劣化して崩れた壁と扉、窓の隙間からは雑草がのぞいているところもある。廃墟といって差し支えのない
その中に一軒だけ人の気配を感じる建物があるのを見て取った。足跡はそこに続いている。
「ここかぁ……まだ
ここに来るまでの道程で概ね目的地が何処になるか察していた私はむしろ場所を確認して安堵した。
この
宣伝する気もないようで表札すら無い店構えだが、営業しているのは確かだろう。
微かに鼻を鳴らすと扉の隙間から漂う
「おじゃましまーす……」
ドアノッカーも何もないので、手でコンコンと表を叩いて、戸を開ける。
ガラガラとドアベルの音だけが響くが、店員の出迎えの挨拶もない。最初からそういう店だと知っているので期待はしていない。
店内は薄暗く、最小限の照明として幾つかの蝋燭が灯してある。
窓は締切、換気性など特に考慮はされておらず
流石の私も反射的に顔を手で覆うくらいには強烈な代物だった。
座席の数は少ない。テーブルが2つにカウンター席が4つ。
テーブルの方は1組の男女が座っている。
男性が食べているのは真っ赤な……とにかく赤いとしか形容できない、真っ赤なシチューだった。
彼はその奈落の底に沸き立つ溶岩と血の池地獄を混ぜ合わせてお椀の中に盛ったと言わんばかりに赤々としたその液体を一心不乱にかきこんでいた。
一瞬でも手が止まればその赤さに耐えかねて二度は戻ってこれぬと言わんばかりに鬼気迫る食事風景である。
付き添いの女性はこの手の店は初めてなのだろう、男性が額の第三の目を血走らせながら赤い地獄を飲み干していく様を恐怖の眼差しで見守っていた。失礼、正しくはドン引きしていた。
その背後を通って店内を横切りながらーー私は食欲がそそられる自分自身を感じていた。
時刻も夕方も過ぎて夜になったところ。ラストルには予め断りを入れておいたところだし、今夜はこちらで夕食としようではないか。
何より、ちょうど探していた相手もそこにいることだし。
「こんばんは、お久しぶりです」
「よぉ、久しぶり」
カウンターにいた先客の横の席に腰掛ける。
互いに勝手知ったる仲として特に断りも会釈もないが、それが許されるくらいの間柄ではあった。
そこにいたのは忍者装束を纏った青年だった。
彼の纏う衣服は黒の
髪も派手な金髪に黒のメッシュを入れたなんとも派手な色合いで、忍者というよりは警戒色の蜂を連想させる男だった。
彼が私の探していた酒屋の主人、スズメ・サイロクという。
左手首に巻いている
「お店の方にいなかったから探しにきたんですよ」
「よくわかったな。匂いでも辿ったか、犬みてえによ」
「足跡で丸わかりですよ。忍者みたいな格好してるんならそれらしく足元に気を遣ったらどうですか?」
すらすらと皮肉混じりの言葉の応酬。
会うのは一、二年ぶりくらいになるが変わりないようで何よりだった。
スズメはこの治安の良さとは無縁の
私がこちらに出入りする時は何かと案内役代わりに世話になったものだった。
現実化以降、この辺りにプレイヤーが立ち入る機会はめっきり減ったこともあり、その数少ない例外同士としてこうして連んだり飲んだりすることが多々ある関係だ。
「……ご注文は」
「今日のおすすめとかありますか?」
「……スパゲッティ・アラビアータ・ゲヘナ」
「じゃあそれでお願いします」
カウンターの向こうからぬっと顔を出してきた
料理人は顔をガスマスクで覆い、フードのある作業着を纏い、ゴム手袋を嵌めた完全防護体勢の異様な風体の人物だ。
一体何製の服なのかは知らないが私の視線も通らないため、その下の素顔は知らない。マスク越しのくぐもった声の感じからして多分男性じゃないかなぁと想像するくらいだった。
注文を受けて厨房の奥に
鼻どころか目の粘膜まで痛くなりそうな、強烈な刺激臭が漂い始め、私は舌が武者震いするのを感じた。
「被ったな」
「嫌ですか?」
「仲良しこよしと思われるのがな」
「ははは、傷つきますね」
「それならもっと傷つくことになるぜ」
「まぁ、そうなんでしょうけれど」
聞けばスズメの方もついさっき店に来て同じものを注文したばかりのようだ。
おそらく出てくるのは同じくらいのタイミングになりそうである。
無造作に卓上に置かれたお酒……緑の色合いも鮮やかな薬草がぷかぷかと浮いている
「一年ぶりでしたっけ二年ぶりでしたっけ?」
「一年と……十ヶ月ぶりくらいだろう確か。今回はなんの用だ。やっぱ酒が目当てか」
「まぁ、例によって例の如く、そうですね。『モント・ブランカ』あります?」
「アレかぁ……在庫あったかなぁ。一回店の倉庫見ねえとわかんねぇな。最近取引あった覚えがあるんだが……」
「えぇー……タッチの差で売り切れたとかやめてくださいよ。わざわざフロラントから来たのに」
「……まぁ待てよ。まだ残ってるかも知れねぇだろうが。迂闊に無いって言ったら強盗にでも走りそうだし怖えーんだよお前」
「そうですねえ。目の前にあったら思わず弓に手が伸びそうです」
「怖いわー、アル中の恨み怖いわー」
「中毒になるまで飲むわけないでしょう。手が震えて弓矢が持てなくなったら冒険者おしまいですからね」
「冒険者ぁ?お前ちゃんとギルド通して依頼受けてんのか?お前がぁ〜?」
「さ、三級冒険者の免許証持ってますし……!」
うーん、痛いところをつかれた。
実は組合経由の依頼を最近あんまり受けてなくて心象が悪い上に、反社会的組織との繋がりを疑われていてギルド運営から厳しい視線を向けられているんだよね。
まぁ、全部事実なんでしょうがないんだけど。どうやって誤魔化そうかな。
……はい、この話題やめよう!やめやめ!
「……ご注文の品です」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「……ごゆっくりどうぞ」
そんなこんなしているうちに、気配も無く目の前に現れた料理人がぬぅっと皿を差し出してきた。
これ幸いとばかりに会話を打ち切り、手元を開けて料理を置いてもらう。
ーーその瞬間、襲いかかってきたのは目も眩む真紅。
「……うむ、いやぁ……。相変わらず……強烈なことで」
「どうしたビビったか?」
「いえ、涎が沸いてきたところですよ」
「そうこなくっちゃな。……そう、この店は
二人して運ばれてきた皿を前にして、額に一筋の汗を浮かべる。
だがちらりと横目で見ればスズメもその口元に隠しきれない笑みを浮かべている。きっと私も同じ表情になっていることだろう。
怖いもの見たさで奈落の一丁目を覗き込み過ぎてそのスリルに憑かれたある種の
スパゲッテイ・アラビアータ。
唐辛子とトマトベースの味付けで辛味と甘味を両立させた味わいが特徴のメジャーな味付けのスパゲッテイである。
ちなみにアラビアータとはイタリア語で「怒りん坊」という意味であってアラビア風という意味ではない。
だがこの店で供されるアラビアータ・ゲヘナは一般的なアラビアータとは一味も二味も違う。
その一口はまさに
「「ごふっ……!」」
麺をフォークでくるくると巻いていざ実食。
同時にそれを口に含んだ私たちは同時に咽せた。咽せた、というかえづいた。
まず感じたのは辛味。その次に感じたのは辛味。
口腔内に迎え入れた瞬間トマトとニンニクの豊かな風味と辛味が口内にふわりと広がり麺に歯を立てれば程よいアルデンテの食感が小気味良い辛味であり舌先に感じるソースのねっとりとした舌触りが辛味を引き立て、咀嚼するごとにその辛味が絡み辛味が……!
「ぅっ、ふぅ……っ」
「ど、どうしました?大丈夫ですか……っ」
「……ぃやぁ〜、このっ、この辛いのがっ。ここのいいところなんだよなぁ……っ」
「……っすよねぇ……っ!」
もぐもぐ、ごくん。と、咀嚼して嚥下する。
それだけで口腔粘膜と食道粘膜が発火したように熱くなり、全てが「辛い」という感覚に塗りつぶされる。
なんらかの攻撃を受けていると脳と神経が臨戦態勢を取るのがわかる。戦闘中のそれにも似た高揚。
額に汗がつぅ、と滴る。化粧が崩れるとかそういう心配は最早この後に及んで不要。この皿との
口を開いて喋ろうとしたものの、辛味によって既に滅多刺しにされている舌は辿々しくしか動かない。生まれたての子鹿のような弱々しさだ。
だが私もスズメも一体なんの意地を張っているのか「この辛いのがいいんだよねぇ」と余裕のポーズを崩さずフォークを進めた。
いや、これは自分で頼んだ手前、弱音を吐くなどダサいことを相手の前ではできないという当然のプライドの応酬であり辛っ……!!!!
お察しの通り、我々がいるこの店『地獄門』は毒膳料理の専門店である。
普通の酒では酔えなくなった人間のために生まれたのが毒酒ならば、毒膳料理とは普通の料理では物足りなくなってきた
食べる側の生命力と状態異常耐性を当てにした、一般人お断りの際物である。
特にここ『地獄門』の料理は辛さに特化したメニューが売りだ。
辛味とは痛覚の刺激。それが毒膳料理にまで極まれば
そしてその凶器を口に含んであまつさえ好んで味わいにいこうという一種の
まぁ、つまり我々のことなのだが。
「がふ……っ!」
「ぬ、っぐ、ぅ……」
口の中が辛い。というか痛い。むしろ赤い。料理の感想じゃない?それは正解。
このアラビアータに使われている唐辛子は「レッドリーパー」という品種で、本来はこれから精製した粉末を敵に投げつけて使う。つまりは攻撃用アイテムの一種である。
それを食事とともに取り込んだ私の内臓は敏感な粘膜に対する攻撃に恐れ慄いて蠕動した。体の表と裏がひっくり返りそうな衝撃だ。
口から喉を通って胃まで火を飲んでいるようだ。吐く息まで辛く、鼻の粘膜までジリジリと焦げる。
既に効かなくなっている嗅覚の中に僅かに鉄錆のような臭いが混じる。鼻血が出ているのかも知れない
隣をチラッと見るとスズメは目を真っ赤に充血させながら鬼気迫る表情で皿に向かい合っていた。血涙でも出そうな勢いである。
だが……だが、このスパゲッテイはただただ辛いだけのものではなかった。
ソースに練り込まれたガーリックの芳醇な旨味、じっくりと煮込まれその瑞々しい甘味と酸味を溶かしたトマトの味わいが確かに見える。
命を削るほどの辛味と朦朧とする意識。真っ赤なヴェールがはためく神秘の向こうに存在する普遍にして不変なるパスタの神秘、その一端に指が掠るのを感じる。
すぅ、はぁ、と息を吸って吐く。粘膜に焼鏝を当てられているかのような激痛の中で意識を繋ぎ止める。呼吸のリズムを整える。
フォーク、スパゲッティ、ソース、アラビアータ、チリ、ガーリック、ペッパー、トマト、ゲヘナ。
おお、今こそ眼が開く。蒙が啓ける。灼熱の辛味という分厚い雲を
******
「……ごちそうさま、でした……っ」
「あ゛ー……ごっそさん……」
2人してフォークを置き、皿を下げる。
途中で脳内麻薬が出過ぎて何か見えそうになったが気にしない方が良いだろう。
瞑想中に神秘体験をして何か悟ったような気になったらそれは大体魔境であるとうちの師匠も言っていたことだし。
嗚呼しかし、口の中が痛い。ヒリヒリするというか焼け野原だ。
「……でさぁ、ところでなんだけど」
「なんですか?」
程よくぬるくなっている酒の温度と、薬草の清涼感のあるミントのような香りが心地よい。荒れた体が生き返るようだ。
事実、この
本来はこれで香辛料による粘膜へのダメージを中和しながら食べるものなのだが、我々のように
いやぁ、お酒が美味しいっていいことですね。
「お前、今晩こっちに泊まる気だったりすんのか?」
「んー……あ〜……、どうしましょうかね。時間的には微妙……いや、間に合うかな……」
同じように酒を舐めるように飲んでいるスズメからそう話を振られ、端末から時間を確認する。
既に夜になっているが、小走りで戻ればまだラストルが泊まっている宿の営業時間にギリギリ間に合うかも知れないくらいの時間ではあった。
しかしまぁ、せっかく夕飯を食べたところだし古馴染みともこうして料理屋で会えたわけだし、このまま飲んでこっちで一夜明かすというのが気分としては良いのだが。
「……今はあんまりお勧めできねぇな」
「ーーーー何か、ありましたか」
その旨を伝えると、彼は手の中でグラスを揺らしながらそう呟いた。
やんわりとした言葉を使ってはいるが、その表情にどこか緊張の色があるのを見て取る。
ずっと感じていたアヴェンティン街区の違和感。
いやに活気の失せた通り。息を潜めるように家に閉じこもっている人々。
何か、この街で今までにないことが起きているのは明白だった。
「ま、お察しの通りで今は……治安が良くなくてな」
「治安が悪いのはいつものことでしょう。人気が失せていることの方がよっぽど気になりますよ」
「…………そうだな。んー……皆、穴熊を決め込んでるからな。身を守るためにはそのほうがいいんだわ」
「抗争か、何かですか?」
「そんなところ、だな」
どうにも歯切れの悪い、曖昧な返答だった。スズメらしくない。
そんなところ、という言い回しからして抗争というのは大きく外れてはいないのだろうが、芯を捉えた答えでもないのだろう。
スズメは話しながらどこか周りを警戒するような雰囲気を漂わせている。声のトーンも無意識のうちにか一段下がっている。
まるで、この話題がすでに誰かに聞かれたら不都合な内容であるかのようだ。
幸い、既に店には我々二人以外の人影はない。テーブル席で食事していた二人組は既に退店し、料理人は厨房に引っ込んでいる。
店外にも人はいないのを気配感知で確認する、問題ない。
「……まぁ、わかりました。そこまで言うのでしたら、早めに帰るとしましょう」
「おう、そうしろそうしろ。せいせいするぜ。目当ての品は見つけたら届けに行くからよ」
「『白狼亭』に泊まってるのでそのときはよろしくお願いしますね」
「ーーーーあぁ、わかった」
私が宿の名前を出した瞬間、彼の目線が一瞬周囲を攫ったのを見逃さない。
なにがしかの心配をしてくれたのだろう。態度こそ乱雑で投げやりだが、こうして気遣いをしてくれるあたり何やかんやで良いやつではあった。
自分の分の会計を済ませて外へ出る。
スズメはまだしばらく飲んでから帰るそうだ。見送りが必要なほどの心配をしているわけではない様子。
まぁ、戦闘力という点で見れば私の方がずっと上なので一緒にいても大した助けにはならないだろうというのは承知のことだった。
「…………」
店の外は既に日も完全に落ちて闇に包まれていた。
淡く青白い月明かりと微かな星明かりが数少ない真っ当な光源だった。
ぐるりと見渡せば街の奥まった方にポツポツと松明などの明かりが灯っているのが見える。魔石照明の街灯などという文明的なものはまだ設置されていない。
多くの人が息を潜めるようになったこの街だが、活気のあるところにはまだ人の営みがあるようで少しだけ安心する。
まぁ、それも違法商店や脱法賭博、喧嘩や売春などの賑わいなのであまり褒められたものではないのだが。
ちょっと覗いてみようかな、などと好奇心が湧くがそこはグッと堪える。
わざわざスズメが遠回しな忠告までしてくれたのだから大人しくそれに従うべきだろう。
そうして足を踏み出して人気の絶えた夜の路地を行くことしばしーーーー耳になにか不穏な音が聞こえた。
ぱぁん、ぱぁん、と乾いた炸裂音。火薬の音だ。
花火などではないだろう。このような根本的に治安のよろしくない街で聞こえる火薬音など、銃声に決まっている。
「…………ぁー……」
音の聞こえた方角はほとんど人のいない区画のようだった。
耳を澄ませて感覚を集中させれば数名の人がバタバタと走る気配を感じる。
私は数秒その場で逡巡しーーーーその方向へと行ってみることに決めた。
ちょっとした寄り道だ、なるべくすぐに済ませよう。
それにあわよくば街の異変について何かわかるかも知れないし……そんなことを考えながら、いっそう隠形に力を入れつつ私は夜の中を駆け出した。