銃声が聞こえた場所はそう遠くない。ちょっとした寄り道程度で済む。
私はそのまま路地を直進ーーーーせずに、民家の壁に向かって駆けた。
そのまま適当な段差を足がかりに駆け上がる。二歩、三歩と跳ねて一息で屋根へ。
流石に市内では見咎められるがここでなら屋上を勝手に走ろうが誰も気にしない。
そのままところどころ穴を晒した屋根の続く民家の上を走る。
道を無視したショートカットをしながら気配を再度探る。
向かう先に走る人の足音と怒号が聞こえる。「待てやコラ!」、「ぶっ殺すぞオラ!」などの静聴に耐えない恫喝の声……二人分だ。
喧嘩腰の怒鳴り声など本来そう珍しいものではないのだが、不気味に静かになったこの街では却ってよく聞こえる。
そして、それから逃げている……と思われる足音が一人分。
「
あえて呑気なことを呟いてから、屋根の上を飛び降りる。
足元で煉瓦の壁の柵を踏んで身を宙に投げ出す。一瞬の浮遊感を堪能したと同時に地面が迫る。
足と胴の関節をバネのように使って、音も衝撃もなく着地する。
靡く髪とスカートを撫でつけてからそそくさと足早に進む。
気配は絶っているので気づかれてはいないだろうが、念には念を入れてだ。
追われている一人と追っている二人……計三人は裏路地の方へと入っていったようだ。
周囲の建物は建て増しに建て増しを重ねていったようで無闇に高く、それでいて既に遺棄されているようで人気がない。
無法図に背を伸ばした家々の隙間にある路地はそれこそ山間の渓谷じみていて、なるほど逃げ込むにはうってつけかも知れない。
「……っ、げぅ……っ!!」
「ようやく追いついたぞこんのガキィ!!ぶっ殺してやるァ!!」
……しかしまぁ、それもうまい具合に土地勘があればの話。
逃亡者は運悪く、既に袋小路にまで追い詰められてしまったようである。
思いっきり人が人を蹴りつける音、体が倒れ込む音が聞こえる。
そっと息を殺して気配を探りながら、三人がいる路地の奥を角から覗き込む。
「チッ、手間ァ取らせやがってよこのクソガキがァ……」
「…………っ……」
「クソ、まじクソだぜ。てめぇ一人でにげきれると思ってたのかよこのクソがよぉ」
私の側から背中が見えているのは二人組の男。
雑に着崩した手入れの足りない野暮ったい衣服、隙間から刺青の覗く肌に無闇にギラギラ光る装飾品。
ここいらではよくいる一般住民という名の
いやぁ、夕方に街区に入ってからいまだに一人も見ていなかったので既に絶滅したのかとてっきり……。何周か回ってちょっと懐かしささえ感じる。
そして二人が怒鳴りつけているのが、裏路地の奥の袋小路を背にしてへたり込んでいる…………一人の子供だった。
先ほど男の一人に蹴り付けられたせいだろうか崩れ落ちたように座り込み、ひゅう、ひゅう、とか細く荒い息を吐いている。
もう一度、目の前にいる男の一人が足を振りかぶってその細い体を蹴り付けた。
硬いブーツが肉を叩く鈍い音が裏路地にこだまする。その子供は抵抗らしい抵抗すらできずに崩れ落ちた。
「…………ぃ……っ」
「アァ゛!?何言ってんのか聞こえねェよクソガキテメェ!!ぶっ殺すぞ!!」
「ダメ、それはまじダメだぜ、ブラザー。オレらあくまでふんじばって持ってかえって来いってハナシだったじゃん」
「……ぅ、ぁ…………」
「ハァ゛?最悪生きてりゃいいんじゃねェのォ?だったらよォ、ちょっと遊ぶくらいいいんじゃねェのかよォ!」
注視してみれば、その子供は浮浪者同然の身なりだった。
汚れた襤褸の外套を頭から被っていて人相や体型はわかりづらい。
ただ私はそれすらも透かして見えるので問題はない。子供、子供と何度か言ったが……少年と見て間違いはないだろう。
頭には猫の耳が生えている。
……彼の体は、纏っている外套に負けないくらい、既にボロボロだった。
「ぉ…………」
「ちょっと踊ってもらおうじゃねェか、
「………ぃ……ぁ………」
外套の下の体は痩せ細っており、先ほどのものだけでなく既に何度も殴られてきたのだろう、痣だらけになっていた。
骨は何箇所か罅が入っており、折れている箇所もあった。発熱もあるのか体温が不自然に高い。
フードを被っている顔の方も腫れ上がっており人相を判別しづらい。
ただ中を切って血を滲ませる口は先程から、何度も小さく動いていた。
訴えるように、未練がましいように、ただ諦めることができないだけのようにーーーー同じ言葉を繰り返していた。
「ぼくは、しにたく、ない」
…………はぁ、と心の中でため息を吐く。
あの
聞こえているのは聴覚を強化して聞き耳を立てていた私だけだ。
彼の必死の訴えを、それしかできないだけの足掻きを聞き届けたのが私一人だけだというのならーーーー全く業腹だが、見逃しては
「ーーーーお兄さんたち、こんばんは。あんまり騒がしくしてると近所迷惑ですよ」
「アァ゛!?」
「んだテメェ!!」
壁をコンコンと手の甲で叩いて音を鳴らしながら声をかける。ノックしてもしもし、である。
私は様子を見守ることをやめて姿を晒した。
ズボンのベルトのバックルをガチャガチャやっていた男が怒声を上げながらこちらへと振り向く。
「何ジロジロ見てやがんだメスガキテメェぶっ殺すぞコラァ!!」
「おいコラ、まじナメてんのかテメェ。
突然の闖入者に驚いたのだろうが、一瞬目を見開いて恫喝の声を上げながらもこちらの姿を認めた瞬間、明らかに表情が緩んだ。
まぁ、私はご存知の通り華奢で儚げで可憐な美少女であり見惚れてしまうのも無理はない。綺麗に整えた衣装と相まってどこぞの貴族のご令嬢が散歩中に蝶々を追いかけて迷い込んでしまった……みたいなことを考えてしまってもおかしくはないだろう。多分。
口封じをするつもりか、痛めつけて攫って娼館にでも売り飛ばすつもりか、なんならその前に一回
「ケッ、大人しくしてりゃあ命はとらねェよ」
「
二人組はニヤついた笑みを浮かべながら、腰に差していたものに手を伸ばしてこちらに向けた。
となるとこの二人はどこかの組に属している構成員かもしれない。
もう決めたことを後から翻すのは私の流儀ではないからだ。
「ヒュ……ッ!?」
「……ッ、ガ!!?? ぁッ!? お゛ぉぉあぁぁッ!!??」
次の瞬間、私から見て手前の男の右腕が、弾け飛んだ。
バァンっ!!という凄絶な炸裂音と、一瞬で手首から先がなくなった男の絶叫が裏路地に響き渡る。
その男はこちらに銃を向けて威嚇射撃でもしようとしたのだろう。その射線が当たる軌道かそうでないかくらいは
私は、ポケットに忍ばせていた
「…………ァ!?」
「脆すぎる」
私はそう呟いて男の懐に飛び込み、腰から抜いた
幅広の刃の切先が、泥土に沈みこむよりもあっさりと人体を貫通して串刺しにする。
私基準からすれば実に脆い。どこを刺しても切っても刃が通るのがわかっていたせいで、どう山刀を振るうか一瞬迷ったほどである。
第一、片腕吹き飛んだくらいで目の前の敵から意識を外すなど言語道断である。隙が多すぎる。
男は肺から空気を搾り出すような声を一息漏らし、呆気なく絶命した。
「……コヒュッ、ーーーー……ヒューッ、……ッ!!」
「おや、わざわざご丁寧に」
もう一人の男は喉を抑えて膝をついていた。
額から滝のように脂汗を流し、息を吸おうと足掻いている。彼が両手を当てている首元からはボタボタと血が溢れ出して地面に赤い水溜りを作っていた。
銃を暴発させるためのものに加えて同時にもう一本、
呼吸ができずに悶えながら跪いている彼は、ちょうど良いくらいの位置に自身の首を差し出しているようにも見える。
私はお礼を一言述べたと同時に
ドッ、と鈍い音と同時に頭部が落ちる。薪割りよりも容易い手応え。
断面から溢れ出した鮮血が先刻から地面に落ちていたものと混じり合い、深い血溜まりを形作っていった。
「ふむ」
軽く血振りをして二人分の死体を見遣る。
ここに来るまでに聞こえた銃声は四発。そしてそこにいる少年に銃創は無い。腕前に関してはお察しというレベルだ。
あとこの世界でそれなりに強い人間は鑑定スキルで相手の強さをある程度察することができるので、それすらもできていなかったという点で雑魚なのは分かり切っていた。
またつまらぬ
「…………ぁ、……」
淡い月明かりと星明かり、崖のように聳える建物の作る影の中でその少年は虫の息で蹲っていた。
呼吸も弱い、脈拍も小さい。端的にいえば死にかけと言っても良いだろう。
……死にかけの人間と言えば、今日この街に入ってから路上でそれなりに目にしてきた。乞食、浮浪者、薬物中毒者。
しかしーーーーそうした連中と明確に違うものがその少年には一つだけあった。
目が、まだ死んでいなかった。
殴られて腫れ上がった瞼。
その奥の瞳に微かな……水面に揺れる蝋燭の火よりも小さくて微かな、それでも確かな光が残っていた。
そしてその光は、確かな意志で私のことを認識しているようだった。
どうやって声をかけようか。
私は差し当たって右手に握ったままの山刀を鞘にしまい直し、手のひらを向けて一歩歩み寄った。
「君、ひとり?」
******
鼻につく赤黒い血の臭い。
むせかえるような泥の味。
掃き溜めのような薄汚れた路地裏で、
捨てられたゴミの様に倒れるボクは。
あなたに出会った。
金の月と喑青の空。
星よりもキレイな青の薔薇。
月明かりと星明かりの下に舞い降りた天使のようなあなたの姿をボクは忘れない。
ーーボクはあの夜、運命に出会った
ヒロイン登場回です。