『半七捕物帳 かむろ蛇』では
げらげら。
私、てっきりこの言葉って「恨み辛みが積み重なって、相手を
し・か・もっ!片方の『
げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらっ!!
そそるっ!!!
第零戦『藪をつついて蛇を出す』
「……よし、良い感じ♪」
鍋の蓋を開けると、中から熱い湯気と食欲をそそる香りが鼻腔を擽る。それだけで腹の虫が空腹を訴えてきた。
民間軍事会社に所属する一般兵の
日々忙しい訓練と任務の合間に訪れた束の間の休日。そんな貴重な一日を使い、彼は料理に勤しんでいた。
本来、彼の寝泊まりする宿舎では、食事も提供されている。だから彼が手ずから飯の支度をする必要は無いのだが、単純に腕を鈍らせない為だ。
軍人としての戦闘技術は勿論のこと、一般生活に於ける家事全般やサバイバルやキャンプ技術等にも理解と造詣を持つ彼は、その知識と技術を錆び付かせぬようにと練習がてら自主的に行動することが多かった。
同僚達からは『何?この生活力の高さ?主婦かよ』とか訳の分からないことを言われるが、別に男の料理人だって居るし、女の軍人だって居るのだから、男が家事やっても別に良いでは無いかと思う。まぁ、軍所属の一般兵の中には読み書きも満足に出来ない低学歴貧困層の野郎も混じって居るから仕方のない話かも知れない。
「ん?」
出来上がったスープ料理を皿に盛り、付け合わせにサラダと、軽く焼き目を入れたパンを配膳し、いざ食事に手を付けようかとスプーンを手に取った所で、突然電子音が鳴り響く。
ポケットから取り出した支給品の携帯電話の画面を覗くと見慣れない国際電話番号の着信があった。
しかし、ここで疑問に思う。この電話は会社のものであり、有事の際に本部からの通信を受け取るための物でしか無い。掛けてくるような友人も居ないので、通信履歴は会社の上官達で埋め尽くされている。但し、口説いた女性士官の番号は別腹である。
根古屋は嫌な予感を胸に懐きつつも、その正体不明の電話番号に応答した。
「もしもし…」
《はぁ~い♡
ご飯にする♡お風呂にする♡それとも…わ・た・し♡なんちゃってっ!あぁ、御免なさい?今丁度、ご飯の前だったわね?ふむふむ、この地方の一般的なスープ料理なのね?いやん♡家庭的っ!お婿に来てっ!そのアツアツでトロトロの濃厚な
げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらっ!!
と!言う訳で!皆大好き♡
げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらっ!!》
耳をつんざくような金切り声にも似た、騒々しいと言うよりは躁々しい口調で一息に捲し立てる女の声。品性を感じない過激な表現の入り乱れた言葉。それが大音量で耳を叩くものだから、思わず根古屋は顔を顰めた。
電話の相手は、根古屋にしては珍しく付き合いの長い女性であった。彼が今は亡き祖国を飛び出し、世界を股に掛ける兵士として活躍するようになってから、彼女は突然根古屋の前に現れ、度々
「立派な
《あらあらあらぁん?
げらげらげらげらげらげらげらげらっ!!》
聞くに堪えない笑い声。普通の人間であれば、その第一声を聞いた瞬間に脊髄反射で通話を切ってしまうことだろう。最も通話を切ろうものならば、直ぐさま施設内のアナウンスと監視カメラをハイジャックしてでも対話を続行するので無駄である。彼の対応はある種利口と言えた。
そもそもの話、無類の女好きであり、懐の深い彼はこの程度でへこたれるような奴では無い。とは言え、通話を始めてまだ一分も経たないのに、どっしりと疲労感が押し寄せて来た。
「それで、用事は何?飯食って、残りの洗濯と掃除終わらせて、夜には先輩とパブに飲みに行く予定なんだけど」
《お酒!いいわね~私は飲めないけど楽しそうねっ!いいわよ愉しんで来て♡
でも、その先輩さんゲイよ?酔い潰れた後にウッカリお尻を掘られないように注意なさい?》
「…はぁ…知ってるよ。でもあの先輩はホモだけどバリネコだから、寧ろマイサンがヤバイ」
《い・が・いっ!!
あんなに髭面ゴリマッチョなのにまさかの入れられる方なの!?まじウケる!
げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらっ!!》
頭もキレて、腕っ節もある、筋肉質な上官を思い出して気持ちが萎える。
せめてもの慰めに彼女との会話を楽しもうと気持ちを切り替えようとするも、こちらもこちらで疲れる会話が続いていく。
《同性愛って難しいわよねー?そりゃあ愛に垣根なんて不要とは綺麗事を言いつつも、百合とか薔薇とか子供作れないじゃ無い。非生産的よ。いっそ女同士でも男同士でも子供が作れりゃ完璧なのに…はっ!?もしそれができたら自家生殖も可能じゃない?子供が欲しいシングルマザーやシングルファザーも大喜びね…ってそれだと近親交配になるから遺伝子異常が出そうね?って言うか、ただのセルフクローン人間じゃない!?
げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらっ!!
とまぁ、茶番はこのくらいにして…。ねぇ、
目の前の美味しそうな食事をお預けを食らっているせいか、長話に聞き入る根古屋の顔が微妙に不機嫌になってきたのを察して。正確には既にハイジャックが完了している監視カメラの映像を見ながら、様子を見定めて、彼女はさっさと本題に入ることを決めた。
「十二大戦?」
《そう、十二大戦…十二年に一度だけ行われる『戦争のための戦争』…代理戦争よ。十二大戦では世界のありとあらゆる戦争が、僅か十二人の戦士達に集約されるの。戦争のために浪費される人員も資金も環境も時間も節約出来るわねー。エコロジーよねー。んでもって、その戦いの結末には多くのお金と利権が動いているわ。
まぁ、ザックリ言ってしまえば『やべー規模の
「へぇ…そんなものがあるのか。長いことこの業界に居るけど初耳だわ」
《それはそうよ!何せ秘密裏に行われているんですもの♡
しかもぉ、次回の十二大戦は記念すべき第十二回目なんだけど…裏を返せばまだ144年の歴史しか無いのよねぇ~。中国4000年は愚か、古代ローマの歴史や江戸時代の歴史より短いし、加えて世界大戦程のインパクトも無いしねぇ…》
アンニュイなため息を漏らして、愚痴る彼女。それを聞きながら、根古屋は十二大戦について考えていた。
(代理戦争…代理戦争ねぇ。それも世界規模。一体何兆、全体何京の金が動くのやら…。
しかもそれをたったの十二人の戦士達に集約するだって?オリンピックも真っ青な金のかけ方だな。
なんか嫌な予感がしてきた)
根古屋は胸の奥に小さな胸騒ぎを感じた。昔からこういった『悪い想定』と言う物は存外当たる物で、この勘の良さは自身の生存率を上げてくれる。もっとも根古屋にとって生存率など有って無いような話ではあるが、それでも危機的状況の打開策を練る猶予くらいは得られる。
「ふ~ん…。それで、なんでそんな話を?」
その予想を確かめるべく根古屋は彼女に話の先を促す。すると彼女は「待ってました♡」と言わんばかりに、予想通りの話を展開した。
《
「……はぁ」
予想した中でも三番目くらいのものが出てきた。彼女ならば、「あれ、いいかげん飽きたわー。十二番煎じとか、出涸らし通り越してスッカラカンよ。げらげら。そうだわ♡
《でっ?でっ?でっ?どうなのよー?お返事は?》
「とりあえず聞きたいんだけど、俺に参加することが出来るの?曲がりなりにも百年以上の歴史があるんでしょ?
そんなそれなりに由緒正しき代理戦争に何処の馬の骨とも知れない俺の参加が認められる物なの?」
世界規模の代理戦争をたかだか十二年に一度の十二人の人間の戦いの末に委ねるのだ。となれば、中途半端な結末など世界各国の要人達が納得するはずは無い。故に、そこには、それらを納得させるだけのスケールが存在しているのだろう。
つまり、
十二大戦と言う名前が付けられているだけ有って、『十二』と言うのが、この大戦の重要なポイントなのだろう。彼女が言っていた『十二年に一度』と言うのもそうだし、『十二人の戦士達』と言う事の方が何より重大だ。何せ世界人口約七十億人から選ばれた十二人だ。
《そうねー。参加資格を持つのは『干支十二家』って言うそれぞれが地位と力と財を兼ね備えた名家ばかりね。
でもでも、中には養子に入った戦士が代表として参加したケースがあるし、実力者だと判ればすんなり通るんじゃあ無いかしら?》
「干支…あぁ『十二支』か」
『子』『丑』『寅』『卯』『辰』『巳』『午』『未』『申』『酉』『戌』『亥』の十二匹の動物を宛がった物で、暦やら時間やら方角に利用されている。確か中国を起源に持つ概念だったか。
…と、頭の中から曖昧な知識を掘り起こし、後でちゃんと調べようかと心に決めて、ひとまず根古屋は彼女に話を促していく。
《折角だから
『丑』と『申』の代表はねぇ~有力候補として、あの『皆殺しの天才』と『和平交渉の
「はぁっ!?」
彼女がリークした情報に驚愕し、思わずひっくり返りそうになる。根古屋のリアクションは別段可笑しな物では無かった。
両名共に、この業界ならば有名人だ。
『皆殺しの天才』。
齢五つの頃から戦場を駆り、敵陣の全てを皆殺しにしてきた生粋の天才。
『和平交渉の
巧みな話術を使い、これまで二百以上の戦争・内紛を停戦へと導いた平和の使者。
直接面識は無いが、それでも顔と名前が一致する程の人物。『英雄の中の英雄』と呼ぶべき者達だった。
《でもでもでもぉっ♡
「むぅ…その言い方は止めて欲しいな。皮肉が効いてて好きじゃ無い」
《こりゃまた失礼しました♪てへぺろ♪》
そう言って彼女は再びげらげらと愉快に笑い転げた。何かに衝突したようで、声に混じってガシャガシャと機材やゴミが倒れる音が聞こえる。
《はぁーっ♡はぁーっ♡ついつい興奮しちゃったわ♡何せ
あぁ、それと参加資格については問題ナッシング。私のコネでねじ込むわ♡いやん♡『ねじ込む』とかちょっと卑猥♡》
「むっ」
一番の問題点はあっさりとクリアされてしまった。そもそもの話、彼女相手に『情報戦』と言う事自体が無理なのだ。
彼女は類い稀なる天才ハッカー。いや、不法行為ばかりしているのだからクラッカーか。兎に角、『電脳世界』において、その技量で彼女の右に出る物は居ない。彼女が自作したハッキングプログラム『
そうして得た情報を最大限に利用して、他者を駒のように操り、不必要な争いを生み出す厄介者だった。
《あっ!そうそう、大切なことを言い忘れていたわっ!!》
唐突に彼女は何かを思い出したらしく、愉しそうな声色で根古屋に告げた。
《勿論、参加した戦士達にもご褒美があるわ♡
な、な、なんとっ!優勝賞品として『どんな願いでも、たった一つだけ叶えることが出来る』権利が与えられるわ!
大盤振る舞いよね~♪》
◇
「じゃあね
『伏線ちゃん』を自称する傍迷惑極まりない戦犯級のネット犯罪者『
生活力皆無の不衛生な汚屋敷である彼女の汚部屋には多種多様なパソコン関連の機材と、投げ捨てられたゴミ共で埋め尽くされている。
「いやー!釣れた釣れた!爆釣りだわーっ!げらげら!」
小さな体躯。手脚をバタバタと振り回して、埃を撒き散らす。全身を使って歓喜の舞を披露していた。
彼女の喜びも一入だ。何せ彼女は彼の知られざる英雄『
これで十二大戦がより一層面白くなること間違い無しだろう。
「はぁーっ…はぁーっ…はぁ……」
興奮と熱量が次第に体から抜けて、落ち着いていく。呼吸も自然と穏やかになり、精神も落ち着いてきた。
「……げら」
そんな中で歪な笑い声が聞こえる。
「げらげら」
腹の底から、咽の奥から、舌の先から、どこをどう使ったら出せるのかも分からないような、生理的拒否感を醸し出す。その嬌声。
「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら」
感情の昂ぶりは無い。かと言って消沈しているわけでも無い。平坦にして平静な笑い声。最早何故笑っているのかさえ分からない。嘲笑。
それでも彼女は笑っている。
「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら」
彼女の四分の一世紀にも満たない彼女の人生を紐解けば、なんてことは無い。ただそこに社会から放逐された落ち零れの女が一人いるだけだ。
彼女がまだ幼さの残る少女の頃、今現在も少女の様な身成りをしているのだが…、とにかくその頃だ。彼女はイジメに遭っていた。
別に凄絶と表現できるような物では無い。私物を隠されたり、無視されたり、影口を言われたりが精々。どれもこれも挫折と呼ぶのも烏滸がましい。人格を破綻させるような物でも無い。そんな些細な火種と呼ぶにもちっぽけなままのイジメ。
だというのに、彼女は塞ぎ込み、不登校生になった。被害者であることを異常なまでに恐怖した。
そんな彼女に勇気を与えたのは、電子世界の大海原に漂うアニメやマンガ等の娯楽文化だった。
『笑っている』
主役も…脇役も…敵役さえも。
時には死に物狂いで戦い、時には無理難題に頭を悩ませ、時には大切な者との別れに泣く。
それでも彼等は楽しそうに笑う。蛮勇に、勇気に、友情に、愛情に、愛想に、思想に、思慮に、融和に、恍惚に、多種多様に感情を乗せて笑う。
彼等彼女等はその『生』を全力で生きていた。彼女と比べたら、創作物の世界の方がよっぽど『
『なら、私も笑おう』
とある
とある
とある
とある
とある
『だから、私は笑う』
笑えるようになった彼女は、以前より確実に強くなった。元々素質は有ったし、勉強も出来る方だった。引き篭もり生活の中で少しづつ学び始めたパソコン知識。それがまさか世界を震撼させるほどの奇才になると誰が予想できただろうか。
「……」
突如。笑い声がピタリと止まる。
時間が凍り付くかのような、一瞬の空白。その静寂の中で、彼女口元だけがゆっくりと動き出す。
満月が日を重ねる毎に欠けるように、自然と吊り上がる口角。
「いいこと思い付いちゃった♡」
彼女は嗤っていた。
急に彼女はキーボードを操作する。秘匿回線を間借りして、お目当ての人物へと連絡を取り始めた。
「はぁい、
◇
猫の戦士──『好奇心で殺す』
根古屋又三郎の戦士としてのコードネームだ。とは言っても、生まれたてホヤホヤの名前だ。
元々、身を隠すために数多くの軍事企業を転々とする根無し草の彼は、自分にブランドイメージが着くのを嫌っていたため、名乗りを持ってはいなかった。
しかし、十二大戦に参加するとなれば話は別だ。流石に相手に名乗らないのは失礼だろう。
『音を鳴らす弧』と言われると、真っ先に
『音を連ねる弧』と言われると、音楽用語のタイやスラーを想起させる。『前の
上手く説明できないが、なんとなくだ。
『好奇心で殺す』。これについては勢い任せの方が大きい。元々は『好奇心は猫を殺す』に対抗心を抱いて決めた物だ。しかし、辞書引き直せば、好奇心とは『変わった物に興味を持つこと』と書かれている。なるほど。勉強も好きな音弧としては、悪くない。
しかし、音弧としては『
『ロケット』『カンカン帽』『
衣装は帽子に合わせてコーディネートした。元々、普段身に着けるには少しばかり奇抜なデザインであったそれは、戦士装束としてならば奇をてらった代物になった。
後は牽制用の投擲武器と機動性を上げるための装備。それくらいで充分だろう。反対にそれ以上は嵩張る。
こうして、音弧はこの日、初めて戦士になった。
「遅い。…何時まで待たせるんだ?」
彼は寂れた港に一人佇んでいた。潮風に曝されて錆び付いたコンテナが山のように積み重なっており、漁船ではなく貿易船を相手にするための港なのだと、大雑把に予想を立てる。
通路の端に置かれたドラム缶を何気なく蹴ってみると、中身が空で、鈍い金属音が反響した。
「『十二大戦』の会場…ここで合ってるんだよな?」
最初の連絡を受けてから数日後、『捻くれ者』から、この座標のデータが送られてきた。恐らくはここが十二大戦の会場となるのだろうと考えていたが、どうにもおかしい。この場所には人の気配がまるで無かった。
「ガセネタでも掴まされたか?」
以前に彼女の悪戯で闇取引の真っ只中に一人放り込まれた事を音弧は思い出していた。あの時は死にかけた。
ならば早急に対策の一つでも打つべきかと思案を始めた頃、其奴は現れた。
「失礼致します。『猫』の戦士・音弧様で御座いますかな?」
彼の背後から悠然と歩み寄る、初老の紳士が居た。老いを感じさせぬ気力に満ちた立ち姿。上質なコート。頭に乗せたオペラハットが様になったのが印象的だった。
「きみはどちら様だい?」
「これはこれは誠に失礼致しました。私は此度の『十二大戦』の審判を務めるドゥデキャプルと申す者で御座います。
以後、お見知り置きを」
そう言って紳士は瀟洒に頭を下げた。
「…………何か御座いますかな?」
ドゥデキャプルは垂れた頭を上げると思わず面食らい、そして音弧に問い掛ける。何せ彼の挙動がおかしいのだ。気が付けば音弧はドゥデキャプルの傍に歩み寄り、ジロジロと不躾に観察していた。
「あぁ…悪い悪い。
それにしてもよかった。やっぱり合ってるんだな。じゃあ、俺が一番乗りしちゃっただけか」
ドゥデキャプルが一睨みすると、音弧は大人しく引き下がる。先程の無礼なんてまるで無かったかのようにだ。
物腰柔らかな笑みのまま、音弧は内心、胸をなで下ろしていた。もしこのまま、殺風景な港に放置され続けていたならば、音弧は危うく一人コスプレパーティーに興じる怪しい人物と化すところだと心配していた。
「いえいえ、十二大戦の戦場はここでは御座いません。もう少し移動致します」
「移動?」
「着いてくれば分かりますよ」
それだけを告げると、ドゥデキャプルは踵を返して歩き出した。音弧は首を傾げながらも素直に着いていく。すると船着場の方へと出た。
「……船だ」
音弧の目の前には巨大な戦艦が停泊していた。薄暗い夜の漆黒にも負けない黒塗りの戦艦。さながら日本史の再現かと思えるほどに物々しい様相をしていた。
「…なる程。これから船旅ってわけか」
「然様で御座います。此度の大戦は戦場として人工島を御用意させて頂きました。戦士・音弧様にはご緩りと船での移動を堪能して頂きたく思います」
「しまった。俺、
音弧は頭を抱えた。元々、彼は『捻くれ者』に指定された場所で、直ぐさま十二大戦が始まると考えていた。
それがまさかの船旅だ。支度なんてしているはずも無かった。
「ふふふ…御安心下さい。この空母の中には食品や衣類、生活用品、一通りの必要な物が御用意してあります。
ささ、もう少しで出航で御座います。お急ぎを」
狼狽える音弧を見て、愉しそうにドゥデキャプルは微笑み、その懸念は杞憂であると優しく諭す。もうこれ以上、立ち往生している時間の猶予など無かった。
言葉に促されて音弧は、戦艦に乗り込む。
そして死地へと向けて船出した。
◇
船旅生活一日目。
船内部の構造を把握するために彼方此方を探索して気が付いた事が有る。
この空母。人の気配がまるでない。
操舵室も、個室も、艦橋も、格納庫も、動力室も、厨房も、シャワールームも、リネン室も、人っ子一人居やしない。一緒に乗り込んだはずのドゥデキャプルさえ、いつの間にか見当たらない。それなのにこの戦艦は海上を走り続けている。まるで幽霊船であるかのように、勝手に舟が動いているのだった。
そしてそれはある重大な問題へと帰結していた。
「まさかオールセルフサービスだとは………」
音弧は厨房を無断拝借して食事の用意をしていた。幸い食糧は潤沢に貯蔵されているようで、ある程度の物ならば作れてしまう。折角だから昔食べた海軍のカレーライスの再現に挑戦してみようかと、香辛料を加えて調整いく。
案外楽しんでいた。
「にしても会場へは何日掛かるんだろうか?」
今思えば「船で移動する」としか聞いて居らず、「どの程度、時間が掛かるのか」は聞いていない。下手をすれば、もう数日は掛かるかも知れない。
こんなだだっ広い空母の中でどうやって時間を潰そうか。娯楽室でもあれば良いのだが。
そんな事を考えていたら、突然厨房の入り口のドアが空いた。
「あ」
間抜けな声をあげたのは、音弧か。
将又、目の前のメイドか。
「こんにちは。可愛らしいメイドさん」
ばつが悪そうに笑顔を取り繕い、視線を逸らしたメイド。
音弧はそんなメイドに柔らかく微笑む。対してメイドは曖昧に返事を返した。
「メイドさんは運営スタッフかな?」
「あー…あぁ、うん、そんなところ。ちょっとお昼の支度に」
「ちょうどよかった!俺もこれから食事なんだ。一緒に出来たてカレーは如何?」
まさかの食事のお誘いである。その呼びかけにメイドが戸惑っている間にも、音弧は傍へと歩み寄り、肩を押し、有無を言わせずに席に着かせる。
メイドが了承や拒否などの何らかの反応を返す前に、あれよあれよと出来たてのカレーライスが配膳されていた。
「へい!お待ちっ!」
何処の江戸っ子だと言わんばかりに音弧が溌剌と威勢の良い声でメイドに給仕する。やり切った音弧は満足そうに笑みを浮かべてから、メイドの対面に座り、カレーを食べ始めた。
「いただきます」
「い…いただきます」
食前の掛け声にメイドは一瞬だけ首を傾げた。そう言えば、極東の国では食前にそのような掛け声をかけると知り合いに聞いたことがある。「『食事』とは動物であれ植物であれ、『命を奪い、己の糧』とする行いでござる。だからこそ『いただきます』とは、『命を頂戴する』という、感謝と敬意を込めているのでござるよ」……だったか。それを聞いてキリスト教の食前の神様への『お祈り』に近いなと感じた。最も、『糧に感謝するか』、『糧を獲ることが出来た巡り合わせを神に祈るか』、と言う観点から見たら前者の方がストレートな気もする。
今一度眼前のカレーライスを見下ろす。
魚介を使った海鮮カレーだろうか。スプーンで一掬いして口に運ぶ。口の中に広がる食欲を掻き立てる香辛料の香り。出汁の染み出した濃厚なスープ。少し辛味は弱いがマイルドで優しい味。一言で言って、旨い。
「質問しても良いかな?メイド
「ごふっ!!?」
音弧の呼びかけに思わずメイドは咽せる。喉を詰まらせたらしく、慌てて胸を叩き、つっかえた物を飲み下そうとする。
その様子を見た音弧が水差しからグラスに水を注ぎ、メイドに差し出すと、それを彼は引ったくって一息に飲み干す。その豪快な飲みっぷりに音弧は感嘆の声を洩らした。
「大丈夫?」
「びっくりしたーっ。なんで分かったの?」
目の前のメイド。金髪のふわふわとした髪の毛を可愛らしくツインテールに纏め。端整な顔立ち。小さな体躯。甘い花の香り。鈴の音のように鳴る声。フリル付きのエプロンドレスで甘々と仕上げた衣装。
身に纏う物がドレスにティアラならば、どこぞの国のお姫様と呼べるほどに可愛らしい少女。
だが、男だ。
「そりゃあ、骨格も筋肉の付き方も女の子のそれじゃあ無いからな。流石に触れば判る。
まぁ、逆に言ってしまえば、触るまでは全然判らなかったよ。
俺の審美眼もまだまだだなぁ…」
そう言って、己の手を見つめながら音弧は溜息を一つ吐いた。
(ちょっと待ってよ。触っただけで判るものなの?)
一応、素肌や体のラインがしっかりと隠れる正統派メイド服を着ていたから、見ただけでは判らなかっただろう。
それでも胸を触ったとか、股間を触ったとかならば一瞬で判るだろう。そうでなくても体型意地のため鍛えてあるお腹周りを触れば判別できるかも知れない。
しかし、先に挙げた何所にも触れられた覚えは無い。部屋への入室を促された際に肩を掴まれたのが精々だろう。つまりは、その僅かな接触のみで看破したと言うのか。
「別に取って食いやしないよ。俺はノンケなんだ」
警戒レベルを一段階挙げたメイドに音弧は笑って答える。
無類の女好きである彼も流石に女の子だと思って当初は接していた。男の娘だと気が付いた時には面食らいもしたが、ただそれだけだ。
それ以上にこの空母に乗船して以来の初めて出会った人だ、俄然好奇心が勝った。
「話を戻しても良いメイドくん?」
「えぇっと……どうぞ?」
「他の戦士の皆は何処に居るの?丸一日船内を探し回ったけど、人っ子一人居やしない」
審判員のドゥデキャプルは十二大戦の開催地は人工島であると説明した。この空母がそこへ向かうルートなのだろう。ならば他の戦士も同様にこの船に乗って居てもおかしくは無いはずだ。
「居ないよ。居るはず無いじゃん」
音弧の考えはバッサリと切り捨てられた。
「そもそも、十二大戦の原則は戦士達の殺し合いだから、開始前に一緒の時間を共有させるのは危険な行為なんだ。
例えば、十二大戦が始まる前から他の戦士をサクッと暗殺しちゃったり。
例えば、戦士同士でこっそり同盟を結んじゃったり。
そういうのを避けるために、戦士の皆さんにはそれぞれの送迎が用意されてるよ。まぁ、大半はこちらのお迎えを拒否して、自前の移動ルートを確保してるみたい」
なるほど。と音弧は納得した。であれば運営スタッフまでもが姿を見せない理由についても予想が立つ。
恐らくは運営スタッフが戦士に大戦の内容を漏洩しないように接触を控えるように指示されているのだろう。
目の前で渋々といった具合に食事に同席してくれているメイドにも同じ命令が下っているはずだ。だからこそ、最初に出逢った際に、一瞬動揺したのだ。
「そうか…お仕事の邪魔しちゃってゴメン」
「別にいいよ。ボクもウッカリしてたし」
何でも無い風にメイドは残っていたカレーライスを一気に平らげると、空いた食器を持って、厨房へと引っ込んでいった。
「食事の準備?」
音弧が自身の分の食事を食べ終わり、厨房へと入ると、先程のメイドが調理を始めていた。小気味良く軽快に響く、包丁がまな板を叩く音。食材を切る音が聞こえる中、メイドが「そうだよー」と軽い調子で答えた。
「ねぇ?」
「ん?」
「このカレー貰ってもいい?」
メイドは包丁を手にしたまま、コンロの上の寸胴鍋を指し示す。中には先程食べたカレーの残りが入っていた。元々、多目に作っていたのであと四食、少しずつ分ければ六食分くらいは余裕がある。
「良いけど…足りるの?」
「んーん、足りない。だから、具を足したりしてアレンジしようかなと」
出汁で伸ばしてカリースープにしようか。あるいはマカロニとチーズを加えてカリーグラタンもいいな。と早くも献立に組み込む算段を始めたメイド。
その傍らで音弧は食器を洗い始めた。
「ねぇ?」
「ん?」
「何人前必要?」
「七人前…あっ」
深く考えずに返答した事にメイドは、我に返り、内心慌てた。運営スタッフの数は言ってみれば企業秘密の内の一つだ。迂闊に洩らしてはいけない情報だと言うのに、あっさりと白状してしまった。
「分かった」
そう言って音弧は冷蔵庫から数点食材を取り出す。野菜が中心だった。
「折角だから手伝うよ。サラダでいいよね?」
メイドの返答を待たずに、音弧は暢気に野菜の下処理を始める。その動きは随分と手慣れた物であった。
あまりにも自然体かつ友好的な反応に、メイドも毒気を抜かれた。
「その代わり、もう少しだけお話ししよう。会話が恋しいんだよ」
恐らく断ったとしても、料理中はずっと張り付いて居るであろう。メイドは音弧を追い出す事は諦めて、大人しく手伝わせることにした。何より皆が腹を空かせて待っている。
「言っとくけど、スタッフルームまでは着いてこないでよね?流石に上司に怒られちゃう」
「つれないこと言うなよー」
「だーめ」
駄々を捏ねる音弧を雑にあしらいながらメイドはのらりくらりと躱す。
この日の厨房は随分と賑やかだった。
◇
船旅生活二日目。
戦争に従事するはずの軍艦である『空母』。しかし、そんな目的要素に相応しくない設備が一つ存在する。
それがこの『娯楽室』だ。
娯楽室とは言っても数種類のカードゲームとボードゲーム、お遊びか本気か
人っ子一人居ないような船の中、そんな娯楽室の中で、ゲームに興じる二人の影があった。
「
目の前の盤上で白の駒が一つ動かされる。
音弧は少し考え、自らの黒の駒を動かした。
「
「負けたーっ!」
白の駒がまた一つ動いて、黒の駒を奪い取る。奪われた駒は
見事にやられた音弧は勢い良くテーブルに突っ伏した。
「よし!もう一回だっ!」
一頻り敗北に打ち拉がれた音弧が、ガバリと身を起こすと、復活して盤上に駒を並べ直す。
「…ふぅ、少しだけ休憩しませんか?」
「えーっ」
音弧は対戦相手の申し出に、拗ねたように抗議の声を上げる。彼との対戦、その戦績は十二戦十二敗。無論音弧の十二敗である。
これから十二大戦に臨む音弧にとって、この大敗は余りにも縁起が悪い。せめて一勝だけでも奪い返しておきたかった。
「まぁまぁ、そう言わずに。折角淹れてくれた紅茶も冷めてしまいました」
審判員のドゥデキャプルも中々に年季の入った紳士であったが、目の前の彼もまた独特の落ち着き払った雰囲気を纏っていた。
紳士は子供のように意固地になる音弧を窘めつつも、すっかり熱も香りも消えてしまった紅茶を飲み干す。
「さて、今度はぼくが淹れましょう」
そう言いながら席を立つ。別の席に置かれたケトルでお湯を沸かし始めた。
「むぅ」
その様子に音弧は仕方なくといった態度で紅茶を啜り、茶菓子に手を伸ばす。食パンの耳を揚げて砂糖を塗しただけの粗末な手作りラスクを頬張る。サクサクとした食感と甘味を感じて、落ち込む自身を慰めていた。
その様子を見て、紳士は困ったような笑みを浮かべる。そもそもの話、音弧が紳士に勝てる確立など、皆無に等しい。
何せ、音弧は『チェス初心者』。ずぶの素人である。
この度、初めてチェスと言う物を知り、興味を持ち、先程駒の動き方を教えて貰ったばかりで、キャスリングすら知らないド素人だ。
「大丈夫っ!将棋ならやった事があるっ!」と意気揚々に臨んだが、結果は惨敗。物の見事に負けた。
「なんで、奪った駒を使えないんだよー」
相も変わらず音弧は臍を曲げている。
チェスを嗜む紳士からすれば「そういうルールだから」の一言に尽きるのだが、それでも音弧は悔しかった。
(まぁ、筋は良いですがね…)
別に将棋が出来るから将棋が上手いわけでは無い。況してや将棋が出来るからチェスが出来るわけでも無い。序でに言えば将棋が上手くてもチェスが上手いわけでは無い。要は将棋とチェスは別物だから相似関係で結ぼうとすることに無理がある。
それでも音弧の適応力は凄まじい。流石に十回程度の対局で負けはしないが、素人故に打ち筋の流れが読みにくく、中々に危ない所まで攻め込まれた。後百二十回程打てば一回くらいは勝てるかも知れない。
「…猫の戦士・音弧さん。一つ聞いてもよろしいかな?」
「……なに?」
「なんで、この十二大戦に参加したのですか?」
十二大戦の関係者である紳士は、唐突に音弧に問い掛けた。
言ってしまえば、目の前居る十三人目の戦士はイレギュラーの存在である。最も、今回の十二大戦はイレギュラーなルールが敷かれているし、それを報せた十三人目の彼女の事もある。
「んー?なんでだろうな?」
その返答までもが今一釈然としなかった。
「あぁ、参加理由くらいはあるよ?『あの捻くれ者の誘いに乗らなければ、少なくとも今の住処に割と洒落にならない悪戯を仕掛けられそう』な気がする。
けれど、『十二大戦に対する意気込みは?』って聞かれると、言葉を持ち合わせては居ないね……って、如何したの?」
唖然。呆然。
紳士は虚を突かれたように立ち尽くしていた。
「しかし、優勝商品として『どんな願いでもたった一つだけ叶える事が出来る』権利を得られるのでしょう?でしたら、叶えたい願いの一つや二つ有るのでは無いですか?」
「あぁ、そっちか。まぁ、多少願いは有るには有るけど…。今からそれについて考えるのって、何と言うか『捕らぬ狸の皮算用』って奴だよな。俺は猫だけど」
気を取り直して質問を重ねる。しかし音弧は帽子を脱いで頭を掻きながら応えた。
「随分とやる気が無いのですね」
「あるよ。あるある。少なくともきみから一勝だけでも奪い返しておきたいくらいには」
と、茶化して音弧は笑う。
そして、音弧は紳士に着席を促す。再試合の申し込みだ。
やれやれ、仕方ないと紳士も紅茶を携えて席に着く。
そして、十三戦目の対局を始めた。
結局、音弧は二十四戦して、全敗したようだ。
◇
船旅生活三日目。
日の出の少し前、早くに目が覚めた音弧は甲板を散歩していた。
戦闘機を発艦するための滑走路を兼ねた、平坦かつだだっ広い甲板。見渡す限りの水平線。そこに朝の潮風が吹き抜けていく。
船が海面を真っ二つに裂きながら奔る、独特の音を聞きながら、音弧は眠たそうに欠伸を噛み殺した。
瞼をこすり、眠気を覚ます。空がだんだんと白んでいった。
「おっ!?」
突如、音弧は驚きの声を上げた。
船の真正面。十二時の方角。遠くの方に黒い点が一つ見えた。
音弧は船の先端へと駆けていく。
「あれかな?」
恐らくはあれが十二大戦の会場となる人工島なのだろう。未だ輪郭くらいしか捉えることも出来ない小さな島。この後、あそこで凄惨且つ大々的な大戦争が繰り広げられると思うと、少しばかり気が滅入る。
「可愛い子くらい居いれば良いんだけどな」
僅か二泊三日の船旅とは言いながら、出逢ったのは女装メイド一人に、ナイスシニアが二人、いいかげん女の子との出逢いを期待してしまう。
だが、あの島で出逢う人々は十中八九戦士であり、十二大戦の参戦者なのだろう。自身が望んだ美人が居れば、その美人を倒すか殺さなければならないだろう。流石にそれは心苦しい。どうにか出来ない物だろうか。
待ち遠しい。
余りにも待ち遠しい。
待ち遠し過ぎて。
音弧が海へと飛び込んだ。
「!!!!????」
ざっぱーん。とオノマトペのような擬音語を鳴らして音弧は海に盛大に落ちた。いや、突き落とされた。
落ちる直前に見たエナメル質な黒い人影。赤色の複眼。アイツがそっと背を押したのだ。
(誰だっ!?まさかアイツは他の戦士っ!?いや、違う!そもそもこの船に他の戦士は居ないとメイドくんが言っていた。
であればアイツは運営スタッフか!?いや、それもおかしい。だったら何故俺を落としたっ!「ここから先は自分で泳いで行け。なぁに軽いウォーミングアップだ」とでも言うのか!?
そんなわけ無い!それだけは無い!!だって…だって!
だったらなんで俺は沈んでいるっ!!)
別に猫の戦士だからカナヅチだ、なんてことは無い。これでも音弧は戦士になる前から戦士だったのだ。経験豊富な彼は水泳だって出来る。十数キロメートル先の島であっても(疲れるけど)、どうにか泳げる。
(海に引きずり込まれるような動き、そして息も…)
呼吸が出来なくなり、四肢に力が入らなくなっていく。意識が暗転して堕ちていく。
余りにも唐突に音弧は死んだ。
◇
軍艦の甲板の端から海面を覗き込む影が二人あった。
その海面は先程墜落した戦士が居るであろうポイントで、先程からブクブクと泡が湧いている。しかし、それも船が生み出す白波に呑まれてあっと言う間に掻き消える。
周囲を見渡すこと十分。流石に浮上してこないならば十分だろう。
音弧は死んだ。溺れて死んだのだ。
「『
「『水瓶』の戦犯──『ウェットに殺す』マペット・ボトル」
全身を覆うエナメル質な軽装鎧の人物が頬を掻く。顔そのものは真っ赤な複眼をあしらったフルフェイスに被われていて性別すら判断できない。
「ホゥ…本当二、コノ方法デモ殺セルンダネ」
スカル・ピョンが可愛げのある丸っこいような声で感心していると、隣に立つ全身を大雨に打たれたようにずぶ濡れになったレインコートの男がじっとりとした声で返す。
「えぇ、昔ダムの『水』をひっくり返したことも有りますからね。流石にここまで大量の水を操ったのは久々でしたが。まぁ、良い練習になりました」
マペット・ボトルも同様に海面を覗き込んでいたが、無事に音弧を殺せて安堵した。
音弧を海面に叩き落としたのは黒い方のスカル・ピョンだが、水底に沈めたのはレインコートのマペット・ボトルである。
マペット・ボトルは『液体を自在に操作する技能』を保有するスキルホルダーだった。彼がその技能で音弧を海底に沈め、肺に水を流し込み、溺れさせたのだ。
随分と大掛かりな仕掛けだとは思う。わざわざこんな手段を使わなくても、ふん縛って海に捨てるだけで溺れ死ぬだろうし、食事に毒を混ぜても、寝込みを襲っても、殺すことは簡単だろう。況してや傍らに居る愛嬌のある口調のスカル・ピョンは凶悪な暗殺者なのだから、その様な芸当も造作ない。
二人の傍に歩み寄るように二人の男が現れる。一人は昨日、音弧とチェスに興じたあの紳士である。
「首尾はどうですか?」
「問題なく死にましたよ。サー・カンサー」
紳士…『蟹』の戦犯であるサー・カンサーが問い掛ければ、マペット・ボトルが端的に答えた。
「それは重畳。
ならば、予定通りマペットくんはスカルくんとサジタリくんとチームで行動することにしましょう。やや前衛が物足りない気はしますが、そもそも戦士に正面から戦いを挑むのは無策で無謀です。我々が勝つには姑息なくらいで丁度良い」
確認と同意を求めるようにサー・カンサーはマペット・ボトルとスカル・ピョン、そして隣に立っていた袴姿の男『サジタリ』と呼ばれた男に話し掛けた。
それを受けて、『射手』の戦犯であるウンスン・サジタリは静かに頷いた。
「どうせ殺すなら、私にくれれば良かったのよ。折角だから試したい薬とか色々あったんだけれど」
と、四名の戦犯に合流するように審判員のドゥデキャプルが顔を出す。しかし、その口調は老練で厳格さを纏っていたそれでは無く、何処か軽くて若々しい。
「何と言うか、その顔でその口調には違和感を覚えるのでござる」
「これはこれは失礼致しました」
サジタリの軽口にドゥデキャプルは佇まいを直して慇懃無礼に頭を下げる。
「しかしサー・カンサー?此度の『十二大戦』、私共の『作戦』の事を思えば『猫』の戦士をこの場で暗殺したこと、下策では無いかと愚考致します。
やはり『作戦』達成のためには、表舞台でしっかりと死んで頂いた方が良案だったのでは?」
幸い、殺すのは簡単そうな相手ですしね。とドゥデキャプルは言葉を締めくくる。
「ぼくは『彼が他の戦士達と合流するのは避けるべきだと』判断したんですよ」
「と、言いますと?」
「『乙女』の戦犯…メイを見てですよ。彼は音弧くんを随分と気に入っていたようでした。僅か数刻で心の距離を詰めてしまった。戦士であると警戒して然るべき、彼との距離を…軽快にね」
「ソレガドウシタノ?」
「いやね、ぼく自身も彼を見定めるために接触してみたのですが…。
彼は人と関係を結ぶのがとても上手い。鍛えれば凄腕の戦争交渉人にさえなるかもしれない。
ぼくはね、あの者が戦士チームのブレインの一角に食い込む危険があると考えている」
「そんなまさか…」
驚いた様子のマペット・ボトルの言葉を遮って。
「それだけでは無い。あの『蛇遣い』が推薦して捻込んだ、謂わば刺客だ。彼は厄タネの塊なんだよ」
危険分子は早めに排除する。それ自体は正しい。この後彼等が行うとある壮大な計画を考えれば、確かに安全策だろう。
「さぁ、もう直ぐ到着です。皆さんも準備を…とは言っても、この船に乗った段階で済んでいるでしょうけどね…」
こうして、『十二大戦』の舞台は整う。
突如現れた『戦犯』なる者達の『計画』。
入念に下準備をし、
慎重に慎重を重ね、
最後の最後に、彼達は軽率な行動に出てしまった。
◇
「これは一体どういう事だ?」と疑問に思う者も居るだろうか。
しかし、これはまだステージの幕が上がる前の話。言ってみれば舞台袖や楽屋で繰り広げられた僅かな一幕。本来ならば観客席からは見えないような場所での話。つまりは裏話なのだ。
裏は表に出てはいけない物だ。秘密裏に進めなければならない。だって不都合だから。知られたら消されるから。
仕方ないから『無くして』しまおう。
消される前に『亡くして』しまおう。
折角だから彼女の言葉を借りようか。
『なぁに、バレなければ犯罪じゃあ無いんですよ♡げらげら』
というわけで…。
「人との出逢いを無視する人でなし」
───『