「……ファック」
ヒュールさんの案内で部屋まで戻り、彼の気配が遠ざかって行くのを感じ取ってから汚いスラングを苛立ち混じりに吐き捨てて、部屋の片隅に置いてあった来客用のワインセラーを開ける。ボトルに貼り付けられた銘柄を見る限りではどれもが庶民には手が届かないような一級品揃い。適当に目に付いた物を手に取り、コルクを引き抜いてラッパ飲みする。
飲み方なんて拘っていられない。なんでも良いから酒を飲んで酔っ払いたい気分だった。
「っは〜……なんだなんだよぉ、今日は厄日かよ……なんでこんな事になったんだか……」
朝の間では異界発見の報酬を貰い、嫌々ながらに間引きに参加する事まで予想していた。しかし実際にはそれにプラスしてミラの婚約者になり、学園と教会と関わりを持ってしまい、目を付けられてしまっている。ミラの事はまだ良いだろう。信用を度外視すれば個人的には好ましい女だと思う。だが、学園と教会との関わりが好意的な事が面倒だ。
もしも向けられているのが敵意であれば、こちらも敵意で返せば良いだけだから簡単だった。しかし好意的に接しようとしている相手に敵意を向けるわけには行かず、こちらもある程度好意的に返さなくてはならない。関わりが出来てしまい、縁が出来てしまった。そうなれば向こうが何かあった時にその縁を辿って俺に問題の解決を手伝うように求めてくるのが目に見えている。
そうなれば、あとは泥沼だ。何度も何度も交流を交わす内に距離感が近くなり、済し崩しに組織に取り込まれる事になる。ティミスさんの思考から察するにそんな事を考えても実行には移さないだろうが、周囲の人間や対立している派閥の人間はそんな事は御構い無しに利用できる物はなんでも利用しようとするだろう。そういう未来が簡単に思い付いてしまう自分の頭の回りの良さが今回ばかりは恨めしかった。
空になったボトルをテーブルの上に置く。アルコールが入った事で若干頭の回りは鈍くはなったが、今回の事で出来上がった縁が齎してくれるであろう未来の厄介事が次々と浮かび上がっていくのは止められなかった。
「寝よう。もう寝よう……明日のことは明日の俺に任せてさっさと寝よう……」
現実逃避、逃げの一手だったが、今の俺にできる事なんてそれくらいしか無かった。コートを脱ぎ捨て、ガンホルダーから銃を出して枕の下に忍ばせておく。宿屋など、人を泊めることを生業にしている場所ならば鍵を掛けておくくらいで良いのだが、ここは初めて来た貴族の家だ。ミラやヒュールさんは好意的に接してくれているが、だからと言って使用人全てが俺に好意的に接してくれるわけではないだろう。後々の事を考えずに襲撃とかして来るかもしれないと警戒しておくべきだ。
食事や睡眠など、無防備になる時間こそ最大の警戒を。この三年で俺が一番初めに学んだ事だ。
「
「ん……」
ベッドに身体を投げ出し、枕に顔をうずくめていると、リーエルが勝手に召喚機から出て来てベッドに潜り込んで来た。通常の召喚ではスレンダーなモデルを思わせる体型の彼女だったが、自動召喚の制約でも利用しているのかハイティーン頃の若さになっていた。
召喚魔には定まった姿はあるのだが、それは供給する魔力量である程度ならば弄る事が出来る。今リーエルがやってみせたように若返る事も出来れば、逆に老化する事も出来る。リーエルが基本的にとっている姿は大人体型なのだが、時折こうして若返る時がある。
「どうする?今日はやるのか?」
焦らすように法衣を少しずつ脱ぎ、誘っているリーエルの姿に性欲が掻き立てられ、何も考えずに犯したいと思ってしまう。ここで目の前の彼女を犯せたらどれだけ癒されるだろうか、何も考えずに甘い誘いに乗りたいと考えながら、
「いや、今日はそんな気分じゃないからいいわ」
考えるだけに押し留めて性欲を鎮める。ここで彼女を犯せば、確かに楽にはなれるだろうがそれは一時だけの楽でしかない。そして明日には間引きがあるというのに、情事に耽って体力を使うのは愚策でしかない。幾ら集団で挑むとはいえ、異界という常識の通じない場所に向かうのだから無駄に体力を消耗するわけにはいかない。
脱げた法衣を元に戻しながら、勿体無いことをしたかと考える。彼女との肉体関係は2年もあるのだが、何度抱いても飽きることは無いのだ。それ以上に初めの頃は知識でしか情事のアレコレを知らなかった彼女が俺の事を楽しませようと、気持ち良くさせようと尽くしてくれている。その献身が、そして彼女と繋がっている事が、快楽よりも嬉しいのだ。
「そっか、なら仕方ないな」
俺の都合で彼女からの誘いを断ったというのに彼女は嫌な顔一つ見せず、少しだけ残念そうにするだけでそれ以上誘うような事をしなかった。
「だったら、これだけでも」
代わりに、リーエルは俺の頭を自分の胸に押し付けるように抱きしめて来た。スレンダーな体型であり、ミラと比べると泣きたくなるような彼女の胸だが存在しない訳ではなく、法衣越しにではあるがその柔らかな感触を顔いっぱいに感じる事が出来る。
だがそんな物よりも彼女から伝わって来る温もりと、少しずつ速くなっていく彼女の心臓の鼓動の音が俺の事を安心させてくれた。
「おやすみ、タツキ」
「おやすみ」
リーエルと眠りの挨拶を交わして目を閉じる。警戒しなければならない場所にいるというのに彼女の温もりを感じて、彼女の心臓の鼓動を聞いていると不思議と安心してしまい、俺は安らかに眠る事ができた。
「……タツキ?」
タツキが目を閉じてから暫くして、規則正しい寝息が聞こえるようになってから彼の名前を呼んでみたが反応は無い。どうやら寝たようだ。今日1日はいろんな事が立て続けにあったから眠りは深そうである。
「伯爵」
「
タツキの事を起こさないように小声で伯爵の事を呼べば、影が迫り上がってソファーの上で足を組みながら伯爵が召喚される。しかし、その姿はいつもの美丈夫の物ではなくて小柄なもの。しかも性別さえも変わって少女の姿を取りながら、ワインセラーからくすねたであろうワインをグラスに注いでいた。
「警戒は?」
「いつも通りだ。部屋の中には我輩の影を忍ばせている。この部屋は我輩の胃袋と同意義だ。無理やり入ろうとすれば食い破ってみせるとも」
「ボマー」
「
自動召喚によって現れたボマーの姿も伯爵やオレの例に漏れずに姿が変わっていた。いつもの長身痩躯のそれではなくて二頭身程に迄縮まっており、〝奇術:空間遊戯〟の応用なのかフワフワと宙に浮かんでいる。
「こちらもいつも通りやらせていただいてますとも。伯爵様が部屋の中を守っているように私めは部屋の外を担当させております。一先ず部屋の周囲の空間を弄らせてもらいました。外からの監視は防げますし、コッソリ侵入しようとすれば上空1万メートルからスカイダイビングを体験できますよ」
「そうか」
「ところでリーエルさん、サマナーに手を出さないのですか?今ならぐっすり眠っているので少々手荒な事をしても起きないと思いますがーーー」
笑っている仮面の下でも笑っているのが分かるほどに喜色を混じらせた声で話しかけて来るボマーを掴み、近くの壁に向かって全力で投げつける。オレとしてはボマーが壁にぶつかるのを想像していたのだが伯爵も思うところがあったのか、ぶつかるはずだった壁が突如として影で出来た口に変わってボマーの事を丸呑みにした。
あっ、という間抜けな声が聞こえた一瞬後に、くぐもったボマーの断末魔が聞こえて来る。
「死なせるなよ?」
「安心しろ、加減はしてある。噛まれているのでは無くて蛇の舌で全身を舐め回されているだけだ」
「それはそれで嫌だなぁオイ」
タツキが起きている間の殺し合いは軽いスキンシップのような物なので彼もそれを認めている。しかし、自分が知らないところで殺し合いが起きれば何かあったのでは無いかとタツキは気負ってしまうのが目に見えている。彼に要らない負担を掛けさせない為にも、オレたちはタツキが知らないところでは殺し合いはしないようにしていた。
「そろそろ夜も遅い。明日に備えてお前も寝ておけ。寝ずの番は我輩が勤めてやろう」
ボマーの断末魔が喘ぎ声に変わった辺りで伯爵はそう言ってきた。召喚魔であるオレたちは召喚魔となった時点で生物の法則からやや外れた存在となっているので睡眠など肉体的には必要ないのだが、精神的な休息を取らせるためにそう言っているのだろう。伯爵は吸血鬼なので夜が彼のホームであり、ボマーはそもそも
明日の間引きに備えておけと、言葉はキツイが伯爵は言っているのだ。
「ならそうさせて貰うわ。おやすみ」
「良き眠りを」
喘ぎ過ぎて掠れ声しか聞こえなくなったボマーの声を子守唄代わりに、眠っているタツキから離れないようにと少し強めに抱きつきながら瞼を閉じる。その時に彼が身動ぎ、反射的になのか抱き返されたが振り解く様な事はしない。
タツキが日本からこの世界に来た人間だという事は、彼の口から説明されるよりも前から知っていた。オレだけでは無くて伯爵も、ボマーも。ニトロロックたちは爆発することしか考えられないから知っているかは不明だが、きっと他の召喚魔たちも知っているに違いない。
他のサマナーたちはレベルが高くなるに連れて希少な召喚魔だけを、あるいは固有スキルを活かせるメンバーだけを使役して強さを求めていたというのにタツキはそんな事は知らんとばかりにオレたちを……初めて召喚した召喚魔だけを使役していた。
オレに伯爵にボマー、そしてこの場にいない2人。種族はバラバラで、タツキに召喚されたということ以外に何も繋がりが無かった。レベルが低い内にはサマナー同士の対戦で勝っていたが、レベルが高くなるに連れてドンドン負けが目立つ様になっていた。
他のサマナーたちはそんな趣味パで勝てるわけが無いだろうとタツキの事を笑っていた。笑われて悔しそうに歯を食いしばりながら泣いているタツキの姿を見て、オレたちも悔しかった。タツキはオレたちに思い入れがあったのか、ずっと同じ召喚魔だけを使っていた。それは嬉しかったのだが、だからと言ってタツキのそんな顔は見たく無かった。
タツキが勝って、笑ってくれるのならメンバーが変わっても構わなかった。寂しいとは感じるが、タツキが泣いているよりは良いと誰もが思っていた。それなのにタツキは誰も変える事はしなかった。オレたちよりも希少な召喚魔をオレたちの素材として合成して強化し、固有スキルを活かす為に誰もが習得出来る通常スキルを見直し、強い召喚魔を使役するのでは無くてオレたちを強くする事を選んだ。
その最中でボマーの固有スキルを使う為にニトロロックを使役する様になったがメンバーは初期の頃から変わらず、気が付けばタツキの事を笑っていたサマナーたちに勝ち越せるくらいに強くなっていた。勝ち越せたと気が付いた時のタツキの喜びようは半端じゃなかった。趣味パなんかに負けたと落ち込んでいるサマナーたちを前にしてガッツポーズを決めた後、儀式の様に意味のない踊りをする程だった。
あの時は楽しかった。誰にも負けないと自惚れるつもりは無かったが、オレたちは強く、そして楽しんで生きていた。
そして、気が付いたらタツキはいなくなっていた。
タツキだけじゃない。伯爵も、ボマーも、他の2人も、ニトロロックたちさえもいなくなってしまっていて、その上にオレはタツキに召喚された頃まで弱くなり、しかも堕天する前の天使にまで戻っていた。
何が起きたのか分からずにオレはタツキを、仲間たちを探し回った。自分を優先したことにより堕天して堕天使になったが、そんな事よりも皆んなを探す方が優先だった。きっとどこかにいるだろうと世界中を飛び回りーーー100年以上世界を放浪し続けた。最後の方は皆んなに会いたいと考える事すら出来ず、自分が何でこうしているのかすら忘れ、ただ義務の様に彷徨っていた。
そうして精神がボロボロになって、ただの現象になり掛けていた時、オレはタツキに召喚された。隣に見たことのない男が立っていて、あの頃では考えられない程に衰弱している姿だったが、オレを……私を召喚したのは間違い無くタツキだった。
そこから先は語らなくても良いだろう。タツキが見知らぬ男の事を師匠と呼んでサマナーとしての修行をし、不信感に苛まされて私の事さえも疑っていたタツキの事を泣きながら殴って何とか正気に戻し、私と同じ様にタツキの事を覚えていた伯爵とボマーと出会った。師匠から離れた後は当てもなく旅をしていた訳ではない。私たちの仲間を探して各地を放浪しているのだ。タツキは覚えているか不安がっていたが、私たちが覚えていたのだからあの2人も覚えていると断言出来る。
昔とは比べ物にならない程に臆病になってしまったタツキだが、そんな彼の姿を見ても呆れどころか愛おしさが込み上げてくる辺り、私は相当彼に惚れ込んでいるのだろう。その事を恥ずかしくは思わない。勇ましくあっても臆病であってもタツキがタツキである事には変わりないのだ。この場にいない2人の内の1人も、今のタツキの姿を見ても失望なんてしないだろう。あいつはあの頃からタツキに対して恥ずかしそうにしながらも愛を向けていたのだから。
今は散り散りになった全員が再び揃った時の頃を想像する。伯爵とミツルギが酒を飲みながらこっちを見ていて、ボマーがニトロロックたちを使ってジャグリングをし、私はコクリと一緒にタツキの隣に座っている。ボマーがジャグリングに失敗してニトロロックの自爆に巻き込まれ、それを安全圏から眺めて皆んなで一緒に笑う。
昔にあったあの光景を、また皆んなで迎えたい。それが私の、リーエルの名前を貰った堕天使の小さな願いだった。
サマナーが就寝中でも召喚魔たちが警備してくれるから安心。いくら真っ直ぐな好意をミラネキから向けられてヒュール爺が歓迎しているとはいえ、初めて会った奴を手放しに信用出来ないよなぁ。
リーエルちゃん、伯爵様、ボマーたちはソシャゲ時代の記憶持ち。地球からやって来た人間の召喚魔が必ずそうだと言うわけではなく、偶々リーエルちゃんたちがそうだったと言うわけ。もちろんリーエルちゃんたち以外にもソシャゲ時代の記憶持ちの召喚魔はいる。その時のサマナーに会えるかどうかは別だけど。
ソシャゲ時代のタツキは初めのガチャで召喚した召喚魔だけを連れた趣味パ。初めの頃はそれでも良かったけど、レベルが上がるに連れてコストとかの上限が上がり、それでは勝てなくなってきた。でもそこで意地を張って趣味パを続けてそこそこに強かったという趣味パプレイヤーの鏡。