「―――え、なんで私がアレク君を好きになったか、ですか?」
その言葉に頷きを返した。踏み込んでいいのかどうか、それは良く解らない話題だった。とはいえ、ずっと前から気になっている事の一つだったし、前々から知りたいと思っていた事でもあった。だからこうやって、決心がついた今、前よりも二人の聖王姫に近づいたと思える今、口に出して聞こうと思った。幸い、今日は教育係のルーシーが居なかった。束の間の自由、とヴィヴィオなら言っていた時間だ。今日はオリヴィエが外に出ている番なので、オリヴィエが聖王教会最奥にある厳重に警護されている中、唯一プライバシーが守られているこの聖王の私室で話を聞いていた。
……頻繁にアレクが出入りしているから厳重もありませんけどね。
と、自分に呟く。少し前まではここへと入らせない様にポーズだけでもいいから止めようとしていたが、ヴィヴィオとオリヴィエの関係を知った今、とてもだが彼がここに居る事を止められそうになかった。寧ろ、積極的に合わせようとさえ考えている。だって、余りにも悲しすぎるのだ。ヴィヴィオもオリヴィエも、どちらも自分自身を見ていない。自分を捨てて、もう一人の自分へと残りを捧げようと考えている。
そしてその愛はたった一人に向けられている。
その姿が、余りにも痛々しくて、とてもだけど見ていられない。詳しい事情は解らない。知らない。だけど、解っているのは目の前の姫は、お互いに死にたがっているという事実だった。今までは何重にも隠されていたそのベールに綻びが見えた。どうしてかは解らないが、その自己殺意の念とでも呼べるものが、うっすらとだが滲み出ていた。それを、今までは自分は欠片も気付けなかった。
「うーん、そうですねー……。まぁ、その話をすると少し長くなるんですけど、アインハルトの方は時間、大丈夫ですか?」
彼女は軽く首を傾げながらそう言ってくるので、頷きを返す。
「えぇ、基本的にはオリヴィエさんと一緒に居る事が仕事ですし。無論、そうじゃなくても一緒に居ますけどね」
「あ、嬉しい事を言ってくれますね。じゃあ、少し長くなってしましますがこの際、私のちょっとした秘密を話してしまいましょうか」
楽しそうに笑うと書いていたノートを畳んでしまった。そうやって笑う彼女の表情に死相はなかった。どこにでもいる様な、乙女の表情を浮かべており、楽しそうに此方へと向き直った。そしてオリヴィエはえーと、と声を零した。
「じゃ、じゃあ、初手で凄いの言っちゃいますよ……?」
「ど、どうぞ」
「えーと……じゃあ、昔の頃の……と言うよりは私が会ったばかりのアレクはまだ二股とか全く考えられないような、真っ直ぐな少年でした」
「成程、とりあえず嘘ですか。やりますね、オリヴィエさん」
「ノータイムで嘘と言われるアレクの信頼っぷりですねー……」
此方のリアクションにしかし、オリヴィエは笑った。そして嘘じゃないんですよ? と首を傾げながら教えてくれる。だがそう言うオリヴィエの言葉は良く信じられなかった。だって、自分と初めて会った時からあの男はスケベだった。スケベ、というか女誑しだ、的確にどう接すれば興味を惹けるのか、それが解っている様に接触し、そして此方を乗せて来るのだ。
「あはは……いえ、これ冗談とかじゃないんです。真面目な話、アレクという少年はまだ真面目な性根の持ち主だったんです。少なくとも私と出会ったばかりの頃はそうでした。今は……まぁ、見てのとおりですけど」
オリヴィエはそこで苦笑した。
「まぁ、彼がそうなってしまったのには私に原因があります」
オリヴィエは罪を告白する様に言葉を口にする。
「私とアレクの出会いはスラムでした。ですが直接アレクが私を見つけた訳ではありません。アレクの師匠である《翁》が最初から知っていたかのように私を見つけて、拾って、それで丁度良い教材としてアレクに面倒を見る様に指示を出したんです。それが私とアレクとの出会い。これに関しては
衝撃の出会いだった。時折、アレクには実家に居る両親とはまた別の師が存在する事は知っていたが、話を聞いている限りその人物の人物像、とでも呼ぶべきものが抜け落ちるのが不思議だった。なんというか、語られて、聞かされて、そして教えられてもそれが明確なイメージとして頭の中に残らない、という感じがする。
「まぁ、あの翁は規格外でしたし、未来を見通すような真似事さえ出来たような気がします。あの方の話になると更に長くなりますし、話を戻しますと……私はアレクの教材の為に用意された訳であり、その面倒を見ながらスラムで生活するのがアレクの修行の一環でした」
思い出す様に、オリヴィエは口にする。
「当時のアレクはまだダールグリュンを出たばかりで、賢くともまだまだ世間知らずの部分が多かった。彼は悪という存在を非常に嫌悪していた。憎んでいると言っても良い。非常に危険な精神性をしていました。そもそもそれが暴発した結果がアレクの絶縁という判断でしたからね……それを治療する必要があって、だからこそ悪という物を知るべく私という教材を用意したんです、あの方は」
「オリヴィエさんが悪、ですか?」
「えぇ、そうですよ?
恵まれた生活では絶対に触れる事のないような日常的に生きる悪を。少なくとも憎しみが抜ける様に。いや、憎しみは消えない。それでも少年を青年にする為には、もっと広い視野を持つ必要があったのだとオリヴィエは言う。
「だからまずは悪が無ければ生きて行けないという環境に投げ込んで生活させました。まぁ、これが当然のようにクリティカルヒットしまして見る見るうちに荒んでいきました。最初は警戒はしていましたが……一か月が経つ頃には周りは警戒するのではなく先制攻撃を仕掛けるぐらいじゃないと安全ではないと覚えまして、元々優秀でしたからそこからは転がり落ちる様に磨き上げられました」
えぇ、ですが、とオリヴィエは言葉を続けた。
「彼はその間、たったの一度も私から離れませんでした。私をずっと守ってくれました。臭い、汚い、気持ち悪かった私を綺麗にして、話相手になって、拒絶せずに傍に置いてくれました。両腕がなく、誰かを頼りにしなければ生きて行けない私にとって、彼は最高の寄生先でした……えぇ、私もそう言う風に見下していたのは事実でしたよ」
「その……今の様子とはだいぶ違いますね」
「えぇ、私はやはり血筋のせいか、早熟でした。そして彼も早熟でした。波長が合っていた、んでしょうね……私達は」
それを何でもない日常の様にオリヴィエは語り出した。それは、聞いていれば物凄い不思議だった。両腕の無い頃のオリヴィエは日常が本当に酷い物で、アレクと一緒に暮らす様になってからは良くなっている。それでも聞いている分には色々と驚きが付きまとう。食事、着替え、風呂、トイレ、まるで介護が必要な老人の様に、両腕の無いオリヴィエは世話を焼かれた。それを一切文句を言わずに全部やったアレクの事にも驚きだ。正直、彼であれば他人に任せる様にも思えた。
が、それをオリヴィエは否定する。
「彼の根底にあるのは善性ですよ。彼は善い人なんです。必要だから悪人という仮面を被って活動していますが、その性根はどうしようもない一般人で、彼は身近な人物が苦しんでいる姿を見れば悲しみを感じてしまうタイプです。ですがそれでは生きて行けません。それを隠せるような人間にならなくてはなりません」
だからこそ、翁は自分を拾ったのだ、とオリヴィエは言った。
「年下、金髪、女、そして手がかかる。翁はまずアレクに妹を想起させる人間を用意しました。妹に近しい要素があれば、それだけアレクからの抵抗力が奪えるからです。後は普通に生活をすれば良い。一緒に生活し、助け合い、そして学んで生きて行く。必死になって学びながら一緒に居る環境……その日常は楽しいもので、それがたとえ誘導されたものであったと解っていても私は少しずつアレクに惹かれて行きました。人生で初めて、彩に溢れた日常でしたから……」
聞けば聞くほど、この翁なる人物が今のアレクを産んだ元凶にしか聞こえてこない。それを指摘すると、オリヴィエは笑いながら肯定する。
「これは翁とアレクの間の契約でしたからね。翁は全てをアレクに与える代わりに、アレクを必要である存在へと変えるという事の。性根は真面目ですから、彼。悩みだすと物凄く悩みますし、落ち込むと凄い落ち込んでしばらく引きこもるタイプの。だから彼は契約には誠実でした。翁の言葉の通り、少しずつ磨かれ、そして変貌しました……今の我々が知る形に」
だけど、とオリヴィエが言葉を付け加える。
「その仕上げをしたのが、私でした」
困ったような、そんな笑みをオリヴィエは浮かべていた。どうしようもなさ、やるせなさをそこには感じられた。
「私はアレクが好きでした。いえ、今でも好きです。たぶん、世界の誰よりも。彼と一緒に過ごした日々が愛しいです。初めて彩を感じられたあの日常が一生忘れられません。私はスラムで覚えた知識を彼に教え、彼は私を助けて、二人三脚でスラムを生き延びました。自然と、私達は近づきました……そうやって私は彼の事が何時の間に好きになって、彼も私の事が好きになりました」
その想いをオリヴィエは断言し、そして続けた。
「断言しますが、彼はその頃には擦れ始めてはいました……ですが、まだ決定的に道を踏み外した訳ではなかったんです。今の様な感じはあっても決定的には其方へと転ばない……まぁ、ファッション的なグレ方だったんですね。生まれと育ちが良すぎたんです、彼。だからもっと、失敗する必要がありました」
オリヴィエはそう言うと息を吐き出して、整えた。此方が今までの言葉を飲み込み、理解するだけの時間と、考えるだけの時間を与えてから言葉を続ける。
「その頃には私は自分の血筋に関する知識が備わっていました。この血筋……この
「言い訳、ですか」
「えぇ、言い訳です。私は聖王の血筋を利用してやりたい事がある―――だから貴方の想いには答えられません。そうやってアレクの告白を袖にしたんです」
苦笑しつつ、後悔する様に呟くオリヴィエの姿を見て、軽く驚いていた。好きだと、愛していると言っているのに
不憫だと、憐れだと思っている。そしてそれを抱くのを間違っているとも、理解している。
「それからは……まぁ、アインハルトも知っての通りです。彼は今の彼の様になりました。たぶん、感情的には裏切られた、という感覚に近かったと思います。実際、お互いが感じていたことを考え、その後に聖王教会へと向かった事を考えれば明確な裏切りでしたからね……ですがそうやって今の私とアレクが出来ました」
ちょっと主題から逸れてしましましたね、とオリヴィエは苦笑した。だが此方はそれを聞いて、まるで笑えなかった。寧ろ泣きそうだった。明らかに、オリヴィエは我慢していた。おそらくその本心は誰よりも―――だろう。だけどそれを彼女は完全に押し殺していた。そしてそれは恐らく、ヴィヴィオも完全に一緒だった。それはもはやオリヴィエと話していれば解る。この二人は二人で一人なので。
オリヴィエと話しているのに、同時にヴィヴィオからも彼女の話を聞いている気分だった。そしてそれを通して、二人とも自己嫌悪の塊である事に気付ける。それが、彼女たちを抑え込んでいる。彼女達にそれを望ませている。
「ちょっと、空気を重くしてしまいましたね……すみません」
「いえ、私も少し軽率でした」
「いえいえ、ですがアインハルトには丁度良い話だったかもしれません。どちらにせよ
「え、いえ、だってオリヴィエさんは―――」
「えぇ、愛しています。ですがそれはそれ、これはこれ。誰か―――自分が知っている誰かが犠牲になって得た場所でのうのうと生き残って幸せになってやろうと思える程、前向きな人じゃありませんから、私」
それに、とオリヴィエは言葉を付け加える。両手をぽん、と叩き合わせながら笑みを浮かべた。
「なにやら婚約するらしいじゃないですか」
「いや、まだお見合いの段階の話ですよ?」
「貴族王族の中ではお見合いなんて婚約と同義じゃないですかー。それにアインハルトと彼の組み合わせは悪くないですよ? 結構相性いいと思いますし、私。あ、そうそう彼はアレで割とストレートなのに弱いですから、真正面からプロポーズすると観念すると思いますよ」
「……」
自分の存在しない幸せの形を、オリヴィエは見つめていた。オリヴィエはたった一人の幸せだけを見て生きている。だけどその中には自分という存在が無かった。彼女が描く絵の中にはその姿が存在しなかった。お見合い、そして婚約と繋がりそうな話で、少しだけウキウキしていた自分が馬鹿みたいだった。
できる訳がない。
目の前の、この人を置いて自分だけ幸せになるなんて……。
「アインハルト?」
「いえ……そうですね、そもそも彼を捕まえられるかどうかという事が不安ですけど」
「あはは……そうですね、多分彼が本気で雲隠れしたら、私でも見つけられないでしょうけど……彼は近いうちに来ますよ、きっと」
オリヴィエは苦笑していた。
「―――彼、優しすぎますから。たぶん私も彼女も助けようとして、凄く頑張っていますから」
困った話ですね、とオリヴィエは寂しそうに笑っていた。彼女は―――オリヴィエは、自分ではどうしようもなく救えないのだと、その姿を見て解ってしまった。オリヴィエに必要なのは血筋でも居場所でもない。聖王教会ではおそらく、永遠にその心を癒す事も、その考えを変える事も出来ないだろう。
その姿が余りにも憐れで―――どうしようもなく―――どん詰まりで。
理解してしまったのだ。
だけどそれを座って聞いているだけというのはどうにも―――気持ちが悪かった。
「ま、結論から言おう」
「たぶん可能だ」
「たぶんね」
「可能だといいなぁ」
「いや、可能だろうここは」
グランツ診療所、地下のスペースに灰髪の博士―――即ちグランツ博士と、そして今では
フローリアン姉妹は一応下がっている。その中で相談した事の返答を二人から聞いた。グランツは言う。
「うん、憶測がいくらか混じるけど可能ではあるね」
「そもそもがESにアクセスする事が可能という出鱈目な連中だぞグランツ? 私個人としては可能であるかどうかは個人の認識によって左右する部分がある、と結論したいね。だから個人判断としては
「そりゃあそうだけどさ、そもそも本人のモチベーションと心理状況を加味して結論を出すのであればここは可能であると断言したほうがいいんじゃないかい? 小数点を計算に入れるのもいいけど、こういう人種は基本的にそう言う可能性を完全に握りつぶすか摘まみ上げる運命力を持っているものじゃないか」
「確かにそれはそうかもしれない。だけどそれじゃあつまらないだろう? 人情派の君と違って私は愉快派なんだよぉ!」
「楽しい方が全体的に盛り上がるからね!」
「然り然り……おっと、セリフが残っていないね?」
両手をぱんぱん、と叩くとヒャッハーと、叫びながらドクタワーが後ろへと、ソファの裏側へと向かって倒れた。本当に人生が楽しそうでいいよなぁ、ドクは。見ていて毎回そう思う。まぁ、この人はこの人で体をとっかえひっかえしていないと死に追いつかれるらしいので、必死に遊んでいるのだと判断しているが。
「まぁ、そもそもからして? 人間の心を盗み出す能力なんて意味不明な能力を相手にどうやってまともに議論しろという話だよ。だけど、まぁ、可能なんじゃないかなぁ。少なくとも君が直感的に考えて、判断して、あ、これ可能っぽい! って感じ取った事であれば間違いなく可能だと私は思うよ」
「曖昧だなぁ……」
「まぁ、ESに潜れる人類なんて本当は存在しない筈だからね。それを考慮しても不可能ではないと思う」
グランツが椅子に寄り掛かりながら、そう呟く。ただ、とそこに言葉が続く。
「オーディエンスがどう思うかは別だけどね」
グランツに言いたい事は解る。とはいえ、今回に限っては……自分に全ての責任がある。今回に限っては俺がどうにかして二人を助けなくてはならない。なんとかして。手段は……まぁ、勿論、怪盗という優雅さを失わない範囲ではあるが。それでもなんとなくだが、答えは見えた。
思い出すのは師の背中姿だった。
消え行く姿。
誰も記憶しない末路。
功績も、名前も、行いも、その全てが消えて行く男の末路。
つまりは
「―――」
目を閉じて、数秒ほど考える。自分の心に問いかける。偽りのハッピーエンドを目指すか否か。その代償を許容できるか否か。おそらくは―――そう、そうなんだろう。きっと師匠も
そして順番は此方へと回って来た。
だから
ゆっくり、目を開けた。その表情を見て、団子の様に重なるドクが笑みを浮かべた。
「その様子を見ると、覚悟は決まっているようだね」
「なら、言う事は何もないかな……君の描く物語に幸福な結末がある事を、ここから祈っているよ」
「ま、アレクさんはスーパー怪盗だからな。ハッピーエンドの一つや二つ、神様の懐から盗み出すさ。ともあれ、最初にやらなきゃいけない事を始めるとするか―――」
サンキュゥ、と声を置いて立ち上がりつつ、それは、と呼び止める声にサムズアップをしながら、笑みを返す。最初にやる事? そんな事決まっている。
「デートに誘って泣くまでコマして生きたいって何が何でも言わせてやる」
「それ違う意味では」
聞こえてくるそんなツッコミに、漸く暗闇から脱し、エンジンがかかって来たのを感じる。ここからは目的まで一直線だ―――最後の仕上げまで、一気に走り抜けるしかない。
それを選ぶかどうかは貴方次第、フリーなチョイスで御座います。
どっちもめんどくせぇ事情あるけど、それを知るか馬鹿、コマしてやるぜという事で。最初のターゲットも段々と終盤に入って来たね? たぶん、皆何が必要なのかは解ってるけど踏み出すのが難しいというアレ。
めんどくさいね、関係って。
それはそれとして、新年もよろしく。