―――廃墟が良く見える。
手元にはパイプが握られている、そこに葉を詰め、マッチで火を付けてから口へと運び、咥える。ゆっくりと煙を吸い込み、それを喉へと通し、肺の中で転がす様に味わう。そしてその味を堪能した所で煙を吐き出す。そうやってこれは嗜むものだった。普段はこんなことはしない。パイプも、煙草も、無用な匂いが服につくからだ。服は辛い。犬とかの生物が警備用に放たれている時、消臭スプレーを使っていてもその残り香を伝って此方の居場所を見つけ出してくるのだから。だから極力、特徴的な匂いが残る様なものは仕事の前だけではなく、普段から禁じている。
身バレは怪盗として致命的だ。記憶を奪う術は何個かあるし、今の科学力であれば脳味噌を抜き取って情報を消去するぐらいだって出来る。だがそれは
その為には日常生活から気を使う必要がある。だから煙草、パイプの禁止はその一環である。特徴的な匂いは個人を特定させるのに役立ってしまうから。とはいえ、そんな事ではどうにもならない精神的なものもある。そういう時はルールを少しだけ曲げて、心の安寧の為にこうやって、パイプを口にする。やり方は父から学んでいるから、それなりに堂に入っているものだと個人的には思っている。
ただ、まぁ―――あんまり、慣れているものじゃない。せきこむほどじゃないが、そこまで好きな物でもない。ただ、これをこうやって口に咥えていると落ち着くのだ。それを自分は、感傷だと思っている。
この体に宿っている経験は自分ひとりの物ではない。
当然だろう。18の男が、管理局や聖王教会を相手に一切バレずに隠密をし続ける? しかも本格的な修業期間はほんの数年間。ありえない程の才能があっても、そんな短時間で技術や知識の全てを覚えられる筈がない。故に当然、自分が保有する経験や知識の大半は先代から継承されたものだった。もはや名前も、顔も存在しないその前の前の前からも受け継がれてきたネメシスという業のみを残して消えゆく怪盗の経験と技術継承。土台となる素質さえ存在すればそれは行える。
そしてそれを先代から受け継いでいる。
その時に、全ての業と経験を受け継いだ。
故にふと、自分の物じゃない仕草や動きをしてしまう時がある。このパイプを口にする事も、そういう行いの一つだった。この体は自分の物ではあるが―――その血管を通る血液の様に、経験には俺じゃない誰かが宿っている。名前も、顔も、功績も行いさえも残っていない誰かの習慣、誰かの癖、誰かの好み。自分が知らない内に誰かに影響されているかもしれない。そんな事を考えるのはとっくの昔に通り過ぎた。とはいえ、なぜかそうやって過去に消えていった同族達の行いは、物凄い感傷を生む。
そして自覚するのだ。いずれ俺もここに辿り着くのだと。
俺もきっと、俺の後を継ぐ誰かの血肉となって生きるのだ、と。
それを知るからこそ師はきっと、安らかな笑みを浮かべて消える事が出来たのだろう―――何せ、その表情には一切の後悔も何も見えなかった。名前も、功績も、生きていた事実でさえ残らない。だけどそれで満足していたのだ。そういう人たちの系列に今、自分は継いでいる。そしてそれをこうやって、一つの仕草で想いを馳せるのだ。
やり切った彼ら、敗北を回避し、それを将来の勝利へと繋ぐ彼らの残滓がどうしようもなく、誇らしかった。
だからこうやってパイプを口にする。この誇らしさが心を落ち着かせるからだ。悪癖だと解っていてもこれを止める事は出来ない。だからこんな、誰もいない廃墟の屋上の上で、一人寂しくパイプを口にしている。
「ふぅー……」
言葉が出ない。だがそれでいい。この一人の時間が酷く落ち着く。いずれ、自分もそこに行く。その恐怖はない。そういう風に覚悟は既に決めている。だがそれ以上に恐ろしいのは、出来る事をせずに諦める事だ。失った時を考えるのが一番恐ろしい。だから、やるしかないのだ。
「全く、なんで俺の身近な人物を対象にしたんだ……」
或いはそれを含めてのゲームなのだろうが。実に困った話だった。ふぅ、と息を吐いて、口から煙を出す。俺もいつか、自然と煙草を好む様になる年齢になるのだろうか……その時まで俺は覚えられているのだろうか? まぁ、どちらにしろ……今、それを悩むには余りにも早すぎる。もっと手遅れになってから後継者は探せばいい。それまでは自分のターンだ。
だいぶセンチメンタルな気持ちになっているが、それでもだいぶ、心と頭が決まって来た。なにせ、自分がやりたい事は既に解っているのだから、それを悩む必要はないのだ。そしてそれを行う為に必要な事も既に解っているし、その準備も進めている。だから後は実行するだけ。
実行する、だけだ。
まぁ、偶にはセンチメンタルなのも良い。本番にこんな気分を引きずる事は出来ないし、身内には決して、こんな自分を見せる事も出来ない。一人だからこそできるある意味贅沢なのだろう、これは。この世界で一人だけ、俺だけが味わう事の出来るセンチメンタリズム―――いや、ある一族ならこの気持ちを解ってくれるだろう。だけど、まぁ、自慰の様なもんだ。他人に意見を聞くような事じゃない。
夕日が綺麗に見える。
崩壊した都市の―――かつての繁栄の墓場。その墓地にそっと咲くのがこの地に住まう犯罪者たちだと思うと、少し、ロマンチックに感じるだろうか。
「まぁ、戯言だよな……」
苦笑しながら呟く。どうしようもない戯言だと。ただ少し、ストレスを感じた時はこんな風に軽く入る時がある。我ながら面倒な男だ。そう思いながら茜色に都市を染める夕日を眺め、そして息を吐く。さて、そろそろ戻らないと駄目だ。長く開けているとアジトの連中も不安になる……事はないが、それでも晩飯が気になる。そろそろ帰るか、と思ったところで背後に気配を感じて振り返った。
「アレク、ここに居ましたか」
「エリー、俺無しで外に出るなといっただろうに」
「ここはアジトから近いですから」
「全く……」
それでもここら辺は危険だから、余りうろうろしないで欲しかった。アジトの中にいる間は安全なのだから―――とは言え、鳥は籠の中で平和に生きているのと、外で自由に生きているのと、果たしてどちらが幸せであるのか、という話にもなってくる。まぁ、そんな事、本人に聞かない限りは解らないのだが。そんな野暮な質問をする事もない。とはいえ、
振り返りながら、柵に背を預け、夕日に染まるエリーの姿を見た。美しい女だと思う。お金をかけているから見た目は当然だが、その中身も美しいと思う。彼女は電子の存在だ。その思考形態はAIであり、人間の様に魂を宿している訳ではない。なのに、人間よりも人間らしい部分をエリーは見せる。
沈んで行く夕日がエリーの銀髪を飾り、輝かせる。その服装は動きやすいジーパンにシャツという恰好だが、どこか生活感が漂っている所が個人的に好きだった。生活感を感じる恰好には日常を
「エリー」
「はい?」
「お前は―――八神はやての所へと戻りたいと思った事はないのか」
その言葉に少しだけ、驚くような表情をエリーは浮かべた。だけどその表情の中に寂しさはなく、そうですね、と目を閉じながら数秒ほど、思考するような動きを見せた。それからエリーは再び目を開いた。
「私は……本来であれば夜天の書のバグと共に滅びる運命であり、今、ここに存在しているのは一種のちゃぶ台返しのおかげだと思っています。ここに私は本来は存在していなかった。そんな感じが強く、私には存在します。虚数を漂っているうちに思い出も削れました。ですが、かつての生活の全てを忘れた訳ではありません。今でもこの胸の中に元、主はやてとの思い出はあります」
「……」
ですが、とエリーは言葉を置いた。
「時は不可逆だと、私は記録しています」
その言葉にエリーは空を見上げた。その中には昔を懐かしむものが見える。だがそこに後悔は無い様に思えた。
「時は戻りません。私が……リインフォース・アインスという名を頂き、生活をした事実は存在します。ですが、同時に私が終わりを迎えたという事実も消えません。その時にリインフォース・アインスという存在は既に終焉したのです、アレク。当機構はその時にデータの大半をロストし、リインフォースであった存在としてリビルドされました。故に今の私は物語から抜け出してしまった
エリーが頭を横に振る。
「IF、それを想像する事もあります。ですがそれを望むことはしません。当機構は―――私は、そのIFが積み上げて来た全てに対する侮辱である事を記録しています。そのIFが今までの私の行いを否定する事であると記録しています。そしてそのIFが都合の良い幻想だという事を知っています」
ですから、私はエリーです、と言った。
「確かに過ぎ去りし日々は銀色に輝いています。ですがこの先の未来はもっと、美しく輝くと信じていますので」
「そうか」
「えぇ、そうです」
ですので、とエリーは言葉を続ける。
「迷わないでください。どれだけの悪であろうと独善であろうと、貴方のエリーは最後の瞬間を共にするつもりです」
当然のようにそれをエリーは言って、それを聞いて苦笑した。
「愛が重いなぁ、お前は……」
「貴方は私を救い、そして希望を見せました。そして私に日常をくれました。ならそれを与えたが故に義務があります。だから私の面倒を見てください、アレク。重くて、面倒な女かもしれませんが、貴方の道に何一つ文句を言わない、都合の良い女ですから」
「それが都合良くいてくれる、女ってのに成長してくれればいいんだけどなぁ」
その言葉にエリーが首を傾げるので、軽く苦笑を零す。まぁ、悪くないパートナーだ。少なくとも自分の命綱の一つだ。信頼も信用もしている。問題はまだ、その心が人間と呼べる領域まで至っていない所だろうか。まぁ、それは年月がどうにかしてくれる。今でも十分に人間臭いのだし。
「とはいえ、一人で外に出てきたのは減点な」
「心配して追って来ただけなのですが」
「馬鹿野郎、俺の何を心配するってんだ」
いいか、とエリーへと向かって指先を向けた。
「―――神様でさえ、俺を殺せないんだ。心配はいらないぜ」
ニヤリ、と笑みを浮かべながら親指で心臓をトントン、と叩く。そして格好つけた所で戻るか、と考えた所でポケットの中でぶるり、と端末が震えた。おっと、と声を零しながらポケットの中に手を入れ、そして端末を手に取る。そこに映っているのはハイディの連絡先だった。それを見て、通話に出るべきかどうかを数秒だけ、考える。
ハイディ、割と婚約する? って聞いたらうん! と即答しそうな気がしてこのまま話すのがちょい怖いという部分がある。
「アレク?」
「いや、出るか」
迷ってから、通信を付けてそれを耳元へと寄せた。
「はーい、君の愛しい愛しいアレク―――」
『……アレクさん』
聞こえてくるハイディの声が酷かった。まるで泣きはらしたかのような、そんな声をしていた。あの時、家に居たハイディを見送った時は、少しはマシな表情になっていた。だが今のハイディはまた、少し前にあった時と同じ状態に戻っている。声が震えているのが解る。それを聞いて、ふざけるのを止める。
「ハイディ? お前今どこにいる?」
『実家、です……その、今会いたいんです……会えませんか?』
「っ……ふぅー……」
片手で軽く髪の毛を掻き毟り、そして溜息を吐く。
「待ってろ、今から会いに行ってやるから」
『……はい』
「おう、じゃあな」
端末を切って、それをポケットの中に押し込む。仕方がないなぁ、ともう一度、頭を掻いてから、エリーへと視線を向け直す。
「という訳だ、ちょっくら行ってくるぜ」
「晩御飯がもう少しでできるという所ですが……」
「悪いな、釣った魚には餌をちゃんと与えるのが立派な鬼畜ってもんよ」
それにハイディの様子、おそらくは聖王姫関連で何か、知ってしまったのだろう。そうでもなければあんな風にはならない。正直な話、イングヴァルトの家に向かう事は不安しかないのだが、それでも見捨てられる相手でもない。色男とはそこらへん、ちゃんと餌を与える事を考えて行動するのだ。そういう訳で、エリーにはすまないが、これから別の女へと顔を出しに行かなくてはならないのだ。
「アジトまでは送ろう」
「ありがとうございます、しかし―――」
エリーはそう言うと近づき、そして顔を寄せて軽く唇を重ねて来た。数秒間だけのバードキス、それから顔を放し、そのまま横を抜けて柵の向こう側へと飛び降りた。
「あ―――結構です。ただ私の相手もお忘れなく……それと
そう言ってエリーは一人で来た道を帰っていった。その様子を軽く眺めながら息を吐き、もう一度頭を掻いた。
「アイツ、人間らしくなってるんじゃねぇ……《女》になってるんだ」
あー、怖い。そう呟きながら苦笑し、そのまま後ろへと力を込めて、柵を超える様に後ろへと倒れる。頭を下にする様に後ろへと倒れ―――ビルから落ちる。空中でそのまま一回転しながら両足で音もなく大地に着地し、やれやれと呟きながら軽く体をほぐす。仕方がないか、と呟く。
「自分の女だ、掴んだのなら零さない様にしなきゃなっ」
そのまま、《外》へと向けて一気に走り出した。
イングヴァルト家。
シュトゥラ王族イングヴァルト家。それはかつてベルカと同盟していた小国の支配者の一族である。何よりも、シュトゥラは聖王オリヴィエが一時的に留学した地として非常に有名であり、覇王クラウス・イングヴァルトとオリヴィエ・ゼーゲブレヒトの間には決してつながらなかった恋があったとされ、その影響で多くの戯曲やドラマになって有名だったりする。何よりもシュトゥラの一族はハイディたちを見れば解る様に、未だに絶滅しておらず、ベルカ復権の際に大きく活動した一角でもある。
そういう事もあり、現代にもイングヴァルトの一族はその血筋を濃く残している。
その中でも最も色を濃く継承している男児、つまりは覇王クラウスと同じヘテロクロミアを発症した男児は代々クラウスの名を襲名している、という事は最近知った。その中でも女児として色濃く先祖返りの様なヘテロクロミアを持ったハイディは異端児だったらしいが。
そんなイングヴァルト家は聖王家と密接な関係にあった家であり、同時に現存している家としては最大級に古く、権威を持っているものだった。つまり、聖王教会やベルカ関連でも最も偉い所の家だと表現してもいいだろう。
その最大の理由は十二王戦争時代に、他の国王族が大体根絶やしになった事にある。ヴィルフリッドの手記を読みこんだ後ではこれは管理局が土台となる時代を構築する上で、かつてのベルカの中でも力のあった者達が残り過ぎてしまう事を恐れて間引いた可能性があるという事を書いていた。
そこら辺の話は、当時の記憶を継承しているオリヴィエか、或いは記憶を共有しているヴィヴィオから話を聞けば解る事だ。
ともあれ、そんな事でイングヴァルト家は大きな家であり、そしてハイディはかなり―――と言うよりはこのベルカの中でも有数の名家のお嬢様である。それがソフトMくっころ調教済みだという話だから、世の中酷い。本当にいろんな意味で酷い。
その結果、婚約されそうだから凄く酷い。それを祝福する側も十分頭おかしい。
ただ貴族社会はそれが利益に繋がるのであれば割と結婚や関係に関しては寛容だ。そもそも貴族社会では12で婚約、15で結婚なんてケースは珍しくなく、男で18のまま外をほっつき歩いているという方が逆に世間体が悪かったりする。
そしてそういう環境や文化に従っているのがイングヴァルト家になる。
残されたベルカの歴史の大きなピースだといえる家だからだ。
そして、当然こういう権威のある古い家には金が集まる。ダールグリュンもそうだが、それ以上なのだ、イングヴァルト家は。聖王姫の傍付きという条件を引っ張り出す時にイングヴァルト家の人間であるというだけで9割パスというのが血に由来する信頼性である。そんな家の娘であるハイディは基本、聖王教会で聖王姫と一緒に生活をしているが、無論実家に帰る事もある。
そして今、彼女は実家に居る。
ダールグリュンとは地区が違う為、廃墟都市から向かうには数時間ほど時間を要するが、イングヴァルト家が存在するのはミッドチルダのベルカ区、また別の高級住宅街の一角だ。
使われている警備システムは軽く最新式の電気式&魔道式センサー。
その上で庭には豹が放し飼いにされている。
そして家の中には達人級の使い手が最低、二人居るのを感じられる。
ある程度距離を開けて、イングヴァルト家を遠目に眺めながらそのセキュリティにうわぁ、と声を零した。流石聖王の血筋に次ぐクラスのVIP一族、警備体制も中の住人もガチ勢だぁ、と声を零す。
まぁ、古い家だからさもありなん、と声を零した。
「ま、この程度のセキュリティならないのとも変わらないけどな」
少し離れた所から片膝をつく様に道路に触れ、気配を殺しながら姿を影の中に隠し、そのまま影を変形させて、掌サイズの影魚を生み出す。それと視界を共有させ、一番面倒な放し飼いにされている雪豹の相手をさせる為に、道路という平面を伝って侵入させた。質量、魔力、重量完全ゼロの魔法は、中にあっさりと侵入する。そしてそのまま、前庭へと進んで行く。
そこでは数匹の雪豹が庭に転がっているのが見える。影魚の視界を使って空間を確認した所で、中へと入れそうな窓を見つける。
故に、雪豹の前で地面から飛び出し、影魚を跳ねさせた。
「!?」
「……! ……!」
いきなりの影が跳ねる姿に驚いた雪豹達が飛びのきながら睨むが、それに構わず地面の中を影魚に泳がせる。それを雪豹達が驚きながらも吠え、そして追いかけ始める。その様子を眺める視線を影魚に感じる。故に見た目は雪豹達が遊んでいる様に見える様に、間を移動したり、時には地面から雪豹の上を泳いだりし、豹と豹をじゃれ合うように遊ばせる。
それで雪豹達が遊び始めたと判断したのか、視線は消える。
一匹ではなく複数存在する影魚に同時に、多方向から視線を警戒し、そして見えない領域を観測させ、雪豹達の意識が別方向へと向いている間に、その知覚外の領域へと自分の意識を滑りこませ、
跳躍。
門の頂点を蹴り、庭の大地を重力を消し去って草を折る事もなく足を一瞬だけ乗せ、次の跳躍で一気に屋敷の影へとまで加速して飛び込んだ。ふぅ、吐息を吐き出しながら安堵する。ハイディが通信を入れて来たのが午後で良かった。今では夕日がほぼ暮れており、影や闇が濃く見える時間帯だ。この時間帯であれば、隠れる為の闇が大量に存在する。
「……ん? 気のせいか……」
「うーむ、この経験則に裏打ちされた直感よ」
すぐ横の窓の向こう側から男の声がした。知らない声だからおそらくは使用人かハイディの父辺りなのだろうが、濃密な気配は武人のそれ。影の中に迷う事無く飛び込んでいて良かったな、と思いつつ声を出した。少なくとも闇に沈んでいる間は誰も、何も知覚できない。故に安心して一息をつきながら、記憶からハイディの部屋の場所を思い出す。
……確か南側の3階だったな?
思い出し、影の中を壁に沿って歩き、南側に出る―――幸い、此方は影が濃く、体が外に出る事はなさそうだ。ちょろいちょろい、そう思いながら壁を見上げる。流石にここまでセンサーが張っている様な事はないらしい。故に安心して軽く跳躍し、壁の出っ張りに指を引っ掛け、それで体全体を引っ張り上げる様に一気に上へと引き投げる。その勢いを利用して足場を確保し、軽業で一気に2階、そして3階へと上がって行き、ハイディの部屋があるであろう窓へと到達した。それでも窓の縁、その端に指を引っ掛ける様にしながら、影から出ない事を気を付けつつ、片手でぶら下がりながら空いている手で蝶を生み出した。
それが羽ばたきながら室内の様子を映した。
ベッドの上で、膝を抱えて丸まっているハイディの姿が見えた。
やれやれ、と呟く。ハイディ以外に誰もいない事を確認してから体を引き上げ、そのまま窓をすり抜けて、家の中へと上がり込む。窓の縁にそのまま腰掛け、そして足を組みながらベッドの上で膝を抱え、静かに泣いているその姿を見つめた。
やがて、数秒ほどその姿を眺め、はぁ、と溜息を吐く。
「誰……ですか?」
「やれやれ、呼びつけていてそれはないだろう」
ゆっくりと、ハイディが視線を持ち上げ、そして此方へと視線を向けた。あっ、と漏れる声は果たして忘れていたからか。それとも本当に来てくれるとは思わなかったからだろうか。どちらにしろ、驚くようなその表情に苦笑を漏らしてしまった。
「アレク、さん」
「なんだ、驚いたような表情をしちまって。まさか俺が来ないとでも思っていたのか?」
「あ、いえ、それは……」
その、とハイディの声が小さくなった。そして俯きつつ、
「その……今、お互いに複雑な環境、事情がありますから……」
ハイディのその言葉を聞いて、ほうほう、と声を零し、成程、と言葉を置き、
答える。
「いいか、ハイディ、教えてやる」
とても簡単な事だ。
「―――俺はめんどくさく、そして独占欲の強い男だ。俺の女は俺のもんだ。誰にもやらないし、その喜びも苦悩も悲しみも全部俺のもんだ」
たとえどれだけ彼女たちが嫌がろうが―――関係ない。
「俺のだって理解するまで何度だって盗み出してやる」
それが唯一、そして絶対にポリシーにしてルール。そう決めた。そうであるべきだと思った。そうするしかない。ハイディも、ヴィヴィオも、オリヴィエも、全員が大事な宝物なのだから。
それだけ、とても簡単な事。それだけなのだ―――。
釣った魚にはちゃんと餌と手入れをする。鬼畜として、或いはハーレムものとしての当然の心がけ。単純に独占欲が強く傲慢であるとも言えるけどね!
ハイディちゃんがメンタル弱い? そりゃそうだもん。このハイディちゃん記憶継承してねぇーもん。そこら辺の嘆き、苦悩、怒り、苦しみは全部兄貴が持ってった。