土蔵全体に火が燃え移る前にジェレミアは帰ってきた。
30分ぎりぎりまで粘ってから帰ってきたところを見るに、相当楽しんできたらしい。見慣れたスーツから服装を替えて戻ってきたジェレミアは晴れ晴れとした顔をしていた。
「服は?」
「大丈夫です、燃やしました!証拠は残していません!」
見ると土蔵を燃料に煌々と燃え盛る炎の中に、つい30分前に着ていた服が捨てられている。ブリタニアから持ってきていたスーツと手袋は質こそ良いがもう薄汚れていた。だが火の隙間から覗き見えた服の切れ端は、薄汚れているというレベルでない。どす黒い。
何の汚れかは口にせず、ルルーシュは頷いた
「………うん。お疲れ」
「いえ、すっきりしました!」
一仕事終えた土方のように近年稀にみるほど清々しい顔をしている。ジェレミアは怒らせたら怖い男だという情報を脳に刻んでおいた。これまではいくらルルーシュが無茶や我儘を言おうと大して怒りもしなかったために気づかなかった。
これからはできるだけキレさせないようにしよう。ルルーシュは一人誓った。
「ちゃんと始末してきたか?」
「はい!」
「そうか。じゃあ行くぞ」
背筋を伸ばすジェレミアを従わせて、ルルーシュは草むらで佇むナナリーの元へと戻った。
何が起こっているのかもよく分かっていないナナリーは憔悴した顔をしていた。できることなら何の不安も無い安全な家で、温かいミルクを飲ませて柔らかいベッドで寝かせてやりたい。
しかしそんな未来は寝て伏しているだけでは絶対にやって来ない。
草むらをかき分けて歩くルルーシュの足音に気づいたナナリーは顔を上げた。
「ナナリー、すまないね待たせて」
「いいえ、大丈夫です。お兄様、もう戦争は始まってしまったのですか」
「あと数日と言ったところだろう。しかしそうなる前に逃げないと————ナナリー」
ナナリーの髪を撫でる。滑らかだった髪はこの数日のせいで艶を無くし絡まっていた。指で優しく解して整える。
「これから辛い日々になるかもしれない。食べ物も、寝るところも不便になる」
「……はい」
ナナリーは小さく拳を握った。痛みに耐えるような顔にルルーシュも胸が痛くなる。
自分よりさらに体力が無く小さいナナリーには、土蔵での生活でさえ困難だった。今以上に過酷になるだろう生活にナナリーがどこまで耐えられるのか、ルルーシュも分からない。
しかし戦争になるのならば、ナナリーには耐えてもらうしかない。
「でも俺とジェレミアはいつでもナナリーの味方だ。いいかい、何かあれば俺かジェレミアに言うんだ。体が痛いでも、熱があるでも、お腹が空いたでも。何でも言って欲しいんだ。いいね、ナナリー」
「—————ええ、分かりました。でもその代り、お兄様も何かあればちゃんと私に言ってくださいね」
「ああ、約束だ」
「約束です」
ナナリーは唇だけで微笑み、少し目を伏せながら頷いた。
よし、とルルーシュは現在の枢木邸の場所、そして地理を脳内に弾き出す。
今後ブリタニアが攻めてくれば、同じように山に逃げる日本人は多くなる。そうなれば目鼻立ちからして明らかにアジア人ではない自分達は目立つ。見つかる可能性も高まるだろう。
できるだけ他の人が通らず、ブリタニアが侵略を開始してから爆撃を受ける可能性の低いルートを考える。
結果はすぐに出た。ブリタニアはまず間違いなく海から攻めてくる。航空母艦から戦闘機を放って制空権を奪取し、一気にKMFで陸上を蹂躙しにかかる可能性が高い。
となれば人気のない参道を通って尾根伝いに海の反対側に出よう。空爆されると山火事になる可能性が高い。川の近くを通った方が良い。
「ジェレミア、荷物を持て。俺はナナリーの車椅子を押す」
ルルーシュはそう言って車椅子のグリップを握った。ジェレミアは巨大なスーツケースに詰め込まれた荷物を抱える。
「よし、行こう」
ルルーシュの号令で、3人は燃え上がる土蔵を後にした。
入口までしか行ったことのない森は深く、柔らかい土のせいで足取りは重い。先を歩くジェレミアが邪魔な木の枝や石を横に避けてくれているが、それでも移動速度は速いとは言えない。
朝日が昇る前に登山客や山菜取りの近隣住民なんかが来ない程度に奥深い場所まで行きたいのだが、慣れない山歩きはルルーシュの体力を奪っていく。滴る程の湿気と、汗のせいで服が肌に貼り付く不快感が相乗効果で体力をみるみる減らしていく。
とはいえジェレミアにナナリーと自分をおぶらせて、さらに荷物を運ばせるような真似はできない。突発的な事態が起こった際に唯一の戦闘要員となるジェレミアの体力には余裕を持たせておきたい。
自然と歩む速度は遅くなる。その分、できるだけ人が通らないルートを選びながら3人は足を進めた。
それから4時間程度は歩いただろうか。牛歩のような速度ながらも、予想通り誰にも遭遇せずルルーシュは逃亡を続けた。ゆっくりと息を吐く。
このままいけば朝陽が昇る前には川に到着するだろう。そこで一旦休憩して基地を作ればいい。
ここから先には特に名所があるわけでもなく、人が寄り付くような場所ではない。ゲンブを殺してから知らず知らずの内に張っていた緊張の糸が緩む。
しかし獣道をジェレミア先導のもと歩いている時、突如として突進する猛牛のような足音が静かな森に響き渡った。ルルーシュとジェレミアは体を強張らせた。
即座にこれまで歩いてきた道を振り返る。柔らかな土で埋め尽くされている獣道には自分達の足跡さえ残っていない。見えるのは乱立する木々だけだ。しかし軽い足音は長い間人の踏み入れていない山の土に足を取られているような気配もなく、飛んでいるような軽快さで迫り寄ってくる。
鼓動が耳元で鳴り響く。早すぎる。枢木の追手か。
「……ルルーシュ様、私の背後に」
ジェレミアは一歩前に出てルルーシュとナナリーを背後に隠した。
周囲を見るも今ルルーシュ達が歩いていたのは整備されていない獣道で、辺りには大人の腕程度の細い木がびっしりと生えているだけだ。隠れられそうな岩や太い木々などは無く、長い間人の手が加わらなかったために腐葉土のようになった土が地面を覆い尽くしているのみ。
「殺害を許可する。無茶はするなよ」
「イエス、ユアハイネス」
ジェレミアはルルーシュを背後に庇って拳銃を構えた。しかしジェレミアがブリタニアから持ってきた弾数はそう多くない。敵数が多ければ素手で相手をしなければならなくなるかもしれない。
そうなればいくらジェレミアとはいえ完全にルルーシュとナナリーを護りきることは困難だろう。ルルーシュは怯えるナナリーの前に立った。そのルルーシュの前にさらにジェレミアが立つ。
足音が近づく。激しい勢いで迫りくる足音に震えながら耳を澄ませていたナナリーは、大人にしてはあまりに軽い足音に首を傾げた。
「あれ?お兄様、この足音は」
「聞き覚えがあるのかい、ナナリー」
「はい。土と草のせいではっきりとはしませんが、これは……スザクさんの足音です」
「は?」
嘘だろう?
ルルーシュはしかしその可能性を考えた。
こちらの移動はそう速くなかった。またスザクはあんな性格だから、小さい頃からこの山で遊びまわっていた可能性は高い。ここらの森についての地理はルルーシュよりある筈だ。
さらに父親が殺害された現場に遭遇したのであれば、土蔵に死体を捨てて逃亡したルルーシュによる父の殺害を疑って追跡してくる可能性も否定できない。
追跡してきたとしてスザクはどんな行動をとる?
通報するつもりか?いやスザクは携帯を持っていない。警備兵を連れているのなら追いつくまでにもっと時間がかかっている。ならば父を殺された復讐のために追ってきたのだろうか。
いずれにせよ歓迎はできない。
「っ、ジェレミア、命令を変更!殺さず無力化しろ!」
「死ななければ良いのですか?」
「できる限り後遺症も残さない方法で、だ!」
「イエス、ユアハイネス」
ジェレミアは拳銃を懐に仕舞い仕込みナイフを取り出した。無表情のまま行われた流れるような仕草にルルーシュは顔を引き攣らせた。
普段のジェレミアはただの度が過ぎる程に真面目な気の良い青年だ。古き良きブリタニア人らしく紳士的で、大体の物事に対して勤厚に接している。
しかし仕事中、殊にルルーシュに関する軍務中は話が別だ。
ヨーロッパでもそうだったが、こいつは大事なものと大事でないものの差が酷い。そして大事なもののトップは『ルルーシュの安全』であり、二番目が『ルルーシュの命令』だ。ルルーシュの命とあらばジェレミアは生まれたての赤子でも顔色一つ変えずに殺す。
知り合いである枢木スザクもその例外ではない。
ジェレミアが戦闘態勢に入ってから数十秒後、スザクが木の隙間から姿を現した。汗だくになりながらこちらの姿を認め、一目散に駆け寄ってくる。
ジェレミアはナイフを掌に隠して腰を深く落とした。
喉が鳴る。いくらスザクの戦闘の才能が優れていたとしても、スザクは未だ人一人殺したことのないただの子供だ。ジェレミアが負けることはありえない。
ルルーシュが心配しているのは別のことだった。そうだ。スザクは優れているのだ。もしジェレミアが手加減しきれなかったらどうなるのだろう。
ルルーシュにとって一番大事なのはナナリーで、その次にジェレミアがいる。その優先順位だけは絶対に覆らない。だからジェレミアに「無傷でスザクを捕縛しろ」などとは言えなかった。もしその命令のせいでジェレミアが怪我をしてしまったら、それはこれまでのジェレミアの自分への献身を無下にすることになる。
何よりジェレミアが自分のせいで傷つくのは嫌だった。
ジェレミアが無傷でスザクを失神させることができればそれが一番良いが、しかしもしスザクが後遺症が残るような怪我をしてしまったら。
首を振る。それは自分の責任だ。
スザクが駆け寄ってくる。眉根が垂れ下がり、顔を泣き出しそうなほどに顰めている。スザクは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「ルルーシュ!大丈夫!?死んでない!?」
ジェレミアは何事も無かったかのように直立した。
無表情のままルルーシュを見やる。ルルーシュは小さく首を振り、ジェレミアはナイフを袖の内へと静かに戻した。
「スザクお前、どうして来たんだ!」
「る、ルルーシュ」
ルルーシュが声をかけるなり、スザクは親鳥を見つけた雛のようにおろおろと目を瞬かせながら全身を震わせた。酷く狼狽している。少なくともこちらを攻撃しようとする様子は無い。
ルルーシュは『突如土蔵が日本軍に襲撃されたため止む無く逃げている』という体でスザクに近寄った。
「み、見に、行ったら、土蔵が燃えてて、死体があったから、不安になって…ナナリーは無事?」
「スザクさん、私は大丈夫です」
「はぁ、よかった」
ルルーシュとナナリーの無事を確認してスザクは膝から崩れ落ちた。ルルーシュの4時間にわたる移動を1時間未満の時間で追いついたのだろう。スザクの全身は汗だくだった。
しかし汗が噴き出る程走ったにも関わらず、その顔面は蒼白だ。寒さに打ち震えているように唇をぶるぶると戦慄かせ、言葉が纏まらないまま口を開いた。
「ルルーシュ、父さんが、父さんが」
「父さん?枢木首相か。どうしたんだ」
「父さんが、殺されたんだ。家で、ぐちゃぐちゃになってた」
ナナリーは息を呑んだ。ジェレミアは痛ましいものを見るような顔でスザクを見やった。
勿論ジェレミアが痛ましいと思ったのは枢木スザクにだけだ。
ジェレミアはこれまでの人生で最も激しく呪わしい、全身の血液全てが沸騰するような怒りを30分で吐き出すべく枢木ゲンブを短い時間でできる限りぐちゃぐちゃにした。
だが四肢を千切って、目を潰して、鼻と耳を削いで、腹から引きずり出した内臓を口に詰めても滾る怒りは欠片も治まらなかった。今でも思考の奥に怒りが澱となってこびりついている。きっとこの憤怒と自分は生涯付き合ってゆかなければならないのだろう。
当然、自分のしたことに全く後悔は無い。
しかしながらスザクにあの死体を見られたとなれば、思うところが無いわけでもない。12歳の子供が見るにはあまりにショッキングな絵だったという自覚はある。暫く夢に見てもおかしくない。
全く後悔は無いが、せめて扉に鍵でもつけておけばよかった。
一人静かに自省するジェレミアの横で、ルルーシュはスザクの背中を摩った。
「ぐちゃぐちゃ?」
「手と足が、無くて。眼とか、耳とかも———っ」
「スザクもういい。喋るな」
思い出して吐気がぶり返したのか、スザクは地面に崩れ落ちて掌で口を覆った。顔色は白を通り越して青く変色している。新兵が初めて戦場で死体を見つけたような反応に自責の念が湧く。
スザクは自分のせいで、普通の子供なら体験する筈も無い酸鼻を極めた場面に遭遇する羽目になったのだ。
「吐きたいんなら吐け。その方が楽になる」
「ゔ、おぇ、」
もう何も吐くものが残っておらず、スザクは胃酸を地面にぶちまけた。
そのまま落ち着くまで背中を撫でる。
暫くしてようやくスザクは徐に顔を上げた。
「———ルルーシュ、」
「落ち着いたか?」
未だに顔色は悪いままだったが、スザクは首を縦に振った。
「ルルーシュ、僕、どうしたらいいんだろう」
「————それは、」
「父さんを殺したの、多分、日本の人なんだ。死体の横に、日本軍の人だけが持ってる日本刀が刺さってたんだ。だから多分、そうなんだと思う」
「スザク、気持ちは分かる」
「っ、何が分かるってんだよ!」
スザクはルルーシュに掴みかかった。
ジェレミアが諫めようとしたが、ルルーシュが掌で制した。怒りの矛先をどこに向けたら良いのかも分からないぐらいスザクは混乱しているだけだ。
本当はゲンブを殺したのは自分で、スザクの怒りは正当なものだ。しかしスザクがそのことに気づいていないというのならばルルーシュにとっては都合のいいことだった。
「父さんは日本の首相なのに、日本人に殺されたんだ!どうして!」
「枢木首相はブリタニアとの開戦を望んでいた。戦争をしたくないという人もいるだろう」
「でも、だったら!戦争したくないなら、人殺しだってしちゃだめじゃないか!」
「それは理想論だ。数万人が殺される事態になるくらいなら一人の人間を殺した方が良いという意見もある。それは間違いじゃない。しかし、」
「じゃあなんだよ!」
「正しくも無い。枢木首相が殺されようともう戦争は回避できない。俺たちが暗殺されかけた時点で、もう開戦することは決まっている」
ルルーシュはスザクの瞳を真っすぐに見つめた。碧の瞳は大粒の涙を幾つも流している。
スザクは心優しい純粋な子供だ。ちょっと視野狭窄なだけで、戦争も人殺しも厭う普通の子供でしかない。
首相の子供などに生まれていなかったら、そして枢木首相があそこまで馬鹿でなければこんな目には遭わなかった。
————憐れなのだろう。しかしスザクには今子供らしく怒って混乱している余裕は許されない。
「ジェレミアのおかげで未遂にはなったが、日本軍によって暗殺が行われた。それだけでもブリタニアにとっては立派な開戦の理由になる。それどころか土蔵が燃えたことで俺たちが殺されたと思っていてもおかしくはない」
「だったらルルーシュは無事だってブリタニアに言えば、」
「そうすれば俺とナナリーは殺される。今度はブリタニアにな」
スザクは言葉を失い、自嘲するルルーシュから手を離した。
せせら笑うルルーシュはいつも一緒に遊んでいるルルーシュとは別人のようだった。ずば抜けて頭は良いのだけれど、ルルーシュは年相応に我儘も言うし頑固になったりもする。ジェレミアが来てからはさらにルルーシュの子供っぽさは顕著になった。
しかし今のルルーシュは自分と同年代とはとても思えなかった。もっと年上の、冷たい人のように見えた。
「そもそも、俺とナナリーは戦争の原因となるために日本に来たんだ。日本人に殺されるために。それが生きていたとなればブリタニアにとっては不都合だ。ブリタニア軍と合流したらその瞬間に殺されて『日本人により殺された皇子と皇女の死体を奪還した』と本国に報告されるだろうよ」
鼻で笑う。
膨大なサクラダイトという資源のためなら、大量に存在する皇子皇女の内2人ぐらい捨てても問題はないとあの国は考えるだろう。
だから自分たちはこれから3人で生きていくしかないのだ。ジェレミアとナナリー以外に、もうルルーシュが心から信じられる人間はいなかった。
「だからスザク、枢木邸に戻れ」
項垂れるスザクにルルーシュはできる限り優しい声で諭した。
「枢木ゲンブが死んだ以上、枢木家の当主はお前だ。今戻れば開戦しても他のキョウト六家から保護を受けることができる」
「でも、」
「俺たちと一緒にいてもお前は何の役にも立たない。きっとお前も、嫌な思いをする。良いことは無いんだ」
納得できずスザクは黙り、地面を見つめた。
答えを出すまで待ってやりたいが、時間は許さない。
ルルーシュはできる限り早く、遠くへと逃げて、ブリタニアが日本を襲撃するまでの間、追手から逃げ続けなければならないのだ。
戦争さえ始まれば、日本は既に死んだ枢木ゲンブに構っている余裕は無くなり、生きている日本国民を守ることが最優先になる。死んだ枢木ゲンブのため、土蔵で焼死したと思われる皇族をわざわざ深い森を分け入って捜索する余裕があるのは、開戦までのほんの数日程度だ。その日数間だけ逃げ切ることができれば生き残れる確率は大幅に上昇する。
黙るスザクに、ルルーシュは背を向けた。
その瞬間ひゅるるるるるる、と、花火が打ち上げられるような陽気な音が周囲一帯に響き渡った。
その音にはどこか聞き覚えがあった。
なんだったっけと瞬間、思い悩む。
その後ろでジェレミアは懐かしい思い出を瞬時に引っ張り出し、顔を青ざめさせた。
「は?」
「ルルーシュ様!」
ジェレミアはルルーシュを地面に倒した。ナナリーも車椅子から降ろしてできるだけ頭を低い体勢にさせる。
「おい、まさか、この音」
「間違いありません!」
「対地ミサイルです!!」
スザク以外の三人が身を伏せたのと同時に、花火を打ち上げるようなどーんという音が響いて地面が揺れた。木々が文句を言うように騒めく。
揺れが収まったのを確認して直ぐに体を起こし、ルルーシュは大きな音に怯えて体を縮こませてるナナリーに近寄った。幸いこの場所は着弾点から離れていたようで、目に見えて怪我は無い。
その後もミサイルの発射と着弾の音が景気良く鳴り続ける。その音はよく聞くと遠く、少なくとも半径300mには着弾していないように聞こえた。
だとすると狙いは住宅街だろう。ルルーシュは立ち上がって走りだした。その後をジェレミアが追う。
木々が鬱蒼と茂った森を走り抜けると、見通しの良い高台に出た。視界を邪魔する木々は無く、森の麓から街並み、その向こうに広がる海までが一つの視野に収まる。ルルーシュは日本の街を見下ろした。
森の麓には住宅地が並んでいる。よく買い物をした住宅街に、殴り飛ばされた道路が網の目の様に張っている。その向こうには青々とした海が広がっている。
見慣れた住宅地は、しかしその幾つかが爆風で吹き飛んでいた。燃えた木材が飛散したのだろう、赤い炎がぽつぽつと点在しており煙を空高く吐いている。
煙を辿る様に空を見上げると蠅のように小さな戦闘機がぶんぶんと旋回していた。さらに海の向こうから黒い小さな点がいくつも迫り寄ってきている。
「航空母艦かっ」
段々と大きくなっていく点から、さらに小さな点が飛び立っていく。それら全ては戦闘機だ。大型空母だろうあの航空母艦は戦闘機のみならず、内部にKMFを格納している。
敵軍が対空戦を開始する前に制空権を奪取し、陸地はKMFで徹底的に蹂躙する。ブリタニアお得意の超速物量作戦だ。
どこの軍隊かなど疑う余地も無い。
ルルーシュは小さな拳を握り締めた。予想より早い。早すぎる。
まだ自分達が暗殺されかかってから4時間だぞ!ブリタニア本国から全速力で飛ばしても到着している筈が無い!
だとすると境界領域に既に潜ませていたのか。しかしどうやって。
日本だってレーダーくらい装備しているだろうに、警備の目を掻い潜り、何隻もの航空母艦を潜ませるなんて不可能だ。
しかし一つ分かっていることがある。
「…………あぁぁぁあああああにいいいいいうううううええええぇぇぇぇぇぇ!!!」
これは間違いなく、あのUMA・The・シュナイゼルの指揮だ。
舌打ちする。一体どこまで読んでいたのか。そもそもゲンブを唆したのがシュナイゼルだったのか。いや、ジェレミアを日本に送り込んだところからその掌の上だったのか。
いずれにせよ結果的にあのUMAのせいで、いやおかげで、………しかし感謝するのは気持ち悪くて嫌だ………とりあえずシュナイゼルによりルルーシュ達が日本軍の追手から逃げ隠れる日々は短縮された。
しかし、しかしだ。
拳を握り締める。
これでスザクがキョウト六家に保護されることはほぼ不可能となった。
「くそ、くそっ」
ルルーシュは振り返って叫んだ。
「スザク!」
「え、何?」
「一緒に逃げるぞ!」
「え、は?」
「この調子だと枢木家周辺はすぐにブリタニア軍に制圧される。そうなれば枢木家当主のお前は捕縛されて人質コースまっしぐらだ!さっさと逃げるぞ!ジェレミア!」
「はっ」
「車椅子はこの時を以て放棄する!お前はナナリーを背負え!ナナリー、ジェレミアから手を離すなよ!スザクはそこの荷物を持て!走るぞ!」
「イエス、ユアハイネス!」
「え、え?」
「その荷物には一週間分の食料が入っている。絶っ対に落とすな!お前が谷底に落ちても荷物だけは死守しろ!いいな!」
「ええと、うん」
「よし逃げるぞ!全速力だ!」
「………ええと、ルルーシュ」
「何だ!?」
「———ありがとう」
おずおずと切り出した感謝の言葉にルルーシュは一瞬目を丸くし、目を伏せた。
スザクの顔が見れない。瞼の裏にゲンブの死体が見えるようだった。
呟くようにルルーシュは答えた。
「気にするな、友達だろう」
一人身軽に走り出したルルーシュは、しかしすぐに体力切れを起こしてジェレミアに抱きかかえられて移動する羽目になった。
子供二人を抱えた青年と、大量の食糧とサバイバル用品を抱えた少年は、驚異的な速度で奥深い森の中へと姿を消した。
■ ■ ■
街並みという風を遮るものが無いためか、秋口の寒さは例年より酷く感じられる。
そこかしこで未だに煙を吐いて燃えている家があるというのに、おかしなことだとジェレミアは腕をさすった。
ジェレミアは最前線が通過し、廃墟と化した住宅街で民家を漁っていた。
もう天井も壁も無くなった家は、どこまでが玄関でどこからが居間だったかすら分からない。しかし奇跡的に残っていた服や靴のデザインから、おそらくは老夫婦でも住んでいたのだろうと推測された。
家の中心で焼け焦げた2体の死体を前に日本式に両手を合わせる。スザクもそれに倣って隣で両手を合わせた。
黙祷の後、よし、とジェレミアは声を出した。
「私は台所を探す。スザク、君はシーツや衣類を探してくれ」
「うん」
スザクは素直にジェレミアが指示した方向に向かった。
流石に1週間を超える逃亡生活で自分に対しての警戒心は薄らいだらしい。何よりそんな余裕が無くなったせいだろう。
食料も、衣類も、燃料も、何もかもが足りない。
森の中は水こそ手に入れられるが、他には何もない。そしてその水も衛生的とは言い難く、子供達にはできることなら煮沸消毒してから飲水してもらいたいが、ガスコンロの残り燃料は少ない。
ジェレミアは台所だったと推察される位置に向かい、破裂していない水道管と繋がっている蛇口を探した。
しかし奇跡的に残っていた蛇口を捻っても水の一滴も出なかった。ここら一体のインフラはブリタニアにより制圧されて供給が止められている可能性が高いというルルーシュの推測は合っているようだった。
残念に思いながら焼け焦げた棚や食器棚を探す。運よく見つけた日持ちの良さそうな焼き菓子といくつかのパンを抱えてジェレミアはスザクを探しに向かった。
「スザク、何かあったか」
「布団と服があったけど、サイズが小さ、」
スザクは息を呑んだ。
障子が燃え落ちている押入れを覗いた瞬間に、焼け焦げた小さな死体が落ちてきた。
押入れに入って遊んでいたのだろう。スザクの腰あたりまでしかない小さな死体は両手で焦げたぬいぐるみを握り締めていた。
スザクは悲鳴を上げながら死体を叩き落とした。ほとんど炭化していた死体は崩れて炭となり、焼け焦げた畳の上に散った。スザクは子供だったものが炭へと破壊される光景を目の当たりにして、震えながら地べたに倒れた。ジェレミアは目を細め、スザクを支えて起き上がらせた。
「————気をしっかり持て。慣れろ」
「な、慣れろって」
「自分が助かることを第一に考えるんだ。他のことは気にするな」
ジェレミアは床に落ちていたベビーベッド用らしい布団と、幼児用の服を抱えた。森はブリタニア兵の目から自分達を護ってくれたが、寒さからは護ってくれない。防寒のための布はいくらあっても足りない。
「そろそろ次に行くぞ」
「………はい」
スザクはのろのろと歩き出した。
ジェレミアは昔の自分を思い出した。
初陣のヨーロッパで散々な目に遭い、生まれて初めて死体を目にした。
士官学校を卒業しており、少尉として軍隊訓練を受けていた自分でさえ酷く衝撃を受けた。こんなに幼いスザクであれば尚更だろう。
それにこの戦場は、これまで経験した戦場の中でも殊更に酷い。
家から出ると焦土と化した日本の大地が視界に広がる。
焼けた家に、泣き叫ぶ子供達、路傍に落ちている焼けた死体。無数の蛆がたかっている死体に寄りすがる子供達。上空から戦闘機は無くなったが、死肉でたっぷりと肥え太った烏が旋回している。
数少ない生き残りは無言のまま民家を粛々と略奪している。彼らの目に入らないよう、ジェレミアは拾った帽子を深く被って背を丸めた。
それからいくつかの民家を漁り、見つけた食料やシーツを二人で抱えた。
陽が落ちる前に戻らなければならない。
足早に森へと戻りながら、スザクはぽつりと呟いた。
「……ジェレミアさん」
「なんだ」
こうして名前で呼ばれるのは初めてかもしれない。
散々に変態だのブリ鬼だのと呼んできたのに、いきなりさん付けとは。調子が狂う。
「人を殺したこと、あるの」
ジェレミアは歩みを止めずに口を開いた。
「ある」
「どうして」
「生き残るためだ」
「—————」
スザクは口を閉ざし、大きな背中を見上げた。
ルルーシュを暗殺しようとした日本兵を殺したのはこの人だろう。あの貧弱なルルーシュが人を殺せるとは思えない。
しかしスザクにはジェレミアが人を殺している様子が想像できなかった。
この1週間、突然逃亡生活に子供が一人増えたことへ彼が不満そうな様子を見せたことは無かった。
口が一つ増えたせいで食料の備蓄がみるみる減っていくというのに、ジェレミアは自分の食料を減らして子供3人に渡すことまでした。
ジェレミアは4人の中でたった一人の大人として、一番多く働いている。それだけでなく、大人は子供よりもっとお腹が空くだろうに。ジェレミアは文句ひとつ言わなかった。
だから認めたくは無いが、この男は優しい人なのだろう。見た目は怖いしブリタニア人だが、そのくらいのことは分かる。
でもそんなに優しいこの人でさえ人を殺したのか。なんで。どうして。
「ジェレミアさんって、強いんだよな」
「まあ。そこそこには」
そこらの一般兵に負けはしないという自負ならある。
しかしナイトオブラウンズと比較すればはっきり言ってしまえば雑魚だろうという自己認識もあった。結果的にそこそこという評価に落ちる。
ジェレミアの自己認識は貴族にしては珍しく自惚れておらず、しかし卑下する訳でも無く到って冷ややかなものだった。戦場に身を置いていると過剰な自信は浮足立たせて寿命を短くし、過度な卑下は栄達の機会を奪うと本能的に察することができるようになる。何よりルルーシュの選任騎士候補としてナイトオブラウンズと戦場を同じくすると、自身が彼らと比較し劣っていることなど言われずとも理解できた。
スザクはジェレミアを見上げた。自分よりジェレミアはずっと身長は高くて筋肉がついている。ブリタニアでの彼の戦歴は知らずとも、藤堂と同じように強い軍人だということはなんとなく分かった。
「じゃあ殺さないで済ますことってできなかったのか」
「できない」
はっきりとジェレミアは返した。
「たとえ後から殺さないで済んだと分かったとしても、その瞬間には命の危機を感じていた。ならば殺すのが正しい判断だ」
「っそんな目に遭っても、死にたくないものなの?」
「死にたくないな」
「どうして」
「死んではルルーシュ様を守れない」
4人で隠れ住んでいる洞穴まであと少しだ。
ジェレミアは荷物を抱え直しながら話し続けた。
「私は騎士だ。命の最期の一瞬まで、主君に捧げる義務がある」
「………騎士って、何?」
見上げてくるスザクの眼をジェレミアは見下ろした。
そう単純な質問をされると少し困る。
騎士とは何か。この子供が知りたいのはブリタニアにおける騎士の既得権益やKMFの操縦資格のことではないのだろう。ジェレミア自身もそういった財産や権利が騎士に直接的に関わりがあるとは思えなかった。
騎士という文化に慣れ親しみの無いこの日本人の子供にどう返答していいのか悩み、ジェレミアは迷いながらも徐に答えた。
「————主君に寄り添う者だと、私はそう思う」
「よりそう」
「騎士とは主君を助け、時に諫め、諭し、しかし絶対的に味方となる者だ。私はルルーシュ様の騎士として、そうそう簡単に死ぬわけにはいかない」
「………ふうん」
よく分かっていなさそうな様子でスザクは目を瞬かせた。
まあ、そうだろう。スザクはごくごく一般的な日本人の子供で、騎士という概念を理解するのは難しい。
ルルーシュでさえ騎士を単なるビジネスライクな部下としか思っていなかった節がある。
しかし騎士とは本来職業を指す言葉ではない。騎士とは生き方だ。そういう意味では日本のサムライやブシに近い概念なのかもしれない。
スザクは首を傾げながら、じゃあと言葉を続けた。
「もしルルーシュが死んだらジェレミアさんはどうするの?」
「復讐する」
「え」
「復讐する」
淡々とした口調の返答に絶句するスザクを前に、当然だとジェレミアは微笑んだ。
「ルルーシュ様は年齢的にみても私より先に死ぬということは無いだろう。もし私より先にルルーシュ様が死ぬと言うことは、私がルルーシュ様を護れなかったということだ。騎士として主君を護れなかったのならせめて復讐は成し遂げたい」
「———でも、そんなことをしてもルルーシュは喜ばないよ」
「分かっているさ」
スザクの頭をぽんぽんと撫でた。
「もしルルーシュ様が殺されたら、私は私のために復讐するだろう。私がルルーシュ様にお仕えしているのも決してルルーシュ様のためだけじゃない。私がルルーシュ様にお仕えしたいと望んだからそうしているんだ。結局は私のためなんだよ」
だから、とジェレミアはスザクの持つ荷物を取り上げた。
「ルルーシュ様が君と一緒に逃亡すると決めたのならば、それは私の望みでもある。スザク、君は子供なんだからそう遠慮することは無い」
「……」
「碌に食べ物も無いのに、君は働きすぎる。今日はもう休みなさい」
ジェレミアは優しい。ブリタニア人だが信頼もできる。しかしどこか恐ろしい。
周囲にあまりいなかった性質の大人に、スザクは黙ってついていった。
■ ■ ■
現在拠点としているのは森の中にある小さな山小屋だ。4人で入ると丁度良いぐらいの大きさの山小屋は、以前は近隣住民が倉庫として利用していたのだろう。のこぎりやザル、軍手などが放置されている。
ジェレミアは扉をリズムよく叩いた。
「———ジェレミアか」
「はい」
「よし、入れ」
扉が内側から開かれる。薄汚い服を身に纏ったルルーシュが中から現れた。その顔色は悪い。食料不足に加えて、ナナリーの体調が悪いことがルルーシュの気鬱の一番の原因だった。
奥へと入るとこの中で最も体力が無いナナリーがシーツの上に横たわっていた。
「おかえりなさい、ジェレミアさん、スザクさん」
「只今帰還致しました、ナナリー殿下」
「帰ったよナナリー」
スザクは民家から奪った毛布を手にナナリーに真っ先に駆け寄った。床に毛布を敷いてその上に寝転ばせる。
か弱い外見のナナリーが逃亡の日々で体調を崩してく様に憔悴しているのはルルーシュだけではない。これまで身の回りお姫様らしい女の子がいなかったスザクは、ナナリーを気にせずにはいられないようだった。
ジェレミアは物資を床に置いてルルーシュと共に確認する。少ないが食料と衣服、それと毛布が1枚あった。詰めれば子供3人なら寝られるだろう。ルルーシュはほんの少し頬を緩めて労わる様にジェレミアの肩を叩いた。
「ご苦労」
「恐縮でございます」
ルルーシュは水の入ったカップをジェレミアに出した。毛布の上で転げまわっているスザクにも渡す。
ジェレミアは手渡されたカップに目を落した。川から汲んできたのだろうが、それにしては澄んでいる。残り少ないガスを使って煮沸消毒したのであればこれは貴重な水だ。生水を飲んでもそう体調を崩しはしない程度に頑丈である自分が飲むわけにはいかない。
「ルルーシュ様、私は」
「暇だったから濾過装置を作ったんだ。燃料もとうとう尽きてきたからな。煮沸消毒していないから大量には飲むなよ」
そう言ったルルーシュの横で疲れ切っていたスザクは大量の水を一気に飲み干した。
「ルルーシュ、おかわり!」
「……まあ、スザクなら大丈夫か。ナナリーは気を付けろよ。体調が悪くなったらすぐに言うんだ」
「はいお兄様」
「ジェレミア、お前もな」
「軍隊の訓練で泥水まで飲みましたから。大丈夫ですよ」
とりあえずスザクとジェレミアに心配はいらないようだ。ルルーシュはちびちびと水を飲んだ。
その後それなりの食料がそれぞれに配分された。ジェレミアはその食料を子供達に分けようとしたが、ルルーシュから止められた。
「お前は大人なんだから、本来なら俺達より食べなきゃいけないんだ。それが俺達より食べないなんてどういうことだ。痩せるぞ」
「多少痩せても平気です」
「あのな、お前に栄養失調でぶっ倒れられたら困るのは俺たちなんだ。だからちゃんと食え。少なくとも俺たちと同じくらいは食べてくれ」
ルルーシュの珍しい懇願にジェレミアは言葉を返すことができなかった。
ルルーシュの言うことは最もだ。
もし今ブリタニア軍に襲撃されたとして、まともに戦闘できるのはジェレミアとスザクぐらいだろう。
しかしスザクはただの少年でしかない。それもどちらかというと心優しい部類に入る。襲い掛かられたからと言ってそうそう容易に“殺す”という判断は下せない。
必要と判断すれば一切の抵抗なく人殺しができるのはこの場ではジェレミアとルルーシュしかいない。そして銃弾が残り少ない現状で、ルルーシュは戦闘要員とはなり得ない。
子供達3人を、ルルーシュを護れるのは自分しかいないのだ。
ジェレミアは数枚のクッキーと缶詰という、少ないながら貴重な食料をゆっくりと噛みしめた。
「よし、じゃあ寝るぞ」
「ええ。おやすみなさいお兄様」
「もう寝るの?」
「灯りに使えるガスは残っていない。無駄な体力も使わない方がいいだろう」
そろそろ日も落ちるという時間になり、今日持ってきた毛布の上で子供3人は並んで寝転んだ。
中心にナナリー、その左にルルーシュ、右にスザク。ジェレミアは拾ったシーツや衣服を子供達の上にかけた。自分は確保した衣服を何枚か重ねて着込み防寒着の代わりにして床に寝転ぶ。
一時間もしない内に静かな寝息が立ち込めた。
床に寝転んで横並びに寝顔をシーツからはみ出している子供たちを見やる。無防備な幼い顔立ちが団子のように並んでいる様子は心を和ませた。しかし三人とも薄汚れていて、一週間前よりずっと痩せた。
シーツの中でルルーシュが蠢いた。起こしてしまったかとジェレミアが視線を背けようとするも、その前にルルーシュが目を開けた。
暗闇の中で菫色の瞳は瞬いているようだった。小さな星が瞳の中に見えたような気がした。
ルルーシュはシーツから手を出し、ジェレミアが着込んだ服の袖を引っ張った。
「お前も寝ろ」
「ええ、もう寝ます」
微笑むと、ルルーシュはジェレミアの腕を引っ張った。
「寒いだろ。詰めればもう一人ぐらい入る」
「いえ、それは難しいのでは」
「ほらシーツに入れ」
シーツをめくって手招いた。
中々入ろうとしないジェレミアに、ルルーシュは苛立ったように床を叩く。
しょうがなくおずおずとジェレミアはシーツに潜り込んだ。体の半分がシーツから出ているが、体の下に引いた毛布は暖かい。確かに床に寝るよりはマシだ。
スザクとナナリーを起こさないようルルーシュはジェレミアの耳元で小さく呟いた。
「もうすぐ移植民が入ってくる。それまでの辛抱だ」
「ええ」
もうここの地域はブリタニア軍によって殲滅され尽くしている。戦争自体はもう暫く続くだろうが、ここら辺りはすぐにでもブリタニアの占領地となってブリタニアからの移植民はすぐに増えるだろう。そうなればブリタニア人はそう珍しく無くなる。
そしてそうなればブリタニアと日本の行き来は楽になる。死んだ皇族であるルルーシュとナナリーはともかく、ジェレミアならば問題なくブリタニアに帰還することができる。
「———なあ、ジェレミア。戦争が終われば」
ジェレミアはルルーシュの言葉を遮る様に指を唇に押し当てた。
長い付き合いだ。ルルーシュが何を言おうとしているのか何とはなしに予測できていた。そしてその言葉を言うことがどれだけルルーシュにとり苦痛であるのかも理解できるつもりだった。
「この国にとっては不幸なことでしょうが、もう少しでこの地域はブリタニアの占領地となります。移植民が急激に増えれば戸籍の管理も甘くなるでしょう。その中に混じって、3人で生きてゆきましょう」
ルルーシュは喉をせり上がる感触に目を閉ざした。
どうしてこの男はここまで尽くしてくれるんだろう。
ルルーシュはどうしたってそのことが理解できなかった。明晰な筈の頭脳は空回りしてちゃんとした答えを出してくれない。自分がジェレミアのためにしたことなんて数える位で、それだって上司として当然のことばかりだった。
父親だって、母親だって、兄妹だって、こんなに優しくしてくれた人はいなかった。なのにただの部下だったジェレミアがこうして傍にいる。何もできない無力な自分を護ってくれている。だからまだ自分は生きている。
マリアンヌに初めて戦場に連れて行かされた時、世界はとっても理不尽だと知った。この世界は生きづらくてしょうがないようにできている。
でも大事な人がいつも傍にいたから前を向いていられた。
そして今もナナリーとジェレミアは傍にいる。こんな、何もできない無力な自分の傍に。
自分はどうやって報いたらいいのだろう。ルルーシュはそう考え、自分でも突拍子も無いように思えることが口を突いた。
「なあ、ジェレミア」
「はい」
「叙任式、しないか」
ジェレミアはぱちくりと目を開いた。
しかしすぐに嬉しそうに微笑んだ。
「はい」
ジェレミアはシーツからすぐに這い出た。
今すぐにとは言っていなかったのに気が早いにも程がある。
しかしルルーシュも別に嫌ではなかった。
部屋の中ではスザクやナナリーを起こすかもしれないと2人は外に出た。
空気は冷たいが凍える程ではない。住宅が全て焼け落ちたために星の光を邪魔する光が無くなり、星空が異様に綺麗に見えた。しかし遠くからは銃撃の音や悲鳴が聞こえてきて、ここは戦場であると否が応でも思い知らせてくれる。
ルルーシュは目の前で地面で臣従礼を取るジェレミアを見下ろした。
豪華絢爛な式は挙げてやれなかった。観客はいない。剣も礼服も無い。まるでままごとのような式だ。
ラッパの代わりに銃声が鳴りやまず、拍手の代わりに悲鳴が響く。ブリタニアの皇族貴族がこの光景を見れば唖然とするか嘲笑するかのどちらかだろう。
しかしこれで自分達には十分だった。自分がいて、ジェレミアがいる。叙任式に足りないものなど何も無い。
そのことがようやく分かった。ジェレミアが自分の騎士になるために必要なものはとっくに揃っていたのだ。
朗々とルルーシュは誓文を読み上げた。
「ジェレミア・ゴットバルト、汝ここに騎士の誓約をたて、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」
「イエス、ユアマジェスティ」
突如飛び出したマジェスティの呼称に驚くルルーシュに、ジェレミアは声を潜めて笑っているようだった。
驚かされたことに対する微かな苛立ちと、そして喜びに口角を吊り上げてルルーシュは何事も無かったように続ける。
「汝、我欲を捨て、我、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの正義を貫く為の剣となり、盾となることを望むか」
「イエス、ユアマジェスティ」
迷いなく返答し深々と首を垂れるジェレミアの肩にルルーシュは手を置いた。
「私、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは汝、ジェレミア・ゴットバルトを騎士として認める」
その瞬間をジェレミアはどう表現して良いか分からなかった。手先が震えて涙が滴った。
ルルーシュに認められた。これで自分はルルーシュの第一の騎士だ。
権利も、金も、名誉も、そんなものは今やどうでもいいことだった。欲しくないとまでは言えない。しかしそれらがどれだけ容易に失われるのか多くの人は気づかない。もっとずっと確かで稀有なものをジェレミアは手に入れた。
ルルーシュという人物を誰よりも見続けてきたジェレミアは、彼の存在の傍に寄り添い続ける権利を得たことを何よりも歓喜した。
差し出された白い手に口付けを落として、ジェレミアは強く瞼を結んだ。