「ジェレミア」
「は、」
「妙だ」
「と、言いますと」
「何故こんなに敵兵が少ないのだ」
瓦礫を蹴飛ばしながらルルーシュは首を捻った。
「奇襲とはいえ敵兵はたった40名。KMFが配備されていない小基地ならともかく、ここはそれなりの人員が確保されている拠点地だぞ。結局すぐに殲滅されてしまった。だというのに第二陣は来ない」
「……確かに妙ですね」
「第二陣に人員を回す余裕が無いのか。しかしそれならば、なぜ貴重な人員を割いて第6から8拠点を狙ったんだ。ここは前線の少し後方で物資もそれなりにあるが、ここを潰しても大局には変化は無い。ただ………この拠点のすぐ後ろには第1駐屯地がある」
「しかしシュナイゼル殿下がおられる第1拠点は最優先で警護されております。むしろこの第6拠点が襲撃を受けたことにより、第1駐屯地はさらに警備を厚くしたとのこと。EU軍は近寄ることもできません」
確かに第1駐屯地にはKMFが多数配置され、シュナイゼルの親衛隊が24時間警備を行っている要塞だ。
襲撃はまず不可能と考えていい。
自分ならどうする?
EUは既に虫の息だ。だらだらと戦闘を長引かせているせいで土地は荒廃し、資金も尽きて来ている。ベテランの軍人達は消耗され尽くし、残っているのは若すぎる兵士か、前線に足を踏み入れることのない士官ばかり。
そんな状況で逆転の一手を打つには、最高司令官を殺害するしかない。
駐屯地の司令官をいくら殺しても意味は無い。いくらでも替えはある。
シュナイゼルという天才がEUに居座っている限り、この戦争はブリタニアの主導で進み、ブリタニアが必ず勝つ。たった数年で広大なEUを瀕死になるまで叩きのめしたシュナイゼルは、EUにとって存在そのものが悪夢に等しい。
もし自分がEUの兵士ならどうやってシュナイゼルを殺す?
ブリタニアの最大級の手厚い保護を受けているシュナイゼル。ミサイルも襲撃も、全て届く手前に察知されて撃ち落とされる。
自分がテロリストならどうやってシュナイゼルを殺そうとするだろう。
思い至った可能性に鼻を鳴らした。
「シュナイゼル兄上に通信を」
「司令部に通信がございます。すぐに手配致します」
「それとこの男についての情報をとにかく集めろ」
端末から一人のブリタニア軍人の情報を取り出した。
「この男は?」
「EUと密通していた可能性が非常に高い奴だ。この男についての情報をとにかく集めろ」
「承知致しました。すぐに」
「この男は既に死亡しているから、関係者を集めて隔離しておけ」
「拠点の近くに簡易収容所があります。そちらに近しい関係にあった者達を隔離しておきます」
「30分以内に済ませろ」
「はっ」
淀みない返事を受けて、ルルーシュは背をぴんと伸ばして先を見据えた。
廃墟に淀んだ硝煙の臭いを胸いっぱいに吸い込んだ。
簡易司令本部に足を踏み入れるなり、ルルーシュは良く通る声を張り上げた。
「私はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、神聖ブリタニア帝国第11皇子である。今この時より私が第6、7、8駐屯地の指揮を執ることに決定した。これは皇帝陛下の命である!現在ここの指揮を執っているのは誰か!」
腰ほどまでの背丈しかないルルーシュの命令に、その場にいた軍人達は疑問も無く首を垂れた。
他国の軍人が見れば異様な光景であっただろうが、皇族が絶対であるブリタニアにとっては当然とも言える対応だった。
皇族絶対主義。それが長年繁栄を続けてきたブリタニアを支える大きな支柱である。
道理を理解していなくて当然の幼子であろうとも、皇族であるというだけで大きな権力と、それに比例する責任があった。
ルルーシュの前に一人の男が膝をついて首を垂れた。
「畏れながら、私が現在6から8駐屯地の指揮を執らせて頂いております、第8駐屯地副司令官ノート・マクスウェルであります。階級は中佐であります。お目にかかることができ誠に光栄にございます、ルルーシュ殿下」
「そうか。司令官が軒並み行方不明となる中、迅速な対応大儀であった」
「勿体ないお言葉でございます」
「今この時を以て私が第6から8駐屯地の司令を務める。これは皇帝陛下の命である」
「御意にございます」
「ご苦労だった。顔を上げろ」
最後に一度深く首を垂れたマクスウェルは機敏な仕草で立ち上がった。
まだ中佐としては若く、30代中頃だろう。しかし髪には白髪が交じっており、よく日に焼けたゴリラのような顔をしていた。ルルーシュはどこかで見たことがあると思い、先日の皇帝陛下誕生記念パーティーで挨拶を交わした貴族であることに気づいた。
確かクロヴィス一派に属する、子爵の階位を持つ男だ。
元々は平民だったが、指揮能力や高い人望により実力で爵位を手に入れた経歴を持つ、生真面目な男だ。
しかし生真面目過ぎる洒落の通じない性格と、巌のような厳つい外見のせいで、ロマン主義に傾倒するクロヴィスとはあまり反りが合っていないようだった。
ルルーシュはその男を記憶に留めておくことにした。利用できる種はどこにでも落ちている。どれだけ拾い上げ、どれだけ有効に使うかで勝負が決まる。
ルルーシュの敵はEUでも、ましてや中華連邦でもない。もっと身近な、気を抜けば殺されてしまうような近さにいるのだ。手駒は多い方がよかった。
「現在の状況について情報が欲しい。司令室に案内しろ」
「承知致しました。こちらへ」
「ジェレミア」
「はい」
「ついてこい。ああそう、俺の副官はこいつに任せることに決めた。俺に連絡が付かない間、伝達事項などあればこいつに伝えろ」
「承知致しました。ジェレミア卿、後ほど暗号化されている無線機をお渡しします。司令本部より連絡する際にはその無線機を使わせて頂きます」
「了解しました」
最大級の礼を持ってルルーシュに尽くし、自分にさえも敬語で話す中佐を見て、ジェレミアは困惑を抱いた。
選任騎士の地位は軍の階級の中で突出している。しかし皇族の選任騎士候補であると言外に示されただけで、こうも扱いが変わるとは思ってもみなかった。
いつも無邪気で、遊び相手になったりもするルルーシュはやはり皇族で、皇族は軍隊では大将クラスの扱いを受ける。
そして選任騎士の軍隊での階級は皇族の次に値する。
ジェレミアは、自分はルルーシュの選任騎士になるのだろうと漠然と思っていた。それは思い上がりではなく、そもそもルルーシュのまともな騎士候補は自分しかいなかった。他は皇族にあやかりたいという馬鹿か能無しばかり。
いずれ自分はルルーシュの騎士となり、その才覚でのし上がっていくルルーシュをいつまでも護っていくという未来図を描いていた。
そして今、その未来がほんの少し手前に来た。ルルーシュは駐屯地の司令官という座に就いた。そして自分は、その補佐だ。
目の前でルルーシュに頭を下げる、自分より遙かに上位の地位にあった中佐を見て思う。彼は今や言外に選任騎士候補であると宣言された自分より下だ。その姿を見てジェレミアは少なからず動揺した。
たとえルルーシュの足を引っ張り、その才を食いつぶすゴミ虫のような存在でも、ルルーシュの傍にいれば勝手に浮き上がってしまう。ルルーシュの皇族という地位を初めて身近に感じ、ジェレミアは自分にルルーシュの騎士に相応しい能力があるのだろうかと自問しなければならなかった。
ルルーシュも人間で、しかも子供だ。失敗もするだろう。そんな時自分はルルーシュを諫めながら全体を俯瞰し、政治状況を見定め、自分より軍歴が長い猛者達をまとめ上げなければならない。それが彼の人の騎士として最低限のラインだ。
傍にいてその身を護るだけではだめなのだ。大将の補佐として有能でなければ。大軍を指揮する能力を有しながら、ルルーシュの思考についていける程に聡明でなければ、騎士である意味が無い。
ジェレミアはルルーシュの騎士の座を他の誰にも譲る気は無かった。であれば、もはや後は努力と意地の問題だ。
誰よりも優秀であり、誰よりもルルーシュの意向を理解しなければならない。ジェレミアの脳はひんやりと冷たくなり、同時に歓喜に沸き立った。それは何よりもジェレミアにとり幸せな仕事だった。
■ ■ ■
元々大佐が使っていた司令室から金目の物は全て盗まれていた。逃げ足の速い司令官は、敵前逃亡は銃殺刑だと気づく程度には頭が回る男だったらしい。
だが皇族が来るということを伝令より聞いていたマクスウェルはすぐに部屋を片付けさせ、一見するとそれなりに豪華な部屋に見えるように整えさせていた。
しかしルルーシュは部屋の調度品など見向きもせず、「狭すぎる」と言い放ち、30人以上が同時に端末を操作できるような、もっと広い部屋を用意するよう即座に命令した。
部屋はあるにはあるが、襲撃後の混乱で荒れに荒れている部屋ばかり。
内心で滝の汗をかきながら、マクスウェルはルルーシュの要望に沿った部屋に案内した。
そこは端末が大量に配備されておりそこそこに広いが、激務をこなす下士官の仕事場であったため、書類に埋もれかかっている上に煙草臭い。
部屋に通された直後、ルルーシュは顔を一瞬顰めた。マクスウェルは脳内で血の気が引く音を聞いた。
「も、申し訳ございませんルルーシュ殿下。すぐに掃除をさせますので暫く先ほどの部屋でお待ちを、」
「そんな時間は無い。ここでいい。しかし邪魔だな・・・」
書類の束をどかしながらルルーシュは椅子に座った。白い指先に埃が付着したのを見て、何を言われるのかとマクスウェルは気が気でなかったが、ルルーシュは気にもせず淡々と自分の居場所を作っている。
選任騎士候補である筈のジェレミアも、ルルーシュが埃に塗れ始めていることを気にもせずその前に大量の端末の画面を並べ始めた。
「マクスウェル中佐」
「は」
「司令部に所属していた人間を一人残らずここに集めろ。あと6から8番駐屯地の状況について、とにかく情報を集めるんだ」
「承知致しました」
さて、とルルーシュは一斉に光り始めた端末を前に笑みを作った。
碌な人脈も領地も持たないヴィ家の唯一の資産は能力だ。電子の世界において、ルルーシュは他のどの皇族より広大な人脈、領地を所有していた。
「ジェレミア。気を抜かずついてこいよ。遅れたら置いていく」
「イエス、ユアハイネス」
いつものようにジェレミアは微笑んだ。
KMFを自作すると言った時も、庶民の生活を見に行くと言った時も、射撃を習いたいを言った時も、ジェレミアは同じような顔で笑うのだった。
ルルーシュに忠告することはあっても否定することはなかった。
どこに行ってもジェレミアはついてきた。そしてこれからもついて来る。
ルルーシュはその点においてジェレミアに絶大な信頼を置いていた。
シュナイゼルへの通信が繋がるまでには時間がかかる。繁忙さにかけては皇帝を上回るシュナイゼルへ連絡を取るためには、兄弟であれ数時間は待たされるのが常であった。ルルーシュのような皇位継承権が低い皇子であれば尚更だ。
その隙を利用してルルーシュは現状の把握に努めることに決めた。何しろ情報が足りない。
端末の画面を5つ並べて読みながらルルーシュはマクスウェル中佐の報告を聞いている。報告の合間に質問をしながら、指先は視認も難しい速度でキーボードの上を踊っていた。
司令部に所属していた士官から全てのE.U.駐屯地について一通り報告を聞き終わった後、ルルーシュは視線を画面に向けたまま指示を出し始めた。
幼子特有の甘く高い声が部屋に朗々と響いた。
「ルーファウス少佐、戦場でKMF搭乗経験があり、今すぐに動ける者を少なくとも20名以上20分以内にここへ集めろ」
「イエス、ユアハイネス」
「デルマリア少佐、全てのKMFに対空砲を装備させろ。すぐにでも稼働できるよう調整しておけ」
「全てのKMFとなると2時間はかかりますが、」
「最新式から順に取り付けろ。ナイフなどの近距離戦闘武器は必要ない。軽微な損傷は放っておけ。少なくとも20機は1時間以内に済ませろ」
「イエスユアハイネス」
「リーインハート中佐、6から8駐屯地に配備されているレーダーと対空砲に欠陥があった」
「本当ですか!?」
「嘘を言ってどうする。既にシステム部分は直した。技術班に再確認を頼む。あと他のシステムに不備がないかチェックを」
「イ、イエス、ユアハイネス」
「マクスウェル中佐、前線に出ている部隊はあとどのくらいで戻る」
「あと40分で帰還致します」
「帰還次第エネルギーを充填させておけ。無傷、軽傷者はそのままKMF内で待機。指示を待てと伝えろ。中傷者以上はすぐに医務室・・・は空爆されたか。簡易医務室へ連れていけ」
「イエスユアハイネス」
「ジェレミア、シュナイゼル兄上との通信はまだか」
「あと3分程度で繋がります」
「よし」
緊急事態だというのに思っていたより通信が繋がるのが早い。
シュナイゼルがルルーシュを気に入っているとしても、戦場で私情を持ち出すような人ではない。そもそもあの人に私情はあるのだろうか。そもそも人なのだろうか、あの兄は。
シュナイゼルについて考え始めると、人という生物の定義から生物学と哲学を交えて議論しなければならなくなるため、一端置いておく。
ルルーシュは端末から現状を示す航空写真を眺めた。
ブリタニアのE.U.侵攻の拠点が痘痕のようにイギリス州とポルトガル州に蔓延っている。
フランス州との県境を横たわるように前線が帯を描いており、第1駐屯地はその後ろ、スペイン州のど真ん中に座り込んでいる。
前線ではないが後衛拠点とも言い難い場所にある第1駐屯地は、前線に指示を出し易く、前線にいる部隊が大急ぎで撤退すれば3日で到着する場所にある。
そして第1駐屯地の防壁となるように、第4から第10駐屯地が弧を描くように並んでいる。
ここ数日でブリタニアは前線をさらに押し上げており、EUの首都であるパリを食い破らんと前へ、前へと進んでいる。
この制圧戦はスペインを制圧した時点でE.U.の最高権力機関である四十人委員会と交渉を始め、イギリス州をブリタニアの領土として終了する予定だ。
この目標が達成できなければシュナイゼルは大きくその地位と信頼を落とし、エル家の権勢は陰りを見えるようになるだろう。
まあ、ルルーシュにはそんなことはどうでもいい。
シュナイゼルが失敗するという想像は困難を極めたが、もしシュナイゼルがイギリス州の奪取に失敗したとしても、中華連邦と目糞鼻糞のレベルで腐りきっている四十人委員会がこれ以上の戦争を望むとは思えない。
E.U.など、国民の権利を守るために戦争を止めて結果的に国民を見殺しにする、腐った衆愚政治の糞ったれどもの成れの果てだ。
認めるのは癪だが、それなりに優秀な皇帝であるシャルルとその後継者であるシュナイゼルがいる限り、EUにはブリタニアに弄ばれる運命しかない。
カリスマ性と軍事力と政治力を併せ持つ、どこの国籍にも所属しない正体不明の男が突如として現れてテロリストとして活動を始め、EUか中華連邦を中心とした巨大国家を造り上げるような、どう考えても起こり得ない奇跡が発露するか。
もしくは突如としてシャルルとシュナイゼルが急死するか。
いずれかの可能性しかEUがブリタニアに勝つ道は無い。
しかしシャルルはブリタニアから一歩も出ず、居場所さえ正確には分からない。さらに傍には常にナイト・オブ・ワンが控えており暗殺はほぼ不可能。演説最中に興奮し過ぎて脳溢血になるよう祈る方が建設的だ。
そしてシュナイゼルの方はエル家が常時鉄壁の防御を敷いている。
エル家は、エル家における唯一の皇族であるシュナイゼルの身に僅かながらでも危険が迫ることを絶対に許しはしない。
皇位継承権第2位を持つ不世出の鬼才、シュナイゼルが皇帝になり子供を作る前に死んでしまったら、今後エル家はクイーンマザーの生家どころか二度と日の目を見ることが出来ない可能性すらある。
皇位継承権第1位のオデュッセウスが碌な軍務もこなしていないというのに、僅か19歳のシュナイゼルがEU攻略に大抜擢されたのも、シュナイゼル個人の能力だけではなくエル家の猛烈なプッシュによるものが大きい。
これまで散々に権勢を揮ってきたエル家の敵は、両手足の指を足して3倍にしても足りない。シュナイゼルという旗頭が倒れた瞬間に、エル家の貴族たちは有象無象に引きずり降ろされて素っ裸でペンドラゴンから追放されることだろう。
とにかくシュナイゼルには早く皇帝になり、子供を作り、その子供を次代の皇帝として、永遠なるエル家の栄光を保証してほしい。してくれなければ滅んでしまう。
なんとかしてくれシュナイゼル。皇帝になってくれシュナイゼル。早く子供を作れシュナイゼル。皇帝として世界征服を成し遂げてくれシュナイゼル。
僅か19歳の子供に背負わせるにはあまりに重い責務なんじゃなかろうか。
ああ、お気の毒に兄上。
他人事のように御年9歳のルルーシュは紅茶を啜った。
しかし紅茶とはとても呼べない酷い味に思わず顔を顰めた。薫りもしなければ味もない。色のついた水のような何かのように思えた。何とか飲み込みはしたが、まだ水の方がマシだと思えるようなものだった。
何故誰も文句を言わないのかと周りを見るとルルーシュ以外は水しか飲んでいない。
手元の温かい紅茶に眼を落した。
ジェレミアは周囲に聞かれないようルルーシュの耳元に口を寄せた。
「ルルーシュ様、大変申し訳ございませんが紅茶の味について今は我慢して下さい」
「分かっている。物資が滞っているんだろう?文句などないよ」
「————ここはアリエス宮ではございません。ルルーシュ様が気に食わないという顔をしただけで、紅茶を淹れた兵士一人の首が飛ぶこともあるのです」
一瞬愕然となり、ルルーシュはジェレミアを見つめた。
ジェレミアは微笑んでいた。戦場のど真ん中で皇族に諫言しているような顔ではなかった。ただ報告をしているだけのような自然な作り笑いだった。
そうだ。シュナイゼルだけではない。自分も皇族なのだ。
背負っているものは遙かに軽いかもしれないが、挙動一つで簡単に人を殺せる立場にある。
だからいつだって自分は警戒されている。表情一つ、指の動かし方一つ。
「———うん」
ルルーシュはカップを置き、不機嫌な顔をすぐに消した。
「軽率だった。今後も頼む」
「いえ」
人に見られることを前提として作っている微笑みに、ジェレミアの貴族としての能力の高さが見て取れた。
ルルーシュもジェレミアを見習い微笑んだ。
皇族がそう言わなくとも、気を利かせたつもりで取り巻きが物を壊したり人を殺したりすることは嫌になる程によくあることだ。
ルルーシュは目を伏せた。学ぶべきことはあまりに多い。
「通信繋がります!」
合図と共に画面が光った。
紫苑色の瞳をした、美しい男が画面に出てきた。涼やかな微笑みを浮かべているが、ルルーシュはどうしてもこの兄の容姿を好きになれない。ふわふわと地面から10cm浮いているようで、現実味を感じないのだ。
ルルーシュはいつかあの綺麗な顔が二つに割れて、中から宇宙人が出てくるのではないかと予想している。
『やあルルーシュ、久しぶりだね』
「お久しぶりですシュナイゼル兄上。ご健勝のようで何よりです」
『ありがとう。君も元気そうでよかった』
いつも優雅な所作を崩さない兄は、戦場でも変わらず優雅な様子だった。
このままでは延々と挨拶を繰り返してしまいそうだ。苛立ちを隠すために一つ息を吐いた。
「兄上、話したいことはいくらでもあるのですが現状が現状です。ご無礼を承知で手短に提議させて頂きたい」
『いいよ。なんだい?』
まるで誕生日の玩具を強請られたような口調で話した。
ルルーシュは画面向こうのシュナイゼルを見据えて口を開いた。
「ブリタニアへの帰還は延期して下さい。爆撃されます」
シュナイゼルは少し目を見開いて、すぐにまた同じような顔で微笑んだ。
『耳が早いねルルーシュは。どこから私の帰還について聞いたのかな?』
「予測したまでです」
事実その通りなのでルルーシュは口を閉じた。
微笑むシュナイゼルの頭の中で、ヴィ家に情報を売る可能性のある部下がリストアップされているのだろう。
しかしそんなことはどうでもよかった。ただシュナイゼルに今死なれると困る。
『そうか。ルルーシュは頭がいいねえ』
「恐縮です」
『でも母の実家がうるさくてね。過保護で困るよ。ここは大丈夫だと言っているのに』
「兄上はエル家の至宝ですから。無理もない事です」
『至宝というのならこうして振り回さないで欲しいのだけれどね。それでルルーシュ、爆撃というのは?』
先を促され目を細める。
勝負はここからだ。ここで失敗すれば、シュナイゼルの意識がルルーシュに向くことはこの先一生無い。
刃の切っ先のような薄い紫色の瞳に見据えられて、ルルーシュは艶然と笑みを浮かべた。
「先ほど資料をお送りしたように、第6から第8駐屯地が襲撃されたのは内部犯によるレーダーの誘導機能の破壊工作によるものでした。この実行犯は既にマリアンヌ皇妃殿下により処分されており、残念ながら情報を引き出すことはできませんでした。内部犯の経歴より協力者の可能性のある者たちをリストアップし、その内第6から第8駐屯地にいた者は既に隔離しております。しかし、」
『他の駐屯地はまだ手付かず。そして第1駐屯地にもいる、と』
「はい」
顎に手をやり考えるシュナイゼルに、ルルーシュはできる限り淡々と聞こえるよう努めて声を抑えた。焦っている司令官程に見苦しいものは無い。
「もちろん第1駐屯地のセキュリティが他の駐屯地より優れていることは承知しております。しかしながら他の駐屯地で成功した奇襲を、シュナイゼル兄上が目と鼻の先にいる現状で実行しない理由がE.U.側にはございません。それも兄上が航空機に搭乗しているという格好の撃墜日和にもたもたとしているような連中ではないでしょう」
『———すぐに戦闘機に対しての防衛レーダーをチェックさせるよ。不備が無ければ、』
「申し訳ございませんが、既にこちらでチェックさせて頂きました」
今度こそシュナイゼルは大きく目を開けて、驚いた顔をした。
つい先日チェスでボロ負けしたルルーシュはほんの少し溜飲が下がった。
「誠に勝手なことをしてしまい申し訳ございません。しかし」
『ハッキングしたのか?』
皇族にしてはロイヤルパープルの色が薄いと揶揄される瞳に睨まれる。
表情は怒ってはいない。しかし氷の彫像のように厳しい。
「しました」
『いつ』
「先ほど。10分ほど前に」
シュナイゼルは背後を振り返った。シュナイゼルの副官であるカノンは焦りながらも口を開いた。
『セキュリティに問題はありません。外部からアクセスされた履歴も無いです』
「セキュリティに問題があったのです。だから私が入れた」
こちらの勝ちだ。
シュナイゼルはルルーシュの敵ではない。しかしエル家はルルーシュの敵だ。ヴィ家はエル家に負けられない。ナナリーのためにも、ジェレミアのためにも、ヴィ家は擦り潰されるわけにはいかないのだ。
これは戦争だ。
「兄上、ブリタニアへの帰還は思い留まって下さい。第6から第8駐屯地の迎撃を潰したE.U.空軍は私達の上空を通り、防衛レーダーを掻い潜ってそちらに向かいます。必ず。それも恐らくはあと2時間後に」
『——私がここを発つ予定時間か』
「そうです」
『分かった。では私は陸路でポルトガル州に逃げさせてもらおう』
思い切りのよいシュナイゼルの決断に、カノンは弾かれたように立ち上がった。
移動方法も行き先も変更となってしまった以上、物品や人員、ありとあらゆるものが全て変わる。あと2時間で間に合うかはぎりぎりだろう。
組んだ両手を握り締める。ここでさらに突き詰める。
「こちらでもできるだけ時間は稼ぎます」
『時間を稼ぐ?』
「ええ。戦います」
『失礼だが、第6から第8駐屯地の戦力は微々たるものだろう?それに相手は航空機だ。KMFが主力の駐屯地では相手にはならない』
「あと2時間では安全地帯までの退避は困難でしょう」
ルルーシュは端末を睨みつけた。お綺麗な男だ。しかし腹の中は間違いなくどす黒い。
ここは戦わなくては死ぬ場所だ。まだここで生きているシュナイゼルは、これまで吐き気がするほど戦ってきたに違いない。それこそ自分では想像もできない程に。
「私は戦います。心配ご無用」
『そうか。分かった。ではまた』
ふつりと切れた端末を押しやり、ルルーシュは立ち上がった。
「技術班の所へ行く、案内を!」
■ ■ ■
レーダーが小さく音を鳴らしながらその存在へ警告している。
司令部の一部屋、生き残った士官達に囲まれて、ルルーシュは画面の上で見事な列を作っている戦闘機を示す赤い光を見下ろしていた。
ルルーシュを中心に輪っかを描く20人以上の軍人達は、緊張と疲労で汗に塗れた顔を隠そうともせず、固唾を飲みながら画面を睨みつけている。
その中で最も鼻息荒く画面を食い入るように見つめているのはロイドだった。
この2時間でこの男は前代未聞の技術を実用してみせた。この世界にロイド以上の天才はそうはいないと痛い程に理解した2時間であった。
高高度を飛んでいる筈の戦闘機は小さな赤い染みのように画面の上を進んでいる。そのすぐ前方に、青い点が待ち構えるように並んでいる。
青い点はKMFだ。ブリタニア軍が誇る世界最高峰の陸上兵器は一糸乱れることなく陣形を作っている。
その一番先頭に立つ一点。軽くタップすると、【Lord Gottwald, Call or Not】と出る。Callを押す。
「第1班隊長ジェレミア、聞こえるか」
『イエス、ユアハイネス』
マイク越しの声に不安は無い。
そしてルルーシュの権力でもって、これまでの自身の努力を蔑ろにするかのようにあっさりとKMFへの搭乗許可が出されたことへの不満も無かった。いや、もしかしたらあるかもしれない。
だがジェレミアはそれを上手く隠していた。惑うことのない返事にルルーシュは力が満ちてくるのを感じた。
「よし、では各班所定の位置につけ」
『イエスユアハイネス!』
今頃外は真っ暗だろう。
上空から発見されることを恐れて、照明をつけることが許されなかったKMF搭乗者達は心細い思いをしているに違いない。
さらにこれから狙撃するのは、上空5000m付近を飛行している視認できない戦闘機だ。
だがそれでもいい。当たればよいのだ。当たれば。
すでに仕込みはしてある。あとはロイドの技術と、狙撃者の気力と技量の問題だ。
あと10分。
ルルーシュはこの通信が繋がっている全てのKMFへの通話を入れた。
皇族直々の鼓舞にはそれなりに士気高揚の効果がある。できることは全てやっておかなくてはならない。
大きく息を吸い込む。小さな手に血管が浮き上がるほどマイクを握り締め、割れ響く歌のような声を上げた。
「諸君らよ、準備は整った!当初の予定通り、諸君らはこれから10分後に通過予定の戦闘機を対空砲で撃ち落とす!厳しい訓練を積んできた諸君らならできる。できない筈が無い!目標は諸君らの手元に必ず現れる!
約束しよう、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名において諸君らは勝利する!我がブリタニアへ泥を付けたEUを地面に叩き落したという栄誉と共に帰還することができる!
我を信じよ!さすれば必ず勝利の栄光は頭上に輝かん!全班構え!」
全40機のKMFが対空砲を宙に構える。世界最先端のレーダーが全てのKMF内でちかちかと瞬いている。
拳を握り締める。画面を睨む。
赤い点が近づいて来る。まるで散歩でもしているような優雅な速度で、子供が虫を踏みつぶすように、第6駐屯地の頭上を飛び越えようとしている。
「まだだ、まだまだ」
一人ルルーシュは自分に言い聞かせた。
高揚していることを自分でも自覚できた。
これも戦場。部屋に満ちている興奮が渦となりルルーシュを中心として膨らんでいた。
KMFに搭乗しているパイロット達の脳内で小さな皇族の鼓舞が反響するように響いていた。
画面に表れている赤い点を見ながら、あの子供が予想した通りに物事が進んでいる事実へ冷や汗と共に引き攣るような笑みが浮かぶ。
たとえ皇族でもまだ子供だと侮る気持ちがあったことは否定できない。しかし聞かされた作戦、そしてこの短時間でそれを可能にしてしまう才覚。そして圧倒的なカリスマ性と、ルルーシュには仰ぎ見るに相応しい威厳があった。
彼が率いてくれるなら勝てるかもしれない。いや勝てる。勝てて当然だ。
何故なら我らはブリタニア軍。それも現在は皇族直轄下の軍隊である。
何がEU。衆愚政治の残り滓が。あんな無能で野蛮な輩が皇族を攻撃するなどあってはならないことだ。
我々がシュナイゼル殿下をお守りするのだ。ルルーシュ殿下の指揮の下で。
我々は尊い皇族のために戦う、ブリタニアの騎士なのだ!
「まさに、英雄の雛」
戦場カメラマンとして軍に同行していたディートハルトは、部屋の片隅に佇みカメラを構えて小さな皇子を眺めた。
「面白いお方だ」
焦点を幼い顔に絞る。まだ凛々しいというより可愛らしい顔だ。
しかしおそらく近いうちに、この可愛い子供は化け物になる。
あとたった数年しか保てないだろう皇子の可愛らしい容貌を、ディートハルトはじっくりとカメラで撮り続けた。
赤い点滅が射程圏内に入った。
マイクを握り締め、高らかに言い放つ。
「撃てぇえ!」
号令と共に澄み切った夜風を砲弾が切り裂く。
KMFであるからこそ射出可能な、200mm越えの巨大な砲弾が5000m上空へと一瞬で舞い上がった。
第1駐屯地へと向かっていた戦闘機は着弾寸前に砲撃に気づき、散開しようとした。
しかしその途中でコントロールを失う。
まるでエネルギーが突如空になってしまったように、戦闘機はくるくると重力に負け地面に落下していく。
パイロットも何が起こったのか理解していないだろう。当然だ。
実戦で使用されるのは世界初。未だ理論上可能であるとしか思われていなかった、間違いなく世界最先端技術。開発したのはドイツのラクシャータ博士だが、ブリタニアにもラクシャータ博士に負けず劣らずの天才が一人いる。
ロイド・アスプルンドだ。
「そう、命中などしなくてもいいのだよ!」
きりもみ状態で落下していく戦闘機に向け、地上から銃弾の雨が放たれる。
ほぼ全ての戦闘機が空中で爆散した。脱出したパイロットの白いパラシュートがひらひらとハンカチの様に揺らめく。
「この駐屯地にロイドがいるからこそ可能だった、ゲフィオンディスターバー搭載の対空砲!有効範囲は砲弾の半径30m!直撃しなかろうと意味はない!」
赤い点は全て消え去り、青い点は全て点灯したままだった。
「ぜ、全機撃墜しました!」
損失ゼロ。敵戦闘機は一機残らず撃墜。圧倒的な勝利だ。
ゲフィオンディスターバーという反則技があっての情けない勝利とも言えるが、生き残った方が勝ちだ。詰めていた息が安堵とともに体から抜け出ていく。
部屋に喝采が溢れる。士官達は汗だくの顔をしたまま互いに抱き合っていた。
ルルーシュも満足気に椅子にもたれかかった。
勝った。天井を仰ぎ見る。
これでシュナイゼルに大きな貸しができた。それに初陣でこの勝利なら今後の他の皇族への牽制にもなる。
気付かないうちに緊張していたのか机にへばりつきそうになったが、山ほどに高いプライドのため耐えた。
脱力した手をなんとか動かしてマイクを掴む。
「よくやった諸君。しかしもう一息だ。KMFは全機そのまま」
「それには及びませんよ、ルルーシュ殿下」
喝采ばかりが響く部屋には似つかわしくない冷たい声だ。振り向くと、銃口が付きつけられていた。
反射的にしゃがむ。数秒前まで眺めていた端末の画面に穴が開いた。
ひ、と意味のない言葉が漏れる。血の気が引いた。
何が起こった。
撃たれたんだ。殺されかかった。なんで。分からない。
喉奥で悲鳴が零れる。手足が震えていうことを聞かない。
目の前で起こったことが信じられないのは、部屋にいた士官達もたった一人を除いて同様だった。
マクスウェル中佐だけは弾かれたように男に飛び掛かり、銃弾を放った男を一瞬で地面に押さえつけた。
「っ、ルルーシュ殿下お逃げください!」
「どけぇええマクスウェルぅう!」
男は四肢を振り回して暴れているが、体格の良いマクスウェルに背中から覆い被さられて立ち上がれないでいた。だが地面に腹ばいになりながらも滅茶苦茶に発砲し続けている。
ようやく正気に戻った士官達が騒ぐ。怯えて部屋から逃げ出す者も、混乱のあまり叫ぶ者も、冷静に警備を呼ぶものも、動けないでいるルルーシュと男の間に壁となって立ち塞がる者もいた。
手足が痺れて立ち上がれない。目の前でマクスウェルと男が格闘している様子もどこか現実味が無い。全てただの悪戯で、皆演技しているんじゃないかと思っている自分がいる。
どうしようもなく甘ったれた自分が、これは夢だと駄々をこねている。
「ルルーシュ殿下、早く逃げて!」
そう言った瞬間に、ルルーシュの壁となっていた男の胸に穴が開いて血液が噴水のように噴き出た。
顔面に血を浴びて、ルルーシュはようやくこれが現実だと認識した。
弾けるように立ち上がり、小さな体で士官達の体を縫うように逃げ出す。
広い会議室を抜けて廊下に出る。警備兵が到着していたが、部屋の外でもあちこちで発砲音が鳴り響いていた。
誰かがルルーシュを暗殺しようと、ここに居合わせた貴族出身の軍人達をけしかけたのだろう。
戦場で皇族が死んだとしても、それは後から戦死といくらでも偽ることができる。目障りな皇族の子供を処分し、シュナイゼルを護ったという功績ができれば儲けもの。上手くいけばシュナイゼルの庇護に入ることができる。
それが誰の意図なのかなど分かる訳も無い。
皇族のほぼ全員が敵だ。もちろん貴族もそうだ。
「ルルーシュ様、よかった。ご無事でしたか!」
ルルーシュを見つけて近寄ってきた警備兵は、小さな皇族を視界に入れるなり銃口を向けた。
即座に警備兵に向けて発砲した。警備兵の肩に穴が開く。神経に上手く当たったのか銃を取り落とした。悲鳴に背を向けて逃げ出す。
ポケットから通信機を取り出して声を絞り出した。
「ジェレミア、ジェレミア!」
『どうされましたかルルーシュ殿下』
「司令部で反乱が起こったっ」
『なっ』
「EUじゃない、恐らくあれは他の皇族からの、」
乾いた発砲音と共に手元の通信機が吹き飛んだ。
振り返らず近くの部屋に逃げ込む。
すぐに鍵をかけ、手近に並んでいた机をいくつかバリケード代わりに扉の近くへ押しやった。
部屋の一面には羽目殺しの窓ガラスが並んでいる。拳銃をガラスに向けて構えて、引き金を引く。ガラスに蜘蛛の巣のようなひび割れが入った。
最後の1発を撃ち、グリップで窓を叩き割る。子供一人なら這い出れそうな丸い穴から、澄み切った夜風が部屋に乱入する。
街灯の無い夜空は滑稽なまでに美しかった。降ってきそうな程に沢山の星が、地上で足掻く人間を馬鹿にするように瞬いていた。
見下ろすと地面までそれなりの高さがある。ここは3階で、9歳の子供が飛び降りるのは無茶だ。
しかし背後で扉の鍵が軋む音が聞こる。蹴破ろうとしているのか、打撃音が寸断なく部屋に響く。
舌打ちする。逃げ場所は他にない。
ルルーシュは机にかけられていたテーブルクロスを引っ掴み、机の脚に結び付けた。
扉は既に破れかかっている。2枚目のテーブルクロスを繋げたところで鍵がぶち破られる音がした。
自分の体重の軽さ、そしてテーブルクロスの強度と長さに祈る。窓枠からルルーシュは身を投げた。
一瞬の宙に浮く感触の後、急激に落下していく。凍った空気が全身を切りつける。
そして突如、強く握ったテーブルクロスから無理やりに引き離された。
長さが足りなかったと気づく前に、重力という長い手に引きずられて体勢を崩した。衝撃に構えるより早く体が強烈な威力で叩きつけられて息が止まった。
「っ、はぁ、はぁっ、げほっ」
呼吸を整えようと体を丸める。体に突き刺さる雑草が不快だった。しかしこの生い茂る雑草のおかげで首の骨が折れずに済んだのだろう。少なくともまだ手足の感覚はあった。
疲労と恐怖で震える手足を押さえつけようと荒く呼吸を繰り返す。だが息が整う前に、切り裂くような発砲音と共に顔のすぐ横の地面に小さな穴が開いた。
頭上を見ると、誰かがこちらに銃口を向けている。
「くそっ」
立ち上がろうと足に力を込めたところで、全身を激痛が襲う。
見下ろすと片足が青紫色に変色している。捻挫か、それとも折れてしまったのか。いずれにせよもう走れない。
頭上からの発砲は止む気配は無かった。こうして呆然としている間にも数発の銃弾が地面を抉って雑草をまき散らしている。
只管に寒かった。寒々しい空も、凍った地面も、鳴り響く冷たい発砲音も、遠雷のように鳴り響く喧騒も、何もかもがルルーシュを殺そうと追い詰めていた。
地面に蹲って泣き出しそうになる。どうしてこんな目に遭わないといけないんだと言いたくなる。どうしようもなく甘ったれたルルーシュが、諦めて泣き出してしまおうよと自分に誘いをかけてくる。
そうできれば楽だろう。こんな目に自分が遭っているのはブリタニアという国のシステムのせいで、自分は何も悪くない。
無業の哀れな生き物に成り下がり、哀れっぽく泣きわめいて命乞いできるような人生はとても楽な筈だ。
甘ったれたルルーシュが泣き叫ぶ。どうしてそうしないんだ。お前は馬鹿だ。
馬鹿なプライドばかり大事にして。
お母さん助けて、お父さん助けて、他の誰を殺してもいいから自分だけは助けて。可愛い顔を歪めて泣いて縋ればきっと許してくれるだろうに。
そもそもこんな駐屯地の司令官にさえならなかったらこんなことにはならなかった。こんなの無理だとお母さんに泣きすがったらよかったのに。そうすれば僕もナナリーみたいに大事にしてくれるかもしれないのに。
そうだ。ナナリーみたいに。
ナナリーみたいに穏やかに日々を過ごして、ただ優しくされて、ただ愛されて、ただただそこで呼吸をして生きているだけで許される存在に!
殺さないで、大事にして、優しくして!
泣き喚く自分に、全身の血管が燃え上がった。
ふざけるな。
地面に爪を立てて土を握り締める。爪が割れて血が流れた。しかし痛くは無かった。
泣きなんてしない。涙なんてものに意味はない。
少女のように憐れっぽく泣いて助けを求めるなど、できるわけがない。それはルルーシュではない。
俺はルルーシュだ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。
俺は誰の助けも求めはしない。
ルルーシュは震える手を動かし、這いずりながらできるだけ遠くへと離れた。こんな碌に灯りが無い夜に動く子供に狙いを定めるのは至難の業だ。
できるだけ雑草の生い茂る、星明りの届きにくい場所へと這いずって移動する。砂利を掴んで動き回ったせいで全身に傷ができたが、興奮しているせいか痛くは無かった。
暫くすると銃弾が尽きたのか、頭上からの発砲は途絶えた。
息を吐いてその場に倒れる。もう手には力が入らない。
しかし安堵する間もなく、近づいて来る足音が聞こえた。足音は軍靴らしく重苦しい。
味方か敵かは判別できなかった。敵であれば、もう逃げられない。
数十mもの凍った地面を這いずり回り、ルルーシュの手足から感覚は無くなっていた。そして青紫色だった足は段々と熱を帯びて腫れ始めている。
「くそっ、くそっ、畜生っ」
近づいて来る足音が聞こえる。武器は無い。逃げることもできない。
どうすればいいのか分からなかった。今のルルーシュにできることは、脳内で殺さないでくれ、助けてくれとみっともなく喚く自分を殺しながら、間近に迫る死への恐怖に耐えることだった。
「な、ナナリー、ななりー、ジェレミア、じぇれみあ」
ルルーシュはナナリーとジェレミアの名前を呼んだ。慕わしい人の名前を口にしないと耐えられそうになかった。
「じぇれみあ………おれの騎士のくせに、」
近寄ってくる男の荒い息までもが聞こえる。黒い銃口が見える。
撃鉄の音が奇妙な程に大きく聞こえた。
ルルーシュは体を丸めて目を閉じた。
コーネリア姉上、ユフィ、シュナイゼル兄上、ジェレミア、ナナリー。
家族と呼んでいいのか分からないが、親しかった人たちを思い出す。その中でも一番に大事だった、誰からも愛される妹を、いつも浮かべている微笑みのままに思い出す。
ナナリー、ナナリー、お前をもう俺は守れない。済まない。一人にしてしまう。
頼むジェレミア、どうかナナリーを護ってくれ。ナナリーの騎士になってくれ。ナナリーだけは守らないと。ナナリーだけは————
ぶるぶる震えながらその時を待った。しかし発砲音は聞こえてこなかった。
代わりに地面に何かが倒れこむような音が聞こえた。
びくりと体を震わせる。何が起こったのか。
すぐに殺すつもりはないのか。なぶり殺しにでもするのか。それとも誘拐するつもりか。
恐る恐る抱えていた腕をほどき、頭をもたげる。
薄暗い中に血塗れの男が立っていた。星明りで顔が見えた。オレンジ色の瞳に特徴的な灰がかった碧の髪。ジェレミアだ。
抜き放った剣は血濡れている。彼のすぐ前には、銃口をルルーシュに向けていた人間だったものが立っていた。それは首から上が無く、大量の血を切断面から噴出し続けていた。
「ルルーシュ殿下、お怪我は」
「ぅぉお遅い!」
ルルーシュの叱責にジェレミアは肩を震わせた。その場に跪いて首を下げる。額からは大量の汗が滴っていた。
息を切らせて汗だくになっているジェレミアに随分と理不尽だと分かっていた。
だがそれでも、誰かに怒りと恐怖をぶつけずにはいられなかった。
全身の擦り傷も足の痛みも感じられない程に怖かった。
発砲音に人の足跡、擦れた呼吸の音。冷たい空気に土の匂い。脳の奥がちりちりする。ルルーシュの神経は限界に達していた。
「遅い、遅い!死ぬかと思った、死ぬかと思ったぞ、ジェレミアっ、」
「っ、はい、弁解のしようもこざいません」
跪いたままのジェレミアに這いずって近づく。主君が地面を這っているという容認しがたい現状に、ジェレミアは戦場の興奮で赤く染まった顔を一瞬で青ざめさせた。
凍り付いたジェレミアを気にせず、ルルーシュはジェレミアにしがみ付いた。軍服は埃臭く汗の臭いがして、とても愉快な感触とは言い難かったが、気にせず顔を擦りつけた。人の体温がこの上なく心地よかった。
ジェレミアは突如胸元に飛びついてきたルルーシュを抱え直し、しっかりと抱きかかえた。
手足からは血が流れ、足は恐らく折れている。両腕は肘から先があまりの寒さで青白く変色しており、そこに血と泥がべったりと付着していてただただ痛々しい。
ルルーシュから真っ先に救命の連絡を受けたというのに、全く間に合わなかった。騎士として失格どころではない。この場で腹を割いて詫びてもなお足りない失態だ。
自分が遅れたせいでルルーシュは死にかけた。まだルルーシュが生きているのは、彼が皇族ながらに自身で戦うことができる稀有な方だからだ。
王は人を導くことが役目であり、戦うことなどしなくてよい筈なのに。
何が騎士だ。自分は主君をまともに護れもしない、無能な役立たずでしかない。
怖い思いをしただろう。失礼と知りながらルルーシュの背中を撫でた。恐怖のために涙を流せず、怒りとして吐露することしかできない不器用な主君が愛おしかった。
「二度と遅れるな、お前は俺の騎士なんだからっ」
「イエス、ユアマジェスティ」
「絶対だからな、俺が呼んだらすぐに来い!次に遅れたらお前はクビだ!いいな!」
「イエス、ユアマジェスティ!」
ジェレミアは高らかに叫んだ。