「それで、騎士叙任式を開きたいと」
「ええ。私の年齢的に難しいことは理解していますが、役職的にはそろそろ正式な騎士を持ちたいところですので」
シュナイゼルはルルーシュとチェス盤を介して話していた。
庭で転げながら遊んでいるナナリーとユーフェミアのはしゃぎ声が辺りに響いている。コーネリアは兄弟と同じ机に座りながらも、妹たちが怪我をしないかとハラハラしながら見守っていた。
白く長い指がゆったりと駒を進め、ルルーシュは舌打ちした。盤上を眺めながら眉間に皺を寄せる。
「確かに12歳で選任騎士を選ぶというのは、過去に事例がないことではないけれど珍しいね」
「しかし年齢はそう問題にすることも無いでしょう。ルルーシュは既に補佐が必要な公務に着任していますし、ジェレミア卿なら実力も家柄も申し分ない。今も実質的な専任騎士の任務は果たしているようなものです」
珍しいルルーシュからのお願い事に頬を緩ませているコーネリアに、シュナイゼルは苦笑した。
「そうだね。彼ならずっとルルーシュを護ってくれそうだ」
この3年間を共に駆け抜けた自身の騎士候補を思いながら、ルルーシュはキングを前に一つ進めた。
「はい、私もそう信じています」
9歳の初陣でEUの奇襲からシュナイゼルの窮地を救い、さらにシュナイゼルがEUから一時的に退いた期間のブリタニアEU方面軍最高司令官代理として指揮を執ったことで、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名は横並びの皇族から頭一つ飛びぬけた存在となった。
さらにそれから3年の間、EUを中心に幾つもの戦線を経験し勝利を収め続けている。
狭苦しい宮廷で排斥しようと蠢く輩は未だ無数に存在するが、ルルーシュが戦場で指揮を執ることを邪魔する者は最早存在しない。
シュナイゼルがヴィ家の後押しをしていることから、表向きは、いずれ皇帝となったシュナイゼルの右腕としてブリタニアの繁栄を支える要となるだろうと手放しに称賛されている。
裏ではさっさと死ねあの平民の皇族気取りが、と罵倒を浴びせられては嫌がらせを受け続けているが。
飲み物に下剤を入れられたり、服に針を仕込まれたりする程度の嫌がらせならばまだ笑い飛ばせる。
毒を盛られたり射殺されかかったり、本気で死にかけた笑えない事件は既に両手足の指で数え切れない。ジェレミアがいなければ数回は路上に死体を投げ捨てられて犬に食われていたことだろう。
そしてルルーシュが死にかける度に肝を冷やしていたのは当の本人ではなくジェレミアだった。
「しかし彼もよくこの3年間ルルーシュに仕え続けたものだ。ここ最近は会うたびに死にそうな顔をしていたけれど、もう大丈夫なのかい?」
「はい。ハードワークを見るに見かねて、数日間は有休を取らせています」
「珍しく付いてきていないと思ったら、そういう訳か」
「流石にシュナイゼル兄上とコゥ姉上に暗殺されるとは思いませんから。良い機会なので、身体を休めることも仕事の内だということを知って貰おうかと」
「それはさぞ渋ったことだろうな」
仕事が生き甲斐と断じることのできる忠義の騎士候補ジェレミアが、先日散々に有休消化を渋っていた光景を思い出しルルーシュは苦笑した。
生真面目で責任感が文字通り死ぬほど強いジェレミアにとって、ルルーシュが定期的に死にかける現場に居合わせ続けたこの3年間は実にストレスフルだったことだろう。
ルルーシュが暗殺されかかる度にジェレミアは自分が未熟であったため未然に危機を察知できなかったと自身を責める。客観的に見てジェレミアに全く責任が無くとも、彼は無言で自分を責める。責め続ける。そして全く弁明しない。
果ての無い責任感と忠誠心には確かに感謝している。しかしそれ以上に時代錯誤にも程がある馬鹿な生き方だと呆れる方が先に立つ。
ブリタニアの騎士は数百年に渡り存続している名誉職である。しかし現代においてはただの公務員だ。雇い主と雇用人の契約名に過ぎない。云わばビジネス。
皇族としては最底辺であるルルーシュの、しかも正式な騎士ではなくただの騎士候補でしかないジェレミアに多大な責任などある筈も無い。
しかしジェレミアの忠誠心はこちらの理解の範疇を超え、休暇や給料というものを飛び越えてその体を突き動かしている。
あらゆる脅威からルルーシュを護るために、ジェレミアは愚直に努力を続けた。戦闘能力だけではなく、事務能力から言語能力に教養、礼儀作法とその努力の方向は多岐にわたる。
皇族の選任騎士であれば、全て平均を凌駕する程に優れていて当然の項目ばかりではある。しかし秀才ではあっても天才ではないジェレミアにとって高い壁だったことだろう。
だがジェレミアは一度も弱音を吐くことなく、己を甘やかすこともなく、ただ愚直に努力し続けている。
一人の皇族として見ても、ジェレミアの主として見ても、馬鹿としか言いようのない程の献身を続けているジェレミアは確かに自身の選任騎士に相応しい男になった。
数週間前から騎士叙任式のための根回しを始め、シュナイゼルとコーネリアが最後の2人となり、そして今許可は下りた。
これでジェレミアは皇族の人生においてたった一人しか選ぶことのできない選任騎士に任命されることが決定したも同然だった。あとは式を待つばかりだ。
「しかしいいのかいルルーシュ」
「何がですか?」
シュナイゼルはポーンを弄りながらなんとはなしに言い放った。
「彼は君に気があるらしいじゃないか。騎士となればほぼ毎日顔を合わせることになる。私は君の貞節が心配だよ」
「兄上ぇえ!?」
コーネリアがカップを取り落とした。割れそうになったカップを隣で佇んでいたギルフォードがしっかりとキャッチした。
「何を馬鹿なことをルルーシュにおっしゃっているんですか!?」
「ロイドから聞いたんだが、彼はロリコンらしいじゃないか。ルルーシュ、君はまだロリータの範疇に入っているだろう。せめてあと3年ぐらい経ってからの方がいいんじゃないかな」
「もう一度言いますよ、何をおっしゃっているんですか!?」
もう嫁に行ってもおかしくない年であるというのに、この姉は性に関する話題が出るだけで頬を少女のように赤らめる。
コーネリアの隣に立つギルフォードを見やる。年に見合わない程にこの姉が初心なのは偏にこの過保護でヘタレな騎士のせいだ。ギルフォードはルルーシュの視線から気まずげに目を逸らした。
「その点についての心配は不要です。ジェレミアが私に仕えるようになってから付き合った女性はほぼ全員が同年代。しかも巨乳ばかりの。彼をロリコンと断定するにはあまりに情報が不足している」
「ルルーシュお前ロリコンの意味をどこで知った!?というか何故ジェレミア卿の女性遍歴を調べているんだ!」
「ナナリーが万が一ジェレミアのストライクゾーンに入っていたら危ないかと思ったまでです。いえ、ジェレミアを信じていないわけではないんです。ただ万が一のことを考えて調べたまでです」
「お前はジェレミア卿を信じているのかいないのかどちらなのだ!」
「信じていますよ。でもやっぱり心配でしょう!」
ジェレミアがロリコンだという噂は根も葉もないものだと知ってはいる。
知ってはいるが、あの可愛い可愛いナナリーがストライクゾーンでない男の方が有り得ない。あの理性的なジェレミアでも天使のようなナナリーを前にして理性が揺らがないという保証は無いのだ。
もしジェレミアの理性がナナリーの未熟であるからこそ清廉な美貌に負け、幼い花を散らせてしまったら……同意の上ならばまだしも————いやまだ9歳のナナリーが同意したとしてもそれは犯罪だ。
可哀そうなナナリー。そして憐れなりジェレミア。俺がジェレミアを騎士にしたばっかりに、ナナリーとジェレミア二人の人生を歪めてしまったっ。
その時はジェレミアを殺して俺も死ぬ!
「ナナリーは大丈夫なんじゃないかな。彼はアリエス宮でも常にルルーシュの傍にいるらしいから。だから貞節を狙っているとしたらルルーシュの方だろう」
一人悲壮な覚悟を固めているルルーシュを放ってシュナイゼルは淡々とチェスを進める。チェックメイトという言葉さえ今のルルーシュには届かなかった。
「ルルーシュは男なのだからそんな心配をする必要などないでしょう!それよりそんな話題をまだ幼いルルーシュの前で話さないで頂きたい!」
「何を言うんだいコーネリア」
シュナイゼルは秀麗な容貌で微笑んだ。しかしその顔に慣れ切っているコーネリアには胡散臭い笑顔だとしか思えなかった。
「男だの女だの、些細な問題さ。そうだろうカノン」
「そうですね」
傍に立つカノンが男性とは思えない程に柔和な笑顔を浮かべた。
説得力のある一言にコーネリアは押し黙った。かける言葉も無いと言った方が正しいかもしれない。
一通りの妄想を終え、ようやく現実に帰ってきたルルーシュは咳ばらいをし、ジェレミアのロリコン疑惑問題についての話題を押し流した。
「そういうわけで、近いうちに叙任式を開きますから。コゥ姉上とシュナイゼル兄上の日程に合わせますのでお暇な日を教えてください」
「私達の都合で決めていいのか?」
「父上は来ませんからね。兄上と姉上の都合が合う日なら大丈夫ですよ」
こんな時ばかりはヴィ家の支援者が少ないことが有利になる。ヴィ家は皇族としてはありえない程にフットワークが軽い。
「そうか。では1か月後でいいかな」
「私もその日なら大丈夫だ。ユフィも連れて行こう」
「ありがとうございます」
あまりに近い日程だが、数十人いる皇族の中でも末席も末席であるヴィ家の騎士叙任式に興味のある貴族はほとんどいない。皇帝も出席しないことが確定しており、皇族の正式な儀式とは思えない程に閑散とした会場となることだろう。
しかしその分招待する者は気の知れた者ばかり。叙任式の後はホームパーティーでも開こうかとさえ思っている。
「私達以外の出席者は誰なんだい?」
「まず母上と、クロヴィス兄上、そしてルーベン・アッシュフォード伯爵とその令嬢ミレイ・アッシュフォード嬢、マクスウェル子爵夫妻、あとはアールストレイム侯爵とその令嬢アーニャ・アールストレイム嬢です」
「ミレイ・アッシュフォード……ルルーシュと同じ年だったかな」
「一つ年上です。まだ会ったことは無いのですが、とてもしっかりした素敵な方だとか」
よい話し相手でもあるルーベンから聞く限り、気は強いが世話焼きなところもあるませた少女らしい。身内の贔屓目も入っているかもしれないが、親族以外に同世代の子供と会う機会のないルルーシュはミレイと会うのを楽しみにしていた。
これで二人の出席も取り付けた。弱小であるヴィ家の騎士叙任式であれば、これだけ人数があれば滞りなく進む。
庭に目をやるとナナリーとユフィは芝生の上をころころと転がっていた。チェス盤を見下ろすといつの間にかまた負けている。舌打ちをしたくなったが、あまりに天気が良く気分が良かったために溜息を吐くに留めた。
久々の安穏とした心地よい空間だが、ここに留まる訳にはいかない。
「コゥ姉様もシュナイゼル兄上も、お時間取って頂きありがとうございました。失礼ながら私は中座させて頂きます」
「おや、仕事か」
「はい。先ほどEU方面軍最高司令官殿から少々無茶な仕事を振られてしまいまして……」
「ルルーシュならできると思ったまでのことだよ」
ひらひらとEU方面軍最高司令官が手を振った。
じとりと睨みつけるが、笑顔は全く崩れない。コーネリアはくすくすと笑った。
「そうか。厄介な上司を持つのは大変だな、ルルーシュ」
「労わり感謝致します姉上。また正式な招待状は後日お渡しいたします。お二方とも、仕事はお忙しいでしょうがご自愛下さいね」
子供とは思えない程に凛と背筋を伸ばし、ルルーシュは花咲く庭園に背を向けた。
コーネリアは花輪を作っているユフィとナナリーに視線を向け、ルルーシュも数年前まではああして遊んでいたと眼を細めた。
「————あの小さかったルルーシュが、騎士が持つことになるのですね」
「皇族は騎士を持ってこそ一人前と認められる。ルルーシュはとっくにそこらの有象無象より大人と言えるだろうが、これで正式に皇族となる————ようやくね」
珍しくシュナイゼルが感嘆の声を零し、コーネリアは無理も無いと苦笑した。
他の皇族も、本人でさえ気づいていないがシュナイゼルが兄弟の中で最も関心を抱いているのはルルーシュだ。何事にも興味関心の薄いシュナイゼルだが、ルルーシュが戦場で挙げる華やかな成果にだけは明らかに興味を示している。
その興味は愛情や親愛などという暖かいものではない。言うなれば貴重な実験動物に向けるただの好奇心だ。
しかしそれだけだとしてもこの兄にとっては小さな蝋燭のように揺らめく淡い人間味に他ならない。
シュナイゼルという存在の異常性をコーネリアは察していた。
紛れもないギフテッドであるシュナイゼルは残酷な存在だ。彼は神の手違いで間違って人間に生まれてしまった、もっと高次元の存在なのではないかとすら思う。
彼は他者の理解も共感も必要とせず、私欲も無く驕りも無い。
最早人間ではなく“知能”と呼称されるべき何かだ。
常に合理的な行動を取る彼にとって感情などという非効率なものに振り回される凡愚な人間は、自分を含め、彼の周囲にとりつく絡繰り仕掛けの人形程度にしか見えていないのかもしれない。
しかしルルーシュだけは別だ。たとえ庶民の出だと蔑まれようともルルーシュは傑出した天才であり、シュナイゼルに人間という存在の価値を認識させる可能性のある唯一存在だとコーネリアは確信している。
「ジェレミアがルルーシュの傍にいるとなれば、ルルーシュの仕事も楽になるでしょう。きっと兄上と遊ぶ時間も増えますよ」
こんな簡単な言葉で柔らかに微笑む兄がこの時だけは可愛らしく見えた。
ルルーシュが執務室に行くと、ジェレミアが鍛え上げられた体躯を小さく折り畳みながらこそこそと棚を整理していた。
その腕には大事そうに仕事の資料を抱えている。服は普段から着こなしている礼服で、どう見てもただの仕事スタイル。
せめて休日を楽しんでいる途中で忘れ物に気づいたと言い訳ができるよう私服で来いと思うも、皇居に立ち入る際に皇族以外は基本的に礼服縛りだ。この忠義馬鹿は皇居に私服で立ち入るなどという不敬な真似はできなかったのだろう。たとえ普段ルルーシュが寝間着で闊歩している場所であっても。
ルルーシュの姿を視界に認めるや、ジェレミアは背中を震わせてその場で深く頭を下げた。
「………失礼致しております、ルルーシュ様」
「この部屋への入室は自由だと言っている。それは別にいい」
だがな、と続ける。自分も相当仕事中毒である自覚があるがこの男も割と酷い。
おねしょをした子供が母親に発見されたように、ジェレミアは仁王立ちのルルーシュを前に小さく背を丸めて項垂れていた。
「ジェレミア」
「はい、ルルーシュ様」
「俺は貴公に休養を命じた筈だが」
「———はい、ルルーシュ様の気遣いのおかげで十分休むことができました」
「まだ半休程度だろうがぁ!」
机の上の書類を叩く。ちなみにこの書類が件のEU最高司令官から振られた無茶振りであり、机の上に巨大な山を形成していた。
「いい加減休めと言っただろう!隈が出来ているじゃないか!このままだと俺が労働基準局に訴えられるぞ!監査が入ったら言い逃れもできずに業務停止を食らいかねん!」
「大丈夫です、タイムカードはちゃんと通していませんから。あくまでこれはサービス出勤です!」
「ブラック企業ど真ん中じゃないか!完っ全にアウトだ!結局従業員から過労死を出して企業名がネットにアップされて後ろ指を差される王道パターンを着々と歩んでいるだろう!」
「過労死は立派な殉職ですから問題にはなりません!」
「大問題に決まっているだろうが馬鹿!」
深々と下げられている碧色の頭を書類でスパンと叩く。良い音がした。
「今すぐ帰れ!そして寝ろ!2日後まで出勤は許さん!」
「し、しかし先ほどシュナイゼル殿下から、EUへの移植民の住居職業食料全ての手配を2日以内に済ませろという無茶振りがされたと伺いましたが」
「俺なら4時間で可能だ、お前の手などいらん!」
「……は、しかし」
「しつこいぞ。俺に何度同じことを言わせるつもりだ。俺は騎士であるお前からも信頼されていないと広める気か!」
だからさっさと下がれ、しっしっ、と言い放つ。しかしジェレミアは目を見開いてその場に直立不動となった。
目を瞬かせ、白昼夢でも見ていたかのようにきょとんと幼い表情を晒している。今年で21歳となり、この3年間の心労からか普段は年齢より老けて見える男だが、今この時は少年のようだった。
「今、なんと?」
「だから、お前がそんな状態でそこらをふらふらしていたら、俺は副官を過労死するまで使い潰さなければまともに仕事がこなせないと思われるかもしれないと、」
「いえ、そうではなく……厚かましくも、私があなたの騎士だと聞こえたようですが」
「そうだが」
キョトンとしたままのジェレミアに、そういえば叙任式について全く言っていなかったことに今更ながらに気がついた。
本来ならばまず「騎士になってくれませんか?」「はい喜んで」のプロポーズめいたやり取りをした後に皇帝の許可を貰い、次に賛成という名の支援をしてくれる貴族と皇族に挨拶に向かう。そこでより大勢の人間に騎士叙任式への参加を取り付ける。その後騎士叙任式を開き、皇帝の名の下に正式に騎士として任じ、貴族皇族の賛同を得て、ようやく晴れて騎士を持つことが出来る。
この一連の流れを経なければジェレミアは正式な選任騎士とは認められず、身分や給料、さらに他の貴族皇族からの支援は得られず現状据え置きのままになってしまう。
皇族の選任騎士と選任騎士“候補”では立場も給与も文字通り桁違いであり、1年の遅れが生涯年収に大きく関わる。
そのため一刻も早くジェレミアを選任騎士すべく仕事の合間を縫って皇帝やマリアンヌに掛け合ったのだ。
その結果、さっさと騎士叙任式をしなければという意識が先行しすぎてジェレミアへの告白がすっぽ抜けてしまった。
しかしルルーシュとしても言い訳はある。
他の皇族は普通数十人と選任騎士候補を持ち、数年間相性やら実力やらを確かめた上で選任騎士を選ぶ。皇族の一生涯につきたった一人の騎士を選ぶのだから厳選に厳選を重ねて当然だ。そのため並み居る選任騎士“候補”から選任騎士を選ぶのは一大イベントである。普通なら。
しかしルルーシュの選任騎士候補はジェレミアただ一人だけだった。さらにこの数年間ずっとジェレミア一緒にいたため、なんとなくもう選任騎士になることが確定しているような気分になっていたのだ。
やはりハードワークが続くと仕事にミスが増えて効率が悪いとぼやきながら、蝋人形の様に微動だにしないジェレミアを見上げる。
「ああそうだ。貴公を俺の選任騎士に任命する。1か月後に騎士叙任式を執り行うから日程を空けておけよ」
下賜するための騎士服と剣を新調しなければ。オーダーメイドだから高いんだよなぁと思いながら書類を摘まむ。
微動だにしていなかったジェレミアは突如としてぶるぶると震えてその場に崩れ落ちた。
基本的には常識人だが、感動屋で奇行に走りやすいジェレミアの振舞いに動揺もせず淡々と見下ろした。
「どうしたジェレミア。進化か?進化するのか?」
マナーモード状態で地面の上に四つん這いになっているジェレミアの姿に、日本で流行っているというポケットなモンスターのことを思い出した。
進化するとしたらどんな姿になるんだろう。ヴァルトシュタイン卿のようなごつい髭のおっさんになったりしたらなんとなく嫌だ。かといってクロヴィスのようないかにも軽薄そうな外見も嫌だ。
どこかにスイッチでもついていないかとジェレミアの背中を撫でてBボタンを探す。軍人らしく鍛えられた背筋を撫でまわしていると、ジェレミアは鼻を啜る音を立てながら顔を上げた。
「———る、るるーしゅさま」
「おい泣くな。なんで泣くんだ」
「わ、わだ、わたしのような未熟者が、あなた様の騎士になれるとは思っても」
「いやそこは思っておけよ。他に騎士候補がいない時点でほぼ確定だろう」
「し、しかし、私のような未熟者が、」
私は未熟者で、未熟者だからと壊れたラジカセのように繰り返している。
ジェレミアが自身の能力不足を気にしていることは前から知っていた。確かにナイトオブラウンズと比較するとジェレミアのKMF操縦技術が劣っていることは否めない。
だがそれは問題ではないのだ。変なところで完璧主義な馬鹿な男だと思う。
努力すればどうにかなりそうな問題に逡巡するなど時間の無駄にしかならないだろうに。
「確かにKMFの技術においては未熟者だろうな。ヴァルトシュタイン卿に手合わせを申し込んでは、毎回原型も残らないほどボッコボコにされているらしいじゃないか」
ふぐぅ、とジェレミアは地面に崩れ落ちた。めそめそとすすり泣く音が情けない。
とりあえず進化する様子は無くなったため、さわさわと手触りの良い碧の髪を撫でる。ナナリーのように柔らかくは無いが、指通りが良く芯のあるさらさらとした感触がした。
「おまけに口煩いし口ごたえするし、皇族を優先し過ぎてナンバーズを差別する傾向があるし思い込みは激しいし、声はでかいし暑苦しいし、仕事のオンオフが全くできないで平気で家に仕事を持って帰る馬鹿だ。そうだ、お前は馬鹿だ」
容赦のないダメ出しと罵倒に泣き声がさらに大きくなった。敬愛するルルーシュからの忌憚ない評価という点がさらにジェレミアの心を抉ったのだろう。
ぽんぽんと頭を撫でる。
「だが対人格闘術ではアホみたいに強いし、指揮能力や政治能力は申し分無い。俺の補佐も十分務まる域に達している。それどころか、お前の血筋と身分を考えると、俺程度の皇族の選任騎士になるのはあまりにリスクが大きい賭けだ。俺の選任騎士を断り、ナイトオブラウンズに声がかかるのを待ちたいというなら、」
「それは絶対にありません!」
オレンジ色の瞳を見開いてジェレミアが吠えた。
「私は恐れ多くもルルーシュ殿下にお仕えしている身です。それが何故、ナイトオブラウンズの座を望むのでしょうか。私は二君に仕える程、恥知らずな騎士ではございません!」
「そうだ。お前は必ずそう答える。そしてそう答えると私は確信することができる。だから山ほどの欠点を持ってるお前を俺は騎士にすることに決めたんだ」
撫でていた手を離して立ち上がる。
必ず自分の味方をすると確信できる人間は珍しい。それも策謀渦巻くこのブリタニアで、ここまで愚直な人間に出会える可能性は皆無に等しい。
そしてその愚直な人間が、一切の澄み切った忠誠を誓ってくれる可能性など、考えるのも馬鹿らしい程だ。
自分は運が良かった。
「立て」
低い声で呟く。
ジェレミアは瞬時に音も無く立ち上がり直立不動の姿勢でルルーシュの前にそびえ立った。
唇を真一文字に引き結び、静かにルルーシュを見下ろす。命令を待つ大きな犬のように、燃え盛る炎のような色の瞳を真っすぐにルルーシュだけに向けていた。
「ジェレミア、私の騎士になる気があるか」
「—————私は未熟者です」
「知っている」
「不相応であると、存じております」
「ああ、だろうな。なにしろ私は有能だ」
「そうですとも。貴方様程に素晴らしい方を私は存じません。殿下はかのアーサー王よりも偉大な器をお持ちの方です」
ふふんと腕を組んでジェレミアを見上げる。
ジェレミアはその場に跪き、頭を深々と下げた。見慣れた執務室での恭しい態度は到って自然だった。
「それでも、私はルルーシュ様の騎士になりたい。いえ、なると決意します。貴方様に相応しい騎士に」
「うん。よし、ジェレミア、お前を俺の生涯唯一の騎士に任ずる。しっかり励めよ」
「———有難きお言葉。全身全霊でお受けいたします」
窓ガラスから陽光が入る。碧の髪がちらちらと光を反射して光っていた。柔らかい日の光は暖かく、少し眩しい程だった。
暗殺や戦争の生々しい鉄火の臭いを嗅ぎながら、自分たちは毎日を必死の形相で生きている。しかしこの一瞬に限っては穏やかだった。
ルルーシュは、いつか自分が確固とした地位を手に入れることができれば、ナナリーやジェレミアと一緒にブリタニアでこんな穏やかな日々が送れるようになるのではないのかと夢想した。
いつかシャルルが死んでシュナイゼルが政権を握れば、権力者は一斉に入れ替わる。その混乱の中ひっそりと引退して市井に紛れ込んで生きていく。
隠れ住む家は大きくなくていい。3人で暮らしていければそれで充分。毎日食事を作って、掃除をして、仕事をして、生活を営む。
銃を手に取ることも無ければ、人を殺すことも無く、殺されると怯えることも無い。
その想像は恭しく掌を取って甲に口付けするジェレミアの前で飛散し、塵になって無くなった。
■ ■ ■
その日、シュナイゼルはシャルルが私的に動かしている研究機関について探っていた。
その研究機関の存在を知っている者は少ない。ヴァルトシュタイン卿を含むシャルルの協力者以外で、その存在を知るのは自分しかいないだろうとシュナイゼルは確信していた。
巧妙に隠されている研究機関は本部を数年ごとに移し替え、その悉くが滅多に人目のつかない特殊な環境に置かれている。シュナイゼルでさえこの研究機関を見つけたのは全くの偶然であり、これまでその存在に勘づくことさえなかった。
シュナイゼルがその研究機関の存在に気づいたのは、ヨーロッパ戦線で指揮を執っていた時のことだった。
戦線を押し上げようと奮闘していたシュナイゼルの元に、シャルルより最前線から10kmの地点にある村を攻撃するなという命が下された。何でも、シャルルの古い友人が住んでいるらしい。
皇帝陛下の勅命とあり、シュナイゼルはその村を迂回して敵の注意を逸らす戦術を用いて勝利を収めた。
そして戦争が一旦停戦となった時期を見計らい、すぐにその村について調べた。シャルルの古い友人云々という言葉ははなから信じていない。
何故ならあのロールケーキバッハに友人などいる筈が無い。
全財産賭けても断言できる。あの男に友達はいない。
その村はヨーロッパの片田舎にあった。戦争の最中にもかかわらず、村は古き良き田園風景を保っており、人の出入りは少ない。大きな建築物は少し古びた教会1つしかなく、産業の中心は農業。過疎化が進んだよくある村だという印象を受ける。
しかし村の周囲を調べさせている内に、その長閑な風景はただの表層でしかないことが発覚した。
村の地下には巨大な研究機関がアリの巣のように蔓延っていた。数百人がそこで生活しながら、ブリタニアの庇護の下研究を行っていた。
研究機関の名は、ギアス教団と言った。
教団というからにはどこぞの宗教なのだろうと思い、同じような宗教派閥を調べたものの、一向にギアスという名は現れない。そもそもギアス教団には系統だった神話や聖書が無く、一般的な新興宗教で行われているような儀式や訓練も無いため、宗教団体とは言い難かった。
ギアス教団で行われていたのは、最新式の研究設備を駆使しての研究のみ。ギアスだのコードだの。よく分からない異常な存在に寄り添うような研究がギアス教団では日々積み重ねられている。
ギアス教団の概要を攫うように調べた後、面倒くさいことになったとシュナイゼルは頭を振った。
あのロールバッハが宗教であれマッドな研究機関であれ、表沙汰になれば面倒な団体に入れあげているのだとすれば神聖ブリタニア帝国にとっては面倒な事態だ。
ここ最近「政治はあぁぁ↓、瑣事であるぅぅうう↑」とふざけたことをぬかしてヒッキーだかストライキだか知らないがまともに公務を行おうとしない馬鹿だが、あれでも皇帝であり、権威の象徴である。
それが人道に悖る団体に嵌っていると知られれば致命的な汚点としてブリタニアの名を汚すこととなる。
もしそうであるならばあのギアス教団とやらをロールケーキの墓標にしてやらねばなるまい。
今日はギアス教団の研究内容について調査する予定だった。
厳重に張り巡らされているセキュリティに気づかれないように静かに入り込む。何十人かが同時にアクセスしている領域に小さな風となってシュナイゼルは情報を盗み見ていた。
何百人ものデータが羅列されており、投与した薬剤やそれに対する反応。血液データやCT画像、脳波、さらにIQから精神分析まで事細かなデータが羅列してある。やはりというべきか人体実験のようだった。
幼児から老人まで多彩な人種のデータが陳列してある。薬剤を投与したり解剖したり拷問したり。バリエーションに富んだ犯罪行為に眩暈がした。もしこの事実が発覚してしまうと揉み消しのために多大なる労力と金がつぎ込まれることだろう。
目眩を感じながらもシュナイゼルは羅列するデータを流し見ていた。その最中見逃せない名前があり眼を止める。
シュナイゼルは少し驚いて紫苑色の目を瞬いた。
シュナイゼルの名前が膨大なデータの内の一つとして目の前にあったのだ。
生まれてからこれまでの身長や体重の変動から、転んで擦りむいた傷までが詳細に記録されてある。
それどころか戦場で不利な状況に陥った時の視線の動かし方、弟が生まれた瞬間の挙動、恋人とセックスしているときの血圧と心拍数までが克明に記載されている。
生まれた瞬間のデータまでを遡る。長大なデータは目を通すだけでも相当な時間がかかった。
一番最初の1枚目に目を通す。シュナイゼルは唇を釣り上げた。
【人工ギアス適正体プロトタイプ No.132 俗名:シュナイゼル・エル・ブリタニア———ギアス適正<0.01, ギアス発現不可能、失敗。ギアスキャンセラー適正<0.05、失敗】
【No.132:失敗作の経過観察はNo.73で施行可能であるため、No.132は後天的ギアス適正増加手術試験を行うことが決定】
【No.132:術後バイタルは変動なし。ギアス適正変動なし。手術失敗とみなす】
【No.132:術後知能指数上昇。他者との共感能力、及び情動に欠如が認められる。ギアス適正変動なし】
【No.132:術後10年経過するもギアス適正変動なし。術後フォロー中止とする】
失敗の文字が何度も紙上で踊っている。
一体自分の体に何をしたのやら。自分の頭を指で撫でさする。生後数か月目で行われた手術の痕跡はもう残っていないが、この脳にはなにがしかの手が加えられているらしい。
他のデータを見やると見知った名前がいくつも羅列してあった。
ギネヴィア、オデュッセウス、コーネリア、ユーフェミア、ルルーシュ、ナナリー。
ルルーシュの名前を探る。先ほど見たばかりの幼くも整った顔がこちらを見据えている。その顔の横で小さな文字が佇んでいた。
【人工ギアス適正体プロトタイプ No.423 俗名:ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア———ギアス適正=1202、ギアス発現可能の可能性高いが『アーカーシャの剣』発動指数には至らず、失敗。ギアスキャンセラー適正<0.1、失敗】
【No.423:後天的ギアス適正増加手術後もギアス適正変動なし、手術失敗】
【No.423:術後知能指数上昇。またホルモン異常出現。男性体から女性体に変動する可能性あり】
【No.423:術後10年経過するもギアス適正変動なし。生殖器の男性体から女性体への完全な移行を確認。術後フォロー中止とする】
■ ■ ■
シュナイゼルからの嫌がらせとしか思えない仕事量がようやく終わったのは深夜を過ぎてからだった。
結局今日もサービス残業をしたジェレミアに、明日は絶対に有休を取れと厳命しルルーシュは寝床についた。
広々としたベッドに手足を広げて目を閉じる。
やっと仕事が終わったから明日はナナリーと遊ぼう。流行りの映画を見るのも良いし、ままごとをするのもいい。
でも騎士叙任式の準備もしないといけないか。騎士服のデザインを考えて注文しないと。
かっこいいデザインの服にしよう。沢山銀糸を使った、ナイトオブラウンズにも負けないぐらいのかっこいい服にしたい。ナイトメアのワンオフ機もロイドに頼んで開発して貰って。あとそれから、それから。
散漫なことを考えながらうつらうつらと眠りに落ちた。
ようやく空が白み始めた頃、扉の外から聞こえてきた悲鳴がルルーシュを目覚めさせた。
夢でも見たのかと暫くうとうととしていたが、再度鳴り響く悲鳴に血流が逆巻いて鼓動を鳴らした。扉の外から沢山の人の足音や怒号が聞こえる。
ベッドから飛び降りて適当に身支度を整える。部屋を飛び出すルルーシュの姿を認めたメイドがその歩みを止めようとしたが、腕の間をすり抜けて走る。
悲鳴を辿る様に追いかける。
悲鳴はアリエス宮の中心を飾る階段の方から聞こえてきていた。
人込みをかき分けるように階段に近寄る。階段の麓ではメイドが悲鳴を上げ、警備兵が叫んでいた。
その中心でマリアンヌが死んでいた。
階段の途中で倒れている姿は眠っているようにしか見えない。黒髪が赤い絨毯に広がり、綺麗だった。しかしドレスは一面が赤黒く変色しており、肌は蝋のように白い。
「嘘だ」
ルルーシュは信じられなかった。
マリアンヌが死ぬなんて。
あの何もかもを見通すような恐ろしい女が死ぬなんてことがあるのか。
マリアンヌの死体を前に呆然としたのは母の死という現実を許容できないのではなく、ただあの絶対的な強さを持った女傑が人並みに死ぬことができることへの驚きだった。
たとえ銃弾を撃ち込まれても、首をはねられても、平気で生きていそうな化け物だと思っていた。
しかし人は必ず死ぬ。たとえマリアンヌでも死ぬのだ。
当然の真理だ。死なない人間なんてありえない。
マリアンヌを囲む人々は皇帝に連絡をしたり、医療班を手配したりと忙しない。
マリアンヌが死んだ以上ヴィ家の当主は自分なのだからその差配は自分がしなければならない。そう思い、現在周囲に指示を出している執事に声をかけようとした。
その瞬間唐突に気づいた。
マリアンヌの腕の中にはナナリーがいた。
顔は青白く、身じろぎ一つしない。最悪の想像が頭を過る。
「……ナナリー、嘘だっ」
駆け寄ろうと身を捩ると、ようやく周囲はルルーシュの姿を認めたらしい。
二つに割れた従業員の間を走る。階段を駆け下り、マリアンヌの腕の中で体を丸めているナナリーを揺り動かして、その手を握った。小さい手は冷たいが、死体程ではなかった。微かな体温を確かめる様に撫でさする。
「ナナリー、ナナリー」
「————お兄様?」
瞬間ナナリーはルルーシュの手を潰さんばかりの力で握り返した。その力強さに嗚咽が漏れる程に安堵する。
よかった。ナナリーは死んでいない。
ナナリーは虚ろに瞳を見開いたまま、ルルーシュの声がした方へ頭を向けた。
「お兄様、どこにいるのですか?真っ暗で何も見えないのです」
「ナナリー、俺はここだよ」
「いえ、何も見えないのです。何も、」
何も見えないのです。
ナナリーの前で手を振る。
ナナリーは何も見えないと繰り返し伝えた。