6. 俺は弱くない
※ 性行為を示唆する表現があります。苦手な方は閲覧なさないようお願いします。
長い階段を上りきると大きな日本家屋が見えた。瓦が屋根に乗せられ、縁側が横に貼り付いている。ブリタニア生まれブリタニア育ちの身にしてみれば、警備は大丈夫なのかと問いたくなる程に開放的な造りだ。
階段を上りきった時点で既に体力を使い果たしていたが、手助けなど無い。汗だくになりながら震える両足を動かし、ナナリーを背負ったままその道を歩いた。
道の左右をSPが守っているが、息を切らせて全身に汗をかいたルルーシュに視線を向ける者さえいない。
荒く呼吸を繰り返しながら歩く。肌が日に焼けて痛い。汗のせいで視界も悪い。
汗で滑る両手でナナリーを何度か背負い直しながらもルルーシュは枢木家の前に立った。
「っ、はぁ、ナナリー、ついたよ」
「ありがとうございますお兄様。随分長い階段でしたが、大丈夫ですか?」
「大丈夫さナナリー。大したことないよ」
「そうですか。よかった」
楽しそうに背中で笑う無邪気なナナリーに苦笑が滲む。
無言でSPの一人が差し出した車椅子にナナリーを降ろす。軽くなった両手を振り回し、汗だくの顔をシャツで拭いた。日本の首相に会おうというのに無様な姿だ。
しかし枢木ゲンブからすればブリタニアの皇族の身形など無様である程喜ばしいだろう。
せめてと泥のついたズボンを払い髪を整える。
息を整えた後に横開きの扉を開けると、豪華絢爛な玄関が現れた。
陶磁器があちこちに置かれ、壁には絵画が何枚も吊り下がっている。床には細かい刺繍の施された絨毯が敷き詰められていて、視界一面の情報量が凄まじい。長くここにいると目が回りそうだ。
それぞれの調度品のバランスや兼ね合いは全く考えず、とにかく豪勢さを最優先に考えた配置なのだろう。ブリタニアの華やかな皇宮に慣れているとはいえ、情報量で酔いそうになるほどの玄関は初めてだった。
そのせいで絵画と壺に挟まれるように男性が1人立っていることに気づくまで時間を要した。
男の容姿は平凡で、東京の歩行者天国を探せば3人か4人はいそうな顔をしている。この豪華絢爛な家の中にあっては気配が感じられない程に印象が薄い。こうして相まみえた瞬間でさえ、明日には忘れそうな顔だなと思う。
冴えない顔立ちが、華やかな顔立ちに慣れているルルーシュにとっては逆に新鮮で、以前見たことがあると思い出された。枢木ゲンブの筆頭秘書だと記憶している。
名前は確か、田中ハジメ。プロフィールを脳内で羅列する。
田中は深々と頭を下げた。ルルーシュも日本式に深々とお辞儀した。
「いらっしゃいませルルーシュ殿下。ようこそ日本へお越し下さいました」
「ご歓待感謝致します田中さん。日本に来たのは初めてですが、とても美しい国ですね。水も緑もブリタニアより豊かで澄んでいるように見えます」
「……に、日本語がお上手なのですね」
流暢な日本語を喋るルルーシュを田中は驚愕の顔で見下ろした。
「付け焼刃の勉強なので日本語の繊細なニュアンスはまだ理解できないことも多いです。しかし日常会話には困らない程度には学びました。言語の壁のせいで枢木首相、並びに日本人の皆さまのお手を煩わせる訳には参りませんから」
「それだけ喋ることができれば上出来ですよ。お話の通りルルーシュ殿下は聡明なのですね」
「いえ、私などまだまだです。ナナリーと共に日本で枢木首相の元より勉学に励むことが出来ればと思っております」
「———そうですか」
田中は痛ましいものを見る目つきで車椅子に座り両目を閉じるナナリーとルルーシュを見やった。
まずは中へと田中に案内され、ルルーシュはナナリーの車椅子を押して枢木邸の奥へと入る。
外見は日本家屋だったが内装は和洋折衷で、ありとあらゆる文化が混在している。ただただ派手で権威を見せびらかすような内装は、この家の主である枢木の性格が乗り移っているようでげんなりとする。
枢木は野心家で豪胆で頑固な男、と見せかけて、その実はただの臆病者だ。
自身に自信が無いから相手に財力と権力を見せつけなければ、負けてしまいそうで怖いのだ。そのために他の物の力を借りて、権威を身に着けようと必死になる。古い絵画だったり、骨董品だったり、ブリタニアだったり。
弱者を甚振り強者にへつらう、矜持の薄い男だ。でなければここまであからさまに人質を迎え入れて、さらに開戦の火蓋を切ることでブリタニアに恩を売ろうなどとは思いつくまい。
両開きの扉の前で田中は止まった。
「枢木首相、ルルーシュ殿下とナナリー殿下がいらっしゃいました」
「入れ」
威圧的な声にゆったりと背筋を伸ばす。
開いた扉の向こうには深々と安楽椅子に腰かける中年男性がいた。
容姿は特別優れているわけではない。かといって直視できない程の醜男でもない。腹部には脂肪がたっぷりと纏わりつき、肝臓が悪いのか眼球は黄色を帯びている。眼球の形が分かりそうなほどの金壺眼は部屋の明かりを反射して鈍く光っていた。
枢木ゲンブは立ち上がりにこやかな笑みを浮かべた。ルルーシュも微笑み、深々と頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいました、ルルーシュ殿下にナナリー殿下」
「この度はご歓待頂き誠にありがとうございます枢木首相」
「ありがとうございます、枢木首相」
「いやなに、異国間交流も大事ですからな。お若いお二人にはこの機会に是非日本の文化をよく学んでほしいものです」
鷹揚に頷き枢木ゲンブはルルーシュとナナリーに椅子を勧めた。
■ ■ ■
相手の隙を伺いながら和やかに会話をする技術は会得済みだが、まだ慣れない日本語を駆使して日本と枢木首相を賛辞し続けるのは些か苦しい。
数時間かけて枢木家の先祖から廊下に飾られていた悪趣味な壺まで、舌が引き攣る程に絶賛し尽くしたところでようやく満足した枢木ゲンブは、田中に命じてルルーシュとナナリーを2人の住居へと案内させた。
田中は慣れた足取りで枢木家を歩く。枢木家に頻繁に出入りできる程には信頼されているのだろう。
これからナナリーと共に暮らすだろう場所は本邸のすぐ隣にあった。
そこに到着し、ルルーシュは溜息を吐いた。予想以上に枢木ゲンブは愚かだった。
案内されたのは宿泊施設ではなくただの土蔵だった。物置にでも使用されていたのか、泥まみれで遠目から見てもあちこち崩れている。雨風をしのげるかどうかも危うい。電気も通っているか分からない。
どうせ死ぬ皇子と皇女をどう扱っても問題ないとでも考えているのだろう。
しかしもしブリタニアにこの仕打ちが知られれば、敗戦後に日本人が更に蔑まれる口実を与えることになると気づいているのだろうか。もしくは、自分がブリタニアに恩を売った後の日本には興味が無いのか。
何れにせよ、一国の主とは思えない程に馬鹿だ。
「———お二人には今後、ここで暮らして頂きます」
「ええ。よい場所ですね。枢木首相には後ほどお礼に向かわせて頂きます」
申し訳なさげな顔をする田中に微笑みかける。
困惑した顔をしている田中を前に、ルルーシュは視線をナナリーに向けた。
「ナナリー、とても良い場所だよ。綺麗な建物だ」
「綺麗な建物……どんな外見なのでしょう」
「そうだね。壁はすごく真っ白だ。窓がたくさんついていて花柄の飾り窓になっているよ」
「そうなのですか。ユフィ姉さまの部屋のようなのですね」
「ああ。ユフィの部屋にそっくりだ。ちょっと狭いけど、俺とナナリー二人なら十分な広さだよ。案内して下さりありがとうございます田中さん」
「……いえ、っ」
田中は歯を食いしばり、深々と頭を下げてその場を去った。
もう警護もいない。ルルーシュとナナリー二人だけが薄汚れた土蔵の前に立ち尽くしている。
爪が食い込む程手を握り締め、ルルーシュは首を振った。
「ナナリー、まず俺が入って様子を見てくるよ。ナナリーはここで待っていてくれるかな」
「いえ、私も一緒に、」
「もしかしたら車椅子が入れないくらいに物があるかもしれないからね。ちゃんと見てからじゃないと、車椅子がひっくり返ったりすると危ないだろう?」
「……そうですか。分かりました」
「ここから動かないように。ブリタニアへの悪感情を抱いている日本人もいるから。目の届かない所へは行かないで、」
喋り終わる前に突如として土蔵の扉が勢いよく開いた。蹴り開けられた扉の向こうには一人の少年が仁王立ちで立ちはだかっていた。
「それはお前らブリタニアが悪いんだろう!」
珍しい碧の眼に栗色の髪をした少年はルルーシュを睨みつけた。
「偉そうに!ここは俺の場所だったんだぞ!」
「君の?」
「そうだ!やっぱりブリタニア人って図々しいんだな。日本まで植民地にするつもりか!」
少年は顔立ちこそ柔らかい作りをしていたが、表情と声色は明らかにルルーシュへ攻撃的だった。
濃い肌色はアジア人だからというより、毎日太陽の下で活発に遊んでいるからなのだろう。しかし容姿は粗野ではなく、むしろアジア人独特の品があった。エメラルドを埋め込んだような美しい瞳の色に、その少年が枢木ゲンブの息子である枢木スザクだとすぐに分かった。
そして容姿を裏切る品の無い言動から、生まれた瞬間から品格が求められるブリタニアの皇族とは違う、ただの凡俗な少年なのだとも察せられた。
選挙で国の代表を決めるシステムを貶めるわけではない。しかし一般家庭から首相が輩出された場合、その子弟はただの一般人程度の教養しかないことになる。
枢木家は日本の名門と聞いていたが、枢木スザクは出会った瞬間に「こいつは帝王学の何たるかも絶対に全く学んでいない」と確信できるほどに、全くの庶民だった。
母親が庶民とはいえ、片手に満たない年齢から社交術を学ぶのが当然であったルルーシュからしてみれば、首相の嫡子の教養がこのレベルであるということは日本文化以上のカルチャーショックだった。
これでは、たとえ幼年であっても貴族皇族には品格が求められるブリタニアでは侮られて当然だ。
呆れるものの、相手は首相の息子であり礼儀は尽くさなければならない。さらにスザクは土蔵の前でふんぞり返っており微塵も動く気配が無い。
ルルーシュは諦めて慣れつつある微笑みを浮かべた。
「枢木首相のご子息枢木スザク様ですね。この度は私共のためこの建物をお貸しいただき誠にありがとうございます」
「別に俺が貸すって決めた訳じゃない。父さんが勝手に、」
「それは失礼致しました。この建物は枢木スザク様が所有されていらっしゃるのですか。それでしたら、私共も枢木首相にこの建物を枢木スザク様にお返し下さるようお願いさせて頂きます」
「……は?」
「今回私達が日本へ留学することは事前に二国間で決められていたこと。その対応について枢木首相は全権をお持ちです。その枢木首相が我々に自身の家の一部を貸すと決められたのならば、それは日本の首相の威光を以て、そうならねばなりません」
しかし、と続ける。
「元々この住居が枢木スザク様の持ち物であるというのならば、憲法第二十九条に定められているよう財産権が発生致します。公共の福祉に今回の件が適合するのかは判断致しかねますが、正当な補償が為されていないというのにスザク様からこの建物の所有権を取り上げる権利は私にはございません。スザク様が枢木首相へ陳情されたいとおっしゃるならば、当事者の一人として私も同行させて頂きます」
要約すると、駄々をこねたことを父親にバラされたくなかったらさっさとそこをどけ、なのだが。
枢木スザクは眉根を大きく顰めて声を張り上げた。
「そうやって理屈ばかりこねてブリタニアは卑怯なことばかりするんだな!」
「いえ、ただ私は枢木スザク様の要求を最大限尊重しようとしたまでです」
「嘘だ!」
「嘘ではございません。私が信じられないのならば、御父上に聞いてみて下さい」
言葉にできない怒りが溜まっているのだろう、スザクはルルーシュを睨みつけながら怒りで震えていた。
「お前は嘘つきだ!どこに飾り窓があるっていうんだ!」
「っ止めろ!」
頭に一瞬で血が上った。
ルルーシュには皇子として相応しい誇り高さがあった。母親が庶民だと侮られても、日本人から劣悪な対応をされても微笑んで応対したのは偏にその誇り高さ故だった。礼儀正しく、優雅に、そして賢しく在ることがルルーシュの誇りだった。
だからルルーシュは愚かだと思った人間はそもそも相手にしない。そのため、怒ることも無い。
足元へ噛みついた蟻に本気で怒る象はいない。無視するか、踏み潰すかのどちらかだ。
しかしナナリーに関してのことだけは、一瞬で怒りが沸点まで湧き上がる。
誇りより大事な尊厳の全てがナナリーだ。せめて酷い生活であってもその心持だけは安らかに、せめてナナリーの純粋な精神だけはそのままで。
そう思っていたというのに、スザクの一言はルルーシュの尊厳を傷つけた。
ここまでの目に遭わせておきながら尊厳まで奪うのか。
脳が真っ赤に染まる程の怒気がルルーシュを突き動かす。
腕を振りかぶり、スザクに殴りかかった。しかし拳は宙を切り、腹部に鈍器がぶつかるような衝撃を受けて息を詰めた。
視認もできない速度で躱され、腹を殴られたのだと気が付いたのは地面に這いつくばった後だった。
「どうだブリキ野郎め!日本人を舐めるな!」
地べたに倒れたルルーシュの腹をスザクは蹴りつけた。ボールのようにルルーシュは地面を転がる。腸がせり上がって呼吸ができない。胃液が逆流して舌が焼ける。
悔しい、悔しい。悔しい。悔しさで腹が煮える。
ナナリーが傷つけられたと言うのに報復もままならない。
自分とナナリーの尊厳を侮辱したこの少年が、高笑いしながら正論だと思い込んでいる暴論を振り翳しながら勝ち誇っているというのに立ち上がることもできない。
腕力も権力もない自分は地べたに這いつくばり許しを請うことしかできない。そしてそれが現在の最適解だと理解していた。
ルルーシュは一瞬躊躇した。ナナリーのためを思うなら、ナナリーをスザクが視界に入れる前に土に額を擦りつけて許しを請うべきだ。こんな暴力的な人間が足も動かず目も見えないナナリーに気づけば何をするか分からない。
しかしルルーシュは誇り高かった。こんな野蛮人に頭を下げるなど死んでも出来るわけがない。
腹部が千切れるような痛みと葛藤で、ルルーシュはスザクの足元に這いつくばったまま身動きが取れないでいた。
ただ暴力に耐えていたルルーシュより先にナナリーが動いた。
眼は見えなくとも、物音から兄が見知らぬ日本人から暴力を受けていることは察せられた。そして周囲に自分達以外の気配はない。
生まれて初めて身近に感じる暴力は、全身が震える程に恐ろしかった。しかしもう自分達の味方はいないのだとナナリーは薄々察していた。
長い長い階段を、兄が汗だくで自分を背負って登ってくれた。兄を誰も助けようとしなかった。だからもう、自分達は二人きりなのだろう。
ナナリーは肘掛を握り締め、恐怖で震えながら声をだした。
「や、やめてください!!私にできることなら何でもしますから、どうかお兄様に暴力を振るわないでください!お願いします……お願いします!!」
車椅子からずり落ちそうなほど勢いよく頭を下げたナナリーをスザクは視界に捉えた。ルルーシュは血の気が引いた。
自分が躊躇したせいでナナリーが危険な目に遭っている。数秒前の自分を殺したくなった。誇りなんて自分の命より価値があるというだけで、ナナリーと比べればゴミ屑のようなものでしかないというのに。
ルルーシュはスザクの足にすがりついた。
「お待ちください枢木スザク様!私の行動に妹は関係ございません!どうか、どうかご容赦を、どうか、」
スザクはルルーシュを気にせずナナリーを見やる。さっき一瞬顔を見た時、両目を閉じているようだった。
まさかと思いスザクは問いかけた。
「———お前、まさか目が見えないのか?」
「はい」
ナナリーは閉ざされている両目がスザクによく見えるよう顔を上げた。幼い顔立ちをした少女は閉じた瞳で真っすぐにスザクを見上げている。
「だから、安心してください。私には何もできません。戦うことも、逃げることも」
スザクは凛と顔を上げたまま恐怖で震えるナナリーを見やり、自身の足にすがりつくルルーシュを見下ろした。
「………じゃあ……」
さっきの嘘は、妹のためだったのか。自身の秘密基地だった土蔵を見る。
飾り窓どころかちゃんとした窓もない黒く汚れた土蔵。隣にそびえたつ自身の家を比べると汚く小さく、とても住めるような場所には思えない。
スザクは正義感の強い子供だった。自分の正義は絶対なのだと心から信じていた。
ブリタニア人は冷徹で、卑怯な奴らばっかりだ。だからブリタニアの皇子と皇女は、信じられないくらい我儘で、血も流れていない化け物みたいな奴らなんだ。友達も、学校の先生も、父親の仕事仲間もそうだと言っていた。だからスザクもそう信じた。
だから土蔵を皇子と皇女が使うと聞いてて、正義感に動かされるままブリ鬼に正義の鉄槌を食らわしてやろうと待ち構えていたのだ。
だがこれはどういうことだ。なんでこの二人はこんなに薄汚れた格好でいるんだ。どうして二人ともスザクに許しを請うているんだ。
改めて二人の子供を見る。ナナリーは柔らかくて長い栗色の髪をした可愛い女の子にしか見えない。学校にいれば噂になるぐらいに可愛い。手も足も細くて、折れてしまいそうなほどに儚い。
そして地べたに這いつくばりながら妹をスザクから守ろうとするルルーシュは、同年代の子供とは思えないぐらいに綺麗だ。顔立ちは中性的で顔のパーツ一つ一つがいちいち美しい。髪は濡れた烏の羽のように青味を帯びていて艶やかしく、瞳は透明な菫色をしている。
同級生どころかテレビで見る芸能人より遙かに、写真でしか知らない母親よりもずっと綺麗な人だ。
こんなに綺麗なものをスザクは初めて見た。
まるで女の子のように華奢なルルーシュの体躯は、スザクが蹴り飛ばした痛みに耐える様に土で汚れながら丸まっていた。
「っ、あ、」
そういえば、確かに多くの人たちからブリタニアについての悪い話を聞いたが自身は何もブリタニアの被害に遭っていない。
枢木の家は裕福で、戦争だの貿易だのと父親から愚痴は聞くものの食うに困る羽目になったことは無い。衣服や住むところに困ったこともない。勉強しろと口うるさく言われるが、剣道をやりたいと言ったら次の日には父の秘書が全て手続きを済ませて道場に通わせて貰えた。
そもそも直接ブリタニア人に遭ったのもこれが初めてだ。
そして初めて見たブリタニア人は、これまで見たどの人よりも、ただ只管に美しい。
しかし自分が悪かったと気づきながらも、面と向かって謝ることが出来る程にスザクは大人ではなかった。
「ご、ごめんっ!」
投げ捨てるように言い放ち、スザクは逃げ出した。地べたに這いつくばるルルーシュも、車椅子の上で恐怖に体を震わせるナナリーもそのままに、いつも全てが自分の思い通りになる家へと戻った。
ルルーシュは野蛮人がいなくなったことに安堵し、立ち上がって体についた埃を払った。
「お兄様、大丈夫ですか?」
「勿論。平気だよナナリー」
「誰だったんですか?子供の声でしたけど……」
「多分、枢木スザク……枢木首相の子供だよ」
「まあ……そうなのですか」
ナナリーは不安そうに眉を下げた。
ここは枢木家の敷地内であり、勿論枢木スザクは非常に近い場所に住んでいる。これから遭遇することも多いだろう。その度に暴力を振るわれてはたとえ子供同士の喧嘩であっても死にかねない。
「大丈夫だよナナリー。今晩枢木首相に会うことになっているから、枢木スザクにはここに近寄らないよう言ってもらおう」
「そうですね。そうして下さいお兄様」
微笑んだナナリーを頭を撫でる。お辞儀をしたせいで崩れた髪を直すと、ナナリーは笑みを深くした。
「それじゃあ中を見てくるから、ナナリーはそこにいるんだよ」
「分かりましたお兄様」
扉を開けた土蔵の中から見える位置にナナリーが座る車椅子を置き、ルルーシュは薄汚い土蔵に入った。
やることはいくらでもあった。掃除も、洗濯も、料理も、これからは自分でしないといけない。
出来なければ死んでしまう。
生き残らなければ。
■ ■ ■
「そうか。それは悪かったね」
「いえ。私共もスザク様に無断であの場所をお借りしたわけですから……しかしナナリーも怯えてしまいまして。どうしたものかと」
贅を尽くした食事がテーブルに並んでいる。隣に座るナナリーの口元へ切った肉を運び、咀嚼が終われば次にスープを手に取る。小鳥のように食事をとるナナリーはとても可愛らしい。自分の食事はそっちのけでルルーシュはナナリーの介護をしていた。
「愚息はどうにも思慮が足りないところがあってね。申し訳ない、ナナリー皇女殿下」
「私は大丈夫です枢木首相。でもお兄様が怪我をされてしまって」
「そうだったのですか。それは大変申し訳ない」
「かすり傷ですから。平気ですよ」
本当は酷く鬱血する程の傷なのだが、大ごとにすれば面倒になる。
枢木ゲンブは申し訳なさそうに眉根を寄せ、スザクとは全く違う全体的に肉の薄いルルーシュの体躯を眺めた。
「ルルーシュ様はスザクと違い野山を駆け巡るような粗野な方ではありませんからな。どうか手当をさせて頂きたい」
「いえ、そんな」
「お兄様、そうされてはいかがでしょう」
ナナリーは心配そうにルルーシュの顔を見上げた。
「スザクさんに殴られたとき酷い音がしました。ちゃんと診て貰うべきだと思います」
「———そうだな。じゃあそれまでの間、ここで待っててくれるか?」
「どうせですから今日はこちらに泊まられてはいかがでしょうか。部屋もすぐに用意させましょう」
ぬけぬけと口を開くゲンブを冷ややかに見やる。何とも胡散臭い。
ここに泊まれと言うのであれば、なぜあんなボロい土蔵に放り込んだというのか。
今更ブリタニアに遠慮をしているということもないだろう。思いつく理由は一つしかない。
妻を亡くしてから恋人も愛人も持たない、愛妻家で厳格な首相というイメージが通っている枢木ゲンブだが、その性癖は褒められたものではない。
若い女性が好みなのはほぼ全ての男性に共通しているのだろうが、枢木ゲンブはその対象年齢がいささか若すぎる。幼いと言っても良い。
表沙汰になってはいないが、裏では色々とその性癖のせいで事件を起こしており、表沙汰になりかける度に揉み消して、権力と金で周囲を黙らせている。
まさかとは思うが、まだ9歳のナナリーも、と疑ってしまう。
しかし断るのも会話の流れからしておかしい。
それにベッドどころかシーツさえないあんな土蔵にナナリーを寝かせるのは忍びない。
「—————突然お邪魔するなんて、ご迷惑ではありませんか?」
「いえいえ。無駄に広い家ですからね。使用人以外ではスザクと私しか住んでいませんから。部屋はいくらかあるのですよ」
ならどうしてそちらの部屋に住まわせてくれないのだろう。
嫌がらせにしては態度がおかしい。
ナナリーの食事が終わり、ようやく自分の食事も終えたルルーシュを枢木ゲンブは急かすように立ち上がらせた。
「さあさあ、どうぞ。こちらへ」
背中を押される。強引な様子はあまりに不自然だったが、自分より遙かに背丈が高く力も強い枢木ゲンブに逆らうことはできなかった。
傷の手当だけしてもらってナナリーと同じ部屋で眠らせてもらえば大丈夫だろうか。
シングルベッドでもいい。なんなら床でもいい。ナナリーと離れ離れになることが怖かった。
もし枢木ゲンブが何もしなかったとしても、この家にはあの野蛮人の枢木スザクもいるのだ。もし自分が離れている間にあの野蛮人がナナリーになにかしたらと思うと心配で吐きそうだ。
「ナナリー、」
「ナナリー殿下はすぐにお部屋へお通ししますよ。ご心配なさらず」
「お兄様」
心配そうな顔をするナナリーに、ルルーシュはできるだけ穏やな口調を作った。
「大丈夫だよナナリー。すぐに戻るから。いい子にしているんだよ」
「————はい、分かりました、お兄様」
慣れない枢木邸では一人で身動きもままならないナナリーは、部屋から出ていく枢木ゲンブとルルーシュを見送ることしかできなかった。
腕を取られ、ルルーシュは人形のように枢木ゲンブに運ばれた。
この家の一番奥の部屋に引きずりこまれる。枢木ゲンブの私室らしかった。
豪奢と言えば聞こえは良いが、調和のとれていない巨大なベッドと絵画、それに整然と並べられた賞状やトロフィーが何とも言えない気味の悪さを部屋全体に巻き散らかしている。
枢木首相の妄執とでも呼べばよいのか。首相という肩書に相応しい才覚と実績があるのだと、自分自身に言い聞かせるような部屋にはいっそ憐れささえ感じた。
実力の伴わない地位に就任することは周囲にとっても当人にとっても悲劇だ。
「全くスザクは困ったものです。こんな美しい方にそんなことをするなど」
「っ、いえ」
「では僭越ながら手当をさせて頂きますので、服を脱いでいただけますかな」
頭の先から足の先まで、舐めるような視線で見られている。
先ほどまで十人なみの容姿だと思っていた顔が酷く気持ち悪く歪んでいる。思わず鳥肌が立ち背後に後ずさった。しかし狭い部屋ではそう距離も取れない。
「湿布か塗り薬でもいただければ、自分で」
「脱いでいただけますかな?ルルーシュ殿下」
瞳が腐った汚泥のような色をしている。
枢木スザクの瞳はもっと綺麗で澄んでいた。ことここに至って、枢木スザクは母親似なのだろうとぼんやりと思った。
震える指でシャツを脱ぎ、床に落とす。枢木ゲンブは上半身を剥き出しにしたルルーシュの紫色に変色した腹部を見やり、そしてその上へと視線を映して眼を見開いた。
大股で近寄り、確かめるように両手でルルーシュの胸をまさぐる。行動の意味が分からない。ただただ気色が悪く身震いした。芋虫のように太い指が両胸に沈み、揉み解すように蠢く。
「っ、はは、」
「枢木首相、何を」
「あっははははは!なんだこれは!」
まるでズダ袋のように軽々と持ち上られ、放り投げられた。投げられた先には大きなベッドがあった。
ギシギシと軋むベッドの上で何度かバウンドする。枢木ゲンブはベッドに乗り上げルルーシュに覆い被さった。
「まさか女とは、貴様身代わりか?それともマリアンヌ皇妃が嘘をついていたのか?」
「嘘とはなんのことですか!?なんと無礼な!」
「貴様、女ではないか!何が皇子だ!」
ぽかんと口を開ける。
女。誰が?
自分の体の下を見る。薄い胸に腹。あばらの浮いた肋骨。女らしさなど全くない。
ルルーシュが思う女とはマリアンヌやコーネリアのような豊満な肉体を持つ、いかにも柔らかそうな体を持つ人々だ。
こんな脂肪のついていない肉体のどこが女性だ。
枢木ゲンブの頭がおかしいのだろうと判断し、ルルーシュは組み伏せられながらも身を捩った。
「何をおっしゃるのですか、枢木首相。私は男です。胸も無ければ柔らかくも無い」
「馬鹿だな、貴様は」
「は?」
ゲンブはルルーシュのズボンを脱がせ、両足の間に体を捻じ込んだ。
「ここに穴が開いているのは女だけだ」
ずるりと両足の間に指を這わせられる。
そこを触られたのは初めてで、なんとも言えない違和感を感じた。
自身の体と思えない感覚は、気持ち悪いという以前に膜を隔てたような現実味の無さだった。
シーツの上で体を起こして自分の下半身を見下ろす。薄い腹についた臍の下、薄っすらと生えている陰毛。その下には豆粒のように小さい陰茎がある。その下をゲンブに弄られている。
ゲンブは息を荒くしながらズボンの前を広げた。
「12歳か、そうか。いい年齢だ」
大きく両足を広げられ、剥き出しになったゲンブの男根が腹に乗る。
「ひ、」
「この部屋は防音だ。いくらでも叫べばいい」
自分の陰茎とは比べ物にならない大きさと色に身の毛がよだった。股間から臍まで届く程の大きさに、ピンク色でちんまりとした自分の陰茎が押し潰される。
「あ、」
こわい。
枢木ゲンブの指が自分の足に沈む。
事が終わって、ルルーシュはベッドに倒れていた。あらぬところが痛い。シーツには赤黒い染みができている。
枢木ゲンブはベッドに腰掛け煙草を吸っていた。
「この家に泊まりたい時には泊まれば良い。食事もベッドも容易しよう。お前の妹の分もな」
無様に倒れている現状を許容できない。軋む体を動かす。
髪を整え、シーツの上に座り込んだ。
顔を両手で揉み解す。マリアンヌを思い出す。
ルルーシュが思う限りで世界で最も美しい人はマリアンヌだ。あそこまで強くて美しい人はいない。あんな女になれば、きっとナナリーも自分自身も守れる。
どうやって笑えばいいのだろう。脳裏でマリアンヌの笑みを思い浮かべた。
口角を引き攣らないように上げて、目を細めて、しかし下品には見えないように口は閉じる。
やや上向きにねだる様な角度で見上げて、甘い声で、しかし媚びない程に冷たい声で。
「えぇ。よろしくお願いいたします」
振り向いた枢木ゲンブにルルーシュは艶然と笑みを浮かべた。その笑みは美女を見慣れた枢木ゲンブを放心させる程に美しかった。
シーツを握り締める。
泣く程のことじゃない。こんな奴に傷つけられるほど弱くなんてない。
こんなことで泣くぐらいなら、俺は死んだ方がいい。