※この作品はR-18です。

楽園爆破の犯人たちへ 序   作:XP-79

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8. 嬉しかったんだ。その言葉さえあれば生きていけると思った

 日本に来てから3週間が経った。

 

 薄暗い夕方ならブリタニア人とはバレないだろうと考えたのだが、甘かったらしい。

 普段は穏やかな商店街に、今は怒号が飛び交っている。喧嘩かと心配して身に来る者たちもいるが、囲まれているのがブリタニア人だと知ると迷惑そうな顔をして無視を決め込んだ。

 今の政情では、日本に住むブリタニア人に人権は無い。

 

 四方八方から視線や罵倒を受け、石を投げられながらもルルーシュは荷物をかばった。食料が尽きた今、これが無くては今日は枢木邸に泊まるしかなくなってしまう。それはなんとしても回避したい。

 しかし隙間なく周囲を囲む日本人達から逃げ出すのは困難だ。几帳面なまでに隙間を埋め尽くす野次馬達に舌打ちする。

「謝れブリ鬼!」

「お前のせいでどれだけの人が苦しんだと思ってるんだ!」

「死ねゴミ野郎!」

「道路に引きずり出せ!車に轢かせろ!」

 罵倒されながらもルルーシュは周囲を見回す。

 ここは枢木邸の近くにある商店街の一角である。時間は夕方をやや過ぎており、落ちかけている夕陽が人々の足元に長い影を作っている。行き交う人々は手に買い物袋を持ち、暗くなる前にと足を速めていた。

 しかし基本的に日本人はお祭り好きで、他者に迎合したがる。何やら人込みが騒いでいれば足を止めたくもなる。ルルーシュを囲む人込みはそうやって徐々に厚くなっていた。

 

 歩道に立つルルーシュを人々が取り囲む。段々と罵倒にも熱がこもり、地べたに這いつくばって荷物を抱えるルルーシュをどつく手も増えている。

 このままでは道路に押し出される。平日の夕方の交通量はそれなりに多い。車道に出れば子供のルルーシュなど一瞬で吹き飛ばされ、運が悪ければ死ぬ。

 罵倒を止める者は無く、段々と狂気じみた悲鳴に変わり始めてきていた。

 

 くそ、くそ!殺人だぞ!捕虜だって国際法ではもっと人権を尊重されている!

 教養も無ければ理性も無い野蛮人共め!

 

 ルルーシュは歯を食いしばり、今晩の安寧を諦めた。

 握り締めていた荷物を手近な人間に投げつける。周囲が少しひるんだ隙に逃げようとするも、すぐに手足を捕まえられ地べたに縫い付けられた。

「何逃げようとしてやがんだ!」

「くそ、こいつが投げたせいで怪我した、」

「大丈夫か?」

「やっぱりブリタニアは卑怯だ!」

「顔に投げつけるなんてなんて酷い!」

「子供でもブリタニア人だ!」

「卑怯な民族め!」

 

 客観的に見てどっちが卑怯かなんて明らかだろう馬鹿どもが!全員死ね!

 脳内でそう叫びながらも、ルルーシュはしかし歯を食いしばり口にはしなかった。

 

 

 ルルーシュは怒り狂いながらも耐えることができた。それはこの場から逃げ出すためだけではない。

 どうせ長くともあと1か月以内にこいつらはブリタニア軍に虐殺される。そう思うと、顔を醜く歪ませて罵倒してくる彼らに憐れみすら湧いてくる。

 ブリタニア軍は神聖ブリタニア帝国のためならばなんでもして当然と思い込んでいる、夥しい量の兵士を孕んだ集団だ。彼らは子供も大人も老人も差別なく、平等に悉く殺し尽くす。

 

 その時こそ彼らはブリタニアは卑怯で酷い民族だ、謝れ、と罵倒しながら石を投げる権利を持つだろう。

 だがその時に怒りのために声を上げて歯向かう勇気を持った人間がいるだろうか。

 

 皆無ではない。藤堂などはその一人だ。彼は日本が敗北すると理解していながらもブリタニアと戦う覚悟がある。

 だがこうして無力な子供に鬱憤を晴らす程度のことしかできない輩の中に、強者へと拳を振り上げ怒りの声を上げる英雄がいるようには思えない。

 所詮こいつらはその程度。相手にする価値も無い有象無象の何某かでしかない。そしてそういった連中の大半は戦争を生き残れない。

 

 暴徒達を憐れみながら鼻で嘲笑うと、集団はさらに殺気を増した。

「このガキ!」

 頭に血が上った一人がルルーシュの胸倉を掴み、腹を殴った。

 殴られた勢いのままルルーシュの体は車道へと吹き飛んだ。頬への衝撃と宙に体が浮く感触がない交ぜになって意識が一瞬飛ぶ。

 急に車道へ飛び出した子供に車のクラクションが鳴り響いた。

 は、と。殴った男の顔色から一瞬で血の気が引いた。男にルルーシュを殺す気は無かったのだろう。

 何しろ彼らは集団で集まらないと子供一人叩けない凡人だ。人を殺す覚悟も、殺される覚悟も無い、ただの愚鈍などこにでもいる人間だ。

 

 しかしルルーシュは暗殺に慣れ切っており、平穏とは遠い暮らしばかりしてきた。最近では殴られることにも慣れた。

 車が来るタイミング、殴られた場合の方向は既に予測していた。

 

 子供がいきなり車道に飛び出れば高確率でブレーキを踏む。かなり手前で減速した車の前でルルーシュは地面に落ちた。

 殴られた腹が焼けつくように痛い。しかし休む暇などなく、すぐに起き上がりそのまま車道の反対側へと逃げる。

 タイミングよく赤信号になり車の流れが止まる。車体の間を縫うように走りながら、先ほど遠目に見えたスザクが来るのを待った。

 

 学校帰りでランドセルを背負ったスザクは素晴らしいスピードで走ってくる。隣を走る車とほぼ同じくらい

 速い。速過ぎる。もういっそ車道を走れと言いたい。あいつは歩道を走るべきじゃない。純粋に周囲が危ない。

 

 逃げ出したルルーシュを追いかけようとした男に、スザクはモーターを搭載しているかのような速度を殺すことなく背後から強烈なタックルを食らわせた。

 ピンポイントで脇腹を抉られたのだろう。うめき声を発しながら男は道路へ向かって吹っ飛んだ。走るルルーシュの隣を、気絶した男は水面に投げられた石のように軽快にバウンドする。道路の反対側へと到達した男はガードレールにぶち当たって道路に落ち、ピクリとも動かなくなった。

 

 仕留めた男に眼もやらず、スザクは他の人たちからルルーシュを護ろうと立ちはだかる。

「お前らなにしてるんだ!」

「なんだこのガキ、」

「ルルーシュ早く逃げ、ってもう逃げてる!逃げ足だけは結構早いねルルーシュ!」

「だけは余計だ馬鹿スザク!」

 馬鹿って言うな!という反響を聞きながらとにかく逃げる。

 

 商店街を抜け、人通りの少ない道を選んで走る。体力が致命的に無いため物陰に隠れて休憩を挟みながら、只管に枢木家を目指す。あれだけの騒動が起こったのだから、逃げ出したルルーシュをさらに甚振ろうと探している野次馬がいないとも限らない。

 

 スザクのことはあまり心配していなかった。あの武術に関してだけは天才的な少年は、あれだけの人数に囲まれても無事に脱出できるだろう。

 むしろ『枢木首相の息子、傷害罪で逮捕。父子家庭で育ったが故の教育の歪か』という一面が明日の新聞に載る方を心配した。

 

 まあ手加減はするだろう………するよな?

 うん、素人相手に本気を出す程あいつは馬鹿じゃ……………馬鹿かもしれない。

 ………スザクはまだ少年法が適応される年齢の筈だ。うん。大丈夫。多分。多分。

 

 

 人目を避ける様に長い階段を上り、ようやく土蔵に辿り着いた。

 夕陽は既に落ちかけている。汗を垂らし、荒く呼吸を繰り返しながらようやく今の家である土蔵に到着した。

 しかし土蔵は、廃墟より無残な有様になっていた。

 

 土蔵は所々漆喰に亀裂が入っていたり板張りが抜けていたりもするが、枢木の敷地内にある建物がそう汚いわけもなく、周囲はきちんと掃き清められていた。

 しかし今では土蔵を中心とした地面にゴミが巻き散らかされている。乾かしていた洗濯物は泥水を被り、水が滴っていた。止めといわんばかりにスプレーで扉に『ブリ鬼は死ね』と乱雑な文字で描かれている。

 

 怯えるより先に、なんて語彙力の無い罵倒だと呆れが立つ。

 そしてとうとうここにブリタニア人が住んでいると知られたことに歯噛みした。面倒なことになった。

 

 森に行ったり、顔を隠しているとはいえ街中で買い物をしていたためにいつかは見つかると分かってはいた。

 しかし枢木の領地内だからそれほどの影響は受けないだろうと高を括っていていたが、この有様とは。これでは、これからここでまともに生活することなどできない。

 ここは裏手が森で、侵入しようと思えば簡単に入れてしまう。首相が住む本邸には厳しい警備が布かれているが、物置の土蔵はその範囲に無い。

 ルルーシュとナナリーを監視する人間は多いが、彼らは護衛でも警備でもない。

 

 あまりの有様にその場に立ち尽くしていたのは一瞬だった。

「……ナナリー、」

 スザクが学校に行っている間だったから、ナナリーは一人だけでここにいる。

 最悪の可能性が脳裏を過り、ルルーシュは土蔵の中に駆け込んだ。

 

 薄暗い部屋に埃臭いにおい。その中心にナナリーが座っていた。夢でも見ているようなぼんやりとした顔は泣き顔よりずっと恐ろしい。

 ルルーシュはナナリーに駆け寄った。

「ナナリー、ナナリー!」

「お兄様。どうされたのです?」

 ナナリーはブリタニアにいたころより明らかに痩せている。いつもほんのりとバラ色に染まっていた顔色はここ最近いつも青白い。

「ナナリー、大丈夫か!?」

「何かあったのですか?私は大丈夫ですが」

 小奇麗な服を着たナナリーはきょとんとした顔で首を傾げている。その様子は今朝家を出た時と大きな違いは無かった。

 

 ルルーシュは声を詰まらせ、言葉を飲み込んだ。

「……いや、物音がしたから。誰か来たのかと思ったんだよ」

「確かに先ほど扉の外に誰かが来ていたようですね。しかしこちらに入っては来なかったので、迷子の方かと思ったのですが」

「そうだね。そうだったんだろう」

 ブリタニアにいたころより細くなったナナリーを抱き締める。暖かい。いや、熱い。額に手をやると熱がある。

 ルルーシュは顔を顰めて頬に触れた。滑らかな肌が手に吸い付く。

「くすぐったいです」

「そうか。じゃあこうだ!」

 楽しそうなナナリーの体を擽った。きゃっきゃとナナリーは笑いながら身を捩る。

「もうお兄様、酷いです!」

 ぷんと頬を膨らませて怒る真似をするナナリーの頬をつつく。ぷにぷにだ。柔らかい。生きているという感触がして胸を撫で下ろす。

「ごめんねナナリー。暑いだろう。布を冷やしてくるよ」

「お願いします」

 細い四肢を抱えながらゆっくりと布団に寝かせた。随分と軽い。

 

 栄養はスザクが買い物に行ってくれた時と、枢木邸に泊まった時に摂取はできている。

 しかし慣れない異国で目が見えず歩けもしない日々は、ナナリーを精神的に追い詰めていた。食事が上手く食べられず、食べても吐いてしまう。体調はちょっとしたことで容易に崩れてしまい、今日のように熱が出ることも多い。

 隙間風が通る土蔵で寝泊まりしているという環境も、ナナリーの体調を崩す要因なのだろう。

 

 土蔵の裏手にある川に行き布を湿らせる。

 すぐにナナリーの所に戻り、額に冷たく湿った布を乗せた。

「体は大丈夫かい?」

「ちょっと熱いです」

「そうだね。熱があるようだし、今日は枢木の家に泊まらせてもらおうか」

「……お兄様、」

「何だい?」

「———枢木の家にずっと居させてもらうことはできないのでしょうか。お兄様は泊まる度に枢木首相とお話させて頂いているんでしょう?その時にお願いすることはできませんか」

 

 無垢な顔でナナリーはルルーシュを見上げる。

 瞳は開いていない筈なのに視線が突き刺さるような気がした。聡明なお兄様が、どうしてこれまでそうしなかったのか。問い詰められているような気がした。

 

 息が止まる。

 思わず片手で自分の口を抑えた。脳内で甘ったれたルルーシュが「嫌だ」と叫んでいた。

 

 もし自分しかここにいないかったら疾うに首でも吊っている程に、枢木家で過ごすのは嫌だった。

 あの枢木ゲンブに組み敷かれている度に、自分に残った数少ない誇りを剥がして売っているような、戻れない道筋を辿っているように思えた。

 今や粉々になってバラバラになりそうな自身を繋ぎ合わせて、ルルーシュは枢木ゲンブの前でマリアンヌを演じ続けている。

 まだルルーシュが発狂していないのは、自分がいないと死んでしまうナナリーという存在のためだ。

 

 拳を握り締める。ナナリーは悪くない。ナナリーは何も知らないんだ。だって何も言っていないんだから。

 自分が女の体を持っていることも、枢木ゲンブに凌辱されていることも。言える筈が無い。

 そんなことを言って、汚いと思われたらどうやって生きていけばいいんだ。もう自分にはナナリーしかいないのに。ナナリーを守ることしか生きている意味なんて無いのに。

 もうナナリーの他に誰もいないのに。

 

 掌を爪で抉る。

 微笑め。

 ナナリーのためだ。ナナリーのためなんだ。

 

 

 

「そうだね、図々しいかと思って遠慮していたんだけど、頼んでみようか。またこんなことがあったらいけないし」

「ええ。お兄様もお店に行って買い物をするなんて手間でしょう?枢木邸にはお手伝いさんもいらっしゃいますし、お兄様がそんなことをされなくても良いと思うのです」

 まだ皇女気分が抜けないナナリーの発言は無邪気だった。

 

 皇族は店に買い物に行くことはしない。買い物がしたければ使いを送るか、直接品物が見たければ店主に皇宮へ商品を持って来させるのが普通だ。

 自分たちもつい数週間前までそうして買い物をしていた。生まれてから12年間、贅沢な食事、衣服、寝具に調度品、全てに困らない生活を送った。

 しかしルルーシュはもうその過去を忘れ始めている。現実と向き合うために、華やかだった過去は捨て去らないと足取りが重くなる。

 

 あと最低でも2週間以内にはブリタニアが日本に侵攻してくる。その切っ掛けとなるために自分達は暗殺される予定になっている。それが今の現実だ。しかし死ぬつもりなんぞ更々無い。

 ブリタニアの思惑通り死んでやる程に、ルルーシュは物分かりが良い男でも女でもない。

 地べたを這い蹲って泥を食らいながらでも、ナナリーと共に生き延びる覚悟があった。

 死んでたまるか。あんな皇帝のせいで、あんな国のせいで、自分もナナリーも死んでたまるか。

 負けてたまるか。

 

 ————————でも。

 

「そうだねナナリー。これからちょっと掃除をしてくるよ。あと枢木首相に今日は泊まれないか聞いて来るから」

「はい。早く戻ってきてくださいね」

 ナナリーを布団に寝かせ、ルルーシュは微笑みを保ちながら外に出た。

 

 

 

 

 玄関から数歩先まで歩き、地べたに座り込む。歩く気力も無い。

 ゴミが散乱する家前。泥だらけの衣服。粗末な家。それがルルーシュの今の環境の全てだった。それが嫌なら体を売るしかない。場末にたむろする娼婦より無様な生き方をしている。

 誇りを全て売り払ってでも、生き延びたいのか。自問する。

 生き延びたい。それは間違い無い。

 

 でもそんな命に価値があるのかは分からない。

 だって誰一人として、今のルルーシュを肯定する人はいない。

 

 夕陽が海に落ちていく。ぼんやりと眺めた。

 邪魔なビルの群れが無いためか、ブリタニアで見た夕陽よりずっと美しい。日本という土地にあって、海面を照らす夕陽はどこか郷愁を感じさせる。

 こんなことをしている暇は無い。早く立ち上がらないと。しかし体が動こうとしなかった。

 

 ブリタニアにいた頃、大量の仕事のせいで疲れ切って倒れてしまうことがよくあった。しかし意識はしっかりしているというのに体を動かせないことは無かった。

 早く洗濯物をもう一回洗って、掃除をして。それから枢木ゲンブに、これからは枢木邸に住まわせて貰いたいと頼まなくてはいけない。

 そう分かっているというのに、手足が麻痺したように動かない。

 全速力で走ったせいで疲れているんだろう。少し休めば大丈夫だ。

 泣く程のことじゃない。殴られるのも罵倒されるのも、初めてのことじゃない。また立ち上がれる。

 何回だって、自分とナナリーが生きてさえいれば立ち上がれるはずだ。

 

 そうしていると足音が聞こえてきた。大人の足音だ。スザクじゃない。

 枢木ゲンブか、もしくは彼の伝令のため田中が来たのだろうか。スザクから事情を聴いて、今日は本邸に泊まれとでも言いにでも来たのかもしれない。

 もしくは一足早く暗殺者でも来たか。

 のろのろと頭を上げる。

 

 長い、長い影が伸びていた。

 重苦しい程に大きいスーツケースを転がしながら、その男はいつものようにルルーシュを視界に入れた瞬間、弾ける様に駆け出した。ぐんぐんと近づく男はあまりに見慣れた顔をしていた。

 動かせなかった筈の手足が動揺で強張る。

「嘘だ」

 

 有り得ない。これは夢だ。都合の良い、夢。

 しかし夢にしては殴られた腹は痛いままだった。

 とうとうルルーシュの元に辿り着いた男は、息も荒くルルーシュを見下ろす。深緑色の髪にオレンジ色の瞳と、視界に入るだけで騒々しい色彩をしていた。見慣れた軍服姿でなくともこの男を見間違える筈が無い。

 だが自分の眼が信じられない。

 

 地べたに座り込んでいるルルーシュに、男は眼を潤ませながら跪いて首を垂れた。

「————遅れてしまいました。申し訳ございませんルルーシュ様」

「………嘘だ」

「ルルーシュ様、」

「嘘だ!」

 無様に地面に座り込んだまま、ルルーシュは男から少しでも距離を取ろうと後ずさる。

「お前が来る筈なんて無い!お前がここに来ても何もいいことなんてないんだ!」

 動転のため声が裏返るルルーシュに、ジェレミアは涙を堪えるように顔を歪ませた。

 

 嘘だ。信じられない。理解できない。

 利益が無いどころではない。死ぬかもしれないのに。

 ついこの前まで同僚だった兵士達に裏切り者だと罵られて、無残に殺されるかもしれないのに。

 

 だが彼は現実にここにいた。

 ルルーシュにはとても理解できない選択を彼はしてしまった。言葉にできなかったルルーシュの期待に彼は応えた。

 ジェレミアはルルーシュに跪いた。薄汚れた土蔵の前で、ゴミの中蹲るルルーシュに、それでも迷いなく首を垂れた。

 地べたに這いつくばるルルーシュの手をそっと握る。

「—————いいことなら、あります。お、遅れてしまいました。また私は、あ、あな、あなたが酷い目に遭っている時に、遅れてしまった。騎士失格です。でも、」

 でも、でも。滂沱の涙を流しながらジェレミアはルルーシュの指を恭しく持ち上げた。

「あ、あなたが、あなたが生きていてくれて、よかった。本当に、よかったっ」

 

 生きていてくれて、よかった。

 

 指先から染みわたる様に、その言葉の意味をゆっくりとルルーシュは理解した。

 指先に滴る涙が痛い程に熱い。熱はじわじわと全身に伝わり、感覚が少しずつ鋭敏になっていった。瞼が震えた。喉が焼けるようだ。

 もう、なんと言っていいのか分からなかった。どんな言葉でさえ足りないと思った。そしてこの男はルルーシュからの謝意を求めてもいないことはよく分かっていた。

 

 きっと男は、ルルーシュの叱責を求めていた。ならばルルーシュは自身の誇りのため、男の求めに答えなければならなかった。息を吸い込む。

「遅い!馬鹿野郎!」

 ルルーシュの声は高らかに響いた。

 跪くジェレミアの元に崩れるように倒れ込む。

 抱き着いてわんわんと大声をあげて泣いた。強く抱き返される感触がした。

 

 

 嬉しかったんだ。

 その言葉だけでまだ生きていけると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思った次の瞬間、スザクの飛び蹴りがジェレミアの脇腹に直撃した。

「ルルーシュから離れろこの変態野郎!!!」

「ぐほぉあ!」

「じぇ、ジェレミアァア!!」

 綺麗に吹っ飛ぶジェレミア。スザクは蹴りが決まった瞬間ルルーシュを背後に庇い、ジェレミアに対してボクサーのようなファイティングポーズを取った。

「お前!ルルーシュは確かに貧弱だけど男だぞ!男!それを抱き締めるなんて、へ、変態だー!!」

「まてスザク、ブリタニアにはキス&ハグの習慣があるんだ!男同士でもハグするし、ほっぺにならもキスもする!それよりジェレミア、ジェレミア生きてるか!?」

「・・・・・る、るるーしゅさま、私はあなたが生きていて、そして幸せであってくれれば、それで・・・」

「ジェレミアアアアアア!!」

「チッ、僕の飛び蹴りを受けてまだ意識があるなんて・・・こいつ・・・」

「『こいつ・・・キリッ)』じゃない!お前はいい加減学べ!状況から判断した勝手な思い込みを無くす!初対面の人に暴力を揮わない!いい加減サルから人間になれ!」

「え、野蛮人じゃなかったの。まさかのランクダウン?」

「ジェレミアに暴力を揮った以上、貴様は野蛮人からアウストラロピテクスにランクダウンだ!おいジェレミア、しっかりしろ!おいそこのアウストラロピテクス、今すぐ水を持ってこい!」

「…ジェレミア、さん?」

 騒がしい外から、聞きなれた、しかし聞こえる筈の無い声を聞き取りナナリーは土蔵から顔を出していた。

 怯えながらも周囲の気配を察しようと顔を振っている。

「お兄様、今、ジェレミアさんの声が」

「ナナリー、そうだよ。ジェレミアが来たんだ」

「そうなのですか!」

 ぱあ、と一瞬で顔を明るくしたナナリーに、ルルーシュも胸が張り裂けそうなほど嬉しくなる。しかし当のジェレミアは気絶状態にある。

 ぱちぱちと鋭い線を描く頬を叩く。この男も随分と痩せた。

「おいジェレミア、しっかりしろ」

「る、るるーしゅ殿下、」

「ジェレミア、気をしっかり持て!おいスザク水を!」

「……チッ、分かった」

「ジェレミアさん、どうしたのですか!?まさかここに来るまでに暴行を受けて、」

「間違っていないが間違っているよナナリー。あとこいつはそこらの一般人に殴られてくたばるような奴じゃない。なんたって俺の騎士候補だからな!」

「………12歳の子供に蹴りで吹っ飛ばされる騎士……」

「ゴフゥッ」

「スザアアアアアアアク!!」

 

 

 渋りながらもスザクは水を持ってきた。

 意識が朦朧としていたジェレミアだが、水を飲んで落ち着けば10分程度で復活した。脇腹を痛がる様子も無い。サイボーグみたいな奴だ。

 

 聞けば、倒れたのはここ数日徹夜続きで日本に来る手続きを行っていたためだったらしい。

 ブリタニアと日本の間にまともな交通手段が無い現状で、ジェレミアはシュナイゼルに頼って偽のパスポートを用意し、一度中国を経由して密入国する方法を取った。

 パスポート作成のため1週間程かかり、抱えていた仕事を全て片付けて退役の手続きをし、さらにゴッドバルト家の家督を妹に譲り渡す算段を付けるためには3週間では時間が足りなかったのだろう。

 寝不足のせいで元々愛らしいとは呼べない容貌はさらに人相が悪くなっている。どこぞのメイトリックス大佐のような顔だ。

 

 初対面のブリタニア人(極悪人面)に警戒するスザクを宥めつつ、ジェレミアが来たことにはしゃぐナナリーと共に喜んだ。頼れる人間が3つ年上なだけの兄しかいないという状況は、ナナリーとり非常に心細かったのだろう。見知った大人であるジェレミアがやってきたことで、ここ最近では見られなかった穏やかな笑顔を見せた。

 

 しかし一度冷静に戻ると、喜びは長く続かない。

 

 

 枢木ゲンブの許可を得なければジェレミアはここで暮らせない。まず間違いなくブリタニアへ強制送還される。そして枢木ゲンブがルルーシュとジェレミアの同居を許す筈が無い。

 自分の所有物であるルルーシュが、自身より若く容姿の優れた男と一緒に暮らすなど、あの男には耐え難いに違いない。

 無理やりに許可を得るとしてもその代償は碌なものではないだろう。

 

 だがその代償を受け入れる覚悟はすぐに固まった。

 ジェレミアは権力も経歴も家柄も、全てを捨ててここに来たのだ。ここでルルーシュがジェレミアを放り出すなど死んでも許されないことだ。絶対に、何を要求されようとも一緒にいると心を決めた。

 今なら何でも耐えられるような気がしていた。

 

 夜にルルーシュはナナリーと、そしてジェレミアを伴って枢木邸の本邸を訪れた。

 

 

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