お粥を食べ終わったナナリーをジェレミアはベッドに寝かせた。
タオルで包んだ氷枕を敷いて、柔らかな毛布を被せると楽しそうに転げる。その仕草はブリタニアにいた頃とあまり変わらない。
ブリタニアにいたころより少し痩せたようだが、肉付きはそれほど落ちていない。熱もそれほど高くは無く、食事もちゃんと食べていた。解熱薬を飲めばすぐに治まるだろう。
むしろルルーシュの方が病人のように痩せ枯れている。先ほど出された食事もほとんど食べていなかった。
元々胃が小さいというものあるだろうが、意図的に食事を減らしているようにも見える程に少量しか口にしていない。
ストレスのせいかとも考えたが、地獄と称されたヨーロッパ戦線で鉄火に囲まれながら食事をしたこともあるルルーシュが、そうそう簡単にストレスにやられるとも思えなかった。
違和感を抱えながら、転げるナナリーに毛布をかけ直すルルーシュを見やる。
「気分は良いかい、ナナリー」
「はい。お兄様」
「よかった。熱が上がったりしたらちゃんと言うんだよ」
「分かりました」
「いい子だ」
頭を撫でながらルルーシュはジェレミアの方へと視線を向けた。
「ジェレミア、今日はナナリーの護衛を頼む」
「承知しました。ルルーシュ様もこの部屋で休まれるのですか?」
見る限り部屋にはベッドが一つしかない。
護衛である自分は椅子にでも座って夜を明かせばよいが、ルルーシュが椅子に座って寝るなどあってはならない。
かと言って熱のあるナナリーと同じベッドに寝かせるというのも些か躊躇われる。
「俺には別の部屋があるから」
「しかし安全を考えると同じ部屋で過ごした方が良いのではないでしょうか。日本には床に敷くフトンという寝具があると聞きます。フトンを借りてここでお休みいただくことはできませんか?」
「今日は首相と話があるんだ」
ルルーシュは苦笑しながら首を振った。
「話が長い男でな。夜中に部屋に戻るとナナリーを起こすかもしれない。ああそうだ、お前の分の布団は後からここの使用人が運んでくる手筈になっている。お前も俺を待たずに休め」
「しかし」
「くどいぞ。気にするな。それよりゆっくり寝ろ。明日からはしっかり働いて貰うんだからな」
「————はい」
「よし。じゃあ行ってくる。お休みナナリー」
「おやすみなさいお兄様」
ルルーシュは慣れた仕草でナナリーの額にキスを落とした。
ひらひらと手を振って部屋を出るルルーシュを、言葉にできない不安感を抱きながらジェレミアは見送った。
■ ■ ■
「それで、あの男は?」
「私の騎士候補…もとい、従僕です」
ベッドに横たわる。ゲンブはやはり、ジェレミアの存在が気に入らないようだった。
食事に突如現れたブリタニアの男を、しかしルルーシュの部下と紹介されればそう簡単に放り出す訳にもいかなかったのだろう。
狭量なところを見せたくないという男の矜持は、女の眼から見るとあまりに滑稽だ。さらにこうして二人きりになった途端にその不満を口にするのだから、狭量で気弱な性質をこの男はどうにも隠し切れない性質らしい。
しかし確かにジェレミアは体格の良いゲンブよりさらに身長が高く、現役軍人の威圧感は隠しようも無い。さらに自分が虐げている少女を主君と掲げる男だ。
これを機に復讐されるのかと怯えるのも無理は無い。
しかしだからといって日本の首相ともあろう者がたかが一軍人に怯え、怯えたと言う事実への鬱憤を少女に性欲という形でぶつけるのはあまりにお粗末ではなかろうか。
そしてそのお粗末な男から、今は何としても「是」の一言を引き出さなければならなかった。
痛む全身に鞭を打ち、情事後の気怠い空間にあってルルーシュは饒舌だった。
「これまでは我慢していましたが、やはり細々としたことをやらせる下の者が欲しいのです」
「それならこちらから適当な人物を見繕うが」
「慣れた人間でないと安心できません。それにあの男はああ見えて辺境伯ですから、ゲンブ様のお役にも立つかと思って呼び寄せたのです」
「私の?」
「ええ。あれは私の言うことなら何でも聞きます。近い未来、ブリタニアの貴族になられたゲンブ様の強い味方となってくれるでしょう」
汗でぬめるゲンブの顔を指で拭う。
ブリタニアの貴族。なんとも愚かな欲だ。日本人の、それも領地も武力も無い男が海千山千のブリタニア社交界で生きて行けるわけが無い。
口だけは達者な貴族たちから容姿の醜さ、教養の無さ、果てはアジア人であることまで散々にあげつらわれて馬鹿にされるに決まっている。
最期には適当な罪を擦り付けられた挙句、既得権益を剥奪されて処分されるのが末路だろう。
しかしこのおめでたい男にはそんな思考は存在しないらしい。
ゲンブは顎に手をやり、一時思考した。
「そうか。あの男もブリタニアの貴族か」
「いくら枢木首相とはいえ、日本人に対して偏見の強いブリタニアの社交界に受け入れられるのは難しいかと。あの男は将来のゴットバルト家当主。下僕として従えておけば何かと使えるでしょう」
「しかし、お前がいるだろう?」
「私が?」
「そうだ」
ルルーシュの腕を骨が軋む程に握り締める。締め付けられる痛みに、しかしルルーシュは表情を微塵も変えなかった。
その気の強さにゲンブは苛立ち、しかし離れられない。
この女が自分に平伏し、妻となればどれほどに幸福だろうか。
「お前が私の妻になれば私は皇族の縁故になる。たかが辺境伯一人、いてもいなくても変わらん」
「———私にあるのは血統だけです。部下もいなければ領地も無い。しかしゴットバルト家には領地と、長く続く歴史があります。私をゲンブ様の妻にしたとして、箔は付くでしょうが、しかし金が入るわけではありません」
「金」
「そうです。金です。ねえ、ゲンブ様。いいじゃないですか、従僕の一人くらい。面倒なことを押し付けるだけの男です。ここで伝手を作っておけば、ゲンブ様のお力になるやもしれないんですよ」
ねだる口調のまま抱き着く。嘘は言っていない。
ゴットバルト家には確かに歴史もあれば領地もある。辺境伯の名の通り領地は国境に近いド田舎にあるが、その分面積は広い。上流貴族とは呼べないものの中の上あたりには位置する、堂々たる名門貴族だ。
ただしジェレミアは日本にやってくるのを機に家督を妹に譲り渡したそうだが、そんなことを告げる訳が無い。
「そうか。お前の言うことを聞く男か」
「ええ」
「しかし私の言うことを聞くとは限らんだろう?」
「あれは私のものです。ブリタニアの血にかけて、あれが私に逆らうことはありえません。私が枢木首相の妻になった暁には、あれはあなたのものでもあります。私の夫の言うことを聞かないような分からず屋ではありませんよ」
揺れている瞳に、それなりに思案しているようだと判断する。
あとはなし崩しにでも推し進めるか。
ゲンブの手を取ろうとする。その瞬間扉が叩かれた。
反射的に扉を振り向く。扉が場違いな程に陽気な音を立ててノックされていた。
ゲンブを見上げると忌々し気に顔を顰めて扉を見やっている。ゲンブが仕組んだことではない。
誰だ。枢木の関係者か。
万が一にでもこの事態が発覚しないよう、ゲンブは事前に警備は遠ざけてある。警備はこの家の外にのみ配置され、監視カメラもこの部屋の周囲には存在しない。
ならば突然の来訪か。しかし事前のアポイントメントも無しにとは考え難い。
「誰だ!」
威圧するような、しかし震えている枢木ゲンブの声が部屋に響いた。
しかしこの部屋は防音だ。聞こえる筈も無い。
再度扉がノックされる。
枢木ゲンブは震える手つきで服を着直しながら、大股で扉へと向かった。
扉が開かれ、薄暗い室内に廊下の光が入る。細い線のような光が床に伸びた。
姿が見えないようシーツを被る。隙間から長身の男の姿が見えて息を呑んだ。
「枢木首相、アポイントメントも無いと言うのに夜分に失礼致します。ジェレミア・ゴットバルトです」
「———何だ」
「こちらにルルーシュ様がいらっしゃると伺ったのですが」
「ここにはおらんっ」
駄目だ、今は駄目だ。
ナナリーから、枢木邸に来るたびにゲンブの部屋に籠っているとでも話を聞いたのだろう。それで心配してきたのだろうが。
今は駄目だ。最悪だ。
「しかしナナリー様から、こちらにいらっしゃると」
「勘違いだ。他の場所にいるんだろう。この家は広い。子供が遊ぶ場所などいくらでもある」
「———そうですか。失礼致しました」
この角度からはジェレミアの表情は見えないが、声色は不審感を帯びていた。
しかし首相相手にそう食い下がるわけにもいかないと考えたのだろう。扉が閉まりそうになる。
少しシーツを持ち上げる。ゲンブを見下ろし眼を伏せる顔が見えた。
ルルーシュを心配している様子を隠そうともしない横顔に引き攣るような痛みが走った。
ジェレミアは枢木ゲンブに頭を下げて部屋に背中を向けようとしている。
それでいい。気づくな。
だが頭の中で、甘えたのルルーシュが眠りから覚めた。ずっと押し殺し続けていたそのルルーシュは、しくしくと哀れっぽく泣きながら呟く。
嫌だ、行かないで。
シーツを強く握りしめた。僅かに揺れたシーツが光を反射した。
恐ろしい速度でジェレミアは振り返った。
眼球の形が分かる程に見開かれた瞳が、真っすぐこちらを見ている。油断していたためにルルーシュはシーツを持ち上げたままだった。視線が合った。
「ひ、」
やってしまった。血の気が一気に引いた。
ジェレミアはまさか、と一度首を振り、騒ぐ枢木ゲンブを押しやって部屋に入った。
そのままベッドへと向かう。
シーツを掴み、勢いよく捲った。
何一つ纏っていないルルーシュがシーツの上で自身を護るように丸まっている。衣服は床に乱雑に投げ捨てられており、下着などは引き千切られたようで原型が無い。
先ほどまで何をしていたかなど一目瞭然だった。さらに素肌を晒してるルルーシュは、男性ではありえない体の丸みも、胸の膨らみも空気に晒していた。薄暗いとはいえ ベッドサイドには明かりがある。ルルーシュの性別は明らかだった。
全て知られた。
しかし呆然となるより先にすべきことがあった。
「止めろジェレミア!」
ルルーシュの姿を認めた瞬間、ジェレミアは殺意の塊になった。人の形をしているだけの、何かもっと暴力的な存在だった。
元々敵を殺すことに躊躇が無い男だ。ルルーシュの命令に従って殺気を治めるだけの理性が残っていることの方が不思議に思える程に、今のジェレミアは恐ろしかった。
しかし殺気を治めてもその相貌はとても人のものではなかった。
普段からあまり温和とは言えない顔立ちだが、感動屋な内面を反映してジェレミアはよく焦り、よく泣き、よく笑う。皇族貴族からルルーシュが理不尽な扱いをされれば怒ることもある。
だがここまで怒っているのを見るのは初めてだった。表情は、全くの無表情だ。しかし恐ろしい。元々吊り目な眼球は瞼がめくれ上がり、琥珀色の瞳が薄暗がりの中で発光しているように見える。
無表情な顔は、首を傾げながらルルーシュに許可を求めていた。
ルルーシュは小さく首を振った。
今この男が殺されては困るのだ。もしここで殺せば、ジェレミアがゲンブを殺したとすぐに分かる。そうなればジェレミアは問答無用で拘束され、共謀したとして自分と、そして最悪なパターンではナナリーさえも逮捕される。下手をすればそのまま国際テロの汚名を着せられて極刑行きだろう。
ブリタニアが日本に侵攻を開始し、日本全土が混乱状態になるまではブリタニア人である自分達は大人しくするしかない。
「な、何をするんだジェレミア。恥ずかしいじゃないか」
ジェレミアの手からシーツを奪い返し、体を隠す。
「ほら枢木首相も驚いているだろう。全く、恋人同士の寝室に踏み込むなんて無作法な真似をするとは。申し訳ございません枢木首相。部下の躾がなっていなくて」
ゲンブはベッドの脇で立ち尽くす男を見やった。
ジェレミアは少し驚いて目を見開いてはいたが、到って柔和な顔をしていた。
敵意の無い反応にゲンブはおやと少し驚いたようだった。そしてゲンブよりもルルーシュの方が驚いた。先ほどまでの顔と別人のような顔は、驚いてはいるものの殺意など全く感じ取れない。
むしろ恋人同士の睦愛を間違って覗き見てしまったようないささかの罪悪感が混じっている。
「驚きました、ルルーシュ様は枢木首相と婚約なされていたのですね」
「正式にはまだだがな。これから順調にゲンブ様がブリタニアの貴族になって下さり、その時まだ私のことを思って下さればの話だ」
「そうですか。では日本とブリタニアのかけ橋になられるのですね。喜ばしい事です」
「そうなれればいいんだがなぁ」
ルルーシュは微笑んで恥じらうように頬を染めた。
ゲンブは温和な口調で話すジェレミアの様子を見やり、鼻を鳴らした。
「貴様、名前はなんと言った?」
「ジェレミア・ゴットバルトと申します」
「そうか。精々これの世話を焼いてやれ」
これ、とルルーシュを指さす。
ジェレミアは穏やかな顔のまま、「はい」と従順に応えた。
そのままジェレミアは部屋を出た。その全身は微かに震えていた。噛みしめた唇から血が滴る。
我慢の限界はとっくに振り切れていた。
■ ■ ■
明け方にようやく解放され、書斎を出ると扉の前にジェレミアが立っていた。
顔を見ると隈が酷い。一睡もしていないのは明白だった。しかし昨日スザクのドロップキックで意識を失いかけた時より全身に力が満ちているように見える。
ここで一晩「この男を殺せ」と命令が下る瞬間を待っていたのか。
防音仕様の部屋から音が聞こえる筈がないことを分かってはいたのだろうが、しかし待たずにはいられなかったのだろう。この男はそういう男だ。
どう声をかけてよいのか分からず、俯き、そして見上げた。
「シャワーを浴びたい」
「承知致しました」
いつもの通り、ジェレミアは即答し先を歩くルルーシュの後に従った。
シャワーで忌々しい体液を洗い流し、タオルで水を拭う。棚からゲンブに強請った服を適当に選んで着る。
ジェレミアは脱衣所に備えてあるドライヤーを手に取り、手慣れた手つきで鏡の前で椅子に座るルルーシュの髪を乾かした。
粗方乾いたところで櫛を通す。女と知ったからか、以前より手つきが丁寧になったような気がした。
「おい」
「はい」
「何か質問はあるか」
「いくつか」
「今言え。どうせナナリーの前では話せないことだろう」
「よろしいのでしょうか」
「くどい」
「では……まず、これまでの私の行動がルルーシュ様を不快にさせておりましたか。そうであれば、どうか謝罪をさせて頂きたい」
予想外の言葉に、頭の上で微笑んでいる男を見上げる。
「どういうことだ」
「私はルルーシュ様に使えるべき主君としての態度を取っておりました。しかしそれは女性に対してと考えると、適切な態度であったとは思えません」
「それは問題ない。あからさまに女扱いされるのは好かん。それに自分が女だと知ったのも日本に来てからだ」
「———そうですか。では、申し訳ございません」
「何故謝る」
「ずっと一緒にいましたから」
髪を梳かし終え、ジェレミアは櫛を置いた。
「私は気づくべきでした」
「ふん。朴念仁のお前に、二次性徴前の子供が女か男かなどと気づける訳がないだろう」
「……それなりに彼女がいたりしたんですが」
「すぐに別れたんだろ。ロリコン疑惑のせいで」
「やめて下さい」
あと、とジェレミアは話を続けた。
「ナナリー殿下はルルーシュ殿下の性別のことをご存知なのですか?」
「ナナリーは知らない。落ち着いてから説明しようと思っている」
「そうですか。それと、そもそもどうして性別を隠されていたのですか?」
「俺も知らん」
「———マリアンヌ様の悪戯、とか」
「いや、いくらなんでも……ないよな?」
いくらあのぶっ飛んだ母親でも、女に生まれた子供を男と偽って育てることなどしない……と信じたい。
そもそもそんなことをするメリットなど無い。男尊女卑がまかり通る国だったり、女に皇位継承権が無い国ならともかく、ブリタニアは名実ともに男女平等だ。当然、皇位継承権は女にも平等に存在する。
それに公式の記録として男とされている以上、出産に立ち会った医師や看護師、その後養育を任された乳母や普段身の回りの世話をしていたメイド達も性別の偽装に関わっていることになる。そんな大掛かりな偽装工作が、少しでも隙を見せれば引きずりにかかる皇族貴族に発覚しない筈が無い。
「順当に考えると、俺は生まれた時に性分化疾患があって、戸籍上はとりあえず男にしておいた。けれど成長するにつれて女の方向に育った、とか」
「………まあ、順当ではありますが」
「うん。無理があるなあ」
他と比較したことのないので断言するのは難しいが、おそらく自分の性器は一般的な少女とそう変わりは無い。少なくとも陰茎と見間違うようなものは全くない。
生まれた時に男か女か判別し難かった、という形跡は無いのだ。
「だが他にそれらしい理由も無いんだ。後天的に女性になったとしか考え付かない。もしくはマリアンヌの大規模な嫌がらせか……」
「こんな無意味で地味な嫌がらせはされない方でしょう。するなら派手に、戦場でぱーっとする方でした」
「確かにそうだ————まあ理由はここで考えてもしょうがあるまい。枢木ゲンブの了承は得た。お前さえよければ、明日からまた俺の下で働いて貰うぞジェレミア」
「イエス、ユアハイネス」
迷いなく跪く。この男の忠誠に安堵するのも、呆れるのももう何度目だろう。
その篤い忠誠はルルーシュの理解の程を遙かに超え、人類には理解不能な域に達している。ルルーシュが男から女になろうと、彼の忠誠は揺らがない。
「———俺が女でも、お前は俺に忠誠を誓うのか」
「はい」
「お前は馬鹿だ。嘘をついて裏切ったのと同然だろうに」
「女性であろうとルルーシュ様の王の器に変わりはございません。そしてこれまで共に過ごした過去が変わる訳でもありません。であれば、私の忠誠が揺らぐ理由にもなり得ません」
しかし、と続ける。
「お願いが一つあります」
「何だ。言え」
珍しいと思った。
碌に願い事など口にしない巌のような男だ。こうして真正面から願い事があると言われたのは、長い付き合いで初めてかもしれない。
いつもルルーシュが無茶な我儘を言って、ジェレミアはずっと振り回されてきたのだから。
ジェレミアはルルーシュの両手を取った。
「もうこの家に泊まるのは止めて下さい。私には————こんな装飾過多な屋敷に泊まるのは耐えられません。趣味が悪すぎます。ブリタニアから数日分の保存食を持ってきましたし、それで足りなければ私が買いに行きますから」
見慣れたつむじを見下ろす。
この政情下で、明らかにブリタニア人にしか見えないジェレミアが買い物に行くとどうなるか、この男が分からない訳が無い。その上で自分の我儘でもう枢木邸には泊まらず、必要なものがあれば自分で買いに行くと言っているのだ。
シャワーで冷え切った体がほんのりと温かくなる。
一人で戦わなくてはならないという重荷がすとんと落ちた。その安堵感は凄まじかった。
今や二人で戦っているのだ。たとえ敵が何であっても、そうそう負けはしないと思えた。
しかし顔には出さず、部下のお願い事を寛容にも聞いてやった上司という体で鷹揚に頷く。
「————しょうがないな、いいだろう」
「ありがとうございます」
深々と下げられた頭の上で鼻を啜る。
視界不良だ。しかし唇を噛みしめて耐えた。情けない真似を晒してなるものかという、半ば意地だった。
「っよし、行くぞ」
「はい」
「ああ、あと。枢木ゲンブにもう殺気は向けるなよ。面倒なことになるからな」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………イエス、ユアハイネス」
「お前が俺の命令に即答しなかったのって何気に初めてじゃないか?」
「そうかもしれませんね」
ジェレミアは微笑んだ。
しかしこれは、怒気を間違ってもルルーシュに向けないよう自制するために、表情だけを取り繕っているのだろう。ジェレミアは怒っている。それもこれまでの長い付き合いの中で、ぶっちぎりの一番に。
証拠に目は全く笑っていない。かっぴらいた眼は血走っており、額には血管が浮いている。
「お前……割と怒っているな」
「ええ」
ジェレミアはにこりと微笑んだ。
「あの男の手足を切り落として、目を抉って、鼻と耳を削いで、内臓を引きずり出して、ペニスと睾丸を切り落として、肺に穴を開けて、口に自らの臓物を突っ込んでやりたいくらいには、怒っています」
「…………」
淡々とした声は、明日の天気でも話しているような口調だった。
ルルーシュは少し後ずさり、そうか、と返してナナリーを迎えに行くべく足を動かした。
それ以上の言葉を聞く必要は無かった。
何しろ言葉にできない程の憤怒を抱えていることは、煌々とした目つきから容易に察せられたので。