私は、いつもの様に写真を撮っていた。
四季のフラワーマスターが手入れをする花畑や、賽銭箱の前で落胆する紅白巫女。ラジオ体操第二なるものをしている、守矢神社の風祝。
幻想郷中で様々な写真を撮った私は、妖怪の山にある母上の仕事場に帰還しようとしていた。
すると、父上譲りのトンデモ視力の目が妖怪の山の山頂に人影を見つけました。
父上に恐ろしくそっくりな、人間の男です。
火口を見下ろしなにか考え込んでいるようです。
そして、なにか呟きました。けれども、遠距離の為に口の動きしかわかりません。母上から読唇術を習っているので、練習中のソレで、呟きを音声化します。
穹「ご・め・ん………か…て・な・お・れ・を・
ゆ・る・し・て・く・れ……れ・い・む……?」
「ごめん。勝手な俺を許してくれ。霊夢」
はて、これはどういう意味でしょうか…?
合ってるとも限りませんが、口や舌の動きから、恐らくこの文章なのではと推測出来ますが…。
その意味を考え込んでいると、その人は突然顔を上げ、ゆっくりと辺りを見回しました。幻想郷はとても美しく、広いですからね、高い所から一望したくなったのでしょうか?
そのためにわざわざ、警備の厚い山を登った?
考えにくいですね…。それに、それだと先程の言葉の意味が理解出来ませんね。
すると、博麗神社の方角に手を合わせました。
穹「合掌……あっ!?」
私は、その光景が信じられませんでした。
つい今の今まで、愛おしむ様に幻想郷中を眺めていたというのに突然、氷の張った湖面を滑るかのような、実に滑らかな動作で前に倒れたのです。
このまま落ちれば、煮え滾るマグマに触れてドロドロに解けて無くなってしまいます。
穹「何やってんですかあの人は!!」
私は、能力を自分に向けて発動させる。
現在父上と修行中の、《加速させる程度の能力》です。これは、質量の有無に限らず、動く物体を加速させるのです。時間は加速できません。
時間は、物体ではありませんから。
質量が無い物体の例としては、父上や姉上の使用する雷でしょうか。
穹「…もっと、速く…!」
妖怪の山の標高はおよそ4000m。
落ちたばかりなので、あの人がマグマに触れるまでにはまだ時間はあります。しかし、人間があの暑さに耐えられるとは、到底思えません。以前、火山の中に入ってその暑さをこの身で体験しましたが、吸血鬼と鴉天狗のハーフの私ですら長時間の滞在は無理だったのです、人間にはまず不可能でしょう。
だから私は、能力を引き出せるだけ引き出して、火口の中に飛び込みます。
その人の足は、案外そばにありました。
油断しなければ、すぐに助けられそうです。
穹「良かった、手が…届く…!」
以前、父上から自由落下の計算式を教えて頂きました。中々に難しく、こんなの使う場面が来るのかと疑っていましたが、今まさに使う場面です。
仮にあの人の体重を60kg、火口からマグマの表面までの距離…すなわち、落下距離を4000mとし、火山の中とて一応空気はあるので、空気抵抗係数
を0.24 kg/mとします。
最後に、重力加速度を9.80665 m/s2とします。
これから導き出される答えは、
経過時間=84.28453381643(秒)
落下速度=49.514265621132(m/s)
もしくは、178.25135623607(km/h)
となります。
参りましたね…捕まえる余裕はありますが、もしそのままガシッと掴むと、足が千切れたり、脱臼して大変なことになるかもしれません。
となると、捕まえたあとも、この人の肉体を考慮して、しばし降下を続けなければいけません。
つまりは、捕まえたら徐々に減速する。だが、84秒までには止まること。
実際には80秒ってところですかね。
かなり高度なミッションですよ、これは…!
穹「しかし、どれほどの割合で減速すればいいのやらよく分かりませんね…」
計算しやすいように、簡単な数字にしますか。
時速を150とすると、秒速が41.667、空走距離は31.25、制動距離は126.55、停止距離は157.8…。
自由落下とは、最終的には空気との摩擦によって等速直線運動になってしまうらしいです。
しかしあの人はまだ、最高速度に達していない。
時速もそこまでは出ていないはず。
先程想定した事態には陥っていないと考えて…?
いや、そういう油断が失敗を招くんですよ、私!
というか、今の計算、減速の割合を求める式ではないじゃないですか!
ええい、やるしかないです!
最初はこの人のスピードに合わせて、体感でいいから徐々に減速、これっきゃないです!
穹「捕まえましたよっ!」
この人の体は、思ったより軽いです。
少し、痩せ気味でしょうか。こんな所まで父上に似ているとは、何かの縁ですかね?
穹「ふぅ…やっと止まりましたか…」
それから降下を続け、山の8分の1あたりに来たところで、ようやく空中で静止しました。
とても暑く、黙っていても汗が流れてきます。
念には念を入れて、とびきりゆっくりと減速した結果、500mほど落ちてしまいました。
本来なら200m以下の降下で済んだのですが…。
ま、能力の使用と人命の救助が上手く行きましたので、良しとしましょうかね。
穹「はい、山から出ましたよー」
火口から脱出して、男の人をそばに下ろし、声を掛けますが、返事はありません。
穹「気絶してますねぇ…」
本来は避けるべきなのでしょうが、こうして見て助けてしまった以上は、最後まで面倒を見てあげたくなります。父上に似ているからでしょうが。
胸に手を当てると、まだ鼓動は感じられます。
穹「よいしょっ…」
私は、その男の人を背負い、母上の待つ仕事場へ帰還しました─────。
カルゴ「……んっ……」
俺は、目を覚ました。
目の前には、見慣れた天井と、鴉天狗の血を強く引く娘の顔があった。背中では、柔らかい感触がする。膝枕などの類ではなく、布団のようだ。
穹「あ!母上、男の人が目覚めました!」
文「あやっ!?ちょっ、まだ調べたい事があったというのに…!」
ガサゴソと音がする。
文は俺の荷物を調べていたのだろうか。
文「おはよーございます!」
カルゴ「お…は……よ…」
文「あややっ、声までエスカルゴさんにそっくりなんですね!あっ、エスカルゴさんというのは、私の旦那様でありまして、幻想郷最強と言っても過言ではない程の強大な力を持ち、誰よりも慈悲深い心を持つ、それはそれは素晴らしい吸血鬼の男性なのです!…おっと、これは失礼しました。…あの、もし具合が大丈夫でしたら早々にお引き取り願いたいのですが…もう大丈夫ですかね?ここは妖怪の山にある私の仕事場でして、申し訳ありませんが、人間は基本的に立ち入り禁止なのです…」
カルゴ「文…穹…」
文「あやっ?私自己紹介しましたっけ?穹も…」
ごめん…死ぬ前にもう一度だけ…1ミリにも満たない可能性に賭けさせてくれ…。
カルゴ「俺…エスカルゴだ……」
文「…はい?どういう意味です?」
カルゴ「昨日の朝…目が覚めたら…人間になってて…弦月姫や咲夜さん、美鈴、レミリアたちに、殺されかけて…逃げてきたんだ……」
思い出しただけでも寂しくなって、悔しい気持ちが湧いてきて、自然と涙が出てきた。しかしその涙を拭い、なおも話し続ける。
カルゴ「永遠亭に行った…。けど、永琳にも鈴仙にも、巫月にも信じてもらえなくて…。魔理沙や妹紅にも…。だから…1人になったから…火山に飛び込んで死のうと、ここに…来たんだ……」
黙って話を聞いていた文は、ニンマリと口角を釣り上げ、驚くべき言葉を発した。
文「やっぱりエスカルゴさんでしたか!」
カルゴ「…え?」
文「いやぁ、失礼ながら、河童の光学迷彩スーツを調べさせて頂きました。驚きましたよ、エスカルゴさんの物品がこれでもかと出てきたのですから」
そう言って、団扇、充電器、モバイルバッテリーや財布などの品々をポケットから取り出した。
カルゴ「………もし、エスカルゴから盗んだ、と言ったら?」
文「万に一つも有り得ませんね、そんなことは。彼は、眠っていても少しの不審な音を聞けばすぐに目覚め、外敵を屠ります。そもそも一昨日の夜は、紅魔館にお泊まりする日です。紅魔館から物品を盗める訳がありませんよ。なんたって、この私ですら、エスカルゴさんの補助無しには侵入が難しいのですから」
カルゴ「文……」
文「それに、エスカルゴさんは過去にこう言っていました。『文の写真を見る限り、人間の頃と顔は変わってないな。後、近視が治って良かった』と。今のエスカルゴさんは、目を細めています。目が悪い証拠ですね。これほど、エスカルゴさんが人間に戻ったという証拠があるのに、信用しないわけ無いじゃないですか!」
カルゴ「もしなりすましだったら?」
文「そんな事は無いですって!兎に角私は、エスカルゴさんを信用します!」
信用します。この言葉が何度も頭に響く。
この2日で完全に失われたと思っていた、信用。
誰からも信用されなくなり、完全に孤立した、と思っていたが、そうでは無かった。
カルゴ「ありがとう…文……ありがとう…」
拭っても拭いきれない涙を流しながら、何度も礼を言う。言葉では言い表せないほどの感謝を、初めて感じていた。
文「そんなに泣かないで下さいよ、折角の男前が台無しですよ?…子供っぽくて可愛いですけど。穹、お粥を持ってきて!」
穹「はい!」
文は、泣きじゃくる俺の背中をさすりながら、穹にお粥を持ってこさせた。俺の大好物、卵粥だ。
カルゴ「…あ…それって…」
文「その痩せ具合、昨日から何も食べていないのでしょう?確か、卵粥がお好きなんでしたよね。咲夜さん程ではないかもしれないですが、かなり頑張って作ったんですよ♪ はい、あーん♪」
カルゴ「あー…」
文の粥は、とても美味しかった。
程よい塩加減と、水っぽさ。
卵も大きな塊などではなく、舌ですり潰せる程の小ささ、柔らかさだった。
文「どうです?美味しいでしょ!」
カルゴ「美味しい…美味しいよ……」
いつものように…いや、いつも以上に明るくて、元気づけようとしてくれる文の気持ちを嬉しく思い、また泣き出してしまった。
文「よしよし、大丈夫ですよ…。あなたには、私たちがついてます。ですから今は、たっぷり泣いちゃって下さいね」
ゴシゴシ目を擦って涙を隠そうとする俺に対し、文は、優しく、そっと抱き締めてくれた。
文の包容力に耐えきれなくなった俺は、文を強く抱き締め、涙が枯れるまで、赤ん坊のようにワンワンと声を出して泣きじゃくった。
雷って質量あるのかな…?
電子とかの集まり?だとしたら、微量だけど質量アリってことになる。…無視できるレベルだが。
文は人の数倍の速さで考えることが出来るという設定があったと思いますので、それを娘にも遺伝させました。