「穹。明日、あなたは何か予定はありますか?」
「へ?予定ですか…そうですねぇ………えーと…午後2時頃から友人と少し遊びに出掛ける予定がありますね」
「ふむ…」
ある日の暮、幻想郷最速の新聞記者・射命丸文の家では、白いエプロンに身を包んだ文が、夕飯を作りながら、自分の娘である穹に次の日の予定を訊ねた。それに対し彼女はすぐ手帳を取り出して予定を確認するが、午後にのみ予定が入っていただけだった。それを聞いた文は、味噌汁の味見をしながら少し考えを巡らせる。
「…それなら、明日の朝から昼頃まで、買い物に付き合ってくれません?なに、あなたの予定には余裕で間に合いますから」
「ええ、大丈夫ですよ。…という事はまた人間に変装するんですね…。翼が押し込められて、少し苦手ですねぇ…あの格好は」
「いえ、明日行くのは人間の里じゃありません。天狗の里です」
「あぁ……天狗社会の総本部ですか」
「ふふっ、『天狗社会の総本部』とはよく言ったものですね。ええ、その『天狗の里』です。我々天狗は主にあそこで独特の社会を形成してます。まぁ過去には鬼が君臨していた事もありますが…今となっては昔の事ですね」
「でも私、あそこに行ったこと無いんですよね…子供って入っても良いんでしょうか?私の友達もあそこには一度しか入った事が無いらしくて…。しかも、こっぴどく叱られたそうです」
「子供は禁止のエリアが広いんです。あそこには天狗社会の秘密すらチラホラあると言いますし。だから、OKでもあんまり近付かないのですよ。行けない場所が広いのに入っても、子供はあまり楽しめませんからね。宿舎は里の外ですし……。
…ですが…折角の『特権』、有意義に使わないと勿体無いでしょう?」
そう言って振り返った彼女は、娘に向かって少しイタズラっぽい笑みを浮かべてウインクをした。それを見て、穹は大きく頷いた。
「そうですねっ!」
彼女達は鴉天狗の中でも特別扱いをされている。娘の穹はお零れに預かっているようなものなので実質上は文の特権だ。
その特権とは、彼女の夫が天狗の長である天魔と引き分け、そして後に打倒した事で与えられた、
「自由」という特権だ。大抵の事なら許される。
半ば実力主義な部分がある天狗社会において長の天魔とは絶対的な存在。それを挫く事があれば、その者とその者の関係者には権利が与えられる。
…幻想郷のルールの中でも、根本的なものであるスペルカードルールは、主に妖怪達による完全な実力主義を否定するもの。だがそれは「幻想郷のほぼ全体」においての話だ。幻想郷の一部であるはずの天狗社会は、未だに昔ながらの古い慣習が根強く残っている。
というのも、これを一新して現在の幻想郷全体に合わせれば、今の社会が崩壊するかもしれない、という危険があるからである。
社会とは、「明確な頂点」があるからこそ、支配という形で成り立っている。しかし、実力主義を否定すれば「明確な頂点」が成り立たなくなり、現在の形態は崩れ、社会は終焉を迎える。
…実際にこうなるかはともかく、天魔の危惧する
「社会の崩壊」とは、こういった具合のものだ。故に、天魔の友人である賢者の八雲紫でさえも、スペルカードルールを強要出来ないでいるのだ。
そんな社会の中では彼女達に与えられた「自由」という特権は最高のパスポートとなる。山の古いルールに縛られなず、天狗社会全体を乱すようなことがなければ、基本的にお咎めは無い。
そして「天狗の里」。ここは天狗社会の中心部で基本的に天狗しか出入りを許さない場所。特殊な結界に覆われ、天狗の血を引かぬ者は見る事さえ適わない。下っ端の天狗の家…所謂「宿舎」は、この里の外にある。見えるところにも…見えざるところにも。ここにあるのは、主に位の高い者の家や屋敷、そして街だ。天魔の家も、天狗の里にある。普段彼女が過ごしているのは、あくまでも
「屋敷」であって、本当の家ではない。
つまり、天魔の家をお城だとしたら天狗の里とは城下町のようなものなのである。
「それで、明日は何を買うんです?」
「インクを数個、予備のペン、紙ですね。幸い、印刷機は先日の修理で無事直ってくれましたし…特に新調の必要は無いでしょう。それにしても、にとりさん達河童の技術は相変わらず素晴らしいものですねぇ」
「ですねぇ…。ですが、どうして私を里に…?」
「見ておいて損は無いかと思いまして。嫌ならば強要はしませんが?」
「いえ、行きます!」
「よろしい。天狗社会の総本部、あなたにもよく見せてあげましょう!」
「わーい!」
人里では入手が難しい塩も、天狗の里では比較的安価で手に入れる事が出来る。そして新聞記者にとっては必須アイテムであるペンやインクなども販売されている。紙なら人里でも入手可能だが、それだけでは新聞は書けない。人里で本や新聞を書くとなれば、大抵は手刷りだ。だがそうするとどうしても時間がかかる。故に、号外という急を要する際に不便となる。そういった意味もあって天狗達は印刷機を利用しているのだ。
◆
「わぁ〜…!里の中ってこんな風になっていたんですね…感動モノです!」
「人里より建物も大きく、広く、高く…。規模はとてつもなく大きいですよ」
入口はただの獣道。しかし、その先にある結界を越えれば、山の中とは到底思えない広大な空間が広がっていた。人里では物見櫓でしか見られないくらいの高い建物はあちこちにあって、白塗りの綺麗な壁の建物、木造だが見るからに強固そうな建物など、人里と比べると文化的に大きな差異が見られる。
丸印に塩と書いてある大きな店を構える塩問屋、
河童の工房のようなザ・工房という感じの建物もあり、甲高い金属音が聞こえてくると共に灰色の煙が空高く上がっている。あんな煙は、生まれてこの方見た事がない。これもきっと、天狗の里を覆う結界の効力なのだろう。きちんと排出してるので、結界であの煙が閉じ込められるという事はなさそうだ。
「…穹。行きますよ」
「っ!はい!」
いつの間にか立ち止まっていた穹だったが、少し先に行っていた文に呼ばれ、早足でついていく。初めて来るのだからもう少しゆっくり見たい、と穹は内心で毒づいたが、今の自分は「親に連れてきてもらっている側」だと思い直し、ただ黙ってついて行くことにした。
「初めて見ますからね、ゆっくり見たい気持ちは分かりますよ。目的の物を買ったら少しだけ里を見て回りますか?」
「良いんですか!?」
「そんな目をしていましたからね、今のあなた」
「あらら…バレてましたか」
「伊達にあなたの母親やってませんからね〜♪」
「…♪」
見てないようで見てくれてるんだなと少し嬉しくなり、図らずも足取りが軽くなっていく穹。母の隣に並んで歩いて離れないようにしつつ、その目だけは街並みや通りすがりの人々を見ていく。
「街の人達って、服が着物みたい…なんですね?というか私の周りの人達もほとんどアレですが」
「あれが正装ですよ」
「ええっ!?じゃあ私達が着ているこれは!?」
「仕事着…いや、普段着…?なんて言えば良いかよく分かりませんが…所属してる部隊が違いますからね、一概にはなんとも言えませんよ。彼らにとってはあれが仕事着で、私達にとってはこれが仕事着ですから。因みに、私も正装の天狗装束は持っていますね、ハイ」
「あれ…私ってあの服持ってましたっけ…。着た記憶が無いんですが。母上があれを着てたという記憶も…」
「一応持っていますよ。ただそれを着せる機会がまるで無いんです。特別な式でしか、我々新聞を担当する天狗は正装にしようとしませんからね。普段はラフな格好が許されているのに、普段からお堅い格好をする必要なんて無いでしょう?」
「ですね。たとえ正装があると分かっていても、この格好をやめようとは思いませんし」
「ですが、中には正装で仕事しなければならない人達もいる。これも、覚えておいて下さいね」
「はい!」
「…身分が高くなればなる程、普段の格好すらも堅くなっていくのですよ。おかげで天魔様やその周辺は…………でしょう?」
「ですね…」
重要な部分は無言で誤魔化した文だが、文同様に特別扱いされ、天狗の長である天魔に会う機会が豊富な穹は、母の言わんとする事を直ぐ察した。
いつ見ても全く同じ格好。それも動きにくそうな着物で、刀剣を装備している者すらザラに居る。というか天魔を含めて全員である。もし、あれが正装なのだとしたら。そう考えるとつい身震いがしてしまう。あれは堅い。堅すぎる。自由の味を知っている穹からすれば、それは足枷以外の何物でもない。
「私達が正装をする時とは、具体的にどのような時なのですか?」
「そうですねぇ……。天魔様の就任式…お葬式…正式な会議…。あとは、天魔様から正式にお呼び出しを喰らった時などなど……。大体はこんな所ですかね。覚えておいて下さい」
「えっ…これまでのお呼び出しは正式なものではなかったということなんですか…?天魔様と直接お会いしてお話をしたことは、幼い私でも何度もありますが…」
「これまでのお呼び出しも本来は正装で行くべきでしたよ。ですが、我々は特別ですからねぇ…。ふっふっふ……」
現在の幻想郷が成立するよりも、ずっと大昔…。妖忌が山で暴れ天魔を殺害した時も、文は天狗の一員として天魔の正装で葬儀に参列した。そして現在の天魔である紗那が天魔に就任した時もだ。
「なるほど…これも父上のおかげなんですね…」
「ま、呼び出しの中でも例外はありますけどね。ダイダラボッチの件とか…」
「あれは例外だったんですか?これまで通りに、ただ特別だから許されていただけではなく…?」
「それもありますが…何しろ緊急も緊急でしたからね。緊急なのに着替えさせて出席させる訳が無い。そうでしょう?」
「それはそうですね」
「ああいう時だと、私達のように特別でなくても黙認されるのですよ。事実、私達が帰ったあとは多くの天狗達が天魔様に直接、事態の報告をしに行ったと話に聞いています」
「なるほど…。父上の話だと、叔父上の御家族は安全な場所に避難していたんですよね?もしや、その安全な場所というのは…」
「ご明察。あの時の避難場所は、この里ですよ。ヒビキさんの御家族…もとい、椛達に関わらず、皆ここに避難しましたね」
「やはり…!」
「ここは絶対に視認出来ませんからね。そして、結界を潜らなければ触れることすらも叶わない」
「どういう仕組みなんでしょうか…」
「結界の効果、と言ってしまえばそれまでです。私達には解明のしようもありませんね。気になる気持ちは分かりますが」
「そうですね…」
「…くれぐれも茜さんに頼んだりはしないよう。下手をすれば、山で暮らせなくなるかもしれないですからね」
「えっ…何故です?」
「特権が通用するのにも、限度はあるのですよ。
1から100までその全てが許される訳では無い。必ず、幾つかタブーはあるものなのです。それが里の秘密の解明。私はそう睨んでいます」
「っ……分かりました……」
「あなたは昔から、些か好奇心が強すぎる。良い事なのですが、場合によってはそれが自分の首を締めることにもなるのです。その事を、ゆめゆめ忘れることの無いようにしなさい」
「はい…気を付けます」
秘密は気になるがそれを解明しようとすると己と家族の生活が危ぶまれる。その事を聞いた穹は、どうにかして探れないかという危険な好奇心と、母からの戒めの言葉に板挟みになっていた。
母は、単なる脅しでこういうことを言わない人。それが分かっている穹だからこそ、脅しではなく本当のことなのだと自分に言い聞かせ、好奇心を心の奥底に押さえ込んだ。
それからも、母から周囲を案内されながら歩く。しばらく歩くと、ある店の前で文は足を止める。
「ここです。ここで、我々新聞記者は道具を調達するのです。あなたの手帖も、何年か前にここで購入しました」
「おおおぉ〜……!!」
非常に大きな店だ。まるで本屋のように、様々な大きさの手帖またはノートが棚に陳列している。ペンは多くの色がある。万年筆タイプやら筆ペンタイプやら、色だけではなくてペン本体の形まで多種多様だ。
現在穹は万年筆タイプしか所持しておらず、他の種類も欲しい、他にどんなのがあるのだろうと、期待に胸を膨らませていた。
「…仕方ないですねぇ…私は目的のものを買ってきますから、あなたは何か欲しいものを見つけてきていいですよ。一緒にお会計しましょうかね。ただし、荷物持ちは手伝ってもらいますよ?」
「あうぅ……また読まれましたか…。母上は一体どこまで私の考えを見抜くんですかぁっ!」
「親の勘です、としか言えませんねぇ。どこぞのさとり妖怪じゃありませんし」
「凄いです、ホントに…。じゃ、見てきますね!すぐ終わります!」
店の中は走ってはいけないと分かっている穹は、早歩きで店へ向かう。「あなた、こういうの絶対すぐ終わらないですよね」と小さく呟いた文は、苦笑いを零しながら娘に遅れて入店する。
「ふおぉ〜……凄い…凄いですよぉぉぉっ…!!書ける、サラサラ書ける…しかも紙にすぐ染み込むから手にインクが付かない…。何ということでしょう、凄いペンを発見しちゃいましたよ…!是非ともこれを買わねばなりませんね…」
「ほぉ〜ぅ…。お嬢ちゃん、見る目があるねぇ。そうとも、そのペンは凄い!いいや、ここにあるペンは全て、この私の自信作さ!!書けば瞬時に染み込むので手にはつかないし、裏写りする事も無い!どうだ、素晴らしいだろう!」
穹のすぐ隣にはいつの間にか、白髪で白い口髭が生えている老人天狗が居た。種族は分からない。だが、この天狗の里に居るので天狗なのだろう。
「ここにあるペンはあなたが作ったのですか!?こんな凄いペンを!?すっ、凄いです!!」
「これを見るがいい!!」
彼は手近な筆ペンを取り、試し書きの紙に何やらサラサラと線を書いていき、筆ペンを離した直後そこを強く叩くかのように勢いよく手をのせる。
「…ほれ!儂の手は黒くなっておらんだろう?」
「おお……おおおお…!!乾かないうちに触ってしまえば手につくはずなのに…!」
「乾く乾かないの次元を既に越えているのだよ。素晴らしいとは思わんかね?」
「素晴らしいですっっ!!!」
「ハーッハッハッハッ!……ところでお前さん、試し書きの所に何を書いておるのだ…?」
「あっ、この数式ですか?これはですね、様々な物理法則を弾幕ごっこに応用した際、私の放った弾幕がどのような軌道を描くのか風の要素抜きでとりあえず計算していたのです!!まず、弾幕の初速度を時速90kmジャストと仮定し発射角度を
85°にした場合5.08秒後に11.1m先に到達します、
つまり、相手と11mの距離を保ち、目くらましに
いつも通りの弾幕を放ちながらこの角度、速度を
維持すれば、思わぬ奇襲をかける事に成功するの
です!」
「お、おぉ…?そ、そうなのかい…オジサンよく分からねぇや…」
「あら…。えっとですね、まず重力は9.80665で計算していくと─────」
「あぁ、穹ったらこんなところに居たんですね?
…って、あなたってばまた物理の話を?ったく、懲りないですねぇ…やれやれです…。すみません店員さん、うちの娘、学問の話になるとつい話が止まらなくなって…」
物理の話に割って入ってきた文は、抱えなければ持てない程の大きさのダンボールを1箱を持ち、その上にインク入りペン差しを3個載せている。ペンはこれから選ぶのだろう。
「あぁ…少し驚いたが、大丈夫だよ…。ところでお母さん、このペンは如何かな?」
「…どうしますか、穹?」
「欲しいです!!」
「では私も、筆ペンタイプを1本お願いします。あ、お会計もお願いします」
「はいよ、会計するから持ってきなっ!」
「「はいっ!」」
その後、穹はダンボール箱を抱えて、文は手提げ袋を持ち、しばらくの間2人で里を見て回った。結局、友との約束の時間には遅れかけたが、穹の超スピードのおかげでどうにか事なきを得た。
憑依華のOVERDRIVEの最終決戦、何とか1ミスでクリアしました〜。ていうかテストだるぅい…。明日で最終日ですけどね。