地獄の英雄
────地獄の英雄。俺をそう呼ぶのは、地獄の関係者だけである。この二つ名の由来は、勁牙組の地獄への侵攻を止めた事だ。しかしながら俺がそう呼ばれるのは地獄にいる時、または地獄関係者しか近くに居ない時だけである。
理由は極めて単純明快。地獄以外の者に地獄への侵攻を止められたというのは、地獄の力不足によるモノであり、それはつまり、地獄側の者からすれば自分達の恥を抉るようなものだからだ。
だから地獄でしか俺をそう呼ばない。そこ以外でそう呼べば、必ず誰かがその由来を気にして誰かに詮索する。その詮索の結果、地獄の恥を知られる。それを防ぐ為に、地獄関係者の前でしか……殆どは、地獄でしか「地獄の英雄」とは呼ばないのだ。
しかし、ここで一つおかしな事が起きた。先程、吉弔八千慧は俺を「地獄の英雄」と呼んだ。
彼女は畜生界の住人。秘密を厳守する地獄側が、俺の「地獄の英雄」という二つ名を、近隣とはいえ異世界の住人である八千慧に漏らすはずがない。
それの意味する所────この地獄に、鬼傑組の手の者が侵入しているという事だ。そいつが彼女に地獄の情報を流している。だからこの、地獄でしか使われない俺の二つ名を知っていると見た。
もし、地獄の者が畜生界の鬼傑組と手を組んだと仮定しても、俺の二つ名を鬼傑組に流す事に、特にメリットは無さそうだ。それも鬼傑組が地獄に侵入しているという仮説の後押しをしている。
自称する際、普段の俺は「英雄」「山の英雄」を使っているので、俺から漏れる心配はあまり無い。それに加えて、俺に力を貸してくれている神々が、地獄という世界規模の勢力を敵に回す筈もないので神々から漏れたという心配も無い。
モルモーは何故か地獄に侵入していたが、彼女は紅魔館の地下牢にて幽閉中。レミリアによると俺が不在の間は交代で見張りも付けているようなので、脱走の心配も無い。
ましてや時間を止めれば俺や咲夜さん、弦月姫に知られる事になるので、モルモーも時間魔法なんか使って脱走はできないはず。
そしてなにより、最近のモルモーは何故だか俺に従順になったように思える。まるで洗脳でもされたように大人しく……とにかく従順になった。
それにより、モルモーから漏れたワケでもないと俺は判断した。だからこそ、俺が知る中で地獄での最上位の権力者である四季映姫・ヤマザナドゥに、こうして報告に来たのだ。
へカーティアにはとうに知らせたし、そもそも、彼女は女神であって、地獄においての権力者というワケではなさそうだ。魔界を創造したはずの母さんでも魔界で好き勝手にできないのと同じ事だ。
「はぁ……まーた面倒臭い事になりそーだ……。次のライブも近いし、面倒事は避けたいんだけどなぁ」
フーッ、フーッと熱いお茶を冷まし、チビチビと飲みながら応接室にて映姫を待ち受ける。すると、映姫の下で働いている少女が一人、映姫よりも先に応接室にやってきた。
「おっ」
「……おや、本当にまた来たんですね。近くの者から聞いて驚きましたよ」
「よぉ阿求。元気そうで何より」
「死んでいるのに元気とはこれ如何に。四季様は、もう少しでいらっしゃるようですよ」
「もう少しィ?……小町のヤツ映姫に緊急事態だって伝えてあるのかよ。映姫が『緊急事態』を野放しにするとは思えないんだけど。やっぱ久侘歌ちゃんに伝令役を頼むべきだったのかな……」
「えっ?緊急事態って……それは一体、誰にとってのですか?」
「俺が映姫に言うんだぜ?
そう言うと阿求はサッと一気に顔を青くさせて、何も言わずに部屋を飛び出した。
しかし数分後、息を切らして映姫がやってきた。背中に、グッタリした阿求をおんぶして…………。
「暫くぶりですね、エスカルゴさん。こんな登場で失礼します。阿求、体力が無いのに無理して走ったものですから……」
「あ、う、うん……」
ドサッと無造作に阿求をソファーに投げるように寝かせて、テーブルクロスのように薄い掛け布団を掛けると、早歩きで俺の前に座る。茶の準備の時間すらも惜しんでいるようだ。
「すみません、小町から緊急事態と窺ってはいたのですが、こちらも少々問題が発生しておりまして。本当にすみません」
「こっちこそ、急に来たのにそっちの問題の処理を後回しにさせちゃってごめん。すぐ帰るから、早速本題に入るね」
「そうして頂けるとこちらも助かります」
「……地獄の情報を、畜生界のヤクザに流してる奴。もしくは畜生界のヤクザの手の者が、ここ……地獄に侵入してるよ。間違いなくね」
「何ですって!?……いや…………まずは、そう思った理由や経緯、根拠を教えて下さい」
「うん。ついさっき畜生界のヤクザ……鬼傑組組長・吉弔八千慧と交戦したんだ。で、その時……八千慧、俺の事を『地獄の英雄』って呼びやがったんだよ」
「ッ!?」
「映姫なら、これのおかしさが分かるだろ?」
「え、ええ……。しかしあなたは、『山の英雄』とも呼ばれている。聞き間違えた可能性…………は無さそうですよね……。吸血鬼ですし、何より……」
「『やまのえいゆう』と『じごくのえいゆう』じゃ聞き間違いようが無いでしょ」
「……私もそう思います。文字数も違いますし子音も全く違う。聞き間違いようがありませんね」
「そゆこと。……どーすんだよ、ヤバいんじゃないのこの状況」
「あまり状況は芳しくないですね。……そういえば、先日、桃色の髪をした悪魔が地獄に侵入したとか。もしやそいつが……?指名手配をしても見つからないというのは、畜生界に逃げたから?」
「あー……そいつはもう大丈夫。俺が拘束してる」
「えっ?……拘束、している?」
「そ。吸血鬼繋がりでさ。ソイツ、俺の事を探しに幻想郷や地獄に来たんだ。だからソイツが侵入したとかいう問題は俺のせいなんだよ。……スマン。でもアイツ、情報は盗んでないんだよ。完全に俺だけが目的だったからさ」
「……そう、でしたか。いえ、あなたが拘束したなら問題はありません。指名手配は解除しましょう」
「ありがとう、映姫」
「いえ。……ともかく、地獄に畜生界からの侵入者、または地獄の情報を畜生界に横流ししている者……、という問題は看過できません。情報提供ありがとうございます。また、『地獄の英雄』としての功績が増えましたね」
「おうおう、皮肉がスゲェな?」
「あら、どの辺がです?」
「『地獄の英雄の功績』ってのは、つまるところ、
『地獄の不祥事』だろ?だから今の映姫のセリフは
『また地獄の不祥事が起きましたか。やれやれ』……みたいな意味なんじゃないの?」
「ふふっ……そうですね。しかし数日以内に、また、
『地獄の英雄』の功績が増えるかもしれませんよ」
「……あ?マジ?」
「マジもマジ、大マジです」
「映姫がそんな事言うなんて解釈違い過ぎる」
「何ですかそれは。……ピンチの時にはまた、地獄を助けてくれますか?」
「映姫が助けを求めたら助けるかもね」
「ですから、何ですかそれは」
「地獄の不手際はできるだけ地獄で解決してくれ。俺は地上で、平和に、のんびり暮らしたいんだよ。それでも尚『地獄の英雄』に助けてほしいのなら、映姫に個人として助けを求めてほしいな、なんて。ダメかな?」
「ダメですね。個人として、なんて有り得ません。私は閻魔です。人間風に言えば公人……ですから」
「……そーですかい。ともかく俺は、久侘歌ちゃんや小町、映姫、へカーティア……あぁ、あと阿求からの要請が無ければ助けには来ねーぜ。力は借りてるがそれはへカーティアからの加護に等しいからな」
「分かりました。なるべく『その時』が来ない事を祈っています。此度は情報提供、本当にありがとうございました。地獄を代表し、厚く御礼を」
そう言ってあの時のようにペコリと頭を下げた。俺なんかにそこまでする必要は無いのに。映姫は、白黒ハッキリしていないとダメな性格らしいので、こうと決めたらこう、と己の道を突き進むらしい。それがたとえ、俺のような奴に頭を下げる事でも。
「そちらの問題も無事に解決する事を祈ってるよ。どうか無事でね」
「ええ。あなたこそ、ご無事で」
「ああ。また来るよ」
「私的な目的では来ないで下さいってば」
「ははっ、手厳しいなぁ」
「……また、助けられましたね。本当に、ありがとうございます」
「やめろって。悪人に頭下げるのなんて、閻魔様のやる事じゃあねぇだろ」
「そうですね。確かにあなたは現時点でも地獄落ち確定の極悪人です」
「ワカッてんなら────」
「ですがこうして地獄の危機を私に伝えてくれた。これは紛れもなく『善行』です。嘘をついていない事など、私ならすぐに分かりますからね」
「……」
「善行を行ったのであれば……
「……ありがと。なんか救われたよーな気がするよ。変な話だけどな」
真っ直ぐに……。あまりにも真っ直ぐな目で悪人を見てくるものだから、俺は思わず逃げるように退室してしまった。照れ隠しではない。断じて違う。
「なーんか……可愛いんだが調子狂うんだよなぁ……可愛いんだけども…………ある意味釈然としねぇ……。筋は通ってんだけどな、
この時の俺はまだ知らなかった。いや、予想すらできなかった。まさか、映姫の問題と俺の問題が、地獄のみならず、幻想郷を巻き込む規模の大問題に発展するなんて────。