※この作品はR-18です。

オリ主探訪日記   作:mimick

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18.ユリ編※4ー2

 アルファの理性は激情の渦に巻かれていた。

 

 彼女が相対する修道女──クレマンティーヌ扮するフリーデはこの期に及んで未だアルファを嘗めているようだったから。

 

 何しろ、この大切な決闘の場で、デュラハン相手に首を斬るなどという無駄な行為を試したのだ。

 

 それが挑発として意図したものであれば、それは成功と言ってもよい。

 

 しかし、それはそれでアルファに精神的ダメージを与えてはいたが、それよりもアルファが心囚われていた言葉があった。それは……

 

 ──彼女はなんと言った? 

 

 ──可愛そうな女? 

 

 ──気持ちを示せないのが可愛そうだと? 

 

 ──忠誠が報われなくて、不憫だと? 

 

 ──うるさい

 

 ──だまれ

 

 

「あなたにボクの何がわかる……」

 

 

 フリーデの背後──胴体から切り離されたはずの首が言葉を発する。

 

 胴体がひとりでに動き出し、首を拾った。

 

「おぉー……」

 

 それを見たフリーデの口から驚くような声が出た。

 

「ボク達にとってはナザリックが全て……仕えるべき方が、ボク達を創り出した創造主様がいなくなってしまうことの悲しみと恐怖は……御方様の寵愛を頂けているあなたには、わからない……」

 

 アルファは韜晦していた本心を溢す。

 

 その声に込められているのは、狂おしい感情。

 

 ──失いたくない

 

 ──見捨てないで

 

 ──置いていかないで

 

 ──ボクたちを……ボクを愛して欲しい

 

 恐れであり、渇望。そんな感情たちを言葉に変えて、御方々にぶつけられたら、それはどんなに楽だったであろうか。

 

 だが、そんなことはナザリックの立場が、同じ不安を持つ仲間たちが、そして従僕としてのプライドが許さない。

 

 言えるわけがない。

 

「自分の感情すら自由に出来ない? ……えぇ、えぇ! 羨ましいですとも! 自由気儘に振る舞えるあなたが!」

 

「だけどっ……そんな見苦しい言葉を御方様方に聞かせるわけにはいかないの」

 

「…………本当なら、その場所にはボクがいるはずだった。御方様のお側に」

 

 異様な雰囲気。

 

 アルファが言葉を発する度に、感情の温度が変わってゆく。

 

 隠れた仮面の内。彼女の姉妹の誰も見たことのない冷めた表情。普段、姉として、プレイアデスの副リーダーとして皆を纏める苦労人の姿ではない。

 

 ──ボクは、あなたが羨ましい

 

 ──あなたさえ、いなければ……御方様は昔のようにナザリックを愛してくれるのでしょうか

 

 まだナザリックに至高の41人が在席していた黄金期。あの頃はナザリック全体が情熱と熱気に包まれ、毎日が賑やかだった。楽しくて、毎日が幸福だった日々を過ごした。

 

 だが時は過ぎ、今ではアインズを残し、ギルドメンバーの多くがナザリックを去った。

 

 ──御方様までナザリックを去ってしまえば、ボクは……

 

「本当は諌めるだけのつもりでしたが……もう、やめます」

 

「あなたがそこにいると不安なの……だから、そこから退いてちょうだい」

 

 ──その場所があなたには過分なものであると、いい加減気づいて

 

 それは今までとは異なる、硬質な声音。

 

 決意の言葉。

 

 相対する女性が同じ男性を慕っていることなど、よくわかっている。それを分かっていながら彼女の想いを断ち切る決意を彼女はした。

 

 他でもない、仲間たちのために、自分のために奪う、と。

 

 ただ……

 

 ──御方様はこの勝手をお怒りになるでしょうね……

 

 それだけが心に凝りを残す。

 

 

 だが、決意はもう済んだ。あとは、突き進むだけ。それが創造主から受け継いだ、ユリ・アルファとしての在り方。

 

 

 修道女が異変を察知し、すぐさま追撃しようとするも、その先にはタイミング悪く、進路を邪魔するようにして立ち塞がる影が躍り出る。

 

 

 

「おー、御方様の新しい眷属は鎌使いだったっすかー!」

 

「こんばんは、修道女さん」

 

「……」

 

 アルファと同じく鋭角的な仮面を着けた三体の存在。ベータにイプシロン、デルタ。

 

 

「……あなたたち、そこを退きなさい」

 

 

 アルファが静かに声を上げ、フリーデは機を逸したことに眉を顰めた。

 

 今のアルファは尋常ではない気がする。

 

 嫌な予感。フリーデの直感が警鐘をガンガン鳴らしていた。

 

 

「まぁ、まぁ。ユリ姉、もう少しで作戦の終了時間っすよ。アタシらも手伝うっすか? ナザリックの下僕としては新人に舐められるのは困るっすからね〜。皆でボッコボコにしてやるっすよ!」

 

 場の空気も読まず、シュッ、シュッとパンチの真似をするベータもといルプスレギナ。

 

「手を出さないでちょうだい。これは至高の御方々が定めた決闘の流儀よ……それを破るのなら幾ら妹のあなた達でも許さないわ」

 

 その問いに対してアルファは静かな怒気を発して答える。

 

 事実、ナザリックのメンバー達は決めごとが決まらない時は一対一で決闘することが多かった。その流儀をまさか下僕が汚すなど、あってはならない事。

 

 そして、そこで初めて妹達は今のアルファが、ユリがいつもの朗らかな姉とは異なることに漸く気づいた。

 

「っ、じょ、冗談っすよ……?」

 

「……邪魔しにきたのはルプーだけ」

 

「私達は本当にただ見届けに来ただけよ」

 

「ゔっ……しーちゃん、そーちゃん、ヒドイっす……」

 

 

 

「あなたたち──」

 

 

 アルファの静かな威圧感のある声を再び受け、若干焦りながら邪魔にならない位置にまで下がる悪魔たち。

 

「ユリ姉、何かおかしくないっすか……?」

 

「……かなりキレてるわね」

 

「珍しい」

 

「あの新人、ユリ姉に一体何したっすか……」

 

 コソコソと話す内容はアルファには届かなかった。彼女たちは驚く。姉と慕う人物が、あそこまでキレているのを初めて見たのだから。

 

「妹たちが、ごめんなさい。先手は譲りましょう。……ですが、心してください。今度からは全力で行きます。ボクはあなたに勝たなくてはいけない」

 

《アイアン・スキン》

 

《プロテクト・スキン》

 

《メイドの嗜み》

 

 攻撃力向上、防御力向上、ダメージカット、回避率向上のバフがかけられ、アルファは構えをとった。

 

 

「はっ……やれるもんならやってみろよ首無し!」

 

《流水加速》

 

《能力向上》

 

《能力超向上》

 

 攻撃の高速化、肉体能力の向上のバフ。大鎌を背負い、小鎌を構える。そして、再び下半身に力を溜めた。

 

 

 ──先に駆け出したのはフリーデ。

 

 目にも止まらぬステップイン。間合いを急速に詰め、青い軌跡を描いて振るわれたのは小鎌。そして、フワリと流れた身体のまま大鎌の重さを活かすようにして回転し、断頭の如き連撃を放つ。

 

 大小の鎌は悪魔に致命の一撃を与えんと、瞬く間に幾筋もの軌跡を描いてゆく。

 

 対して、アルファは腰を据え、両腕を柔らかく開く。そして、ゆったりと間合いを詰めてゆく。

 

 一歩──斬撃に怯むことなく青い軌跡を掻い潜る。

 

 二歩──腕で円を描き、斬撃の軌道を往なした。

 

 三歩──不規則な青い軌道を回避しきれず接触。

 

 青い軌跡に触れた衣装が一文字に斬り裂かれ、アルファ自身にも鋭い裂傷がつく。しかし、本来であれば深手を負うはずの斬撃もアルファのスキルによりダメージは抑えられていた。

 

 故にアルファに焦りはなく、未だ冷静そのもの。

 

 四歩──重量を活かし、遠心力で加速した大鎌の一閃を見極め、受け流す。フリーデが目を見開いて驚愕した。

 

「っ──」

 

 そして、五歩──

 

 渾身の力で振り切られた一閃を受け流され、体勢を崩したフリーデに対し、アルファは更に前へと距離を詰めた。

 

 腰を落とし、更に大きく一歩。

 

「ハアァッ!!!」

 

 鉄山靠──腰を捻り、勢い良く体当たりをするように、敵を背中で強かに打ちつける技。アルファは地を踏みしめ、溜めた震脚の威を腰に乗せ、勁を放つ。

 

「ぐっ……」

 

 まるで壁に衝突したかのようにフリーデは弾きとばされ、身体は衝撃で硬直する。数瞬の間、無防備に宙に浮くことになる。

 

 ──それが大きな隙となった。

 

 纏糸勁──アルファは腕で大きく円を描くようにして太極の軌跡を辿る。溜められた勁が腕を巡り、吐いた呼吸とともに丹田へと集められる。その意気で挑む。

 

「──敵より遠く、我より近く」

 

 それは剣の理である間合いの妙であるが、アルファは今、弾かれ宙に在るフリーデを間合いに納めつつも、一歩下がるだけで敵の間合いを外すことの出来る位置にある。

 

 無理せず姿勢を保ち、一撃を打ち込む時の余裕が威力を決める。そして、必ずしも懐に入らずとも致命の一打を放つ術が彼女にはあった。

 

 それは丁度、五歩の距離。

 

 それが彼女、アルファ/ユリの必殺の間合い。

 

 

《擲天五歩気爆拳》

 

 

 丹田に集められた勁が再び腕へと巡る。掌から魔法のような気を発し、フリーデを穿つ。

 

 膨大なエネルギーを内包した、圧縮された気──圧力から解放されたそれは赤熱し、すぐさま膨張を始め、ついには限界を迎える。

 

 

 爆音とともに広がる白い閃光。

 

 

 爆風によって立ち込めた砂埃が晴れた先には、吹き飛び、地面に無残にも倒れ伏したフリーデがいた。

 

「……ふっ!」

 

 先程とは正反対の様相。アルファは手応えから決闘に勝利したことを確信、安堵しつつも残心。息を整えながら、フリーデを警戒する。

 

 そして……

 

「……安心してください。私は御方様に不自由を強いることも、ご迷惑をかけるつもりもありません…………まして、もう好意を打ち明けることはしないつもりですから……」

 

 ──ただ、御方様の側に仕えるだけ……

 

 ──彼女の御方様への想いを断ち切るからには、自身の好意をお伝えするなど不義理なのでしょう。応援してくれているアーちゃん達には申し訳ないけど……

 

 そう、心の中で反芻し、重いため息を一つ。

 

「……勝負は私の勝ちです。あなたはよくやりましたが、御方様のお側に仕えるには強さも、品格も、意思さえも足りていない」

 

 

「御方様の側に弱者は相応しくない……潔く、身を引くことです」 

 

 

 そして、暫くして反応が見られないことを確認すると、残されたゲヘナの任務を遂行するために背を向けて立ち去ろうとし──

 

 

 カツン、という硬いもの同士が接触する音がした。

 

 

 アルファが振り返れば、そこには鎌を支えにして地面に膝を突き、立ち上がろうとする女。

 

 彼女はブツブツと何かを小さく呟く。

 

 その姿はボロボロで、せっかく用意された修道服も破損こそないが、砂埃で汚れ乱れていた。

 

「……私達が創造主様より授けられた力の一端を身を持って理解出来なかったのですか? 私達こそが御方様方に仕えるために創られた存在──御方様はあなた程度が馴れ馴れしくして良い方ではないのです」

 

 アルファは再び構えを取る。

 

 今度こそ完膚なきまでに打ち崩し、恥で二度と御方の顔をまともに見れないようにするために。

 

 弱者には御方の寵愛を受ける資格もなく、私では到底、支えになどなれないのだと無力を悟らせるために。

 

 アルファは悪魔らしく、修道女を嬲るのだ。

 

 

 □

 

 

 拳打の嵐。

 

 肉を打つ音が響き、血が舞う。

 

 修道女は悪魔からもたらされる暴力を耐え忍ぶ。

 

 体の随所では痛みが警告を発しているのに対して、精神は不思議な程に凪いでいた。まるで肉体と精神が剥離し、自身を客観視しているかのように。

 

 

 ──痛い……

 

 ──苦しい……

 

 ──……何でこんなに頑張っちゃってるんだっけ、私

 

 

 修道女はもはや防戦一方で、アルファからの猛攻を耐えるので精一杯になっていた。

 

 辛い。逃げたい。彼女はフワフワとした思考で想像する。この勝負に負け、その先には何が待っているのかを──

 

 ──さっさと自分から負けを認めちゃったら? 

 

 彼女には強者というプライドがある。男に自分が誰かに負けた惨めな姿を晒したくなかった。まして、自ら負けを認めるのも嫌だ。それでは、彼女のプライドはズタズタになってしまうだろう。

 

 だから……

 

 ──それなら、まだ殺された方がまし。

 

 幸い、男が蘇生の手段を持っていることを彼女は分かっていた。

 

 しかし、彼女は一度目に蘇生を受けた際に不死人へと転生しており、例え、死んだとしてもエ・ランテルの篝火で亡者として目を覚ます可能性が高い。

 

 それを彼女は男から話を受けてもいなければ、気付いてもいなかったから。

 

 ──死んだら、生き返らせてくれるかな? 

 

 ──2回目もきっとあるよね? 

 

 前に言っていた。男は蘇生が好きにはなれないと。生に対して真剣に向き合えない気がする、とも。しかし、その言葉は一般的な感性から齎されたものであったのだが、男もまた不死人であり、彼女は男の過去を思って勘違う。

 

 ──これがそういうことなのかな……

 

 果たして、彼女は今、生に向き合えているのか数瞬だけ自問する。そして、不毛だと繰り延べし、仮に蘇生を施されたとして、その生は以前と全く同じと言えるのかを漠然と想像する。

 

 敗者。

 

 負け犬。

 

 憐れみの視線。

 

 そんな扱い、殺したいほどムカつくが彼女は慣れてはいる。法国にいた頃はそれに似たような扱いだったから。

 

 しかし、彼女はそれでよくとも、果たしてそのような存在が男の側にいることは許されるのだろうか──いや、きっと許されることはないだろう。

 

 

 結局の所。彼女が負ければ最終的に待っているのは以前と同じ無味乾燥とした世界なのだろう。

 

 男の側に居られなくなり、ただ一人、理解者もなく屍のようにただ彷徨う。自身の感情が擦り切れて狂人となり、誰かを殺し、誰かにまた殺されるのを待つだけの時を過ごす。

 

 ……いや、男を知ってしまった今では、そこは嘗ての地獄以上。

 

 彼女にはもはや彼なくして生きてゆく自信がない。側に侍ることも、腕の中で愛を囁くこともなく。やっと手にしたはずの居場所が奪われ、繋りは断ち切られることになる。

 

 

 想像して心臓が裏返るような拒否反応を示した。

 

 ──いやだ

 

 精神への過負荷。

 

 ──いやだ

 

 奪われてしまうことへの恐怖。

 

 ──いやだっ……! 

 

 思い出すのは、今まで掌から溢れ落としてきた大切なもの達。

 

 そして、今、命を賭けてでも絶対に失いたくないもの。

 

 

 ギ、シッ──

 

 

 それは食いしばる歯の軋みか、負荷による心の悲鳴か。視界に星が瞬き、音が聞こえなくなった。

 

 胸の内。心が軋み、罅割れる。隙間が空き、その隙間からは少しづつ何かが溢れてゆくよう。

 

 

 体は傷だらけ、息が荒く苦しかった。思うように動かない体に焦りと苛立ちだけが募ってゆく。

 

 

 彼女が持つ大切なもの──火の血縁。

 

 そして、その証である男から受け継いだ火。

 

 断ち切れぬはずの縁であり、目には見えない確かな繋がり。

 

 それは自由を縛る柵であるが、彼女に温もりを与えた。

 

 そして、彼女の居場所も。

 

 大切なものは全て、男から貰ったのだ。

 

 

 ──あ、ははっ……私、いつの間にかだいぶ毒されちゃってたみたい……

 

 ──私が幸せだなんて……頭が可笑しくなってたのかな

 

 

 我に返ったかのように、自嘲した。

 

 だがしかし、男に出会う前の彼女であれば、すぐに逃げ出していたであろう状況でも踏ん張ろうとしているのは、彼女にも絶対に守り抜きたい一線ができたということ。それ自体は悪い変化ではない。

 

 そして、ここで無様に負けては今後、男に相応しくないと、側にいることが出来なくなる。二度と顔向け出来ないという直感があり、それは事実、正しかった。

 

 ──やだなぁ

 

 だから、歯を食いしばり、拳打の嵐を耐えられていた。

 

 ──失いたくない……

 

 しかし、現状活路は見い出せず、アルファの豪腕から繰り出される拳撃を耐え忍ぶにも、限界は近い。心が折れかけ、諦めの気持ちが侵食してゆく。人外のバケモノが相手では、負けることが仕方のないことと受け入れ始めている。

 

 

 ギ、シッ──

 

 

 胸が痛い。胸の中にある何かがそれでは駄目だと悲鳴をあげている。

 

「ぁ、ぁぁあああ!!」

 

 修道女は力を振り絞り、大鎌を地面に叩き付ける。

 

「は、ぁ……は、ぁ……」

 

 彼女を中心として発生した無数の氷柱がアルファを襲い、彼女を修道女から遠ざけ……

 

 氷柱が透き通るような甲高い音を立てて、儚く散ってゆく。

 

「もう、終わりにしましょう」

 

 アルファが構えを取り、呼気とともに黄金色の気が溜めを作った腕へと集まってゆく。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「あなたを──殺します」

 

 

《螺旋気爆拳》

 

 

 拳が振り抜かれ、暴風が螺旋を描いて道を創り、同時に膨大なエネルギーを秘めた黄金色の気がその中心を貫く。

 

 それはまるで嵐を一本の光線に纏めたようにも見え、吹き散らす暴風は石造りの民家を容易く吹き飛ばし、辺り一面を瓦礫の山とする。

 

 そして、そんな一撃はただ一人にのみ向けられており、それは間違いなく彼女の息の根を止めるに足りる一撃だった。

 

 

 □

 

 

 黄金色の嵐が殺到する。

 

 ──やだ

 

 膨大な熱量を孕んだエネルギーの塊が彼女の全身を殴打し、容赦無く命の火を吹き消さんとした。

 

 ──やだ

 

 彼女の意識は霞のように消え入る寸前。

 

 ──やだ……

 

 その先にあるのは、死か絶望か。

 

 ──こわい、たすけて

 

 彼女は心の中で助けを求める。このまま意識を保てなければ、そのまま、彼女は再びあの昏い深淵へと堕ちてゆく。

 

 

 ……それが助けだったのかは彼女の考え次第だが……ただ、その時彼女は走馬灯のように思い出した。

 

 短くも大事な日々。

 

 永きを生きることを苦痛に思わないのか、と尋ねたあの日。その質問に男は笑っていたが、彼女はその笑みに影を感じずにはいられなかった。

 

『お前は俺といてくれるんだろう?』

 

 ──あの日、あの人は私に振り返り、そう言った。

 

 孤独に慣れ過ぎると、寂しさなど感じなくなる。麻痺した心。それが普通になってしまうことを女は知っていたから。

 

 あまりにも過酷な旅を経験した男は、その地獄を踏破した達成感を知っている。寂しくて、苦しくて、心折るような旅路──しかし、その旅路には美しい絶景や通常では味わえぬ興奮があった。

 

 そして……男はそこで自身は死ぬことが出来ずに周りから取り残されてゆく絶望と、一人で歩まなければならない永遠に近い時への諦観を得た。

 

 

 ──不死のあの人が、孤独にならないために。再び救済の道を歩み、ただ一人、地獄へと赴くことのないように……

 

 

 孤独な騎士の後ろ姿が脳裏によぎった。

 

 あの人は孤独に魅入られている──それはつまり、自ら孤独になろうとすること。

 

 言葉を違える訳にはいかない。

 

「ぁ……しね、ない」

 

 こんなことろで死ぬ訳にはいかない。

 

「わたし、しね、ない……!」

 

 憐れで、強がるあの人を一人に出来ない。

 

「ま、だ……しねないいいぃぃ……!!」

 

 そうでなければ、あの人はまた孤独の道を歩むだろうという予感があるから。

 

 だから──ただこの瞬間のために命を燃やし、魂を焚べる。それこそが男の話す、生に向き合うということなのか。

 

 血涙を流す修道女──祈るように堅く握りしめた手から、その意思に反応するように火が溢れた。

 

 

 □

 

 

 暴風によって巻き上げられた粉塵がもうもうと立ち込める。

 

 アルファは粉塵の只中で息絶えているはずの存在を確認しようと腕を振り、粉塵を吹き飛ばす。

 

 

 そこでアルファが目にしたものとは──

 

「その火は御方様の……!」

 

 過去、何度か目にし、御方がナザリックへと帰還した際にも目にしたものと同様のもの。

 

 女が体に纏う炎。

 

 その火は肌を焼かず、衣を焼かず、しかし、火の主の意のままに対象を燃やし尽くす。

 

 

 だが、とある物を見て、アルファの驚愕は変貌する。彼女は仮面の内で嫌悪に眉を顰めた。

 

 チロリと滲み出した黒。

 

 それは罅割れた心から漏れ出た人間性の闇。人の本性。心の闇であり、包み込む愛、果てなき欲望、人間を人間たらしめる意思そのものでもある。

 

 輝かしかった火は滲み出た黒に混じり、闇のように禍々しい火へと変貌する。

 

 そこには、黒炎を身に纏う修道女の姿があった。

 

 

「……」

 

 彼女はふらふらと、大小の鎌を手に歩みを進める。

 

 黒炎が鎌へと完全に移り──修道女が鎌を振るった。

 

 と、同時に地をうねるように走る黒い炎。黒い炎はまるで意思を持つかのように、敵に向かって疾走する。

 

 それは《黒蛇》と呼ばれる黒い呪術。どこかの世界では黒い呪術のはじまりとなったもの。

 

 アルファは迫るそれを警戒して大きく回避する──しかし、黒蛇はアルファに追従するかのようにしつこく後を追いかけた。

 

 そして、一瞬、アルファが修道女から目を離した隙──彼女は再び鎌に黒い炎を纏わせ、身を独楽のように回転、地を蹴る。

 

 黒い炎を円状に撒き散らし、一息に空中に身を踊らせると、直ぐ様アルファ目掛け急降下。地面に着地すると同時に黒い炎を纏う二つの鎌を叩きつけた。

 

 

 □

 

 

 黒い炎の大爆発──

 

 爆炎が膨れ上がり広範囲を呑み込んだ。

 

 

 アルファの渾身の一撃が振るわれ──

 

 石畳が陥没し、蜘蛛の巣状に罅割れる。

 

 

 修道女が冷気を振り撒き──

 

 一面に鋭い氷柱が生え、街の一部はさながら水晶でできた針の山に変貌した。

 

 

 膨大なエネルギーを籠めた正拳突き──

 

 放たれた熱線が家々を一直線に貫き、大きな風穴を開けた。

 

 

 

「……これ、流石にヤバくないっすか?」

 

「かなり目立ってる上に、周囲の被害も甚大ね」

 

「やりすぎ」

 

 まるで紛争の起こった街のような有様。それを成した存在である二人に、三人の悪魔──ベータ、イプシロン、デルタは若干焦り始める。

 

 元々、場が荒れるのは想定済みであったし、彼女らは配慮する必要もあまり感じていなかったが、少々派手に破壊し過ぎているようにも感じた。

 

 あくまで、今回のゲヘナのメインは冒険者モモンにある。脇役であるはずの二人が大激闘をして話題となっては、主役が薄れてしまう可能性もあった。

 

「作戦の終了時間も、もうすぐだし……決着つくっすか? ヤルダバオト様にお知らせした方がいいっすかねぇ? 後で怒られるのも嫌っすよ」

 

「どうかしら……でも、ヤルダバオト様にとっては想定の範囲内の事なのでは?」

 

「……」

 

 そして、先程から続く破壊行為がいつ終わるともしれず、もうすぐ刻限となる作戦終了時間までに決着がつくかどうかも怪しい。

 

「う、う〜ん……悩みどころっすねぇ。時間的にあっちは今、冒険者モモン様と対決中だし、そんな大事な時に邪魔したら……」

 

 

『そんなことで大事な一戦に水を挿し邪魔したのか……お前には失望したぞ、ルプスレギナ……!』

 

 もしくは……

 

『イレギュラーな事態が起こったのであれば報告するのは義務だ。お前は何故知らせなかった?』

 

 つい先月、ナザリックの主であるアインズに激怒された時を思い出して、ベータは仮面の下で顔を青くした。

 

「ひぇっ……どっ、どうしたらいいんすか〜!!」

 

 それが若干トラウマになっているのか、彼女は頭を抱えた。

 

「……御方様に止めて貰う」

 

 デルタが感情に乏しい声音で言った。

 

「っ! それがいいっす! しーちゃん、あったまいい〜!」

 

「あら。でも御方様を取り合っての決闘だって聞いたけど、拗れたりしないかしら?」

 

 噂では御方の寵愛を巡って彼女らの姉であるユリ・アルファから御方の新しい眷属に決闘を叩きつけたとも聞いていた。

 

 その場に御方自身が乱入した時の姉の気持ちを思えば複雑だったが……

 

「……決闘を止められるのは至高の41人だけ」

 

 現状で、最も確実な方法ではある。

 

「ゔ〜…………御方様なら何とかしてくれるっす」

 

「……まぁ……それはそうね。私たちではどうしても止められないし。じゃあ、メッセージでお伝えするわ」

 

 そうこう話し合っている内に地が揺れ始める。それはゲヘナの終了を意味しており、アルファ達の撤退の合図でもあるのだが……

 

「あ……揺れてるっす」

 

 視線の先。二人は未だ矛を収める気配がなかった。

 

 

 ──自分達ではどうしようもないことを、出来る人にさっさと投げてしまう。それは全体で見れば効率的だろう。しかし……投げられた側からしたら、たまったものではない。

 

 

 □

 

 

「何じゃこりゃ……」

 

 ソリュシャンより二人の争いが激化し、作戦時間内に終わる気配がないとの報せがあり、男は急遽、元来た道を戻ることとなった。

 

 二人が争った場所は、もはや最初とは全く別の景観になっていた。レンガ積みの家々は瓦礫の山、一部では火災すら起きている。石畳の敷き詰められた道は所々にクレーターが出来、季節でもないのに霜が降りていたり、氷柱が出来ていたりと、混沌としていた。

 

「不安が的中したな……」

 

 男がまず感じたのは、やはりとの思い。

 

 悪魔と修道女が対峙した時の険悪な会話は、予感通り、ただの演出ではなかった。

 

 それが今、身の前でクレマンティーヌとユリが本気でやり合う事態になっている。もしかしたら、先日ユリが叩きつけた決闘が本当に行われたのかもしれない、というのが男の思考にあった。

 

「あの時、必死で宥めた苦労は一体……」

 

 ユリがクレマンティーヌに決闘を叩きつけた際には、しっかりとよく考え直すようにと男は言っていた。

 

 ますますヒートアップする二人の間に入り、宥めるのは大変だったが、苦労して二人を引き離し、何とか治めることができたと思っていたのだ。

 

 だが、実際にはユリの怒りは治まってはおらず、腹の底では激怒していたままでいたことに気づけなかった、と男は悔やむ。

 

 そして……

 

「……聞いてねぇぞ」

 

 こうして二人が争っており、ご丁寧にプレイアデスの立会人を付けているからには、ナザリック公認の決闘なのだろう。しかし、男はこうして決闘が行われることを知らなかった。

 

「モモンガァ……デミウルゴスゥ……」

 

 ただ、モモンガはユリが自分達を真似してPVPを行うことに感心したし、報告が上がって来た際にはまさか真面目なユリが男の許可を得ていないなど思いもしなかった。男自身、ユグドラシル時代には積極的にPVPを行っていたことからモモンガが勘違いしたというのもある。

 

 また、デミウルゴスに関しては、この決闘が御方の策であり、その表面上の狙いがユリとクレマンティーヌの相互理解、互いの意見をぶつけ合うことにあること。そして、その真の狙いが決闘を契機として御方の伝説を広めるための布石にあると予測していた。そう考えたからこそ、ゲヘナに喜んで組み込んだものだったことを男は知らない。

 

 

 黒い爆炎が吹き荒れ、その中から吹き飛んできた影がある。

 

「よくも……よくも至高の御方より頂いた衣装を……!」

 

 被っていた仮面はどこへやら、激怒しているのか眉間に皺を寄せ、鬼の形相を浮かべるユリ・アルファ。彼女達、戦闘メイドが普段から身に纏う服は、戦闘にも耐えられるよう耐久度が高い。しかし、その衣装も炎にまとわりつかれたせいか、所々焼け焦げてしまっていた。

 

「……」

 

 方や、無言でホラーもかくや。鎌に纏う黒い炎の尾を引き、アルファに滑るように迫る。血涙を流し、内蔵をやられたのか口や鼻からは血を垂れ流す。かなり痛めつけられたようで、修道服はズタボロ。視線こそアルファに向いているようだったが、どこか虚ろだった。

 

「おい、お前ら、武器を収め──」

 

 

『……』

 

 

『破砕衝撃ッ!!』

 

 

 激しい衝撃。辺りに粉塵が舞い、男はもろに被る。

 

 二人は男の声が聞こえてはいないようで、戦闘をやめる気配もない。それほどまでに周囲が見えなくなり、相手のみに集中していたからというのもある。

 

「聞こえてねぇのか……」

 

 額に筋が浮かぶ。

 

 突然放り込まれたトラブル対応。しかも、そのトラブルの元の二人は、男の側付きだった。つまり、周囲に迷惑をかけているのは自身の部下だとも言える。だからこそ、ソリュシャンから連絡が来たと男は解釈した訳だが。

 

 

「加減を知らねぇ、脳筋共が……」

 

 

「どうすんだ、これっ!! コラッ!!」

 

 

 そして、男もまた戦闘の最中に飛び込む。

 

 信仰系の魔法を使用し──男が手に持つ触媒から鈴の音が響き渡る。

 

《緩やかな平和の歩み》

 

 移動阻害の効果を持つ魔法。ガクンッ、と膝が前に出なくなり、修道女は水の中を歩くようなペースになってしまう。

 

 しかし、一方のアルファに関しては魔法が効果を発揮していないようで、鋭い踏み込みで間合いを詰めようとしている。

 

「クソッ! 移動阻害への完全耐性か! めんどくせぇ!」

 

 本来であれば、互いに敵意を持つ者同士に対し、手を出させずに睨み合わせることを強制するもの。しかし、二人とも頭に血が昇っているようで、互いに相手の出方を警戒しつつも攻勢の手を緩めることはない。

 

 自身のため、仲間のため、貪欲に勝利だけを目指し、相手の命を欲する。

 

 修道女の黒い炎を纏う大鎌の一撃が振るわれ──

 

 悪魔のバフスキルを重ねがけした渾身の鉄拳が放たれる──

 

 

「やめろっつってんだろうが!!」

 

 

 それを両者の間へと乱入した男が鎌の一閃をパリィで弾き、鉄拳を掌で受け止める。

 

 

「っ! お、御方様っ……?」

 

「双方、武器をひけ! 勝負は引き分けとする!」

 

 アルファは目の前に男が現れて初めて、その存在に気がつき、顔を青白くして冷静になった。

 

 

 気がつけば周囲は荒れ放題で、先程まであった風情ある街並みはもうない。ナザリックでは認められたものの御方が反対していた決闘を見られ、挙げ句、決着がつく前に止められてしまった。しかも、後半の内容は互いに命を賭したものだ。

 

 如何に、ナザリックの秩序を乱しかねない彼女の行動を諌め、御方への不敬を戒めるためという名分とはいえ、それだけの理由で本気の命のやり取りはやり過ぎだとユリも自認していたから。

 

 しかし、やらねばならなかったのだ。もしもの未来、御方がナザリックを出奔してしまっては仲間たちが悲しむことになると思ってのこと。無論のこと、この段階ではユリは命までとるつもりはなく、ただ手痛い敗北により身を引かせようと考えていたのだが……

 

 

 だが、その彼女に指摘されてキレてしまった。隠していた動揺を顕にされ、かけられた安い同情の言葉にどうしようもなく耐えられなかったのだ。

 

 本当は自身が御方の公私の支えになりたいと願っていたのに、その場所には知らない誰かが既にいることに激しく動揺し、嫉妬に耐えられず……

 

 その知らない誰かに不憫だと、報われることがなく可愛そうだと同情を買われ……

 

 その言葉を、自身の不安な気持ちを表立って出すことが出来ないもどかしさ、焦りが、彼女を排除せんと突き動かした。

 

 そして、欲が出た──彼女さえ、居なくなってしまえば、と──

 

 

 だが、アルファに満ちていた決意、怒り、その他諸々の感情は御方と呼ばれる男の顔を見た途端に萎んでいった。

 

「か、かしこまりました……」

 

 

 そして、男から制止の言葉が放たれると、一方の修道女は力を失ったように崩れ落ちてしまった。

 

「お、おい……」

 

 それを男は慌てて支えた。

 

 

 

 冷静になったアルファは物音に気付く。いつの間にか、周囲には冒険者や兵士、救助された街の住民がポツポツ集まり始めている。推察するに、彼らは再び男の後を追って来たのだろう。

 

『っ……修道女さんが……ひでぇ……』

 

 男の腕の内には瀕死状態の修道女。人だかりからは、悪魔が彼女を嬲ったと考えたのか、慄く声が聞こえた。

 

「……話は後で聞く、アルファ」

 

 アルファがその呼び掛けを聞き、再び仮面を身に着け、飛び退る。既に彼女の三人の妹達は民衆の目もあることから演技に入っていたようだ。

 

 民衆は警戒感を顕に、悪魔達、そして男と修道女の様子を伺う。

 

 

「やぁやぁ! 人間もたまにはやるっすね──今回はそちらの方にトドメを邪魔されてしまいましたが……あまり調子に乗らないで欲しいわね」

 

 赤髪の仮面の悪魔が嘲笑う。

 

「神に仕える者を甚振るのは、なかなか面白い見物でしたわ」

 

 金髪の仮面の悪魔が嗤う。

 

「……面白かった」

 

 桃髪の仮面の悪魔が無感動に言った。

 

「……」

 

 修道女を嬲った黒髪の悪魔は何も言わない。

 

 

 

 そして──何処からかパチパチと手を鳴らす音が聞こえた。

 

 黒い空から現れた赤いストライプのスーツに青い鋭角的な仮面の大悪魔。

 

 メイド服を身に着けた悪魔達が跪く。

 

「おや、劇はもう終わりなのかい? これからが良い所だったろうに…………ふむ、そこの観客には演者への敬意がないのかな? 『喝采したまえ』」

 

 メイド服の悪魔達の主が《支配の呪言》で、命令を強制する。

 

 そして直ぐ様、周囲に集まった冒険者、王国兵士、王都住民が狂ったように拍手喝采し始めた。

 

 

「……」

 

 嵐のような拍手が轟き、指笛が警笛のように鳴り響く。

 

 男は抵抗。というか、大悪魔の使用した《支配の呪言》はユグドラシルで言うレベル40までの相手にしか効果を及ばすことができない。男は僅かな抵抗で、支配を断ち切った。

 

「これは、これは……! こんな所にも私の支配が及ばない者がいるとは! 先の冒険者モモンといい、中々油断のならない人材がいるじゃないか!」

 

「……」

 

 男は元々演技が得意ではない。モモンガの魔王ロールのように、ユグドラシル時代でも特にロールプレイすることも無かった。だから、彼はボロが出にくいように、あまり喋らないことを選んだ。

 

「そうだね……まだ時間はある。少し会話でもどうかな? いやなに、なかなか楽しい劇だったのでね。感想を聞きたいのだよ」

 

 しかし、未だに続く喝采に大悪魔は煩わしげに言い放つ。

 

「少々、騒がしいよ。『静まりたまえ』。木石のように、物言わぬ存在になっているといい」

 

 拍手喝采がピタリと止み、物言わぬ人々が微動だにせず立ち尽くす異様な光景。

 

 民衆を人質にしたていで、ヤルダバオトと呼ばれた大悪魔は瀕死の状態のフリーデに視線を向けて声を発した。

 

「彼女はなかなかに面白い存在のようだね? 彼女には悪魔の資質がある。是非とも部下に加えてみたいと思ったよ」

 

「……これは悪魔にはならん……悪魔にならずとも、願いを果たせる力は、もう、とうに持っている」

 

 男はなるべく意味深げな言葉を選び、周囲に集まった人間が理解出来ないように話した。

 

「果たして、彼女はそれで満足しますかな?」

 

「っ、……」

 

 しかし、目の前の大悪魔は悠々と会話を繋げてきたため、男は言葉に詰まった。

 

「そうそう。私の部下は如何でしたかな? 彼女はとあるものを手に入れるために、修道女を排除することを目論んだようですね」

 

 そして語るのは、彼女が何故、このような行動に出るに至ったのか。

 

「しかし、その行動の根底にあるものは主への忠義と愛、仲間への想い──実に悪魔には相応しくない動機だと思いませんか? 自己犠牲、無償の愛、思い遣りに哀れみ……なんとも嫌な響きです」

 

 大悪魔は彼女がまるで他人のために、自分の何かを犠牲にした上で、修道女を嬲ったかのようの言う。行動の理由──そこには『御方』や彼女の仲間たちへの想いがあると。

 

「後で、叱らなくてはならないと思っていた所ですよ。悪魔ならば悪魔らしく、犠牲を気にすることなく徹底すべきだった。そもそも彼女には欲望と悪意が足りない。自制心の強い悪魔などお笑い者です。私としては、もう少し欲望に忠実である方が好ましいのですがね」

 

 そして、もう少し自身の願望を優先しても良いのではないか、と苦言を呈す。

 

「彼の大悪魔は、誇りある悪は大願を叶えるために手段を選ばなかった。例え、法や道から外れ、犠牲が出ようとも。だが、美しくない手段ではそれだけで下賤にも劣る、自身の言動には美学を持つべきだと。そう、彼は教えてくれました」

 

 それは独白にも近い。彼の行動原理であり、指標。子どもがヒーローに向けるような憧れであり、父の背に向ける決意でもある。

 

「ですから、やはり彼女は『悪魔』としては失格なのでしょう。足掻き、苦しみ、泥に濡れてもなお、最大の利益を得られなかったのですから」

 

 目の前の大悪魔の言葉は本音であっても、嘲りは含まれてはいないのだろう。その大悪魔も本来は主に仕える身。忠義の意味を誰よりも知っている自負がある。しかし、それを分かってはいても、男はその辛辣な評価に眉を顰める。

 

 彼女が修道女に扮したクレマンティーヌに決闘を挑んだのは、何かしらの譲れないものが彼女たちの間にはあったのだろう。

 

 男には、その目的とやらもイマイチ判然としなかったが、どうやら彼女の目的は果たされなかったらしい。

 

 図らずも、男はその決闘を『引き分け』という形で曖昧に終わらせてしまったのだから。

 

 ヤルダバオトには男を責める気持ちなど欠片もないのだが、その事を仄めかされたと勘違いした男は少しだけ気不味く思う。だから、俺は悪くねぇ、という意味も込めて返した。

 

「……その忠義を受ける主は誇るべきだ。悪魔に同意はしたくないが、確かに彼女は悪魔には相応しくはない。私としては、その忠義に敬意を払うのが主の度量だと思うがね」

 

『……っ』

 

 跪いた悪魔達が息を呑み、ユリは仮面の下で涙を流し、大悪魔は仮面の下で微笑む。

 

「おやおや……では、どうです? 彼女と私の部下とを交換するというのは──」

 

「悪魔よ、去れ。さもなくば……これ以降、交わすのは言葉ではない」

 

 男は杖を構える。

 

「ふふ……割と本気だったのですがね。仕方ない。さぁ、皆──撤退しようか」

 

「では、また会う日まで──彼女がこちら側に来る日は意外と早いかもしれません。その日を楽しみにしていますよ」

 

 そう、悪魔は予言のように不穏な言葉を残し、去ってゆく。

 

 

 そして、ゲヘナの炎は鎮まり、今日も変わらず日が昇る。新しい朝は、絶望の影を濃くするとともに、未来へと歩む力を授けるだろう。

 

 そうやって人間は繰り返す。絶望をバネに、未来を夢見て。例え、この世界の勝者が人間ではないのだとしても──

 

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