──そして、予期していた事態は訪れた。
悪魔の襲撃。黒翼の悪魔を将として、兵となる悪魔の大集団を引き連れ、悠々と行進してきている。
対して、冒険者の集団も迎撃しようと各々が己の信頼する武器を手に、警戒を密にしていた。
その集団の前方にいるのは件のローブの男に、槍と大盾を携えたパッチ、男と同じように顔を隠した冒険者が数名。
加えて、激しい戦闘を望む勇敢な冒険者達や新たに衛士達も前衛、アタッカーのポジションに配置されていた。
それよりも後方──中衛と呼べるポジションでは、ラキュースが全体の指揮を取っており、弓やボウガンなどの遠距離攻撃が可能なレンジャー、支援や攻撃が可能な魔法詠唱者が多く配置されている。
彼らには前衛の支援、回復、攻撃とオールラウンドな働きが求められ、悪魔を拠点前にて迎撃する攻撃の要にもなっている。
作戦はこうだ──前衛陣は損害を抑えるために遅滞戦闘に努め、その後、一斉に後退。ラキュースの指示のもと中衛陣から魔法や弓等遠距離から斉射することで殲滅……
そして、最後方に位置する後衛はほとんどが後方支援の部隊員で、回復薬の補給や怪我人の治療が中心の仕事となる。
その中には彼らを護衛するための人員である衛士も含まれており、蒼の薔薇の一員であるガガーランやティアが非戦闘員である彼らを守り、指揮する役目を担っていた。
それが人間側の布陣──その場では、軽口一つ叩く者が居らず、緊張が色濃く広がっていたのだが……
「なぁ、旦那。俺に一つ考えがあんだけどよ──ここは一つ、あのクソ尼にはアンタの名を上げる礎になって貰おうぜ」
「……」
「なぁに、俺にとっても悪い話じゃねぇ。人死が増えりゃ仕入れも捗るってもんだし、これで旦那がパッチの老舗をご贔屓にしてくれるってんならよ。ウヒャヒャヒャヒャッ!」
迫る悪魔達を眼前にして、緊張感の薄いパッチが何事かを男に囁き、ニヤリとした。
それを聞かされた男の表情はフードの影になって伺う事が出来ないのだが、どことなく引いている雰囲気がした。男も男で止めない辺り、何を考えているかは不明だったが。
《ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大化》
《セイクリッドオウス/固い誓い》
《リプレニシュメント/生命湧き》
《ティアーズオブディナイアル/惜別の涙》
──聖鈴の音が響き渡る。
幾つもの白く輝く魔法陣が展開、拡大、光の粒への昇華を繰り返す。悪魔が此方へとたどり着く前に、ローブの男は信仰系魔法に属する『奇跡』を行使した。
魔法の効果範囲の拡大に、攻撃力とカット率を高めるバフ、継続的な回復効果のあるリジェネ、最後にHPがゼロになった時、一度だけ踏みとどまる食いしばり効果を付与するもの。
『おぉ……すげぇ……』
『力が漲る……!』
体に纏う光が傷を癒やしてゆき、体の芯から熱い物が湧き出てくるのを感じた。前衛のアタッカー達の口からは、感嘆の言葉が漏れ出る。
「また私の知らない魔法だわ……」
「それにボス、今のは信仰系魔法に見えた」
男からしたら最低限のバフではあったが、神官であるラキュースから見れば後方からの支援魔法をそれ以上必要としない十分過ぎる効果を持っているように見えた。しかし、魔法の位階もわからない、王都付近では聞いたこともない魔法名ばかりで男の異質さを際立たせてもいる。
まして、ティナが指摘したように、先程まで使っていた結晶の魔法は杖を媒介とする魔力系魔法であったのに対し、今し方使った魔法は聖職者の持つ聖鈴を触媒とする信仰系魔法。つまりは、男は信仰系魔法と魔力系魔法の二系統を操っていると言う事だ。
「いったいどんな修練を積んだら二系統をあのレベルで操れるというのかしら……」
勿論、王都でも両方使える者はいる──が、しかし、それは位階が低い場合に限っての話。
なぜならば、信仰系魔法には信仰の強度が、魔力系魔法には理力の純度が重要となり、それぞれの魔法では求められる資質も修練も異なる。どちらか一方を選択して究めるのが通常であり、常識であったから。
ラキュースはそれを目の当たりにして、男がやはりとんでも無い人物であったと、少なくとも尋常ではない修練を積んできていることを推察し、少し胃が痛くなった。
──もしかしたら、帝国の主席宮廷魔術師にも比肩しうる逸脱者なのかも、と。
……とはいえ、前衛の冒険者達は細かいことを気にしない者が多いのか、その事をわかっていないのか……自身に力が漲ってきているのを実感すると興奮するばかりで、力強い眼差しで迫りくる悪魔を気焔を上げて待ち構えていた。
とはいえ、ラキュース自身もそんな事は何時までも気にしてはいられない。そして──
「支援するわ! まずは、数の多い低位の悪魔の排除を!」
《アシッドアロー/酸の矢》
《ライトニングスピアー/雷槍》
《ウォータースプラッシュ/水の飛沫》
《チャージ・オブ・スタラグマイト/石筍の突撃》
中衛に位置する魔法詠唱者たちが唱える魔法が幾つも放たれ、弓矢が飛ぶ。それはさながら射的ゲーム。怒涛の勢いで次々と打ち出される魔法により、悪魔がバタバタと倒れ伏すのが遠くから見えた。
──だが、それも長くは続かない。魔法詠唱者たちが作戦のために魔力の温存に入ったのか、魔法攻撃の波は次第に治まってゆく。
「よし……では、お前達──《行け》」
それに続いて、中衛の位置に着いたラキュースの方を男がチラリと伺い、周囲にいる冒険者達に声をかけた。男に付き従って来た者達や血気盛んな冒険者達はどれも皆、勇ましい。各々が双剣を、大剣を、斧を、短剣を構え、突撃の瞬間を今か今かと待っていた。
──そして、抗い難い男の命を聞くと皆、バフが乗ったかのように風のごとく駆け出し、追撃を食らわせる。
双剣が乱舞し、鎌鼬のように敵を切り刻む。振りかぶられた大剣が悪魔を縦に一刀両断すれば、斧が容赦なく頭蓋をかち割り、短剣が背後から心臓を抉った。
先程、悪魔相手に苦戦していたのが嘘のようだ。
または……
ガンガン! とパッチが槍で腕に構えた大盾を叩き──ヘイトを自身に集中させるスキルでも持っていたのか、黒翼の悪魔が率いていた悪魔の集団の多くを引きつける。
「ウヒッ……ヒッ、ハハハハ! そうだ、ついてこい!」
そのまま、大盾で攻撃を凌ぎながら仲間にヘイトが向かないように立ち回る──かと思われたのだが、ある程度悪魔を引きつけたパッチはさも悪魔から逃げ出したかのように無様に、戦闘中の男たちを避けながら後方に向けて走り出した。
当然、引きつけられた悪魔たちもその後を追う。
──その先には、前衛を支援しつつ、後方へと敵を流さないように陣を敷いていたラキュース達がいる。
「イヒッ! ちぃと、助けてくれよぉ!」
「ちょっ、ちょっと、あなた何を?!」
パッチが如何にも小物といった風に振る舞い、追いかけてくる悪魔から彼女たちに助けを求めた。
「──ヒヒッ、ざまぁねぇな、欲深女め……後方でのんびり見物とはいかせねぇぜ……」
パッチが聞かれないように、そう小声で罵る。
勿論、ラキュースとしては決して楽をしようという気持ちがあって中衛の位置にいた訳ではないのだが、どうやらパッチにはそうは映らなかったらしい。
意図的に敵が流されてきたことで、ラキュースの陣が一気に騒がしくなった。
それは男の知る知識では、モンスタートレインとも呼ばれる犯罪行為。ユグドラシルではモンスタートレインを利用して、PKをすることもあったが……現実で実行を画策する輩がいて男は内心引いていたのだった。
そしてパッチは魔法詠唱者やレンジャーの集団に紛れ込み……無事に自身に集められたヘイトを切った。
──じゃあ、せいぜい悪魔と仲良くな! さよーならー
──ウヒャヒャヒャヒャヒャ!
そんな笑い声が遠くで聞こえると段々と小さくなり、パッチはその場から離れて行ったようだ。
「あ、あの、犯罪者っ……! この騒動が終わったら絶対に牢屋行きにしてやるんだからっ……!」
「……ボス、何やらかしたの?」
「向こうが一方的に私を目の敵にしてるのよ!」
対して、ラキュースはコメカミの血管がブチ切れそうになる程に激怒しており、今すぐに追い掛けて、そのムカつく顔に拳をお見舞いしてやりたかったが……
連れてこられた悪魔が接近戦に弱い魔法詠唱者たちに襲いかかっていること、ラキュースが移動することで更に隊列が乱れてしまう事もあり、追いかけることは現状では不可能だった。
□
冒険者達が悪魔と切り結ぶ最中、男は戦場を俯瞰し、不利な戦闘を援護した。
苦戦している冒険者がいれば青白い光の矢を、傷つき動きの悪くなった者がいれば回復効果のある光の玉を放つ。フレンドリーファイアすら厭わない悪魔が範囲魔法を放とうとすれば、逆に火球を放って周囲の悪魔ごと纏めて焼き払ってやった。
パッチが多くの悪魔をラキュースに擦り付けたこともあり中衛からの援護が途切れる事態に陥っていたのだが……有り体に言えば、男が前衛陣をほぼ一人で支えるほどの働きを見せていたため前衛陣は順調に戦いを進められている。
むしろ、下手に中衛からの横槍が無い分、男は好き放題に出来ていたと言っていい。
そして、気がつけば……多くの冒険者たちの奮戦により、その場から悪魔が駆逐され始め、悪魔側の攻勢第一波を凌ぎきっていたのだ──
第一波を凌いでの小休止──ラキュースは中衛部隊の指示をティナに預け、前衛へと出て来ていた。
「あなた、大地属性特化のエレメンタリストではないのね……まして信仰系魔法まで使えるなんて」
「……」
というのも、先程の迎撃では中衛の位置から大まかな指示を出しつつ後は遅滞戦闘に努め、魔法による一斉攻撃で殲滅する予定であった。
しかし、中衛に悪魔が流れてきたこともあり、後方で混乱が起きてしまい、今度はラキュースが前線で指示を出さなければならない必要性が出て来たからだ。
ラキュースはその場に偶々いた男に声をかけたのだが、男からはまたしても反応がなく、当初の作戦が実行されなかった所か、後方からの支援魔法すら無かったことに怒っているのかと気まずく思う。
「あの、さっきのことなのだけど──」
「チッ…………あんた、無事だったのか。生臭坊主が生き汚いって話はどこも一緒なんだな」
ラキュースが男に拠点では少し言い過ぎた、言葉が悪かったと謝意を示そうと試みたのだが、その場に聞きたくない声が聞こえた。
「ッ! あなた、さっきはよくもやってくれたわね。あなたのせいで作戦が滅茶苦茶よ! この戦いが終わったら覚えていなさい……! あなたを捕えて牢屋に招待するわ」
「心の狭い売女だな。あいにく、俺は何も悪いことはしちゃいねーぜ。たまたま逃げた先にアンタ等がいたってだけだろう?」
「戯言を……!」
「全てあんたの指示が悪かったのさ」
と、言い争いはヒートアップし段々と大きくなってゆき、とうとう罵り合いまで起きかけていたが──
「騒々しい、黙れ」
それは静かであったが、体を突き刺すような声音だった。ラキュースとパッチの背筋がビクリと硬直した。
「……一軍の将が兵の前で喚くものではない。パッチ、騒動を起こすだけならば、還って貰うが?」
争いを咎める言葉に二人のみならず、周囲で言い争いを聞いていた冒険者たちも硬直していたのだが、どこかバツの悪そうな男の二言目で呪縛から解き放たれたかのように皆が動き出す。
「……まぁ、そう怒るなって兄弟。な、落ち着いて話をきいてくれ。悪気はなかったんだ。ただ、ちょっと、魔が差したっていうか……クソ虫はちゃんと踏み潰してやらねぇとよ。な、わかるだろ? よくあるだろ? 許してくれよ。生きてさえいりゃ、いつだってノーカウントってもんだろ?」
「っ、あなた、やっぱり……!」
パッチが馴れ馴れしく肩を組み、ラキュースはパッチの言葉に睨みの圧力を強める。男は小さく溜息をついた。
「……来たぞ」
──それは第二陣とでも呼ぶべきか。先ほどの悪魔の集団が低位の悪魔を中心としていたとするのであれば、今度は数こそ先ほどよりも少ないが拠点を奪取した際にもいた朱眼の悪魔や魂食の悪魔、鱗の悪魔などの大型の悪魔の姿が多くあった。
その中央に立つのは、身の丈ほどもある斧槍を持つ黒翼の悪魔──アビスデーモンの姿。アビスデーモンは人間たちを睥睨。そして、冒険者たちの前で初めて言葉を口にした。
「──人間。弱いその身でよくやるものだ。ゆっくりと遊んでやりたいが、ヤルダバオト様の命があるのでな。急がねばならぬ」
「とはいえ……お前たちは何故こうも愚かしく、愛いのか。お前たちの悲鳴や苦悩が我ら悪魔を昂らせ、甘美なる絶望が理性を掻き乱す」
「その欲求は如何に我と言えども抗いがたく、下級の者共では寸毫と耐えられまい」
「故に──その姿を晒し、疾く逝ぬがよい」
《グラビティメイルシュトローム/重力渦》
アビスデーモンが向けた腕の先──球形の黒い闇が現れ、ゴウゴウと地鳴りのような音を響かせながら辺りに闇が広がってゆく。
「ぐあ、あぁぁ!」
「ぅ、ぐっ……!」
苦悶の声がそこらから漏れ出る。闇には重力を思わせる高負荷を与える効果があるのか、身体に普段では決して感じられない、立っていられないほどの重力が圧し掛かる。
冒険者たちが超重力に苦しみながら耐え、ほどなくして次元を割って黒い球体は消えて行ったが、周囲の被害は惨憺たるものだった。
ほとんど全ての冒険者たちは息荒く地に伏せっており、なかなか立ち上がることが出来ない。中には血が巡らずに意識を失った者や、内臓に大きな負荷がかかったのか咳き込み吐血している者もいた。
ダメージをカットした上で、この惨状だ。
もしも男の魔法が掛けられていなければ最悪の事態となっていたかもしれないと、ラキュースの肝が冷える。幸いにも完全に再起不能なほどに重症を負った者はおらず、負ったダメージもリジェネの効果により徐々に回復しているのが見て取れた。
確かにこの戦いは厳しい……厳しいが、彼らの心から希望はまだ消えていない。
冒険者という職業柄、モンスターとの戦闘で怪我するなどよくある事。体が痛めつけられるのは慣れているし、今回に限ってはラキュースという蘇生魔法使いもおり、最悪、一時の死すら覚悟の上だ。
それに、逃げ出しても可笑しくはないこの状況にあっても、今は悪魔に立ち向かえる勇気が湧いてくる。彼らには頼れるアダマンタイト級冒険者が四人と、一発逆転すら狙える、大魔法を操る魔法詠唱者がついているのだから。
冒険者たちの反抗的な目が悪魔に集中する。
「フン、生意気な……加減して、ただ痛めつけるのでは駄目か」
「──ならば、趣向を変えよう。これはどうか」
不服そうな声音が好奇心が入り混じるものへと変わり、腕を振り上げ何事かを指示した。
そして……アビスデーモンの指示のもと、醜悪な小悪魔たちがボロボロに甚振られ、ビクビクと怯えた表情の人間達を引きずるようにして連れてきたのだ。
「おいおい……まさか、勘弁してくれ……」
「あ、悪魔め……なんて卑劣な……!」
驚愕。そして、その光景を見た時に冒険者たちの中に得体のしれない感情が生まれる。冒険者らの目に映るのは恐怖か、それとも義憤か。はたまた、自分がそうならなくてよかったとでも内心では思ったのかもしれない。
これから起こるであろう事態を予感し、皆が息をのんだ。
「もう……やめてくれぇ……」
連れ出されてきた一人。背中を丸めた男が肩を抱えて小さく溢す。
悪魔が現れた当初、街中で虐殺が行われたのかもしれない。
耐え難い痛みを与えられる拷問があったのかもしれない。
反抗的な者には見せしめに処刑が待っていたのかもしれない。
彼ら、彼女らには性的な陵辱の痕跡こそみられないものの、肌には痛々しい裂傷や殴打された痕が幾つもあった。
彼らの目は恐怖に濁り、一々悪魔たちの反応を伺うように怯えていた。与えられる暴力に対して反抗の意志を示せないほどに暴力によって心を折られ、ただ漫然と嵐が過ぎるのを待つようになっていた。
彼ら、彼女らが冒険者たちを見る。
その目の奥底には諦観と怖れがある。そして隠された卑屈な恨み──お前も不幸になればいい、どうしてお前達はそっち側なんだ、俺の代わりに不幸になってくれという情念が加害者たる悪魔ではなく、味方である筈の同族たる人間に向けられていたのだ。
悪魔がそれらを全面に並べ、人間の盾とした。麻縄で直接首に輪をかけられたその様は、ペットの散歩の様態を成し──いや、それよりもむしろ帝国で見かけるような亜人の奴隷の姿の方が近いのかもしれない。
「そら、歩け。あの拠点の中まで入れれば、もしかしたら助かるやもしれんぞ」
助けるべき人たちが昏い目をして、悪魔に棒で背を小突かれながらそろそろと、人間側が構築した拠点へと近づいて行く。反対に彼らの歩みに困惑し、また救助すべき民間人を攻撃する訳にもいかず、腰が引けた冒険者達は一歩、また一歩と後退りした。
「無辜の人間を殺すのは気が咎めるか。わからぬ。お前たちは同族であろうと平気で殺す生き物であろうに」
そう、喜悦を含む声が聞こえる。
人質を盾として、悪魔の軍勢が拠点へと近づく。どう対応すればいいのか、と前衛陣に動揺が走った。
「お、おい! どうしたらいいんだ!」
「何か策はないのか!」
彼ら冒険者は民を救助する事も目的にある。だが、こうも人質を盾とされては悪魔のみを排除する事は困難だった。
「っ、諦めないで! 私たちはあなた達を助けることを諦めたくない!」
そんな状況でも、ラキュースは冒険者たちに、人質たちに、そして自身を鼓舞する。何としてでも、彼らを助けなくてはと。
──全力を尽くさない私は、私ではない。出来なかったことよりも、しなかったことを悔やみたくはない。一つの諦めが、いつか十の妥協に変わる日が来る。もしも心に凝りを残してしまえば、何も出来ないまま過ぎてしまえば、それはもう私ではなくなってしまう、と。
だが──
ラキュースの言葉は悪魔の暴力に支配された心には届く事は無い。人質達が歩みを止めることは無かった。
むしろ、その言葉は彼らを傷つけた。
お前に何がわかる。暴力を振るわれ、言う事を聞かなければ苦痛と惨めな死が待っているのに。救えるなら早く助けろよ、と。
「何か策がっ……」
作戦も無ければ、このまま拠点に押し込められて終わりだ。すぐにでも作戦をたてて実行しなければ……それに、考えたくはないが大元の作戦遂行自体が危ぶまれるのであれば、人質であるはずの彼らを切り、冒険者たちに排除させる判断もラキュースはしなければならない。
だが、それは人として忌避しなければならないこと。ラキュース自身には貴族としての誇りと役目もあり、大を救うために小を切る名分も、必要性も知っている。しかし、それは貴族としての常道ではあるが、人の正道ではない。まして彼女自身が憧れた英雄としての姿でもなく、もしもそうなってしまえば、決断した者として大きな責任と罪の念をこれから一生背負い込まなければならないとも思っている。
歯を食いしばり、何か策はないかと必死に頭を巡らせた。早く、早く──しかし、焦りは柔軟な思考を妨げる。ラキュースの表情は一歩後退する度に強ばってゆく。
そして、また一歩下がった。
「っ、みんな──」
「……こういう時は古来からやり方は決まっているものだ。覚えておけ。機会は一度きり、上手くやれ」
唇を引き結び、何かを決断したかのようなラキュースに囁くように聞こえた低い声。その声にハッとした。
──眠りの呪文をかける。眠った人質はそのまま此方の陣に入れろ。眠っている悪魔には手を出すなよ。目が覚めると面倒だ。*1
内容を瞬時に理解し、頭の中で今後の行動を素早く順序だてる。
「みんな! 準備して!」
その鋭い掛け声に冒険者たちの意識が切り替わった。
《ブーステッドマジック/魔法位階上昇化》
《ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大化》
《ペネトレートマジック魔法抵抗難度強化》
《スリープ/睡眠》
大きな魔法陣が一瞬輝き、昇華した。と同時に白い煙が悪魔側の陣に満ち、すぐに霧が流れるかのように消えて行く。
その場に現れたのは、崩折れるように眠りに入った人質と、眠り転ける悪魔たちの姿。醜悪な容姿をした悪魔が眠る姿とはラキュースは想像もしたことがなかったが、現実に見ると気味が悪いばかりだ。
「今よ! 行って!」
「人質を優先的に此方の陣の内側へ!」
「悪魔を攻撃して眠りから起こすのは避けて!」
最低限の指示で、求められる最速の行動を促す。今は人質を取り返す事だけ考え、悪魔の相手は後ででもいい。
「ぬぅ……なかなかの機転。いい加減起きろ! 役立たず共!」
辛うじてスリープのレジストに成功したアビスデーモンが地の底から響くような声で喝を入れる。右手に持った巨大な斧槍を地へと叩きつけ、轟音が鳴り響く。
その音で、ビクリと身体を震わせて意識を覚醒させ、眠りこけていた悪魔達がフラフラと立ち上がる。
「──やはり、厄介なのは貴様か」
アビスデーモンの双眸が、フードの男を射抜いた。
「貴様さえ、この場にいなければ……いや、どうしてここに居るのだ? もしや貴様……ふ、ふ、ふ、くはははははは! そうか! そういうことか!」
「ならば、貴様だけはここで殺しておかねばならぬ……! ヤルダバオト様の覇道を阻まんとする怨敵よ!」
《悪魔の諸相:おぞましき肉体強化》
突然何かに勘付いたように哄笑し、悍しき殺意が一身に向けられた。その悪魔の豹変にラキュースの表情が強張る。
存在の密度が違う。その身に秘めた力も、何もかもが自分とは異なっており、その差に絶望した。
悪魔の身体から黒い靄が立ち上り、元々筋骨隆々としていた肉体が更に膨らんだように大きくなった。
と、スキルが発動した直後。目にも止まらぬ速度で単身吶喊し、その斧槍を薙いだ。
「どけっ! 邪魔をするな、雑魚がっ!」
豪風が冒険者たちを怯ませ、運悪くアビスデーモンの進行上にいた悪魔や冒険者が敢え無く真っ二つとなる。切られた瞬間、呆気に取られた表情をし、臓腑を散らすままに息絶えた。
その先には冒険者たちに囲まれた男の姿がある。しかし、やはり表情が見えないので反応がわからないが、男は周囲の冒険者たちを信用しているのか、悪魔の突撃を避ける素振りも見せていない。
悪魔の豪腕によって振るわれる斧槍は、恐ろしい威力を秘めている。斧の部分に当たれば真っ二つになるのは当然として、先端の槍に引っ掛けられただけでも手痛い傷を負うことになるだろう。
ゴウ! という音とともに振られた斧槍は、男に傷一つ付けることが出来ていなかった。
しかし、一振りごとに護衛としていた覆面の冒険者達は引き剥がされ、地面に転がされ、剛腕により吹き飛ばされ……とうとうその身を守るものはいなくなった。
現状、男は時に身体を屈めて斧槍の一薙をやり過ごしたり、上半身を後ろに反らせて間一髪、スレスレで避けるなど非常に危険な状況にある。
時には危なっかしく、一回転するようにして避けるなど、大きな動作でなければ避けられない攻撃もあったように見えた。それらが息つかぬ間に幾度となく繰り返された。
当然のこと、傍目で見ていたラキュースはその状況を『余裕』などと取ることは出来なかった。それらの一撃一撃が容易く死を招くもので、彼女自身でもそう何度も躱せるとは思えなかったから。躱せているのは奇跡だ、とすら思った。
「っ、今助けるわ!」
現に男は悪魔の攻撃を避けるので精一杯で、得意の魔法を繰り出す隙もない様子。そもそも、魔法詠唱者が接近戦になるなど、最早、死んだも同然。いつ命を失っても可笑しくはない状況なのに。
──浮遊する剣群。ラキュースの背後に翼のように浮遊している六本の剣を悪魔に向けて一斉に射出し妨害する。
だが、不意を打ったにも関わらず、飛んでくる剣を悪魔は軽々と避けてみせ、内一本は強かに拳を打ちつけられ粉々に砕け、また一本は斧槍とかち合い折れ吹き飛んで行った。
「邪魔するか。余程死にたいらしいな、雌」
ラキュースが取った妨害という行為は……武器を犠牲にしたが、悪魔の気を引くというのであれば成功と言っても良かった。そして、悪魔の圧力を伴った害意がラキュースに向けられる。
──ラキュースの瞬き一つ分。目を一瞬閉じ、開いた瞬間には、悪魔は彼女の目の前にいた。
死の気配。
唐突に訪れた。
終わりの予感にどうしようもなく寒気がする。
目の前では悪魔が斧槍を水平に構え、ラキュースを見据えていた。
来るのは全身の筋肉を十全に引き絞った、無影の刺突。
その刃は間違いなく彼女を死に至らしめる、致死の一閃。
悪魔の一撃は常人には見ることも敵わぬはずの一閃であったが、しかし……彼女には不思議なことにその刺突がゆっくりに見えていた。
唐突に訪れた自らの生命の危機に反応して、脳が高速で働いているのか。しかし、身体は動かず、どうしてか過去の取り留めのない記憶がパラパラと思い出される。
──まだ小さかった頃、英雄譚や冒険譚に憧れたこと
──叔父の本当かどうかわからない話が楽しみだった
──遠い国に伝わる竜殺しの英雄の逸話
──幼い吸血鬼とそれに仕える幽霊騎士の物語
──十三英雄が旅した世界の話
──そして、私も家を飛び出して冒険者として活動を始め、希望を持って明日を夢見ていた
──無謀をして死にかけた所をガガーランに助けて貰って、リグリットもいれて蒼の薔薇を作った
──その内、私だけの武器を手に入れ、使いこなすために努力もした
──依頼をこなしていく内に有名になって、命を狙われた時もあった
──でも、その暗殺者が気に入ってしまって、無理やり仲間にした
──最初は一人だったけど、仲間が二人増え、また二人増え、一人減って、また一人増えて……今の蒼の薔薇になった
「──ボ──ス──ッ!」
「──ラ──キュ────ス!」
遠くで聞き慣れた友/仲間の声が聞こえた気がした。
ごめん、みんな
ただ斧槍の刃が自身の心臓に迫るのを見ている事しか出来なかった。恐怖で悲鳴をあげる鼓動が耳で聞こえるようだ。
自分が死ぬのは初めてだった。
いつもは生き返らせる側だったから。
死ぬのは怖い。
死の恐怖に負けない仲間たちは、本物の戦士だと彼女は誇りに思った。
□
「ぁ、ぐっ!」
スローで見える斧槍の軌跡を追っていた……しかし、気がつけば彼女は横から突き飛ばされたようで地面に転がっていた。
そして、痛む身体を庇いながら、のそりと起き上がって見た光景は──
「そ、んな……」
ラキュースが庇ったはずのフードの男が斧槍に突き貫かれ、百舌鳥の早贄のように突き刺されたまま宙に浮いている姿。杖は地に零れ落ちて腕は垂れ下がり、その背中からは鈍く輝く斧槍の穂先が覗いていた。
アビスデーモンが贄となった獲物を斧槍を一振りして投げ捨てた。
無残に男の身体が地面を転がった。
「やれ」
直後、その場に悪魔達の放った魔法が次々と殺到し……
《ヘルフレイム/獄炎》
最後にアビスデーモンの掌から吹けば消えてしまいそうな小さな黒い炎が放たれ、男に接触した途端、男の全身を黒い炎が飲み込む。
その黒い炎の熱量は凄まじく、対象を燃やし尽くすまで消えそうにない様子。離れていても肌を焼き焦がす、天すら焼こうという勢いが感じられた。
そして、見慣れた赤い炎とは異質な黒い炎は、ラキュースや冒険者たちの深層心理に怖れを抱かせる。悪魔が操る地獄の炎とは、罪人を裁き、焼く煉獄の火。人の手には決して及ばぬ神威の存在を悟らせる。
そんな炎で焼かれてしまっては──ラキュースやティナ、冒険者達や兵士達から見ても、男の生存は絶望的だった。
「どうして……」
「おいおい……だから言ったじゃねぇか……ざまぁないぜ、兄弟……」
ラキュースはその光景に呆然とし、自身を庇ったことで男が死にショックを受けた。男に従ってきた者たちもガクリと、力なく膝を折った。
男の戦線からの離脱──その事実は前線にいた冒険者たちの希望に罅を入れるには十分な衝撃だった。
無論のこと、戦闘後に蘇生を試みること自体は可能だ。あの地獄の業火の中、遺体が無事に残っていればの話にはなるが……そして、蘇生は遺体が損傷していると成功率が大幅に下がる。早く火を消さなくては蘇生を試みることも難しくなってしまう──
しかし、この場に火を消そうという余裕などある訳もない。悪魔の眼光に慄き、誰も動けなかった。それは、
──ラキュースは蘇生魔法の使える王国唯一の魔法使いだ。
彼女が死ぬなど、王国にとっては大きな損失に他ならない。それは彼女自身も自覚しており、いざとなれば彼女だけでも逃げることは国から許されていた。
そして、蘇生魔法使いは戦士たちにとって最後の希望とも言える。戦士たちが守りたいもののために戦うのに、彼女こそが最後の砦となるから。
だからこそ、彼女が戦場を行くと言えば、皆が守るためについていかなければならない。何かがあれば蘇生して貰えることを、彼女と繋がりを持つことを期待して。そうやって皆、彼女を守ろうとし、この戦いの中でも幾人もの冒険者たちが死の間際に『蘇生を』と言い残して、驚く程簡単に生命を散らしてきた。
──そして、あれ程高位の魔法を多彩に操る男ならば蘇生魔法さえも使えそうなものだが……ラキュースを自身の身を顧みずに守ったということは、彼もまた死後、蘇生の可能性を期待していたのだろうか。
誰も彼もラキュースの『蘇生』を期待してあっさりと死んでゆく。生と死が軽い世界。私の価値は蘇生でしかないの、とラキュースは腹の底に土でも詰められているかのような気分になる。
……とはいえ、そんな事はこの戦闘には関係ない。
この場からは簡単には逃げられぬ。ラキュースたちは強大な悪魔を前に死地で足掻かなければならず、悪魔の暴虐を耐え、スリ潰されるのを覚悟で立ち向かわなければならない。
それが嫌ならば、彼女はもっと早く……損害が大きくなる前に対策すべきだった。
少なくとも、王国戦士長の援軍到着を待つべく遅滞戦闘に徹するなり、襲撃の前に人質を想定してその取り扱いを周知しておくべきだった。
ラキュースの顔が苦渋に満ちる。
──その苦悩を見抜いてか、悪魔は嘲笑ったのだった。