新たな生活が、日常になりかけていた頃──
私はインベリアの皆を元に戻すためには、どうしたらいいのかずっと考えていて……何度考えても行き着く先は同じ。私の中で答えはとっくに出ていた。
それは王国に伝わる国宝『虹よりこぼれし白』を使うというもの。
これまでは国宝のある王城には危険なアンデッドがいたから近寄ることも出来なかったけど……今はもう探し物の邪魔になる存在はいない。
『虹よりこぼれし白』は信仰系第5位階魔法『死者復活』と同レベルの蘇生魔法が込められている。
王城の宝物庫からそれをやっとのことで見つけ出して、これで皆が元に戻る! と期待でいっぱいだったのに。
実際に蘇生を行なって、私は愕然とした。
なぜなら、蘇生は私の期待する効果を示すことはなく、失敗したのだから。
「どうして……」
『あまり気に病むな』
「やっと……みんな、もとにもどるとおもったのに……」
何度、蘇生をかけてもアンデッドとして復活するだけ。何度も、何度もあれおかしいなって、やり直したけど……やっぱり駄目だった。
この方法では皆は生き返らない。
先生もかける言葉がないのか、それ以降は無言のままだった。
どうして失敗したんだろうって、それからもずっと考えてた。でも、いつまでたっても明確な答えは出てこない。
元々、お母さまの授業を受けてる半人前もいいとこの魔法詠唱者だったから。魔法やアンデッドの知識すら足りなくて、魔法の位階が足りないのか、使うべき魔法が違うのか、それとも他に原因があるのかも、何が起こっているかの判断もつけられなくて……
──悔しかった。
──自分の無知さ加減に本当に嫌気が差した。
先生なら分かるかなと思って聞いてみたけど、それはキーノが見つけ出すべき答え、だなんて……
先生はインベリアの皆がアンデッドになった事に、興味がないのだと思う。原因を突き止めることに熱心でもなければ、私に道を示すこともしてくれない。私が聞けばヒントくらいはくれることもあるけど……
全然、実験も手伝ってくれないし、日がな、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。王城にあった何かしらの本を読んでるか、何処かに散歩に行くかぐらいしかしているのを見たことがない。
……むしろ王城を占領していたアンデッドの研究の方が役に立った。あの存在はインベリアのゾンビ化を調べていたから。先生の勧めでそこに書かれていた実験結果が本当に正しいのかも既に私は試していて、そのレポートの内容が正しいということは分かっていた。
問題は、そのレポートに続く、次の物が私の手にはないこと。実験をしていたアンデッドは先生が既に倒してしまったから。続きが書かれることはもうない。本当に、なんてことをしたのかしら……
…………だめね、先生は何も悪くないのに……むしろ、先生はあの日、隠れ、逃げ回るばかりだった日々から助け出してくれたのだから。……研究に進展がなくてイライラしてるみたい。一度落ち着こうと、深い溜息を吐いた。
……でも、始めから先生は言っていたんだ。このレポートは誰かに意見を求める形で纏められたものだって。
先生は私の研究がすぐに行き詰まることを予期していたのかもしれない。
私の他にもゾンビ化という災害を知り、調べている者がいる。私はその人物を探した方がいいのかもしれない。
それに、これまではずっとインベリアで研究を続けてきたけど、他の場所──周辺国家でも私と同じ研究が既にされていて、もしかしたら解決方法すらも生み出されているかもしれない。
そんな事を考えていたら、一刻も早くインベリアの外に出なくてはならないと思うようになった。
さっそく先生にインベリアを出ることを伝えなきゃ──
□
とある邸宅の一室。絢爛な内装が施された場には、五人の女性が円卓を囲んでいる。
その中の女性の一人、イビルアイが手に持ったティーカップに口をつけ、静かにソーサーへと降ろした。
「──そうして私たちは旅に出る事にした。アンデッド化の原因を探るためにな」
「いきなり旅に出るなんて言い出して、先生は驚いたのでしょうね」
静かに語るイビルアイ。珍しい過去話を披露され興味深げに聞いていたラキュースが笑みを浮かべながら答えた。
「ん、いや……それを先生に伝えた時は、いきなりだったにも関わらず私の言葉に喜んでいたような……」
「先生はイビルアイが言い出すのを待っていた?」
「……初めての旅。生まれてこのかた、一度も国から出た事のなかった私だ。自ら気付き、決意しなくては旅など出来ないとでも考えていたのだろう」
最早、うろ覚えを通り過ぎて、想像で記憶を補ったイビルアイの中の先生は、実際はどうだったかわからないが彼女の決意を聞いて喜んでいた。
そして、何を喜んでいたのかと問われれば、先生は私が自ら一歩踏み出すのを心待ちにしていたのだろうと。
「そりゃあ、そうだろうさ。一旦、外に出ちまったら何かあっても簡単には後戻りはできねぇからな」
「……あぁ。旅に出てからは、世間知らずだった私には全てが新鮮でな。一日中歩き続けるなんて経験も、野外で野宿するなんて経験もその時が初めてだった。アンデッド以外のモンスターを見るのも初めてだったからな……」
イビルアイの回顧に、先程まで邸宅に隣接する庭園にて巨大な鎚を振るっていたガガーランがいつの間にか話の輪に混じり、腕組みをして首肯する。
イビルアイはその言葉に同意し、旅の始まりを回想するが、旅を始めた当初は肩車や背負われて移動していたなどとは恥ずかしくて流石に言えなかった。
「あなたどれだけ過保護に育てられてたのよ……昔はどうだったか知らないけど、街の外に出た事もないなんて」
「なんかお姫様みたい。……似たような立場のボスとは真逆」
「ちょっと、どういう意味?」
「……」
呆れた様子のラキュースをからかったのは、同じく庭園で模擬戦闘を繰り広げていたティア。
本来、ラキュースは貴族令嬢であり、彼女自身も蝶よ花よと育てられ、危険な街の外になど滅多なことが無い限り出る事もない立場であった。
ただし、ラキュース自身はそんな生活に息詰りを感じ、伝え聞くような冒険譚や伝説に憧れて家を飛び出したお転婆娘であったから。
「…………そんな大層なものじゃない。ただそれまで機会がなかっただけだ。自衛できる力も無かった私が街の外に出られる訳もなかったしな」
それら、仲間のやり取りを見ながらも、彼女は話を進める──
「道中は色んな出会いがあって、危険があった。インベリアの外の世界は私が考えていたよりも広大で、果てがない。遥か彼方まで続く平野を初めて見た。深い森にある古い神秘を知った。広い世界で懸命に生きる命達を目撃した──」
「そうして色々な国を訪れて土地の風土を知り、文化を学びながら知識を少しずつ増やしていった。そして、ある時私達はとある都市で噂を聞いた」
「隣国の都市が丸ごとアンデッド化したのだと──驚くことにアンデッド化が起こったのはインベリアだけのことではなかった。その時、既にいくつかの都市が廃都となっており、そこで発生したアンデッドが隣国に押し寄せ、被害を受けたこともあった。そういう事もあって、当時はアンデッド災害とも呼ばれていた」
場の空気が再び緊張を帯びる。
「アンデッド化はインベリアだけの話ではなかったのね……」
「そうだ。そうした被害を受けた幾つかの国を訪ね、その国で対策や原因究明がなされているかを調べ、アンデッド災害の研究があるかを探し回ったのだ」
皆がイビルアイの話にのめり込んで行った。彼女の話は昔話であり、生きた冒険譚。長い年月を生きた彼女自身が経験してきた歴史の一部。
未知を、人々に謳われるような物語を夢見る冒険者である彼女たちが興味を惹かずれずにはいられない話。未知、苦労、達成感、絶望。語られる、それら全てが感情を揺さぶるから。
「……だが、苦労しながら探せども探せども答えは見つからなかった。見つかるとしても、既知の成果だけが集まるばかりでな」
「既知の成果?」
「あぁ、蘇生魔法の無効化、蘇生による灰化の抑制だ」
つまりは、蘇生魔法ではアンデッドから人間に蘇ることは出来ず、蘇生に失敗した際の灰化も起こらないということ。
それは明らかに、通常の条件から逸脱している。
「蘇生魔法が効かない、ね……より高位の蘇生でも駄目だったのかしら?」
「私が調べた限りでは大規模な儀式により第七位階『蘇生/リザレクション』に可能な限り近づけた魔法を行使した事もあったようだが、それすらも失敗したと聞く」
「アンデッド災害を引き起こすゾンビだけが、そうだった。自然由来やモンスターにより殺害されて成ったゾンビに関しては、蘇生に成功した例も中にはあったのだ」
ふとした疑問をラキュースが問いかけるも、ほとんど伝説に近い階位の魔法による蘇生が試みられ、しかし、その蘇生実験ですら求めていた結果とはならなかった。
皆が眉を潜めて絶句した。
そして、イビルアイは溜息を一つ。
「……また後々のことになるが、件のレポート関連で故郷に居座ったアンデッドと繋がりのある存在と偶々遭遇してな、私達は交戦状態になった。それを始まりとして、重要な情報が次々に齎されるようになった」
「先生がアンデッドを魔法で魅了して、情報を引き出してな。全て引き出せば、他のアンデッドの居場所を吐かせ、次はそちらに向かうということを繰り返していたのだ」
その存在とはナイトリッチやエルダーリッチなどで構成されている『深淵なる躯』という組織のメンバー。元となった種族は皆バラバラであったが全員がアンデッドとなり、緩い協力関係の元、知識を収集していた集団であった。
その組織に所属する幾人かは、第六位階までの魔法を行使する事ができ、嘘か真か第八位階にまで到達しているアンデッドすらいたのだという。
彼らの内の幾人かが都市のゾンビ化について研究しており、彼女達はその知見を吸い上げていった。
「その重要な情報って?」
「……アンデッド災害時においてアンデッド化した対象には、降霊などの手段が無効化されるということだ」
「おいおい……」
「もしかして、それって……」
齎された情報。それはつまり、蘇生に必要となる要素の一つである『魂』が欠けているということだった。
蘇生はこれまで多くの研究が成されて来ていたが、蘇生時の遺体の状態や、死亡してからの時間経過、灰化の抑制等についての研究は多くあれど、未知の『魂』の要素については殆ど研究されることもなく永らく放置されたままになっていた。
それを深淵なる躯のアンデッドが研究を進めた。
「あぁ、何故蘇生出来なかったのかだが……それを考えてみれば当たり前の事だな……蘇生で呼び出す魂が存在していなければどうしようもない」
「私は、ゾンビを殺して、ゾンビを復活させるという無駄な作業を延々と繰り返していたという訳だ」
「……」
未知の部分が含まれる研究など、どれ程の年月がかかるのかわからない。はたして、研究の果てに蘇生の成功があるのかどうか、リミットがあるのかどうかすらも。ただ、蘇生の成功には不在となった魂の再生が絶対条件になることは予想されていた。
不在となった魂が何処かにいったのか、はたまたやはり既に魂は消滅してしまったのか。そういった事を調べる事もしなくてはならず、方法すら見つかっていない現状では手詰まりに他ならなかった。
「私の願いは根本から崩れてしまった」
「死からの復活ならば例など幾らでもあったし、時間をかければ『虹よりこぼれし白』に込められた魔法をより高位の階位に昇華させられる自信もあった。……だが、魂の再生など聞いたこともなかったし、果たして本当に出来るのかもわからない。それこそ神の御技とでも呼ぶべき事だ」
その事実に耐えられず、彼女は荒れたという。今までしてきた研究が全て無駄だったと分かってしまい、自暴自棄になった。
これから未知の領域である『魂』の研究に挑むなど、絶望に他ならなかった。そして、その研究の果てに『魂』を再生、もしくは生み出すことが出来たとしても、それは彼女が求めたインベリアの一部と言えるのかもわからない。
そして──もし、また研究の先に絶望があれば……今度こそ狂ってしまうかもしれないという思いがあった。
「あなたの先生はなんて……?」
「……あぁ……先生はそれを知っても驚く事はなかったな……ハハッ、分かっていたなら、もっと早くに教えてくれても良かっただろうに」
「……」
さもその真実をもっと早くに知りたかったというように言ったが、イビルアイのその声音には自嘲が含まれていた。それはつまり、それまでの無駄な行為を繰り返し、現実を知った後の先生に反抗する彼女自身を、先生はどのように見ていたのだろうかという回顧。
二百年経った今思えば、諦めるのに時間が必要だったから言わなかったのだろうと分かる。ただ事実を教えられただけでは諦めることなど出来るはずがない。自分で研究し、辿り着いて納得するまでは──だが、当時はただただその事で先生に反感を抱くようになっていた。
「特に聞いたこともなかったから今更確かめようもないが、先生はアンデッド災害の研究に始めから無関心でな……もしかしたら、最初から分かっていたのかもしれない」
「それは……」
「……何せ、他ならぬ先生が霊魂だけの存在であるゴーストだったのだからな。魂の有無なんて、先生には容易く判別のつくことだったのだろうさ」
「そんな時だったな……先生は、意気消沈する私の様子から休息が必要だと考えたようだ。休息を兼ねて私の故郷であるインベリアへと戻り、周辺国に見落としがないか、もう一度周ることを勧めたのだ──」
そこまで話すと、一息いれるように彼女は再びティーカップを手に取った。
□
研究が暗礁に乗り上げてしまい、私と先生はインベリアの地を再び訪れていた。
『魂の不在』または『魂の消滅』──その事実を知ってからの私は荒れに荒れた。現実の理不尽。悔しさに地を叩き、絶望に涙を落とした。そんなもの、最早、会ったこともない神に祈るしかない領域だと。
あの日以来、その先生とも衝突することが増えた。でも、それも嫌で、顔を合わせることはあれど会話をする事も少なくなっていた。先生との魔法の訓練もサボるようになり、ただただ日々を無為に過ごすようになっていた。
故郷インベリア──そこで待っていたのは新たな出会いと……別れの予感だった。
「皆、変わらない」
インベリアの廃都でゾンビと化した皆を眺める。ある意味、旅に出る前からのほとんど変わらない風景。
それに比べて変わったのは私の方か。
アンデッドだから残念ながら身体こそ成長はしなかったが、諸国を旅する内にナメられないようにと口調を変えた。魔法の腕も、以前と比べたら大きく違うだろう。
そして、インベリアをたつ前には溢れんばかりにあった決意に対する熱量も──
インベリアに戻って何日が過ぎただろうか。あれほど旅に出る前に固く決意した筈の想いは、何処へ行ってしまったのか。もう所在がわからなかった。これからどうしたら良いのかも、私には……
先生には研究が現状では実らない事を、その理由を知りつつも何故黙っていたのかと責めてしまい、ここ最近は気まずさや八つ当たり地味た反発心から満足に話すらしていなかった。
どうしても感情が許さなかったから。
『魂が無ければ蘇生は出来ない』『対象のゾンビには魂がない』という情報を隠していた事を。どうして教えなかったのかを問い詰めれば、バツが悪そうにして黙り。
結局、最後まで理由を言うことはなかったが……でもあの日、私が怒ったのは、その事実を隠していたからが本当の理由なのではない。
先生は元から私の研究には積極的では無かった。
その一歩引いた姿勢が、ずっと、とても悲しくて同時に酷く苛立っていた。信頼する人には成功を信じていて欲しかったのに。でも、その事実を知っていたあの人は、蘇生を端から諦めていて、最初から私の成功など信じてはいなかったのだと気づいてしまった。
「バカみたい……当たり散らすなんて子どものようだ」
責めた日の事を思い出すと悲しくて……自己嫌悪で嫌な気分になる。
もしかしたら当たり散らした私に呆れ果てているかもしれない。でも、こんな風に自分を見せられるのも先生くらいだし、先生は私を見捨てることなどしないと、どこかで甘えている自分が嫌になる。
一方で、信頼を裏切られ、私を信じていなかった先生に対する怒りは鎮まる気配も無い。
「──インベルンのお嬢ちゃん。あっちでお師匠が探してたわよ」
物思いに耽る私に声をかける存在がいた。
インベリアでゾンビが徘徊していることは昔と変わらないが──ただ、昔とは少し違っている所もあった。
黄昏るようにインベリアを眺めていた私に声をかけてきたのは、久方ぶりの客──人間、ドワーフ、エルフ、半悪魔、巨人、多種族混淆で構成された珍しいキャラバンの一行に所属している、リグリットとという気の強い銀髪をした人族の女。
どうやら彼女達はインベリアを滅亡させたヴァンパイアロード、つまりは私を討伐しに態々、遠くから来たらしい。……ご苦労な事だ。
最初は襲われるかと思って、慌てて先生の側に駆け付けたけど、その時の先生は私の顔を見てニヤニヤ笑うばかりだった。本当に性格が悪い。この様子では反省もしていないのだろう。
今ではとっくに誤解は解け、このリグリットという女も悪い奴ではないとわかったが、私は彼女のことがどうにも苦手だった。
「私はお前より年上だ。お嬢ちゃんと呼ぶのをやめろ」
「へぇ、あんな泣き虫なのにねぇ」
「……」
「おやおや、言い返しもして来ないとは」
ピクリ、と眉が反応した。泣き虫云々は、恐らく初めて私達が対峙した時の話だろうか。あの時は研究の挫折に、先生への不満と反発、インベリアが本当に元に戻るかの不安、命の危機と──色んな事が重なり過ぎて少し感情が溢れてしまっただけだ。
それをからかい、事あるごとに私をバカにしに来る嫌味な女。何時もであれば、しっかり言い返す所だが、今日はどうにもそんな気分にはなれ無かった。
それがリグリットにもわかったのだろう。彼女はつまらなさそうにしていた。
「……あんまりお師匠に心配かけるもんじゃないよ」
「うるさい。……お前には関係ないことだ」
逃げるように立ち去る私の背にそんな言葉がかけられた。そんなこと言われなくてもわかってる。わかってるんだ……
彼女たちがインベリアに滞在して暫く。
彼らが滞在したことで、周囲はいつもより少しだけ騒がしくなった。彼らは多種族から成るキャラバンで、言い争いは日常茶飯事、殴り合いの喧嘩だって何度もみた。
中には本当に殺し合いになるんじゃないかってくらい、酷いのもあった。
でも、その度に仲直りの宴会を開いて、喧嘩してた者たちが笑い合っているのを目にすると、異種族同士でも友情は築けるのだと、その証明を見せられたような気がした。
──そうして、私や先生はキャラバンの面々と交流を深めていたが、早くも彼らの旅立つ日が来た。
「邪魔したね、インベルンのお嬢ちゃん」
「……いい加減、お嬢ちゃんはやめろ。せめて名前で呼べ」
「クク……まぁ、また会うことがあればね」
結局、このリグリットという女は、私をお嬢ちゃんとしか呼ばなかった。せめて、名前で呼べと言っているのに聞きもしない。偏屈な奴だった。
彼女らの滞在中、色々と研究の参考にするために意見を聞いたりしてみたが、得られる物が幾つかあった。特にリグリットは死者使いという異名を持っているらしく、アンデッドの知識について私が知らなかった事も知っていた。
「で、これからお前達は何処へ行くのだ?」
「そうさね……また魔神を狩りながら周辺諸国を巡り、西の果ての砂漠にあるという浮遊都市に行くのさ」
何となく彼女らの行く末が気になり、何処を目指して旅を続けるのかと問えば、遥か西の都市まで足を運ぶのだと言う。
辿り着くのにいったいどれ程の時間がかかるのか知らないが、そうしてまで行かなければならない事情があるのだろう。
「浮遊、都市……?」
「そうとも。何でもかの八欲王が作り上げた国の首都であり、最後に残ったたった一つの都市って話さ」
そして、浮遊都市という言葉が気になった。
八欲王という存在は私も聞いたことがある。かつて、絶大な力で世界を支配した者達。それまで世界を支配していた竜王たちと戦い、戦いを挑んだ竜たちを皆殺しにしたという。人気はあまり無いが、広く知られている物語でもある。
確か──空よりも高い身長を持つとも、竜のようだとも言われる八欲王という存在が現れた。彼らは瞬く間に国を滅ぼし、圧倒的な力を背景に世界を支配していった。だが、彼らは欲深く互いのものを欲して争い、最後は皆死んでしまったという……権力者のエゴや強者の盛者必衰を絵に書いたかのような物語。
私も昔に物語を読んだ事があったが、ページを捲るごとに眠気に誘われたことだけは覚えている。
その八欲王が作ったという都市が現実に実在しているのだという。
「なんだ、気になるかい? 私達のキャラバンに入るってなら、そりゃあ大歓迎だよ」
「いや……私にはやる事がある」
「そうかい」
ケタケタと、リグリットがイタズラっぽく笑う。
どうせ、からかいがいのある奴が入って来て、旅の道中退屈せずに済むとか言う魂胆だろう。
それに、旅を続けるには先生にも相談しておくべきだし、第一私にはインベリアの皆を助けるという、やるべき事が残っている。
「そこが終着点なのか?」
ふと、そこが終着なのかと、何ともなしに聞いてみた。
「いいや……また、ここに戻ってくる。……ここだけの話、私達の最終目的地はケイテニアス山でね。西の都にはリーダーの伝手でちょっとばかし武器を都合しに行くのさ」
「ケイテニアス山……何でまたそんな場所に」
「おっと、そこに何があるとかは聞いてくれるなよ? そんで、行こうとするのも止めておきな。ワイバーンやら危険なドラゴンがいて危ないらしいからねぇ」
しかし、返って来たのは思っていたよりも堅く、真面目な声音だった。
それが、どういう意味か聞き出そうとしたのだったが……
「──ククク、そろそろキャラバンが出発するみたいだ。じゃあね、インベルンのお嬢ちゃん」
「おい!」
リグリットが背を向けて、キャラバンの方へ駆けて行く。結局、ケイテニアス山に何があるのか聞き出すことは出来ないまま、彼女や他のキャラバンの者たちは手を振り、インベリアを去っていったのだった。
そして──
旅のキャラバンが立ち去り、インベリアには再び静寂が訪れ、少しだけ寂しさを感じさせる日々。インベリアが静かになって、数日もたたない内の事だった。
『ケイテニアス山の調査に行きたい』
『ここで待っていて欲しい』
「……ケイテニアス山には何がある? リグリットがそこには行くなと言っていた。たしかワイバーンやら危険なドラゴンがいて危険だからと……」
訝しむように先生に尋ねた。
そういえば、最近の先生は遠く眺むケイテニアス山脈をよく見ていたように思える。まるでそこに、この人が望む何かがあるかのように。
『何があるかはわからない』
『それでも、行かなくてはならない』
「なら、私もいく」
先生の意思は固いようで、彼の中ではそこに行くのは既に確定した事のようだ。
ならば、と思い、当然私も調査に同行する意思を示した。これまでもそうだった。二人で、色んな場所を巡って来たのだから。私が旅先や計画を考え、道中に危険があれば先生が大体は対処してくれた。これからも私の側には先生が居てくれるのだと心から信じていた。
だが……
『行くのは俺だけだ』
「!? 何故だっ! 何があるかわからない場所に一人で行くなんて! 私だって、これまで旅を乗り越えて来たんだ! 危険なモンスターがいたとしても早々足など引っ張らない!」
その想いは再び裏切られた。二人で乗り越えてきた旅路など無かったかのように。
確かに、私は非力で魔法の腕もまだまだだ。でも、それでも何の役にも立たない、役立たずでは無い。だからこそ、突き放された悲しみは、すぐに烈火の如き怒りへと変わる。
『キーノ、聞き分けてくれ』
「いつも……いつも、そうだ。あなたは身勝手で、私が本当に求めている事を大切にしてくれはしない。今まで、私とあなたで困難を乗り越えてきたのに。それすら、あなたには取るに足らない事だったのか!」
『すまない』
私は生命活動の停止しているのに、筆談で書かれたその言葉を見て、カッと頭に血が登るのを感じた。
「っ! まただ! 本当に悪いと思っているのか!? あなたはただ謝れば、私が最後には折れるとでも思っているのだろう!? こうして怒るたびに私は惨めな気持ちになる! 私は癇癪持ちか!? 私のこの苛立ちは間違っているのか!?」
叫び、地面を睨みつけた。
先生はどうしたらよいのか、と暫し逡巡した様子の後、俯く私の頭を撫で……私は気持ちが落ち着いてから、小さく声を絞り出した。
「……大声出して、ごめん……離れるのは、なんだか怖いよ。先生まで居なくなってしまうような気がして……」
「……一つだけでいいから約束して。戻ってきたら、私とまた旅を再開するって。私を一人にしないって……」
『戻って来たらまた旅を再開すると約束する』
「うん……」
□
「……そうして、あの人がインベリアをたって数日後のことだ──黒い太陽が空に登り、世界を赤黒く染める異変が起こった」
「それを、人々はナ・ベールの主神である太陽の男神ベ・ニアラの怒りだと畏れた」
「──だが、私にはその黒い太陽がベ・ニアラの怒りとはどうしてか思えなかったよ」
子どもの頃──私は不思議な国の物語が大好きだった。
古の魔法を操る魔法使いのお話。願いは、願い続ければきっと叶うのだと私に教えたお伽噺。幼く、世界の厳しさを知らなかった私は、その物語の教えが現実のものだと、ずっと信じていた。
だが、現実は──嘘をついた魔法使いはいなくなり、私の願いはついぞ叶うことはなかった。
魔法は万能の力ではないのだと思い知った。
魔法では救えなかった人がたくさんいた。
それでも……絶望を、困難を乗り越える力があの時の私にあればという気持ちは今でも消えない。
もしも私に世界を変えられるような大きな力があれば……あの人とケイテニアス山に登り、共に戦う事も出来たかもしれない。
そんな後悔ばかりが今の私を形作っている。
これは、結局はあの人のような強い力が欲しいなどという、欲深い憧れなのだろうさ。
どうやら私は、私が思っている以上にあの人のことを……先生のことを大切に思っていたらしい。
今ではもうあの時の気持ちは思い出せないが、もしかしたら、それは初恋か、家族愛に近い物だったのかもな。
この口調だって、初めはあの人と対等になりたい、何時までも頼りっぱなしは嫌だと思って、変えようと思ったのだから。
フフ……大事な人達は既に失っていたというのに、再び失ってから絶望を思い出すとはな……本当に……愚かという言葉では言い尽くせない。
──大切だった人の顔が思い出せなくなる苦しみがお前達にはわかるか?
段々と靄がかかるようになって、その顔も、声も、思い出せなくなるんだ。
どうして思い出せないのだろう。父も母も故郷の皆も、先生も。あんなに大切だったのに、大好きだったのに、愛していたのに。
思い出したい。思い出せない。それを忘れてしまう私は何て薄情なんだろう、この気持ちも全てその程度のものだったのだろうかって。
とても後悔したよ、どうして絵の一枚も残しておかなかったんだって。
……だからだ。あの冒険者の顔を初めて見た時は、驚きつつも内心ではとても嬉しかったんだ。その顔は……朧気な記憶の中の、私の先生と全く同じものだったから。
そこでようやく、私は先生の顔を思い出すことが出来たんだから。
□
とある山岳民族曰く──訪れた旅人が村を出てから少しして……変貌した赤黒い世界に黒い太陽が登り、大地が酷く激しく揺れた。そして、その日から山が燃えたように、恐ろしく暑い日が続いたのだという。
それから暫くは酷く乾燥した風に灰が混じり、喉や目を痛めたり、暑さに慣れない家畜が体調不良を起こしたりしたせいで、急遽、村を移動することになり生活に苦労したとも聞いた。
──神は祈願のために断食し、自らの言葉も断っていた。代わりに、神は夕日のような色の石で文字を描き、その意思を伝えた。
彼らは、村を訪れた旅人の正体が太陽の男神ベ・ニアラの化身だと堅く信じていて、死の恐怖に狂い、悪さをした竜を神の怒りで屠ったのだと熱心に話していた。
当然、私はその旅人の正体が先生だと確信していたのだが……私は先生がそんな神の如き力をずっと隠していたなどと知らなかった。勿論、先生が卓越した戦士であり、偉大な魔法使いであったことは知っていたのだが……
竜を屠った力は、恐らくは禁じられた魔法を使ったのだろう……それも命を犠牲にしなければならないほどの、古い魔法。もしかしたら、かの竜王たちが行使するという始原魔法のような──
当時の私は愚かにも何時までたっても果たされることのない約束をインベリアで待ち続けていて……いいや、私が待っていなければ約束も果たされないと言い訳して、本当はただ先生を失ったことを確認するのが怖かったのだ。
……そして、それから大分後になって、以前インベリアに訪れた多種族混淆のキャラバンが再びインベリアを訪れた。
何があったのか察したリグリットに叱咤されて、彼らと共に先生が向かったと思われるケイテニアス山の調査に赴いたのだが……
そこに残っていたのは何かが燃えた灰の残滓と、辺り一面の融解した岩の山肌、それに何か巨大なものが暴れた形跡や不自然に抉られた峰……
そして、開けた場所の中央に残された……先生が筆談で使っていたオレンジ色のメッセージだけだったよ。
リュウにいどむは きしの ほまれよな
『あ……』
キミはこれまでも これからも ひとりではない
『う……うそ……うそだっ!! うそだぁあぁっ!!』
がんばれ キーノ
『あ、あ、あぁぁ……うあああぁぁぁ────』
そのメッセージも私が確認してすぐに、役目を果たしたかのように消えてしまったのだがな……
私に嘘をついたことを謝る言葉はなく、あの日見たオレンジ色のサインを……私は未だに探してしまう。
ま……今となっては、全てただの昔話だが。お前達が私の話に何を思うかは知らんが、これは先人からの忠告だ……
私のような後悔はしてくれるなよ。