渦巻く分厚い雲が空を覆い、太陽の存在を完全に隠していた。光を失った帝都は暗い影を落とし、出歩いているものなど皆無。強風が吹き荒び、雨が横殴りに叩きつけられる。嵐が帝都を揺さぶっていた。
帝城──一面ガラス張りの大窓に雨が叩きつけられ、猛烈な音を奏でていた。時折、雲間から稲光が姿を見せ、部屋の中を一瞬だけ白く染める。轟音が鳴り響くと、ビリビリと窓枠が震えた。
そこは広く豪華な部屋だ。部屋の中央には装飾をあしらったテーブルとソファが置かれ、壁には帝国の紋章が描かれたタペストリーが垂れ下がっている。
ここは皇帝が会議を行ったり、ごく親しい者のみが招かれる皇室の一角。この部屋の主人たる皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは一人ソファに座り、物思いに耽っていた。
バハルス帝国皇帝である彼にとって、ここ一月は激動の日々であった。アインズ・ウール・ゴウンに関わったせいで、大勢の騎士が死に、皇帝自らナザリック地下大墳墓にて釈明を行う羽目になった。
そこで目にしたのは人外の存在達。
皇帝は彼らとの敵対を避け、アインズ・ウール・ゴウンに対して建国することを提案、建国後には帝国は最初の同盟国となることを志願する事になった。
ナザリック地下大墳墓にて盟主と謳われる存在──アインズ・ウール・ゴウンと接触したことで、皇帝ジルクニフの世界は一変した。
アインズ・ウール・ゴウンは人智を超えた超越者であり、人とは到底相容れない存在だった。それは物語にて語られるような魔王……もしくは太古の世界で猛威を奮ったという魔神。皇帝である彼は、そう認識していた。
「私たちは力を結集し団結しなければならない……あの魔王に対抗する為には、人類の力を結集しなければ……私達に生き残る未来は無い」
──突然帝国の前に現れた強大な敵だった。
それは少なからず、優秀な若き皇帝を興奮させていた。帝国はこれまで優秀な皇帝を続けて輩出しており、今代の皇帝ジルクニフは歴代の中でも最優と名高い。帝国自体の舵取りも、これまで大きな失敗は無く、周辺にも自身を脅かすような敵性存在はいなかった。
皇帝にとっては、自身の知恵を、権力を、皇帝としての器を較べ、打ち勝つ。更なる高みへと昇るための試金石、踏み台とも思えたのかもしれない。
故に、皇帝は手強い敵に対して、同盟国としてアインズ・ウール・ゴウンに同調しつつ、周辺国家を巻き込んだ包囲網を敷く腹積もりであり、魔王という存在を打ち倒そうと思索していた。
しかし、如何に歴代最優といえど皇帝はまだ若く、自信に満ち溢れ、世界の広さを知らなかった。自身よりも優れた存在が世界にはいると知ってはいても、手の届かない存在がいるとは想像が出来なかったのだ。
──突然、耳をつんざくような早鐘が鳴り響き、そこで皇帝は夢想から戻った。
早鐘は非常事態を告げる鐘であり、直ぐに四騎士バジウッド、ニンブル、レイナースが皇帝を守護すべく結集。やがて一人の兵士が入室してくると皇帝に鐘が鳴らされた理由を告げた。
「なんだ!? 何事だ!!」
「りゅ、竜です! 先日とはまた異なる黒い竜が帝城に近づいてきています!」
それは嵐に紛れ、帝都に向かって竜が飛んでくるという報告。確認出来た数は一頭であるが、既に見える位置にまで竜が飛んで来ているという事態は先日の悪夢を思い起こさせた。
「陛下っ! お逃げください!」
「いや……もう遅いようだぞ」
嵐の中を苦もなく飛翔する竜。この激しい嵐の中では皇室空護兵団も飛ぶ事も出来ず、連携した迎撃体制など取れる筈もない。竜は既に帝城の中心、皇宮へと侵入しており、皇帝は広間の窓から、その妖しげに赤く光る単眼を持った黒竜の姿を目の当たりにした。
「ひぃっ……」
「な、なんだこいつは……!」
「ば、化け物……」
禍々しく、凶兆を現すような赤い光。その不吉な光が矮小な人間を見下ろしていた。
その黒竜の背には何者かの姿がある。その存在は黒竜の背から皇宮のバルコニーへと飛び降りると、黒竜に向けて何事かを告げる。すると、黒竜は再び嵐の中を飛び立って行ったのだった。
竜の背から降りた存在がガラス窓の向こうにいた皇帝を見据えた。
「先日に続き、またか……城の警備体制も考え直さねばならんな……さて、今度は何処からの使者だ?」
「陛下?!」
「慌てるな。余計な警備の兵は下げろ、優秀な人材を以前のように殺されては敵わないからな。竜を帰したのだ、流石にいきなり私に剣を向けるということはあるまい」
「し、しかし危険ですっ」
「下げろと言ったのだ」
「は、はっ」
皇帝の言葉に、大勢いた近衛騎士達の大部分は広間から出て行く。そして、皇帝と四騎士、近衛が数名に、魔法省高官でもあるフールーダの高弟が幾人かが残った。
皇帝の命を受けた近衛騎士がバルコニーと広間を隔てている扉の鍵を開け、恐る恐る中へと招き入れる。その存在が屋内へと侵入した際に、猛烈な雨風が吹き込み、広間の床は水濡れになった。
そしてソレが皇帝へと向き直る。
「きっ、貴様っ、何者だ!?」
「ここが皇室の地と知っての所業か!?」
近衛がカタカタと震える手で、その地位に見合った高品質な剣を抜く。脇で控える二人の騎士も同じく腰に据えた剣を抜剣した。
四騎士の残る二人──バジウッドとニンブルも剣の柄に手を置き、即座に抜けるよう備えている。そして魔法省の役人たちは緊張で強張った顔をして状況を伺っていた。
「……」
その姿は異様だ。先程の黒竜のように黒い騎士甲冑を身に着けてはいたが、その意匠は近隣の国のどこのものでも無い。それどころか、黒い騎士甲冑は火に焼けたように爛れているようにも見えた。それは紋様などではない、実際に戦場で焼かれたかのような凄惨さを秘めている。戦場跡に現れる幽鬼、という言葉がピタリと当てはまる風貌であった。
幽鬼の騎士甲冑が突如として赤熱し始め、その熱量が四騎士や皇帝にも伝わった。その熱で騎士甲冑を濡らしていた雨水は一瞬にして蒸発し、幽鬼の周りは甲冑から放たれる熱で空気が揺らめいて見えた。
その肌と目を焼く熱量に、攻撃の予兆を感じ取ったバジウッドやニンブル、レイナースが武器を抜く。そして、魔法省高官も魔法を発動させるべく杖を構えた。
「何者でしょうか。帝室に無許可で立ち入るなど……それに竜を従えるなど先のダークエルフを彷彿とさせます……もしやあの者もアインズ・ウール・ゴウン殿の関係者なのでしょうか……」
「……わからん。アインズ・ウール・ゴウン殿とはロウネを通してやり取りはしている。だが、今日接見する予定はなかった筈だ。だとしたら、何の用でここに降り立ったのか」
「……情報が足りません。向こうも今すぐ敵対、という感じではないようですが」
幽鬼の後方で、ゆらりと黒い靄が立ち上がる。それは黒い靄から具現した。四体の見事な全身鎧に身を包んだ騎士達が現れる。
その手には各々違った威容の武器を持っている。巨大な両刃の斧を持つ者、穂の先が剣状になった斧槍を持つ者、見事な意匠の大剣と楯を持つ者、竜すら射落とせそうな大弓を所持する者だ。
彼らの特徴で共通するもの。それは彼らもまた黒い鎧を身に纏った黒騎士であり、かれらの前方に立つ幽鬼と比べれば、その甲冑はまだ細かい意匠もはっきりとしている。しかし、幾多の戦いを潜り抜けた傷跡が随所に見られた。
「全く……自信なくすぜ」
「これほどの存在がいるとは……陛下やバジウッドから話には聞いていましたが、まるで勝てる気がしません」
「……」
一糸乱れぬ様子でその全身を現した黒騎士が控える様は壮観である。そしてその光景を見た者は一人として例外なく戦意を失うだろう。それだけの威容。戦力差を感じさせる圧を放っていたからだ。
バジウッドやニンブルも剣は抜いているが、直ぐに攻撃に移れるような状態ではない。相手の強さを感じ取り、迂闊には動けないのだ。
『我に続け。背後を警戒せよ』
『はっ』
幽鬼と黒騎士達がゆっくりとした歩みで広間中央へと入ってくる。そして皇帝と対峙するように立ち止った。幽鬼の甲冑から放たれる熱量は篝火に当たるような、ジリジリと身を焦がす程度のものになっていた。
四体の黒騎士を背後に従えた幽鬼が皇帝を見据え口を開いた。
『歓談中の所、失礼。皇帝陛下より、お招きに預かり参った。私はナザリック大墳墓が支配者の一人であり、アインズ・ウール・ゴウンの盟友。配下達は私のことを不死の騎士やら闇の王と呼ぶことが多い』
幽鬼の口からナザリック地下大墳墓とアインズ・ウール・ゴウンの名称が出たことで、その場にいた帝国の者たちの間にやはり、という緊張が広がった。
アインズ・ウール・ゴウン。ナザリック地下大墳墓の盟主であり、先日帝国と友誼を結ぶことになった勢力。しかし、友誼とは名ばかりで、皇帝はアインズ・ウール・ゴウンを危険視し、各国を巻き込んだ包囲網を構築することで征伐の対象とする腹積もりでいる。
その勢力に組する存在が、何故今、皇帝の元に現れたのか。まさか、皇帝の思惑が透けていたのか。そしてナザリック地下大墳墓の支配者の一人と名乗る幽鬼の目的はいったい何なのか。様々な推測と緊張がその場にいた者たちの脳裏に駆け巡った。
「私が、招いた? 今日、接見する予定の者の中に貴殿のような方はいなかったと思うが……今日これから会う予定があるのはレイナースの──」
そこで皇帝の言葉が詰まり、顔色がサァー……と青褪めた。ざわりと皇帝の背中にしたものが蠢く。何か途轍もなく嫌な予感がした。
「……」
皇帝を守護するように槍を構えていた四騎士レイナースが絶望の表情で幽鬼を見つめていた。
──幾つもの思考がレイナースの脳内で氾濫を起こしていた。
目の前の幽鬼が同居人と同じ声をしていることはすぐに分かった。しかし、有り得ないのだ。皇帝から彼が密偵の可能性があると告げられても、彼女はまだ心のどこかで信じていた。密偵など嘘だ。彼は金級の冒険者で、普通の気さくな人物なのだから、と。
レイナースは全身全霊を持って否定したい気持ちに襲われた。彼女の心臓はかつてないほどの速さで鼓動を打ち鳴らしている。動揺により槍を持つ手と足が僅かに震えるが、その動きを咎めることが出来るものは、自身以外にはいない。
幽鬼がゆっくりとした動作でヘルムを外す。そこから現れたのは浅黒く変色した皮と、肉が削げ落ち骨ばった輪郭を晒す亡者の顔。ただ、その目ばかりが赤く爛々と輝いていた。
──その顔を見て皆が息を呑み、静寂が広間内に広がる。
ガラン、ドサリ、と音がした。それはレイナースが槍を取り落とし、力なく床に膝を着いた音だった。彼女は表情を失い、普段を知る者からすればあり得ない様子で、絶望と失意にただただ涙をボロボロと零していた。
「……そうか。貴殿がレイナースの同居人という訳か」
皇帝がそう呟く間に、幽鬼が歩み出でて崩折れたレイナースの前に立とうとした。それをバジウッドとニンブルが遮るように前に出て、同僚を護ろうとする。幽鬼が意気阻喪の状態となったレイナースを害すると予測したのだろう。
「退け」
言葉の圧力。それは墳墓にいた悪魔の言霊の様に、物理的な効力すら伴った。バジウッドやニンブル、魔法省高官、皇帝までもが金縛りにあったように動けなくなる。そして、幽鬼がゆっくりとレイナースに歩み寄った。
「……これが真実。酷いクマだ。少し眠っていろ」
幽鬼がレイナースの頭に手を翳すと、何か魔法を使ったのだろう、彼女は今度こそその身から力を失い、床へと倒れた。
幽鬼が倒れ伏したレイナースの肩と膝裏に腕を差し入れ、部屋の中央にあるソファへと横たえる。
「失礼した。彼女には酷な事をした。だが……どうにも見過ごせなかったものでな」
「……構わないとも。失意の中にいる彼女への心遣いと察しよう。では、今度は私が名乗る番だな。我が名はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。バハルス帝国皇帝だ。この度は招待に応えていただき感謝する」
私が呼んだのは貴殿のような存在では無かったのだがな、と心の中で呟く。
皇帝ジルクニフはその幽鬼を観察した。目の前の存在はレイナースを気にしている。アインズ・ウール・ゴウンのように人外の存在なのであろうが、彼女の様子を気にかけていることを鑑みるに、情が全くない訳ではないらしかった。つまりは、思っているよりも与し易い可能性があると。
──今回は唐突に訪れた顔を突き合わせての会談。この得体の知れない男が姿を現わした目的を明らかにしなければならない。皇帝は心中で活を入れ直した。
それは決して折れない、鋼の芯を感じさせるものだ。ジルクニフはバジウッドやニンブルに視線を送り、警戒を続けるように指示を出す。そしていまだ浮き足立ったままの高官たちを厳しい眼差しで見据えた。
緊迫する空気の中、言葉を発したのは幽鬼だった。
「やはり、私の正体は想定外のようだったな。驚かせた事を詫びよう。正体を隠し、帝国内の見聞を広めていたのだが……露見した切っ掛けはやはりあの誤認逮捕か」
「……こちらこそ、その件については心からの謝罪を。我が帝国の司法機関の未熟さが招いた騒動、我が身の至らなさを恥じるばかりだ。ご存知かとは思うが……捜査責任者は更迭。並び、関与した者にも然るべき刑罰を用意してある。……貴殿が望むなら、その首を差し出すことも出来るが」
誤認逮捕のことは皇帝も把握していた。レイナースの同居人が無実の罪を着せられ拘束されていた件だ。まさか、その同居人の正体がアインズ・ウール・ゴウンの盟友であり、墳墓の支配者の一人とは予想も出来なかったが……
正体を隠していたとはいえ、要人を誤認逮捕するなど帝国の恥部を晒したに等しい。明らかな失点であった。皇帝は幽鬼の言葉に、頭を下げて謝罪をせざるをえなかった。
「謝罪を受け入れよう、皇帝陛下。そして、頭をあげて欲しい。騒動の首謀者には帝国の法に則った相応しき刑罰を与えて貰えれば、それで構わないとも」
「寛大な処置、心痛み入る。貴殿が開明的な人物である事に助けられた。……しかし、貴殿の素性を知り、流石に肝が冷えました。失礼ながら……今回、素性を明かし登城した理由をお聞きしてもよろしいか」
「他愛も無い理由だ。とうとう彼女に言われてしまったのでな。真実を話す勇気もない臆病者と。そこまで言われてしまっては、正体を偽ったまま皇帝陛下の前に立つ訳にもゆくまい」
「ふむ……そうでしたか。如何に絶大な力を持つ強者であったとしても、男であれば女には弱い。推察するに、貴殿はレイナースと相当に深い関係を築いていたようですな」
「それは、ご想像にお任せするとしよう」
若干の冗句を交えた会話に、冷や汗が流れる。帝国内の見聞を広めていたとは言っていたが、この幽鬼の姿をした男の本当の狙いが何なのかが気になった。
まさか、本当に観光していた訳ではあるまい。同盟の意思の確認か、それとも叛意の有無の調査か……帝国内に不和の種でも播いていた可能性もある……そんな憶測が脳内を駆け巡る。
「──ただ、今回正体を現すにはタイミングが良かったのも事実。未来の同盟国
「それは心強い。確か……貴殿はアインズ・ウール・ゴウン殿の盟友と言っていたが……すまないが、ナザリック地下大墳墓を訪ねた際には見掛けなかったと思うのだが」
「お分かりかと思うが、彼女は敏い女だ。レイナースに姿を見られれば中途半端に露見する可能性があったのでね。ただ一部始終は別室で確認していたとも。私の存在については後で、ナザリックにいる秘書官殿に確認してみるといい」
どうやらこの目の前の存在も、あの時、墳墓にいたようだった。この男は一体どこまで知っているのか、そう考え、皇帝は思考を中断する。それを考えることは今すべきではない。ただ、警戒を解くことなく、この男から最大限の情報を引き出せば良いのだと。
バジウッドやニンブルも皇帝の内心を慮ってか、余計な行動は一切取らずに黙って控えている。
ジルクニフは微笑を浮かべた。ただし目は全く笑っていない。皇帝はソファで眠るレイナースに一瞬だけ視線を送り、再び幽鬼に戻すと口を開く。
「そうでしたか。では、それは後ほど。それで、貴殿の言う良い事、とは?」
「私達はこれでも信仰系魔法には一家言あってな。先日、根回しも済ませて教会の設立を申請させていただいたよ。帝国は魔法学院もあり魔力系魔法には力を入れているが、各神殿と折り合いをつけるのに難儀しているとお見受けする」
「っ!」
「私達が帝国の医療を補助しようではないか。交渉次第では死者の復活を請け負っても良いと考えている」
皇帝は内心で歯噛みした。覚えがあったのだ。闇の神を信仰する黒教会の設立の許可。信仰には流行り廃りがあり、その時々によって隆盛と衰退がある。流行の中心となる高位貴族からの後押しもあり、黒教会の設立は通さざるを得なかったが……皇帝は闇の神信仰も流行の一つだと考えていたのだ。
それがまさか目の前の人物が設立に関わっており、治療院を兼ねてのものだったとは、というのが皇帝の心情だった。高位貴族の後押しを得ているというのも警戒すべき点だ。しかも、その貴族は帝国内でも大きな権力を持つ存在であり、皇帝といえど頭ごなしに命令を下せる存在では無かった。
そして……この得体の知れない男の言う通り、帝国では魔法学院のお陰で魔力系の魔法については発展しているが、信仰系の魔法についてはその重要性を理解しつつも、各神殿勢力との折り合いが付かず普及が難航している。
具体的には信仰系魔法の情報の開示と教育。神殿勢力は閉鎖的で知識を独占する傾向があったのだ。旧態然とした師弟制度に、神殿に所属しなければ信仰系魔法の使用を許そうとしない傲慢。特に、情報の秘匿は甚だしく、死者の復活に関する蘇生魔法についての情報は帝国に対しても独占の姿勢を崩すことがない。
そんな体制だからこそ、騎士団に所属する信仰系魔法の担い手は少なく、帝国は現在、蘇生魔法を行使する術を持っていない。あの王国ですら蘇生魔法を使える魔法詠唱者を有しているというのにだ。
「それは……死者の復活まで貴殿らの勢力では容易いことだと……?」
「無論、コストはそれなりにかかるが」
得られる利益は大きい。もしも黒教会とやらの後ろ盾となり、蘇生魔法の行使権を皇帝が握る事が出来れば、貴族のような権力を持つ者達を制御する事が容易になる。
だが、一方で蘇生魔法の技術を実際に握っているのは目の前の亡者であり、それは皇帝に対して優位に立つという事でもある。
そして、皇帝が行使権を握る事が出来なかった場合、権力者達はこぞって目の前の幽鬼側につく事になる。それは皇帝の影響力が低下するという事だ。皇帝はどの道、目の前の人物と友誼を深める選択を選ばざるを得ない。
「……貴殿は帝国に何を望む? それほどの助力。帝国側へのメリットの方が大きいように思えるが?」
「隣人同士、協力し合うのは当然のこと。それでも気になるようならば、
それは聞きようによっては、属国化に向けて既に動いているというニュアンスにも聞こえた。そして、目の前の亡者は『正体を現すにはタイミングも良かった』とも言っていた。
(まさか、正体を明らかにするタイミングを図っていた?)
だとすれば、皇帝は誤認逮捕の件は無能を演出する為だと推測していたが、実際にはそうでは無い可能性が出てくる。
それは、密偵の存在と正体を仄めかし、いつまでも気づかなかった帝国への試金石に過ぎなかったという事。そして、表に正体を晒したということは、帝国内に何らかの楔を打ち込む段階は既に終えていると考えるのが妥当。それは最早、隠れている必要が無くなり、今後は表に出て動くという宣言に他ならない。
(く……そうか……そういうことか。アインズ・ウール・ゴウンがすぐに属国化について話をしなかったのは、今はまだ帝国の
つまりは帝国の属国化が困難か、容易か。幽鬼の目的は帝国を査定すること。先程言った『未来への投資』が始まる、という事は帝国は与し易いという査定結果になっていることを示している。
「ただ……少し心配な事があってな。帝国が各国を巻き込んでアインズ・ウール・ゴウンの包囲網を作ろうとしているという噂が出ているのはご存知か」
「っ!? ハ、ハハ、何を言っているのか。それは冗談にしても言葉が過ぎますな」
なんとか表に動揺を出さないように表情を取り繕った皇帝だったが、一瞬だけ無意識にレイナースに視線を向けた。
「残念ながら、噂の出処はレイナースでは無い」
こんな初歩的な揺さぶりに反応してしまうとは、と皇帝は内心で歯噛みした。
「も、もちろん信じているとも。レイナースは私の直属の騎士だからな。そのような嘘の情報を流すなど考えていない。当然の事、そんな噂も真実ではない!」
口ではそう言ったものの、皇帝はレイナースが計画を話したのでは、実は寝返っているのでは、という疑念を拭う事が出来なかった。
「それは良かった。帝国とは末永くお付き合いしていきたい。あぁ……情報の出処については気になるだろうが、詮索は無用。偽報であったとしても、情報をくれた存在は有用なのでな」
(……私に直接会いに来たのは反応を確かめる為か。そしてアインズ・ウール・ゴウンに対する包囲網を構築させない為の監視と警告。おのれ、アインズ・ウール・ゴウン……! どこまで先を読んでいるのだ……!)
包囲網構築への牽制が目的だとすれば、断る事のできない信仰系魔法を用いた帝国医療の補助、帝国内における教会の運営に関しても見方が異なってくる。
それは神殿勢力と帝国との引き離し戦略。神殿はその多くが太い細いはあれど法国へと繋がっている。黒教会を優遇し、神殿勢力を冷遇するとなれば、法国の帝国に対する印象も低下し、帝国が法国と距離を取ることにも繋がりかねない。
また、反対に帝国が神殿勢力との関係を再構築を試みても、失敗に終われば黒教会へと依存しなければならない状況に陥る可能性もある。
(この男が最初にレイナースに接触したのが約半年前……それほど前からこの構図を作る為の布石を……そして、直接釘を差しに来たということは、どのような手段かはわからないが、私達を監視する方法が確立されているのだろう。わかってはいたが、厄介な者達だ……)
「うむ……時に皇帝陛下。帝国は良い国だな。
「それは帝国を主導する皇帝として何よりの言葉だ」
初めにあった意気軒昂とした自信はどこへやら、皇帝は思考を全力で回転させ、内心を悟られないことに腐心した。そして、そんな皇帝を興味深そうに観察していた幽鬼が、宙に視線をやり、口を開く。
「……だが、短命種の性とも言えるが、人というのは皇帝陛下が思っているよりも儚い。周辺国家を見ていただこう。王国は愚かな政争の真っ只中、南の竜王国ではビーストマンの脅威に晒され、西の聖王国では悪魔が出没していると聞く。頼みの法国はエルフと戦争中で、隣国のビーストマン討伐にも手を貸さざるを得ない状況。評議国に至っては人間種の国家ではない」
「……未だ外敵の脅威に晒されていない帝国は恵まれていると?」
「さて……だが、いつこの帝国が何らかの外敵の脅威に晒され、滅亡の憂き目に会うことになるかは……為政者としては心配の種だろう。心労をお察ししよう」
「っ」
つまり、脅しているのだ。他国には帝国を助ける余裕など有りはしない、帝国はアインズ・ウール・ゴウンに従うしかないのだと。愚かな真似は止めておけと、幽鬼は今一度釘を差したのだ。
「ジルクニフ殿。これは忠告だが、手を結ぶ相手を間違えてはいけない。私達は人にとっては恐ろしい存在だろうが、ある意味公正だ。ただ人間というだけで不当に冷遇もしないし、逆に厚遇もしない。しかし、目に止まった本当に優秀な存在には、仲間として迎え入れ
脅迫から忠告、そして、餌をチラつかせる行為。それは帝国皇帝に対して上から物を言う態度であり、正直気分はよろしくない。だが、反発心を顕にする訳にはいかず、皇帝は笑顔の仮面で偽装するしかない。
ここはどう回答するべきか。断れば帝国の滅亡が近くなる。手を結ばないという選択肢は無い。しかし、『次の階梯』? 人間をやめて化け物の一員となれとでも言っているのか、餌だと思って素直に飛びつこうとするのは危ういと感じた。
「……は、はは。興味深い言葉だ、ご忠告痛み入る。では、どうだろうか? 未来の同盟国として、今の内に友誼を深めておくことから始めるというのは。此方には直ぐにでも帝都に滞在用の屋敷を用意させることも出来る」
「それは有り難い申し出だ。だが、今回はよしておこう。既に私の配下が帝都に拠点を用意すべく動いているのでね。それを無下にしては可愛そうだ」
「そうか、それは残念だ……えぇ、本当に」
果たして、皇帝は明言を避けた。それがこの先どう影響するのかは……まだ分からない事だった。