※この作品はR-18です。

オリ主探訪日記   作:mimick

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57.レイナース編⑦―1

 

 レイナースは茫洋とした意識の中、会談を進める皇帝と亡者/同居人の様子を視界に映していた。会談は亡者/同居人が優勢で、皇帝が劣勢のようであった。

 

 ──ここ数日はずっと男の顔を見るのも辛かった。

 

 帝国の中枢に近づき情報を得る為に私に接触したのか、私を抱いていたのは義務で、心を通わせたと感じたのは独り善がりの勘違いだったのかと考えると、どうしてもレイナースの心は軋んだ。

 

 レイナースも最初、自分自身にこんな変化が起こるとは思ってもいなかったのだ。初めはただ呪いを解呪する為の手がかりを手元に置いておくという理由だったのに。

 

 いつしかレイナースの中で、重要なものの順位が逆転していた。解呪することよりも、男という存在に。彼がいなければ呪いが解けても意味が無いと本気で思ってしまうくらいには。

 

 呪われた自身を理解し、受け入れてくれる存在がいることの何と心安らぐことだろうか。男の隣は居心地が良く、身近にいるのが当たり前の事になってしまっていた。

 

 男の前では素の本当の自分に戻る事が出来た。彼がいればどんな困難にも立ち向かえる気がした。どんな苦境にも耐えられる自信があった。それはひとえに、活力の源であり、安心感を得られる場所があったから。彼の隣が、彼女にとっての帰るべき場所──拠り所に他ならなかったからだ。

 

 ──だが、全てはまやかし。男は亡者としての正体を現した。男は帝国の内情を探り監視していた間諜であり、帝国の敵となるかもしれない存在達の中心人物であったから。

 

 もう元には戻れないのだとレイナースは悟った。失ったものは大きく、壊れた関係は元の形には戻らない。目を閉じ、真実から目を逸らせば良かった。耳を塞ぎ、誰かの言葉などに耳を貸さなければ良かった。こんな事なら騙されたままの方が良かった。只々、幸福な夢だけを見ていたかった。

 

 何処までも非情な現実を知っているが故に、幻想は美しく映ってしまう。追いかけても、追いつく事のできない。幾ら手を伸ばしても、届く事の無い。それは、逃げ水のように遠くにあるものとして。

 

 深い、深い喪失感が襲った。それはどこまでも沈んでゆくような暗い水底に似ていた。この悲しみに底などなく。その圧力が心を押し潰す。悲しみが怒りに変わることなど永遠にないように思えた。

 

 ──助けて

 

 息をするのも苦しい。まるで溺れているようだった。悲しみの中で僅かに藻掻こうとするばかりで、水底に沈んでゆく事を受け入れるしかない。だが、それでも苦しみは続く。

 

 裏切られたと分かっていてなお、諦めることが出来ない苦しさ。一時は自らの手の中にあったはずの幸福への心残り。指の隙間から幸福が零れ落ちてゆく絶望。

 

 関係を断ち切ることに、心が引き裂かれるような痛みを感じた。男は化け物で、その本性は人間ではないのだろう。人間が隣に立つことなど出来ないということはわかっているのに。

 

 だがそれでも──その狂おしい感情の源を例えるのならば何かと問われれば、レイナースは愛と答えるのだろう。

 

 愛。人を人たらしめる、空虚な器を満たすもの。人間性を形作る、人の意志。

 

 レイナースの人生は苦悩に満ちていた。そしてこれからもそうだろう。人生が自由を奪われた牢獄であるならば、愛はその牢獄の中を明るくする色彩だ。だから、愛が無ければ人生は果てしなく長い。

 

 辛い。諦められない。欲しい。届かない。辛い。思考は堂々巡りを繰り返し、そして何処かで破綻を迎えた。

 

 ──どうして私を裏切ったの……? どうして私を捨てたの……? あんなに……あんなに愛し合ったのに……心を通わせたと思ったのに……まだ愛しているのに……

 

 ──なんで捨てたの……なんで裏切ったの……どうして私ばかり苦しまなきゃいけない……どうして私を受け入れてくれない……! クルシイ……クルシイ……

 

 ──許せない……ニクイ……私が苦しいのは……お前のせいだ……! ニクイ……お前も苦しめ……! 私と同じように……! 

 

 愛は変質してゆく。悲しみがいつか怒りへと変わるように、愛は憎しみへと変わる。顔の呪いが嗤っている気がした。

 

 ──許さない

 

 レイナースはまだ夢の中にいる心地だった。現実感などないままに、ゆっくりと目を開く。その涙に濡れた瞳には既に生気は無く、ただ絶望に染まった冥い闇が広がっていた。

 

 □

 

「──貴殿を見込んで話すが、帝国は貴殿らの力を恐れている。人間は確かに亜人や異種族に比べれば力が弱い。だから、互いに信用する為に考えを共有し、妥協点を纏め、協力し合う。強い貴殿らには些細なことかもしれないが、私達には相手を理解する為に話し合う必要がある」

「……話し合う事ができれば恐れを克服出来ると?」

 

 皇帝が熱弁を振るい、幽鬼へと理解を求めていた。

 

「そうだ。それに、レイナースの事もある。彼女は部下であるが、流石に今の彼女を見ているのは忍びない。ここ数日は本当に酷い有り様でな。無論、彼女が望めばだが……彼女を伴侶として娶る気はないか?」

「……私はレイナースに近づいて帝国の内情を調査していた身。彼女は望まないだろう」

「その程度、どこの国だってやっている。寧ろ、話し合いが出来ると分かって私としては安堵した面すらある。それに、貴殿とレイナースとの間に縁が結ばれれば、帝国の感情は幾分か落ち着く。私としても、今以上に貴殿と意思疎通が図りやすくなるのは大いに希望する所だ」

「……」

 

 

 皇帝が幽鬼と会談を続けていると、ユラリと立ち上がったレイナースが幽鬼に近づいた。

 

 幽鬼は彼女が近づいて来ていたことに気がつくと、ただ静かに彼女を見つめた。その眼差しには嘲りも哀れみも無い。それがレイナースには全くの別人を思わせ、憎しみを増長させた。

 

「……起きていたのか。今まで黙っていて悪かった。俺はレイナースを裏切っていた。好きに恨んで貰って構わない」

「……憎い……許さない……!」

「……」

 

 目の前の幽鬼/男は酷く醜い姿だった。呪いに侵されたレイナース以上に。ただ、レイナースはその姿を以前にも見たことがあった。

 

 覚えている。ギガントバジリスクを討伐した後にした打ち上げ。抜け出して二人で入った酒所で、男はその姿を晒したのだ。彼女に近づき共感を得るという目的で。

 

 その身は不死であり、死という終着を迎えることが許されない。レイナースが受けた呪いとは比べ物にならない、その存在自体が呪いのようなもの。それは、よく知る男の普段の姿では無い。だから彼女にはその酷く醜い忌々しい呪いが男を奪い、幽鬼へと変貌させ、彼女自身をも苦しめているようにも感じられた。

 

「憎い……!」

 

 四騎士に与えられた特別製の黒槍がレイナースの手の中でギリィと音を立てた。

 

 呪いを受けたことで変質した肉体は、並みの人間を超える筋力を誇っていた。以前、男がカースドナイトのジョブ特性によるものと言っていたのが頭を過る。

 

 神速ともいえる踏み込みから放たれる確殺の一刺。通常の敵であれば、それで十分だった。だが──

 

「……レイナース」

 

 幽鬼は掠ることすら許さず体捌きのみでやり過ごした。所詮は実力/レベルの違う相手ということか、席を立った男にレイナースは掠らせることすら出来ず距離を離されてしまう。

 

「死んで償え……!」

 

 狂おしい愛憎が目の前の幽鬼/男を殺せと叫んでいた。一心不乱に槍を繰り出し、目の前の化け物を殺そうとした。しかし、当の男は腰に佩いた剣を抜こうとすらしなかった。

 

 レイナースが幽鬼に襲い掛かったことで、幽鬼の側に控えていた黒騎士達が彼女を敵と認め、その武器を構えて敵を排除せんと追いすがる。しかし──

 

「やめろ。お前達は手を出すな」

 

 当の男が黒騎士達に制止の声をかけた。その声で黒騎士達はピタリとレイナースを敵と認識するのを止めた。黒騎士達はその意図を確かめることなどしない。王の意志は何よりも優先されるとばかりに。

 

「レイナース! やめよ!! ニンブル! バジウッド! 一刻も早く止めるのだ!」

 

 幽鬼はレイナースとの関係に首を突っ込まれるのを嫌がってか配下へと制止をかけたが、皇帝は顔を引き攣らせ、すぐさま彼女を止めるように側近であるニンブルとバジウッドに命令した。

 

 彼からしてみれば折角アインズ・ウール・ゴウンと幽鬼との関係に離間の計を仕掛けるタイミングであったのだ。余計な事を、と思わざるをえなかった。

 

「くっ!」

「ったく、世話の焼ける!」

 

 ニンブルとバジウッドがレイナースの背後から組み付き動きを止める。だが、それを振りほどかんとレイナースは激しくもがく。それはもはや人の、女の膂力ではなかった。

 

「オイオイ!」

 

 その膂力は同格である筈のニンブルやバジウッドを大きく上回り、二人の拘束を容易く振り切った。そして組み付いた際に耳にした。限界を超えた膂力のせいで彼女の骨が軋んでいた音を。

 

「まじかよ。こりゃ、やべぇな」

「理性を失っていますね」

 

 バジウッドが眉を顰めて呟き、ニンブルに目配せをする。今のレイナースは命を削っている状態に違いなかった。それほどまでに追いつめられ、死力を尽くす状態に陥っている彼女に、同僚たるニンブルとバジウッドは息を呑んだ。

 

「……やむを得ません」

「あぁ」

 

 ニンブルとバジウッドは剣を抜き放つ。彼らは帝国でも上から数えた方が早い実力者であり、並大抵のものでは鎧袖一触であろう。だが──

 

「邪魔をするナァァァァァ!!!」

 

 レイナースが咆哮を上げる。ジクジクと顔面の呪いが精神を蝕み、黄色い膿が顎を伝い滴り落ちる。彼女は幽鬼/男からニンブルとバジウッドへと標的を変え、襲い掛かった。本命に向かう前に邪魔者を排除するつもりなのだろう。

 

「くっ!」

「ぐっ!!」

 

 二人掛りでありながらレイナースを押し切ることが出来なかった。それは単に彼女に対して全力を振るうことを躊躇したためだけでは無い。

 

 彼女の振るう槍がニンブルの肩を強かに打ち据え、バジウッドの頰を深く裂いた。反対に彼女の鎧の肩当にバジウッドの剣が掠めて弾き飛ばし、機動力を削ぐ為に振るわれたニンブルの剣が彼女の腿に薄く赤い線を引いた。

 

「正気失ってても技が冴えてるなんて反則だろうがよ!」

「それに、以前に手合わせした時よりも手強くなっています」

 

 戦闘は熾烈を極めた。ニンブルとバジウッドという帝国でも上位を争う強者が二人がかりで攻めて尚互角と言う異常事態である。

 

 それは毎朝、男と鍛錬に取り組み、圧倒的強者との模擬戦を繰り返す事で得られた成果であった。

 

「クソッ! このままだと手加減できねぇ! 殺しちまうぞ!」

「分かっています!」

 

 二人は必死だった。彼女は死線を共に潜り抜けた仲間でもあるのだ。手に掛けたいわけがない。レイナースからの攻撃は苛烈で、一切の手加減がない。だが──このまま消耗を狙ったとしても、彼女は命を削り続けるのは目に見えていた。

 

 その焦りが勝負を決した。ニンブルの剣に陰りが現れ、精神の揺らぎは技の精彩を欠いた。槍の柄を使った豪打。一合、槍と剣を合わせ、そして弾かれた剣が宙に舞った。

 

「なっ──」

 

 彼女はその僅かな動揺の瞬間を見逃さなかった。先程までの荒れ狂うような獰猛な攻めから一転。静かに研ぎ澄まされた連突を瞬きの間に放つ。それは相手が死ぬかもしれないといった迷いを一切考えないもの。一突き目、二突き目は躱すことができた。しかし、三突き目は──

 

「ごふっ」

 

 ニンブルの口から血が溢れた。それは彼の横っ腹をレイナースの黒槍が穿ったためだ。ニンブルは腹を押さえながら膝を落とす。内臓が損傷しているのだろう、ダクダクと止めどなく腹部から赤を溢れさせ、皇室の床に血だまりを作った。

 

「クソがっ!」

 

 ニンブルを排除したとなれば次はバジウッドの番であった。ニンブルが槍で腹を抉られたのを目の当たりにし、覚悟を決めた。

 

 バジウッドがその大剣を横に構え、殺す気でレイナースの胴を薙ぎ払おうとした。その刹那──振り返ったレイナースが憎々し気な眼でバジウッドを捉える。

 

「ッ!!」

 

 それは例えるのであれば闇の波動であろうか。バジウッドは咄嗟に剣を盾にし、そのレイナースから放たれた波動を防ごうとした。だが、それは結果から言えば悪手であった。

 

「ぐッ!」

 

 闇の波動はバジウッドに直撃し、それが魔法に似た効果を及ぼすものと理解した。恐らくは闇属性。衝撃は重くはなかったものの、衝撃が突き抜けた後から身体が猛烈に重く感じていた。

 

 もしも四騎士同士の戦闘を見ていた幽鬼が説明したのなら、その闇の波動が彼女のカースドナイトのスキルによるものだと答えただろう。そしてその効果は対象にデバフを齎すと。

 

「これはやべえ!! 手をかしてくれ! ニンブルは──」

 

 バジウッドがニンブルの方を見た。如何に腹部を抉られたとは言え、この場には筆頭宮廷魔術師の高弟達がいる。信仰系魔法は不慣れであろうが、低位のものは一通り修めている。既に治癒魔法をかけられているだろうと判断したのだが──

 

 ニンブルは力なく床に横たわり、未だ高弟達数人がかりで治癒魔法を受けている最中であった。戦闘のさなかにいたバジウッドには判断のしようもなかったが、レイナースの攻撃には治癒阻害の呪いが付与してあったのだ。

 

「いい加減、正気に戻りやがれ!!!」

 

 距離を一瞬にして詰める武技縮地のような疾駆。レイナースの槍が風を巻き、バジウッドを襲う。帝国にその名を轟かせた四騎士随一の威力を秘めた槍撃は早く、そして重い。体格にて勝るバジウッドとて、本来ならば正面から受けることを避ける一撃だ。

 

「グガァッ!」

 

 しかし、その攻撃をバジウッドは避けなかった。いや、回避行動を取れなかったというのが正しい。闇の波動の効果に蝕まれた身体は反応が鈍く、俊敏な動作を困難にしていた。その為にバジウッドは大剣を盾に正面から攻撃を受ける選択をしたのだ。

 

 その重い一撃を受け、武器と武器がぶつかり合う激しい金属音が響いた。バジウッドがその一撃の衝撃にたたらを踏んでいる間にレイナースは彼の横を獣のように駆け抜け、その勢いのまま振り返り、その背に向けて槍を全力で投げつけた。

 

「……っ、シャレにならねぇぜ、レイナースさんよ……」

 

 槍は背に深々を突きささり、背中の広背筋と肋の幾つかを断っているのが見て取れた。恐らく、肺も傷つけている。バジウッドは膝を付き、顔面に脂汗をかきながら呟いた。レイナースのレガースの音がカツコツと音を立て、近寄ってきていることが分かった。だがそれでも、バジウッドは膝を着いたまま背後を振り返ることが出来ないでいた。

 

「ぐあっ」

 

 レイナースは無造作に槍を抜きとると、バジウッドへの視線を切った。

 

 そして、離れた場で戦闘の行く末を見守っていた男へと一直線に駆け出す。離れた距離すら一瞬にして詰める。そのままの勢いで彼女は武技を発動させ、男に向けて自らの限界を超えた刺突を放った。

 

 しかし──

 

 レイナースは槍の穂先を喉元に突きつけた状態で、憎しみを込めた表情で男を睨み付けた。

 

「……何で止めたんだ」

 

 穂先が首に接触し、しかし、そこからレイナースは槍を押し込む事が出来なかった。それは男のスキルやレベルの違いによるものではない。レイナースの葛藤によるものだ。

 

 ──ニクイ 苦しめ 許さない シネ 愛している

 

 槍の穂先が揺れる。その手が震え、レイナースの嗚咽が漏れた。そして、力を失ったかのように彼女は頽れ、ガラン、と黒槍が床に転がった。

 

 捨てきれなかったのだ。男への想いを。愛を。

 

 男はただ静かに立っていた。その眼差しには哀れみも嘲りもなく、只々、静かだった。まるでレイナースの決断を受け入れるかのように。そして、それは彼女のよく知る男のものであると、彼女は思い出してしまっていた。

 

 男はいつもその慈しむような目で彼女自身を見つめていたことを。

 

「また……また私は過ちを侵すところでした……」

 

 過ち──それはレイナースが彼女自身の両親を断罪したことだろうか。呪いに対する憎しみを、苦しみを理解してくれない身近な周囲へと転嫁した。生家から追い出された理由を、私は愛する人達に裏切られたのだと思い込んで。

 

 呪いがレイナースの余裕を奪い、資質を歪めた。彼女は本来、愛情の深い女性だったのだから。愛が深ければ深いほど、それが反転した時の憎しみも深くなる。家族への深い愛が反転した結果、本来愛すべき家族を断罪することになってしまったのは何の皮肉であろうか。

 

 力なく俯く、レイナースの目には正気が戻っていた。後悔の滲む声音。戻れない過去を思い、未来に絶望した声を零して。

 

「あのような思いはもうしないと決めていたのに……」

 

 誰も信用しないように自身から遠ざけた。深い関係を築くことのないように。誰も愛することのないように。でも出会ってしまった。知ってしまった。一度知ってしまえば戻れない。彩りのない人生は拷問と同じで、気が狂いそうになる。今更、独りで生きてゆく事など出来ない。

 

「……あなたのことを、これ以上憎みたくありません。……共にいられないなら殺してください。あなたが居なければ……生きている意味がありません」

 

 愛することは止められない。この感情を捨てるすべを知らない。私では、いつまでもあなたを想い、そして憎んでしまうと。

 

 レイナースは微笑む。その瞳から涙が溢れ出す。深い悲しみを宿しながら、それでも尚美しい微笑み。

 

 そんなレイナースを見つめながら、男が口を開いた。

 

「……馬鹿な真似はよせ」

 

 その言葉を拒否とレイナースは受け取った。彼女は最後の願いを拒否され、そして寂しそうに笑った。

 

「あなたは臆病者でしたね。──でも、あなたを愛していました。今度こそ……さようなら」

「まてっ──」

 

 レイナースは別れを告げると自らの首を自身の黒槍で刺し貫いた。溢れる温かな血潮。反射的に咳き込み、口の端から血が流れた。その傷が彼女の命を奪うまで、そう時間はかからなかった。

 

 男は……ただ茫然とレイナースの死にゆく様を見せられ──彼女は、最後に男へと傷を残せたことに小さな満足を得られたのだった。

 

 □

 

「やはり人の心は持たないか……」

 

 皇帝がポツリと呟く。そこには致命傷を負ったレイナースを助けることなく見殺しにした幽鬼への畏れと疑念、それから彼女が自害したことで騒動が一先ず落ち着くことへの安堵が絡み合う、複雑な感情が浮かんでいた。

 

「──そうだ。私は人ではないからな」

「あ、いや、今の言葉は貴殿に向けて言った訳ではなく……」

「別にはぐらかす必要などないさ。人間なら皆、誰もがそう思うだろう」

 

 たじろぐ皇帝に無感動に応える幽鬼。その声は先ほどよりも低い。しかし、それはようやく荷が下りたかのような安堵を含むような……皇帝はその言葉の調子を察して、アインズ・ウール・ゴウンと同じく、やはり到底信用できる相手ではないと判断した。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとはまた違った意味での危険性。それはアインズ・ウール・ゴウンが計り知れない智謀で油断ならないと感じているのに対して、こちらは判断を誤ることのない冷徹さに対するもの。一時でも情を交わしたであろう女を切り捨てることに何の感慨も抱いていない、空虚にも思える性質。

 

 目標を達成する為ならば犠牲を厭わない精神。皇帝はアインズ・ウール・ゴウンへの警戒とはまた違った意味で、この存在にも注意を払わねばならないと心に刻み込んだ。

 

 最初に抱いていた与し易いかもしれないなどという思い上がりは既になくなっていた。

 

「ところで、レイナースは治癒阻害のスキルを持っていたようだが。彼らは大丈夫なのか? 早く優秀な治癒術士を呼ばないと死ぬ可能性もあるが」

「そ、それは……」

 

 目の前の幽鬼はこう言っているのだ。帝国が持つ治癒魔法の技術で彼らは助けられるのか、もしも皇帝が願うなら治療してやるぞと。先ほど話をしたばかりなのだ。この目の前の幽鬼が帝国に教会兼治療院を設立させようとしていることは。

 

 皇帝が言葉を詰まらせた。ここで目の前の幽鬼の力を借りてしまえば、帝国は早速借りを作ってしまったことになる。そして、いつか借りは返さなくてはならない。高い利子付きで。

 

 しかし、今から人を呼ぶには時間がかかる。間に合わなければ皇帝は自身の面子の為に部下の治療を拒否した狭量というレッテルが付きかねない。

 

「……頼む。彼らを治癒していただきたい」

「……まぁ、今回はデモンストレーションということで安くしておこう」

 

 どの口が言うのだ、という言葉が口から出かけたが皇帝はそれを押し留めた。今回の騒動の元凶は、全てこの幽鬼にあるというのに。場を掻き回すだけ掻き回して、美味しいところだけを持っていくつもりなのだ。

 

《太陽の光の恵み/バウンティフル・サンライト》

 

 幽鬼は黒い空間から銀色の聖鈴を取り出し、それを揺らして鐘の音を響かせた。と同時に幽鬼を中心として橙色の魔法陣が広がり、皇室の広間を瞬く間に埋め尽くした。そしてそれを切っ掛けとして展開した魔法陣から光が溢れ、治癒の効果を発揮する。

 

 ニンブルの腹部に光が当たり、治癒阻害の呪いを打ち消し、傷を癒す。賦活の効果があるのか、大量の出血により青ざめていた顔も血色を取り戻していた。バジウッドの背にある傷も塞がり、身動き出来なかった身体を動かすことが出来るようになっていた。

 

 魔法詠唱者達はざわめき、皇帝はその幻想的な光景に目を剥いた。そして思う。この場にもしも裏切り者のフールーダがいれば、弟子にしてくれとでも懇願していたかもしれないと。その魔法の効果は確かで、高弟達では現状維持が精いっぱいであったニンブルの傷を瞬く間に癒したのだから。

 

 皇帝は幽鬼の実力の一端を垣間見た気がした。そして、やはりその力は帝国において非常に有用であり、信用は出来ないが諦めて手を引くには惜しいと思った。

 

「さて、これで良いだろう」

「あ、ああ……本当にかたじけない」

 

 広間全体に溢れていた光が霧散していくと、ニンブルとバジウッドが立ち上がった。腹部の傷も背中の刺し傷もなくなり、急に好転した自らの体調に信じられないような表情を浮かべる。

 

「私はそろそろ、お暇しよう。──あぁ、レイナースの遺体は私が貰ってゆく。異論は?」

「ないとも……彼女の事は残念だった。死後の安寧を願って弔うか、貴殿に刃を向けた罰としてデスナイトになろうが……それは貴殿らが決めること。私は感知しない」

 

 皇帝はレイナースの死に関して、また四騎士という貴重な戦力が減った事に対して残念には思ったが、故人を惜しむ感情はそこまで抱いてはいなかった。

 

 むしろ、利用された側ではあるが、この現状を作った戦犯の一人として自害したことは最善だったとも考えていた。どの道、この存在に歯向かい襲いかかったのだ。仮に自害しておらず無事だったとしても、処罰は免れず四騎士として皇帝直属に残る事も出来なかっただろう。

 

 だが、自害したとなれば、彼女は一連の責任を取ったと解釈する事も出来なくは無い。そもそも、会談自体は緊張状態にありながらも順調に進んでいたのだ。

 

 ナザリック地下大墳墓と帝国との友誼を深める取り組みや包囲網構築の釘刺し、双方の思惑が絡んだ話し合いとなっていたが、これは帝国にとって、今後の生命線となり得るもの。レイナースの突然の暴走は許容出来るものではなかったのだから。

 

 ……しかし、その彼女の遺体を欲するというのはどういう了見なのか。皇帝は疑念を抱くが、それを口に出すほど愚かではない。

 

 ただ、人の心を持たない幽鬼が素直に弔うとは考えられなかった。恐らくは……生き返らせて永遠に逆らうことが許されない下僕とするのか、アインズ・ウール・ゴウンのようにデスナイトの材料とするのであろうが……既に手を離れた存在だ。皇帝にはもう関係のないことだった。

 

「お前達、行くぞ」

 

 幽鬼がレイナースを抱きかかえると、床に闇が広がった。そして、その闇に沈み込むように、幽鬼や黒騎士達は静かに消えて行き──広間には嵐の轟音だけが残った。







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