「綾地」
「あ……久島先生」
昼休みの時間を休息に当てて保健室から教室へと戻る途中、私は前方から久島先生に呼びかけられて、ボンヤリとしていた意識を浮上させました。
うぅ……代償が発現した時のことを思い出して少し顔が熱くなっていきます……。あんな無茶は二度もできるとは思えませんし、授業中でもすぐに代償を鎮められるような、何かこう、秘密兵器のような物を用意するべきかもしれません。そうなると、やはりアレを持ち込むのが一番────
「体調の方は大丈夫? あんまり顔色も良くないし、今日は早退した方がいいんじゃないか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「ならいいんだけど……あんまり無理はしないようにね」
思考に耽る意識を再び久島先生の声で呼び戻されて、私は慌てて憂慮の色を濃く見せる先生に否定と謝罪の言葉を口にします。とりあえず、アレのことは後で天都君と一緒に考えることにしましょう。
「それと、空閑の方はまだ保健室に?」
「はい……出血自体は治まりましたが、体調が良くないので放課後まで保健室で休んでおくと」
「そうか……大事には到ってないんだな?」
「少なくとも、深刻そうな雰囲気では」
当然来ると予想していた天都君に関する問いを、私は天都君と予め決めていた答えを久島先生に伝えていきます。
本当は視力も未だ戻らず、私としては今すぐ病院に行って欲しいところでしたが、天都君曰く、過去にもこういったことがあったようで、視力の喪失は一過性のものであると教えられました。あくまで時間経過でしか快復はしないと言われてしまえば、色々思うところはあれど、何も知らない私はその言葉に従うしかありません。
……学校が終わったら問い詰めないといけませんね。決して先程はしたない声をいっぱい出さされてしまった仕返しという訳ではありません。
「あ、綾地さんおかえり」
それから先生と別れて教室へ戻ると、入口付近で椎葉さんに声をかけられました。その顔色にはやはり心配するような色が強く出ていて、あのような形で教室を抜け出したことを気にかけさせてしまったと私は今更ながら認識します。
「体調の方は大丈夫?」
「はい、しっかり休んだので大丈夫ですよ」
「そっか、良かった……」
態度だけでなく、言葉でも心配してくる椎葉さんに今は健康であることを伝えると、彼女はそう言いながら心底ホッとした様な表情を浮かべました。その笑顔が振り撒く癒しのエネルギーにこちらもついつい笑顔になってしまいます。
「あっ……でも空閑君は……」
「天都君はまだ具合が悪いようでしたので……」
「そっか……目から血が出てたけど、大丈夫なの?」
「はい、そちらの方は大丈夫だと言ってました」
しかし、その笑顔も天都君の話題に移るとすぐに曇ってしまいました。やはり、あれだけ衝撃的な光景でしたし、教室や皆さんも心配だったようで、一応は無事であるという私の言葉に安心するような雰囲気が広がっていきます。
「それで、天都君の体調次第になるのですが、もしかすると今日は部活を休むことになるかもしれません」
「うん、分かった。もしもの時は三人で頑張るから、二人とも無理しないでね」
十中八九今日は天都君を送り届けるために部活に参加出来そうにはありませんが、椎葉さんにこう言って貰えると少しは気が楽になりますね。因幡さんと保科君も依頼の方は慣れてきたみたいですし、今日のところは三人にお任せしましょう。
「天都君」
ベッドの上で半身を起こしながらボーッと虚空を眺めていると、引き戸が開く音と共に寧々が私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。どうやら、授業はもう終わった
「体調の方はどうですか?」
「うーん……予想通り悪くなっていってるね」
上履きが床を踏む音を認識しながら、私は心配そうな声色の寧々の問いにそう簡潔に答えた。今は寧々の顔を
「やっぱり、前にこうなった時と同じみたいだ」
「ということは、耳がもうあまり……」
そう、寧々が授業に戻って行ってから、私は一人で物思いに耽っているうちに、一旦捨て置いていた疑問の正体に行き当たったのだ。それは確かこの世界に降りてきて間もない頃の出来事である。
生活を安定させるために血眼になって楽器作りに勤しんでいた時──具体的に言うと、三徹目の夜明け頃のことだっただろうか。その時の私は権能もフル活用して楽器を作っていたのだが、ある瞬間に鋭い頭痛と共に目と鼻と口から大量の血を噴出してぶっ倒れたのだ。そして、目が覚めた私が認識したのは暗闇に覆われた世界で、音で世界を認識出来ない状況──つまり、視力が全損し、聴力はヒトの平均値まで低下している状態である。
その時はパニックに陥る前に、下界に降りてきていた
そして今回、出血と頭痛、視力の全損という似通った状況から、間もなく音で世界を認識出来ない状況が来ると予想していたわけだ。
しかし、これには一つだけ引っかかる部分がある。
「あまり無茶はしないでください……。心配してしまいますから……」
「ん……ごめんね、寧々」
か細い声でそう言って、ギュッと抱き着いてくる寧々の頭を撫でながら、私は此度の謎について思考を巡らせていた。
先程も言ったが、この症状はオーバーフロー状態の時に起こるものなのである。故に、神言語が如何に強力な力と言えど、何故力をほとんど使っていなかったあの状況下で私の許容限界を超えてしまったのかがまるで分からない。
ただ、ここまで虚弱化した原因が分からない以上、暫くは力を行使するのは控えた方がいいかもしれない。魔力供給の頻度も少し落ちてしまうだろうが、それも今は仕方あるまい。次に
「とりあえず、家に帰ろうか」
「はい。買い物は帰りがけで大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
そうして、寧々に手を引いてもらいながら、私は数時間の時を過ごした保健室を去っていく。
一先ず、ゼリー飲料を大量に買って帰ろう。前回の経験則から考えると、恐らくこの後は固形物が喉を通らなくなるレヴェルで体調を崩すはずだ。今からそのことを考えると恐ろしく憂鬱だが、起こってしまったことは仕方が無いので、十分に対策をしていくしかない。
ちていった。
セックスが来るぞ、身構えろ!