「うっ……ぐぅぅっ……!」
重苦しく意識が覚醒して初めに認識したのは、断続的に鈍器で殴られているのかと錯覚する程の頭痛だった。数年ぶりに味わう地獄の様な苦痛に、思わず私は喉から絞り出すような呻き声を上げる。
「おはようございます、天都君。……苦しいですか?」
「おはよう……寧々……」
次いで身体を横にしたまま目を開くと、そこには心配そうにしてこちらを覗き込む寧々の姿をぼんやりと視認することができた。私は確認する様な彼女の問いに答えようとするが、一言口にするのも億劫なほど体調が悪く、思う様に言葉を紡ぐことができない。
「一先ず、水分補給をしましょう」
「ありがと……」
コップに手を添えられたまま渡されて、寧々のサポートを受けながらゆっくりと水を嚥下していくと、幾分か頭痛もマシになったような気がするが、やはりまだこの苦痛からは解放されない。この状態ではゼリー飲料を口にするのも難しそうだ。
「……先生には連絡しておきましたが、やっぱり私も……」
「大丈夫……はぁ、今から、もっかい寝るし……ふぅ、多分、寝たら……夜まで、起きない、から……」
寧々の提案を、ゆっくりと痛みに喘ぎながら却下して、私は起こしていた半身を再び布団の中に潜り込ませていく。今しがた宣言した通り、経験則では第一段階は本当に夜まで目が覚めないので、寧々に残ってもらってもやってもらえることが無いのだ。
「…………では、安静にしていてくださいね? 絶対ですよ?」
「ん……」
その言葉に、寧々は長い逡巡の後、学校へと行くことを決めてくれた。私はそれに小さく返事をしてから目を閉じていく。
「行ってらっしゃい……寧々……」
「はい、行ってきます、天都君。……できるだけ早く帰ってきますからね」
そして、寧々を送り出す言葉を口にしてから私の意識は沈み始めた。あぁ、ダメだ、何かまだ言ってるけど、意識を保てそうに────
「あ、綾地さん、大丈夫?」
「へ? あ、え、えっと、大丈夫です、よ?」
食事中も見るからに挙動不審な綾地さんにワタシが声をかけると、彼女は一瞬ビクリと肩を震わせてから、一拍遅れてそんなことを口にしてくる。流石に説得力が無さすぎると思うけど、今の彼女にそれを気にするだけの心的余裕はなさそうに見えた。
「やっぱり、空閑君のことが心配?」
「あっ、めぐるもそれ気になってました。昨日もちょっと噂になってましたけど、空閑先輩、大丈夫なんですか?」
ワタシが思い当たる──十中八九これが原因だと思う──事を尋ねると、隣で箸を進めていた因幡さんもそれに便乗するようにして、綾地さんへと空閑君のことを尋ね始める。学院で今最も注目されている彼の突然の原因不明の負傷は、人伝てに学院中へと広まっていたようで、昨日部活が始まってすぐに因幡さんもそのことをワタシたちに聞いてきたことは少しだけ印象的だった。
「……今朝は起きてすぐにまた眠ってしまったんですが、それでも、顔を顰めてとても苦しそうにしてました……」
上品に箸をお弁当箱の上に置きながら、綾地さんは自身が目にしたという空閑君の容態についてポツリポツリと零し始める。学校に来た時から心此処に在らずといった風に集中できていない綾地さんの様子から、あまり良くないんだろうなとは思っていたけど、やっぱりそれは予想通りだったみたい。
「天都君は帰ってくるのは部活の後で良いと仰ってたんですが……」
そう言葉を紡いでいくうちに、綾地さんはだんだんと顔色を暗くしていった。話を聞いているだけでも相当に重い症状だと分かるから、実際にそれを目にした綾地さんの心の中が穏やかではないのは当然だと思う。
……流石に、零す言葉の中に二人が同棲していることを仄めかす文言があることに言及できるような空気ではなさそうかな。テレビ越しに初めて空閑君のことを見てからすぐにファンになったワタシとしてはすっごく気になるけど……。
「今日も早く帰った方が良いと思うよ」
「そうですよ。占いはできませんけど、依頼の方はバッチリ熟して見せますから、寧々先輩は空閑先輩の看病をしてください」
とりあえず湧いてきた疑問は隅に置いて、ワタシと因幡さんは部活よりも空閑君の方を気にかけて欲しいという旨を伝える。それを受けた綾地さんは、空閑君に言われたからか少し悩む素振りを見せたけど、少しの間を置いてから首を縦に振ってくれた。
「そうだ!」
それから、少ししんみりとした空気の中でそれぞれ昼食を食べていると、もう食べ終わっていた因幡さんが大きな声を上げながらその場で立ち上がる。
「どうしたの、因幡さん?」
「明日は土曜日ですし、保科センパイも誘って皆で空閑先輩のお見舞いに行きませんか?」
驚いて固まる綾地さんの代わりにワタシが因幡さんに続きを促すと、彼女は少しキラキラした瞳をこっちに向けながら、拳を握って力説し始めた。やっぱり、因幡さんはいつも元気だなぁ。
「空閑先輩にはいつもお世話になってますし、やっぱりそういう恩はちゃんと返しておきたいと言いますか何と言いますか」
確かに、まだ空閑君とは知り合って数日の中だけど、それでも色々と学院生活の中でサポートしてもらってる身としては、そういう考えには賛成かもしれない。それに、空閑君と綾地さんには魔女としても大きい感謝の念があるので、お見舞いすることで空閑君が楽になるなら因幡さんの案にワタシも乗るつもりだ。
「空閑君のところにはお邪魔しても大丈夫そう?」
「そう、ですね…………。皆さんがお見舞いに来て下さるなら、天都君も気が和らぐかもしれませんね」
そういうわけで、お見舞いに行った結果余計に体調が悪化しましたとはならないように、一番状況を把握している綾地さんに一応の許可を求めると、彼女は数瞬考えた後にその提案を受け入れてくれた。その返答に少しだけワタシの気持ちも舞い上がったような気もする。
……気になる男の子の家に上げてもらえるからというわけじゃないよ? それに、空閑君には綾地さんっていうお似合いの彼女さんがいるわけだし……って、誰に言い訳してるんだろう、ワタシ……。
「それじゃあ、何かお見舞いの品を持って行きますね。あっ、でも寧々先輩は空閑先輩の看病から離れられないですし、そうなると空閑先輩のお家は……」
「それなら、保科君が場所を知ってますよ」
「分かりました! センパイは引っ張ってでも連れていきます!」
ブンブンと頭を振って邪な考えを追い払ってるうちに話は進んでいたようで、オカ研の皆で空閑君の家に行くことは決定事項となっているようだった。
ごめんね保科君……。でも、空閑君と保科君は仲の良い友人だって聞くし、事後承諾でも大丈夫かな……?
「ただいま……」
結局、私は二日連続で部活を休んで天都君の家に帰ってきました。恋人の家に直帰するのが本当に同棲しているみたいでドキドキしますが、今はそれよりもやらないといけないことがあります。
「天都君……」
無意識の内に恋人の名前を呼びながら、荷物を抱えたまま真っすぐに寝室へ向かうと、そこには今朝の宣言通り、就寝中の彼の姿がありました。その寝顔は安らかとはとても言えないようなもので、その事実が私の胸を締め付けます。
そして、部屋の様子が家を出る前と全く変わっていないことを確認した後、私は荷物を置いてから天都君のおでこに自身の手を乗せました。手のひらから伝わってくる体温はいつもの彼のものと変わらず、けれど、天都君の身体を蝕む苦痛は尋常なものではないと、彼の顔色を見ると一目瞭然です。もしかすると、悪夢を見ているのかもしれません。体調が悪いときはそういうものを見やすいとも聞きますし……。
「……ないで…………」
小さく、聞き取れない声量で天都君が何事かを呟いて、私は俯けていた顔を彼の方に向けます。
「お父さん……お母さん……行かないで…………」
二回目の小さな寝言は静寂に包まれる室内でも私に伝わってきて、そして、それを聞いた瞬間、私は考えるよりも先に、制服が皺になることも厭わずに布団の中に潜り込んで天都君を抱きしめていました。
彼が見ているのは、恐らく既に記憶にも残っていないという彼が両親に捨てられた時の夢。その悪夢が天都君を苦しめているというのであれば、私が今できることはこれぐらいしか思いつきません。これで少しでも治まるなら……。
「ん……」
そんなことを考えながら天都君の頭を抱いている私を、彼は小さく喘ぎながら、ゆっくりと私を抱き返してきました。少しだけ苦しむような様子も薄れて、縋りつく様に私の背中に腕を回す天都君は、何処となく幼子が親に甘えるそれと同じ様に思える気がしてきます。
「よしよし……」
そして、天都君が泣いている私にしてくれる事と同じ様に、私は天都君を抱きながら慈しむ様に頭を撫でました。それを受けた天都君の腕の力が強まって、思わずあえ……んんっ! 声が漏れそうになりますが、私はそれを堪えて撫で続けます。
そうしている内に徐々に天都君の力も抜けてきて、寝息も帰ってきた時よりも安らかなものへと変化していきました。……授業もろくに集中できず、結局部活も休んでしまったので、やっぱり今日は学校を休んで一日こうしていた方が良かったかもしれないと思わないでもなかったですが、一先ず天都君が楽になってくれたようで良かったです。
「寧々……」
「ふふっ……天都君、今あなたはどんな夢を見ているのでしょう……」
見ている夢の内容が変わったのか、天都君は甘えるような声で私を呼んできました。
いつもは見せない天都君の様子を見れた事と、私の名前を寝言で呼んでくれた事実に自然と口角が上がっていきます。少々不謹慎なような気がしますが、せめて、天都君が起きるまでは、天都君が安心して眠っていられるようにこうしていましょうか。そう思いながら、私は腕だけでなく全身を使って天都君を抱きしめます。
それから、二時間後に天都君が目覚めるまで、私は片時も離れることなく彼の側に寄り添い続けました。心配だけど、とても幸せな気持ち。そんな不思議な感覚に包まれていた時間でしたが、天都君自身でさえ知ることのない彼の弱みを見たことで、私の天都君への想いが強まったことは確かだと思います。
紬ちゃんの心の声ってこれで違和感ないだろうか。