八一か桂香が家に居る時、鋼介は良き師匠として銀子に接している。才能を可能な限り伸ばしてやりたいという親心から指導にも熱が入る。
もちろん、それだけが理由ではない。銀子以外の二人の目がある状況では彼女に手が出せなかった。逸る性欲を抑える代償行為として指導に集中している。
八一と銀子の対局結果を研究することもあれば、鋼介と対局することもある。一局が終わると感想戦を行うので、日に数局するのが限界だ。
場数をこなすのは道場に任せている。本能的な一手というのは感覚を磨くことでしか手に入らない。そして、それは明らかな上手である自分との対局では身に付きにくい。実力の近い相手と膝を突き合わせるのが一番だ。銀子も対局相手をとっかえひっかえしている。人見知りが抜けた代わりにいつも険しい顔をしていたが。
「行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
時間の前後はあるものの、清滝家で一番早く出掛けるのは桂香だ。それを八一は毎朝それを見送っていた。
玄関を開けると暖かい風が吹く。春も半ばを過ぎた五月の朝、大型連休明けの登校日だ。
「八一、お前もはよ準備しや」
いつまでも玄関で立ち尽くす八一を鋼介は急かす。桂香の姿は既にある筈はないので、八一の行為に意味はないと判断したのだ。あえて理由を付けるなら時間潰しといったところか。
まだ集団登校の集合場所に行く時間に余裕はあるが、何事も時間前行動が大事だ。
鋼介は自分の事を棚に上げてそんなことを考えていた。
力なく返事をした八一は自分の部屋に戻る。
「まったく、せやから銀子のこと見習えっていつも言うとるのに。なあ、銀子?」
鋼介は顔を上げて、目の前で足を伸ばして座る少女をみる。内弟子の一人である空 銀子は自分の爪先に向いていた視線をほんの少し上げた。こちらはしっかりと前日から準備を完了しており、脇にはランドセルが置かれている。
「よし、それじゃあ反対の足出しや」
鋼介は掴んでいた右足を解放し、今度は左脚を催促する。銀子が要望通りに脚を差し出すと、指先に爪切りを合わせた。
パチンッと音を立てる。切り離れた爪をゴミ箱に捨てて、次の指に移る。よくある朝の一幕だ。
四月から銀子も小学一年生となり、八一と一緒に学校へ通うようになった。鋼介は体力不足を心配したが、杞憂だったようだ。八一から特に何の報告もない。
「今日、体育ないんなら夜でもよかったかもな」
爪を捨てながら鋼介は、ランドセルのフックに体操服を入れた袋がないことを確認しながら呟く。準備を済ませているので時間はあるものの、平日の朝にわざわざ時間を取る必要はないなと思ったのだ。
「別にいい。暇だし」
素っ気なく銀子は答える。集団登校で一人だけ早く登校することはできないので、彼女の言い分も尤もだ。
家を出るまで三十分近く余裕がある。八一はバタバタと家の中を右往左往している。銀子のように昨日のうちに準備をしておけばこんなことにはならなかったのだろうが、今更である。
これもよくある朝の一幕だ。結局は間に合っているので、鋼介も特に注意はしない。
爪を切り終えた右足を解放する。
銀子は切り口を手でなぞり尖っていないかを確認する。
なだらかな弓形になっていると納得したのか、銀子は靴下を手に取り、膝を立てる。
「ピンクか」
当たり前のようにスカートを捲ってショーツの色を口にする鋼介。それを無視するように銀子は靴下を穿いた方の膝を伸ばし、反対の膝を立てる。
彼女が下着が見えないように気を付けながら靴下を穿いていることは鋼介も十分理解している。どれが鋼介の情欲を掻き立てるスイッチになるかわからないようで、賢い彼女は下着を見せることを避けている。
その仕草がかえって食指を大いに刺激する。隠そうと懸命になるほどに暴きたくなるのが男心だ。
ショーツの股の部分を横に引き、割れ目を眺める。銀子は何でもないようにしているが、靴下を持つ手が止める。これからされることを解っているのか、足を開いて寝そべる。
いつもは夜にしか手を出していないので戸惑っているようだ。しかも、今日は八一がいつここに来るかわからない。銀子は首をわずかにもたげて入口を見下ろす。そして、それを促すように鋼介に視線を移す。
今は止めてと訴えるよう目をしながら。
願いが通じたのか、鋼介の手が股から離れた。が、今度はショーツの腰部分に手を伸ばす。
「ダメッ」
反射的に鋼介の手を掴みショーツが下ろされるのを阻止した銀子。
「八一が来ちゃう」
だからこれ以上は止めてと言いたいのだろう。鋼介もそろそろ潮時と思っていたので異論はない。だが、ここで終わらせるつもりはなかった。
「まあええわ。銀子、今日はパンツ穿かずに学校行ってみよか?」
「え?」
感情のこもらない声が返ってくる。
「今日体育ないなら人前で服脱ぐことないやろ」
問題ない理由を説明するが、銀子の表情は固い。そこで鋼介は何故ノーパンで行かせようとしているのか理由を言っていないことに気付く。
「人見知りを克服するための特訓や。緊張して気疲れしたら、肩の力が無理矢理にでも抜けるやろ? そしたら人の目があっても少しはリラックス出来ると思うんやけど、銀子はどう思う?」
数秒思案した銀子は鋼介の手を放した。
「大丈夫?」
最後尾を歩く上級生の女子生徒が心配そうに銀子に話し掛ける。銀子は頷いて肯定する。
集団の列が縦に長く伸びている。距離にして五十メートルはあるだろう。だからなのか、女子生徒は急かすような言葉は口にしないが、斜め後ろから無言の圧力を加える。
もちろん銀子にもそれは伝わっている。だが、彼女は出来るだけ集団の中に居たくなかった。
(スースーする)
吹き上げてスカートの中に入ってくる風に心がざわつく。普段ショーツで隠されている場所が全くの無防備だというのが落ち着かない。
銀子は鋼介の言い分が詭弁だと解っている。集団にすら混じれなくなっている状況でどうやって人見知りが治せるというのか。
住宅街を出て、片側三車線の交差点に出る。横断歩道の前で立ち止まり、信号が変わるのを待つ。
通勤時間の車道は車の通行量も相応に多い。大阪という日本有数の大都市ならばなおさらだ。普通車の他にもトラックやダンプといった大型車も走っている。
(もっとゆっくり走ってよ)
大型車が走り抜ける度にスカートがはためく。それだけではなく、排気ガスの風が吹き上がってくる度に、下着を身に着けていないという事実に憂鬱になっていく。いつバレるか心配で仕方がなかった。
離れていた集団に信号待ちのせいで追い付いてしまう。後ろの女子生徒はほっとしているが、銀子にしてみれば舌打ちしたい気持ちだった。
わざと遅く歩いて距離を取っていたのは下着を履いていないと悟られないためだ。効果があるかは謎だが、離れているという事実は気持ちをほんの少しだけ落ち着かせてくれていた。
銀子の周りに上級生が並ぶ。各々が心配で口にしているが銀子からすれば放っておいてと言いたかった。しかし、一年生を放置するような薄情な人間はおらず、残りの道を手を繋いで登校することになった。
横断歩道の向こうでは八一が同級生とじゃれあっている。その能天気な様子に銀子は腹を立てる。
同じ弟子なのに扱いが違い過ぎる。
信号が青に変わる。
横断歩道を渡った銀子は八一の頭をはたいた。
「おはよう」
教室に入った銀子に女子生徒の一人が挨拶した。連休明けの教室は家族と出掛けた話や、連休中の自慢めいた思い出話で湧き立っている。入学してから初めての連休明けでテンションが迷子になっている。
入学早々にぽっちになった銀子に声を掛けてきたのがいい例だ。
「おはよう」
挨拶を返されたのが意外だったのか、女子生徒は自分の所属するグループに混じり何か話している。
銀子にとってそれはどうでもよかったが、仲良く話せる友達というのは少したけうらやまやしかった。
幼稚園に通わなかった銀子は友達の作り方が解らなかった。
いや、正確に言うならコミュニケーションを怠っていた。初対面の相手にいつも通り人見知りをしていたのだが、気が付けば女子の中にグループが出来ていた。
最初、銀子は大して気にしてはいなかった。元から自分から話すタイプではなかったし、放課後は道場に行くので時間をもて余すことはなかった。むしろ彼女の中には友達と遊ぶという発想がなかった。八一がたまに将棋よりも遊びを優先していたが、彼女には理解出来なかった。
教材を机の中に入れる。四時間授業なので他の日よりも量は少ない。
ランドセルを後ろのロッカーにしまう。
始業のチャイムが鳴るまでは十分近くある。銀子は時間を潰そうと机に突っ伏した。お尻に椅子の感触がいつもよりはっきり伝わる。
しかし、それもままならない。
男子生徒の一人が銀子の足元に消しゴムを落とした。これは男子の中だけで流行っている遊びで、拾うついでに下着を覗こうというなんとも稚拙な行為だ。
ちなみに、銀子が標的になったのは今回が初めてだ。以前やろうとした男子を睨んでから彼女を避けている。今回は休み明けの空気のせいで気が大きくなっているみたいだ。彼の後ろで数人がたむろして行方を見ている。
「消しゴム消しゴム」
いつもやっているように正面から机の下に潜り込む。この遊びを知っている女子は拾ってくれるか、足を揃えてガードする。
銀子の場合は、
バンッ
消しゴムの隣、手のすぐ近くを踏みつけた。呆然と見上げてくる男子と目が合い、憐憫な視線を向ける。ゴミを見る目だ。
たじろいた男子は俯いたまま這って後退していく。消しゴムの回収には成功していたが、銀子にちょっかいを出すのは二度としないと自分に誓う。たむろしていた男子に慰められている。
ようやく始業のチャイムが鳴って、生徒が席に着いたことで銀子は肩の力を抜くことができた。