※この作品はR-18です。

Familiar Phobia~倒錯のすゝめ~   作:友井架月

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初めましての方は初めまして。
東方淫蕩録を読まれた方は引き続きよろしくお願いします。

今回は自分の趣味全開のオリジナル作品になります。
かなり癖の強い物語になりますが、興味を持たれた方はぜひお付き合いください。

それから、当シリーズでは毎回ではございませんが挿絵が入ります。
キャラデザ・挿絵担当は相方の紅葉みかんちゃんです。
そちらも含めてお楽しみください。


第一章 悪魔の証明
第一話 魔が差した夜


 助けてください。家族の中に、悪魔がひとり棲んでいます。

 

 ◇悪魔が来りて

 

「お兄ちゃん、どうしたの? リンゴみたいに顔が真っ赤だよ。息も荒いし、風邪でも引いてるのかな? ちょっとそこを動かないでね。僕が見てあげるから」

 そう言って、奴はニヤリと意味深な微笑を浮かべてこちらに歩み寄ってくる。まるで獲物が罠にまんまとかかったのを喜んでいるかのような表情だ。それならさしずめ、自分は狼に捕らえられた哀れな子豚といったところだろうか。童話の中での子豚は、襲い掛かってくる狼を知恵と勇気で撃退することもある。それでは、現実の自分は忍び寄る魔の手から己を守ることができるのだろうか。

「あれ、熱はないようだね、良かった。お兄ちゃんが風邪を引いたら、一緒に住んでる僕にうつっちゃうかもしれないからね。健康には気をつけなよ……ところで、おかしいな。お兄ちゃんの別の場所が熱くなっているよ」

 いや、奴が狼だったならまだマシなほうだ。人語を話しヒトに化ける人狼ならば危険だが、そうでないなら所詮はケモノ。餌さえ与えていればおとなしくなるだろう。奴は決して獣ではない。さりとて、まともな人間であるはずがない。あんなにもおぞましいヒトがいるはずがない。ましてや、ソレが自分の弟であるなど冗談にもならないおとぎ話だ。そうだ、これは悪い夢だ。頼むから、夢なら早く覚めてくれ。

「あれれ~、お兄ちゃんの股間が膨らんでいるね。まぁそれ自体は男の子だし仕方がないよ。生理現象だものね。勃起しているのを見られたからって、恥ずかしがる必要はないよ。僕たちは兄弟じゃないか」

 奴の姿形は人間によく似ていた。だが、薄皮一枚剥いだ先には悪魔の素顔が隠されている。端正な容姿で人を惹きつけ、甘い言葉で誘惑するのだ。奴にとっては、人間など言葉で簡単に操れるので動物よりも扱いが楽なのだろう。実際、奴に話しかけられ股間が更に固くなる。感情とは裏腹に肉体は憎たらしいほど正直なのか、危機的状況になればなるほど本能が欲望に傾いていく。

 悪魔が誘う、人の道を踏み外した倒錯的な遊びへと。

「お兄ちゃんは何が原因で興奮しているのかな。妄想? 部屋に隠しているエッチな本かな? もしかして、大学の先輩でも想像したのかな? それともまさか……」

 やめてくれ。お願いだからそれ以上は言わないでくれ。その先を言われると、自分の中の大切な何かが崩れ去ってしまう気がするんだ。それは兄のプライドか、人としての尊厳か、それとももっと根源的な生物としての本能なのか。

 どちらにしろ吹けば飛ぶような軽い信念など、奴の前では塵芥も同然だろう。なぜなら奴は人間ではないのだから。悪魔なのだから、ヒトの心など容易く掴み握りつぶすことができる。あぁ、そうだ、自分はとっくの昔から奴に屈していたのだ。

「……お兄ちゃんは、弟で欲情するような変態さんじゃないよね?」

 奴の手がこちらの股間に伸びる。侮蔑するような、低俗なものを見る蔑んだ視線ながら、心の底から楽しそうに嗤っていた。これから始まる淫らな行為を想像し、愉悦に浸っているのだろう。悪魔はサディスティックな笑みを浮かべながら、兄の怒張に優しく触れた。ソコがガチガチに硬くなっているのを確認すると、奴は喜悦を顔に滲ませ言うのだった。

「お兄ちゃんのおちんちん、硬いままだね。……やっぱり僕に興奮していたんだね、変態のお兄ちゃん」

 その瞬間に運命は決した。奴の玩具になる傀儡としての人生が。元より、遅かれ早かれこうなることは確定していたのだろう。悪魔に目をつけられた時点で逃げ場などどこにもなかったのだ。後は坂道を転がり落ちるように奈落へと突き進むだけだった。

 悪魔の指し示す方向には、一体何が待ち受けているのだろうか。進んだ先に何が待っているかを知る術は、無力な自分には何もなかった。

 

 ◇上辺だけの団欒

 

 神や仏は信じちゃいないが、悪魔の存在だけは幼い頃から信じていた。奴らは人の心を誑かし、悪の道へと巧妙に誘い込もうとする。あの手この手でヒトの弱みに付け込み、懐柔し、堕落させ、人の道を踏み外させるのだ。か弱き人間たちは、悪魔から差し出される誘惑に耐える術がない。ヒトは良くも悪くも欲望に弱い生き物だ。脳まで溶ける甘い蜜は、人間の精神を侵し感覚を麻痺させる。背徳への抵抗をなくした者が進む先には、大きな大きな奈落が待っている。落ちれば二度を這い上がってはこれない、欲にまみれた狂気の世界へと……。

 

「聞いてくれ優馬(ゆうま)。お父さん、今日の会社でこんなことがあったんだ」

 古神(ふるがみ)家の夕飯は、基本的に一家全員でとる決まりになっている。家庭の大黒柱である父親が夜七時前に帰ってくるので、彼の帰宅が夕食の合図になっているのだ。その時間になると家族はダイニングに集合し、食事をしながらその日あった出来事を報告するのが日課だった。和やかな夕餉は家族の絆を再確認する重要な儀式のようなものだ。一日の疲れを払拭し、また明日から頑張るためのささやかな幸福の時間……何も知らない他人から見れば、この団欒はそう映るかもしれない。

 しかし、古神家の長男である一真(かずま)にとっては、家族との夕飯は苦痛以外の何物でもなかった。家族と顔を合わせるだけでも億劫なのに、一緒に食事して時には会話もしなければならないのだ。あの耳障りな会話を聞かなければならないと思うだけで、頭がおかしくなってしまいそうだった。ただそれは一真が不良だからではなく、遅めの反抗期だからというわけでも決してない。彼の苛立ちの原因は、もっと別のところに存在した。

「今日課長がプロジェクトの成功を、まるで自分ひとりの功績であるかのように自慢していたんだ。それはチーム全員の努力の結果であり、何より私の意見が大きな影響を与えているのにも関わらずな。課長の自慢話を聞いて、他の皆は呆れ返っていたよ。結果的に仕事の成功で給料が上がるのはチームリーダーの課長だけだから尚更、皆の不満は大きいはずだ。私も正直、仕事がうまくいった喜びよりも、上司に対する憤りのほうが大きいかな」

 一真の父は、家族に仕事の不満を赤裸々に語っていた。誰かに鬱憤を漏らしたいという気持ちは分からなくはないが、仕事の愚痴を延々聞かされるこっちの身にもなってほしい。なぜ夕飯の席で暗い話を聞かなければならんのだ。景気の悪い話を強制的に聞かされ、飯がマズくなるではないか。

 とは言え、父は一真に話をしているわけではない。彼の本当の話相手は、弟の優馬であった。

「それでもお父さんは課長への不満をぐっと堪えて、職場では文句のひとつも言わなかったんだよね。社会人は本音と建前を使い分けるものだけど、その点で言えばお父さんのほうが大人だったようだね。悔しいのはわかるけど、そう気を落とさないで。お父さんの頑張りは、僕がちゃんと見ているから」

 古神家次男である優馬は、今年の春から小学五年生になった十歳の少年である。毎朝ランドセルを背負って登校している義務教育すら終わっていない弟が、父親の愚痴を親身になって聞いていた。それもただ話し相手になっているだけでなく、どこか悠然とした大人の風格すら感じさせる態度で父を慰めているではないか。これではどちらが親でどちらが子供かわからない。優馬の言葉を聞き、父は心の重荷が下りたのか、スッキリとした安らかな表情をしていた。

「ありがとう、優馬。お前の労いの言葉があるからお父さんは頑張れるんだ。……そうだ、今度の日曜日に社長との接待ゴルフがあるんだが、優馬も参加してみないか? ぜひ社長にお前のことを紹介したいんだ。私の自慢の息子だってな、はははっ!」

 すっかり元気を取り戻した一家の大黒柱は、そんな社交辞令めいた冗談を口にした。社長の接待に息子を連れて行く親ばかなど、早々いるものではない。しかし父親は嘘や冗談ではなく本気の瞳をしていた。

 というのも、先程誇らしげに自分の意見でプロジェクトが成功したと言っていたが……実のところ、要となる助言をしたのはここにいる優馬だった。彼のアドバイス通りに仕事を進めたら、プロジェクトの問題点があっという間に解消され成功へと繋がったのだ。これはウソのような本当の話である。父が息子に頭が上がらないのは、そのことに起因するのが大きい。最も、優馬が父の仕事に口をだすのはこれが初めてではない。

 父は事あるごとに優馬から助言をもらい、彼の指示通りに行動してきた。その度に物事が良い方向に進むわけだから、息子を信奉したくなるのも当然だろう。いつしか父は優馬の傀儡となり、彼が望むままに動く信者となっていた。古神家の大黒柱というのは名ばかりで、本当の家主は裏で糸を引く次男坊に他ならなかった。

 これだけでも優馬の恐ろしさを理解できるが、話はそれで終わらない。彼の信奉者は父の他にもうひとり、この場に存在するのだ。

「あらあら、お父さん。優馬を独り占めしたらいけませんよ。優馬は次の日曜日にお母さんとショッピングに出かけて、その後ご近所の奥様方とディナーを楽しむんだから。そうでしょう、優馬?」

 父と息子の会話に、母が割り込んできた。彼女は権力者に媚びへつらうような声音で優馬に擦り寄ってきたのだ。それは息子を溺愛する母親……と言うには、どこか違和感を抱く表情だった。まるで彼のことを畏怖しつつも、その恩恵に預かりたくて必死にゴマをすっているかのような……そんな見るに堪えない顔だった。そんな母親の痛ましい姿など見たくなかった。一真が両親の顔を見ないように食事を続けていても、悲惨な会話は否が応でも耳に入ってくる。

「ほら、前に欲しがっていた服を買ってあげるから、お母さんと一緒にいきましょうよ。他の奥様方だって、貴方に会いたがっていたわよ」

「おいおい、私が先に話をしてたんだから、こっちが先決だろう。優馬、欲しいものがあるならお父さんがなんでも買ってやるぞ。それにうちの社長だってお前に会いたがっている。だから、日曜日はお父さんと……」

 なんて親としての威厳も何もない会話だろうか。二人して、小学生の息子のご機嫌を取ろうと必死になっているのだ。ここまでくると、呆れを通り越して滑稽に見えてくる。素人が作った笑えない三文喜劇を見せられているような、不愉快な嘆息しか出てこない。

 これが現在の古神家の惨状。日常的に繰り広げられている晩御飯の光景である。こんなものを毎日見せられては、気分も滅入るというものだ。夕飯がただ栄養を摂取するだけの苦痛の時間になったのはいつからだろう。家族団欒の輪からひとり外れる一真は、黙々と食事を続けるしかこの地獄から解放される手段はなかった。

「まぁまぁ二人とも、おちついておちついて。二人のお誘いは本当に嬉しいんだけど、日曜日はあいにく用事があってダメなんだ。埋め合わせは次の機会に必ずするから、今回はごめんなさい」

「いやいや、優馬が謝る必要はないんだ。お父さんたちが全面的に悪い。お前の予定も聞かず勝手に話を進めた私が悪かったんだ。どうかお父さんを許してくれ」

「そうよ、優馬は何も悪くないわ。だからそんな悲しそうな顔をしないで。ショッピングならいつでもできるから、どうかお母さんたちのことを嫌いにならないでね」

 このくだらない茶番はいつになったら終わるのだろうか。息子に許しを請おうと縋りつく愚かな両親と、それを悪魔の微笑で受け入れる優馬。カルト教団の教祖のように両親の心を掴んでいる弟に怖気が走る。彼は本当に小学五年生なのだろうか。得体の知れない存在が横に座っていると思うだけで、胃内容物が逆流してきそうな気持ち悪さに襲われる。

 もはや食事すら喉を通らない状態だった。一真はこみ上げてくる吐き気に耐えられなくなり、夕飯を中断して立ち上がる。

「ごちそうさま……」

 そして一真は、そのまま逃げるようにダイニングから去っていく。この間、両親は長男のことを一瞥すらしなかった。次男の優馬のことしか眼中にないのだろう。弟との会話に夢中になっている両親を尻目に、一真は自分の部屋に逃げ帰る。この苦痛を、あと何度味わえばいいのだろうか。

 これが古神一真のいつもの日常。弟に心酔する両親と、実質的に古神家を支配する古神優馬の立ち位置だった。

 

 ◇古神優馬

 

 古神優馬の異常性に気づいたのは、一体いつの頃からだったろうか。

 優馬が産まれた時、一真は八歳の小学生だった。流石に当時は今のような不気味さのない、至って普通の赤ん坊だったように思う。ただ赤ちゃんにしては泣くことの少ない、おとなしい子だったようだ。子供の頃、母親が『一真はよく夜中に泣いてお母さんを起こしたものだけど、優馬は泣かないから世話しやすくて助かるわぁ』と言っていたのを今でも覚えている。その時はなんとなく母に腹が立ったものの、今にして思えば、当時から優馬は優馬だったのかもしれない。

 幼稚園に通っていた頃の優馬は、端的に言えば喜怒哀楽の少ない感情表現の乏しい子供だった。一真は当時の優馬が泣いているところはもちろん、笑っているところも喜んでいるところも見たことはなかった。父が彼のために玩具のロボットやらブロックやらを買い与えていたが、優馬がそれで楽しそうに遊んでいた記憶がまるでない。わざわざ買ってもらったのだからと義務的に遊んで、すぐに興味を失って触りもしなくなる。弟は物心ついたときから子供っぽくない子供だった。

 その時からすでに、優馬の価値観と周囲の認識はズレ始めていたのかもしれない。

 ある日、優馬が居間で新聞を読む父をじっと見つめていたことがある。彼の視線に気づいた父が冗談半分で『優馬は新聞が読めるのかい? はは、まさかな。お父さんがお前くらいのときは、絵本を母さんに読んでもらったものだ。今は児童教育が進んでいるから、園児の時から読み書きを覚えるのが普通なんだろうな』と笑っていたものだ。

 その頃優馬は母からひらがなの読み書きを教わっていたのだが、弟はこれをあっという間に覚えていった。幼児は物覚えが早いとはよく言われるが、優馬の場合は少し違って見えた。あたかも最初からひらがなを全て覚えていたかのような……そんな覚えの早さだった。

 小学校に入学するまでの二年あまり、毎朝通勤する前に新聞を読む父の隣が、優馬の指定席となっていた。父は別に新聞の内容を優馬に読み聞かせていたわけではない。ただ息子が自発的に父のところへ行き、一緒になって新聞を眺めていたのだ。当然、ひらがなだけならともかく漢字は教えられていないので、書いてある内容を彼が読めるはずはない。……はずはないのだが、今にして思えば、当時から彼は漢字も読めていたように思えてならないのだ。なんの根拠もないし妄想と馬鹿にされるかもしれないが、古神優馬という怪物なら可能だと、心のどこかで信じている。

 義務教育の始まり、ここからが古神優馬の本領発揮だった。

 始めの数ヶ月、優馬は比較的おとなしい普通の優等生だった。わんぱく盛りの男子が多い中で、彼のような存在は教師にとってもありがたかっただろう。弟は真面目に授業を受け、テストは常に満点だった。

 彼の才能は座学だけではない。走ればクラス一の俊足であり、歌わせれば誰もが聞き入る美声であった。まさに才色兼備という言葉が似つかわしい神童に他ならなかった。

 あまりに度を越した才能、あまりに卓越した天才児。最初は彼のことをもてはやしていた教師も、次第に優馬の存在を重荷に感じ始めていた。しかしそれも無理からぬことである。小学一年生の子供の集団に、ひとりだけ大人が混ざっているようなものなのだ。彼はいつも完璧で、教えるという行為が無意味に思えてくるのだ。彼はあんなにも完成されているのに、一体何を教えることがあるというのか。担任教師は次第に病んでいく。優馬がクラスでの地位を確立していくのと反対に、教師の精神は段々と淀んでいった。

 そんな生活が半年ほど続いたある日、担任教師の心に魔が差した。彼女はあろうことか、テストのときに優馬の問題用紙だけ二年生の問題にすり替えたのだ。きっと嫌がらせのつもりだったのだろう。その気持ちはわからなくはないが、なんとも教育者として情けない行為ではある。彼が少しでも戸惑う姿を見られれば……そんな浅はかな愚行が、彼女を破滅へ導く引き金となったのだ。

 優馬はなんの問題もなく満点を取った。彼ほどの神童なら、二年生の問題など簡単すぎただろうか。ここでやめておけばいいものを、教師はめげることなく次のテストで三年生の問題を彼に渡した。優馬は表情すら変えることなく百点を取った。教師は四年生の問題を優馬に出した。彼はまたしても満点を取った。教師は五年生の、六年生の……そしてとうとう、中学生の問題を優馬に出した。彼は教師を挑発するように満点を取った。この時点で彼女の精神はボロボロであり、自分が大人で彼が子供であるという事実に縋るしか彼女に救いはなかった。そのたった一本の救いの糸さえ、最後には無残に断ち切れてしまうというのに。

 テストの学年は上がり続け、ついには高校生の問題に突入した。それでも優馬の勢いは止まることを知らず、ある冬の日、高校三年生の問題を出したときにその事件は起こった。

 テストが終わり返ってきた答案用紙に、問題とは全然関係ない答えが書いてあったのだ。教師は最初のうちはようやく間違えたかとほっと胸を撫で下ろしていたのだが、その回答をよくよく見ると見覚えがあることに気づく。それは忘れもしない、彼女が大学受験のときに受けた試験の問題だったのだ。当時、彼女は数学の出来が散々で、それが原因で志望の大学に落ちてしまう。その後彼女は浪人するのだが、これはその時のトラウマにもなっている問題だった。自分が高校三年生のときに解けなかった問題を、小学一年生の優馬は当てつけのように書いてみせたのだ。

 なぜこの問いをあの子が知っている。こんなことを知っているのは世界でも自分だけなのに。担任教師は心の古傷を抉られ、先生として大人としての威厳も何もかも、七歳の少年に完全敗北してしまったのだ。

 その後優馬のクラスの担任は、年度が切り替わると同時に教師を辞職した。彼女が何を思い、先生という職を降りたのかは誰も知らない。ただひとつ、この件から古神優馬のことを語るならば、決して彼のことを敵に回してはいけないということだろうか。彼を子供と侮るなかれ。優馬が小学二年生に上がる頃には、学校はおろか家庭内でも、彼は絶対的な地位に君臨していたのだから。

 優馬は何事にも優秀なだけではなく、非常に社交的で話術に長けた少年だった。世間に知られざる担任教師の悲劇はともかくとして、友好的に接してくる者に対しては、彼は聖母のような慈愛を持って接していた。最も多感な時期の少年少女にとって、彼の言葉は甘すぎる毒だった。優馬の存在はクラスの人気者という枠を超え、一種のカルト教団のような様相を呈していたのだ。彼に嫌われることとは、すなわち教室からの排除にほかならない。クラスの誰も彼もが、優馬に気に入られようと必死になった。それがある種の秩序となって、彼の教室はイジメのひとつもない平和な学校生活を送ることができた。

 優馬の影響力は次第に学校中を侵していき、ついには校長でさえも彼の顔色を窺うようになっていった。果たして優馬はどのような手段で校長の弱みを握ったのか。そのことについては知らないほうが身のためであろう。過ぎたる欲は身を滅ぼす。それでは、優馬を突き動かす欲求とは、一体如何なるものなのだろうか。

 そんな恐ろしいほど順風満帆な優馬の学校生活に転機が訪れたのは、彼が小学四年生に上る直前のことであった。

 古神優馬の才能は、ありふれた市立小学校の手に余る。そう判断した学校側は、彼の両親に市内の有名私立学校への転入を提案した。しかも本来ならば編入試験を受け高額の学費を払わなければ入れないところを、試験免除の校長推薦と制服や教材、学費の一部負担というとんでもない高待遇で優馬を追い出そうとしたのだ。あからさまな厄介払いだったが、両親は息子との話し合いの末、優馬はこれを承諾した。自ら築いてきた学校での地位に飽きていたのか、あるいは新しいオモチャを見つけて興味を持ったのか。その時の彼の本心はわからない。いや、そもそも彼に人並みの感情があったのかどうなのか。優馬の心情を推し量る術は、我々凡人にはないのかもしれない。

 兎にも角にも、優馬は小学四年生から市内にある有名私立小学校に転入したのだった。そこでの彼の立ち位置はというと……あえて語らずとも結果はお分かりだろう。

 これは余談だが、優馬が去ったあとの学校は果たしてどうなったのか。後日、父が新聞を広げて溜息を付いていたことがある。新聞にはとある小学校の記事が載っていたのだが、校長の汚職発覚、生徒のイジメを苦にした自殺等、聞き覚えのある学校の惨状が書かれていた。これは優馬を無理やり追い出した天罰なのかどうなのか……真相を知る者は誰もいない。

 そして現在、この春から古神優馬は小学五年生になった。彼は相も変わらず度を越した才覚を奮っており、学校でも家庭でも絶対的な地位に君臨していた。彼が何を欲し何を求めているのか。優馬の心の内を理解している者は、家族を含め誰もいなかった。そう、古神一真が禁断の扉を開くまでは。

 そんな四月のとある日曜日、物語は大きく動き出す。古神家の父が社長のゴルフ接待に出かけ、母が近所の奥様方とディナー会を開いていたその日の夜。古神一真は、弟の新たな一面を垣間見ることになる。

 

 ◇その夜

 

「ただいま……」

 とある日曜日の夜、一真はいつもより遅い七時過ぎに帰宅した。普段なら家族全員で夕飯を取る時間だが、今日は両親ともに出かけているためこの時間まで遊んでいたのだ。

 ちなみに、古神一真はこの春から市内の大学に通う大学生である。本当は都内の大学に進学し一人暮らしを始めたかったのだが、両親に『自宅から通える範囲の大学じゃないと学費を出さない』と言われてしまったため、渋々近所の大学に通うことと相成った。そこは地元の人間しか入らないような、とりあえず大卒資格を手に入れたい人向けの偏差値の低い大学だった。その代わり、地域密着を掲げているだけあって、地元企業への就職率はそこそこ高い。都会への憧れや明確な希望進路などない、地元に就職して生活したい人にはうってつけの大学だろう。

 しかし、少しでも早くこの家を出て家族から解放されたい一真にとっては、牢獄のような四年間である。親しい友人が同じ大学に通っていなければ、今頃発狂していたかもしれない。

 持つべきものは厄介な家族よりも、信頼のおける友人だな。そう思いながら一真は冷蔵庫を開け、飲みかけの炭酸飲料を手に取った。食事は外で済ませてきたので、後は適当にくつろぐだけだ。彼はリビングのソファに座り、テレビのスイッチを入れる。ろくな番組はなかったが、暇つぶしにはなるだろう。一真が飲み物をちびちびと飲みながら携帯をいじっていたときだった。

「ただいまー」

 弟の優馬が帰ってきた。優等生のアイツが、こんな時間まで遊んでいるのは珍しい。今まで何をしていたのか気になったものの、わざわざ問いただすのは面倒だ。何より、ヤツと会話することすら鬱陶しい。一真は優馬の挨拶を無視してテレビを見ていた。

「……あっ、もしもし昴くん。今日はありがとねー。隣町のことは僕もよく知らなかったから、案内してもらって助かったよ」

 優馬はダイニングの椅子に座り、一真のことを無視して学友に電話を始めた。弟はイマドキの小学生らしく、自分の携帯を持っていた。彼は転入した学校でも馴染んでいるようで、友人と楽しそうに会話している。弟の声が耳障りであったものの、ここで自分の部屋に戻ればヤツから逃げた気分になるので、一真は変な意地で自分も携帯をいじっていた。

 いくら視線を携帯の画面に集中しようと、それでもチラチラと視界の端に優馬が映る。彼の特異な趣味のひとつとして、普段から女装をしていることが挙げられる。他人とは違うことをするのが好きなのかどうなのか、その中性的な美貌とあいまって中々似合っていた。普段着のほとんどは女物であり、学校の制服まで女子生徒用を着用することが特別に許可されているという徹底ぶりである。両親は息子の女装についてあまり良くは思っていないようだが、彼らが優馬に口出しできるはずもなく仕方なく黙認していた。一真にとっても弟の奇行などいつものことなので、あえて触れるつもりは毛頭ない。自分に火の粉が飛んでこないのであれば、女装でもなんでも勝手にしていろという気分だった。……そう、今の今までは。

 だが、なぜだろうか。今日の自分はどこかおかしい。頭がぼーっとして正常な思考ができない。優馬の揺れるスカートが、無性に気になって仕方ないのだ。自分の弟は、こんなに可愛かっただろうか。今までマジマジと見つめたことなどなかったため、改めて見ると新鮮な気持ちになる。このムラムラと湧き上がってくる感情の正体は、一体何なのか。

 いやいや、そんなことあるはずがない。よりによって自分が、弟の優馬に欲情するはずがないではないか。いくら奴の容姿が美少女で可愛い服を着ているからといって、それに興奮するほど落ちぶれてはいない。これは試練だ。落ち着け一真、頑張れ一真、負けるな一真。

「それじゃあ、また明日学校で会おうね。ばいばーい……ふぅ」

 一真がまぶたを閉じて必死に自分の欲望と戦っていると、優馬が電話を終え息を吐いた。そのまま自分の部屋に帰ってくれ。一真がそう心の中で念じていると、弟は信じられない行動に出た。

「お兄ちゃん、どうしたの? リンゴみたいに顔が真っ赤だよ。息も荒いし、風邪でも引いてるのかな? ちょっとそこを動かないでね。僕が見てあげるから」

 あろうことか弟は兄の方へ顔を向け、心配そうに話しかけてきたではないか。優馬は自分が一真に嫌われていることを自覚しているためか、自分から積極的に関わってくることは今までなかった。それがなぜ、よりにもよってこんな時に、古神家において空気のような存在である一真に意識を向けるのか。

 奴は気づいているのだ。兄の変化に。一真の心の内に生まれでた欲望の正体に。

 優馬はこちらに近づき、ソファに足を乗せ一真の額に手を当てる。彼の柔らかな手の感触で、一真は思わず目を開けてしまう。

 悪魔(優馬)の意味深な微笑が、獲物(一真)の目の前に迫っていた。

「あれ、熱はないようだね、良かった。お兄ちゃんが風邪を引いたら、一緒に住んでる僕にうつっちゃうかもしれないからね。健康には気をつけなよ……ところで、おかしいな。お兄ちゃんの別の場所が熱くなっているよ」

 熱がないのを確認したのなら、とっとと去ってくれればいいものを。優馬は目聡く兄の異変を察知する。奴の鋭敏な視野からは逃げられないということだろうか。もしくは、兄の浅い心など見透かしているのかもしれない。

 優馬は視線を兄の下半身に向けると、いやらしい手つきで股間の膨らみを撫で回す。なんて小悪魔的ないやらしい表情をしてやがる。とても小学五年生の仕草ではない。

 弟の顔は、一真が今まで見たこともないような愉しそうな表情をしていた。

「あれれ~、お兄ちゃんの股間が膨らんでいるね。まぁそれ自体は男の子だし仕方がないよ。生理現象だものね。勃起しているのを見られたからって、恥ずかしがる必要はないよ。僕たちは兄弟じゃないか」

 弟のくせになんでそんなに上から目線の物言いなのか。いくら家庭内のヒエラルキーでは一真が圧倒的に下であるとはいえ、一応血の繋がった兄なんだぞ。

 そんな文句が口から出てこないくらい、一真は精神的に追い詰められていた。弟に致命的な弱みを握られてしまった。まるで心臓を素手で鷲掴みされているような恐ろしい気分だ。あまりの恐怖でその場から一歩も動けないでいた。

「お兄ちゃんは何が原因で興奮しているのかな。妄想? 部屋に隠しているエッチな本かな? もしかして、大学の先輩でも想像したのかな? それともまさか……」

 優馬は哂う。嬉しそうに嘲笑う。こんなに楽しそうな弟は、生まれて初めて目にするかもしれない。

 対して一真は笑えない。弟の嘲笑の的にされ、笑っていられるはずがない。かつて味わったことのない屈辱が、彼の心を支配する。さりとて、どれだけ腹が立っても勃起したペニスが萎えることはなかった。その二重の恥辱で、一真は完全に理性を失っていたのだった。

 その兄の動揺を見逃す優馬ではなかった。心の隙間に入り込むかのように、優馬は蠱惑的な表情で一真に語りかける。

「……お兄ちゃんは、弟で欲情するような変態さんじゃないよね?」

 あぁ、違う。違うんだ。これは何かの間違いで、いつもの自分ではないんだ。そう否定したいのに、言葉が声となって出てこない。優馬のジリジリとした迫り方が、真綿で首を絞められている気分だ。殺すならいっそのことスパッとやってくれればいいのに。

「お兄ちゃんのおちんちん、硬いままだね。……やっぱり僕に興奮していたんだね、変態のお兄ちゃん」

「ちっ、違っ……!?」

 一真がなんとか振り絞った否定の声は、悲しいほど弱々しくこれっぽっちの説得力もなかった。今現在も弟の手の中で、ムクムクと愚息は大きくなっているのだ。これで女装姿の弟に興奮していないなどと言えるはずがない。しかし虚勢だろうがなんだろうが、一真は拒絶しなければならない。最後に残った一欠片の自尊心を守るために、彼は優馬に立ち向かわなければならないのだ。

 ……残念なことに、古神一真のなけなしのプライドは、優馬の前では塵芥に等しかった。

 

【挿絵表示】

 

「ふぅん、あくまで否定するんだ。……だったら、このおちんちんはいつまで大きいままなのかな?」

 そう言って優馬はズボンのチャックを開け、息苦しそうにしていた陰茎を露出させた。現れたのは、ごまかしようがないほど立派に屹立した男根だ。弟にペニスを見られ、一真は赤黒く変色した亀頭のように赤面する。恥ずかしさのあまり、壁に頭を打ち付けて死にたいくらいだった。だが息子を弟に握られ動こうにも動けない。逃げることも弁解することもできず、一真は情けない声をだすしかなかった。

「うっ、これはっ、そのっ……!?」

「お兄ちゃん、恥ずかしがることはないよ。それだけ女装した僕が可愛かったってことでしょ? 僕で興奮してくれたことは素直に嬉しいな。……だから、お礼に気持ちいいことしてあげるね」

 小学生とは思えない官能的な微笑を浮かべながら、優馬は滑らかな手つきでペニスを上下に扱きはじめた。これは紛れもない手コキである。弟は一体どこでそんなコトを覚えたのか。……いや、ヤツならその手の知識を把握していてもおかしくはない。だが、とっさに兄の男根を手コキできるものだろうか。優馬が何を企んでいるのか見当もつかない。ただひとつ一真にでも理解できることは、弟の扱きは予想以上に気持ちよかったということだ。

「うっ、あっ、やめろっ……そんなことっ……!」

「ふふ、感情では嫌がっていても、身体は正直みたいだね。僕に触られて、おちんちんがこんなに硬くなってるよ。このまま扱いてあげるから、僕の手の中でいっぱい射精してね」

 弟にイカされる? 冗談じゃない。そんなことになったら、末代までの恥である。……弟に欲情し勃起している時点で、一生の不覚ではあるのだが。

 一真の複雑な心境を弄ぶように、優馬は巧みな手捌きでペニスに快感を与えてくる。彼のすべすべな手が触れているだけで、気持ちよすぎて油断するとすぐにイッてしまいそうだった。同性なだけあって、男の感じる部分を理解しているのが大きいのだろうか。いやそれにしても、精通しているかも分からない、まだ十歳の少年にこれほどの技量が……と言うのは、優馬を見くびりすぎている。奴は人間ではないのだから、悪魔なのだから、ヒトの弱みに付け込むなど朝飯前なはずである。

 今だって、兄の表情の変化を読み取りながら、手コキに微妙な変化をつけているではないか。そんな高等技術を子供ができるはずがない。あぁ、そうだ。弟は人間ではなく悪魔なのだから、手玉に取られるのは当然なんだ。……だから、このまま快楽に身を委ねてもいいのではないか。そんな悪魔の囁きが、脳内にこだまする。それすらも、弟の術中なのだろうか。

「んぅしょ、んしょっと……ふふ、亀頭が真っ赤に腫れてるね。なんだか僕も楽しくなってきたよ。今日はお兄ちゃんの新鮮な表情が見れて嬉しいな。これが兄弟のスキンシップなんだね」

 ふざけるな。こっちは屈辱の極みで死にたいくらいだ。そんな恨み言すら口から出てこないくらい、一真の精神は切羽詰まっていた。弟の玩具になっているという怒りと、快楽には逆らえないという劣情で脳内がグチャグチャになっていたのだ。

 これは悪い夢だ。悪夢ならさっさと覚めてくれ。心の底から湧き出る必死の願いは、しかし誰にも届かない。彼の傍らに佇む悪魔が、甘い声で囁く限り。

「うぅっ、あぁっ、もうっ……!」

「お兄ちゃん、そろそろイキそうなんでしょ? おちんちんがビクビク動いてるよ。このまま射精しても大丈夫だから、思う存分イッてね♡」

 兄を射精に導くため、手コキの速度が早くなる。これ以上扱かれたら本当にイッてしまう。弟にイカされるという醜態だけは回避したいものの、男根と主導権を握られた自分に何ができるというのだ。悪魔の術中にまんまとハマり、無様な声を上げている一真に救いなどあろうはずがない。

 もうダメだ、我慢できない。イクのを悟り一真は腰を浮かせる。優馬はペニスを上下に激しく擦り、射精を促してくる。あっという間に手懐けられた愚息は、悪魔の掌の上で弄ばれて悦んでいた。身体の中で一番純粋な部分がこうなってしまってはどうしようもない。観念した一真は、後はどうにでもなれとばかりに性欲の猛りを解放する。

 大量の子種が尿道を駆け抜け、救いを求めて一斉に飛び出した。

「うあぁっ、イクっ……!」

「あぁっ、やぁっ!」

 勢いよく迸ったザーメンは、優馬の顔や服を白く汚していく。彼は飛んでくる白濁液を嬉しそうに浴びていた。まるで勝利の美酒に酔うような、勝ち誇った表情で。対して一真は、射精の快感で魂が抜け出てしまいそうだった。弟にイカされた敗北感と合わさり、なんとも言えない気分だ。どうせならこのまま消滅したいくらいだった。

「うぅ、くうぅ……」

「あはは、すごいすごい。射精していいとは言ったけど、こんなに出るとは思わなかったよ。一週間オナニーしてないから、濃いのがいっぱい射精(で)たねお兄ちゃん♡」

 なぜ兄が一週間オナニーしてないことを知っているのか。そんなことどうでも良くなるくらいに一真は放心していた。射精後の賢者タイムは、いつもよりほろ苦かった。

「ふふ、弟の手コキでイッちゃうなんて、お兄ちゃんはだらしないなぁ。そんな情けないお兄ちゃんは、僕が教育してあげなくっちゃね♡」

 顔や手についた精液を舐めながら、優馬は不気味な微笑を浮かべていた。兄の無様な姿を見られてご満悦のようだ。射精を終えて半勃ちになったペニスを右手で弄くり、この上ない達成感に浸っていた。

 古神一真は、愉悦を味わう優馬をただ呆然と眺めることしかできなかった。

 

 こうして、一真と優馬の奇妙な兄弟関係は始まった。この夜の事件は、これから始まる様々な出来事の、ほんの序章に過ぎなかった。




これにて第一話は終わりです。
更新ペースは遅めですので、月二回の投稿を目標にやっていきたいと思います。
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