Familiar Phobia~倒錯のすゝめ~ 作:友井架月
最初から救いなんてなかったんだ。
◇真実
あの悪魔から家族を救い出し、古神家に平和を取り戻さなくては。
打倒優馬に燃える一真は、すぐさま行動を開始しようとする。
しかしながら、全方位無敵の弟に対し無力な自分に何ができるというのか。
不退転の決意を固める一真だったが、状況は彼の手に負えないほど逼迫していた。
だが今度こそは絶対に屈してはならないのだ。自分の、そして家族の未来がかかっている。
隙のない優馬に致命的な一撃を与えるためには、奴の弱みを握らなければならないだろう。
その為には、勇気を振り絞って鬼の住処へと足を踏み入れる必要がある。
両親ですら入ることを許されていない、優馬の部屋へと突入するのだ。
もし部屋を調べて何も見つからなければ逆襲の手段がなくなる上、侵入が優馬にバレれば親の前で吊るし上げられてしまう危険がある。
これは生半可な覚悟では実行できない最終手段だった。
しかし諦めるという選択肢は一真にはなかった。これは互いの運命を懸けた戦いなのだ。
明くる日の月曜日、一真は午後の講義を終えてさっさと家に帰宅していた。
この時間、母は買い物に出かけているため不在であり、優馬もまだ小学校から帰ってきていない。言わずもがな父は仕事中のため、現在家に居るのは彼ひとりということになる。このタイミングを逃しては、優馬の部屋に侵入することは不可能であろう。
一真はする必要のない抜き足差し足で問題の部屋の前に立つ。一見すると何の変哲もない普通の部屋だが、彼にはそこが禍々しい邪気を放つ魔窟に見えたのだ。これは誇張や幻視では決してない。奴の本性を知っていれば、ここがどれだけ恐ろしい空間なのかを想像できるだろう。まだ入ってもいないのに足が竦んでしまう。一真は震える手足に活を入れ、ドアノブを握り室内へと踏み込んだ。
初めて目にする優馬の部屋は、思ったよりも殺風景な内装だった。家具や壁紙は可愛らしいものを選んでいるのだが、そのどれもが作り物めいた違和感を抱く。わざと少女らしい調度を選んでいるかのような、そんな他人に見せるための部屋に感じるのだ。
「おっと、いけない……」
じっくり内装チェックをしている場合ではない。弟が帰宅する前に、奴の弱みになるものを見つけなければならないのだ。一真は探偵になった気分で周囲に目を凝らす。
「これは……」
すると、机の上に一冊の本が置いてあるのを見つける。なんだろうと近づいて手に取ると、それは優馬の日記帳であった。あいつ日記なんか書いていたのか。もしかしたら、この中にヤツの弱みに繋がる重大な情報が載っているかもしれない。
他人の日記を読むという罪悪感が胸をよぎるが、今更引き返す道はない。一真は腹をくくって日記帳のページをめくった。
4月××日 今日から新しい学校に転入することになった。私立の有名校なだけあって、通っている生徒は礼儀正しい子ばかりだ。ここなら面白い子が見つかるだろうか。
5月××日 今日もテストで百点を取り、両親に褒められた。お父さんに何か買ってやるぞと言われたが、別に欲しいものはない。強いて言えばなくはないが、あれをねだるわけにもいかない。
6月××日 今日はお母さんとショッピングに出かけた。着せ替え人形のように次々と服を着せられ遊ばれた。表情だけでも取り繕うが、お母さんも楽しそうではなかった。
7月××日 同級生の昴くんは真面目で素直な良い子だ。両親から愛情を込めて育てられたのだろう。従順な子犬のように付いてくるので、遊びがいがありそうだ。
8月××日 担任の
9月××日
ソレは取り立てて述べることのないありふれた日記に見える。しかし、一真にはどうしても拭いきれない違和感があったのだ。それは、日記から優馬の感情が見えてこないことだ。まるで一日の出来事を淡々と書き綴る記録帳のような……そんな人間味のない文章だった。
……悪魔による人間の観察日記。これは優馬の日常を記した日記ではなく、彼の周囲を記録した文章にほかならない。ならば、この先には一体何が書かれているのか。
一真は何気ない好奇心で日記を読み進める。ここで日記帳を閉じていれば、あんなことにはならなかったのに。
10月××日 最近、お父さんは毎週のように退社してから帰宅する前にどこかへ寄っている。ほんの三十分だけ誰かと会っているようだけど、どうやら若い女性らしい。
11月××日 お母さんは皆に隠れて精神安定剤を服用しているようだ。心なしか元気がなく、前より痩せてきている。僕の前ではいつも笑顔だが、ちょっと目を離すと怖い顔をしている。
12月××日 お父さんは今日社長との接待と言っていたが、アレは嘘だ。本当は不倫相手と会っている。彼女のために高いブランド品を買い与え、最後はホテルに寄ったようだ。
1月××日 お母さんは精神を病んでいる。最近、また薬の量が増えたようだ。お父さんとの関係は冷え切っており、僕の存在がなければ今すぐにでも離婚してしまいそうである。
そこには、一真の知らない両親の真実が赤裸々に綴られていた。見せかけだけの家庭、偽りだらけの団欒。自分が今まで見てきたものは実体のない虚像であり、ここに書いてあるのが本当の家族の姿である。
こんなものが、自分が守りたかったかけがえのない居場所だというのか。
一真は当初の目的を忘れて、取り憑かれたように日記を読んでいた。読めば読むほど理性が吹き飛び、自分の中で大切な何かが崩れ去っていく。このままでは古神一真の自我が崩壊してしまうかもしれない。そう理解しているのに、それでも彼はページをめくる手を止めなかった、止められなかった。それは破滅願望でも、怖いもの見たさでも決してない。ブレーキの壊れた車は自力で止まることができない。それと同じように、一真は自分の制御ができなくなっていたのだ。
後は転がり落ちるように奈落の底へと突き進むだけだった。
2月××日 お父さんは僕に依存しきっている。仕事の指示から着けていくネクタイの柄まで僕に聞いてくるようになっていた。彼はすでに息をするのにも僕の指図が必要な操り人形も同然だ。だけど僕は知っている。お父さんが僕のことを認めているわけではないことを。心の底では僕のことを憎んでいるのを知っている。それでも僕の言葉に頼らざるをえない。本当に人間は救えない。
3月××日 お母さんは僕に依存しきっている。授業参観に着ていく服から晩御飯の献立まで僕に聞いてくるようになっていた。彼女はすでに僕なしでは生きていけない無垢な赤ん坊も同然だ。だけど僕は知っている。お母さんが僕のことを愛しているわけではないことを。心の底では僕のことを恐れているのを知っている。それでも僕に愛想を見せねばならない。本当に人間は救えない。
この日記を、奴はどういう心境で書いているのだろうか。愛情なんてないに等しい偽装の家庭を影から操り、あいつは何を思うのか。優馬は理想の家族を作りたかったのだろうか。それとも和やかな日常を壊したかったのだろうか。
ここに書かれてあることを読めば、あの悪魔のことを少しは理解できるようになると思っていた。しかしそれは大きな間違いだった。読み進めれば読み進めるほど、弟の心情が分からなくなっていく。まるで明かりを持たずに闇夜を彷徨っているかのようだ。古神優馬という巨大な闇を、一真は過小評価しすぎていたのかもしれない。
そして日記は最近の出来事へと移っていく。それはつまり、この日記に自分のことが書かれることを意味していた。
4月××日 お兄ちゃんの部屋には色んなエロ本が隠してある。ジャンルも多種多様で、小児愛、近親姦、レイプ、調教、援交、キメセクと、犯罪臭漂うものばかりだ。お兄ちゃんは犯罪者予備軍なのかもしれない。ちょうど男の娘モノの同人誌があったから、僕に欲情させて遊ぶことにしよう。オナニーの間隔が空いて性欲が溜まっている時に、飲みかけのジュースに精力剤を混ぜて挑発してみよう。きっと面白い結果になるはずだ。
「お兄ちゃん、弟の日記を勝手に読むなんていけないんだぁ」
「っ!?」
一真が最新の日記を読んでいたその時、後ろから声をかけられる。その声は他でもない優馬だ。
慌てて振り返ると、そこには意味深な笑みを浮かべる弟の姿があった。
「お前……なんで」
「ここにいるのかって? ここは僕の部屋なんだから僕が居てもおかしくないよ……というのは置いといて。お兄ちゃんのことをずっと観察していたからだよ。僕の知ってるお兄ちゃんなら、昨日の夫婦喧嘩を見て、ようやく危機意識をもって行動するんじゃないかと思ってね。こうも予想通りに動いてくれると呆れちゃうけど、お兄ちゃんに現実を知ってもらえたようで良かったよ」
そう言って、奴は兄が持っている日記帳を指差した。
「そこに書いてあることは全部事実だよ。ふふ、驚いたでしょ」
「……お前は……どうしてこんなことを知ってるんだ?」
いくら優馬の頭が良いからといって、両親の情報をここまで収集するのは難しいだろう。こんな探偵まがいのことを、奴は誰にも悟られずにこなしたというのか。
一真の疑問に、優馬は「あぁ、そのことか」と苦笑する。そして手品を披露するマジシャンのように、両手を広げてネタバラシを行った。
「もちろん僕はお父さんたちのことを常に尾行できるほどヒマじゃないからね。そこはちょっと非合法なモノを使って情報を集めていたんだ。そう、今お兄ちゃんが着ている服にもついているはずだよ」
「なっ!?」
彼は懐から携帯を取り出すと、何かの音声ファイルを再生する。
『……優馬の部屋に忍び込んで……絶対に奴の弱みを握ってやる……』
それは紛れもない、自分の声だった。そんなものを録音された覚えはないので、奴は服に盗聴器でも仕掛けていたのだろうか。
「服に盗聴器とGPS発信機を、後は家の中にも盗聴器と監視カメラが幾つか設置してあるね。なぜこんなことをするのか。お兄ちゃんは疑問に思っているだろうね。これだけは言っておきたいけど、僕は別に誰かの弱みを握って脅しの道具に使いたいとか、そういう理由でこんなことをしているわけじゃないんだ。この感情を端的に説明するなら、ただの好奇心だろうね。僕は昔から感情が稀薄でね、何をしても嬉しいとか楽しいとか思ったことがないんだ。だからこそあらゆる手段でみんなの気持ちを知りたいと思った。僕は人間というものを、家族というものを、心というものを知りたいんだ。そのために一番身近な……お兄ちゃんたち家族の人間観察をすることに決めた」
奴は携帯を弄り、別のファイルを再生する。
そこから聞こえてくるのは、両親の知られざる『本心』だった。
『毎週のように会って平気なのかって? いいんだよ、これくらいの息抜きがないと息苦しくて仕方ない。我が家で過ごす時間は監獄と一緒だよ。気味の悪い息子のご機嫌取りをしなくちゃならないなんて反吐が出る。考えてもみろ。唯でさえ会社で上司にヘコヘコしているのに、家庭でも自分より頭の良い息子の顔色を窺わなくちゃならんのだ。オマケにあの子のおこぼれに預かろうと女狐が必死に媚を売っていやがる。あんな地獄のような環境で父親面してたら心も荒むというものだ。暇を見つけて浮気でもしてないと、正直辛くてやってられんさ』
『えぇ、先生、最近はだいぶ落ち着きました。一時期は精神が不安定でしたけど、薬のお陰か先生に相談して鬱憤を吐き出しているからか、なんとか耐えられている状態です。私は息子が怖くて仕方ないんです。あの子の瞳が私を嘲笑しているように思えてならなくて。頭が良すぎるからか、何を考えているのか全然分からなくって。あの子はきっと将来大物になる。そうなれば、夫の小さな稼ぎなんていらないくらい裕福になる。そう信じて今を必死に耐えてるんです。そうでなければ、あんな気持ち悪い子供と一緒に生活できないですよ。先生、私は正常ですよね?』
それは思考を放棄したくなるほどのどす黒い感情だった。
あぁ、人間とは建前という皮を引き剥がせば、こんなにも醜い生き物だったのか。
別に両親の事を尊敬していたわけでも愛していたわけでもないが、こんな素顔は知りたくなかった。
身内の腹黒い感情に晒され、一真の心も段々と黒く染まっていった。
『どうしてあんなバケモノが俺たち夫婦の間に生まれたんだ……。いや、優馬は本当に俺の子なのか? とても血が繋がっているようには思えない。……もしかして、あいつが他の男と寝てできた子供なんじゃないのか? そうだ、きっとそうに違いない。……あぁそうだ、あの時だ。俺が出張で一週間家を空けていた時だ。あの時家に男を連れ込んでいたんだ。くそっ、あの女狐め。俺が真面目に働いているというのに、どこぞの男と遊びやがって。あいつのことだ、その内離婚を言い出すだろう。優馬の親権を主張して、息子の利益を独り占めにする気なんだ。そうに違いない! ……あぁ、あんな女と結婚するんじゃなかった。若気の至りでアイツを抱いたばっかりに……』
『どうやら夫が浮気しているようなんですけど、あの人のことなんてこの際どうでもいいんです。あの人への愛情なんてとっくの昔に消え失せましたから。今はそれよりも息子の優馬です。あの子さえいれば他に何もいりません。夫とは頃合いを見計らって別れれば、後は全部私のものなんですから。だからそれまであの子の機嫌を損ねるようなことはできないんです。私にはそれが苦痛で、苦痛で、苦痛で……あぁ、早くこの苦しみから解放されたい。でも、あの優馬に親への情があるんでしょうか? あんなにもおぞましい存在に人間の感情があるとは思えなくて……。そもそも、あんな男と結婚したのが間違いだったんです。できちゃった婚で人生が狂ってしまったんです』
やめてくれ、やめてくれ。それ以上聞かせないでくれ。
耳からヘドロを流し込まれているかのような気分だ。脳まで腐って死んでしまう。
一真の精神が絶望で苛まれる中、彼の心臓に最後の杭が突き刺さる。
『『……一真なんて生まれてこなければ、自分はもっと真っ当な人生を送れたのに』』
「やめろっっ!!」
一真は思わず叫んでいた。両親の本心が胸に突き刺さり、彼の精神はボロボロになっていた。
なぜ自分がこんな目に合わなければならないのだ。
彼は自分の運命を呪う。救いのない袋小路に閉じ込められ途方に暮れる兄に、優馬は優しい声音で語りかける。
「お兄ちゃん、辛いよね、苦しいよね、悲しいよね。自分が守ろうとしていた家族に裏切られたんだから。お兄ちゃんは肉親を守るために僕と戦おうとしたけど、それは大きな勘違いなんだ。僕のせいで家庭が崩壊しようとしてるんじゃなくて、実際は僕が皆を繋いでるんだ。断言してもいいけど、僕の存在がなくなったら一家は三日と持たずに離散しちゃうよ」
子供をあやすかのような優しい声に、しかし温かみは一切なかった。どこまでも無機質な奴の声は、無情なほど軽い口調で一真を谷底へと突き落とす。
「この家族に、最初から救いなんてなかったんだよ」
どこから人生を間違えたのだろう。
その長年の疑問にようやく答えを得た。
古神一真の人生に、正解なんて最初から存在しなかったのだ。
◇悪魔の素顔
誰も知らない古神優馬の素顔について、できる限りのことをここに記しておこう。
これを知ったところで彼の本性が世間に晒されるわけでも、古神家が救われるわけでもない。
だが登場人物の心情にスポットを当てなければ、物語を真に理解することはできないだろう。
そう、天才児の彼流に言うならば、これは国語のテスト問題なのだ。
勉強となると身構える人もいるだろうが、長い話ではないのでどうか座って読んでほしい。
それでは始めよう。世にも奇妙な悪魔のような少年の、暗闇より深い心の奥底を覗いてみよう。
古神優馬は物心つく前から、他人との価値観の相違を認識していた。
当時の彼の周囲には笑顔が溢れていたからだ。母は楽しそうに彼の育児をし、父は将来有望な息子に期待し嬉しそうに笑っていた。
両親の笑顔が優馬には理解できなかった。なぜ彼らは笑っているのだろう。この時からすでに、優馬の精神は家族から甚だしく孤立していた。
それでも優秀な優馬は、両親から感情について学ぼうとした。母親からは絵本を読んでもらい、父親からはいろんな玩具を買い与えられた。それで遊び楽しむのが子供なのだろう。優馬は義務のようにそれらを淡々とこなしていくが、なにひとつとして彼の感情はくすぐられなかった。そもそも楽しい、嬉しいという気持ちが彼には想像できないのだ。まだ幼い優馬に、心の中にない感情まで察する術はまだ存在しなかった。
しかしここで終わらないのが、彼の天才で異才たる所以である。優馬は理解できないものを理解するために、周囲の情報をとことんまでに学習することにした。両親との会話やテレビ番組で言葉を覚え、新聞や書物で文字を覚えた。彼の理解力は常人の成長を遥かに超えており、小学校に入学する前には成人並の学力を有するまでになっていた。
だがそれだけ学習しようと、彼には人間の感情というものが理解できていなかった。いや、知れば知るほど余計に意味がわからないと言ったほうが適切だろうか。眼には見えないものを実感するのは優馬であっても難しいようだ。この時点の活動範囲では、これ以上情報を収集することはできなかった。
小学校入学を機に、優馬は飛躍的に勢力を拡大していった。当然だが小学校には多くの人間が集団生活を送っている。彼はそこで多くの生徒や教師と触れ合うことで、感情についてのサンプルを増やしていく。優馬はその過程でヒトの手懐け方も急速に会得していくのだった。皆は何が好きで何に反応し何で心を許してくれるのか。頭のいい彼には、人間の操り方が手に取るように分かるのだ。彼がクラスの中心人物になるのに、そう時間はかからなかった。
優馬は類稀なる人心掌握術で人の心を動かしていくのだが、その手腕に反して彼には人の心がわからないのだ。ヒトを喜ばせる術は知っていても、それで自分が喜ぶことは絶対にない。自分は本当に皆と同じ人間なのだろうか。
彼は自分の疑問の答えを求めるように、他人とは違うことをするようになった。男でありながら少女の格好をし常人ではできない突飛な行動をあえてすることで、自分の中に感情が生まれるのか試したのだ。両親は彼の女装を賞賛したが、内心では気味悪がっていたのはバレバレだった。肉親の心情は手に取るように分かるのに、自分の心は相変わらず動かなかった。僕はやっぱり普通の人間とは違うんだ。そこまで至ってようやく、優馬は自分の異質性を自覚しはじめる。だからといって彼が真っ当な道を行くわけもなく、彼の言動は日に日に異常さを増していく。それは優馬が人間という枠組みから解放され、本来の自分を取り戻したことを意味していた。
次男の奇異な行動が目立ちはじめる中、古神家夫婦の精神も次第に壊れていく。良くも悪くも平凡な二人には、息子の異常な言動は受け入れがたいものだったのだ。元々恋愛結婚ではないためお互いに愛情の薄い彼らだったが、次男の教育方針で揉めることも多かった。彼らの眼からも優馬の才能が並外れていることは明確であり、将来の成功は約束されているようなものだった。どちらが息子の利権を独り占めするかで、二人の仲は余計に険悪になっていく。相手の顔を見ることすら忌避するようになっても、それでも彼らは離婚だけはしなかった。優馬が生み出すであろう利益を奪われたくなかったからだ。そんな完全に破綻した夫婦を息子が辛うじて繋ぎとめていた。幸か不幸か、二人は息子なしでは生きられない状態にまでなっていたのだ。
生活の何もかもを息子に依存しきった哀れな両親を、優馬は冷たい眼差しで見守っていた。彼らの醜い素顔を目の当たりにして、彼の心にも悪感情が生まれたかと言えばそうでもなかった。優馬は意外にも二人のことを見限りはしなかったのだ。それどころか、人間の醜悪さに触れる度に好奇心が疼くのだ。これが人間、これが感情。今までは人としての正しい部分ばかり見聞きするようにしていたが、それだけでは足りないのだ。善悪併せ持ってこその人ならば、人間の醜いところも集めなければ意味がないではないか。
両親の醜態に天啓を見出した優馬は、新たにヒトの穢れも収集するようになっていった。生徒間のイジメ、教師の悪行、校長の汚職と、学校は人の業を集めるには恰好の場所ではないか。優馬は生まれてからかつてないほど活き活きと学校生活を楽しんでいた。これが自分の生まれた意味なのだと確信するほどに彼の日常は充実していった。ヒトの皮を被った悪魔は人間の業を糧に成長していく。古神優馬という怪物は、こうして完全なる姿へと変貌するのだった。
そんな優馬が目をつけたのは、古神家では空気のように存在感のない長男の一真だった。次男の影に隠れて目立たない兄ではあったが、優馬は彼が抱えた心の闇を密かに把握していた。一真が心に秘めている決して表に出してはいけない歪んだ欲望を覗き込んだ弟は、そのことをネタにして兄で遊ぼうと心に決める。彼は今まで見てきた人間の中では飛び抜けた才能を持つ逸材だと確信していた。古神一真こそ、優馬の思想にもっとも当てはまる優秀な人材だったのだ。
優馬の見立ては見事に的中し、一真は己の内に眠る欲望を解放し底なしの沼にハマっていく。自分のことを憎んでいるはずの兄が次第に態度を軟化させていく様子は見ていて気分がいい。それだけ自分の価値観を破壊する背徳の味は素晴らしかったのだろう。彼はもはや、平凡な日常には戻れないほど禁忌に浸かっている。これならば、弟が望む本当の相棒を得られるかもしれない。優馬はついに、古神家が抱える闇を一真に明かそうと決意する。
彼が期待する兄ならば、両親の本性を知ってもきっと乗り越えてくれるだろう。そうなれば、優馬が人知れず練っていた計画も次の段階へと移行することができる。
小さな悪魔による人間を弄ぶような悪魔的な計画へと。
◇憎悪の果てに
「お兄ちゃんはお父さんたちに絶望したかもしれないけれど、僕だけはお兄ちゃんの味方だからね。だからそんなに落ち込む必要はないよ。どんなに辛い思いを味わおうと、僕らが家族であることに変わりはないんだから」
力なく打ちひしがれる一真を前に、弟は楽しそうに嗤っていた。
そんな心のこもっていない言葉で慰めているつもりなのだろうか。
いや、奴にそんな感情は存在しないはずだ。なぜならこいつは悪魔だから、人間ではないのだから、ヒトの心など持っているはずがない。事実、家族を滅茶苦茶にして楽しんでいたではないか。 やはりこいつは兄をバカにしているのか。
今までならば、苛立ちこそしても何もできずに退散していただろう。
しかし、今の一真は行き場のない憤りを発散する場所を求めていた。
いくら言葉巧みに人心を操ろうと、所詮は小学生のガキなのだ。純粋な腕力で大学生の自分が負けるはずがないではないか。そうだ、弟相手に何を怖がることがあるというのだ。絶望で精神がへし折れている自分に、もはや怖いものなど何もなかった。
生意気なガキには教育的指導が必要だろう。両親が役目を果たせないのであれば、兄貴である自分が弟を躾けなければならない。一真は無表情でゆっくりと優馬に近づく。
「どうしたのかな、お兄ちゃ」
優馬の言葉など聞く耳を持たない一真は、彼の腕を強引に引っ張りベッドへと突き飛ばす。体重の軽い弟は、抵抗などできずベッドに転がるしかない。なんだ、こんなに呆気ないものなのか。
「んあっ、痛いなぁもう……お兄ちゃんってば、怒ってるからって暴力はいけないよ。そんなんじゃあ、将来家庭をもった時にDV男になっちゃうんだから」
うるさい、黙れ。うるさい、黙れ。うるさいウルサイ五月蝿い!
奴のムカつく言動を封じるべく、弟の身体に馬乗りになり両腕を抑える。自分の身に危険が迫ろうとも、優馬は意外にも無抵抗だった。こいつはこんな危機的状態でもいつものように余裕ぶっているのだろうか。奴の態度が余計に一真の神経を逆撫で、彼を狂気の道へと走らせる。それすらも弟の想定内なのか、優馬は兄の玩具になることに戸惑いを見せていなかった。
ならばヤツの望み通り滅茶苦茶に壊してやろう。一真はいつの間にか勃起していた男根を手にとり、優馬のアナルに無理やり突っ込んだ。
「あぁっ、やあぁっ……!」
前戯をしていない準備不足なキツキツアナルは、肛門を堅く閉じてペニスの挿入に抵抗を見せているものの、兄貴の力技には到底及ぶべくもない。ギチギチと肉を引き裂く感覚とともに、一真の肉棒がアナルの奥へと挿入された。
「んああぁっ、お兄ちゃっ、痛いっ、よぉっ! そんな強引におちんちんを挿れたらぁっ、お尻の穴が壊れちゃうぅっ! んんっ、はあぁっ、んあぁんっ!!」
悲痛な叫び声を上げる優馬だが、内心ではそこまで嫌がっていないのは明白だ。表情からも余裕が見えるどころか、この状況を楽しんでいるようにも思える。どこまでも人道から外れた倒錯的な行為が好きなやつだ。奴に対してこの程度の行いでは生温い。狂人には狂人らしいお仕置きが必要だろう。一真は腰に力を入れて尻穴を陵辱する。
「このっ、このっ……この野郎っ……!!」
一真は今までの恨みを晴らすかのように、男根をアナルに激しく突き立てる。知りたくもなかった残酷なまでの両親の本音、理解しがたい悪魔の素顔、何もかもが終わっている救いようのない古神家の現実に絶望し、感情のやり場を見失っていたのだ。このもどかしさを解消するためには、諸悪の根源である弟に当たり散らすしかない。彼は優馬の尻穴を破壊するつもりでガンガン腸内を荒らしていく。
優馬は優馬で、狂気に染まっていく兄に愉悦を覚えていた。人が奈落に堕ちていく姿は何度見ても心が震えるのだ。それは彼が人間としての感情を取り戻した瞬間なのか、それとも悪魔としての本性なのだろうか。
「ああっ、いいよぉっ、んあぁっ……お兄ちゃんの思いを全力でぶつけてぇっ……! 僕が全部受けとめてあげるからぁっ……んあっ、あぁんっ、あんっ……!」
僕が全部受け止める? お前は慈愛の聖母か何かのつもりなのか? 残酷な悪魔のくせに生意気なことを言うな。一真の怒りは頂点に達し、怒張は更に硬さを増してアナルに襲いかかる。もはや快楽のためというよりも、優馬を痛めつけたいという衝動が勝っていた。どうすれば奴を追い詰められる。どうすれば奴が苦しむ表情が見れるのか。弟の尻穴をガン掘りしながら憎悪を滾らせ、どう復讐してやろうかと思考を巡らせる。
……そうだ、その耳障りな声を止めてやろう。狂気で淀んだ一真の瞳は、優馬の細い首元を狙っていた。喉仏もはっきりとしていない声変わり前の首は、ちょっと力を入れれば容易く折れてしまえそうではないか。一真の手が導かれるように伸びていき、弟の首をガッチリと掴む。そして、
「あがっ、んぐあぁっ……!?」
感触を確かめるようにゆっくりと首を絞めていく。
こんな悪魔のような弟、居なくなったほうが世のため人のためになる。それに何より、これ以上弟の口車に乗りたくなかったのだ。良くも悪くも奴の言葉は心に響く。人を悪の道へと惑わす悪魔は、ここで滅ぼさねばならぬのだ。
ギチギチと少しずつ少しずつ弟の命を締め上げていくのだが、驚いたことに優馬は抵抗のひとつもしないのだ。それも首を絞められているから力が出ないというわけではない。奴はあろうことか、自分が絞殺されそうになっていることさえ楽しんでいるようなのだ。信じがたいことだが、首を絞められ命の危機に瀕しようと、悪魔は不気味に嗤っていた。
優馬は苦しそうに息を吐きながらも、はっきりとした口調で一真に言う。
「んぐっ、かふっ……お兄ちゃんに僕は殺せないよ……だって、こんなことをしても何の意味もないって分かってるから。ぐぅっ……僕が死んでも、家族が救われるわけでも平和な日常が戻るわけでもない。それどころか、僕という楔がなくなることで、家族はバラバラになりお兄ちゃんは人殺しという汚名を一生背負っていかなきゃならなくなるんだ……お兄ちゃんはそれをちゃんと理解している。怒りに任せて凶行に及ぼうと、心の底では理性が残っているのだから。……お兄ちゃんじゃ僕を殺せない……僕と違ってお兄ちゃんは狂人なんかじゃないんだよ」
殺すつもりで首を絞めていたのだが、心のどこかに躊躇があったのだろうか。
本人ですら気づいていなかった心の隙間を指摘され一真は動揺する。だからコイツの言葉など聞きたくなかったのに。優馬の言うことはイチイチ真理をついているので、何も言い返せなくなるのだ。死にそうになりながらも冷静に状況を分析している弟の胆力に恐怖を抱く。奴は完全にこちらの内心を見透かしているのだ。これではどちらが劣勢なのかわからないではないか。
心の迷いから手の拘束が緩む一真に、悪魔はさらなる追撃を浴びせる。
「……それでもいいなら、どうぞ望み通りに殺してくれてもいいよ。その手で直接殺されることで、僕の存在はお兄ちゃんの中で永遠に生き続けるんだ。お兄ちゃんは僕を殺した罪悪感を一生背負い続け、僕のことを忘れられなくなる。僕が死んでも僕の意思が死ぬことはない。絶対にね」
何か確信があるのか、不敵な表情で優馬は断言する。首を絞められながらアナルを犯されようと、奴の余裕は決して崩れないということだろうか。
何もかもを見透かされ、もはや一真に勝ち目などなかった。
例えこのまま優馬を殺そうと、奴の言う通り心の中に弟の存在は生き続けるだろう。
奴は死んでもただでは死なない。まさに悪魔のような存在だった。
「うぅっ、クソっ……クソっ……!」
一真は屈辱的な敗北感を味わいながら必死に腰を振っていた。最後の抵抗さえ無意味と思い知り、後は欲望の赴くままに快楽を貪ることしかできなかった。本能に従う獣の如きピストンは、負け犬の無様な悪あがきに他ならない。それすらも奴の思う壺であり、この狂気的な交わりは優馬の思い通りに佳境を迎えていた。
「ああっ、いいっ、そのままっ……首を絞めながらでいいからあぁっ……思いっきりアナルを突いてえぇっ……お兄ちゃんの想いを僕にぶつけてえぇっ……!!」
兄弟は我を忘れてただひたすらに腰を振りあった。それは性欲を発散するためだけの純粋な性交なのか、それとも悪魔との契約の儀式なのだろうか。泥にまみれた複雑な感情入り交じる一真は、絶望と憎しみを滲ませて腸奥を抉っていく。一死も報いれずにこのまま終わることはできない。せめて優馬を先にイカせようと懸命に腰を振っていた。
しかし奴の絶品アナルはきゅっと男根を締め付け至高の愛撫で極上の快楽を与えてくるのだ。すでに弟の尻穴の虜となった一真には、あまりにも刺激が強すぎる。股間の限界はすぐに迫り、汚れた欲求を吐き出そうと射精をせがんでくるのだ。これほど絶対的な衝動をどう我慢すればいいというのか。どうしようもない爆発的エネルギーが尿道前で待機し、今か今かとその時を待っていた。
「くそっ、イキそうだっ……!」
「んあっ、いいよっ、お兄ちゃんっ……中に射精してぇっ! お兄ちゃんのドロっドロのザーメンを、僕のお尻にいっぱい中出ししてぇっ!」
弟の尻穴は生き物のように蠢き、兄の男根を射精に導くためにぎゅうぎゅうと締め付けてくるのだ。強烈な快感の奔流に飲み込まれた愚息は、いよいよ子種解放の瞬間を迎えようとしていた。竿がこれでもかとパンパンに膨張し、今にも爆発してしまいそうである。産地直送採れたて精液が根本で準備万端待機しており、射精まで秒読み段階に突入した。
このイカれたセックスもラストスパートに入り、一真は最後の力を振り絞った高速ピストンで優馬のアナルを攻め立てる。弟も弟で今にもイッてしまいそうなほど男根が腫れており、このまま同時にゴールしそうだ。
悪夢のような快楽に包まれながら、その瞬間はやってきた。堪えきれない衝動をアナルに突き立て、性欲の猛りをぶちまけた。
「うっ、射精るっ……!」
「あぁっ、僕もイクぅッ……! お兄ちゃんチンポでイッちゃうぅっ……!」
弟の嬌声とともに、腸内へ兄の特製ザーメンが迸る。熱々の子種汁はアナルを占領しようと勢いよく流れ出て、彼の腹の中を蹂躙していく。優馬は体内に流れる精液の感触に酔いしれていた。
「はあぁっ、んあぁ……お兄ちゃんのザーメンがドクドクっていっぱい出てるよぉ……ふふっ、あれだけ大げさなことをしておいて、結局何もできずにイッちゃうんだから。本当に情けないお兄ちゃんだなぁ」
「うぅ……くそっ……」
憎き優馬を殺せずにイクだっけイッたのは事実なので、一真は何も言い返すことができなかった。
なんて惨めな気分なのだろう。精液と一緒に大切なものまで失ってしまったような気がする。これだけの屈辱を味わいながらも、愚息は正直にザーメンを吐き出している。これまで何度となく弟に敗北を喫している一真だったが、今回ばかりはどうしようもなく致命的な惨敗だった。性も根も尽き果て、最後に残った希望までも完膚なきまでに打ち砕かれた自分に、一体何が残っているというのだ。長い射精が終わり最悪の賢者タイムに浸る彼に、悪魔は耳元で蠱惑的に囁いた。
「お兄ちゃんは何も悪くないよ。ただちょっと運が悪かっただけなんだ。お兄ちゃんは今絶望の中にいるのかも知れないけど、ふさぎ込む必要はないよ。家族が不仲であろうと、将来に希望が見えなくても、生きていれば必ず明日はやってくる。僕らは前を向いて生きていくしかないんだ」
優馬はいつものように説教臭いことを述べているが、今の一真には小鳥のさえずりでさえ福音に聞こえてしまうのだ。弱りきった心に悪魔の甘い言葉はよく染み渡る。それが例え殺したいほど憎んでいる相手であっても、奴の口車に乗ることは身の破滅を意味していたとしても、何かに縋らなければ立つことさえも困難な状態だったのだ。きっとそれすらも弟の思惑通りなのだろう。平常時なら腸が煮えたぎっていただろうが、そこまで思案を巡らせる余裕もなかった。
男根もすっかり萎えて意気消沈中の一真は、着衣の乱れを整えている優馬に問いかける。
「……お前はこれから何をする気なんだ?」
すでに破滅しかけた古神家に興味などないのだろう。一真に真実を打ち明けたということは、優馬にとってこの家族には未練がないということだ。そして玩具の道具が欲しくて兄を巻き込んだだけではないはずである。奴は一体何を企んでいるのか。何をしようとしているのか。
兄の問いに、悪魔は意味ありげな笑みを浮かべて答える。
「両親の醜態はもう十分に堪能したからね。これ以上古神家で見るものはなさそうかな。……安心して、別に親を見限ったとかそういうのじゃないから。お兄ちゃんのためにも一家団欒はこれからも続けていくよ。だけど、家族に飽きたのは事実だからね」
悪魔は語る。彼は己の内に眠る欲求を兄に晒している。思えば、弟の本心を聞くのはこれが初めてかも知れない。
「僕はこれから、ヒトの業を蒐集しようと思う。世界は広い。この世には僕の知らない感情がたくさんある。僕は知りたい。人間への理解を深めたい。そうすれば、僕はもっと人間らしくなれると思うから」
彼は決定的な思い違いをしている。
いくら感情のサンプルを増やし自分の欠陥を補おうとしても、出来上がるのは継ぎ接ぎだらけの模造品に過ぎない。外見は人間に擬態することはできても、中身はおぞましい悪魔のままではないか。奴は頭が良いクセに、肝心なところが抜けている。この世に完全なものなどないということだろうか。
だが、優馬の語る思想に惹かれているのも確かであった。禁断の蜜の味を知ってしまった一真に悪魔の誘惑は魅力的すぎるのだ。理性を揺るがす禁忌の衝動への躊躇が薄くなった彼に、弟の誘いを断る道徳心などすでに存在しなかった。
「お兄ちゃんは、僕と一緒に来てくれるよね? お兄ちゃんはお父さんたち普通の人とは違い、どちらかと言えば僕側の人間だから。きっと退屈とは無縁な楽しい日常になると思うよ」
奴と同類扱いされても、なぜか悪い気はしなかった。
両親の件で良くも悪くも吹っ切れたからだろうか。
一真は進む。その歩調に迷いはなかった。
それが例え人道に反する茨道だったとしても、絶望を乗り越えた自分に怖いものなどない。
悪魔に導かれるままに、どこまでもどこまでも堕ちていこう。
奈落の底を突き抜けてたどり着いたその先に、本当に求めていたものが見つかるはずだから。
こうして始まった古神兄弟の物語。
ひとりの人間とひとりの悪魔が織りなす、倒錯と背徳に満ちた狂気の物語。
数多の出逢いと欲望を飲み込み、行き着く先には一体何が待っているのだろうか。
眼前に広がる闇は二人の未来を映すかのように、どこまでも暗く深かった。
第一章 悪魔の証明 完
次章 第二章 悪魔の掌