※この作品はR-18です。

オペラ座 Fan Fiction」   作:木桜 春雨

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ヒロイン、怪人の名前なしです。



閑話

 パリに来て何年が過ぎただろう、カタンコペ、墓場のような地下に住むようになってどれくらいたっただろう。

 できることなら地上の日の当たる場所で、普通のアパートで暮らしたいと思ったこともあった、だが、その思いは、今はどうだろう、揺らぎ始めている、ずっと、ここにいてもいいとさえ。

 ああ、自分はどうしようもないほど、捕らわれてしまいそうになっている、だが、それは、この場所に地下にではない。

 

 自分の家、玄関の前まで来ると男は緊張しながらポケットから鍵を取り出した、自宅を出るときは万が一、紛れ込んで来た浮浪者、いや、犯罪者が、この地下の家を見つけて侵入してこないとも限らないので用心の為に鍵は必ずといっていいほど施錠していた。

 この地下は安全だと思っていても、用心するに越したことはない、それに今は別の意味で、鍵をかけていた。

 

 部屋に中に入ると男は室内を見回した、視線を素早く動かして確認する、同時に、その顔が曇ったのは無理もない、居るはずだと思っていた姿がなかったからだ。

 鍵は外からかけていたので外に出ることはではない、ではどこにと思ったとき、奥から物音がした。

 足音をたてないように向かったのは台所だった。

 明るい部屋の中で音と気配、そして匂いが男の鼻をくすぐるように誘った。

 「何を、している」

 振り返った女が驚いた顔で自分を見た、そして答えたが、それはおかえりなさいという、男が予想もしない言葉だった。

 

 「勝手に台所を使って、ごめんなさい、でも、お腹か空いてるだろうと思って」

 

 テーブルの上には野菜のスープと茹でたジャガ芋が用意された、まともな食材はなかった筈なのに、それでも食事らしく見えるのは不思議に見えた、だが、用意されているのは一人分だ。

 「食べないのか、君は」

 女は、驚いたのか、慌てて首を振った。

 その瞬間、男の頭の中に猜疑心が芽生えた、もしかして料理の中に毒が仕込まれているのではないかと、自分を油断させ、殺そうとしているのかもしれない。

 腕力や力のない女は毒を使って殺しをする、現にパリの街では、そういう事件が少なくない、愛人に入れ込んで夫を毒殺、その反対もしかり、いや、金の為に殺人なんて珍しいことではない。

 

 ほんの数日前、地下で迷っている姿を見つけたとき、声をかけるつもりも助けるつもりもなかった。

 だが、迷っていた相手は男ではなかった、しかも市井、パリの街、下層級の人間ではない服装だと一目でわかり、声をかけたのだ。

 だが、女だからといって油断をしていたら、親切心を仇で返されて。

 

 「冷めないうちに」

 女の遠慮がちに、そして低い声で言葉を続けた、そして男ははっとした。

 

 翌日、目を覚ますと男の頭に浮かんだのは街に出ることだった。

 昨日の食事の時に、女は自分が食べ終わるまで、そばで見守っていた、その様子から女が空腹なのは、はっきりとわかった。

 男自身、ずっと一人暮らしだったのだ、必要最低限のものしか持っていなかった、生活する全てにおいてだ。

 だから、昨夜、一人分の食器しかない為と気づいたとき、慌てた、いや、皿だけではない、スプーンやフォークでさえ、まともなものがあっただろうか。

 一人だと、面倒になり、飢えが満たされたらいいとパンやハム肉の塊をそのままかぶりついて食べていたことを思いだした、まるで飢えた犬のように、人間らしくなくだ。

 

 その夜、夕食が用意されたテーブルを見て、男は少し気まずい気分になった、まともな食事をしたのはいつだったろうか、そんなことを考えながら椅子に座り、自分の向かいに座った女の顔を見た。

 緊張するのも無理はない、こんな風に食事をするのはペルシャ以来だった、ふと懐かしい男の顔が浮かんだが、すぐにそれは消えてしまった。

 共に家族や友人、恋人と食事をするのは楽しい者だというが、この場合はどうだろう、今は女の方が緊張した顔で自分を見ている。

 男はスープを飲み、焼いた野菜にソースをかけたものを自分の皿に取り分けて口に運んだ、そして女の視線を感じてうまいと呟いた。

 すると、相手はほっとした顔になり、自分も食べ始めた。

 会話などない、ただ、黙って食べるだけだ、時折、盗み見をするように男は視線を女へと向けた、気づかれないようにだ。

 

 食事が終わると男は自分の部屋に戻ろうとした、本を読む、いや、作曲をしようと思ったが、台所から聞こえてくる音に気を取られてしまった。

 女は明日の朝食の準備をしているのだ、芋の皮を剥いて、水にさらしておいたら朝、少しでも早く食べられるというのだ、ジャガ芋のパンケーキを焼くからと女は言った。

 「ジャガ芋は嫌い」

 だが、その言葉に男は答えなかった、嫌いではなかったが、好んで食べたいと思うほどではなかったからだ。

 

 それからしばらくして、夕食の後、女は嬉しそうに微笑んだ、空になった皿を見たからだ、自分の料理を残さず食べてくれたことが、嬉しかったのだろう。

 

 「嫌いではない」

 その夜、自分の部屋で否定する言葉を男は呟いた、パンケーキは、と。

 だが、それが何を意味するのか、自身でもわかっていなかった。

 

 

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