どうしようもない混乱と興奮から、雨島詩奈理はやっと解放された。
仕組まれた悪夢から目覚めることによって。
「はあ……はあ……!」
彼女の顔を覆うのは、バイザー型のヘッドマウントディスプレイ――名は、MANABUシステム。
詩奈理はそれを乱暴に頭から引っ剥がし、なんとか呼吸を整え、気持ちを落ち着けていった。
「なんで…あたし、真尋さんに……」
呟きが唇から漏れていった。やっと昂ぶりが収まってくると、苦しさで開けられなかった両目を彼女は開いた。
「あぁん…………」
そして、自分の有様を確認し、詩奈理は絶句した。ブラウスのボタンが外され、胸が曝け出されていたのだ。ブラジャーは消えていた。しかも、その高校生にしては大きすぎる乳房が、小さな室内灯の弱い光に照らされ濡れ光っていた。
少し躊躇ってから、詩奈理は乳肉に指を延ばした。
なるべく刺激しないようにそっと触ってみると、ねっとりと指先に絡みつくそれは、やはり唾液のようだった。何者かによって舐めしゃぶられたのだ、寝ている間に。
「嘘……まさか、こんな…………」
まるでトイレのような狭苦しい、ダイブ専用の個室だ。ある物はといえば、MANABUシステムとリクライニングの椅子――というよりも、座席。車のようにシートベルトも備わっている。それに手荷物を置くためにあるテーブル、に置いてある詩奈理のバッグ、スマホ……それくらいしかない。
そして、それらに異常は見当たらなかった。
壁に貼られた店のイベント告知ポスターも寝る前のまま。目の前にあるドアの鍵は……いや、間違いなくロックされている。それなのに――
残念ながら、異変は胸元だけでは終わらなかった。
慌ててシートを起こしてみると、スカートは履いてすらいなかった。ショーツまでも引き千切られた無惨な状態で床に投げられてある、同じように破かれたブラとともに。
そして、詩奈理の股間には、正確には
聞いたことがある。女性が、夢想空間の中で男性としての性的快楽を得るための装置があると。
「これの、せいで……!」
詩奈理はその装置を引き千切るようにして脱ぎ捨てた。強引な取り外しだったが、幸い大事なところに怪我などはせずにすんだ。
バッグを開ける。中も、無くなった物などはなく、荒らされた形跡はなかった。彼女はハンカチを取り出すと、自分の乳房の汚れを拭った。股間にも、性器も弄ってみたが、よかった。処女を失ってはいないようだ。
「う……」
ほっとしたが、涙が溢れてきた。自分自身の本当の肉体が、おそらくは見ず知らずの男によって穢されたのだ。まだ、初体験すら済ませていない肉体を、恋人でもない人によって。
下着だって、お気に入りの上下だったのに、台無しだ。
「兄さん……兄、さん…………」
泣きじゃくる。ただいつまでも泣いていたかった。そんなとき、詩奈理は唐突にはっとした。スマホを引っ摑むと、現在時刻を確認する。
表示されていたのは、16時51分。
「もう、10分もない!」
シートから立ち上がると、バッグと壁の間に挟まった紙袋を開け、中から黒い上下の下着を取り出した。両方とも、煽情的な、過激なデザインだった。その両方に「NANGO」の文字が見えづらい黒い糸で縫いつけられているのをわざわざ確認した上で身に着ける。ブラウスとスカートを着直すとそれだけで5分近くが経過していた。
「やば! やば! やば!」
バッグを引ったくるように持つと、詩奈理は部屋を飛び出した。
彼女がいたのは街外れのドリームダイブハウス――通称・潜り屋の一つ、その一室だった。潰れたラブホテルを改装して営業している。
MANABUシステムをネットに繫ぐのが禁じられたあとも、こういった店舗では普通に利用できるため、詩奈理のような高校生でも足を運ぶ者は少なくない。
料金は超過分も含めて既に支払われている。彼女が払ったわけではないが、その事実に間違いはなかった。
「あ! いた!……タクシー!」
店を出るなりあたりを見回し、詩奈理は100メートルほど先の路肩に停まるタクシーを見つけると手を振った。そして、大急ぎで駆け寄ってゆく。少しクセのついた肩まである髪をふり乱して。
タクシーはすぐに後部座席のドアを開き、彼女の到着を待った。
次回、「02 悪夢の予感」