はじめて出逢ったときから、運命は感じていた。
一目見たときから、真尋は孕むつもりだったし、孕ませるつもりだった――拓志によって、自分自身を。夢中ながら、2人は本気で求め合い、セックスを続けた。
拓志も、それ以前から多少は彼女のことを知ってはいたようだったが、実際に逢うことで強く惹かれるものを感じてくれたようだった。
すぐに、2人は互いを恋人と認識するようになった。南郷によって高められた真尋の性欲はなかなか治まらず、拓志はそんな彼女の、この夢想での状態がリアルにも影響を出さないようにと色々と手を尽くしているようではあった。
彼女との濃厚な、行為の合間に。
だが、そこに、やって来てしまったのだ。
予感はあった。すぐに見つかってしまうのではという恐怖が、それが現実に…夢中ながら。
南郷に居場所を突き止められ、拓志のサーバーに侵入されてしまった。
「何てことを……何てことをしてくれたんだ、お前は! お前のような碌に知識も技術も無い奴が、よくもこんな……彼女を何だと思ってる!? やって良いことと駄目なことの、区別もつかない……お前が、こんな――」
少し支離滅裂気味に捲し立てながら、それでも、形相から、声色から、南郷はその凄まじい怒りを、正しく2人に伝えてきた。
「……他に方法が無かった。いや、俺には思いつかなかった。だけど、どんな手段を使ってでも、とにかくこの娘を、真尋をあんたから引き離さなければならなかったから――」
「黙れっ! 調子に乗るのもいい加減にしろ……ストーカーが!! 他人の婚約者を攫って、マスター権限を書き換えたぐらいで、寝取ったつもりになってるんじゃない!」
「彼女をレイプしたのは、あんたのほうだ、南郷さん」
激しく舌戦を交わす南郷と拓志。それはやがて、互いのプログラム技術を駆使したハッキング勝負に発展する。
だが、次第に形勢は拓志不利に傾いていった。
どちらの言い分に理があるかはともかく、このままでは真尋を奪い返されると悟った拓志は、やむを得ず、その場で夢から覚醒することを選択した、真尋とともに。
そうしなければ、真尋はふたたび、南郷の性奴隷となっていただろう。
病院にて目が覚めたとき、真尋は覚醒直前に拓志から言われたとおり、南郷のことを家族に打ち明け、父親は警察に通報した。
現実に戻ってしまえば、真尋は拓志のことを忘れてしまうかもしれない、と彼自身は言っていた。存在を忘れないまでも、夢想空間で彼に抱いた気持ちは実感出来なくなるかもしれないとも。
真尋は忘れなかった。
しかし、拓志は、あるいは予見していたのかもしれない。リアルでの彼女に、南郷から掛けられた、まるで呪いのような異変が起きてしまうことを。
まず、真尋を驚愕させ、苦しめたのは下着の件だった。どうしても、NANGOと記された淫猥な下着しか身に着けられなくなり、自分自身のことだというのに、その理由が分からない。
そんな奇妙な事実を告げることも出来ず、真尋は結局、そのまま拓志との「初めての夜」を迎えた。
そして、下着などよりもっと深刻な、真の絶望を味わうことになるのだった……
「……ん」
ふと気づくと、公園か何かのトイレだろうか、不衛生な臭い漂う、狭く薄暗い部屋の中に真尋は立っていた。
下着姿だった。NANGOと記された漆黒のブラジャーとショーツ、それに靴下と靴だけを身に着け、他に着ていたワンピースなどはすべて、汚らしい床へ脱ぎ捨てられていた。
彼女の足下には小さく縦長の機械も置かれてあった。それには起動していることを示しているらしい、緑色のLEDが灯っている。
そして、目の前の洋式便座には……眼鏡を掛けた30前後の男が座っていた。暗がりの中にあっても見間違えるはずもなく、南郷霞杦その人だった。
地下鉄の中では背後に立っていたこの男を目で見ることは出来なかったが、紺色の背広姿だった。しかし、見慣れた高そうなブランドものと違い、妙に安っぽいデザインだ。
南郷はスマートホンを耳にあて、誰かと会話していた。
「じゃ、兆候は無いってことでいいね? や、だからぁ、そんなことは僕だって分かってる。最終的にはDNAを鑑定すればいいだけだし、べつに――ああ、もうこれで切るよ。やっと落ち着いたみたいなんだ。じゃ、また」
真尋が目を開けていることに気づくと、南郷はスマホを上着のポケットに仕舞った。
よく見ると、南郷の着ている背広は普通のものと少し異なる。どこか、制服のような……タクシー? そう、タクシーやバスの運転手が着る制服のように見える。
「…………」
「…………」
張り詰めるような沈黙が続く――と、感じていたのは、真尋のほうだけだったかもしれない。
静寂は唐突に破られた。
「はぁぅーーーーーー……」
という、南郷の恍惚のため息によって。
「素晴らしい。実に、完璧な
感極まって、なのか、ぶつぶつと熱のこもった言葉を口から漏らし続ける、南郷。
真尋は胸を手で隠したが、その両手をすぐに下ろした。
南郷から、すでに「そのまま立って」と命じられている。そして、彼が明らかに真尋の全身を見回しているからには、それを妨害する行為などしてはならない――と、頼んでもいないのに、自分の体が教えてくる。
それで、真尋は、僅かずつ思い出してきた。地下鉄から、ここへ来るまでの経緯を。南郷に指先で尻を犯された後、真尋は次の駅で下ろされた。そして、抱きかかえるようにされて、ここまで連れられて来たのだ。
その間、真尋は掻き立てられた欲情が冷めやらない状態だった。忘我の極致にいた彼女は、南郷の腕に縋りつき、何度もキスをせがむなどして面倒くさがられながら、引き摺られるようにして歩かされた。どんな
正常ではなかったとは言え、思い出されたのは恥辱的な現実だった。
「…………あっ」
真尋は、自分が腰に手を当て、まるで高級下着のモデルのように、気取ったポーズで立ってしまっていることに気づき、慌てて手を下ろした。
意識することもなく、自然な気持ちで、そんな姿勢になっていたのだ。
手は動かせても、脚は動かなかった。
逃げるどころか……南郷の視線を、向けられている浅ましい欲望を拒むことすらできない。このまま見られていたいという気持ちさえ、ふつふつと胸の奥から沸き上がってくる。
「久し振りだね、本当に」
懊悩とする真尋に、呑気そうに声を掛ける南郷……いや、その口調は、誤魔化しでない懐古の念を感じさせた。
真尋は、充分に気を落ち着かせてから、それに答える。無論、世間話に興じるつもりはない。
弱々しくも声を詰まらせながら、言うべき相手に、言うべき言葉を少しずつ、紡いでゆく。
「南郷さん……あなた、警察に追われてるはずよね? それなのに……こんなところで、こんな……恥知らずなことを……あな――」
「髪の毛切ったんだねぇ。ロングのほうが似合うのに。まあ、今さら仕方ないけど、これからは僕に断りもなく短くしないでくれ」
南郷は南郷で、自分の言いたいことを続ける。真尋の声が聞こえてもいないかのように、表情ひとつ変えず。
「はい……」
承諾の返事を即答してから、真尋はその口を手で覆った。
口が、勝手に返事をしたのだ。彼女の意思に反して。
「あと、それ、なんだけど……失敗したなぁ。どうして、君が黒なんだろうね? 君のほうはそんな色でなくていいのに……たしか白のほうが好きだったよねぇ? 電車の中では色まで分からなかったからなぁ。ここで目にして、ちょっとびっくりしたよ。そんな、似合わない色じゃなくてさー…下着はぁ、まあ…白だけにして」
一方的な要求を幾つも突きつけてくる南郷に、真尋はいい加減、苛立った。
「ん……っ……」
すぐにでも了解してしまいたくなる衝動を懸命に堪え、突っぱね――ようとしたが、やはり無駄だった。
「くっ……んぅ…………は、はぁい」
答えてしまった。真尋の体は、南郷の意志に微塵も逆らえなくなっているようだ。いたずらに体力を消耗しただけだった。
「はあ、はあ……やめて……私に、命令しないで。あなたはもう、私の許婚でも何でもないのに」
承諾の返答を口にしながら、それを後から制止する真尋の矛盾。
「僕は婚約を解消したつもりはないけどねぇ」
南郷は、にべもなく否定した。
「あなたがどう思ってるのかなんて関係ない。私…私は今、拓志と」
「雨島『たくしぃ』君ね。フン! 僕と彼とは本当に、奇妙な因縁があるようだね!」
「今の私は! 拓志の――!」
「君の所有者は誰かな?」
真尋が声を張り上げかけた時、またも、南郷の問いかけがそれを制する。
「南郷霞杦…です」
歯切れ良く、明瞭な声で、真尋は南郷の氏名を口にした――口にしてしまった……不意を突かれたせいで、抵抗もできず。
「ほらぁ、そーゆーことだよ。まー、こんな質問を、何も知らずにぶつけてくる奴はいなかっただろうけど」
心なしか、ほっとした様子の南郷。
「……私……どうしてしまったの……」
茫然自失の真尋。
「君は誰に訊かれても、答えてしまうのさ――君の所有者は僕だってね!」
南郷は得意げだった。
「……あなたの、仕業なの?」
声も虚ろな真尋に、とくとくと解説をはじめる。
「夢想空間内において、つまりはあの1年前の『夢』の中で、MANABUシステムの機能を使って君の脳内データを最適化した。勿論、そんなこと、誰でも出来るわけではない。マシンの開発者たる僕だけさ、基本的にはね。その過程において、マスター権限――君の体と、心を、好きに出来る権利――を、僕に設定した」
「設定……?」
「MANABUシステムは、人の脳内データを電気信号によって改良し、半・生体マシンと化す――砕いて言えば、人間の頭の中をPCみたいにしてしまうのさ。だから、PCのように管理者ユーザーを設定することもできるわけだよ」
「あなたが、私の……管理者に、マスターになってるというの?」
「うん。だけど、誤解してほしくないのは、MANABUシステムの真の力は、単に人をロボット化、奴隷化する点だけではない。これを使用することによって、人の精神状態や性格、知的能力を数値化しやすくし、また、通常、意識的に制御できないような、本能にカテゴライズされるような部分を調整することも可能なんだよ。たとえば、呼吸のリズムとか、老化促進物質の分泌抑制とか……性欲とかね」
「…………」
恐ろしい話だった。もう、真尋は言葉もない。だが、彼女の背中をぞくぞくさせはじめたのは、恐怖ではなかった。
かつて感じたこともないたぐいの、底無し沼のような気持ち……恐怖が、別の気持ちに換えられているのを、真尋は理解した。
真尋はもう、南郷に対してネガティブな印象、評価を持つことはできない。
好きか嫌いかは関係なく、彼の女になるしかない。そう、設定されてしまったのだから。
「南郷……さん」
彼女は、今、目の前の、人の子とは思えぬメンタルを持つ男に、激しい欲情を感じていた。
次回、「07 真実と幻想」