雨の降るあの夜に 作:水月星名
俺達の朝は早い。
日の昇りかけた時間に起床し、顔を洗い、最低限の準備を整えると家を出る。最初はこの時間に起きることも苦でしかなかったが、今ではこの時間に照子と歩く道が俺にとって不可欠なものとなっていた。
「まだこの時間は涼しいわね」
「そうだな。この時間が一番過ごしやすい」
梅雨も明け、カラッと晴れる日が多くなってきたのは良いのだが、その分日中の気温も上昇し、仕事をするには少々向かない季節だ。
その為、朝の涼しい時間は俺を含む農家にとっては凄まじく貴重だ。その証拠に、畑へと向かう軽トラや既に作業を始めている爺さん婆さんを多く見かける。
「私、暑いのは苦手だから助かるわ」
「俺もあんまり得意じゃないな。都会に居た時はクーラーの効いた部屋で仕事してたし、暑さにあまり耐性がない」
「貧弱ね」
「お前に言われたくない」
こんな冗談を言い合いながら歩くのが俺達の朝の始まりだ。
そして、そうこうしているうちに爺さんの家へとたどり着く。
「おはよう、爺さん」
「おはよう、玄おじいちゃん」
「おー、おはよう。今日も暑くなりそうだけど頼んだね」
裏口で仕事の準備をしている爺さんに声を掛ければ、その皺の寄った顔を更にくしゃっとさせ笑顔で俺達を迎えてくれる。
「了解。爺さんもあんまり無理するなよ」
「ははは、大丈夫だよ。これでも体力には自信があるんだ」
「それでもよ、玄おじいちゃん。油断しちゃだめよ?」
照子も爺さんの身体が心配なのだろう。このやり取りはもう何度目かわからない。
「わかっているよ。そのために息子達もいるんだからね」
「そうだ、親父はもっと僕たちを頼ってほしいよ」
俺達がそんな会話をしていると、畑の方から男性と女性が荷車を引きながら歩いてくる。荷車には収穫したばかりの野菜がいっぱいに積まれていた。
この男性の名前は爺さんの息子、
「だから毎日の朝収穫を任せているじゃないか」
「まあ、そうだけどさ。洋介、照子ちゃん、おはよう。これが今日の分だから、あとはよろしくね」
「了解。照子、行くぞ」
「わかったわ」
雄介から荷車を受け取ると、俺達は軽トラの置いてあるガレージへと向かった。
荷車と共にガレージへ入ると、脇に置いてある袋に野菜を入れていく。
袋にはトマトやらピーマンなどと書かれたラベルが貼ってあり、収穫日時やら農薬の使用有無が表記されている。ついでに爺さんの顔写真も貼ってある。
俺が野菜を袋に入れ、照子がゴムで栓をする。最初は息が合わなくて照子の方にたまっていく一方だったが、今では完璧な流れ作業が成立していた。
「ラスト」
「はい」
荷車にあった野菜をすべて梱包し終えると、それを軽トラに積み、シートをかけロープをして出発だ。
全てを終えて出発する頃には辺りは完全に明るくなっていた。
「いつもより二分早いわね」
「そんなことまで覚えてんのか。細かい奴だな」
「失礼ね。少しでも早くできると成長したみたいで嬉しいじゃない?」
照子の言葉に返してみれば、助手席に座る彼女は頬を膨らませながらそんな反論をしてくる。
ふむ、確かに言われてみればそうかもしれない。最初はあの準備に時間を取られすぎて朝市の開始時刻に間に合わなかったこともあったからな。そのころに比べたら成長したということだろう。なんか嬉しくなってきた。
人間、何事であっても自分が成長したと感じれば、多少なりとも嬉しくなってしまうものだ。照子や俺の感じるこの感情も間違ってはいないのだろう。
「言われてみればそうかもしれないな」
「でしょう?」
「……なあ、もしかして、夜寝る時間とかも覚えてる?」
「ええ。まあ、あれは洋介次第で著しく変わってしまうから、平均を取っているわ」
「……いや、お前やっぱり細かいわ。あと、時々お前のせいで夜が遅くなることもあるからな」
時々あるんだよな。あの時の照子はヤバい。何がヤバいかは言えないがやばい。
「しょ、しょうがないのよ。私だって溜まる時くらいあるわよ」
「女の子が溜まるとか言わないの。こっちが恥ずかしいでしょうが」
「よ、洋介から言ったんじゃない!」
「はいはい、ごめんねー。よしよしー」
「もぅ……」
軽く頭を撫でてやれば照子は落ち着きを見せる。こういうところが照子の可愛いところだと俺は密かに思ったりしてたり、しなかったり。
「もう、もういいから!ちゃんと両手運転しなさい!」
「はいはい」
怒られてしまった。
普段は口調からクールな女性だと思われがちだが、その内面はどことなく幼さを感じる。しかし、それがマイナスに働くことはなく、むしろ俺的には非常に好ましい。ギャップ萌えというのだろう。
まあ、三十を過ぎたおっさんがギャップ萌えだのなんだのと言う絵面は気持ち悪いだけなので、人前では絶対に言ったりしないが。
そんなことを考えていると、照子が指先でいじる深い青の髪が目に入る。
「チラチラ見ないでちょうだい。事故るわよ」
「悪い。相変わらず綺麗な髪だと思ってな」
「そうね。この深い青の髪をあなたが時々白く染めるのよ」
おい、こいつは本当に何を言っているんだ。
「あれはだな、不可抗力なんだよ。飛びすぎる俺のが悪い」
「結局洋介が悪いんじゃないの。自分のものくらいしっかり制御なさい」
めっちゃ無理難題を言われている。
「無理だわ……。てか、お前下ネタに走りすぎだろ。女の子なんだからそういうのは控えなさい。何?欲求不満なの?」
「そんなことないわ。洋介のものに不満はないもの」
「だから、そういうことを言うのをやめなさいって言ってるの。聞いてる?……はぁ、もういいですわ」
なんか、もうどうでもよくなってきたな。この会話何度目かわかんないしな。
「ふふ、そうやっていつも先に折れてくれる洋介が好きよ」
「褒められてる気がしねえよ」
そう言いながら視線を完全に前へ戻した。
やがて道の駅へ着くと、いつもの場所に軽トラを止め、シートを外す。
特別値段を表すものは出さない。軽トラに積んである野菜は、全て一袋百五十円。安いのか高いのかはよくわからんが、周りの様子を見る限り、比較的安い方だと感じる。少なくとも、トマト七個を百五十円で売っている店は他に見ないし。
その為、売り上げと言っても全然少ない。でもまあ、爺さんはこの朝市を主な収入源にしているわけじゃないし、生活については問題ないのだろう。
「なあ照子」
「なにかしら」
「爺さんがこの朝市に野菜出す理由って何だと思う?」
「そうね……」
大きな収入にもならない、出店料だっているだろう。もしかしたら赤字かもしれないこの朝市に出店し続ける理由は何なのだろうか。
そんな急な質問に照子は少し考えると、思いついたのかゆっくりと口を開く。
「いろいろあると思うけど、新鮮な野菜を食べてもらいたいからじゃないかしら」
「新鮮……か」
「獲れたての野菜って美味しいじゃない?そして、その新鮮さを楽しめるのが朝市だと思うの。出荷だと、どうしても鮮度が落ちちゃうから」
「なるほどな」
確かに鮮度っていうのは大事だよな。
何度か獲れたての野菜を食べたことがあるが、都会で食べたどの野菜よりも美味かったのを憶えている。
「あとは、私達の為」
「俺達?」
「初めて玄おじいちゃんと会った時、私達ひどい顔してたと思うから」
「ああ、なるほどな」
あの時の自分達の顔など、思い出しただけでも目をそむけたくなるような顔だったに違いない。実際、俺の見ていた照子はそうだったのだから。
「私達にとって、ここは私達を変えてくれた場所だから」
「ああ、そうだった」
俺達は無言でお互いの顔を見つめる。その顔に昔のような暗さはなく、小さくだが笑顔を浮かべている。照子の目には俺がそう写っているのだろう。
ここに来はじめてから俺達は変わった。ここに来る多くの人が、一緒に店を出すライバルたちが、そして隣に立つ大事な存在が俺を、照子を変えてくれたのだ。
そのことは爺さんもわかってるんだろう。
だから『私達の為』か。
「さっ、開店だ」
「うん」
朝市開始のベルと共に、俺と照子は大きな声を張り上げた。