『さて、浮気者のミナトにひとつ問いましょう』
夜が明け、対『巨人三国』用防衛拠点・ラピス砦へと向かう馬車の車内。
俺の横にはアイズ、対面にはフェイルメール伯がいらっしゃる中、俺の意識は彼らではなく、俺の肩に乗る我が師に向いていた。
俺の相棒であり、師であり、《聖魔》にして正妻。ニュクスである。
ろくに彼女と話さずアイズと話し合う選択をし、挙句の果てに情事に及んだ俺に対して彼女はそれはもうご立腹であった。
いくらこの世界でハーレムが肯定されていようと、それは当人達の間で合意がなされていた場合のみだ。
それがないハーレムの構築はただの密通であり、ニュクスに対する裏切りでしかない。
完全にこちらに非があり、故に俺は彼女に対して五体投地で詫びる他に無かった。
しかしその甲斐あって、なんとか会話をしてくれるくらいには機嫌を治してくれた彼女ではあったが、今なおこうしたネチネチとした口撃を続けている。
いや、もう甘んじて受けますよ。このくらいは……悪いのこっちだしね……。
そうした一悶着を終えて今、彼女から師として乗り越えるべき壁を提示される。正直恐ろしくて仕方がないが……こと『俺を鍛える』という点において真摯な彼女の事だ。余程の理不尽でないことは信じたい。
『以前我々が言った、「貴方の明確な問題点」それはなんでしたか?』
『はい……武・魔、両方の技術力が圧倒的に足りていない事です……』
それはこれまでに何度か指摘されてきたことだ。
再三言うようだが、《勇者》と《聖魔》は保有する《特殊技術》を共有している。いや、正確に言うならば《聖魔》が《勇者》に貸与している、というべきか。
その上で共通して持つ《特殊技術》は統合された後、然るべき経験値を元にレベルアップする……といった風になっているのがこの世界の法則であるわけだ。
つまり同じ《特殊技術》を有しているのであれば、理論上はニュクスやティアマトに出来て俺に出来ない事は存在しない。けれどそうなっていないのは何故かと言えば、ニュクスが言ったように俺自身の単純な不足が原因である。
魔力を扱う技術、武術、戦闘経験によって培われた判断力や発想力エトセトラエトセトラ……。
この世界に来て一ヵ月も経っていない俺と、歴戦の魔王である彼女達の彼我の差は極めて大きい。
その上で、俺のそういった技術の呑み込みは如何ほどかと言えば……可もなく不可もなくといった評価に収まるらしい。
それらは勿論、ニュクス・ティアマト基準でのそれ──つまりは世間一般的に見れば優秀という評価にはなるそうだが、《魔力制御》や《武神》といった《特殊技術》の補正含めてそれなんだから才能自体は乏しい、というのがティアマトの弁だ。
泣けてきますね……。
『そうね。じゃあアタシから聞くわ。ミナトが今みたいな状況に陥った原因を考えて挙げてみてちょうだい』
『…………思いついてるのは一個あるんだけど』
『えぇ』
『怒ったりしない?』
『しませんよ』『しないわよ』
ならいいか。
なにせ俺がまず最初に思いついた事は、捉えようによっては他責していると思われても仕方がない事だったから。
師としての彼女達は冷徹なまでに合理的で、故に言葉のナイフが深く心に刺さるのだ。勿論褒めるところは褒めてくれるし、鍛錬の時間が終われば甘やかしてくれたり、エロいこともさせてくれるのでなんとか踏み止まれているのだが……ってまた話が脇に逸れた。
『ふたりが「強すぎた」ことだと思う』
契約者兼弟子の贔屓目なしに、ニュクスとティアマトはそれぞれが方向性の違う『最強』だ。
片や魔法の極北、片や暴力の極致。
俺は図らずも『ぼくのかんがえたさいきょうのまほうのつえ』と『ぼくのかんがえたさいきょうのつるぎ』を、この世界に来て一週間と少しで手に入れてしまった。
その上彼女達と契約した関係でステータスに著しい補正が加わった上に《特殊技術》も共有されるとなってしまえば、何も考えず適当に魔法を放てば、剣を振るえば並大抵の魔獣共は一発で爆発四散してしまう。
そんな状態で基礎的な技術など身につくはずもない。
俺は彼女達の力を借りた事で、本来段階的に強さの段階を登っていくはずであったところを数十段飛ばしで駆け抜けてしまったのだ。
俺の言い分にふたりは頷く。
『ミナトにとって幸運であったのは、アンタがたまたまニュクスの好みの男であったこと。そしてコイツがなりふり構わずアンタを生き残らせるために強くしようとしてアタシと契約させたこと。その甲斐あってアンタは能力だけ見ればこの世界最強と言っていいわ』
『でもそれは所詮鍍金……本当の強者達には通じない。そう言いたいんだろ?』
『えぇ。《魔王》って存在は同種族の中で闘争に明け暮れ、異種族との戦争を何十、何百年と勝利し続けてきた真正の怪物。中身が伴っていない伽藍洞の強さで満足していては蹂躙されるのがオチよ。だからミナトはアタシ達の力じゃない、アンタ自身の強さを身に着ける必要がある』
それが格闘術、剣術といった『武』であり、魔力というエネルギーそのものを扱う技量。
これを培うため、彼女達との実戦形式での訓練も行っているのだが所詮は訓練。ふたりとも俺の強さに合わせて手心を加えてくれている以上、本当の殺し合いとは言い難い。
だが、王都周辺の環境ではただスペックだけで圧倒できる程度でしかない魔獣しかおらず、どうしたものか……とニュクスが頭を悩ませていたところ、エリザさんから『巨人三国』での討伐依頼が舞い込み、これ幸いと彼女達は俺の実践相手として巨人達を選定したわけだ。
『さて、問題点が明確になったところで。巨人達との戦いにおいて、ミナトにひとつ課題を与えます』
──《闇属性》魔法の発動を禁ずる。
それが俺に課せられた縛りであった。
『……強すぎるからか?』
『ご明察です』
この世界における魔法は《炎属性》《水属性》《風属性》《土属性》の四大元素属性に《神聖属性》《闇属性》の二属性、そして単純な魔力放出といったものが該当する《無属性》の計七種に大別される。
その中であえて『最強の属性とはなんぞや』という問いを魔法に精通する者に投げかければ、おそらくは《神聖属性》もしくは《闇属性》で二分されるであろう。
その二属性は他属性と比較して消費魔力量が著しく多いという明確な弱点を負っている。
しかし《神聖属性》は魔力というエネルギーそのものに攻撃できる《魔力破壊》の特性故、全ての魔法属性に対して優位に立てる。
そして今更語るまでもない事だろうが、ニュクスが操り、そして俺が最も得意とする《闇属性》の特徴と言えば時空間・重力への干渉だ。
時を手中に収める。空間へ干渉する。重力を操る。
それはフィクションにおいて作品最強格の存在が有する、言わずと知れた最強の異能。
《闇属性》の力が如何ほどかといえば、ニュクスが今の一割ほどの力しか発揮できておらず、尚且つ俺はこの世界にやってきて二日目といった有様でありながら、王国の騎士団長であった──無論相当に手心は加えられていたが──アンドリューを下せるほど。
この力こそ宵坂湊という男を支える屋台骨。《闇属性》がなくなった俺は
俺の目算にはなるが……平時の四割程度の実力を発揮できれば良い方か。そのような有様で王国近隣で最も過酷といわれている環境『巨人三国』に身を投じろという。
全く、俺の妻は本当に厳しいこって。
正直、妻をほったらかして他所に女を作った大馬鹿野郎に対する報復という線もなくはないな……と思っているのだが、そうではないと信じたい。
彼女はただ純粋に俺を立派な《勇者》に育て上げようとしてくれているだけなのだ。多分、きっと。おそらく。
『あぁ、そうでした。巨人達の王と戦う際には解禁しても構いません』
『ただその三体以外、どんだけ強い奴が相手だろうが使うな、と。きっついなぁ……』
『厳しくなければ修行になりませんので。それにミナトも魔力制御の重要性は身に染みて理解しているでしょう』
──それはつい五日前ほどまで実施されていたニュクス&ティアマトブートキャンプでの一幕。
基礎技術の大切さを知ってもらう、という名目で俺はニュクスと模擬戦を行った。ただしハンデとしてニュクスは『魔法を一切使わない』という制限を設けて。
こちらにはふたりと契約したことによるステータス補正、《特殊技術》、彼女達に由来する数多の魔法がある。
加えて俺の戦闘スタイルはティアマトのような魔法戦士のそれ。対するニュクスは純粋な魔法使い。
そんな彼女がわざわざ戦士の土俵に立った上で、魔法を禁止し、ただ魔力制御技術と杖術のみで俺と戦ってみせるという。
あぁ、そりゃこっちを侮るのも大概にしろって思ったさ。
結果?
惨敗でしたけど。
魔法を使わない魔法使いを相手にボロ負けしましたけど。しかもこっちは魔法を滅茶苦茶に使ったうえでボッコボコにされましたけど。
基礎技術の大切さを、俺はその身に痛みと共に刻み込まれた。
そして俺はしくしく泣いた。あの合宿中、一体何度心身、そして命をへし折られたか数えたくもない。
あまりにも過酷な環境。
基本的人権? 人としての尊厳? そんなもの強さの前では何の役にも立ちませんよ? と言わんばかりの地獄。あそこを乗り切った事で俺は戦士としてもそうだが、人間としても大きく成長できたと確信している。
アレに比べたら巨人がなんぼのもんじゃい! やってやるわ!
『アタシの力は使って良いから。……これを機会に《水》にも慣れときなさいよ。一つの属性を極めるって言えば聞こえはいいけど、それが一切通じない相手が出てきたら何もできないってことなんだからね?』
『……だな』
属性無効化の《特殊技術》を有している存在は極めて少ないが、その例が他ならぬ《闇属性無効化》を有しているニュクスだ。
彼女には──彼女自身が《耐性》まで《特殊技術》を弱体化させなければ──重力も、空間干渉も、時間操作も何一つ効果を発揮しなくなる。
故にこの世界で『強者』とされる者は大半が複数の属性、あるいは武技に精通している者が大半だ。
武技──物理攻撃はどれだけ《特殊技術》を鍛えても《耐性》止まりだからな。そういった面でも物理攻撃に特化した進化を遂げた【巨人族】は厄介極まりないと言えた。
『力に溺れない程度に頼りにさせてもらうよ、ティアマト』
『えぇ』
「────ヨイザカくん?」
は、と顔を上げればフェイルメール伯に呼びかけられているところだった。
いけない、いくらニュクス達との事があろうとも、依頼主の事を無視など無礼千万もいいところだ。俺はすぐさま頭を下げる。
「申し訳ありません、伯爵。少し
「そうか。真面目で大変結構だ。……体調不良などではないのだね?」
「はい」
伯爵の鋭利な瞳を真っすぐ見据えて頷く。
昨晩は確かにアイズに溺れていたけれども、エロいことをしすぎて戦えませーん、なんて愚か極まる真似などできるわけがない。
……俺が満足するまで
あの部屋にのみ《
「ならば結構。もう間もなく『ラピス砦』へ到着する。まずは現場指揮官への挨拶、その後、兵達との顔合わせを行ってもらう。……最終確認だが、アイズ女史も『戦力』として数えて良いのだね?」
「はい、問題ございません」
「承知した。……さて、ヨイザカくん。兵達との顔合わせについてだが、実はラピス砦では伝統の挨拶の作法があるのだよ」
「挨拶の作法……ですか?」
「あぁ。無論、昨日私にしてくれたようにやってくれれば構わないのだがね。これから一ヵ月共に戦う仲間になるのだ。君さえよければ、我々のしきたりに則ってはくれないだろうか?」
「勿論です」
伯爵の言葉に頷く。
いくら伯爵やエリザさんが俺に『絶対強者』として振舞う事を望んでいようとも、それは礼儀を軽んじても良いということにはならない。ましてや俺は十七という若年であるし、一番の後輩としてラピス砦の兵士として加入するのだ。
そのような存在が大きい顔をしていれば彼らが不快に思うのは当然だ。擦り寄っているだのなんだの言われようとも、こちらから喧嘩を吹っ掛けるような真似は出来ない。
「ありがとう。では肝心の作法だが──」
──『巨人三国』の様子は今のところは平和そのものだ。
草木が一本も見えない不毛の大地。そこに埋められた数千にも及ぶ《炎属性》の魔力地雷に、そこを乗り越えた場所にあるのは《土属性》魔法を用いて作成された巨大な落とし穴──対巨人壕。
そしてラピス砦を起点に展開された淡い水色の魔力障壁は、砦に搭載された魔法装置『カステール』が正常に稼働している事を意味していた。
巨人達の姿は影も形もない。
とはいえ、到底油断など出来なかった。
──巨人達の生態は自分達人間と然程変わらない。
朝に起きて、昼から夕方、夜にかけて活動し、深夜になれば眠る。故に早朝である今は深夜の次に平和な時間帯であると言えた。
とはいえ、夜型の人間がいるように夜型の巨人もいないではない。故に自分達のような夜間帯に巨人族の襲撃に備える者もいるのだが……幸いな事に昨夜に襲撃はなかった。
どうやら今日もあの赤褐色の地面を染め上げる染みのひとつにならずに済んだらしい。
「──お疲れさん、ジョセフ」
「っ、お、お疲れ様です! アレックス先輩!」
自分の名を呼ぶ声に振り向けば、そこにはかつて自分の教育係だった男性兵士──アレックス先輩がいた。
彼はよ、と自分に親し気に手を挙げてこちらに寄って来てくれる。
「そういやジョセフよ、聞いたか?」
「え? 何がですか?」
「今日なんだってよ。《勇者》様が来てくださるの」
「あぁ……そういえばそうでしたか?」
《勇者》様……《勇者》ねぇ。
だからだったのか。近頃、砦の雰囲気が変だったのは。
人によっては浮かれていて、人によっては妙に不機嫌だった。そういった空気の違いが砦内に不和を生んで喧嘩沙汰になることもあった。
「なんだ? お前は《勇者》様はお嫌いか?」
「興味がないだけです」
先輩の問いには首を横に振る。
だが好ましく思っているか、嫌いかという二択を示されれば『嫌い』だと言わざるを得ない。
なにせ、上述した喧嘩沙汰につい先日巻き込まれてしまったばかりなのだ。今のところ自分にとって《勇者》という存在は悪影響しか与えられていない。そんな存在をどうして好きになれというのか。
加えて……。
「最近の『巨人三国』の動向を考えれば、此度の《勇者》の派遣は王国の
《勇者》という存在は、単身にて《魔王》を殺すことが出来る存在であるというのは有名な話だ。
しかしそれはあくまでも順当に成長した《勇者》の話。聞くところによれば、今回こちらに派遣されてくる者は、《勇者》となって一ヵ月も経っていないという話ではないか。
そのようなヒヨコもいいところの存在が、ラピス砦の防衛をまともに遂行できるとは思えない。
ましてや近頃はこちらに襲撃をかけてくる巨人の数も、頻度も増加傾向にある。
それを対策するために西方の統治を統括するミハロヴィーナ大公が《勇者》の協力を国王に対して具申したとのことだったが……現場からしてみれば、使えるかも怪しいド派手なお飾りを寄越されたところで一体何をしろというのか。
故にお偉方の目的は『巨人達の対策として《勇者》様を派遣しました! これで安全ですよ~』と喧伝する事と考える方が腑に落ちる。
「大公様は戦場がどのような場所かご存じないようで。民の人気取りに付き合わされるこちらの身にもなっていただきたいものです」
医療者としての技量こそ見張るものがあるが、それだけだ。
本当に巨人達を抑え込みたいのなら、より多くの魔法使いを派遣してくださった方が遥かに情勢は改善するだろう。対策としては的外れもいいところである。
……所詮は女か。
貴族の真似事こそ巧みであるとはいえ、実際にはまるで使い物にならない。
「おいおい、流石に口が過ぎるぞ。クリス隊長に聞かれたら面倒ごとになる」
「す、すみません……」
「とはいえ、気持ちはわからなくはねぇがな。使い物になるってんなら上手いこと使って、そうじゃねぇなら適当におだててきもちよ~く帰ってもらおうじゃねぇの」
「…………権力者の相手をするのは面倒ですね」
「違いねぇ」
先輩はわはは! と豪快に笑い、自分は苦笑を漏らす。
もう間もなく日朝点呼の時間だ。すぐに向かわなければ。
「──総員、傾聴」
ラピス砦を防衛する兵士を統括する第一班班長にして指揮官である、クリストフ・フェイルメールの号令に合わせて自分達は直立不動の姿勢を取る。
クリストフ隊長は御父上であらせられるヨハン総指揮官に似て極めて厳格な方だ。いくら夜間警戒の任務を終えたばかりとはいえ、姿勢を崩せばろくなことにならないのは目に見えていた。
藍色の切れ長の瞳は、今でもじっと見つめられれば総身が震える。彼は自分達をじっと見渡すと、「さて」と口を開いた。
「皆も既に聞いている事だとは思うが、本日より《勇者》様が御着任された。近頃の巨人達の活動活発化に伴い、ラピス砦の戦力拡充をミハロヴィーナ大公代理、ヨハン総指揮官殿が整えて下さるまでのおよそ一か月間、我々と共に戦ってくださる。皆、失礼のないよう敬意を以て接するように」
「「「はッ!」」」
……などと返事はしたものの、皆の反応は内心芳しくはないだろう。
純粋に喜んでいるのは比較的若い者、そして数は少ないが女性の兵士達くらいのもの。後者に関しては着任する《勇者》が男であることからあわよくば、と自分達の環境改善を狙う者達だ。
勿論、隊内での恋愛はご法度であるが、自分以外の男がちやほやされていて気持ちよくなる男は少数派だ。
どうせ肩書だけでロクに使い物にならないのだろう、という自分と似た考えを持つのはベテランの先輩方だ。
《勇者》という存在はたとえ中身が伴っていないとしても、地位と民に与える影響力だけは計り知れないのだ。
アレックス先輩の仰った通り、適当におだてて帰っていただこう。
「結構。では……総指揮官殿、ヨイザカ様、アイズ女史。どうぞこちらへ」
はい、というふたりの男女の声。
そして我々の前に姿を見せたのは、隊長が仰ったように三人の男女。
その一人には当然ながら見覚えがある。
ヨハン・フェイルメール伯爵。
藍色のオールバックに片眼鏡。二メートルに迫ろうかというその偉丈夫は、五十路に達そうかという男には到底見えない。
まさしく生涯現役。
されど息子であるクリストフ隊長に現場の指揮を任せてからは、総指揮官という立場なれど領地の運営といった参謀職に集中なされている筈だったが……流石に《勇者》を連れて来ようとなれば、代表である彼が顔を出さないわけにはいかないか。
そして後のふたり。
その片方である女は、このラピス砦においてあまりに不相応な姿をしていた。
メイド服だ。
そう、あの高位の者に仕え、身の回りの世話を行う任を負った者が纏う装い。あろうことか、この常在戦場の地獄に《勇者》様は自身の供回りを持ち込んだのだ。まさかピクニックにでも参加されたとでも勘違いでもされているのだろうか?
確かにその装いは決して華美ではなく、実用性一辺倒。装飾品と呼べるものは頭にあるホワイトプリム程度の物。
しかしそんなもの言い訳になりようがない。
その容貌は極めて整っており、檸檬色の長髪に金色の瞳はそこらの女がゴブリンやオークに見えてくるほど。ただ自分の世話をさせるだけなら、これほどの美貌を持った者をわざわざ連れてくる必要性もない。
愛妾にメイドの格好をさせているだけ、と言われた方がまだ納得できる。
現に女兵士達──一部だが──の悪感情がふつふつと煮えたぎっていくのを気配で感じる。そりゃあ玉の輿を狙おうとしていた男の側に、これほどの美人がいれば怒りも湧いてくるものだろう。
それをどこ吹く風だと受け流す彼女も、男としては肝が据わっているなぁ……と個人的には思うが。
「アイズと申します。平時はブリステン王宮にて使用人をさせていただいております」
アイズと名乗ったメイドの言葉にざわめきが広がっていく。
王宮で勤務する使用人となれば、下位の貴族などよりも優れたエリート中のエリートだ。少なくともわざわざこのような戦地に身を投じる理由などまずない。
「我が主、《勇者》ミナト・ヨイザカ様の身の回りのお世話をさせていただく事が私の役割になります。しかし主の戦闘時は、クリストフ隊長殿の旗下にて《風属性》魔法士として皆様と共に主の支援を行います。何卒、よろしくお願い申し上げます」
一糸乱れぬ所作で礼をするアイズ女史。
主の支援を行う? 《風属性》魔法士として?
それは即ち、彼女もまた『戦力』として数えて構わないということか?
異常だ。
一使用人が魔法を扱えることのおかしさを、果たして《勇者》は気付いているのだろうか?
……そして最後のひとりが一歩前に出る。
その男は、極めて小柄だった。
王国西方に住まう者達は平均して身長が高い。しかしそれでも170㎝にすら達していないだろう矮躯は、戦いを生業とする男としてはあまりに小さく、軽い。
この国では珍しいが《勇者》の中では希少でもなんでもないという、男にしては長い黒髪と黒瞳。
隣に立つアイズ女史と比較すれば見劣りするだろう容貌は、如何にも軟弱な男と言った具合。加えて鎧や兜を纏っていないその姿は戦場を侮っていると評されて然るべきである。
身に纏うのは深い群青を差し色とした、黒のバトルドレス。
『ブレザー』と呼ばれる、彼らの学び舎での制服を基調としたデザインの装いの上から夜空色のロングコートと深海色のネクタイが風に揺れていた。
──こんな男が《勇者》?
髪の色さえ除けば凡百の男と呼ぶべきこの男が切り札なのか。
そんな落胆が皆の胸中を占めた時、ヨハン総指揮官が静かに呟いた。
「……皆、少しばかり頭が高いな」
瞬間、起こるは一際強い一陣の風。
しかしそれは自分達の髪を揺らすようなことはなかった。……当たり前だ、実際にそのような風は起きていないのだから。
だが、それに勝る異変は起きた。
自分達の目の前で静かに佇む黒髪の男。
彼の気配が膨れ上がった。そして自分達の胸中を塗りつぶすのは──。
「ぁ、あぁ……あぁ……っ!」
「いや、いや……いやいやいや……!!」
恐怖だ。畏れだ。
まるで白い布を染料に浸した時の様に、絶望が伝播していく。
あるものは地に伏せ神に祈り。あるものは意識を失い倒れた。あるものは硬直して悲鳴すらあげられない。
逃走を選んだものはいなかった。闘争を選んだものはいなかった。どちらを選ぼうが無駄だからだ。己に訪れる『死』という結末を避けられないからだ。
自分達は望んだ。奴が機嫌を損ねませんように、と。せめて安らかに逝けますように、と。
そして錯乱できない程度には精神が強いものは、それを見た。
天を衝く巨躯。
青空を黒雲で征服して、遥か高みより自分達を睥睨する漆黒の龍の幻影を──。
「おいおい……とんでもねぇな……。ジョセフよ、どこの誰が世論誘導のためのお飾りだって……?」
龍の威容を見た瞬間に共に跪いたアレックス先輩が隣の自分にだけ聞こえるように呟いた。
あぁ、そうだ。
このような存在、『巨人三国』ですら出会った事がない。
否、これまでの二十六年の人生の中でも見た事がない。
それほどの絶対的な暴威。圧倒的な力。
「は、ははは……」
これが《勇者》?
《魔王》の間違いだろう。
彼は何か魔法を使ったわけではない。
《特殊技術》も然りだろう。
彼がしたことはただ、少しばかり自分達をおどかすために魔力を飛ばした。
たった、それだけだ。
それだけの事で、王国内でも騎士団と並んで随一の戦力を誇る対『巨人三国』戦力を制圧して見せた。
一滴の血を流すことなく、流させることもなく、威圧だけでラピス砦を降伏させたのだ。
心を、
「──ヨイザカ様、何卒この辺りでご容赦ください。これ以上は兵達が自害しかねません」
「あ、もういいですか?」
伯爵の息子様であるクリストフ隊長──本人からはクリスで構わないと言われたので今後はクリス隊長で──の頼みもあって、目の前の兵士たちに向ける威圧を解く。
……いやね? 言い訳させてくださいよ。俺だってこれが伯爵の仰る通りただの『挨拶』なわけがなくない? という良識くらいあるんですよ。
ただ伯爵に『やれ』と言われたら、こっちは首を縦に振る以外の選択肢はないんだわ。
だって伯爵が何の意味もなく『砦に駐在する兵士達を脅してみてくれ』なんて言うわけないんだから。
「ただの脅しで音を上げるとは。私が砦を不在にしてからここは腑抜けの集まりになったのか? クリストフ」
だが、当の本人はこの有様だ。
クリス隊長曰く、自分がこの砦にて指揮官を務めるようになるまで──即ち、先代フェイルメール伯爵が爵位を当代に譲るまではゴリゴリに巨人達と戦いを繰り広げていたのだという。
……やはりというべきか、伯爵は俺に『《勇者》とは何たるか』を説いてくれたような苛烈な性格が彼の素であるらしかった。
「お戯れを、父上。彼の威圧に耐えられた者が全体の半分もいたのです。これはヨイザカ様の強さを鑑みれば、充分と言って良い成果でしょう」
「足りんな。その程度の練度で我らが王国を巨人達の進撃から護れるとでも?」
「相も変わらず手厳しい事で」
肩を竦め苦笑しながらも、クリス隊長は空中に水の弾を生成。錯乱した者や気絶した者達にぶっかける。うわ、ひでぇ。確かに威力は極限まで落とされているとはいえ、あれだって立派な攻撃用の魔法だぞ。
「さて、諸君。改めて傾聴したまえ。まさかこれ以上、《勇者》様の前で無様を晒すような軟弱者はいないだろう?」
そう言うクリス隊長の背中と言動は確かに伯爵との血の繋がりを感じさせる。主に兵達に対する厳しさという意味で。
正直、俺の上司にこの人達になってほしいかと言われたらかなり悩む。メンタルがへし折られそうだ。
しかしそれでも王国に存在する魔獣の群生地の中でも最も脅威とされている場所で日々戦う者達だ。
確かに未だに膝が笑っている人達もいるにはいるが、それでも『気を付け』の姿勢を取れる辺り彼らの性根は徹頭徹尾、兵士であるらしかった。
「どうぞ、ヨイザカ様。皆に一言ご挨拶をお願い致します」
「承知しました」
とはいえ、こういう挨拶って苦手なんだよなぁ……あらかじめカンペでも作っておけばよかったか。
だが、カンペを見ながら挨拶する《勇者》なんて威厳もへったくれもないしなぁ。仕方ない、ここは出たとこ勝負でなんとかするか。パッションで押し切る、ともいう。
俺は一歩前に出てクリス隊長の横に並んだ後、俺は口を開いた。
「改めまして、ご紹介に預かりました。《勇者》ミナト・ヨイザカと申します。使用魔法は《闇属性》と《水属性》。魔法以外ですと格闘術と剣術を主に扱います。
……私は《勇者》だなんだともてはやされてはいますが、指揮の類も、砦にて主に使用される三属性の魔法も一切できかねますので、ご容赦下さい。私もアイズと共にクリストフ隊長の旗下に入り、遊撃隊として巨人討伐に精進致します。約一ヵ月という短い期間にはなりますが、ご指導とご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます」
そして最敬礼にて頭を下げる。
なにせファーストコンタクトが最悪だったからな。ここから別に怖くないよ~、とアピールしていく必要がある。
……だからといって無言はちょっと心に来るものがあるんですけど!?
そんな俺の心の声を聞き取ってくれたのか、後ろから控えめな拍手を送ってくれる。
アイズだ。本当にありがたい。でも彼女以外に何も反応が帰ってこないのは、その、泣くぞ?
「…………何か失敗しましたかね?」
「流石に初対面で殺意を放ったのがよろしくなかったのではないかと存じます」
「そうですよね……」
アイズの言葉にはまぁ、でしょうよ、と返す。
仕方ない。これからの成果で挽回していくしかないか……と項垂れたその時だ。
けたたましい警報が砦に響き渡る。砦に備え付けられていた魔石照明が激しく赤の明滅を繰り返している。
……少なくともこれを吉報であると捉えるほど俺の頭はお花畑ではない。
「来ましたか」
「そのようです。数を報告しろ! 何体だ!」
「《索敵》可能範囲だけで……十以上です! まだ増えます!」
「ふっ、随分と熱烈な歓迎ではないか。ヨイザカくん、良かったな。君の到着を彼らも祝いたくて仕方がないらしい」
「生憎と招待状を出した覚えはないんですがね」
こちらに向けてニヒルに微笑んでくれる伯爵に俺も苦笑を返す。
全く、初仕事から随分と厳しいものになりそうだ。俺は全身に魔力を浸透させ、肉体を魔力で強化していく。
「お二人とも、ご冗談を言われている場合ではないのですよ……!?」
「声を荒げるな、クリストフ。みっともない。指揮官が慌てふためいてどうする。その上……お前はヨイザカくんを随分と侮っているようだ」
「なんですって……?」
クリス隊長が怪訝そうな視線を向けられたので、これには自信たっぷりに頷いて見せる。
こちとら比喩抜きで『世界最強』と日夜殺し合ってきたのだ。油断も慢心もしないが、それでも己の実力という物ははっきりと認識している。
しかし何の実力も見せずにただ『信じてくれ』というのは流石に無理があろう。故に俺は次いで伯爵を真っ直ぐ見据えた。
「伯爵、どうぞご命令ください」
「準備万端というわけだ。よろしい──君一人で喰い荒らせるだけ喰い漁ってきたまえ」
はっ、と笑う。本当にこの人は。男を煽るのが大変お上手だ。
そんな『君なら出来るだろう?』という全幅の信頼を寄せられては滾ってしょうがない!
「了解……!」
さて、『巨人三国』での初陣だ。気合を入れて行こう!
投稿時間についてのアンケート※一週間程度を目安に〆
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0時(今まで通り)
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6時
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12時
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18時