※この作品はR-18です。

酒のあやまち   作:餅屋

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人気投票土ピックアップで引けなかったショックで一週ほど遅れてしまいました。申し訳ない。


隠宿交合録 二晩目

 

 湯気立つ身体に手早く浴衣を着込んだ少年の、気持ちとしては今までにない充足感があるのだけれど、さて、彼の腹の半ばほどは兎をし(・)め(・)た(・)際の断末魔のような声を上げ、さらに胃を鷲掴みにして捻り絞られているような感覚がある。

 いよいよもって胃は限界を訴えていた。

 

「その……大丈夫か?」

「終わったら一気に来た……」

「動くのも辛そうだから私が呼ぶよ」

「ありがとう……お願い……」

 

 イルザは訊ねて答えられつつ、足早に部屋へ向かった。そこには。

 

 そこには、食卓には、既に料理が並べられていた。

 

「え?」

「どうしたの? ……え?」

 

 壁に寄りかかりながらも、遅れてやって来た少年と、二人でぽかんとする。

 

「呼んでないよね?」

「呼んでない」

 

 目を白黒させて湯気立つ品々を目にやると、卓の隅に何やら書かれた一枚のメモが残されている。彼女は手にとって内容を見ると、

『僭越ながら部屋にご不在の間に、食事の用意と寝具を整えさせて頂きました。何か疑問がございましたらお呼び下さい。 宿屋隠 女将 ルリハリコ』

 と綴られている。それと用意された料理の内容についても記されていた。こちらは馴染みのない食材が多い為に半分も分からなかったが。

 女将がやってくれたらしい、と彼に伝えようとすると、既に卓に着いている。

 

「……色々気になるが、とりあえず食べてから訊こうか?」

「うん」

 

 彼女は呆れた顔でそう溢して、早速汁物を啜る彼の隣に座った。

 

「しかしこんな山中にあってよくこれだけの……」

 

 若い鰐肉のスライスとやらを口にしながらイルザはそう漏らす。小皿に注がれたソースの味わいと独特の臭いが鼻を抜けて、存外悪くないと考えた。……余談であるが、海産物が流通しづらい特定の空域、或いは地域では比較的流通し易い鮫を指して鰐と呼ぶ。

 何でも古い言い伝えに登場する鮫の呼称がそのまま使われているらしいが、何故鮫を鰐と呼ぶ空域、地域が点在し、更に似通った言い伝えが各地に遺されているのかを調べる者も居るのだとか。

 

 それはさておいて、他にも料理が並ぶ。

 今この時も少年がざくざくと食んでいる、この山に群生する肉厚な山菜を揚げたものであるとか、思わず酒が欲しくなる、この宿で育てているという淡水魚、セッキアユとやらの丸干しを炙ったもの(これはイルザの好みだった)であるとか、果実を好む食性の、小さな山鳥の丸焼きであるとか、口直しにと書き添えられた、寒気に糖を溜め込んだ柑橘類などなど、十種ほどの料理に二人で舌鼓を打つ。

 

 片す頃には腹八分目といったところ、量もちょうどいい……彼の空腹具合を識っていたように。

 茶も飲み終えて人心地ついた彼が、それじゃあ呼ぼうか、と紐を引き、その先に付けられた透明な装飾が、りぃん……と澄み渡る声を響かせる。

 二人には、その声がどこまでも徹(とお)る音であるように感じられた。風のような、あるいは水のような、この音は空の果てまで響いただろうと揃って考えた。紐を引いてからおそらくは十秒ほどの時を刻んだ頃、軽いノックの音に二人は我に返る。

 たじろいだ様に応答をすると、静かに引き戸が開かれた。

 

「お呼びになられたようですが、何かお求めですか?」

 

 柔かに女将に訊ねられ、彼は焦った様に応えた。どうにも本来訊くべき言葉が出て来ず、代わりに紡がれたのは全く別のもの。

 

「ええと……食器を下げて貰っても? それと、此処は何か土産屋のような所ってありますか?」

「はい、ではすぐに。土産屋については複数ありますから、この館内図をどうぞ……此処は先代の普請道楽が祟って文字通り迷路のようになっておりますので、手放さないようにお願いします」

「ありがとう。うわ、思った以上に入り組んでる……埋まる事はあるんですか、この部屋の数」

「此処を終の住処とする方もおられますし、夏場の様に、お客様が比較的お出でやすい季節であれば各階という区切りをつけてそこそこには……。今は、通常の宿泊客というのも周辺の部屋では居られませんね」

「終の住処?」

「それまでの人とのしがらみから離れるように、此処の部屋を死ぬまでという条件を付けて借り住まい暮らす人も居られるのです……これも先代の始めた事なので、今はそこまで多くは居られませんが……」

 

 彼女は応えつつ作業を進める。捉えどころのない動きだが、片付ける為に廊下へ置いていく早さは驚くほど。館内図は何処にしまっていたのやら、滑らかに懐から取り出して少年に手渡された。

 目にした館内図は細かに描かれていたが、各方向に建つ離れの位置と、そこに繋がる動線はこの根のような建屋の基になったようで、目にも判り易いものである。入った際には門の威容ばかりが目に付いたので気付かなかったが、四階建にもなる宿であることを見るうちに知った。

 もう殆ど片した頃に、イルザも気になっていた事を訊ねる。やはり本来の訊くべき事をうまく言葉には出来なかった。

 

「ああ、私からも良いでしょうか?」

「ええ」

「この部屋に時計が見当たらないので。今は何時頃か判りますか?」

「今は十時を過ぎた辺りです。……時計がご入り用ですか?」

 

 彼女の問いに、女将は確認もせずに答える。その事に二人は気付かない。

 

「出来ることなら」

「……では後ほど持って来るまでは、私の物ですがこれをお貸しします。また私どもを呼んだ際や、宿を出る際に返却して頂ければ」

「いえそこまでは……」

 

 私物であるという、よく手入れされているであろう光沢を保つ、木製の懐中時計を、懐から取り出して貸そうとする女将を彼女は制止する。そこまでしてもらう必要もなかったからだが、女将は半ば押し付ける様にして彼女に握らせる。

 

「……先程申し上げた様に、この宿はと(・)て(・)も(・)広(・)い(・)の(・)で(・)す(・)。お客様方は今回初めてお泊りになったのですよね? これには持つ者が万が一迷った時の為に、標をその館内図に浮かばせる機能があります。今すぐにでも離れから出る必要が生まれないとも限りませんから、安全の為にもお持ち下さい。では、また後ほど……」

「あ、ちょっと……行ってしまった……」

 

 女将はまくしたてる様に、けれど速さはそれほどでもない奇妙な話術でイルザに答え、食器を片し終わってするすると去っていく。戸が閉められた時には、その向こうにある筈の人の気配が、煙の様に立ち消えた様に感じられた。

 

 イルザが手にする木の感触は、やけに冷たい。

 握らされた時計の針は、十時三分を刻んだ。

 

 *

 

「こうして見るとやはり木の根の様だな……?」

「でも動線はかなり判り易いよね。各階に大浴場があるみたい」

 

 少年と館内図を共に見つつ、イルザは呟いた。

 

 彼はもう二十分ほども図を眺めている……まだ時計は届いていない。

 びっしりと紙面を埋め尽くす様に描かれた館内図の、ぽっかりと空いた隅には、女将が言っていた時計の機能について、別の紙──おそらくこの時計の説明書──で貼り付けられていた。

『設定された基路から外れると、現在地が光点で浮かび上がります キツカイ時計店』との事。

 しかしこの離れでは試しようがない。

 

「後で行ってみるか? 問題は四軒の土産屋の位置が散らばっている事だな」

 

 一階の大階段近くに一つ、二階と三階の大浴場近くに一つ、残る四階は外れてぽつんと。

 

「三軒は結構近いし判り易いんだけどねぇ……残る一つがどうにも」

「しかも入り組んだ路の奥だ」

 

 完全に広げると男性ドラフの背中ほどには場所を取る館内図にあって、特に面積を取るのは四階の図である。その中にあって基部から少し外れた、野放図に伸びた草の根の様に入り組んだ一画の、袋小路の奥の奥。

 隠れる様に建っている、『土産屋うわばみ』とやら。傍には幾つかの部屋があるけれど、繁盛するようにも見えないのは彼の偏見だろうか。

 

「でもお酒を取り扱ってるのがここだけみたいなんだよね……」

 

 彼はそう漏らして、この図の裏面に記された各土産店で扱う品の一部目録を二人して眺めた。食べ物、工芸品、衣服と当たり障りのない品が並ぶ他の土産屋の目録に対して、『土産屋うわばみ』の目録というのは──酒一色であった。

 彼も聞いた事がある様な物から始まって、イルザも目を瞠(みは)る名酒とやらがつらつらと名を書き連ね、終いには二人して聞いたこともない様な酒の名前が並び、一枠余った箇所には『摘み物その他』と、心持ちやる気のなさげな、おそらくは店主の直筆なのであろう書体で締められる。

 

「どうする? ……彼らなら麓の地酒でも喜びそうなものだけれど」

 

 そう漏らす彼女の耳は、真面目な表情とは裏腹に、忙しな気にひょこひょこと動いていた。

 

「うーん…………お酒に目が無い人達も多いし、イルザも見に行きたそうにしてるし……行ってみようか」

 

 耳の動きを横目に見ながら少年が向かう事を決めると、黒毛に覆われた耳はぴいんと立ち上がって居住まいを正す。それが何だかおかしくて、可愛らしくて、くつくつと笑った。

 

「……顔に出ていたか?」

 

 頬が朱にさっと染まった彼女の言葉に彼が、いや耳がね……と答えると、彼女はますます朱の色合いを濃くして、自らの耳をぺたぺたと触る。そんな彼女にとうとう彼は吹き出して、息も絶え絶えになりながら今はもう大丈夫という事を伝えるのであった。

 

 *

 

 準備を終えた二人は、受付手前の階段へと向かっていた。

 

「……確かに通った筈なのに全然覚えてない。何か妙な気分」

「私もだよ。何というか……記憶に靄がかかってる」

 

 案内されたイチという少女の事は覚えているし、道すがら受けた説明も覚えていた。ただ、館内図を見つつ辿る道順というものが霧に覆われたようにあやふやで、しかも非常に単純な道筋であるからその奇妙さといったらない。見事な彫刻が施された内装にさえ、目新しさを感じるのだ。常ならまず目を惹くのに、覚えていない。

 

「不思議な宿だ」

「だけど居心地は良い」

 

 二人は素直に思った事を口にする。続き紡がれる言葉はぴったりと揃った。

 

『この奇妙さを趣に感じるくらいには』

 

 文字通り、する事がないくらいには何もかもを支度してくれるこの宿の居心地というのは相当に良かった。先程の用意されていた食事の様に、この宿で働く人々に思うところはないでもないが、それを振り払うべきであると思うくらいには過ごし易く、また宿全体にある独特の雰囲気が心を躍らせる。それは例えば、今廊下を歩む時ですらそうだった。

 たっぷりの静寂に浸されたこの廊下へ、二人の声と足取りの音が波紋を生んでいるようですらある。音の色合いを見る事が出来たなら、彼と彼女、二人だけの色が此処には混じり合って漂うだろうと思えた。

 時折脇道から現れる従業員はその悉くが皆イチのように、そこにある事が自然と感じさせる、秋山の落ち葉のような印象を与え、彼ら、あるいは彼女らは宿の中を音も無く行き来して、二人に目礼をする瞬間だけはほんの少しだけ色を濃くして、次の瞬間にはまたふっと消える。

 そんなある種の幻覚に似る此処の光景が、とても奇妙で、非日常的で、なのに穏やかな空気を創り出していた。

 

 他愛もない言葉を交わしながらも、螺旋状の階段を上って、登って、昇って、一種の開放感を感じつつ四階に。ふと時が進む歩幅を小さくしたように思えて、ちらりと時計を見てもさして異常は見られず。

 二人は此処は全てが柔らかく感じられるつくりなのだと考えた。

 今小路を進む時ですらそうだ。足取りも、互いの雰囲気も、目にしている遠い空の文化を顕す建築様式も、何もかもが柔らかくされて、体感的に引き伸ばされている。

 

 ──袋小路の最後の曲がり角へ差し掛かるとき、イルザの嗅覚はじわりと空気を浸食する酒精の匂いを捉えた。

 

「もう少しみたいだな?」

 

 あれじゃないかな、と光点浮かぶ図を見つつ指差す少年の応答。視線を向けると暖色の灯りが店内を照らし、入り口に置かれた飴色をした木製看板には『土産屋うわばみ』と、おそらくは書かれていると思われた。蚯蚓(みみず)が燦々と太陽の輝く砂漠で、干されのたうち回り砂面に描いたような文字だった。

 

「…………ちょっと、酒の匂いが強すぎないか」

「……これは……もしかして」

「何か覚えが?」

「前に花見をしようって話になって、呑兵衛組の一人が場所取りをしてくれたんだけど……辛抱堪らなくて一人でお酒開けちゃったんだよ。幸い予測出来たからお酒を別で用意してたんだけど。その時は場所に近づくにつれてお酒の匂いが強くなったんだ。何だかその時と同じ匂いが……」

 

 この一件、件の呑兵衛が一人脳内で恐るべき激闘を繰り広げた事など彼は知る由もない。

 一方その頃──アウギュステの酒蔵が軒を連ねる通りにて、突如「──キャラ被りの悪寒……! ……いやこれ吐きぅぷっ」などと言いだして道の隅に崩れ落ちた女性が居たとか居ないとか──。

 ともかく彼の言葉にイルザは嘆息し、呟いた。

 

「……店主が呑んでる?」

「かもしれない……。そうじゃなかったら良いなあ………………やっぱり」

 

 店の真ん前の辺りでカウンターに突っ伏す店主らしきドラフの女性を視界に認めて、そう締めくくる彼の顔には諦観が浮かんでいた。

 

 ぱきん。

 

 店内に足を踏み入れた時、そんな、家鳴りのような音が響いた。その音にか店主らしき女性がもぞりと身動ぎして顔を上げ、ぱちくりと目を瞬かせて二人の存在を認め、口を開いた。

 

「んぅ……、おやおやぁこの季節に珍しい……いらっしゃいませ。……私はこの『うわばみ』の店主、ミノミってぇ者です。欲しい酒は何でしょう? 琥珀酒(ウィスキー)? 麦酒(ビール)? 清酒? もっと別のもありますよぅ。お酒なら大概はね」

 

 届く嗄れた声は、まるで爬虫類の鱗を擦り合わせたよう。眠たげな象牙色の瞳でぼんやりと此方を眺め、身に付ける海色の装束に長く、雪のような色合いの髪が泡を彩る。何故だか、蛇のような印象を受け……付け加えるなら非常に酒臭い。

 

「土産に良いお酒ってありますか。値段も手頃なやつで」

「ありますよぅ、沢山ねぇ。いくつか持ってきますねぇ」

(おや、珍しい)

 

 初対面の相手であるが何やら辛辣な言葉の少年に、イルザは眉を上げた。

 

(……何だか不機嫌そうだな?)

(骨の髄までお酒に浸かり切ってるような人は、少し)

 

 と、ひそひそ声で話しつつ、そのうちに店主が何本もの酒を抱え、えっちらおっちら戻ってきた。千鳥足にしか見えないが相当に優れた平衡感覚を持っているらしい。ゆらゆらと揺れながらカウンターにそれらを並べて、彼女がゆったりと口を開く。

 

「お手頃価格ならこんな具合でしょうかねぇ。併せ買いなら幾らかお安くしますよぅ。八本あるから……四〇〇〇くらいは」

「併せて幾らですか?」

「引いて一万ってところですかねぇ」

「イルザ、どう?」

 

 少年に訊ねられ、いくつかの古びたラベルを見るも、さて検討がつかない。

 

「……全然見覚えがない。というかラベルが旧過ぎる」

「一番古いのはこいつでしたっけねぇ、確かバルツ産琥珀酒の四十年物」

「買うべきだ」

「そんなに?」

「安過ぎる」

「そりゃま、道楽でやってますからねぇ……お? おぉ? その耳の形」

 

 彼女の言葉に店主はついと視線をそちらに向けて、懐かしさに満ちた驚きと共に言葉を続けた。

 

「お客さん、荒野の洞(ほら)に住まう氏族の生まれじゃないかい?」

「さて? 祖母の生まれがそんな所だと聞いた事はあるが……それが何か?」

 

 ああやっぱり、と店主は続けて、懐かしさを瞳に閉じ込めた。

 

「その氏族で愛飲されてたお酒がうちに眠ってるんですが、貰ってくれません? 化粧箱を失くしちゃったんで売るに売れなくて」

「まあ……譲ってくれるのなら嬉しいが、何故?」

「この酒甘くて美味しいんですけどその氏族くらいしか買っていかないですし、それに居場所が此処からは遠いんですよぅ、とっても。今は閉じた箱庭みたいな集落ですからねぇ……正直なところ、驚きましたよぅ。え〜と……」

「ああ、イルザだ」

「イルザさんが来た事に。まさかあすこの氏族の方が外界に出るだなんて、思ってもいなかったもの」

 

 イルザは名を答え、店主が知る自分の血のルーツである集落は相当に面倒なところであるらしいと言外に感じ取る。

 

「私はその外で産まれたから分からないぞ?」

 

 彼女の言葉に店主は此処に来た人は皆そうですよぅ、とじんわり沁み渡るような微笑みを浮かべ、続けた。

 

「ま、駆け落ちってやつでしょう。それじゃあ取ってきますねぇ……あだっ」

 

 ひょこひょこと千鳥足で奥へ姿を消し、聴こえてきた店主の苦悶を聴きながら、イルザは半目でこちらを見る少年と視線を交わした。

 本当に大丈夫かな、と彼は言いたげだった。

 

 *

 

「毎度ぉ。またのご縁を〜」

 

 少年は自らが店主の煙に巻くような声色を意外に嫌っていない事に気づいて首を傾げたが、それ以上に気になっていた事が一つ。

 

「よくよく考えたらイルザの事を全然知らない」

「私もそこまで話すような事もないんだが……ごく普通の家庭に生まれたし、仕事に忙殺されていたし、先程改めて自身の源流について訊いたくらいなんだぞ?」

 

 そうなの?、と少年の声。事実だった。

 

「私の家は元々別の場所に暮らしていた祖父母が建てたらしくてな。祖父母の実家の話はされた事も数えるほどしかない。祖父母ら本人が一番嫌っていたようでな? 一応私の母が産まれた時に顔を見せに行ったことはあるようだが……確か、祖母がまだ存命の頃に未来永劫あの集落は変わらんと漏らしていた記憶がある」

「お祖母さん、口悪いんだ……?」

「必要な時には真っ先に私が参考にするくらいには罵倒する際の表現力があった。私も粗相をして何度罵られたか……」

 

 そう彼女は、なんとか怒られている図を想像してみようとする少年に返して、物寂しそうな笑みを浮かべた。

 

「ちょっと怒られてるイルザの姿は想像がつかない」

「興味がある物に駆け寄り人にぶつかってしまった孫娘に対して、あんたの頭は隻腕の弓手が放つ矢より質(たち)が悪いなんて言うんだ。あの時は確かに私も不注意だったが」

「それ、相手の不注意が悪い場合はどうなるの?」

「さてな……そこらの魚屋で目玉を買って交換して貰えとでも言いそうだ」

「でもそこまでイルザが覚えてるなら悪い人ではなさそう」

「口が悪いがお菓子作りが上手くてな……改めて考えてみると私が甘い物を好きなのはそれが大きな理由だと思うよ。勿論実務的な面もあるけれど」

 

 二人曲がりくねる道を戻りつつ、床板を確と踏みしめて、どことなく柔らかな光の加減に目を細めた。階段を寄り添い降りながら、ぐにゃりと伸びる二人の人影を姿を潜めるように行き交う、彼ら彼女らを邪魔しないように手摺りを掴んで、行きて、下りて、降りて。どことなく閉塞感を感じるのは、今居る一階こそが先程見知った広大な階層を支えている事に対する不安からか? それとも全(・)く(・)別(・)の(・)も(・)の(・)なのか。

 ごく僅かな、あるいはとても長い、どうにもあやふやな時間をかけて、元の離れへ辿り着く。引き戸を開いて目にする光景は、今となっては懐かしくも感じられた。

 

「居ない間に持って来てくれていたのか……しかしどうにも避けられている気がする……」

 

 卓にぽつんと置かれた時計を見つけてイルザは口にし、少年はその言葉に少し考えて答える。

 

「……なるべく二人きりになれるように気を遣ってくれているとか?」

 

 ……可能性はないとは言えない。が、わざわざ呼んで訊くのも躊躇われる事である。このような施設でさえ気を遣わせて……風呂で致している時点で如何な物かと思われるであろうが。

 ともかくむず痒く感じた二人は、誤魔化すように風呂に入ろう、と口を揃えた。

 今度こそゆっくりと身体を暖めほぐし、昼食に舌鼓を打つのだ。そう目論んだが……先に結論を言うならば、それは叶わなかった。全てが詳(つまび)らかになった後の二人は仲睦まじくこう言うであろう。

 

 元の氏族とやらはろくでもないものである、と。

 

 *

 

 身体も洗い終わり、さあ湯船に浸かろうという時に、杯と見覚えのある酒瓶が湯に浸かっている事に気がついた少年は、一足先に浸かっていたイルザへ訊ねた。

 

「あれ、そのお酒浸かりながら飲むの?」

「温いくらいが一番美味しく、身体を温めるにはこれ以上ない、と店主が言っていたので試してみたくなってな。君も飲んでみるか?」

 

 頷いて、もう一つの杯に注いでもらう。口に含むと凝縮された、蜜をたっぷりと溜め込んだ林檎の風味と甘酸っぱさが広がり、飲み込めばほんの僅かな酒精を匂わせてそれが瞬く間に爽やかさへと変わる。

 

「美味しいけどあんまりお酒って感じじゃないね?」

「これは幾らでも入りそうだな……一瓶空けてしまうかもしれない」

 

 話しながら、二人で杯を干す。あまりにも飲み易すぎる酒だった。味わいとしては酒であるか疑念を抱くくらいには。

 

「そういえば店主さんが言ってた道楽ってどういう意味か判る?」

「酒好きが集めた酒を広めるのも兼ねて売っているといったところでは?」

 

 二杯を干した。どちらともなく身を寄せる。

 

「はて、今は何時だったか……?」

「……戻ったのが一時くらいだったと思うけど」

 

 五杯を干した。互いにしなだれかかるようになる。距離はほぼ無くなっていた。

 

「ん…………口移しで飲んでみたいんだけど」

「…………口移しだけで良いのか?」

 

 十杯を干した。その頃には二人は抱き合いながら杯を捧げ合っていた。暴力的とも言える酔いの回りであった。

 

 *

 

 ──所変わって同刻、土産屋うわばみにて──

 

 宿の主人、ワクラバはミノミより今年の賃貸料を払うと報せを受けて、うわばみへ足を運んだ。

 賃貸料とは言うものの、既に支払われているので受け取る必要もないのだが、本人の意志と先代から続く慣習であるから突き返す訳にもいかず、仕方なく彼女の飲み代として別で保管している。なお自ら所蔵する酒を日がな舐めているために使われた事は無い。

 

「今回は珍しく売れたようですね」

「やっぱり酒は誰かが飲むに限りますねぇ……懐かしい氏族も見れたし、良いお客さんでしたよぅ。それに女将に気に入られたみたいですしねぇ……時計の感覚がありました」

「ほうそれは珍しい……懐かしい氏族?」

「ほら、奥さんの方。連れ去り洞穴(どうけつ)の氏族って判ります? あの氏族の血筋みたいでしてねぇ」

「あぁ、あの……」

 

 何かと閉塞的なきらいのあるエルーンの中でも筋金入りと言われるその氏族は、こと一部の地域においては子を寝かしつける際に語られる程には奇妙な特徴が知られている。ワクラバ自身も幼い頃に聴かされた事があった。『夜は早く寝ないと洞穴に連れ去られて帰って来られなくなる』などと言われて震えていたものだ。

 

「思わず嬉しくなって、お酒三本ほどおまけしちゃいましたよぅ」

「……つかぬ事を伺いますが、どの酒を?」

 

 ふにゃりと笑うミノミの言葉に対し、ワクラバはふと疑問を覚えて訊ねた。あっけらかんと彼女は答える。

 

「化粧箱を失くしちって売り物にできない、あすこの氏族がよく買ってた銘ですよぅ……どうしたんです? 顔色真っ白ですが」

 

 当たって欲しくはない答えが返されて、彼はぶわりと冷や汗を顔に浮かばせる。やってしまった、と悔いるばかりで頭は働かず、か細い声が対症療法を示す。

 

「……今からでも伝えに行きましょうか……」

「……?」

「……その酒はですね、半ば強制的にあの氏族の特徴を作用させる為の、儀礼酒だった筈なのですが……」

 

 ──連れ去り洞穴の氏族、その最たる特徴は、特(・)定(・)の(・)条(・)件(・)下(・)で(・)、(・)そ(・)の(・)体(・)液(・)が(・)性(・)差(・)種(・)族(・)を(・)問(・)わ(・)ず(・)無(・)差(・)別(・)に(・)作(・)用(・)す(・)る(・)媚(・)薬(・)と(・)し(・)て(・)の(・)役(・)割(・)を(・)果(・)た(・)す(・)ことである。

 

「あ゛」

 

 ミノミの口から酒焼けした驚愕の声が上がり、ワクラバは目を伏せた。

 何処からか吹き込んだ一陣の風が、二人をぶるりと震わせた。

 

 *

 

 少年は自らが酔っていると熱に浮かされたような思考で考えたが、しかし今飲み干した、イルザの口腔で攪拌された酒はまた格別の味わいであったのでどうでも良くなって、鼓動に波打ちながら酒を湛える、伴侶の柔らかな谷間に顔を埋めて、ちゅるちゅると啜った。

 蕩けるような滋味が口に広がる。

 甘い香りに脳が痺れる。

 鼓動の音に安心して。

 人肌の温もりが心地良く。

 抱き締める感触が幸せで、もっと欲しくなり、漏れる声が愛おしく、甘えた。

 

 酒が枯れても足りなくて、汗と酒精の残滓を求めて彼女の乳房にむしゃぶりつき、口を離す頃には痕を残して、頭は茹だって、自らの分身が湯よりも熱くなりながら、互いの下腹部に挟まれている事にやっと気付く。

 

「口でしようか?」

 

 彼は頷き、湯船の縁へ座るよう先導される。先導する彼女の後ろ姿へ、湯が流れ落ちる背の美しさに、肉肉しい円やかな尻に、言い様のない昂りを覚えて。

 

「ごめん、やっぱり後ろでしたい」

「後ろ……? ひゃっ!」

 

 彼が口にした時には既に手が動いていた。彼がむっちりとした豊かな尻肉へ指を埋(うず)めて、彼女はその驚きに倒れそうになり、縁へ手を掛けて身体を支える。

 吸い付くような指先の感触に酔い痴れた。

 触れられただけで腹が疼いて、早くも花弁から蜜を分泌した。

 

「お尻でしてみたいんだ」

「余り気が進まないが……あっ♡」

 

 形ばかりは拒んで、しかし尻の谷間に男根を当てられるだけで、嬌声が漏れた。疼きが一段強まり、きゅぅ、と尻穴が窄まる。

 

「こんなになってるのに?」

 

 イルザは嗜虐的な色を含んだ彼の声に興奮を覚えた。尻の輪郭をなぞる様に手を這わされて蜜に潤み、薄い脂肪が浮く下腹部を指先でノックされて胎が鳴き、終いに尻肉を熱い雄肉で擦られた時には彼が望む場所がひくひくと蠢いたとあっては、繕い様もなかった。未知は怖かったけれど。

 彼は甘えるように尻肉へ頭を預けた。蠱惑的な感触を頬で感じながら人差し指を物欲しそうな菊門へ当てると、蠢きは指先を食む。

 

「ひ♡」

 

 甘い声が望みを顕していた。押し込んで見ると始めに強い抵抗の後、根元まで滑らかに入っていく。鉤型を作るとびくんと身体を震わせて、垂れた双丘が揺れる。

 

「やった事なかったからなあ……先に準備しようか」

 

 そう呟く少年に、イルザは準備? と訊ね返そうとして、また身を震わせる。尻穴を舐られる快感によるものだった。

 

「やめっ♡きたなっ♡」

「イルザの全部を知りたいんだ」

 

 彼女の嬌声交じりの拒否は、彼の言葉に打ち消された。ううう、とくぐもった呻きを上げながら、されるがままに、奉仕を受け続ける。

 

 尻肉を食まれた。彼女の芳醇な味を知った。

 皺を伸ばして舐られた。彼女の濃縮された匂いがした。

 舌を差し入れられた。

 優しく舌を食まれた。

 徐々に数を増やして指を差し入れられた。

 彼女の柔らかさに驚いた。

 何度となく中を見られた。

 綺麗な彼女の醜い部分という矛盾に、背徳感と昂りを覚えた。

 

 じっくりと、長い時間をかけて奉仕された。

 始めは恥ずかしく、徐々に嬉しくなり、最後には愛おしく思い。

 そのうちに二人、湯船から上がって愛撫を続けられた。寒さは感じなかった。最も愛する人に甘え、甘えられる事が温もりを保っていた。

 

 ただ、やはり準備と言うにはやり過ぎの気があり、とろとろに柔らかくされた不浄の入口はすんなりと雄を受け入れた。

 

 イルザが幾度となく味わった雄肉の味は、所変わるとまた別の面がある。どろどろになった思考が、いつもとは違う異物感と、あるべき所に納まらない事に慌てふためいたが、裏側からぐりぐりと刺激されて蜜を垂らす膣は少なくとも快楽を理解していた。

 柔らかな入り口であっても咥え込むにはやはり慣れず、腸壁はどこか恐る恐るといった様子で抽送を続ける雄を掴もうとする。胎を抉る肉茎は想像もつかない位置から刺激を投げかける。根元まで飲み込んで、子袋を背から小突かれる甘美さが、ぞりぞりと腸内を引っ掻きながら引き戻される快楽が、堪らず。

 来るべきものを覚えるに覚えられぬ、その物足りなさを快楽に覆われて、誤認させられる。いけない事をしていると思いつつも、快楽を貪る為だけに、本来の機能を無視する事に罪悪感を覚えた。

 

 けれども同時に、喜んでいた。

 抽送による排泄感が混じる快楽を与えてくれる彼に阿(おもね)る、おんなの浅ましさが答える。

 背に抱き着いて腰を振る主の甘えを許す、おんなの甘さが囁く。

 つがいに媚び諂い育ち、その為に丸々と肥えた身体の、おんなのみっともなさが語る。

 これで誓いは果たされたと言っていた。あの夜誓った通りに全てを捧げる事が出来たと。強かに打ちのめされて崩折れて、抱き着かれる雌の姿は、きっととても情けないだろうと判った。今この瞬間も、とうとう体勢を崩して丸っこく縮こまりながら床に頬を擦り付けて尚、雌(彼女)の、私(イルザ)の、表情は──涙と汗と涎に塗れて、それでも、喜色に歪んでいる。

 

 抽送を続ける少年は、抱き着いた伴侶の身体の柔らかさ、中で蠢く肉の動きに言い知れぬ淫らさを覚えた。たっぷりとした臀部が打ち付けられる衝撃に、波打って震える様が触れ合った肌と肌からも判り、圧し潰された豊乳は形を歪めて視界の隅で揺れる。

 未だこなれぬ後門での交わりはどこか噛み合わず、普段の交合に比べれば刺激による快楽は物足りなさが残るが、それを精神的な繋がりが補って余りある。普段は凛とした伴侶がこうまで乱れるのは、繋がる相手が自分であるからだという事を改めて実感し、湧き上がるのは自信と支配欲に嗜虐心、そして幾らかの願望。

 受け入れて欲しいと考えた。

 伴侶の隅々まで知りたいとも考えた。

 不意に聴こえる掠れた呻き声に目をやると、蕩けた顔を横に向けて呻く、伴侶の姿がある。無体にされて、汚されて、許して、受け容れる、彼女の表情。

 喜んでいて、悦んで、歓ぶ、その幸せそうな表情に、堪らない感情を覚えて。

 齎された感情が幾重にも折り重なって、畳まれて、悦楽に絡み合い、掛け合わされて。うねる快楽の波は何倍にも、何十倍にも膨れ上がる。

 心に繋がった気がすると同時に、箍(たが)が外れる。

 緩やかに放たれた精虫達は辿り着くべき場所を求めて彷徨い、そのうちに腸壁へ熱を分け与えて身を横たえる。熱を与えられた腸壁は蠕動し、分けられた熱をなお求めた。

 しかし互いの主人は共に忘我の最中にあり、心を繋げ合わせたままに、温かなつがいを寝具として意識を失う。

 

 寒さは、感じなかった。

 

 *

 

 ……と、まあ斯様な出来事があり、目覚めた時には夕刻。

 幸いにして体調を崩す事も無かったが、冷えた身体を温め直して部屋へ戻ると、開け放たれた戸から見えたのは謝罪の姿勢でぷるぷると震えるうわばみ店主の姿。すわ何事かと思い訊ね、貰った酒の効能を聞かされた二人は目を丸くしたのであった。

 共に謝るつもりであった宿の主人は、女将に引き摺られて戻されたのだとか。

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