もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
オリジナルストーリー、オリジナル設定、竿役のマスターもオリジナルです。
内容はタイトルで推して知るべし。
絶望に暮れるモードレッドさんを優しくいい子いい子したい特殊な紳士の方のみお進み下さい
1
思えば、最初から出来過ぎだったのだ。今でも後悔は業火のような熱を持って、僕を責め立てる。
僕は愚かだった。最初から気づいていれば、僕たちは葛藤も、苦悩も、恋慕すらもなく、何事もなく過ごすことができたはずなのに。
全ては、僕が愚かであったことに起因する。大した名前のない平凡な魔術師であった僕。人並み以上には優れていたが、特別には終ぞなれなかった凡夫の一人。
そんな僕が、どうしてか最優のセイバーを召還できたものだから。
「――来てやったぜ。セイバー、モードレッド推参だ! さあ、オレを喚んだ幸運な奴は、一体誰だ?」
出会った瞬間に、その美貌と、獣のような眼孔に射竦められる。
僕の心は熱に浮かされた。息を飲み、そのまま呼吸が止まってしまうように感じられた。
可憐であどけない、少女の面貌。けれどもその美貌の上に張り付いているのは、精魂に満ちた騎士の誇りに、己の力を露とも疑わない、傲慢不遜の王の気迫。凄まじい威圧に、空間の全てが、何か見えない力で強引に押さえつけられ、頭を垂れているようにすら感じる。
白銀に真紅の装飾をしたためた、重厚な鎧。両手をついている、地面にまっすぐ突き立った剣も、白銀の中に、獰猛な真紅の光を讃えている。
最優のセイバー。叛逆の騎士モードレッド。僕の人生を変える、出来過ぎた出会い。
僕は聖杯戦争の勝利を確信した。
事実、モードレッドの力によって、僕は聖杯戦争を順調に渡り歩いた。サーヴァントとの対決も優位に運び、幸運にも一騎を討ち取ったりもした。
彼女は僕にとって最高のサーヴァントだった。傲岸不遜ではあったが、獰猛で気高き王の気質は、側にいるだけで、形容し難い昂揚が胸を満たした。
そして、モードレッドの野蛮極まりない戦闘は、僕をどうしようもなく奮い立たせた。魔術の研究に暮れ、日陰に暮らしていた僕にとって、モードレッドの竜巻のような暴れっぷりは、戦いというものが何なのかを強烈に教えてくれた。
彼女の戦いを見る。彼女を見る。ただそれだけで、否応なしに肝を据わらされる。それは僕にとって何よりありがたく、そして羨望に近い感情を抱かせるものだった。
一介の魔術師でしかなかった僕は、モードレッドの側にいられることに、誇りすら感じられた。
誇りは驕りだった。その驕りが、全てを台無しにしたのだ。
その日、僕らは街に買い物にでかけていた。モードレッドが新しい服をねだり、強引に連れ出された格好だ。驕りは無いが余裕はたっぷりあって、暇であることを由としない。
十は下らない回数の外出。たぶん手を繋いでも怒られない位に、二人の距離は近い。
その時間を心から楽しんでしまっていた。僕も、モードレッドも。
余りにも、愚かに過ぎる。聖杯戦争にて生き残りの殺し合いを続ける相手が、そんな隙だらけの背中を見逃すはずがないのだ。
僕らにとっては完全な奇襲だった。上空から飛来したサーヴァントの陰が落ちる。陰は真っ直ぐ、僕に向かってみるみる大きくなる。
「ッマスター!」
耳を割るようなモードレッドの声。モードレッドは僕を突き飛ばし、敵サーヴァントの矢面に立った。
敵の切っ先は既に振るわれている。鎧を展開する時間はなく、モードレッドはクラレントを展開し、迎え撃とうとする。しかし場当たり的な構えには、付け入る隙が幾らでもあった。
躊躇いなく令呪を使うべきだった。あるいは抵抗せず僕が殺されるべきだったか。今でも沢山の選択肢が脳裏に浮かぶ。けれど、そうはならなかった。
何もかもが敵の思惑通りに運び、僕はそれに気が付けなかった。敵の得物はモードレッドのクラレントをするりと抜けて、彼女の腕を撫でた。切っ先が彼女の親指側の手首に食い込み、深々と切り裂く。
鮮血が宙に舞った。モードレッドの、運命をまだ知らないが故の、軽い呻き声がする。
それで、僕たちの聖杯戦争は終わりを迎えた。
「っああ、くそっ! くそがぁ! このオレが、あんな一撃で……ぇ!」
「落ち着け、モードレッド。今治療してやるから」
隠れ家に帰った時から、モードレッドは苛立ちに我を忘れていた。フー、フーと猛獣のような唸りを上げ、割れんばかりに歯ぎしりをする。額にはじっとりと汗が滲み、痛みが相当なものであることを教えていた。
傷は深く、モードレッドの腱を過たず切り裂いていた。彼女の珠のような肌には赤い裂け目がぱっくりと入り、そこから止めどなく血が溢れていた。見るも痛々しい姿に、見ているこちらの顔も歪む。
「とりあえず、血を拭うぞ。いいか?」
「ッいちいち聞くな、さっさと――いうぅ!」
タオルを当てると、モードレッドは少女のような声を出してよがった。しかし治療をされているので、暴れるようなことはしない。さながら手錠をかけられるのを待つような格好で、僕に両腕を差しだし、されるがまま痛みに耐えている。
座っているベッドのシーツが、零れた血で赤黒く汚れる。生臭い鉄の臭いに、後悔と申し訳なさが募る。
「ごめん、モードレッド。僕がもっと警戒していれば……」
「ッうっせえ、謝んな。オレはお前のサーヴァントで、騎士だ。主君を守れなかったオレの責任だよ……くそっ。許さねえ、ぜってえ許さねえからなぁ……!」
悪態を吐くモードレッド。その目尻には涙の球が浮かび、心なしか眉尻も少し下がっているような気がした。普段が気丈なだけに、僕に不安を与えるに十分な変化だった。
傷口に当てていたガーゼが、限界一杯まで血を吸って真っ赤に湿る。ガーゼを取り払った僕は、目を覆いたい衝動を必死に堪えた。
傷を受けてから、既に三十分は経過しているのだ。それなのに血は一向に勢いを落とさず吹き出し続け、モードレッドに鮮烈な痛みを与え続けている。
あらゆる治療が意味を為さなかった。縫おうとしても針が通らない。魔術的治療は跳ね返される。血が取り払われた今、傷口に塗り込まれたような毒々しい魔力をハッキリと感じることができた。
「っ……くそ」
思わず悪態をつく。それを聞いたモードレッドが、目を背けたいと言うように頭を下げた。打つ手なし。それを認めざるを得ない。
受けた傷が治らない。
その逸話を持つ武具は幾つか存在するが……中でもこれは、相当に厄介なものだ。人の身には余りある膨大な呪いの力が、モードレッドの肌を抉り、止血すらも許してくれない。
……完治は不可能だ。そう、断定せざるを得ない。
薄暗い隠れ家の中に、二人の荒い呼吸だけが響く。モードレッドの呼吸には、凍えるような震えが混じっていた。
モードレッドが僕を見上げる。ようやく僕は、目尻に浮かんでいた涙の存在を知った。
「モードレッド?」
「マスター……動かねえ。オレの手が、全然、動かねえんだよ。震えがちっとも収まらねえ。さっきからずっと、止めようとしてんのに」
僕は瞠目し、それ以上の言葉を探せなかった。モードレッドは顔を悲痛に歪め、ブルブルと震える両手を見つめている。
敵が放ったのは必殺の一撃だったのだ。決して癒えぬ傷で剣士から剣を奪い去る、残酷極まる死刑宣告。
モードレッドは既に平静を失っていた。半笑いのような表情がひくひくと痙攣する。せめてもの救いを求めて、僕を見つめ続ける。
「なあ、マスター? なあどうなんだよ? これ、治るのか? 治るんだよな? なあ?」
「っできる限りの事はする」
出血の具合を見ても、もう幾ばくの余裕もなかった。僕は左手の甲をかざし、令呪の力を行使する。
「うまくいってくれ……令呪を以て命ずる――この傷を"収めよ"」
傷を治す事は不可能。そのことを加味しての苦し紛れの策だったが、幸運にも命令は上手く機能してくれた。吹き出た血が集まり、裂け目にかさぶたを張るように凝固した。次いで傷の周りの皮膚がうごめき、その部分を覆う。
ものの十秒ほどで、手首の傷は覆われ、浅黒い跡になった。
令呪の膨大な魔力だからこそ可能な、とりあえずの応急処置だった。それでも、もう少し欲張れば失敗したに違いない。
目の前の傷が消えて、モードレッドもほっと息をなで下ろす。しかし、その瞬間に襲ってきた痛みに、彼女の華奢な体が跳ねた。
「いぐっ、う!?」
「っ――令呪を以て命ずる! 傷がもたらす痛覚を緩和し、痛みを取り払え!」
続けざまの二画消費。体の中を膨大な魔力が流れ、モードレッドの体に流れていくのが伝わる。
魔力の反応が収まれば、モードレッドの顔は安心を取り戻していた。大きく深呼吸し、つりがちの目が僕を見上げる。
「助かったぜ、マスター……すまねえ。オレの治癒なんかに、令呪を二画も」
「いいや、必要な消費だった。悔いはないよ」
モードレッドははにかみ、そして自分の両手を見下ろした。
震えは止まない。力を加えても、僅かに指先が動くだけのようだ。完全に痛みを無くすことは不可能らしく、指が痙攣する度に、モードレッドの眉が苦悶に揺れた。表面を塞いだだけなのだから当然だ。傷は傷として残り、そして治らない。
「……許さねえ」
次の瞬間には、モードレッドは忘れていた敵意をむき出しにした。犬歯を露わにして、火花が散りそうな程に眼光を鋭くする。
「ふざけた真似をしやがって。このオレから剣を奪おうなんてただじゃおかねえぞ! マスター、あの下劣なクソサーヴァントを今すぐぶっ殺しに行くぞ!」
魔力放出で飛び出さんばかりの勢いで、モードレッドは立ち上がろうとする。その前に、僕はモードレッドの両肩に手を起き、彼女を諫めた。
魂を噛み千切らんばかりのモードレッドの目が、僕を真っ直ぐにらみつける。鼻がぶつかるほどの至近距離に、獣の眼光がある。
「んだよ、マスター。いくらお前でも、邪魔立ては許さね――」
「よく聞け、モードレッド」
それでも、言わなければいけなかった。猛獣の目を真っ向から覗き込んで、僕は死刑宣告を行う。
「僕たちは詰んだ」
「……は?」
「剣もなしに勝てる相手か? よく考えてみろ。お前が一番、よく分かってるはずだ」
事実だけを、突き放すように口にする。モードレッドの怒りは、途端に最高潮に達した。
「ふっ――ざ、けんなよ!? このオレが勝てねえだと!? マスター、オレを信じてねえのかよ!」
「マスターだからこそ言うんだ。君はクラレントを握れない。そんな状態で戦えるほど、他のサーヴァントは……聖杯戦争は甘くない。そうだろ?」
幾ら凡夫の僕でも、モードレッドの威勢が強がりであることが見透かせた。その証拠に、彼女は煮えたぎる怒りで震えながら、それを爆発させることをしない。
「っ……知るか。マスターが何と言おうが知ったことか! オレは諦めねえ! ッそうだよ、他の奴らに任せりゃいいんだ。他の奴らが勝手に戦って、最後の一人になったところを、オレの魔力放出で……ぐ、ぅぅ!」
モードレッドは割れんばかりに歯噛みして、絞り出すように言葉を続ける。
腕に走る痛みは、自分への懲罰のように感じられたことだろう。それは卑怯者の戦術だった。己の誇りを踏み砕く最も下劣な手段だった。
それを言わなければいけないほどに、剣を失ったリスクは重い。
そして、僕がかけなければいけない言葉もまた、とてつもなく重い。
「無理だ。剣を振るえなくなった君の能力は、半分を遙かに下回る。それにどれだけの奇策を凝らしても、蹴りだけで英雄を沈められるわけがない。そんな捨て鉢な特攻をさせるわけにはいかない」
「うっせえ……うっせえよ……!」
「分かってくれ、モードレッド……それじゃあ死んでしまうだろう」
視界に火花が散った。
耳が裂け、音が消えた。首がぐるんと回って、モードレッドの姿が消える。床面が迫り、咄嗟に両手を出して四つん這いになった。
思い出したように、張られた頬が焼け付くような痛みを伝えてくる。その痛みに苦悶するより早く、モードレッドの健常な脚が腰を強烈に蹴りつけた。
「この腑抜けがァ!!」
魂が引っこ抜かれたような衝撃だった。あらゆるものを置き去りにして、僕は部屋の端まで吹き飛び、壁にヒビを走らせて止まった。轟音とモードレッドの怒号が、雷のように空気を戦慄かせる。
朦朧とする目を開けると、モードレッドは自分の右手を押さえ、俯いて苦痛を必死にこらえていた。ばっくりと裂けた腕で、激情のままに僕を殴りつけたのだ。腕を真っ二つに割られるような痛みに違いない。
僕を見据えたモードレッドの目は、かつてなく怒りに震えていた。
「っ~~~~! 何だよ、テメエは。結局は我が身かわいさか? アぁ? この聖杯戦争の参加者が、俺のマスターが、死ぬのが怖いだと!? ふっざけんなよ!」
モードレッドは手近にあったテーブルを蹴りつけた。木製のテーブルは紙細工のようにひしゃげて、形も不揃いなゴミに変わる。
「死んでしまう? ああそうさ、死ぬしかねえだろうよ! 元より生きるか死ぬかの戦いだろうが! ゴミ虫みたいに嬲られようが、潔く散るのが英雄だろうが!」
呼吸が激しく乱れている。顔がくしゃくしゃに歪んでいる。今見せている激高は、戦いの時に見せる激情とは趣が異なる。心をむき出しに叫ぶ、悲しみの叫びだった。僕に対する落胆、失望。それを受け入れられないが故の怒りだ。
息が乱れ、喉がつっかえる。モードレッドはしゃくりあげて、僕を睥睨する。
「っ……お前は、いいマスターだったぞ。オレは恵まれていると思ったぞ! 勝てると思った! 例え負けてもそれでいいかと思えた! 運命を共にする価値があった! なのに『死んでしまう』だと? 死にたくないだと? そんな世迷い言をいうなら、今この場でオレが殺してやるぞ!」
モードレッドが肩を怒らせて歩み寄る。そのまま、僕の頭蓋を踏み砕く勢いだ。そんな中で、やはりまだ痛むのか、両腕は力が入らず、体の左右でぶらぶらと頼りなく揺れている。
その歪さがあまりに痛ましくて……言わなければいけない言葉を、僕はやっとの事で絞り出した。
「今の君は、英霊ですらないんだぞ」
「っな……ん、だと?」
やはり、気づいていなかったのか。気づいた上で目を逸らしていたのなら、まだ楽なのに。
「少し触れれば分かる。君の腕に刻まれた傷は大いなる呪いだ。その傷は、君の霊核そのものを穢している……もう君は、かつてブリテンに君臨したモードレッドではない」
「こ、これ以上ふざけたこと言うなよ、マスター。もう沢山だって」
「治らないのは当然。例え死しても、この傷は君に刻まれ続ける。英霊の座に登録された君にもね。時間が建てば、かつての伝承にも、君が剣を振っていた事実はなくなるかもしれない」
そうなれば最早英霊と呼べはしない。武勇はなくなり、舞台から弾かれ、ただの片輪者として、魂は有象無象に消え失せるだろう。
まさしく必殺の一撃だったのだ。この聖杯戦争から引きずり降ろすだけでは飽きたらず、歴史からも、存在意義そのものを抹消する、非情に過ぎる一撃。
モードレッドは言葉を発さなかった。足下が無くなったような喪失感に、静かに膝を折る。彼女の顔が正面にあるも、瞳は虚ろで僕を捉えてはいない。
「……全部、なくなる? ブリテンを駆けたあの時も、円卓の騎士として馳せた武勲も……父上に憧れた事も、父上を……」
光の失せた暗い瞳から、一筋の涙が落ちた。細い筋を描いた水滴は、後から後から沸いてきて、モードレッドの頬を濡らす。
彼女の事は、彼女自身から聞いていた。アーサー王に憧れ、背中を追ったこと。彼の子として認めてもらいたかったこと。王の器であると認めて欲しかったこと。それら全てが翻り、叛逆の炎となったこと。
荒々しく、悪辣で、暴力に満ち……けれどもひたすらに一途でいたいけな、一人の人間の鮮烈な一生。
それが。誇り高き彼女の一生が。
「こんな……こんな傷一つで、ぶっ壊れるって言うのか? あんな一瞬で、あっけなく、オレの、オレが刻んだ、オレがいた証全部……っ!」
両腕の、浅黒くなった傷跡に、ポタポタと涙が落ちた。ブルブルと震える手が顔を覆い、頬の皮に食い込み、髪の毛をグシャグシャにかき回す。
「ざけんな。なんとか、なんとかしなくちゃ。治さなきゃ治さなきゃ。戦わなきゃ。ああ、でも、でも……」
体全部を震わせ、力なく頭を振る。
あのサーヴァントをぶち殺せば?
難しいだろう。これは外傷の枠を越えた呪いだ。それに『封じる』のではなく『壊す』タイプの。呪いの大元が消えたからといって、その修復まで期待するのは筋違いだ。
大体、どうやって勝つんだ。その腕で、どうやって。
聖杯に願えば?
ああ、確かに願いは届くだろう。
だが、僕たちが勝てる可能性は? 手負いのサーヴァントに、令呪を二画使ったマスター。状況は最早死に体に近い。
どうやって勝つんだ。どうやって。
剣も振るえない癖に。
すがりつきたい可能性が、精一杯の強がりが、津波のような喪失感と後悔に押し流されていく。
戦えない。もう満足に剣を振るえない。このままだと自分が汚される。何とかしたい。けれど足掻けば確実に死んでしまう。そして、死んだらもう次はやってこない。絶対に。
「っう、うぅ……あ、あァ、ア……」
発狂しないだけモードレッドは強かった。しかし激昂すらできないほどに打ちひしがれていた。絞り出すような声を上げ、モードレッドはうつむき、涙を床に落とし続ける。
僕も、かける言葉を持たなかった。あの時油断しなければ、もう少し機敏な判断ができたのなら、こういう事にはならなかった。
隠れ家に小さな呻き声が満ちる。部屋の隅っこにうずくまり、額を突き合わせるようにして、途方に暮れる。
「モードレッド」
打ちひしがれるモードレッドの両肩に手を置く。誘われるまま、彼女の体が僕に体重を擡げてきた。顔を押しつけられた左肩が、しっとりと塗れる。
呼吸は乱れ、体は微振動を続けている。すすり泣く声は、信じられないくらいに弱々しかった。僕が両腕で包み込んでいるのは、騎士でも王でもなく、人生を粉々にされたいたいけな少女でしかない。
硬質な彼女の金髪が顔をくすぐる。彼女の金髪に指を絡ませて、心の穴を埋めるように、肌を寄せる。
「……い……」
「モードレッド?」
「すまない、マスター……オレ、役立たずで。二人で勝つって、約束してたのに……」
震える声で、僕に謝罪する。
サーヴァントとは戦う為の存在だ。己が願いを叶えるために命を賭す為に在るものだ。
戦えないサーヴァントに、意味などない。涙の理由に、僕は歯噛みする。
どうしてこういう事になってしまったのだろう。彼女と共に戦う事は、とても楽しかったのに。死んでも構わないと思えるくらいに、満ち足りていたのに。
それを想うと、心がとある方向に動いていることが分かった。
余りにも馬鹿らしい考えだった。けれど、嘘偽りない僕の本心だ。それが口を自然に動かせ、言葉を紡ぐ。
「――一緒に、逃げよう」
意外な提案に、モードレッドが顔を上げる。淀んでいた瞳が、大きく開かれて僕を見る。
「……マスター、何言って……」
「どこか遠く、戦いも何も無いところに行こう。戦えないなら、戦わなければいい。無駄死にする位なら、生きていた方がよっぽどいい」
「滅茶苦茶だ。聖杯は? マスターの願いはどうなるんだよ」
泡を食った顔でモードレッドが詰め寄る。その驚きは、腕の傷すら忘れてしまうほどだ。
「そりゃ口惜しくはあるよ。人並み以上には魔術に人生を費やしてきたし、『根源』にも興味は尽きない。けれど、目の前の君の人生を踏みにじってまで得るような大切なものじゃない。それなら僕は、君とずっと一緒にいた方がいい。根源も、魔術すらも忘れて」
「一緒に……って、おま、それは……」
疎くはないモードレッドは、僕の内に秘めたものをすぐに察した。頬に薄く朱が乗り、引き結んでいた口が力なく開く。
「君と過ごす時間が楽しかった。命を懸けて戦っていたこの時間が、人生で最も色鮮やかだった。君といると心が弾み、胸が躍った。戦う君は誰より果敢だった。君は怒るだろうけど、戦いのない場所で、君は誰より可憐だった」
「っう……ぜんぜん、気づかなかったぞ。マスターがそんなこと考えていた、とか」
耐えられないとばかりに僕から目を逸らす。当然だろう。表だって口にしたことはなかったし、成就させる気もなかったからだ。
「魔術のために何もかもをかなぐり捨ててきたはずなのに、君の隣で、ただただ生きていたくなった」
一緒にいられればそれでいい。状況が聖杯戦争なら叶うべくもない、馬鹿げた夢想だ。だが今は状況が違う。
モードレッドには、この提案はどう映ったことだろう。目を逸らしたまま、歯切れ悪く変事が帰ってくる。
「で、でも……オレはサーヴァントだ。戦う為に喚ばれた。それがオレの存在意義だ」
「違う。サーヴァントは使い魔だよ。目的が勝ち残る為にあるだけで、どう使うかは僕の自由だ。そして、僕は戦いたくない。戦えない君に戦わせたくない」
だらりと垂れ下がったままの手を取る。モードレッドは僅かな痛みに顔をしかめるも、伝わってくる温もりに、何とも言えない感情を覗かせる。
「……サンキュ、マスター。けど、やだよ。認められねえよ、そんなの」
まるで、野原に放り出された飼い犬のようだった。どうしたらいいか分からず途方に暮れ、ただ目の前の現実を悲観するような。
「オレはセイバーだぞ。円卓の騎士、モードレッドだぞ。剣も振れず、戦うことも止めて、ただ生きるなんて……そんなの、オレじゃねえよ。そんな生き方、オレには……」
激情の人生が、一度あった。英霊であるモードレッドは、僕なんかよりよほど人生を、自分という存在を知っている。だから今の自分を許容できない。逃げるという選択を唾棄できない自分に失望している。
結局、彼女は何も決められず、うなだれて小刻みに震える。僕は彼女の頭に手を置いて、胸に寄せる。力のない上半身には、好きにしてくれという諦観が現れていた。
「……いずれ、傷を治す術を見つけてみせる。時間さえあればきっとよくなるよ。きっと、治してみせるから」
根拠のない、ただただ優しい言葉を、彼女の耳に染み込ませる。少しでも、この喪失感を埋める土となれるように。
状況は最悪だが、選択まで最悪である必要はない。
ここにいても、死と悲劇しか生まれない。
ここには終末しかない。
ならばいっそ、だらしなく続けるものアリだろう。死に等しい絶望も、その中で生き続ければ意味のあるものになると信じて。