もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
蹴飛ばされてベッドから転がり落ちた所で、僕の朝は始まる。穏やかでご機嫌な一日の始まりは、いつもバイオレンスだ。
「飯」
「……おはようモードレッド」
脳天にごうんと唸る衝撃と、不躾な彼女の声が目覚まし代わりだ。頭頂部を床に付けた逆立ち状態のまま、僕はベッドに立つ彼女を見る。
淡い桃色のパジャマ。小さな背丈。不機嫌そうな顔。凛々しく輝く翡翠の瞳。頭頂部の痛みは消えうせて、僕の口角は自然と持ち上がる。
「もう少し優しい起こし方を考えないかな。大切なマスターがどこか怪我をする前に」
「うっせえ。いいから起きろよバカマスター」
「照れ隠しもいいけど、もう二ヶ月だよ? 恋人っぽく、ほっぺにチューとかどうだろう」
「っ調子に乗んな……先行ってんぞ。腹減ってんだから、待たせんなよ」
ギロリ、と狂犬のような目つきで睨まれる。モードレッドは暫くガンを飛ばした後、そそくさと寝室から出て行く。
僕は転がり落ちた姿勢のまま、寝間着姿のモードレッドを見送る。ドタドと大袈裟な足音が過ぎ去って、窓の外、鳥の愛らしい歌が聞こえてくる。
逆立ちのまま苦笑してしまう。脚が早いのは相変わらずだが、モードレッドの態度は少しずつ軟化してきている。
二カ月の時間が与えた変化は、些細だが大きいものだった。
例えば彼女は、照れこそすれ、朝食を僕に食べさせられる事を嫌がらなくなった。
「はい、モードレッド」
「あー……む」
スプーンにすくったスクランブルエッグを、モードレッドの小さな口が受け止める。
「こうして横に並んで食事するのも、大分慣れてきたね」
「お前の顔を真正面に置いてるとムカムカするけどな。地べた這い蹲って犬みたいに喰うより、幾らかマシだ」
「大好きなモードレッドにそんなことさせないよ。はい、パン」
「あー」
小さなバタロールを口に差し出すと、モードレッドは素直に口を開ける
見下ろした位置に、目を瞑ってもぐもぐしているモードレッドの仏頂面がある。受け入れられない、恥ずかしいといったマイナスな感情を、食事でごまかしている顔だ。
可愛らしい薄桃色の寝間着に、凜々しい仏頂面。かつて荒野を駆け抜け、剣を振るい戦った英雄の、年端もいかない少女としての側面。それを僕だけが見つめている。その特別感が、自然と僕の頬を緩ませる。
「なんだか、世話のかかる娘ができたみたいだ」
「っ……最近のお前、わざと苛つく言葉を選んでるよな?」
「かわいいって言っても、あんまり怒らなくなったから。何だか嬉しくてつい——」
僕は笑顔を浮かべて自分のスクランブルエッグをすくい——
次の瞬間、強烈な蹴りに吹き飛ばされた。
どがっしゃあん! と激しい音。散らばった黄色い卵と一緒に、唾液で光るスプーンが床に落ちる。
「自然な流れでオレのスプーン使ってんじゃねえ! そういう所だぞクソマスター!」
「僕の事を悪し様に言うけど、君の脚も遠慮無くなってきてるよね?」
「目の前のクソ男が日を追うごとにド変態になってるからな!!」
椅子ごとひっくり返った僕に、モードレッドの泡を喰った怒号が降り注ぐ。
こういうやりとりも慣れたもので、僕の受け身も上達してきてる。彼女にとってはそれも気に食わないのかも知れない。
「キスもしてるし、一緒にシャワーも浴びてるし、今更恥ずかしがらなくてもいいのに」
「うっせ、バーカ。テメエみたいなド変態と価値観を共有してたまるか」
そう吐き捨ててから、モードレッドは顔を紅くしてそっぽを向いた。椅子の上で胡座をかいた、その膝がパタパタと揺れている。
「だ、だいたいだな……! 二ヶ月かそこらで慣れるモンかよ。オレはモードレッドだぞ? 円卓の騎士サマに対して、事ある毎に女みたいな扱いしやがって……慣れてたまるかってんだ」
「そのパジャマで女の子じゃないってのは無理が——あ、ごめ、ちょっと待ってスタンピングはまず——」
「て、め、え、が、着せたんだろうがぁぁ!」
ゲシゲシと蹴りつけられて、たっぷり十数秒。
何事もなかったかのように、食事が再開される。谷を転げ落ちたようなボロボロ状態の僕に、モードレッドは反応一つしない。時間を巻き戻したように、黙って口を開けて僕を催促する。
「……毎食こういう事してると、僕の身体が持たないんだけど」
「じゃテメーが折れろ……こうして食わせてもらうのとか、風呂とか、もうしょうがねえからさ。今更嫌がらねえから、囃し立てんなよな、馬鹿が……あむ」
辿々しい声で抗議するモードレッドが、差し出されたトマトを受け止める。
モードレッドの抗議は、恥ずかしいという文句だけに留まっている。
何十回と繰り返されたこの一連の行事に、モードレッドはもう抗うことを辞めていた。
誰かに食べさせてもらう事は、屈辱的だと言っていたのに。モードレッドという存在に泥を塗る、最悪の恥辱だと言っていたのに。
そんな彼女が、二か月を経てもスプーン一つさえ握れていない。
僕の視線は、するべきでないと分かっていても、モードレッドの両脇に垂れ下げられた腕に向かう。
「……傷の具合はどう?」
「どうもこうも、お前が一番分かってるだろう」
「そう、だね……ごめん」
つい、謝ってしまう。彼女の口から離れたフォークが、行く場所を忘れて虚空を彷徨う。
人里離れたこの場所は、時折吹く風と鳥の声以外に音はない。しんと静まり返った空気は、一度落ちた僕の気分を引き上げてはくれない。
視線を落とす。細い僕の両足を、モードレッドの素足が軽く小突いた。
「黙るなよ。沈黙が一番、傷に響くんだ」
憮然として鼻を鳴らし、モードレッドは少しだけ肩を動かし、自分の両腕を揺らす。
「全然変わらねえよ。動かす度に、血管に針を射れられるみたいな痛みがする。声を抑えらんない位ひどい奴が。こうして黙ってじっとさせていても、沢山の羽虫に囓られてるみたいな、じくじくした痛みが続く……相変わらず、オレの言うことを聞こうともしないしな」
試しに指を動かそうとしたのだろう。モードレッドの瞼が痙攣し、唇が引きつる。静まり返った部屋は、彼女の小さなうめき声をハッキリと僕まで届かせた。
治らない傷。終わらない痛み。ほんの少しの動きにさえ怯えなければいけない恐怖。途方もない苦しみは、僕に想像の余地さえ残さない。
二月経過しても、彼女は相変わらず仏頂面で、口よりも先に脚が出る乱暴さだ。それは彼女なりの愛情表現である以上に、無理矢理強きを押し出す事で自分の弱みを覆い隠す、自己弁護に他ならない。
それが分かってしまう。強気な表情の裏側に抱える苦悩が見えてしまう。彼女がこの二ヶ月で、自分が一人の少女でもある事を見せてくれたから。不安に怯える心を吐き出してくれたから。
「不甲斐なくてごめんね、モードレッド」
「ウジウジ謝るなよ、バカが」
モードレッドが椅子に座ったまま膝を持ち上げて、僕の胸を押す。
「穏やかな時間を過ごそうって言ったのはお前だぞ。その時間の良さを、オレに気付かせたのもお前だ。そんなお前が焦ってどうするんだよ」
「だって、君の心が、まだ荒んでる。君が必死に痛みを堪えている時間を、平穏なんて呼びたくない」
「女々しい奴……だから、オレはここにいるんだろうけどな」
胸に押しつけられた足裏が動き、踵が僕の肩をトントンと叩く。小気味良い衝撃が、僕を励まそうとしてくれる。
「オレが剣を持てなくなった時、お前はオレを捨てなかった。その上で、オレを諦めようとしなかった。だからオレは、一緒に逃げようと言ったお前の決断を否定しない」
そう言うと、モードレッドはそっと椅子を降りて、僕の膝の間に座った。背もたれにした僕の胸に、硬質な金色の髪を擦りつける。
「だからあんまり気張りすぎんな。元からすぐに良くなるなんて期待してねえよ。腕の使えないオレに、肩肘張った姿見せるとかどんな皮肉だ、バカマスターが」
そう言って、モードレッドは背筋をくうっと伸ばして、僕に背中を押しつける。両腕は僕の両膝に置かれ、力のない掌が僕の膝頭を覆っている。
あるべき場所にすっぽりと収まったような体勢。僕の手は自然と彼女の両肩に向かう。
「ご飯は、もういいの?」
「飽きた。今はこっちの方がいい」
「気分屋だ。猫みたいだね」
「従者《ペット》はお前の方だけどな」
僕の腕はゆっくり、流れるように彼女の身体を伝う。桃色の寝間着の柔らかな感触を抜けて、珠のように艶やかな肌を伝い、二の腕へ……肘へ。僕の手が末端に近づくにつれ、モードレッドの呼吸が早く、熱く濡れる。
「そっとだぞ、そっと……ッづ! ぅ……」
指先が手首の傷に触れると、胸に押しつけられた身体が震える。悲痛な声は短い。無抵抗が肯定になって、僕にその先を急かす。
フーッ、フーッという荒い呼吸を聞きながら、僕は慎重にモードレッドの指先を広げ、指を絡め合う。
人形のように動かない、けれども命ある温かさを持つ、白魚のような指。体温を分け合うように、モードレッドの掌を握り込む。浅く早い濡れた吐息は、時折痛みを堪えるように途切れたり、落ち着くように深くなったりする。
時折、気まぐれにねだられるようになった儀礼。彼女の生命力の強さと、どうしようもなく脆い儚さを感じる時間。
「ふぅ、つ、ぅ……こうしていると、自分の腕の感覚を思い出す。こんな形をして、オレの手首に繋がっているんだって」
涙を滲ませた声。背中越しに、彼女の高くなった鼓動を感じる。
「オレの腕の事、聞きたがってたよな」
「……うん」
「ウザったい痛さは変わらないけどな……最近、それに波が出てきた」
「波?」
「引く時があるんだ。こうした後とか、ぼーっとしている時とか、お前の魔力供給とは関係無しに。最近は、一瞬だけだが痛みを忘れる時もある」
痛みに苛まれているモードレッドからの、予想外の吉報。けれどモードレッドの言葉に喜びはなく、むしろ気味悪がるような色を感じさせた。
「けれど……何なんだろうな。この傷が治る気だけは、全然しないんだ。むしろ痛みが弱くなる程に、治る可能性が遠ざかっている気がする」
「……?」
どういうことだろう。僕はモードレッドの言葉を脳裏で反芻する。
傷は治らないのに、痛みは引いている。口ぶりからして、モードレッド自身とは関係無しに。
呪いによって傷が治らないのに、果たして痛みは引く物だろうか。経口による魔力供給は、彼女の痛みを多少和らげる効果を持っていた。それでも、彼女の傷自体に与える効果は皆無だ。痛み止め以上の役割は……
(……)
いや、そもそも。
対魔力のスキルを持つセイバーと言えど、単なるブーストで、正体も分からない大いなる呪いに抗えるものだろうか。
痛みは傷の副産物で、主観的な感覚だ。
傷がある限り痛みは続く。そして、傷は決して治らない。
では、モードレッドに起きている現象は、何なのだろうか?
痛みが止まるというのは、治癒の証左か。
それとも、腐敗か?
「っおい、マスター」
「……」
「ぎッ……マスター! どういうつもりだテメエゴラァ!」
「えっ? ——ごはっ!?」
我を取り戻したのは、丁度彼女の頭が僕の鼻っ面に打ち付けられた時だった。
仰け反り、椅子ごと倒れ込む。モードレッドはその前に僕から身を引き、凄い形相で僕を見下す。
涙の堪った目に、僕が無意識のうちに、彼女の腕を無遠慮に弄っていた事を悟った。
「優しくしろっつったろーが、バカマスターが!」
「ご、ごめん。考え事してて……!」
「あー、クソ、オレも油断してた。やっぱり、テメエみたいなド変態に身を預けるべきじゃなかった! そんなに悩みたきゃ、脳味噌にカビ生えてブルーチーズになるまで引き籠もってろ、バーカ!」
苛立ちを隠さずに、ドスドスと音を立ててリビングを出て行くモードレッド。
ドアが割れんばかりの乱暴な衝撃がしたと思えば、後には素知らぬ顔を決め込む、森の静寂があるばかり。
「……難しいな。いろいろと、何もかも」
しみじみと吐き出した溜息に、僕は目の前に積み上がった問題の重たさを、改めて感じずにはいられなかった。