もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
「っ——は」
悲鳴を上げないのは、殆ど奇跡に近かった。オレは毛布を蹴飛ばして飛び起きた。喘ぐように吸い込んだ大量の空気で、肺が引きつった痛みを訴える。
ここは……オレ達の家だ。オレが昨夜眠っていた寝室だ。
オレは、オレだ。まだオレだ。これからもオレなんだ。
反射的に、オレは自らの事を思い出す。モードレッド。円卓の末席。
アーサー王の息子にて、父上を打ち倒しブリテンを破壊した叛逆の騎士。
だというのに、アレは……!
歯噛み、その瞬間に驚愕する。
手首から先の感覚が、喪失していた。
猛烈な恐怖に駆られて、オレは両手を力強く握りしめようとした。
その途端に激痛が雷のようにオレの脳髄を打ち、朝の目覚めを最悪に変える。
「っぎいいっ、い……!」
歯を食いしばり、悲鳴を黙殺する。身を引き裂かれるような痛み。これがやっと、両腕の感覚を思い出させてくれる。
総毛立った全身を、朝の冷え込んだ空気が撫でる。眼下の毛布に、数滴の涙が落ちる。
信じられない。目覚めた一瞬、オレは自分の両手が『在る』事を忘れていたのだ。
アイデンティティの崩壊である両腕の喪失を、気がつけなかったのだ。
「ん、だよ。畜生め」
悪態を付き、オレは余韻にビリビリと震える腕を垂れ下げる。
悪夢は毎日のように続いていた。日を追うごとに、より悍ましく、明瞭になって。
夢に落ちる度に、オレは自身の記憶の中を彷徨った。カムランの丘にて王を打ち倒した時。憤怒に燃えて群衆を率いブリテンを転覆させたあの時。円卓の騎士として王の下に集った時。
両腕の傷は、そんなオレの記憶に食い込み、オレの功績、オレの形跡を消し去ろうと目論む。
まるで、品定めでもしているように。
『もし最初から両腕がなかったとしたら、どこが一番都合がいいだろうか』と、値踏みをするように。
その下らない検証は、とうとうオレが産まれたばかりの記憶にまで絡みついてきた。
今回のは、一際最悪だった。憎き母の事を思い出したばかりか、オレという全存在を否定されたのだ。お前のような存在は最初から有り得なかったと、嘲笑うかのように。
「オレは、モードレッドだぞ。モードレッドなんだ……クソ、クソ」
声が震える。
記憶の中の傷は、日増しのその存在を確かなものにしていく。それに合わせるように、傷の痛みは次第に引いていく。
痛みが引くのと同時に、両腕があるという確証が薄れていく。
かといって、痛みは決してその強烈さを損なわない。少しの身じろぎに対して雷のような報復を与え、オレを恐怖で縛り付ける。
呪いが侵攻しているのか、その他に原因があるのか、そもそもこれは本当に呪いなのか。
それは分からない。けれど——目覚めると手首から先が無かった。そういう状態に陥る可能性を、否定できない。
「オレの過去に……入ってくんな。クソッタレ……!」
ただただ、恐ろしい。
武力ではどうにもならない浸食。熱意を嘲笑う事実の改悪。
オレがオレでなくなるのではない。『オレがオレであることに確証が持てなくなる』という恐怖。
このまま日が経てば、いつかこの傷を当たり前と思うのではないか。そう思うと、いてもたってもいられない。
「オレはモードレッドだ。思い出せ、思い出せ……」
王に向けた羨望を思い出す。自らの不義の産まれへの嘆きを、母への怒りを思い出す。嫉妬と激情にて振るった剣の感触を思い出す。
そして、この聖杯戦争にてマスターと戦った、激しくも充実した日々を思い出す。
記憶を蘇らせる度に、両腕が痛みを訴えてきた。体内で喧嘩をするように。聞き分けのない子供に折檻するように、激痛が走る。
オレがオレである事を確かめるのにも、痛みが伴う。肯定さえ楽ではない。
何なんだ、コレは。なんでこんな目に……。
じっとしていれば、またオレは泣いてしまったかもしれない。そうなるより先に、寝室のドアが開け放たれた。
覚束ない足取りで踏み込んできた、陰気な顔に、オレの意識は向かう。
「マスター?」
「ん……ああ、モードレッド。おはよう」
胡乱な目を向けて、マスターは疲れ切った笑みを浮かべる。様子からして、早起きして朝食の準備をしていた訳では無いらしい。
「ちょっと、熱が入りすぎちゃって。気付いたら朝だったよ」
「なんだよ、じゃあお前、ずっと工房に籠もってたってのか?」
「まあね。流石に、頭を働かせすぎた。立ってるのもしんどいくらいだ」
そう言うと、マスターは糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。靴も脱がずに、ベッドに大の字になる。
「ごめん、少し寝るよ。朝食、何も準備してないけど……」
「疲れ切ったお前を見てねだる程強情じゃねえよ……無理すんなって言っただろ、ゆっくり休め」
「……ありがとう、モードレッド……」
最後の感謝の言葉は既に寝言に近かった。マスターは直ぐに寝息を立て始めた。とぼけた寝顔がオレの方を向いて、柔らかなベッドに沈み込んでいる。
オレは脚を使って、オレの使っていた毛布を上にかけてやった。
そのまま暫く、マスターの寝顔を見下ろす。
惚けた寝顔。その表情は疲れ、目についた隈は落ちる様子はない。
ここに来てからも、コイツの飄々とした態度は相変わらずだが、たまに意図的にそれを保とうとしている様子を浮かばせる。
無理をしているのは明白だった。
それはきっと、全部。コイツの疲労や、苦労は、全部……。
「……オレなんかのために、悪いな、マスター」
流石に、頬にキスなんて女々しい真似はしない。せめて良い夢が見られるように、マスターの背中にごつんと頭を押しつけて、オレは静かに寝室を後にした。
リビングは閑散としていたが、食事用のテーブルの上に煙草と、包み紙を解いた棒付きキャンディーが置かれていた。二つの間にメモ用紙が張ってあり、マスターの字で『ご自由にどうぞ』と書かれている。
しかし、ライターらしき物が見当たらない。まさか、煙草は火を付けないと吸えない事を知らないのだろうか? 笑えない冗談にも思えるし、あのおべんちゃらなマスターなら本気で気付いていない可能性がある。
舌打ち一つ、オレは口で飴玉を取り、口中で転がす。
柑橘系の酸っぱい甘さが、少しだけ気分を沈めてくれる。
心の底から不愉快だが、口寂しいという感覚を身体で理解した。
「……愛情が足りない、ねえ」
カロ、と音を立てながら、そう呟く。
母に謀略の道具として産み落とされ、怨嗟の果てに父上を殺した。このモードレッドに愛情が足りないと、よくもまあ口に出せた物だ。
そうやって苛つく。けれど、口を踊る飴玉の感触に、安らぎを覚える事も事実だ。
ごまかしかもしれない。それでも苦痛の緩和は、オレにとってこれ以上無い癒やしだ。
思わず、縋り付きたいという願望を抱いてしまう。
愛情が、この苦しみを解いてくれるなら……例えば、固く強く抱き締められたなら。
この不安や恐怖も、霧散してくれるのだろうか。
ちょうど、ここに来て直ぐに組み敷かれた、あの時のように。抵抗できないほど乱暴に、雄々しく、それでいて包み込むように優しく、愛情を注ぎ込まれたら。
「……って、これじゃオレがサカってるみたいじゃねえか」
自分の想像に墓穴を掘って、勝手に赤面する。初心な生娘のような自分に、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
思い出すのも恥ずかしい、女としてのオレ。子供みたいに泣きじゃくって、マスターを求めたオレ。
あれこそ、最もモードレッドらしくない痴態だった。溜まらなく恥ずかしいのに、記憶は鮮明で、全く色褪せようとしない。耳元で囁かれた言葉を、感触まで思い出すことができる。
怖くなる程の快楽だった。溺れてしまいたいと望む程の愛情だった。
そして、オレがひとたびそう望めば、アイツは心ゆくまで、オレの望むままに全てを包み込んでくれるだろう。
思えば、真にオレが変わったのは、あの時なのだろう。あれ以来、オレのタガはどこか外れてしまったのだ。
不意に胸が切なくなり、肌の感触を求めてしまう。痛みに怯え、慰めを求めてしまう。
そんな弱さを見せる度に、両腕の痛みは薄れ、悪夢がオレを蝕んでいくのだ。
溺れてしまえと言わんばかりに。オレという存在を捨ててしまえと、言わんばかりに。
「……ッ」
苛立ちのままに、大きいままの飴玉を噛み砕き、咥えていた白い棒を吐き捨てる。
飴をもう一本くわえ込んで、オレはドアを蹴り開けて外に出た。朝の冷たい風が、馬鹿みたいに浮ついた脳味噌を冷ましてくれる。
何も無い、自然ばかりの殺風景な景色。そこを流れる風も、どことなく素っ気なくオレの髪を梳いていく。
特に何も考えなかった。脚は自然と動き、その先には、倉庫に繋がれた馬がいた。
彼はオレの接近に気が付くと、ブルリと鼻を鳴らす。吐息がいつもより乱暴だった。いても立ってもいられないというように、しきりに蹄で地面を掻いている。
「落ち着けよ……大丈夫だ、心配すんな」
オレは倉庫の住みに積んであったリンゴを足で転がして、馬の下まで運んでやる。
喜んで齧り付くのを横目に、オレは馬の腹に顔を押しつけた。
「繋ぎっぱなしで悪いな。お前も、色々と溜まってそうだ」
何となく親近感を感じたくて、頬を押しつける。
むせっかえる野生の匂い。逞しさを体現するような、厚く固い皮。
毛並みが柔らかいのは、適度にブラッシングをされているからだろう。マスターが空いた時間で、コイツの世話もしているのだ。寝食を忘れるほどに魔術に打ち込んでいるにも関わらず。
せめて、オレが連れてきたコイツの世話だけでも、できればいいのだが。バケツに飲み水を入れて、毛並みをブラシで梳いて、手綱を引いて思う存分走らせてやれれば、さぞかし気持ちが良くなるだろう。
そうあればと思う全部が、今はもう夢物語だ。両腕を使えない事によって産まれた『できないこと』は、最早人でなしと呼ばれる程に多い。
「……」
もどかしい。全部が帰結する感情は、それだった。
思うがままに敵を屠り、困難を力で唾棄してやりたいのに。
怒りを原動力に民衆を導いたあの時のように、マスターの悩みを吹き飛ばしてやりたいのに。
やり方は何でもいい。
彼のために、少しでも力になりたいのに。
ここではオレは、傷を負った、か弱い少女でしかない。
自分に自信が持てない。その不安も、きっとオレを悪い方向に運んでいる。ウダウダ考えないのも、オレらしさであった筈なのに。
暗い思考を遊ばせるオレの意識を、ブルリという鼻息が引き戻した。既にリンゴを食い終えた馬が、懊悩に身を捩る。
その視線は、オレの反対側——離れにあたる木造の倉庫に注がれている。
視線を注いだまま、またブルリと鼻を鳴らす。蹄は不機嫌そうに、不安そうに、地面をザリザリと掻いている。
横面に顔を当てて宥めてから、オレは言った。
「……お前に教えられなくたって、分かってるよ」
オレは、アイツのサーヴァントだ。
アイツの刃として、立ち向かう。それが何よりも前提とされる、オレの存在理由なのだ。