※この作品はR-18です。

もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活   作:オリスケ

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第16話

 

「っ——は」

 

 悲鳴を上げないのは、殆ど奇跡に近かった。オレは毛布を蹴飛ばして飛び起きた。喘ぐように吸い込んだ大量の空気で、肺が引きつった痛みを訴える。

 

 ここは……オレ達の家だ。オレが昨夜眠っていた寝室だ。

 オレは、オレだ。まだオレだ。これからもオレなんだ。

 反射的に、オレは自らの事を思い出す。モードレッド。円卓の末席。

 アーサー王の息子にて、父上を打ち倒しブリテンを破壊した叛逆の騎士。

 だというのに、アレは……!

 

 歯噛み、その瞬間に驚愕する。

 手首から先の感覚が、喪失していた。

 猛烈な恐怖に駆られて、オレは両手を力強く握りしめようとした。

 その途端に激痛が雷のようにオレの脳髄を打ち、朝の目覚めを最悪に変える。

 

「っぎいいっ、い……!」

 

 歯を食いしばり、悲鳴を黙殺する。身を引き裂かれるような痛み。これがやっと、両腕の感覚を思い出させてくれる。

 総毛立った全身を、朝の冷え込んだ空気が撫でる。眼下の毛布に、数滴の涙が落ちる。

 信じられない。目覚めた一瞬、オレは自分の両手が『在る』事を忘れていたのだ。

 アイデンティティの崩壊である両腕の喪失を、気がつけなかったのだ。

 

「ん、だよ。畜生め」

 

 悪態を付き、オレは余韻にビリビリと震える腕を垂れ下げる。

 悪夢は毎日のように続いていた。日を追うごとに、より悍ましく、明瞭になって。

 夢に落ちる度に、オレは自身の記憶の中を彷徨った。カムランの丘にて王を打ち倒した時。憤怒に燃えて群衆を率いブリテンを転覆させたあの時。円卓の騎士として王の下に集った時。

 両腕の傷は、そんなオレの記憶に食い込み、オレの功績、オレの形跡を消し去ろうと目論む。

 

 まるで、品定めでもしているように。

 『もし最初から両腕がなかったとしたら、どこが一番都合がいいだろうか』と、値踏みをするように。

 

 その下らない検証は、とうとうオレが産まれたばかりの記憶にまで絡みついてきた。

 今回のは、一際最悪だった。憎き母の事を思い出したばかりか、オレという全存在を否定されたのだ。お前のような存在は最初から有り得なかったと、嘲笑うかのように。

 

「オレは、モードレッドだぞ。モードレッドなんだ……クソ、クソ」

 

 声が震える。

 記憶の中の傷は、日増しのその存在を確かなものにしていく。それに合わせるように、傷の痛みは次第に引いていく。

 痛みが引くのと同時に、両腕があるという確証が薄れていく。

 かといって、痛みは決してその強烈さを損なわない。少しの身じろぎに対して雷のような報復を与え、オレを恐怖で縛り付ける。

 呪いが侵攻しているのか、その他に原因があるのか、そもそもこれは本当に呪いなのか。

 それは分からない。けれど——目覚めると手首から先が無かった。そういう状態に陥る可能性を、否定できない。

 

「オレの過去に……入ってくんな。クソッタレ……!」

 

 ただただ、恐ろしい。

 武力ではどうにもならない浸食。熱意を嘲笑う事実の改悪。

 オレがオレでなくなるのではない。『オレがオレであることに確証が持てなくなる』という恐怖。

 このまま日が経てば、いつかこの傷を当たり前と思うのではないか。そう思うと、いてもたってもいられない。

 

「オレはモードレッドだ。思い出せ、思い出せ……」

 

 王に向けた羨望を思い出す。自らの不義の産まれへの嘆きを、母への怒りを思い出す。嫉妬と激情にて振るった剣の感触を思い出す。

 そして、この聖杯戦争にてマスターと戦った、激しくも充実した日々を思い出す。

 記憶を蘇らせる度に、両腕が痛みを訴えてきた。体内で喧嘩をするように。聞き分けのない子供に折檻するように、激痛が走る。

 オレがオレである事を確かめるのにも、痛みが伴う。肯定さえ楽ではない。

 何なんだ、コレは。なんでこんな目に……。

 

 

 じっとしていれば、またオレは泣いてしまったかもしれない。そうなるより先に、寝室のドアが開け放たれた。

 覚束ない足取りで踏み込んできた、陰気な顔に、オレの意識は向かう。

 

「マスター?」

「ん……ああ、モードレッド。おはよう」

 

 胡乱な目を向けて、マスターは疲れ切った笑みを浮かべる。様子からして、早起きして朝食の準備をしていた訳では無いらしい。

 

「ちょっと、熱が入りすぎちゃって。気付いたら朝だったよ」

「なんだよ、じゃあお前、ずっと工房に籠もってたってのか?」

「まあね。流石に、頭を働かせすぎた。立ってるのもしんどいくらいだ」

 

 そう言うと、マスターは糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。靴も脱がずに、ベッドに大の字になる。

 

「ごめん、少し寝るよ。朝食、何も準備してないけど……」

「疲れ切ったお前を見てねだる程強情じゃねえよ……無理すんなって言っただろ、ゆっくり休め」

「……ありがとう、モードレッド……」

 

 最後の感謝の言葉は既に寝言に近かった。マスターは直ぐに寝息を立て始めた。とぼけた寝顔がオレの方を向いて、柔らかなベッドに沈み込んでいる。

 オレは脚を使って、オレの使っていた毛布を上にかけてやった。

 

 そのまま暫く、マスターの寝顔を見下ろす。

 惚けた寝顔。その表情は疲れ、目についた隈は落ちる様子はない。

 ここに来てからも、コイツの飄々とした態度は相変わらずだが、たまに意図的にそれを保とうとしている様子を浮かばせる。

 無理をしているのは明白だった。

 

 

 それはきっと、全部。コイツの疲労や、苦労は、全部……。

 

「……オレなんかのために、悪いな、マスター」

 

 流石に、頬にキスなんて女々しい真似はしない。せめて良い夢が見られるように、マスターの背中にごつんと頭を押しつけて、オレは静かに寝室を後にした。

 リビングは閑散としていたが、食事用のテーブルの上に煙草と、包み紙を解いた棒付きキャンディーが置かれていた。二つの間にメモ用紙が張ってあり、マスターの字で『ご自由にどうぞ』と書かれている。

 しかし、ライターらしき物が見当たらない。まさか、煙草は火を付けないと吸えない事を知らないのだろうか? 笑えない冗談にも思えるし、あのおべんちゃらなマスターなら本気で気付いていない可能性がある。

 舌打ち一つ、オレは口で飴玉を取り、口中で転がす。

 柑橘系の酸っぱい甘さが、少しだけ気分を沈めてくれる。

 心の底から不愉快だが、口寂しいという感覚を身体で理解した。

 

「……愛情が足りない、ねえ」

 

 カロ、と音を立てながら、そう呟く。

 母に謀略の道具として産み落とされ、怨嗟の果てに父上を殺した。このモードレッドに愛情が足りないと、よくもまあ口に出せた物だ。

 そうやって苛つく。けれど、口を踊る飴玉の感触に、安らぎを覚える事も事実だ。

 ごまかしかもしれない。それでも苦痛の緩和は、オレにとってこれ以上無い癒やしだ。

 

 

 

 思わず、縋り付きたいという願望を抱いてしまう。

 愛情が、この苦しみを解いてくれるなら……例えば、固く強く抱き締められたなら。

 この不安や恐怖も、霧散してくれるのだろうか。

 ちょうど、ここに来て直ぐに組み敷かれた、あの時のように。抵抗できないほど乱暴に、雄々しく、それでいて包み込むように優しく、愛情を注ぎ込まれたら。

 

「……って、これじゃオレがサカってるみたいじゃねえか」

 

 自分の想像に墓穴を掘って、勝手に赤面する。初心な生娘のような自分に、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

 思い出すのも恥ずかしい、女としてのオレ。子供みたいに泣きじゃくって、マスターを求めたオレ。

 あれこそ、最もモードレッドらしくない痴態だった。溜まらなく恥ずかしいのに、記憶は鮮明で、全く色褪せようとしない。耳元で囁かれた言葉を、感触まで思い出すことができる。

 怖くなる程の快楽だった。溺れてしまいたいと望む程の愛情だった。

 そして、オレがひとたびそう望めば、アイツは心ゆくまで、オレの望むままに全てを包み込んでくれるだろう。

 

 

 思えば、真にオレが変わったのは、あの時なのだろう。あれ以来、オレのタガはどこか外れてしまったのだ。

 不意に胸が切なくなり、肌の感触を求めてしまう。痛みに怯え、慰めを求めてしまう。

 そんな弱さを見せる度に、両腕の痛みは薄れ、悪夢がオレを蝕んでいくのだ。

 溺れてしまえと言わんばかりに。オレという存在を捨ててしまえと、言わんばかりに。

 

「……ッ」

 

 苛立ちのままに、大きいままの飴玉を噛み砕き、咥えていた白い棒を吐き捨てる。

 飴をもう一本くわえ込んで、オレはドアを蹴り開けて外に出た。朝の冷たい風が、馬鹿みたいに浮ついた脳味噌を冷ましてくれる。

 何も無い、自然ばかりの殺風景な景色。そこを流れる風も、どことなく素っ気なくオレの髪を梳いていく。

 特に何も考えなかった。脚は自然と動き、その先には、倉庫に繋がれた馬がいた。

 彼はオレの接近に気が付くと、ブルリと鼻を鳴らす。吐息がいつもより乱暴だった。いても立ってもいられないというように、しきりに蹄で地面を掻いている。

 

「落ち着けよ……大丈夫だ、心配すんな」

 

 オレは倉庫の住みに積んであったリンゴを足で転がして、馬の下まで運んでやる。

 喜んで齧り付くのを横目に、オレは馬の腹に顔を押しつけた。

 

「繋ぎっぱなしで悪いな。お前も、色々と溜まってそうだ」

 

 何となく親近感を感じたくて、頬を押しつける。

 むせっかえる野生の匂い。逞しさを体現するような、厚く固い皮。

 毛並みが柔らかいのは、適度にブラッシングをされているからだろう。マスターが空いた時間で、コイツの世話もしているのだ。寝食を忘れるほどに魔術に打ち込んでいるにも関わらず。

 せめて、オレが連れてきたコイツの世話だけでも、できればいいのだが。バケツに飲み水を入れて、毛並みをブラシで梳いて、手綱を引いて思う存分走らせてやれれば、さぞかし気持ちが良くなるだろう。

 そうあればと思う全部が、今はもう夢物語だ。両腕を使えない事によって産まれた『できないこと』は、最早人でなしと呼ばれる程に多い。

 

 

「……」

 

 もどかしい。全部が帰結する感情は、それだった。

 思うがままに敵を屠り、困難を力で唾棄してやりたいのに。

 怒りを原動力に民衆を導いたあの時のように、マスターの悩みを吹き飛ばしてやりたいのに。

 

 やり方は何でもいい。

 彼のために、少しでも力になりたいのに。

 ここではオレは、傷を負った、か弱い少女でしかない。

 

 自分に自信が持てない。その不安も、きっとオレを悪い方向に運んでいる。ウダウダ考えないのも、オレらしさであった筈なのに。

 暗い思考を遊ばせるオレの意識を、ブルリという鼻息が引き戻した。既にリンゴを食い終えた馬が、懊悩に身を捩る。

 その視線は、オレの反対側——離れにあたる木造の倉庫に注がれている。

 視線を注いだまま、またブルリと鼻を鳴らす。蹄は不機嫌そうに、不安そうに、地面をザリザリと掻いている。

 横面に顔を当てて宥めてから、オレは言った。

 

「……お前に教えられなくたって、分かってるよ」

 

 オレは、アイツのサーヴァントだ。

 アイツの刃として、立ち向かう。それが何よりも前提とされる、オレの存在理由なのだ。

 

 

 

 

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