※この作品はR-18です。

もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活   作:オリスケ

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第17話

 勢いよく扉を蹴る。それだけで錆びた錠前は砕け、年期の入った木が悲鳴を上げる。

 開け放たれた扉から早朝の白い外光が差し込み、倉庫の中の闇を取り払う。古い木壁の隙間からも外光が差し込み、全体の輪郭が薄ぼんやりと浮き上がっている。

 立てかけられ、何年も乗り手のいない古ぼけたボート。埃を被った発電機。所々が粘つき溶解したプラスチックのバケツ。錆び付いた芝刈り機。

 ずっと前に置き去りにされた道具達の生活の残滓が、まるで幽霊のように浮かび上がる。

 

 

 重苦しく沈んだ、灰色の世界。

 湿気って今にも崩れそうな角材の束に、ソレは静かに座り込んでいた。

 

 

 外光が届かない奥。暗闇の中に、項垂れたシルエットだけがぼんやりと浮いている。

 埃臭い空気を吸い込む。張り詰めた弦のように意識が冴える。両腕に走る痛みを黙殺して、オレは問いかけた。

 

「——何者だ」

「……私に、名前を名乗る程の意味はありません」

 

 人間味の欠けた、穏やかとすら思える声。人影はゆらりと立ち上がった。

 少なくとも、敵意のような物は感じられなかった。身構えるオレの前で、ソイツはゆっくりと歩き、明かりの中に姿を晒しだした。

 ソイツは灰色のローブを纏っていた。顔をすっぽりと覆い隠し、表情までは分からない。影そのものが形を纏ったような薄気味悪さの中、首からぶら下げられた双眼鏡が、レンズを反射して場違いな存在感を光らせている。

 身に纏う静かで希薄な雰囲気には、覚えがあった。

 

「前に会ったな。聖杯戦争の、監視者とか言う奴だ」

「その通りです。久しぶりですね、セイバー」

 

 聖杯戦争に参加した時、挨拶としてマスターと共に顔を見せにいった。そこでコイツに、聖杯戦争の一通りのルールを教えられたのだ。手を借りるのは癪だったので、それ以来一度も会うことはなかったが。

 聖杯戦争というシステムの上では欠かせない存在。けれど、それがここに居るのは、明らかに異常だった。

 

「何かあったら頼れとは言ってたけどな。これは干渉が過ぎるんじゃねえか? どこから嗅ぎ付けやがった」

「あなたは聖杯の魔力より産まれた英霊。どこにいても、その経路までは隠す事はできません」

 

 無感情さに僅かな慇懃さを感じさせる丁寧語。空気は相変わらずひっそり冷え込んでいて、それが奴の不気味さを強調させている。

 監視者が来た理由について大体は察する事ができた。奴は静かな声で、予想通りの言葉を放つ。

 

「聖杯戦争は、七騎の英霊が争い会う大規模な魔術儀式。それを悪戯に長引かせる事は、様々な弊害を産みます」

「泣きつきに来たなら、尻尾振って帰るこったな。第一、聖杯戦争に明確なルールなんて無いはずだ。何をしようと、オレ達の勝手だろ」

 

 冷たく言い放つ。不機嫌を隠す気など微塵も起きなかった。

 誰にも穢されず、静かに安らかに暮らしたいというのが、マスターの願いだった。

 それが上手くいくはずないのは分かってる。けれど、こうも易々と土足で踏み込まれては、オレの溜飲が収まらない。

 監視者は相変わらず表情を闇に隠したまま、フードを静かに頷かせた。

 

「……確かに。傷を癒やし、手を整え、時を待つのも戦略の一つ。私にはそれを止める理由はない」

「ッだったら——」

「それでも、ここに来たのは一抹の善意の為」

 

 予想もしなかった言葉が飛び出し、オレは後に続く言葉を失った。

 

「善意だぁ?」

「教えて差し上げようと思ったのです。貴方がたの思い描く日々が……泡沫の夢であるという事を」

 

 そう言って、フードの男は腕を持ち上げた。ローブから覗く枯れた掌から、二本の指を立てる。

 心の準備もできないままに、奴は決定的な事実を突きつけた。

 

 

 

「サーヴァントは、残り二騎となりました」

「ッ——!」

「聖杯戦争は、近いうちに終わりを迎える事でしょう」

 

 端的な一文。オレの心を何よりも突き刺す言葉。

 オレの動揺など意にも介さず、管理者は言葉を続ける。

 

「やがてここは戦場になる。貴方が受けたモノを道導として……火蓋は落ちる。そう遠くない内に。今すぐにでも」

 

 今更言われるまでも無い、自明の事だった。管理者すらここに辿り着いたのだ。敵のサーヴァントがここを見つけられない道理はない。むしろ、この管理者が公正を重んじる人物ならば、居場所を教えてしまうリスクがないから会いに来た——つまりは、相手はとうにここを突き止めている可能性もある。

 

 

 冷や汗が頬を伝う。むず痒い嫌な感覚が顔を這う。

 顔を拭う行動を妨げる両腕の傷は、消えていない。

 つまりは、そういう事だ。

 この傷を与えた張本人が、オレ達に迫っている。

 

 

「あの方の聖杯を追い求める願望は本物です。あの『神殺し』は、どんな手を賭してもあなたを殺すでしょう」

「……」

「ありもしない安寧に縋り付いて命を落とすのは、あなたの矜恃にも反するはず。ですからこうして、伝えに来たのです」

 

 あくまで善意。そう強調して、監視者は伝える。在るはずの無い日々を求めるオレ達がいかに情けないかを。あって欲しいと願う時間がいかに有り得ないかを。

 

「……分かった。情報ありがとうよ。もう終わりか?」

 

 確かに、善意だろう。吐き出される言葉は正論だろう。

 だが、オレの気分は最悪だった。

 

「なら失せろ。十分だ。もう声も聞きたくねえ」

「……せめて、後悔なされませぬよう」

「失せろと言ったんだ。三度目はないぞ」

 

 ドスを効かせて睨み付ける。その瞬間に両腕に痛みが走り、オレの瞼が痙攣する。

 見え透いた虚栄。きっとその姿は、監視者の目にはさぞかし滑稽に映っている事だろう。奴は少し頭を下げると、滑るように後ろへと下がっていき、闇の中に溶けて消えた。

 張り詰めていた緊張が無くなり、いつもの静かな空気が戻ってくる。何かの魔術か、最初から幻覚だったのか。何にせよ、そこに監視者の姿は無くなっていた。

 冷え切った空気が背筋を撫でる。両腕がじくじくと耐えがたい痛みを伝えてくる。

 

「神殺し……神殺しだと?」

 

 ヒントか、それとも挑発か、監視者が呟いた言葉が脳内を駆け巡る。

 神に相見え、ましてそれを打ち倒した人間が、オレ達の敵?

 オレの歴史を塗り替えられる程の、強力な能力を持った相手……その、未だ素性も知れない影が、異様な大きさに膨れあがる。

 

 影の大きさは、己の疑心暗鬼の強さだ。

 不安。畏れ。それがオレの中に居座っている。本当に勝てるのか? という、信じられない程臆病な問いが。

 

「……クソッ」

 

 苛立ちのままに壁を蹴りつけ、オレは倉庫を後にする。

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、混乱する。足下の地面が、ぐずぐずに溶けていくようだった。

 顔を上げれば、色づき初めた森の中に、ぽつりと佇む一軒の家。

 視界には鏡のように澄んだ水面を讃える湖。腹の内にはぐらぐらと煮える、どす黒い感情。主体と客体が剥離して、現実味を喪失させる。悪夢か、蜃気楼でも見ているみたいに。

 

 

 

 ——なんでこんな場所に?

 不意にそんな疑問が浮かんでくる。心に亀裂が走った音がする。

 戦うための存在の筈だ。

 願いを叶える為の、人生を賭した、全てを捧げる戦いの筈だ。

 オレは誉れ高き英霊であり、怒りを宿す叛逆の騎士であり、マスターの剣であるはずだ。

 

 

 

 決して忘れた訳じゃなかった。

 けれどオレは、無意識に直視するのを避けていたのだ。

 

 

 

「……はぁ」

 

 重たい……とても重たい溜息が漏れた。

 倉庫の壁に頭を押しつける。古びてささくれ立った木の壁に、額を擦りつける。

 マスターに伝えるとか、準備とか、必要なことは幾らでもあるはずなのに。オレはただただ、独りよがりにナイーブになっている。

 

「……なんだよ」

 

 とても、気が重い。マスターの、あの底抜けに明るい面が寂しげに曇るのは、できれば見たくない。

 残念で、無念で。

 込み上げてくる感情に、改めて自分がいかに情けないか、自分らしくないか気付かされて。

 

「ここまで、気に入ってたってのかよ。オレは」

 

 せっかく、いい物だと思い始めていたのに。

 誰かを好きになる事が、好きな人が隣に居るということが、悪くないものだと気付けた所だったのに。

 自分が何を考えているのか分からない。

 あるべき姿を思い出した使命感。新たに芽生えてしまった女々しい感情。相反する二つの感情が、混じらないままに頭をぐるぐるしている。

 

「……」

 

 けれど、いずれ来る筈の時だった。

 だから、結局、この時間は全部幻想だったのだ。

 

 

 

 オレは壁から頭を離し、家の中へと戻った。扉をくぐり、リビングへ。

 ガラス張りの壁から、白く輝く朝日が射し込んでいる。透き通るような湖面が光を反射し、木々が蓄えた朝露が輝き、景色全部が星屑のように煌めいている。

 ずっと見続けていた景色。不機嫌と苛立ちを抱えたまま、オレはソファに座って、ここの景色を見ていた。

 何もせず。何もできない現実を認められず、何かする事を酷く恐れて。

 尊い時間に気づきもせず、怯え続けていた。

 

 

 そんなオレにも、あの男は優しかった。

 全てにおいて、オレの事をひたすらに想い、案じていた。

 

 

 その思いが脳裏をよぎると、オレの足は自然とそっちへと向いていた。

 薄いカーテン越しに朝日の射し込む、寝室。

 中央のベッドで、マスターは静かに寝息を立てていた。いつの間にか体勢が仰向けになり、オレが賭けてやった毛布はヨレヨレになって、腹にかかるだけになっている。

 オレのマスターは、隣で何があったかも知らずに、幸せそうに眠っている。子供みたいな優しい表情を浮かべていた。

 

「……もー……れっど……むにゃ」

「バカみてえな寝顔……夢の中まで、オレのことかよ」

 

 思わず、苦笑する。それと同時に、胸がきゅうっと締め付けられる。

 陽光に温められた空気。淡い黄金色の寝室。耳をすませば聞こえる寝息。

 温かく綺麗で、どこか甘く柔らかい空間。

 退廃的で、屈辱的で、それなのにとても愛おしい。

 二人だけの、偽りの安寧。

 

「……」

 

 ここでなら、夢を見ることも許されるだろうか?

 安らかな感情に、甘い欲望に、身を浸してもいいのだろうか?

 もう少しだけ、甘えてもいいだろうか?

 

 

 

 

 オレの女々しい感情が、急に存在感を増して、オレの胸を高鳴らせる。

 ごくり、と勝手に喉が鳴った。

 脳裏に浮かんだ馬鹿げた考えに、勝手に乾いた笑いが漏れる。

 

「……よお、マスター。オレに対して、やれ口寂しいだ、愛情が足りないとか、ずけずけと抜かしやがったな」

 

 膝をベッドに乗せる。ギシ、と音がして、柔らかく沈み込む。心臓の音がうるさいくらいに高鳴っている。

 オレは今、一度目の人生を含めても、一番馬鹿な事をやろうとしている。

 けれど、もう止められなかった。

 感情を振り切れない。

 この空間を、彼を、愛しいと思ってしまう。

 

「さっき、嫌な事があってよ。苛ついてしょうがねえんだ……けど、お前に好き勝手されるのは、プライドが許さねえ」

 

 両膝をついて、マスターの足下に腰を下ろす。

 ごくりと喉を鳴らして、生唾を飲み込む。吐き出す息が熱い。自分がやろうとしている事に、興奮を隠しきれない。

 何も知らずに寝ているマスター。オレを好きと抜かしやがる、オレの相棒。

 真っ赤な顔を強がりで誤魔化して、オレはゆっくりと、マスターのズボンに向けて上体を屈ませた。

 

 

「だから——勝手に発散させてもらうぜ、バカマスター」

 

 

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