もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
静まり返った森に、戦いを告げる合図はない。
しかし、始める資格を持つのは、腕に傷を追ったオレでは無く、余裕の笑みを浮かべるランサーだ。
腰だめに構えたまま、槍兵はゆるりと姿勢を崩し——瞬間、風と同化する。
轟! と空気が唸り、殺気が空気砲のように浴びせられる。
規格外の加速。一方的で容赦の無い戦闘開始の合図。
金色の穂先が輝き、吸い込まれるようにオレの喉に迫る。
一息に突き殺そうとするその足は——始まりと同様、突然に止まる。
ランサーが踏みしめた落ち葉。その足下の大地が、電流が弾けるような音と閃光を煌めかせた。
一歩踏みしめた姿勢のまま、身体が打ち震え、硬直する。
「っお……!?」
「ただ現実逃避の為に、逃げて隠れていた訳じゃないさ!」
オレの背後で、反骨の声がする。
マスターは手にした宝石の魔力を解放し、投擲。解き放たれた魔力を推進力に、宝石が弾丸のような速度で飛来する。
「セイバー!」
「応ッ!」
同時に、オレはありったけの力で地を蹴った。
溢れた魔力がバチンと紅の閃光を上げる。視界がぐぅっと遠ざかり、槍兵のくたびれた顔を中心に据える。
音速を越える宝石に追従し、オレは跳ぶ。硬く曲げた膝を、顔面に叩き込むべく。
しかし、そのどれよりも、ランサーの槍の方が早い。中空に硬直していた槍が搔き消えると、風が彼の周囲に吹きすさぶ。
パキンと軽い音を立てて、先に宝石が砕け散った。
次の瞬間に顔面にめり込んでいた筈のオレの膝は、間に入った柄に食い止められる。
「っの——」
「邪魔だよ」
宙に浮いたまま、二撃目を放つべく脚を踊らせる。その腹に蹴りが叩き込まれ、オレは真後ろへと吹き飛んだ。
身体が大地に叩き付けられ、落ち葉が舞う。衝撃。
両腕に千切れるほどの激痛が走った。
「っ~~~~~~~~~~~~~~!」
本能で唇を噛みしめて悲鳴を堪えても、感覚を取り戻すには数秒の時を有した。
もしあの老兵が真に本気であったならば、この間に、オレの敗北もあり得た事だろう。蹴り飛ばしたランサーは腰を叩き、その場で呑気に背伸びなどしてみせる。
「いつつ、案外効くねえ。腰にくるビリビリだこりゃ」
笑いの混じった悪態。勿体ない勿体ない、と溜息を漏らしながら、槍を一回転。足下に転がる宝石を砕き割る。
「やっぱり窮鼠ほど頭を回す。落ち葉の下は地雷原って訳だ」
宝石を用いて威力を上げたとはいえ、準備に許された時間は僅か二ヶ月。マスターの魔術で与えられたダメージは、足止め以上の意味を成していない。
「……セイバー」
「ッ平気だ。何てことねえよ、このぐらい……!」
「おお、思った以上に元気だねぇ。溌剌だ。さては随分”よくして”もらったな? 羨ましいねぇ、仕える主だけは選べねえから」
顎髭を撫でながら、ランサーが嬉々として笑う。
このくたびれた男は、人を食ったような態度を崩さない。相手が丈夫な玩具だった事に対し、殊更大袈裟に喜んでみせる。
どこまでも馬鹿にした態度。人を食った惚けた冷笑。
あちらの優位を確信し、思い知らせる為の侮辱。
オレがどれだけ怒っても、相手に見下ろされる、その立場の優劣は変わらない。
「不意打ちは失敗。実力差は歴然。体力は有り余ってるが、正面からの決闘は確実にそっちが不利」
「……クソッ」
「——となりゃあ、当然逃げるよな。俺だってそうする」
嘲笑う声に背を向け、オレは森の奥を目指して走り出す。
通常では考えられない行動。けれど屈辱に歯噛みする余裕すら、この戦いにはない。
「きっと幾重に策を用意してるんだろ? 罠でも地の利でも何でもいいから、得意な状況に誘い込もうって腹だ——だからオジサンは、嫌がらせにこんなことをしてみるわけさ」
そう言うとランサーは、槍を回し、地面に槌を叩き付けた。
大地が戦き、空気が激しく震える。穿たれた土は爆散し、その礫がオレに向けて飛びかかる。
通常であれば小雨にも思わない、軽い土くれ。しかし今のオレにとってそれは、ナイフよりも鋭い凶器となって、オレの両腕にぶち当たる。
右手に衝撃。腕が宙を跳ね、焼きごてを押し当てられたような激痛が襲う。
「い、ぎゃ!」
「セイバー!」
「呼んでる場合じゃ無いぜぇ彼氏さん。こっちはアンタを殺したって勝ちなんだからよ!」
ランサーの穂先がマスターに向く。老兵は再び突貫を仕掛け——再び足下の閃光に、その動きを封じられる。
「つああ、面倒だなこりゃ!」
渋面を作ったランサーが唸る。その僅かな隙に、マスターは口笛を鳴らす。控えていた馬が立ちどころに駆け付け、そこに飛び乗った。ランサーの間合いから離れるべく、腰を蹴る。
宝石を砕いて拘束を破ったヘクトールが、マスターの背中に不敵な笑みを向ける。
「鼠め。英霊の走力を舐めてもらっちゃ——」
「ッ痛——ってえんだよクソ野郎がぁぁぁ!」
そのムカつく笑みに、オレは渾身の怒りを浴びせかけた。
眼前にクラレントを現出させる。持つべき手はなくとも、それは激戦を潜り生涯を共にした、力あるオレの魂だ。呼びかけに応じて、剣は現世に鋼の輝きを現す。
寄る辺を失い宙に舞うクラレントに、オレは強烈な蹴りを叩き込んだ。魔力放出の雷を伴い、彗星の如き速度で飛来する。
「ぬ、お——っ!」
ランサーは当然のように身を捩り、飛来するクラレントをかわす。大砲のような一撃に空気が抉られ、奴の乾いた茶髪を吹きさらす。
悪戯に痛みを与えられたオレの屈辱、蔑ろにしやがった怒りは、それで十分に伝わったようだった。
「戦う相手を……間違えてんじゃねえぞ、クソジジイが!」
「ジジイ!?」
「目ェ濁らせて耄碌してんじゃねえぞ! 一瞬でも目を逸らしてみやがれ。その瞬間、テメエのくたびれた首筋噛み千切ってブチ殺してやる!」
両腕の激痛に瞼を痙攣させながら、オレは怒鳴る。
礫の一撃でさえ、神経に焼き付くような痛みを記憶させる。そのうっとうしさを怒りに変えて、オレは犬歯を剥き出し、目の前の飄々とした男を睨み付ける。
「ジジイ、ジジイかぁ……自分でオジサンっつってるけど、人から言われると、存外苛つくもんだねえ」
冷ややかな声。残酷なほど冷たい闘志が、オレだけに注がれる。
やる気の一つも感じないのに、驚くほど昏く冷たい瞳。柔軟で気怠げなのに、一縷の隙も見当たらない振る舞い。
激情に任せて暴れ回ったオレとは違う強さ。途方も無い年月を戦に捧げ、その果てに、命のやり取りに飽きを感じる程に至った、大樹の如き達観。
生き続ける事に卓越した才気。戦における酸いも甘いも噛み分けた古豪の貫禄。
「っ——」
本来は心躍る邂逅の筈なのに。オレの身体は戦慄に震え、地面を踏みしめる感覚を喪失させる。
命なんて擲ってしまえと激情していたオレが、死の恐怖に竦んでいる。
「相手を間違えんなとは言うがね……マトモな戦いになると思ってんなら、随分お笑い種だぜ?」
言葉が、何より的確にオレを貫く。
嘲笑するランサー。それはさながら、獲物を確実に捉えると決めた、肉食獣の如く。
否応なしに、自分が狩られる側であることを思い知らされる。
「——さてさて、まずはジジイ呼ばわりを謝ってもらうトコから始めますか。何発打ち込みゃ、お前さんは泣いてくれるかな?」
互いの武器を交わし、鋼を打ち鳴らし、血と咆哮の果てにどちらか一方が倒れ伏すのが戦いだ。
それならこれは、捕食か、蹂躙か。はたまた只の虐殺か。
戦慄する間もなく、金色の穂先が、オレ目がけて躍りかかる。
「っ——」
突き出された刃を、オレのつま先が蹴り上げる。金属音が劈き、火花が散る。
一瞬でも遅ければ胸を抉られていた、紙一重の防御。それすらランサーにとっては牽制でしかない。
直前にランサーは片手を槍から離していた。オレの蹴り上げの威力を逃がし、突進の速度を活かしたまま、オレの胸に掌底を叩き込んだ。衝撃に上体がぐらりと揺らぐ。
「が——!?」
「這い蹲るのは苦手だろ? 手伝ってやるよ」
嗤いながらランサーが狙うは、地面に着いたオレの片足。翻った槍が、臑に向けて振るわれる。
完全に崩れた体勢。直感が避けられないと告げ、本能がオレの魔力を爆発させた。
紅い閃光。落雷の如き衝撃を放ち、オレは上空へ跳ぶ。ランサーの姿がみるみる小さくなり、辺りの木々を越える程高く舞う。
「舐めんなァ!」
もう一度クラレントを現出し、その柄に踵落としを叩き込む。
紅い魔力が轟き、正しく雷のように大地に落ちる。土くれと共に落ち葉が舞い上がり、木々が嘶く。
溜めに溜めた魔力を使った一撃。肌がビリビリと痺れる感覚に、久しく忘れていた戦士としての高揚が蘇る。
しかし油断はできない。今のは大袈裟なだけの力任せの一撃だ、これで決まる訳が無い。
高揚が、立ちどころに不安に搔き消える。その予感はやはり的中する。
「——こっちだよ、こっち!」
休日待ち合わせでもした時のような、余りに場違いな弛んだ声。
視線を向ければ、爆心地から離れた地上に立つランサーが、今まさに振りかぶった石を投げつけた所だった。
ぞっ——と、悪寒が背筋を駆け抜ける。
空を切ったライナーの狙いは顔面。土の付いた灰色が迫る。
選択肢はなかった。オレは迫りくる礫に向けて、腕を翳した——消えない傷を与えられた左腕を。
咄嗟に鎧を展開し、直撃だけは避ける。それでも石は、狙い澄ましたようにオレの手首を打ち抜いた。
「っがああああああああああ!」
腕を引っこ抜かれる程の、激烈な痛みが轟く。
オレは理性を総動員して、意識をつなぎ止める。何とか両脚で着地、暴れ狂う痛みを、割れんばかりに歯を噛んで押さえ込む。
「ぐ、う……ううううううううううう……!」
「地面にグシャリと潰れるもんかと思ってたが……やるねえ、見上げた根性だ。オジサン感心しちまうよ」
「こ、の……クソ野郎がぁ……!」
強気な言葉を何とか絞り出す。目尻には涙が滲み、焼け付くような痛みが腕を苛む。
戦いにおいて、痛みは敗北に直結している。激しければ激しいほど、脚は竦み、身体は震え、固く誓っていた筈の闘志を挫かせる。
誰だってそうだ。どんなに威勢のいい野郎でも、鼻をへし折り、身体のどこかを斬ってやれば、たちまち涙を流しながら命乞いを始める。そういう奴を、オレは何人も目にしてきた。
痛みとは恐怖だ。生涯あって欲しくないと願う最大の苦しみだ。それがオレの心を砕き割るべく、蚤をあてがい、鎚を叩き付けてくる。
「っ——」
「まだ逃げるか? 当たり前か、まだ出してない策があるもんなぁ、絶望にゃ早い早い」
みっともなく背中を向けるオレ。呵々とした嘲笑が追い縋ってくる。
落ち葉を舞い上げ、二騎が森を駆け抜ける。屈辱的な逃走。けれども道筋は既に決めてある。
予め頭に入れてある道をひた走り、オレは木々の間をくぐり抜け、張られていたロープを蹴り千切った。
仕掛けが発動し、木々に括り付けていた丸太が、追従してくるランサーに迫る。
「はは、いいねえ古典的で! そういう苦し紛れなの大好きだぜ!」
オレは振り向かない。背後で軽やかな落ち葉の音。気にした様子もなく、追跡が再開される。
古典的。苦し紛れ。まさしくその通りで、言い返そうとも思わない。
だって、これは全てマスターが用意したものだからだ。
平穏を望んで、ずっと日々が続けばいいと夢見ていたマスターが、それでも現実を直視して日々を捧げたもの。
「昔を思い出すねぇ。こういう嫌がらせをよくしたモンだが、受ける側になると意外と下らないな!」
できれば使いたくなかった数々。それらがオレの後ろで砕かれていく。殆ど無意味に。足止め程度の意味しか成さず。
「……」
必死に逃走を続ける、俺の脳裏に記憶が蘇る。
憂いをおびた目で罠を張るマスターを、オレはただ見ているしかできなかった。
オレは何もできなかった。ただ見ている事しかできなかった。屈辱と虚しさと、自分の為に尽くしてくれる嬉しさがない交ぜになって、一言も声をかけなかった。
本当は使いたくなかった。永遠に不必要な、無駄な準備であってほしかった。
無念だ。残念でならない。
——その気持ちを、オレは押し殺す。
無念を薪として燃べ、窯のように深く閉じ込める。
今は逃げる。唇を噛んで背を向ける。
まだ駄目だ。まだ——まだ——。
逃げる。槍が追い縋る。木の幹に描かれていた魔術がランサーを硬直させる。間合いが僅かに開く。また逃げて、直ぐに槍が迫る。その繰り返し。
——まだ——まだ——。
オレは再び木々を抜け、張られた縄を蹴る。
地面から棘突きの柵が跳ね上がり、ランサーを串刺しにするべく迫る。
ランサーは最早驚きすらしない。ひらりと背後に跳んで、トラップを回避する。
やれやれと溜息すら溢し、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「原始的な罠ばかりだねえ、結局ノータリンな——」
その脇腹に、弾丸のように飛来した宝石が激突した。激しく鈍重な音が響き、ランサーの体躯が折れ曲がる。
目を見開くランサー。その視線の遠い先には、馬を駆るマスターの小さな姿。
——まだ——まだだ——
「いっ、てえな。ペット思いの飼い主な事で……!」
空中を横っ飛びに吹き飛び、舌打ちと共に着地する。
「——今だ、セイバー!」
ランサーの足下から、閃光。踏みしめられた宝石が輝き、ランサーの身体を釘付けにした。
予想外の衝撃に、ランサーが初めて苦悶に呻く声を上げる。
それが鬨の声だ。オレはずっと待っていた、反撃の瞬間。
「ッ……着地まで、計算ずくってか!」
「くたばれぇぇぇぇぇ!」
怒りを魔力に変え、そのありったけを脚先に籠める。
轟々と唸る紅の輝きを足裏に乗せ——一撃。
大地が砕ける程の衝撃。吹き飛んだ歯と血液が、秋の空に高く舞い上がる。
惚けた顔にお見舞いした特大のサッカーボールキックは、ランサーの身体を凄まじい勢いですっ飛ばした。
鞠のように跳ねたランサーが、血飛沫と共に地面に落下してくる。
まだだ、容赦をするな。オレは再度魔力を放出し、跳躍する。
地面に落ちるのも待ってやらない。もう一撃——魔力の籠めた脚が狙うは、真っ逆さまに落ちてくる奴の土手っ腹――!