もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
夢と現実の狭間を行き来する、数分間に及ぶ混迷の時間。
オレは、マスターの腕の中で意識を取り戻した。
茫然自失に身体を揺らす。痛みと興奮で感覚はささくれ立ち、脳が酷く疲れ切っていた。
鉄臭い味のする口を開くと、八重歯がずるりと抜き出る感触がした。茫然自失に噛みしめていたマスターの肩口は、オレの唾液と血反吐と、噛み付かれた傷で赤くぐっしょりと濡れている。
喉を震わせると、痛みと一緒に、信じられない程に掠れた声が漏れた。
「ます、た……」
「大丈夫。終わったよ、モードレッド。大丈夫だ」
優しく張り詰めた声が耳元でして、オレの身体が力強く抱き締められる。
オレの金髪を指で梳きながら、マスターは大丈夫だと、何度も囁いてくれた。優しい声が、心に温かく染み込んでいく。痙攣するオレの震えが、ゆっくりと治まっていく。
それと同時に、瞳から涙が勝手に流れてくる。
自分が何をしたのか、理解が全く追いつかない。
余りにも強い情動はオレの神経を制御不能にし、壊れる程に激しく暴れさせた。
殺意と暴力の奔流の末、オレはランサーを殺した。余りに惨く、残虐で、人とは思えない方法で。
激情が抜けて空っぽになった心と、ささくれ立ってヒリヒリと荒れる自立神経。
オレの目を涙で濡らす。訳が分からないのに、哀しみが押し寄せる。
「ますたー、オレ、オレ……!」
「良く頑張ってくれた。ありがとう、大丈夫だよ……本当にありがとう」
「う、うぅ……うぅぅ……!」
それに入れ替わるように、マスターが温もりを与えてくれる。
オレは彼の温もりにしがみついた。胸に抱かれ、力強く抱き締めて貰う。びしょ濡れのマスターの肩に顔を埋めて、滂沱の涙を染み込ませ続ける。
迷子の子供のように怯えて、甘えて……どれだけの間そうしていたことか。
泣いてばかりだったオレの意識が、少しずつ現実に追いついてくる。
一度砕け散った戦士としての心が、形を取り戻してくる。
そこでようやく、オレはここで繰り広げられた異常な事態に向き合う。
「マスター……何なんだ。一体、何が起こってるんだ」
理性を取り戻したオレの言葉は、硬い。
死ぬほどの痛み。事実死を目前にした、ランサーとの死闘。
そこではおかしいことばかりが起きた。有り得ない異常が発生した。
マスターの腕に抱かれたまま、ソレを見やる。
大地に倒れ伏し、血飛沫をまき散らせた奴の肢体。魂が抜け、今もまさに消えかけている、顔を失った男。
「……奴は、何だ」
そう、有り得ないことだ。
奴こそが最も、有り得ない存在だ。
「オレ達は聖杯戦争に参加した。途中で離脱こそしたが、何度も剣を交えて戦った」
今も尚思い出せる、英霊同士の苛烈な剣劇。
クラレントを握りしめ、騎士として地を蹴り、誇りを翳して互いの武を競い合う、充実した戦。
だからこそ記憶は鮮明だ。剣を交えた相手の事を、オレは決して忘れない。
「オレ達はランサーを知っている……
オレの目の前で、ヘクトールが光の粒となって、空気に溶けて消えていく。
魂を失った英霊が、座へと帰還していく。
英霊は死んだ。
それなのに、オレの両腕は、痛みを訴え続けている。
「オレは倒したじゃないか。この手で、奴を殺したぞ。なのに何で……オレの両腕は、治らないままなんだ」
「聖杯戦争が、終わっていないからだ。君を穢した英霊が、まだこの世に生きているからだよ」
抱擁を解いたマスターが、オレの両肩に手を置き、瞳を覗き込む。
「君の両腕の呪いについて、ずっと不可解に感じていた。事実を改変するなんて、時を巻き戻しでもできない限り不可能な、有り得ない芸当だからだ。水流が坂を遡る事がないように、過去は決して変わらない。モードレッドが歩んだ事実は、決して揺るがない」
そうだ。オレがオレとして歩んだ事実は、誰にも否定されない。
けれど、傷は悪夢となって、オレを飲み込もうとしてきた。
最初から傷者であったと、オレの認識を塗り替えようとしてきた。
事実をねじ曲げる冒涜。決して有り得ない侵略。
「……けれど、それがここに居る君に対してなら、話は別だ。何故なら君はサーヴァントだから。事実に基づく歴史で形作られ、人々の信仰で肉を得た英霊だからだ」
マスターの言葉が続く。完全に、答えを得た確信に満ちて。
糾弾された罪人の如く、両腕の傷がビキリと軋む。
有り得ない筈の呪い。その不可解なベールが剥がされる。
そしてマスターは、何ヶ月もオレを苦しめ続けた呪縛に、答えを見出す。
「
マスターが解き明かした事実は、荒唐無稽すぎて、オレの理解を妨げる。
無辜の怪物。伝承や悪評、英雄に向けた人々の誤った信仰が、本人の在り方をねじ曲げてしまうステータス異常。
だがそれは、吸血鬼や妖怪……オレなんかとは、全く種類の違う人間がかかる病の筈なのに。
「歴史とは伝承であり人の営みだ。信頼を勝ち得ても決して事実ではなく、不変では有り得ない……けれど歴史に干渉できる程の人間はそう多くない。だから彼が来た。
「——斯くして」
どこからともなく、声が響く。
古い錫鐘を鳴らすような、低く深みのある、澄み切った声だった。
その声が耳を抜け、オレの魂にするりと入り込んでくる。
突然に、オレの口から血反吐が飛び出した。
「ご、ぷっ……!?」
「モードレッド!?」
喉を埋める大量の出血。吐き出そうとするも、咳が出てこない。空気が喉を抜けていく。
いつの間にかオレの首筋には、大きな裂け目が穿たれていた。
「斯くして猛き騎士と古豪の勇士は刃を交じらせた。獣の野生と卓越した技能が火花を散らし、お互いが傷を負い血を流し、その身体を幾度も大地に転がさせた」
声が響く。奏でるような美しいバリトンが言葉を紡ぐ。
ヘクトールに命を奪われかけ、マスターによって守られた結果できた、首筋の浅い切り傷。
それが、広がっていく。内側からこじ開けられるようにオレの肉を裂き、喉に風穴を開けていく。
「互いの武はせめぎ合い、拮抗し——
声が響く。異様な気迫を纏った意志ある言葉。オレの鼓膜を叩き、魂まで容赦なく染み込んでくる。
噴き出した血が肺に飛び込んでくる。吸い込んだ空気が、風穴から抜けていく。
己の血で、マスターの腕の中で溺れていく。
もがき苦しむオレの目は、ソレを目にした。
森の中、落ち葉の舞う橙色の世界で奴は静かに立っていた。
白い法衣を纏う老人がそこにいた。焔のように揺らぐ乱れた白い髪。鬣のように伸びた白髭。その白毛から覗く顔や法衣から覗く隆々な肉体は、まるで達人が魂を込めた彫像の如き力強さと神々しさを感じさせる。
男の目は塞がれ、額から頬にかけて血のような紅で紋様が刻まれていた。
夢か幻でも見ているような威光。凡夫であれば本能的に顔を覆いたくなるような厳粛さを宿し、老人は老木のような唇を動かす。
「誇りは終ぞ折れる事はなかった。彼等は最後まで勇士であり、互いの威信にかけて勝利を奪い取ったのだ——」
「っこの——!」
マスターが宝石を飛ばし、老人を狙う。
宝石が老人を貫く瞬間、奴の姿は瞬きの内に、幻のように消え去る。
「な……!?」
「——此はそういう物語。奇しくも二度目の生を受けた英雄の、命を賭した決戦、その決着の荒増である」
オレの背後から、声が続く。
瞬間移動した老人は一縷も乱れず言葉を紡ぐ。言葉の孕んだ意味が、事実を蝕んでいく。
喉が押し広げられ、血が噴き出し、肺を満たしていく。
「モードレッド! しっかりしろ……モードレッド!」
視界が暗くなっていく。マスターの声が、どんどん遠く、聞こえなくなっていく。
溺れる。己の血で。在るはずのない傷によって。
偽りの傷で、殺される。
嘘に……歴史に、潰される。
「我は語り部——輝かしき神々の歴史に戸を鎖す、業深き隷人である」
くぅ~疲!
これにて中編終了となります。ここまで読んでいただきありがとうございました。
「チート英霊出してほったらかしてんじゃねえよダラズ!」と言われたので続きを捻り出してみましたが……どうでしょうか、彼の所業なら納得いただけるでしょうか。
後編は構成は考えてますが、モチベが足りないのでしばらくお待ちください。
書けたら、今年の夏頃には出したいです(書けるとは言ってない)