もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
逃げ帰る家路は、全てが死に絶えたような静寂に満ちていた。
枯れ葉の割れる音を奏でながら、僕は歩く。無心に、一歩一歩、気絶したモードレッドを背に抱えて。
安定の為に僕の肩に回させた彼女の腕が、視界の両端でぷらぷらと揺れている。手首の痛ましい傷が見せびらかすように視界を泳ぎ、滴る血がぽたぽたと腐葉土に落ちる。
その痛ましさに、森に生きる全てが息を潜め、顔を背けているかのようだった。穏やかで、静かな優しさに満ちていたはずのそこから、突き放すような疎外感を感じる。
「っく……わっ――」
突き出した木の根に足を取られ、僕は転んでしまう。落ち葉が巻き上がり、腐葉土の湿った臭いが鼻に飛び込んでくる。
モードレッドの両腕が、大地にびたんと叩き付けられた。
不意打ちの衝撃にも、悲鳴は聞こえない。モードレッドは目を覚まさない。
「……ごめんね」
呟き、起き上がり、モードレッドの身体を背負い直す。
モードレッドの身体は、びっくりするほど軽かった。触れ合った背中で分かるくらいに、あちこち傷だらけだった。
滝のように血を流し、命を枯らし、狂躁に心をすり減らした、その惨たらしい後遺症。
それほどに、彼女は自分を痛めつけていたのだ。
限界を越えて、地獄を味わいながら、彼女は戦っていたのだ。
意識を手放した身体を預けられ、僕はただ、背に抱える彼女の小ささを思い知るばかりだ。知らず噛みしめていた歯が、ギリと耳障りな音を鳴らす。
頭の中に、激情がぐるぐると渦巻く。沸騰寸前の鍋のように震えている。その全部を黙殺し、今はただ、歩く。家路を急ぐ。
どれだけ歩いたかも忘れた頃。ぶるりと、聞いた事のある音がした。
いつの間にか項垂れていた頭を上げると、モードレッドが見つけた馬が、円らな瞳で僕等を見ていた。身体の所々に土汚れをこびり付かせているが、毛並みは艶やかに、夕日を受けて煌めいて見える。
「無事だったか……よかった」
モードレッドを背負い直し、手を空けて馬の腹を撫でる。
偶然の出会いだったが、ここでの時間を共にした関係だ。数ヶ月の友情だったが、僕を乗せ、共に戦ってくれた。
健闘を讃えるように腹をぽんぽんと叩くと、馬は心地よさげに鼻を鳴らす。
そして彼は、ゆっくりと顔を近づけ、僕の背で眠るモードレッドの髪を嗅いだ。ぶるる、と弱々しい鳴き声を上げて、彼女の身を案じる。
「うん……ぜんぶ、彼女のお陰だよ。彼女が身を挺して戦ってくれたから、僕等はこうして生きていられる」
生物の本能が、彼女の消耗の凄まじさを悟らせるのだろう。馬は落ち着かない様子で足を動かし、彼女の顔に頭を近づける。
「……」
僕は、優しい彼の腹を撫でて――その胴体から、鞍を外した。突然軽くなった身体に驚く、その顔の金具も外してあげる。
自由になった彼を正面から見つめる。ぶるり、と真意を問うように息が漏らされた。
「お行き。君は自由だ」
『……』
「戦いが始まった。理不尽な現実が、僕達に追いついてしまった……ごめんよ。僕達二人じゃ、君の幸せを作れない」
別れの微笑みを作って、僕は告げる。
しばらくの間、彼は僕等の前から動こうとしなかった。黒真珠のような瞳が、行く先を案じるように、僕を見つめる。
やがて彼は諦めたように息を吐くと、最後に優しく、モードレッドの横顔に、頭を擦りつけた。
短く嘶き、蹄の音を奏でながら、夕焼けが黄金のように煌めく木立の中を走って行く。
「それでいい……偽りの日々に、君まで囚われる事は無い」
揺れる尾が見えなくなるまで見送って、僕は歩みを再開させる。
空は既に橙に染まりつつあった。木々の隙間から、夕焼けの光が差し込んでくる。
最初にここに来た日。自暴自棄になったモードレッドを宥めたのも、こんな夕日の中だった。モードレッドと共に馬に乗って、丘に登り、黄金に輝く景色を見た。それにほうと息をついて、モードレッドはここでの生活を受け入れてくれた。
あの時の夕焼けは、温かかった。穏やかで優しかった。
今はもう、温かさなんて微塵も感じない。
燃えるような光に、荒れ果てた森の光景が浮き彫りになる。根元からへし折れた木々。捲れ上がった土。今まさに葉を朽ちさせていく枝。あちこちにクレーターが刻まれ、壊れた罠が散乱して自然を穢している。湿った土の据えた臭いが、むせ返るような濃さで鼻にこびり付く。
穏やかさは、幻想だった。ここもやはり、戦場だった。
誰も、聖杯戦争からは逃れられない。
それが事実だ。分かっていた。穏やかな日々なんて、幻想である事は知っていた。
だけど……泥臭い空気を吸う度に、膝を折ってしまいそうになる。
「……参った、なぁ」
吐き出した息が、震える。
戦場のヒリつく空気が、肺を凍えさせる。
空気は一層冷たくなって、一人ぼっちの家路に立ちこめる。
家に帰り着いたのは、夕焼けも沈みきり、空が藍色に満ちる頃だった。吐き出す息はすっかり白くなり、足先が痺れて石像のように固くなっていた。
それでも、ドアを開けて明かりを付ければ、慣れ親しんだいつもの空気が、僕達を包み込む。
「っ――はぁ」
肺の中の空気を全て吐き出し、僕は膝を着く。
まるで、今まで呼吸をしていなかったみたいだ。安心に、身体がどっと重くなる。
「……とりあえずは、ただいま、だね」
そう笑みを溢せる位には、心が弛緩する。
明かりの下で見たモードレッドの身体は、目を覆いたくなる程にボロボロだった。全身泥と血に塗れ、珠のような肌に無数の擦り傷を浮かばせている。
特に両手の損傷は酷い。掌は深々と裂傷が刻まれ、その肉片が爪にこびり付いている。戦うために自ら拳を握りしめ、抉り抜いたのだ。それ程の激痛の中に、彼女は自らを飛び込ませたのだ。
寝顔は穏やかで、胸が規則的に上下しているのが、せめてもの救いだ。しかし、そっと閉じられた長い睫毛の目元からは、流した血涙が赤黒い染みになって頬を伝っている。
あどけない少女に刻まれた、惨たらしい傷。激痛と狂気の跡。
兎にも角にも、彼女をこのままにはしておけなかった。僕は寝ている彼女をもう一度抱えて、風呂場に向かう。
温かいお湯で、こびり付いた泥と血を洗い落とす。気絶したように寝ているのを幸いに、両手も念入りに。頬に着いた血涙も洗い落とす。
泥と血の混じった悍ましい色の液体が、音を立てて排水溝に流れていく。
「ごめん……ごめんよ、モードレッド」
謝らずにはいられなかった。眠りに落ちている今だからこそ、彼女の両手を握り込み、額に寄せる。
こんな戦いをさせたくなかった。痛みに藻掻き、発狂しながら戦う彼女。そうはさせない為に、ここへ逃げ出した筈なのに。
ここに来てから、幾度となく味わった無力感。情けなさ。それが今、覚悟していた何倍もの重さで僕を責め立ててくる。
けれど、同時に……それほどの苦痛を受けて尚、彼女が立ち向かった事も事実で。
それを、ただひたすらに讃えたいのも、また本心で。
「頑張ってくれてありがとう……不甲斐ないマスターで、本当にごめん」
せっかく出てきた感謝の言葉は、すぐに情けない謝罪に上塗りされてしまう。
モードレッドに寝間着を着せてシャワー室を出た頃には、僕の心は灰のように消沈していた。
モードレッドをベッドに寝かせると、僕は枕元に持ってきた椅子に腰掛けた。
到底、寝る気にはなれなかった。傷ついた彼女を前にして、休む事は許されないような気さえした。
どうしていいかも分からず、ただ項垂れて……光が徐々に世界から退いて……どれだけ時間が経っただろう。
月が登り、銀色の光がしんと寝室を照らす中、静かな衣擦れの音。
「……ますたー」
か細い声で、モードレッドが僕を呼んだ。思わずほっと安堵の吐息が漏れる。
「まだ寝てていいよ、モードレッド。とりあえず敵は……」
「いや、いい。大体の事は、覚えてる……今は、寝るには気持ちの整理がつかねえ」
送ってくれてありがとな、とモードレッドは言う。
その声は、沈んでいた。冷静に、けれども不安を隠しきれない声音で、彼女は続ける。
「つまり、キャスターか。オレの傷の元凶で、聖杯戦争の最後の相手は」
「ああ。ホメロス……『イーリアス』や『オデュッセイア』の作者。ヘクトールやアキレウス、キルケーなどの神の存在を後世に伝えた、人類最初期の歴史家だ」
「詩人、だろ?」
「表向きはね。けれど、彼の物語が創作では無い事は、魔術界では周知だ……そして僕達人類は、彼の語った言葉によって、トロイア戦争を初めとした神々の姿を思い描いている。事実がどうであるかに関わらず」
「……どういうことだ?」
「歴史が正しくその通りとは限らない、ということさ。君だって、後世の書物には男だと記されているよ。僕も、最初はびっくりした。うれしい驚きだったけどね」
「今、そこは関係ないだろ……デリケートな所なんだ、突っつくな」
そう言って、モードレッドはむすっと唇を尖らせる。
彼女自身、王の息子という肩書きに、思うところが多少あったりするのだろう。僕の口も緩み、空気がほんの少し弛緩する。
「僕らは歴史を信じ、それに基づいて時を遡る。真に事実でないにも関わらずに過去を認識し、時には事実の方を捻じ曲げたりする。その偏見や脚色は、ほとんどは気付かれもせず受け入れられる。ただの人が怪物として語られたり、一方的な侵略が『開拓』として美化されたり……紡がれた情報が『そうであった』と認識される。歴史には、そういう力がある。そして彼は、そんな歴史のはじまりにあたる人物だ。語る言葉一つで、事実を上書きしても不思議じゃない」
「オレの両腕の傷も、その能力の一つ、か……癪に障るが、腑に落ちたぜ」
モードレッドは、布団の中で体を揺する。軋むような痛みに顔を顰めて、言う。
「傷の痛みには、波があった。オレの耐魔力と、マスターから貰った魔力で緩和してるのかと思ったが、違った……お前に優しくされた時、下らない遊びに夢中になった時……オレらしくない時に、痛みは引いていた」
両腕の傷は、彼女の歴史を上書きする事で『モードレッドであること』を否定しようとした。
彼女が本来の有り様を思い出すという事は、その力の流れに逆らうという事だ。それは無理矢理塞がれようとしたかさぶたを引き剥がす行為だ。だから彼女の両腕は痛み続ける。正史と偽りの歴史が混合した『無辜の怪物』になる。
「オレは戦士だ、モードレッドだと心の中で唱える度に、傷は疼いて、オレを痛めつけた……嘲笑うみたいだったよ。必死に崖を登る手を、蹴り飛ばされるみたいな屈辱があった。お前は英霊なんかじゃない、有象無象らしく消え去るのがお似合いだってな」
そう語る声が、震えている。
モードレッドの方を振り返ると、彼女はベッドの中で寝転がり、僕に背を向けていた。顔を見られるのを嫌がったのかもしれない。ほどけた金髪が、ふわりとした流線を描いて枕に広がっている。
月夜に映る背中は、とても小さく見えた。
気高く、猛々しい戦いを演じるとは到底思えない、少女の背中。僕は、そこに向けられた冷徹な盲目を思い出す。
「人類史には、何の価値もなかった……奴は、そう言ってたよね」
絶体絶命の窮地を思い返すと、苦い味が口内に染みてくる。ホメロスがそのまま語り続けていたならば、僕らは高い確率で敗北していただろう。
けれど、彼は言葉を収めた。矜持の中に侮辱を滲ませながら、正面から叩き潰す事を宣言した。
思い返せば彼は、モードレッドが『人類史の英霊』である事にやけに拘り、恨んでいるように感じられた。
「歴史のはじまりと言っていい彼が、どうして人類史を否定するような言葉を吐いたんだろう。他でもない、彼の偉大な功績であるはずなのに」
「さあな……ただ、憎んでいる事は確かだろうさ」
ベッドの中で僅かに身じろぎして、モードレッドは言う。
「オレの歴史を踏みにじるアイツは、容赦が無かった。オレを無価値と断じる事に、全く躊躇を見せなかった」
「……」
「夢の中で、俺は人生の全てを否定されたよ。円卓には不要だと父上に言われた。剣を持つ資格などないと騎士仲間から蔑まれた。産まれる意味が無かったと、母上に罵倒された」
モードレッドの声が震える。僕に向けた小さな背中が、更に華奢に映る。
「最悪だった。見たこともない悪夢だった。見る度に心が軋んで……朝起きたら、両腕がなくなってやしないかって。目を開けるのが怖かった」
僕は彼女の小さな背中を見るつめる。
十年あまりで潰えた命。国を滅ぼす道具として魔女に産み落とされ、その出生故に王から息子と認めてもらえず、怒りのままに全てを滅ぼした。謀略と激情に翻弄され続けた叛逆の騎士。
決して、良い記憶ではあるまい。誇りであっても、思い出すのは辛いはずだ。
でも、その人生こそが、彼女をモードレッドたらしめている。
彼女の魂に、英霊に値する気高き炎を宿している。
「オレを貶めた罪は、必ず償わせる。モードレッドとして、オレは奴を叩き潰す」
確固たる決意を以て、モードレッドは戦いを宣言した。傷を負った両腕で尚、最後まで抗う事を告げる。
マスターで、王である彼女の従者たる僕は、ただその意思を尊重するだけだ。
彼女にできる事はなんでもしたい。それが、一番最初から想い続けた、僕の最も純粋な願いだったから。
僕は背中を向けた彼女の、寝間着にくるまれた肩にそっと手を置く。
「とにかく、今は休むんだ。傷を癒して、疲れを取って……全部それからだ」
背中をさする。お疲れさまという労いが、守ってくれてありがとうという感謝が、少しでも多く伝わるように。
おやすみ、と呟いて、僕は席を立ち、寝室を後にしようとする。
「マスター」
ドアノブに手を掛けた所で、モードレッドが僕を呼びとめた。
「……何?」
「ここにいてくれ」
「……」
「傍にいてくれ。らしくないとは分かってるけど……一緒に、寝てくれないか?」
「……」
「頼むよ……今夜だけでもいい。どうかオレを、ひとりにしないで」
恐る恐る。幼子が服の裾をつまむような、小さな願い。
切なげで、その分だけとても切実な、モードレッドのわがまま。
「……仰せのままに。いつでも君と一緒だよ」
僕は笑って、彼女と同じベッド、彼女の対面に潜り込む。
モードレッドは、布団の中で小さく身を丸めていた。洞窟で一人夜を過ごす迷子のように、両手を胸の前で畳んでいる。
そんな状態で、モードレッドは唇を緩めて笑う。同じベッドに入り、息がかかるほどの近くに寄った僕に、言う。
「なあ、マスター……今日は、散々だったな。いきなり敵が現れて、すげえ痛くて……何度も死にかけて」
「けれど、生き残った。君が、力の限り戦ってくれたお陰で」
「ああ……剣を振って、令呪の行使もあって、目が覚めた。オレはモードレッドだ。円卓の騎士の一員で、王を下した叛逆者で、聖杯戦争に勝利するために現界したサーヴァントだ」
確固として。同時に、寂しげに。モードレッドが、そう宣言する。
「勝つぞ、マスター。オレを侮辱した報いを受けさせるだけじゃない。奴はオレの……オレ達の平穏な日々を、踏みにじりやがったんだ」
「……そう、だね」
「聖杯なんてどうでもいいって、お前は言ったな……オレもだよ。もはや願いなんてどうでもいい。ただオレの誇りにかけて、オレ達を愚弄したアイツを必ず打ち倒す」
夜の寝床に相応しい小声で、けれど鋼鉄のように固い意志で、モードレッドが言う。
自らに言い聞かせるように。
あえて強い言葉で自分を鼓舞するように。
その声には、違和感があった。数ヶ月を共にしたからこそ気付ける、些細で、けれども決定的な差異。
彼女は今、モードレッドらしい言葉を選んで、自分を取り繕っていた。
「もう迷わないよ。例えこの腕に力が入らなくても、オレはお前の剣だ。お前に勝利を捧げるサーヴァントだ……けど、けれど……っ」
そこで言葉を区切り、モードレッドはぎゅっと身を縮こませた。
身体の前で組んだ両腕が、凍えるように震える。
「モードレッド?」
翡翠の瞳から、涙が一粒、こぼれ落ちる。
一粒溢れた感情は、後から後から、止め処なく溢れて、モードレッドの頬を伝う。
ひぐっ、としゃくり上げて、モードレッドは悲痛に、僕を呼んだ。
「マスター……腕が、めちゃくちゃ痛いんだ。決して受け入れないから、斬られたばかりみたいに辛いんだ」
「……」
「オレがオレで居る事が、苦しい……迷わないけれど。モードレッドで在り続けるけれど……こんなに痛くて、ひとりぼっちの夜は、いやだよ。いやなんだ、マスター」
子供のように、少女のように、モードレッドは泣く。戦士である事に誇りを抱きながら、心の奥底の辛さを、僕に吐き出してくれる。
心を弛緩させ、感情を溢れさせてくれる。
それを隠さないで居てくれる事が、彼女からの、何よりの信頼の証だった。
「……僕に、何ができる?」
「抱き締めてくれ。ぎゅうって、強く。息ができなくなるくらい、傷よりも強く意識しちまうくらいに」
僕は頬に伝う涙を拭い、泣きじゃくる彼女を抱き締める。命じられたまま、ありったけの力を籠めて、柔らかなパジャマに包まれた、小柄な身体を包み込む。
ぎっ、と小さな悲鳴が胸に響く。けれど彼女は僕を撥ね除けない。むしろ更に身を寄せて、僕に全てを預けようとする。
激烈な痛みを与えられ続ける両腕が、ブルブルと震えながら、僕のシャツの胸元をきゅっと握り込んだ。必死に、溺れかけて水面に手を伸ばすように。
月の銀色に照らされた寝室。冷たく静かな、氷のような空気。一つきりのベッドで、僕は彼女を抱き締める。強く、強く。小さな身体に満ち満ちた、必死に生きる命の温かさ、その一欠片も取り溢すまいとするように。
「……ごめんな、マスター」
「なんで、君が謝るのさ」
「傷の痛みに苛ついて、お前の優しさにもそっぽ向けて……何もできやしないのに、反抗して、不機嫌になって」
「当たり前だ、そうなって当然だよ。君が気にする事ない」
「違う、ちがうんだよ、マスター……オレは、安心したんだ。役立たずと言われなくて、捨てられなくて、ほっとしていたんだ」
ふるふると首を振って、襟を握りこむ。
振り絞るような言葉は、悲痛で、儚くて。今しか伝えられないという焦りは、まるで遺言みたいで。
「お前も、この場所も、優しくて、温かくて……ぜんぜんオレらしくないのに、それでもいいって言われて。嬉しいのに、やっぱり怖くて。オレらしさが、分からなくなりそうで。お前が優しくしてくれるのに、何もできない自分が心底恨めしくて……本当は守りたかった。好きになりたかったのに……オレは、オレ……!」
弱音を吐く唇に、僕は自分の唇を重ねた。
どこまでも健気で強い彼女の、自虐的な泣き言なんて、これ以上言わせる必要なんてなかった。
「っはぁ……ふ……ぅ」
互いの呼気を交らわせる。モードレッドは涙で濡れる瞳を閉じて、僕の口に吸い付く。縋るように差し出された舌を絡ませ、ゆっくり、ゆっくり、互いを混じらせる。
月夜の寝室に、小雨のようにしめやかな水音が響く。
謝るべきは僕の方だ。
こんな生活、有り得はしなかった。逃げるなんて選択肢は、ありはしなかった。
悪戯に希望をちらつかせて、彼女から誇りを奪い去ろうとした。
その罪は、余りにも重い。
けれど、今更謝ったって、どうにもならないから。
火蓋は切って落とされ、彼女は激痛の地獄に向かうしかないのだから。
謝るのは、無意味だ。謝罪では彼女を救えない。
だったらせめて、愛したい。
「君を愛してる、モードレッド。在りのまま、今ここに居る君を愛している」
彼女を守りたい。苦悩を少しでも和らげて、分かち合いたい。
だから、言葉を奪い、抱き締める。強く強く結びつく。
唇を離し、目を真っ赤にして泣く彼女の頭を抱き寄せる。
「どんな運命を辿る事になっても、ずっと一緒だ。いつでも、どこでも、僕は必ず傍にいるよ」
胸に埋めた頭が、こくこくと上下する。何度も、何度も、僕の言葉を噛み締めるように。
突き放すようだった静寂が、今やっと、僕達を激動から守ってくれるように感じられる。
窓から差し込む月だけが、銀色の輝きで僕等を見つめている。
夜が更けていく。刻一刻と、時が過ぎていく。
僕等の偽りの隠匿生活が、終わりに近づく。
聖杯戦争の、最後の二日間が、始まる。