もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
「すまない、■■■――私は、お前に期待をしない」
……ああ。
この言葉が聞こえるという事は、これは夢だ。
とびきり最悪な、僕の過去。
忘れもしない、十歳の誕生日。
八歳から受けていた魔術の教えが実を結び始め、ごく簡単な魔術を幾つか扱えるようになった頃。
魔術師としての一歩目を踏み出した、人生でも指折りに楽しかった数年だ。
学ぶ事はどれも新鮮で、好奇心をかき立てられる。練習すればする程に、自分にできる事が増えていく。
その頃は、目に映るあらゆる物が輝いて見えた。世界はどこまでも広がっているような気がした。
魔術は不可能を可能にする。想像も付かないような凄い事ができる。幼い僕にとって、初めて触れ合った魔術は、夜空の星々よりも遙かに多くの、未知の浪漫と可能性に満ちた世界だった。
何でも出来る気がした。何にでもなれる気がした。そんな幼く無鉄砲で、その分だけ輝かしい夢は、他でもない父に切り捨てられた。面と向かって。わざわざ僕の誕生日に。
「根源に至るべく、魔術の血を継承しろ。それが役目だ。だから、お前は努力しろ。成果は、何も求めない」
父が言った言葉は、何てことの無い、魔術師にとって当たり前の現実だった。
脈々と血を繋ぎ、何十世代もかけて魔術と知啓を継続させて、それを気の遠くなるほど繰り返して根源の到達を目指すのが、魔術師の本懐だ。
そして僕の家系は、血脈も片手で数えられるほどしかない、歴史の浅い新参者だった。父も、僕も含めた十数代は、橋渡しの捨て石になることが確定していた。
「お前は、平凡だ。高みを求めても、人生が辛くなるだけだ」
僕は、父の言葉に一度殺された。
魔術に憧れを見出した幼い夢は、抱いてすぐに粉々に砕かれた。
受け継がれた知慧が足りない。才能が足りない。人生が無意味に終わる事は、既に確定している。他でもない父から告げられた、無慈悲で的確な人生の死刑宣告。
幸いにもと言うべきか、僕は父に怒りを覚えた。
父の宣告は、僕をより一層魔術に駆り立てるように作用した。
僕は死にもの狂いで努力して、魔術師の集う時計塔にて学ぶ資格を得た。
父の言葉に、そんな事ないと反論しようとした。僕だって出来ると見せてやりたかった。
けれどそこで僕を待っていたものは、父の言葉を補強する、どうしようもなく無慈悲な現実だった。
意気込んで時計塔に乗り込んだ僕が出会ったのは、僕よりも優れた――及びも付かないほど高みに立つ魔術師達だった。
彼等は輝いていた。扱う魔術は格が違った。
単純な学問でさえ越えられない差があった。
格が違う。次元が違う。それは誇張的な表現では無い、歴然とした事実だ。優秀な血統。産まれた星による才能――そんなどうしようも無い理由で、彼等は僕を置いていくのだ。
それに気付いた時の僕は、まさしく大海の広さを知った蛙だった。あの時の失望を思い出す度に、胸が破裂しそうになる。
劣等感を感じる為に、本を見るのさえ辛かった。自傷を止められそうにないから、ナイフの一つさえ握らなかった。暗い部屋、ベッドに横たわり、止め処なく自己嫌悪し赤熱する脳の苦しさに悲鳴を上げる他になかった。
お前には期待しないという父の言葉が、何度も脳内で木霊した。父の言葉は、どこまでもどこまでも正しく、残酷な真実だった。諦めろという宣告が、実は父の優しさなのではと思う程に。
膝を折る他なかった。いや、そもそも見上げる事が間違いだったのだ。
僕に才能はない。生まれが、血統が違う。醜いアヒルだ。決して白鳥になれやしない。
何とか立ち直って学び舎に復帰しても、打ちのめされた心までは生き返らなかった。けれど、今更辞めるという選択肢も取れず、僕はまさしくゾンビのように、自己嫌悪しながら自己研鑽を続けた。
劣等感を燃料に変え、情熱を燃やした。
必死に学んだ。届かないと知りながら、それでもと。才能溢れる天才達の、せめて足下にでも追い縋ろうとした。
執念。あるいは蒙昧。未練。
聖杯は、僕のそんな嫉妬の感情を見出したのかもしれない。
右手に現れた令呪を見た時は、積み重ねた努力に、とうとう神様が微笑んでくれたのだと歓喜した。
聖杯戦争に勝ち抜けば、願いを叶える願望機たる聖杯が手に入る。何十代、何百代先にようやく辿り着ける根源に、僕が辿り着ける。捨て石と見放された僕が。
報われた、と思った。奇跡が起きたと思った。砕かれ失望で覆い隠していた夢が叶うと浮かれた。
僕は意図的に避けていた我が家に、数年ぶりに戻った。
突然の来訪に驚く父に、右手の令呪を見せびらかした。
てっきり、褒めてくれると思ったのだ。
こんな奇跡が起きるなんてと、我が事のように喜んで欲しかった。
一族の誇りだなんて、身の丈に合わない歯の浮くような台詞を、言われたかった。
少なくとも、僕はそう期待していたのだ。
「……そう、か」
だからこそ、眉尻を下げ憐れみを讃えた父の顔は、一生かけても忘れられないだろう。
父にとって、右手に刻まれた令呪は、僕の死相だった。父は僕が、今生の別れを告げに来たと思ったのだ。
何てことは無い。僕が諦めていたように、父もまた自分自身を見放した、負け犬に過ぎなかったのだ。
僕の家系は、悉く矮小だった。聖杯戦争に参加しても、才能に押し潰され即座に死ぬ未来しか描けない程に。
父のその、自分とそっくりな、みみっちい負け犬の顔に刻まれた悲哀を見て、気付く。
ああ、結局、僕は子供だったのだ。
見返したかったのだ。僕は、あの時の父の「期待しない」という言葉を覆してやりたくて、必死に頑張っていたのだ。
その願いは、叶わない。ひっくり返す為のチェス盤は腐りきっていた。見返すようなプライドや自尊心など、そもそもどこにもありはしなかったのだ。
心の奥底の、何かとても大事な心の弦が、ぷつりと千切れる。「せめて血は継承してくれ」と願う父の言葉を聞きながら、僕は自分でも驚くほど静かに、得心していた。
ああ、そうか。そういうことか。
僕は、最初から諦められていたのだ。
磨いても磨いても、すり減るばかりの石ころだと。才能などあるはずない凡夫だと端から断じられていたのだ。
そして僕も、たった一人のそんな評価をいつまでもいつまでも引き摺る、評価通りのみみっちい凡夫でしかない。
そう納得してしまった。努力などするだけ無駄だったと確信してしまった。
僕は、命を賭けて戦う大一番を前に、頑張る理由を失ってしまったのだ。
根源も、魔術すらもどうでもいい。
聖杯なんて、僕みたいな存在が手にすると考える事すらおこがましい。
もういい。僕すら、僕に期待しない。
死ぬのなら、どうぞ劇的に殺してくれ。
みっともなく生き残ってしまうなら、何もかも忘れて静かに枯れ朽ちよう。
……それでも。
あるいは、もし。
これ以上に、出過ぎた事を願っていいのであれば。
この最期の聖戦を、せめて胸躍る素晴らしいものに。
魔術師でいて良かったと。頑張ってここまで来て本当に良かったと。
そう思えるだけの邂逅が、どうかありますように――。
そんな僕の願いが、届いたか。
あるいは、この後に及んで弱気な僕を叱りに来てくれたのか。
赤雷と共に、彼女は現れた。
素晴らしき戦を駆ける戦士として。
僕の魂をこれ以上無く揺さぶる英雄として。
憧れ、見惚れ、愛しいとさえ思わせられる、運命の人として。
「……」
これが、僕だ。
僕という人生のあらましだ。
無価値と諦めた魔術に人生を使い潰し、今際の際に一人の少女に目覚めさせられた人間。
魔術師らしくない。男らしくもない、生きる事に執着する平凡な男。
こうして振り返ってみても、思わず笑ってしまう。空っぽで、自分を持たない、つまらない人間だ。彼女に出会うまでの一年は、彼女と過ごす一分の重さにも負ける。それ程に、彼女との出会いは奇跡的で、運命的で、僕を決定的に変えたのだ。
走馬燈のように駆け巡った記憶が、彼方へと過ぎ去っていく。
自分を包んでいた重たい闇が、ゆっくりと解けていく。
遙か深海から、水面へ浮き上がるような解放感。
現実に帰着する感覚。僕はぐるりと視線を回し――
「……それで?」
常に傍にいた"同乗者"を、問いただす。
彼は、走馬燈のように流れる僕の人生を、ただ静かに傍観していた。
人生の邂逅が過ぎ去った今、その視線は、熱を感じるほどの圧倒的な存在感で僕に突き立っている。心を丸裸にされ、晒されているというプレッシャーに潰れてしまいそうだ。
超然とした気配。まるで自分が紙に描かれたキャラクターであり、紙面の外で誰かに読まれている事を知覚するような……次元が違うと思わされる超常の視線が、僕の全身、過去を含めた全てを睨め回し、魂を透かし見ている。
嫌いだ。この感覚は。
自分より遙か高みの存在を見上げる恥辱は、人生で嫌と言うほど思い知っている。
だから僕は笑う。試験管の中のネズミの様な心地を押し殺し、夢の中ながら緊張に喉をゴクリと鳴らし、つとめて不遜に、懊悩に。
「視聴料をせびるつもりはないけれど。タダで覗き見しておいて、挨拶の一つも無いのは失礼と思わない?」
虚空に問う。緊張に震えている内心を見透かされていると知りながらも、笑って、悠々と。
そんな作り物の余裕が効いたか、あるいは呆れられたか。
全身を締め付けられるような視線が、ふっと解けた。
視線があっけなく逸らされ、頭の中に声が響く。
――実に、矮小である。
時間を無駄にしたと言うかのような、憮然とした言葉。
それだけを言い残し、彼は去った。
すっかり興味を失い、一縷の目線もくれずに、僕の記憶から退却した。
魂が解放され、意識が現実へと浮上していく。
その浮遊感に晒されながら、僕はとびきり惨めに、自嘲した。
「矮小、ね……そんなの、自分が一番分かってるんだよ」
ああ、最悪な気分だ。
見たくもない過去を見させられて、無遠慮に鑑賞されて。一方的に無価値と断じられて。
『僕』を紐解かれ、値踏みするように観察されて。
こんな不快な感覚、二度とは味わいたくもない。
しかもその上……彼女はその上、穢されまでしたのだ。
歩んだ人生を、否定されるばかりか改竄されたのだ。
どれだけ腹立たしい事か。
どれだけ苦しく、辛い事か。
「最後の日を前に、やっと知る事ができたよ……くそったれめ」
吐き捨てる言葉を聞く人は、誰もいない。
どこまでも無価値なつまらない僕の過去に背を向けて、僕は愛する彼女の待つ、愛しき朝に浮上する。