もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
「言っっっっっとくけど! これは、オレの腕を治す為なんだからな!」
ベッドに腰掛けたモードレッドは、いの一番にそう叫んで僕を威嚇してきた。
凶悪な犬歯がむき出しになっているが、顔はずっとトマトのように赤いまんまだ。視線もあちこちをさまよって、どうも僕をまともに捉えられていない。
「決してそれ以外の理由はなくて! マスターもアレだえーと何だその、慈善事業みたいな感じで!? オレもまあ、しょうがないから付き合ってやるか的な!?」
「落ち着けモードレッド……誇張しなくても分かってるよ。僕がやりたいって言い出した事なんだから」
「自分からしたいとかヘンタイかてめー!?」
「君の腕を治すために、ってことなんだけど……」
完全にテンパっているな、これは。
まあ、無理もないことだろう。元々、女扱いすれば殺すとか平然と言っていたし、軽く小突かれたりもした。防護を張らなければ多分死んでいただろう。
ともかく、そんなモードレッドだから、狼狽え方が半端ではない。顔は魔力が漏れてるのかとばかりに真っ赤だし、彼女の周囲には実際に抑えられなかった魔力が火花を叩いている。迂闊に触ったら感電するんじゃないか、これ。
「モードレッド、君がイヤならやめてもいいんだよ?」
「っ……いや、やるぞオレは。元通りのオレに戻るためなら、何だってしてやるさ……あーくそ、静まれ静まれ」
胸をドンドンと叩いて平静を呼び込む。なんと男らしい。スポ根アニメだって今日日そんな落ち付け方はしない。
心臓の鼓動を強制的に押さえつけたモードレッドは、目を閉じ、深呼吸を数度。
次に開いた彼女の目は、完全に据わっていた。
目の前の敵を殺すと決めた時、こんな顔をするに違いない。静かな凄みに、僕の背筋が震える。
「マスター」
「な、なんでしょう」
「お前は犬だ」
急にどうしたと言うのだろう。意味が分からないが、笑うと殺されるのだけは分かる。
「犬」
「ああ、犬だ。なんか、こう、もふもふでラブリーで、オレの事が好きで尻尾振ったりするような、そんな感じの犬だ」
「モードレッドの事は好きだけど?」
「ばっ! たたたたとえ話だ馬鹿! お前の事とかどうだっていいんだよ! つ、つーか好きとか、おま、急にその……馬鹿! ばーか!」
「ごふっ、ふぐっ……わ、分かった、分かったよ。遮ってごめん」
沸騰しそうなほどに真っ赤になったモードレッドが、あぐらの状態から僕の胸をぽこぽこ蹴りつける。力は入っておらず、全く痛くない……かと思いきや、暴走した感情が疑似魔力放出みたいになって、むせる位には重い。
肋骨が軋むくらいになってやっと落ち着いたモードレッドは、改めて深呼吸。顔は赤いまま先を続ける。
「と、とにかく! 犬なんだからこ、こういうのも普通にするし。ごく自然なことなんだよ。分かるか? なあ?」
「愛情表現として?」
「そう! 愛情表現として――、~~~~ッ!」
「ごめん! ごめんモードレッド! 不用意な発言は控えるから!」
「お、お前なあ!? 大人しくじっとしてろっつってんだよ! 次は蹴るからなっ!」
「もう蹴ってるけど!? あっごめん、その赤い光はマジでやばい! やばいから!」
そんなまどろっこしい事をしているから意識してしまうのではないだろうか、という僕の胸中は泡沫。
モードレッドの心と僕の命を天秤に掛けた一悶着が繰り広げられ、数分後。お互いに息を切らせ、再びベッドの上で正座をして向かい合う。
運動のお陰か、モードレッドの決意は固まったようだった。顔は赤いままだが、さっきみたいにうろたえたりしない。
「じゃあ……いくぞ? 動くなよ、マジで」
これ以上刺激しないよう、無言で頷く。
モードレッドの上半身が傾き、視界が徐々に彼女の顔で埋まっていく。僕の太股に彼女の腕が乗り、そっと体重が乗せられる。
「っ……う」
痛みに僅かな吐息。それが顔にかかるほどの距離にまで迫る。彼女の温もりと、少女の香り。甘い感覚が、僕の唇をめがけて迫る。
鼻が触れるほどの距離で、モードレッドは一度逡巡した。浅い息づかいが、僕の唇をくすぐる。
「はぁ、はぁー……ふっ」
覚悟を決めた息づかい。
次の瞬間、僕の口が温かいもので蓋をされた。
しっとりと塗れた唇の触感。真一文字に引き結ばれているせいか、ゴム鞠のように突っ張った柔らかさがする。
僅かに開いた隙間から、淡い少女の香りが口中に滑り込んでくる。
微睡みに似た蠱惑的な感覚は、しかしあっという間に遠ざかっていった。膝にかかっていた重みが退き、目を閉じていても感じていた彼女の存在が遠ざかる。
「っし……終わった。もういいぞ、マスター」
言われるまま目を開ければ、布団に腰を下ろし、所在なさげなモードレッドの姿。最初とほとんど同じ場所にいるのに離れて感じるのは、彼女がこちらに目を向けようとしないからだろう。落ち着かないのか、あぐらをかいた両足がぱたぱたベッドを叩いている。
白い頬に紅を差し、それでいて何でもないように顔を俯かせる。動揺を隠したいその仕草は年頃の少女のようで、本人に言えば殺されるだろうが非常に愛らしい。
「んで……どーなんだよ」
「何が?」
「だぁから、その……」
モードレッドはそっぽを向いたまま、唇を尖らせて聞く。
「結果だよ、結果。効果あるのか? ちゃんと魔力足りてんのか、これ」
「不満かい? それならもう少しする?」
「ばっ――ばっきゃろ! そういう事じゃねーよ! もういい、寝るっ!」
モードレッドは大仰に肩を怒らせて、ベッド脇のソファに体を投げた。
「こっち来て、君もベッドに寝たら?」
「なんで使い魔がマスターと一緒に寝なきゃいけねえんだ。こんぐらいの距離感でいいんだよ、こんぐらいで」
ぶっきらぼうに言って、両腕を胸の前に組む。わざわざ繰り返して強調した距離感は、さっきの唇の感触をごまかす為のものかもしれない。
さっきまで息がかかっていた頬に手を添える。笑みを浮かべていることに、初めて気がついた。そのことを自覚すると、胸にわだかまっていたしこりが解れたような気がする。
しかし……自分のことを使い魔呼ばわりか。
割り切った性格とはいえ、大分堪えているみたいだ。どうやって解決するべきか。
僕はベッドの毛布を手に取って、モードレッドの体にかけてあげた。モードレッドは目をぴったりと閉じたまま、ごろんと転がって、ソファの背もたれの方に顔を向ける。露わになった背中を隠すように、毛布をかけ直す。
「風邪引くよ、モードレッド」
「英霊が風邪なんか引くか、バカ」
「じゃあ、気持ちよく眠れないよ。せっかくの初日だ。気分良く終われるように、ね」
「……ばかますたー」
最後にぽつりと呟いて、モードレッドは僕との関わりを断ち切った。
数分と経たずに、健やかな寝息が聞こえる。速やかな睡眠への導入は、モードレッドの疲労を表しているような気がした。
見た目には塞がっているから、忘れそうになる。彼女の両腕は切り裂かれたのだ。決して癒えない傷が、彼女の柔肌に走っている。
何をしていても、内側をかき回されるような痛みがするに違いない。それがどれほど酷い事か、僕はこうして空想し、案ずる事しかできない。
そんな事を考えると、彼女の眠るソファの前から動けなくなった。
僅かに上体を屈めると、彼女の寝顔を横から見ることができた。
穏やかな顔をしていた。気丈さを滲ませる直線的な眉。吊りがちな目。ほんの少しだけ開いた桜色の唇からは、すうすうと規則正しい呼吸が聞こえる。
ついさっき触れ合った唇の感触は、未だ色褪せずに、僕の中に残り続けている。
彼女はどうだろう。忘れたくても忘れられないだろうか。
それを嫌とは思っていなかったら、嬉しいのだけれど。