※この作品はR-18です。

もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活   作:オリスケ

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第30話

 フライパンに、ベーコンを二枚敷く。

 表面に焦げ目が付くくらいで皿によそい、残った油に、卵を三つ割り入れる。軽く塩コショウを振りながら、手早く掻き混ぜる。

 しゅうう……という卵の焼ける音が、朝日の煌めくキッチンに響く。

 もう聞き慣れた、いつもの音。静寂に満ちたこの森においては、まるで清流の流れのように澄んで聞こえる、一番好きな生活音。

 スクランブルエッグが半熟になったくらいで、僕は皿に盛り付ける。用意する皿は、二つ。そうしないと、間接キスだやっぱりお前はヘンタイだと怒るから。

 切り分けたトマトを乗せた頃、寝室のドアが足で押し開けられた。モードレッドが、真っ赤に腫らした目を眠そうに瞬かせて現れる。

 

「おはよう、モードレッド」

「ん」

「もう少しでできるから、座って待ってていいよ」

「……ん」

 

 気のない返事を背中に聞きながら、パンを薄く切る。

 ぽすん、と、背中に軽い衝撃。

 苦笑して、僕は背後に擦り寄ったモードレッドに言う。

 

「危ないよ、モードレッド」

「いいだろ、別に……昨日さんざん泣いたから、目が痒いんだ」

 

 ぐりぐり、心地よい感触が擦り付けられる。

 中々離れてくれない。最初の朝にそうされたより、ずっと長い。

 随分長い間を開けて、モードレッドが顔を押し当てながら呟いた。

 

「昨日は、ありがとう。マスター」

「傷の具合は、どう?」

「少しだけ、我慢できるくらいにはマシになった……やっぱり、昨日は参ってたみたいだ。情けないところ見せちまったな」

「ぜんぜん。むしろ、あんな素直な君だったら、もっと見せて欲しい所だ」

「そっか……それなら、よかった」

 

 ぐりぐり、心地よい圧力が背中に当たる。

 猫が顔を洗うみたいに、顔を僕の背中に押しつけ、すぅと息を吸う。そんな時間が、思わず笑ってしまう位に長く続く。

 

「そろそろ、お腹空かない?」

「ん……」

 

 やんわりそう告げると、モードレッドはまたも素っ気なく、ほんの少し残念そうに喉を鳴らして身体を離す。寝起きだからか、仕草が本当に猫みたいだ。

 切った食パンを皿に乗せて、二つに切ったミニトマトを添えて、二人分の朝食を持って振り返る。

 モードレッドはもう自分の席に座って、ぷらぷらと足を振っている。くぁ、とあくびをすると、ぴょこんと突き出た八重歯が覗く。

 背後の窓から見える湖は朝日を受けてキラキラと眩く輝いていて、彼女の周囲を星屑のような煌めきで飾っている。モードレッドの薄桃色の寝間着は、眩い外の景色を背景に、どこか幻想的に映えて見える。

 この手にカメラがあれば、奇跡の一枚として写真に納めるのに。僕は彼女のあどけない姿に見とれつつ、食卓に皿を並べる。

 ベーコンとスクランブルエッグ。いつもと同じメニュー。僕等の最後の朝ご飯。目の前に置かれたそれをじっと見下ろして、モードレッドが呟く。

 

「……代わり映えしないな」

「食材は少ないし、豪勢にしようが無いし。嫌だった?」

「そうじゃねえ……お前らしいって思ってさ」

 

 唇を綻ばせて、モードレッドは笑う。振り子のような足の運動が、良くなった機嫌を現すように大きく揺れる。

 

「変わらないのが良いって、来た時から言ってたもんな……最後の朝メシって知ってても一貫してる。妙な所で頑固だと思ってさ」

「頑固じゃなくて、本当に良いものだからだよ。この場所も、こうして君と向かい合うのも」

「ハッ。ガキみたいに食べさせられるのは、御免被りたいけどな」

 

 こちらを向いたモードレッドが、目を閉じ、かぱりと口を開けた。

 卵を掬ったスプーンを差し入れる。ぱくりと口が閉じ、柔らかな唇に少し引っ張られながらスプーンを取り出す。

 

「おいしい?」

「なかなかだ……いつも通り、変わんねえ味だ」

「それは良かった」

 

 再び開かれた口に、小さく千切ったパンを持って行く。

 外の木々から、小鳥の囀りがする。魚がぽちゃんと跳ねて、鏡のような水面を波立たせ、星屑のような朝日の光を瞬かせる。

 穢れが洗い落とされたような、ひんやりと冷たく透き通る朝の空気。余計な物のないあるがままの世界に、かちゃかちゃと軽やかな食器の音と、僕等の息遣いだけが在る。

 輝かしく美しい、愛おしく失いがたい、朝の平穏。

 時間が止まれば良いのにと願いながら、流れていく一秒一秒を噛みしめる。これが最後だと、自分に言い聞かせる為にも。

 ベーコンの最後の一切れを飲み込んで、モードレッドがごちそうさまと口にする。その口元を軽く拭いて、自分の分も手早く片付けて、流し台へ。食器を洗ってから、目を閉じて日向ぼっこするモードレッドの隣でコーヒーを一杯。

 

 

 引かれた線をなぞるようないつも通りの時間は、ここで一度終了だ。心地よいノスタルジーに浸って、現実から目を逸らす訳にはいかない。

 重い腰を持ち上げ、隣の倉庫地下にある工房へ。目的の物を掻き集めると、モードレッドの待つリビングに舞い戻る。

 カーペットにずらりと並べられたそれに、モードレッドは怪訝そうに眉を持ち上げた。

 

「宝石に……何だこりゃ、スコップ?」

「鉄パイプでもあれば良かったけど、得物になりそうな物がこれしかなくてね」

 

 笑ってそう言うと、モードレッドはむぅと唇を尖らせる。

 

「オレの負担を減らそうって考えなら、とんだ筋違いだぞ、マスター」

「そんなつもりじゃないよ。ただ、何が起きるか分からないからね。手ぶらでいるよりは、君も安心できるだろう?」

 

 スコップを持って、慎重に柄を撫でる。前の家主の置き土産だが、作りはかなり頑丈だ。先端部は傷が目立つがよく磨かれていて、使い古された持ち手が他人である僕の手にもしっくりと馴染む。愛着を持って使われた証拠だ。

 そうやって眺め、分析し、構造を把握して、それから集中。

 魔力を流し込んで、スコップの構造を補強する。土から水を吸い上げる樹木のイメージで。ゆっくりじっくり、僕の魔術を流し込んでいく。

 集中を維持しながら目を開けると、モードレッドはじっと、僕の顔を覗き込んでいた。

 初めて毛繕いする鳥を見たような、興味深げな顔。僕の何がそんなに関心をそそるのか、胡座をかいた膝がぱたぱたと揺れている。

 

「ごめんね、せっかく一日の猶予ができたのに、棒に振るような形になって」

「そんなに卑下するなよ。お前の思いつく、出来る限りの事がそれなんだろ? どれだけ無意味に見えようとも、オレは勝つための努力を笑ったりしねえよ」

 

 モードレッドは座った姿勢のままぐぅっと背伸びを一つ。息を吐きながら「それに」と言葉を続ける。

 

「退屈はしねえよ。ここで、お前を見てられるし」

「……見ていても、面白い物じゃないだろう?」

「面白くなくていいんだよ……決めたんだ。今日は、お前の傍にいるって」

 

 そう言って、モードレッドは僕の顔を覗き込む。嬉しい言葉を紡いだ顔を、ほんのり朱に染めながら。

 

「どうせ退屈な生活だ。一人じゃ大した事も出来ないんだ……口惜しい事があるとすれば、それはお前の傍にしかない」

「……」

「だから、見てる。隣にいる。それで良いって、今思った」

 

 ハッキリ、そう宣言する。

 輝く翡翠の瞳の奥には、確かな信頼と、それに近い温かい感情に満ちていた。一心に注がれる思いが心を昂ぶらせ、僕に力を分け与えてくれるように感じる。

 

「……ありがとう、モードレッド」

「礼なんていいから、間に合わなかったって泣き言だけは吐くなよな」

「夜までには終わらせるよ。君が見てくれるなら百人力だ」

 

 彼女の信頼に応える為にも、手にしたスコップに意識を集中させる。僕等を守ってくれますようにと願いを籠めながら。

 目を閉じ、集中していても、美しい周囲の景色を感じる事ができた。眩い日差しが、瞼の隙間からキラキラと透けて見える。吸い込む空気は晴れやかで、清水のように澄んでいる。そして僕のすぐ隣には熱い視線があって、静かで深い呼吸を繰り返している。

 

「マスター。あまり邪魔したくないんだけど、話するぐらいなら平気か?」

「うん、大丈夫」

「もう少し近くに寄って……触れてても、いいか?」

「是非是非。むしろ俄然やる気が出るよ。積極的にあちこち矢鱈目鱈に気安く遠慮無く触れて欲しい」

「急に早口になるなよ気持ち悪いな。決戦前日に言うのもアレだけど、魔力も人並みで根っ子がド変態とかいよいよ救いようがねえぞ?」

「ぐぅ」

「ははっ、ぐうの音は出たな。褒められたモンじゃないが」

 

 心が揺らいで魔力が淀んだ。手に持つシャベルが鋼鉄みたいに重くなる。

 切れ味の鋭い毒舌も、最早日常の一つだ。クリティカルヒットに心の中で悶えていると、空気がゆらりと流れる。

 

「全く……ホントどうしようもねえ奴だな、オレのマスターはよ」

 

 そんな悪態と一緒に、モードレッドのふわふわの髪が、首筋をくすぐった。続いて、ぽすんと軽い感触が背中に触れる。

 背中合わせに座ったモードレッドは、収まりの良い場所を探して上体を僕の背に押しつける。彼女の細い身体を背中全部に感じて、身も心もくすぐったい。

 

「マスター、お前も、少しだけ凭れてくれないか?」

「……こう?」

「ああ、うん。これで良い。お前に触れてるって感じがする」

 

 互いに軽く身体を預け、傍にいる相棒の重みを感じる。背中合わせに、支え合うような姿勢になって、モードレッドはすぅと深く息を吸い込んだ。

 

「やっぱ、お前の傍が一番楽だ。こうして触れていると、腕の痛みが溶けて和らいでいく」

「……モードレッドらしくないから?」

「ああ、そうだ。全くオレらしくない。なんせオレの生前は、こうして身体を預けられる人間なんて、誰一人いなかったからな」

 

 戦い、怒り続けた自身の過去を思い、モードレッドは笑う。誇りと自負を抱く生前に、今は少しの自嘲を秘めて。

 モードレッドらしくない。それは、両手に付いた傷の歴史浸食を助長する毒でもあったはずだ。けれど、モードレッドの深く安らいだ表情が、その考えを棄却する。

 僕の考えを見透かしたように、彼女が笑う。

 

「大丈夫、オレがモードレッドである事は忘れねえよ。ただ、こういう場所で、こういう空気だ。何にも起こらない退屈な場所で、オレらしく在るのが馬鹿らしいって、そんだけだ」

「……何だか、君も丸くなったね」

「大半はテメエのせいだよ、バーカ。責任取って、このまま背もたれになってろ」

「畏まりました、我が主様」

「へんっ……」

「……」

「……、……重たく、ねえよな?」

「そのツンデレな優しさでお釣りが来るよ。いやぁ、本当に丸くなったねぇ」

「しみじみ言うな、バカマスターっ」

 

 ぼすんっと背中に後頭部がぶつかる。じゃれつくような強さのちょっかいに、どちらからとなく吹き出した。

 それから、無言。時々思いついた言葉を口にして、二言三言会話して、その他はただ黙って背中を預け合う。

 僕はスコップに魔力を注ぎ、モードレッドはこの場所の空気を吸い込む。

 輝かしい日差しが差し込んで、日だまりの温かさが部屋に満ちて、僕等を包む。

 時間が止まったような静寂。いつまでも続くような自然の中、触れ合った桃色の寝間着の内側から、彼女のとく、とくという安らかな心臓の鼓動を感じる。

 その命の温かさに、心強さと、前向きになれる勇気を貰って、僕は目の前の、できる限りの作業に集中する。

 目を瞑り、空気に浸り、互いの存在を背中に感じて。

 二人寄り添って、最後の時を、愛おしむ。

 

 

 

 




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