※この作品はR-18です。

もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活   作:オリスケ

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第32話

 

 

「……こんな所かな」

 

 深々と溜息を吐き出して、僕は魔力を籠め終えた最後の宝石を、広げたカーペットに置いた。透き通るようなエメラルドは、窓の外の銀色の光を受け、星のように煌めく。

 外はすっかり夜になっていた。高く昇った月が鏡のような湖面に反射して、世界はうっすら明るく藍色に染まっていた。

 冷たく美味しい空気を胸一杯に吸い込むと、澄み切った雪解け水のように身体に染み込んでいく。それで意識が目を覚ました。全身の血管がじんわり拡張していくのを感じる。遠ざかっていた聴覚が戻ってくると、ガラス戸の向こうから梟の鳴き声が聞こえた。

 想定していたより時間がかかったが、やるべき事はやったという達成感が心に満ちる。

 疲労は少ない。むしろ、月光を讃えた眼前の美しい景色に、心が冴えるのを感じる。

 僕はしばらく、時を忘れたような夜の空気に浸り――ふと、背後に耳をそばたてる。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 モードレッドが眠っていた。桃色の寝間着に包んだ身体を投げだし、僕の背中にすっかり預けて、胸を上下させている。

 背中合わせで互いに凭れ合っているから、顔を見る事はできない。けれど、頭の中には鮮明に思い描ける。長い睫毛を閉じた彼女の、凜々しくも愛くるしい、少女の寝顔。桃色の唇はだらしなく半開きになって、白い八重歯がほんの少し覗いているかもしれない。

 規則的で、安らかな吐息。それが彼女の、信頼の証だ。

 

「……僕なんかの背中で、安心してくれるんだね」

 

 初めてパパと呼ばれた父親は、こんな喜びに打ち震えるのだろうか。初めて手を繋いでキスをした少年は、こんな風に「生きてて良かった」と感じるのだろうか。彼女から与えられる信頼の証は、いつも、何回でも、鮮烈な感動になって僕を打ち震わせる。

 僕は肩越しに手を回して、彼女の肩に触れる。桃色の寝間着の滑らかな肌触りを感じ、その下、温かく柔らかな、小さい少女の身体を感じる。

 傍に居てくれる。その有り難みを噛みしめてから、僕は身体をゆっくりと動かして、背中に凭れる彼女を揺すり起こした。

 

「モードレッド」

「ん……終わったか?」

「万事無事にね。君が付いてくれたお陰だよ」

「そりゃそうだ。オレが付いていながら、フヌケるなんて有り得ねえからな……くぁ」

 

 そのまま自分に返ってきそうな文句を呟き、モードレッドは猫みたいに欠伸をする。僕は彼女の目尻に滲んだ涙を指で掬って、立たせてあげる。

 背中合わせを解いたモードレッドは、僕の前に移動し、カーペットの上に並べられたソレを見る。

 

「スコップ一つに、宝石十個。持ちうる時間を使って用意した全てだ」

「何か、意外と少ねえな……あ、いや。別に悪く言うつもりじゃなく――」

「言ったろう? 苦し紛れさ。宝石魔術も、本来は何ヶ月もじっくり魔力を籠めて作る代物だから。これはせいぜい玩具のピストル……いや、木造の輪ゴム銃くらいのものかな」

 

 美しい月明かりを正面に、僕は宝石の一つを摘まみ、モードレッドの神妙な顔の傍に翳す。雀の涙の魔力しか籠もっていない事もあって、彼女の翡翠色の瞳の方が何倍だって美しく輝いて見える。

 

「けれど、物は使いようだ。ヘクトールの時みたいな足止めには使えないけれど、コレは敢えて不安定に……砕けば激しく破裂するよう調整しておいた」

「へぇ……成る程。盲目のジジイに、豆鉄砲を喰らわせてやる訳だ。お前も、結構厭らしい事を思いつくじゃねえか」

「驚く顔が今から楽しみだよ。上手くいくかは置いておいてね」

 

 苦笑しつつ、僕は十個ある宝石の半分を拾って、小さな革袋に詰める。口を閉じたそれを、モードレッドの胸に当てた。

 目を丸くするモードレッド。僕は月明かりに映える翡翠の瞳を覗き込む。

 

「マスター?」

「いいかい、モードレッド。()()()()()()()()()君が戦う為に使う、君の武器だ」

 

 そう、宣言する。モードレッドが困惑したように眉を潜め、首を振った。

 

「よせよ。数も少ねえんだ、お前の方がよっぽど需要が――」

「持っていて欲しいんだ。お守りとしてでいい。非力な僕の、せめて君の力になりたいというお節介だ」

 

 突き返そうとするモードレッドに、更に念押しして袋を突きつける。

 モードレッドは、それ以上反論しなかった。洒落や冗談や、ロマンチックな願掛けじゃない事を、僕の目を見て悟ったのだ。

 代わりに表情を引き締め、僕の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。

 

「いいね?」

「……ああ、分かった。コイツは今からオレのモンだ。あの糞爺をぶち殺す為に使う、オレの得物だ」

「……ありがとう」

 

 モードレッドの宣言を、心の奥、魂まで響かせて、僕も頷きを返す。

 そうして僕は数時間ぶりに立ち上がり、伸びを一つ。ポキポキと背骨を鳴らしながら、いつも通りに微笑んでみせる。

 

「それじゃ、ご飯にしよっか」

「へへっ、とびきりのを頼むぞ、マスター」

 

 待ってましたと言わんばかりに笑うモードレッド。

 電気を付けて、暖色の明かりが部屋に満ちる。

 キッチンに立ち、すっかりなじんだ包丁を握る。タンタンと小気味良い音が響く。

 コンロを付ければ、部屋の空気が温かく揺れ動く。肉の焼ける香ばしい音。湯気立つスープのコトコトとした振動。それらの音に聞き入って、椅子に座ったモードレッドが、愉快そうに足をぷらぷら揺らす。

 大した会話は起こらない。言葉は必要ない。

 ただこの空気がある事が、堪らなく愛おしく、口惜しい。

 今だけは、魔術も戦いも忘れる。

 二人きりの、静かで幸福に満ちた団欒を、堪能する。

 

 

 

 

 

 

 皿を片付け終えた頃には、真夜中だった。月はすっかり夜空の高い所まで昇っている。

 僕達二人は、ソファに並んで腰掛けた。

 冬に差し掛かるこの時期には珍しく、心地良い涼しさだった。僕は滅多に飲まないビールの二本目の瓶を開ける。

 視界に煌めく星空は、二つ。夜空と、それを映す湖。僕等はソファに深く静まって、自然のプラネタリウムを眺める。

 

「……この生活も、終わっちゃうね」

「だな」

 

 僕の呟きに、モードレッドが短く返事する。カロ、と音を立てて、彼女が咥えていた飴を歯で転がす。

 ビールを半分まで飲み干す。酩酊はやってこない。酔っ払うのとはまるで真逆に、頭と感覚が冴えていく。刻まれる時の一刻一刻を記憶しようと、意識が一層鮮明になる。

 何度となく過ごしてきた静かな時。

 得難い物だという自覚はあった。良い物だという自信はあった。けれどこれほどに愛おしいと思った事は無かった。

 不思議な気分だった。いつもより遙かに安らぎ、満ち足りた気分でいるのに、刻一刻と迫る終わりを確かに感じている。まるで今日が、地球最後の日であるかのように。

 

 

「ねえ、モードレッド。楽しかった?」

 

 

 隣を見て、僕は聞いた。彼女は僕をちらりと見ると、視線を外し、眼前の景色に向き直る。

 しばらく、静寂。

 瓶に口を付ける。

 モードレッドが飴を転がす。

 カロ、という音の後に、彼女が言葉を紡ぐ。

 

「……楽しくは、なかったよ。ここには負けて、屈辱の果てに来たんだ。悔しかったし、苦しかった。痛くて、辛い記憶の方が、ずっと多い。命削って戦ってる方が、よっぽど楽しいし、気が楽だよ」

 

 彼女は身を捩る。月明かりに浮かぶ傷は、黒々とした闇になって、彼女の両腕を穢している。

 恨めしげにその傷を睥睨し……「けれど」と呟いて、モードレッドは顔を上げる。

 

「こんな時間は、オレが生きている間には有り得なかった。サーヴァントとして現界しても、想像したことさえなかった。こんな風に静かに、誰かと一緒に、戦いを忘れて暮らすなんて……思ってもみなかった」

「……」

「知らない事ばかりだった。ぼんやり眺める自然が綺麗だって事も。誰かに世話される事が、顔から火が出るほど小っ恥ずかしいって事も……たった一人に、自分以上に大事に思って貰うのが、こんなにムズムズするって事も……オレみたいな人間が、それを嫌とは思わないって事も」

 

 そう言って、彼女は僕を見て、唇を綻ばせる。

 翡翠の瞳が、表現し得ない揺らぎを讃える。たった一人、僕だけに向けられた感情に揺れる。

 

「オレの知らないオレばかり見つかる。知りもしなかった心を、お前に教えられる。それは、悪くなかった……とても、悪くなかったよ」

「……そう、か」

 

 唇を綻ばせ、視線を前に戻しながら、僕は彼女の言葉を脳裏で何度も反芻する。

 

 

 

 ああ……嗚呼。

 果たして君は、分かるだろうか。

 君のその何てことない声に、笑みに、僕がどれだけ救われていることか。

 

 

 

 ここは本来、負け犬の辿る末路だった。

 魔術も、何もかもを投げ棄てる為に買った家。そこに僕は、傷を癒やせない自分の無能さから目を背け、君を失いたくない醜い保身の為に、失意の君の弱みに付け込んで、みっともなく背を向けて逃げ込んだのだ。

 何度でも言おう。僕は君に怒鳴られるべきだった。罵倒され、失望され、殺されて然るべきだった。

 僕は才能も実力もない凡夫だ。何にもなれない捨て石だ。君のマスターに値しない、崇高な騎士たるモードレッドの隣に立つなんて有り得ない、愚かな弱者なのだ。

 

 

 そんな僕を、君は捨てないでいてくれた。

 みっともない僕の選択に、悪くなかったと言ってくれた。

 身に余る言葉だ。

 柄にもなく泣いてしまいそうだ。いや、いっそ泣いてしまおうか……

 そんな風に項垂れた僕の頭に、ゴツンと鈍痛。視界に火花が散る。

 

「痛ったぁ!?」

「その顔は、またウジウジとくだらねえこと考えてやがるな、マスター?」

 

 いつの間にか立ち上がったモードレッドが、項垂れた僕に頭突きをかましていた。鼻を鳴らし、小さくなった飴を噛み砕く。

 

「お前はいっつもそうだ。普段は飄々としてるくせに、畏まると必ず「ごめん」って謝りやがる。無能だって自分に言い聞かせるみたいにな。そんな奴に付いているサーヴァントの気持ちを、ちょっとでも考えた事あんのかよ?」

「っそれ、は……」

「……ったく。根っ子の方から負け犬なんだな、オレの従者はよ」

 

 呆れたように笑って、モードレッドはぷっと息を吐き、舐め終えたキャンディの棒を僕のビール瓶に落とす。呆気に取られる僕の足を小突いて、言った。

 

「散歩しようぜ、マスター」

「モードレッド?」

「最後に味わう景色なんだ。眺めてるだけなのも、退屈だろ?」

 

 にひ、と悪戯っぽく笑って、モードレッドは薄桃色の寝間着を翻す。僕が突然の提案に固まっている間に、ドアを蹴り開け、さっさと外に出て行ってしまう。

 開きっぱなしのドアから、涼やかな風がさぁと吹き込んでくる。その空気の流れに誘われるように、僕もモードレッドの後に続く。

 月明かりを讃える、藍色の、夜の世界。

 時折吹く風に木々が小さくそよぐのは、まるで森が寝息を立てているかのようだ。吐いた息がほんの少しだけ白くなる程度の寒さは、清廉な泉に浸かるような心地よさで身体を包む。

 湖に面する草原に、モードレッドは一人立っていた。こちらに背を向け、夜空を反射し輝く湖を眺めている。後ろに結った金髪が、風に溶けて煌めくように靡いていた。

 いつの間にか舞台のステージに上がったような、どこか超然とした空気。僕は息を飲んで歩き出し、彼女の隣に並び立つ。

 互いに手を伸ばしても届かない距離を開けて、澄み切った湖に目を向ける。

 

 

 今、この瞬間が、僕達二人にとって、最も大切な時間になる。

 漠然と、けれど確かにそう感じる。

 最後の時。最後の夜。

 始まりは、一陣の風と、同時に開いた、彼女の唇。

 

「明日、オレは奴と戦って、勝者が決まって。それで聖杯戦争は終わる。オレはサーヴァントの宿命として、座に帰還する……だから、この生活は今日で終わりだ。勝つにせよ、負けるにせよ、もうこの日々には戻れない」

「……そう、だね」

 

 歴史が形作り、人々の信仰によって肉付けされた、英雄の影法師。それがサーヴァント。

 別れは必然で、それを惜しんではいけない。

 元より出会う筈のなかった僕達は、明日、その存在のあるべきままに別れる事になる。

 どちらからとなく、向き直る。

 湖と空。二つの月が、僕等の横顔を照らす。

 見た事ないほど穏やかな表情で、モードレッドが僕を見つめる。

 

「本来は有り得ない二度目の人生で、オレは自分でも知らなかったオレを見つけた。苦しくて、歪んだ形だったけれど、普通に生きる事の良さを知った……良いと思える自分に、気が付いた。他ならない、お前のお陰で」

「……」

「もう迷わない。オレはモードレッドだ。今ここにいるオレも、この胸に宿る感情も、全てモードレッドのものなんだ」

 

 また風が吹く。彼女の金髪が、たおやかに揺れる。

 夜の空気を心地よさげに吸い込んで、モードレッドは僕を映していた翡翠色の瞳を、そっと閉じた。

 

 

 

「だから、決めたんだ――もう、自分に嘘は吐かないって」

 

 

 

 次の瞬間、彼女の身体から赤雷が迸った。

 一瞬、眩い光に目が眩む。雷が夜空に走り、ぽっと彼女の衣服に火を灯した。

 あっと言う暇もなく、桃色の寝間着が炎に包まれる。穏やかに瞳を閉じたモードレッドが、橙色の光に輝いて見える。

 

 

 眩い炎に包まれ、数秒。

 ざぁっと、一際強い風が、湖の方から吹き荒ぶ。

 蛍のような橙色の残滓が夜空に舞い、焔が消える。

 僕は、今度こそ真に息を飲む。

 燐光を風に流し、モードレッドは身につける全てを取り払い、裸になって僕に向かい合っていた。

 一糸纏わぬ裸体を銀色の月明かりに透かして、モードレッドは穏やかに笑う。

 

「セックスしようぜ、マスター」

「っ……」

「お前が好きだ。それがオレの抱く、心からの想いだ。オレはモードレッドとして、一人の女として……ここで、今、お前に抱かれたい」

 

 両腕を背に回して、月光を反射して光る陶磁器のように白い肌も、ふっくらと膨らんだ小さな胸も、その真ん中に咲く桜色の乳首も、黄金色の産毛が薄く生えた秘所も、何もかもをさらけ出して、モードレッドは言う。

 ありのままの姿、ありのままの心で。

 

「最後に、思い出をくれ。お前と一緒に過ごした日々の……夢のような時間に相応しい、夢みたいな幸せをくれ」

「……うん」

 

 頷き、僕は彼女の傍に歩み寄る。

 一糸纏わない、珠のように滑らかな肩に手を置く。びっくりするほど細く小さな肩。軽く引くと、彼女は静かに足を前に出し、身を寄せる。

 

「君を愛してる、モードレッド……僕が与えられる限りの幸せを、今君に捧げるよ」

「へんっ……それが世界一だって言ってんだよ、バカマスター」

 

 そうして僕達は、唇を重ね合わせた。澄み切った夜風を吸った口に、甘く温かな呼気が流れる。

 澄み切った夜の空気。木々がそよぐ命の鼓動。鏡のような湖。銀色の光を讃える二つの月。宝石箱のように輝く星空。

 それら世界のどんな瞬きよりも、目の前の少女は美しく、愛おしい輝きに満ち満ちていた。

 

 

 

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