もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
ベッドの脇のソファに、小さな革袋が無造作に置かれていた。
革袋はずっしりと重く、ゴツゴツと角張っている。口を開くと、中に入っている色とりどりの宝石が、陽光を受けて輝きを放っている。
懐かしく温かい魔力を感じる光に、これは君のものだという、妙に格式張った彼の言葉を思い出す。奴を倒す為の武器だと宣言した事を思い出す。
あのやり取りで、コレはオレの所有物になった。だから、あの爺による徹底的な消却からも逃れられたのかもしれない。
それが、彼がここにいたという、たった一つの痕跡だった。
「……」
オレは痛みに震える手で袋を摘まみ、首から提げる。
互いの肌を重ねながら、ずっと一緒だと約束した。
優しく髪を梳かれながら、傍に居ると誓ってくれた。
その誓いは、オレの胸、宝石の輝きになって残っている。
温かく優しい、彼の魔力を感じる。
目を閉じて意識を研ぎ澄ませれば、魔力の経路を確かに感じる。地獄に垂れる蜘蛛の糸のように細く頼りないが、それでも彼はいる。
「マスターは、ここにいる」
オレの中に、魂に、寄り添っている。
確かに存在して、オレと繋がっている。
オレが何者かを、教えてくれる。
オレは、彼のサーヴァントだ。彼に勝利をもたらす剣だ。
その刃の向け先を、オレはもう迷わない。
喪失を怒りに変えろ。
屈辱を薪とし、叛逆の焔にくべろ。
あるべき姿を思い出せ。
「オレは、モードレッドだ」
麗しき王に仕えた円卓の騎士。
激情に身を焦がした叛逆の騎士。
王も、国も、全てを壊す怒りの権化だ。
――よくも。
その有り様のまま、オレは怒る。
かつてオレを卑下した王を殺したように。
身勝手に作られ道具扱いされた、己の非業を呪ったように。
――よくも。よくも。よくも。
屈辱は、恥辱は、その何倍もの恩讐で以て報復する。
それこそがモードレッドの、歴史に刻まれた姿なのだ。
身体の芯まで凍える程の、冷たく寂しい風。
赤々と染まったモミジが、吹き曝されて雪のようにはらはらと舞っている。ひび割れたアスファルトの車道は、枯れ朽ちる前の葉で赤褐色に染め上げられている。
その枯れた葉をパリパリと踏み割りながら、オレは歩く。全身を包む鎧の音が、閑散とした空気に妙に響いて聞こえる。
甲冑に触れて痛む両腕の傷も無視して、オレは一歩一歩を踏みしめる。鮮やかな紅葉、そのどれよりも鮮烈な紅蓮の憤怒を、魂に燻らせたまま。
マスターが車を走らせていた道。その先にぽつりと佇む、人間社会から忘れ去られたような寂れた町。
木枯らしの吹くだだっ広い車道の只中に、老爺は胡座を掻き、静かに杯を煽っていた。
法衣を身に纏った、年を感じさせる精悍な肉体。道路の中央に座していると、ラオコーンを目にしたような厳かな雰囲気を漂わせる。
喉を鳴らし杯を空にしたホメロスは、その髭もじゃの強面をぴくりともさせずに言う。
「……来たか、人類史の英雄」
「オウ、テメエみたいなチョンボなしに、正々堂々来てやったぜ」
顔も素性も明らかな今、兜を被る必要は無い。その分、腸に燃える熱を殺意に換え、犬歯を剥き出し老爺にぶちまける。
「誇りだ使命だと嘯きながら、よくも横着しやがったな。マスターをどこへやった」
「不要であるから、排したまでである――英霊たる貴様に比べ、何も残さぬ凡夫の編纂は、ただの一言で足りる」
そう言ってホメロスは、自分の肩を静かになぞった。そこには前回には無かった、肩口を剣で深く抉られたような傷がある。
薄い蚯蚓腫れとして跡を残すだけの肩を撫で、ホメロスは唸るように息を吐く。
「少々、噛み付かれもしたが――所詮は愚かな人間。地を這う芥虫の一匹に過ぎない」
「ッそんなに人間が憎いかよ、クソジジイ……どおりで一人でボーっとしている訳だ。飼い殺しか、食い潰しか? 何にせよテメエは、自分のマスターも早々に殺してやがるな」
「鼠を侍らすのは醜悪な魔女の所行よ。彼奴も、誰も、我が言に逆らう力は持たず。我が言葉に心酔し、大義の礎になる事を誇りに想いながら散っていったぞ」
悪びれもせず蕩々と語り、ホメロスはまた杯を煽る。軽々しい口ぶりに、オレは思わずギリと歯を食い縛る。
英霊は聖杯によって召還された使い魔。その身体を構成する魔力は、令呪によって結びついたマスターによって供給されている。
その供給を断ったサーヴァントが顕界し続けるには、別の方法で魔力を補給する必要がある。野蛮で残忍な、獣のような方法で。
オレはぐるりと首を回し、うら寂れた町並みを一望する。
時の流れにすっかり風化したようなここは、それでも世を捨てた老人達の、静かな営みがあったはずだ。今はそれを一つも感じられない。
異様な状況に息を潜めているのではない。今やこの町は厭世の土地から、完全な死地へと変貌していた。
命の気配のない、全くの無音。この町にどんな惨劇が訪れたのか、この静寂だけで察するに余りある。
「人喰いが大義を宣うなんざ、悪趣味な冗談にしか聞こえねえけどな、血生臭え口で何をほざく気だ? 語り部」
「……ふん」
ホメロスが返すのは、小さな冷笑。
この男は、人を人とも思わない。野望の為ならば食糧にさえしてみせる。そればかりか超常の目で人を見下し、さも自分の非業の行いが正義であるように吹聴する。
こんな風に淡々と、マスターも消したのだろう。塵のように、簡単にあしらわれて。
「ケッ。人も大地も、この世の全ては使い捨ての道具か。腸の煮えくり返る傲慢だ……なあ、ついでに一つ聞かせてくれよ」
ムカつきを必死に堪え、オレは顎をしゃくって、奴が足下に置いた杯を指し示した。
「そいつぁ、聖杯だろ?」
「――いかにも」
ホメロスが初めて、唇を吊り上げて笑う。
その口髭は、生々しい鮮血で真っ赤に濡れている。
七騎の英霊が追い求めた願望機たる聖杯には、痩せこけた男の生首が載せられ、死んだ瞬間に張り付いたらしい、どこか恍惚とした死顔を青ざめさせていた。
命を失い、血の気の失せたその顔は見るに堪えない悲壮な物だったが、その面影から、男が聖杯戦争の管理者である事を悟る。削り取られたような断面からだくだくと零れ落ちる血を聖杯に溜め、ホメロスは一息に煽る。
喉を一つ鳴らす毎に、魔力が大きく膨れていくのが分かる。肩口の傷が蠢くと、薄く残っていた蚯蚓腫れも嘘のように消え失せた。
最後の一滴を啜ったホメロスは、すっかり干涸らびた管理者の首を方々に放り投げると、赤黒い死血を滴らせた黄金の杯を翳し、愉悦を滲ませて喉を鳴らす。
「今はただ、純粋な魔力炉。しかしひとたび貴様の首を括れば、これは今世最大の魔導装置として、我が野望を果たすべく機能する」
「ほざきやがれ。捧げるのはテメエの首だ。食い潰された奴等に変わって、テメエの生首を大地に擦りつけて無理矢理土下座させてやる」
「フン、見上げた気丈夫だ。己が実力差は、とうに分かっているだろうに」
ホメロスは聖杯を懐に仕舞い、緩やかに立ち上がった。二回りも大きな巨体が、オレの前に聳え立つ。
まるで山か何かを相手取るようだった。聖杯から供給された魔力量は尋常ではなく、指先一つで潰されそうな錯覚さえ感じさせる。
その圧倒的な力量差を見せつけられても、オレは怯まない。怯んではならない。
オレは体に漲る魔力を迸らせた。ゴウと空気が震え、バチバチと赤雷が奔る。
胸の内に燃やし続けた熱を赤雷として吹き出し、俺は非道の老人を睨みつける。
「オレのマスターを返して、消え失せろ。テメエのような懐古主義の老人にくれてやる物なんて、この世のどこにもありゃしねえんだよ……!」
「そのまま言を返そう。この世界は神々のもの。貴様ら蒙昧な人間がのさばっていい土地ではない。今日を以て、あるべき所有者に返却して貰う」
「ッ冗談抜かすな! この場で許される簒奪は、オレによるテメエの首だけだ、ホメロォォォォォォス!!」
空気を揺るがす絶叫を決戦の鐘とし、オレは現出させたクラレントを、胡座を掻く老爺目がけ蹴り飛ばした。
隕石が墜落したような大轟音。眼前の大地が裂け、舞い上がった落ち葉が紅い竜巻で視界を染める。
宙を飛んだクラレントに、手応えはない。
肌に痛い程の超常の気配は嘘のように搔き消え――今は、オレのすぐ後ろ。
「その威勢、誠に良き哉!」
「ッ!?」
喜色に満ちた、咆哮。
オレは振り向き様に両手を掲げ、顔面を塞ぐ。
瞬間、ホメロスの豪腕が、横殴りに叩き付けられた。
丸太のような太い腕と、鎧に覆われたオレの両腕が衝突。傷がビキリと悲鳴を上げ、真っ二つに割られるような激痛が全身を駆け巡る。
「ぎ、ぃ――!」
「ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおう!!」
痛みに呻くオレの声を、獅子のように猛々しい咆哮が塗り潰す。ホメロスはそのまま腕を振り抜き、オレの身体を野球ボールのように弾き飛ばした。
衝撃を殺し、痛みに震える意識を理性で以て引き戻す。宙に浮いた両脚で確かに地面を踏み、何メートルも土を削ってやっと停止する。
全速力のトラックと、正面衝突したような衝撃。痛みではなく驚愕に、両腕がブルブルと震えている。
「なんだ、その膂力……てめえ、本当に只のキャスターか?」
「我が最後の敵は復讐鬼、人類史に刻まれし影法師よ! 我は貴様の剣を折り、牙を抜き心を挫く事で、より優れた神々の威光をこの世に知らしめんとせん!」
そう宣言し、ホメロスは隆々とした巨体から、圧倒的な魔力を噴き出し始める。
気迫だけで卒倒しそうな、高位の域まで昇華された莫大な魔力。それが今、明確な指向性を伴って、オレを含めた全てを覆っていく。
ホメロスの枯れ木のような唇が割り開かれ、そこから超常の奇跡を産み出す祝詞が流れ出す。
『空に戦車。地に青銅。海は唸り、英雄は吼え立ち、神々は全てを貴覧している』
盲目の眼窩を覆っていた紋様が、紅く輝く。
世界を塗り替えていく超常の気配に、大地が震え、世界が戦く。ざあっと凄まじい風が吹き、木の葉の大渦が巻き起こる。
歴史を始めた、人類史始まりの男の言葉が、世界の形を塗り替えていく。
「好き勝手にさせてたまるか! マスターを返せ、クソジジイがぁぁぁぁぁ!」
超常の祝詞に負けないよう叫び、クラレントを握りしめる。
劈くような激痛が全身に走る。痛みを激情に変え、力に転化し、全身全霊を以てホメロス目がけ振り下ろす。
やはり剣が届く一瞬前に、ホメロスの姿は消える。
クラレントが大地を叩き、衝撃が両腕を滅多打ちにする。
「ッぐううううう! があああああああああ!!」
『在りしは神秘、紡ぐは武勇。猛々しき栄光は、幾千幾万の時も色褪せざる事能わず』
意識を外れて飛びだす大絶叫が鼓膜を埋める。それなのに奴の言葉は、耳をすり抜け、魂の奥底まで響くような迫力で、オレの魂を震わせる。背後に瞬間移動した奴の唇から紡がれる音が、世界を聞き入らせる。
それは始まりの祝詞。
終焉を告げる神の警笛。
歴史という人類の叡智、その原初の言葉。
『その咆哮を音にも聞け。預言に耳朶を打ち震わせよ――伏して聞き入り、御姿を瞼の裏に照覧するがいい! いざや甦れ。世界の最たる豪勇を、此処に斯く語りけり!』
『