もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
轟! と突風が吹き荒ぶ。
巻き上げられた落ち葉が視界を埋め尽くし、突風と共にオレに叩き付けられる。
オレは一瞬瞼を閉じ、両手で顔を覆い。
わっ――と、変容。
長いトンネルを抜けたような、世界の色が変わる気配。
「っな……!?」
次に目を開けた時、景色は一変していた。
宙を舞っていた紅葉は、もうもうと唸りを上げる砂埃に。
古びた街並みは、掲げられた無数の槍に。
遙か遠方に聳えるは、巨大な砦。
遠くなっていた聴覚が戻ってくるに従って、虫の羽音のような、無数の音が折り重なった騒音がどんどん大きく、肌をビリビリ震わせる迫力を伴ってオレを包む。
気付けばオレは、戦場のど真ん中に佇んでいた。
あちこちで雄叫びが上がり、鉄同士を叩き付ける快音が響き、鮮血の紅が立ち上る。
ハッと息を飲めば、空気中に漂う濃密な魔力が肺に飛び込み、細胞が戦くのを感じる。
その空気の色で。魔力に混ざる圧倒的な重圧に、否応なしに理解させられる。
「ットロイア……!」
遡るは数千年の昔。諸国友軍を巻き込んだ、ギリシアとトロイアの決戦の地。
『イーリアス』の舞台にして、神代最大の大戦。
人と神が入り交じり雌雄を争った、今も語り継がれる大いなる動乱。
その只中に、オレは放り出されていた。
ぐるりと首を回す。足下は海岸の砂を盛り上げて作った防波堤。坂を下った平地ではあちこちで激戦が繰り広げられ、爆音と共に砂塵が吹き上がっている。遠く離れたトロイアの城壁からは矢と火を纏った岩が息つく間もなく放たれ、雨のように降り注いでいる。
海には、ギリシア軍の無数の櫂船。立て続けに接岸しては、無数の兵士を戦場に吐き出している。
夢や幻術の類で無い事は、肌で感じる空気と、吸い込む魔力の神聖さで確信できる。
これは奴の宝具、固有結界だ。
「にしても、何て規模だ……! 聖杯の魔力を、全て固有結界に注ぎ込みやがったか」
語り部たる奴が描き出す、余りにもリアルな心象映像。
それはまるで、オレ自身が過去にタイムスリップしたかのようだ。鮮明な感覚に、脳が一瞬混乱を起こす。
その混乱に迷うまでの余裕は許されなかった。
オレのすぐ傍で、ザクと土を踏み込む音。
振り返れば、青銅の鎧を纏った巨漢のギリシャ兵が、太い刀剣をオレ目がけ振り下ろした所だった。
「っ――がぁぁぁぁ!」
足では返せない。直感的にそう判断し、オレは腕に握ったクラレントで刀剣を受ける。
凄まじい衝撃。雑兵であるにも関わらず、サーヴァントを相手取るような膂力。オレの腕が激痛に軋む。
オレは咆哮し、奴の土手っ腹に蹴りを見舞う。赤雷を纏わせた弾丸のような一撃。血反吐を巻き上げ、巨漢の兵士は遙か後方へと吹き飛んでいく。
その巨体の下をくぐり抜けるようにして、蛇のように這う一人の兵士。握られた双剣がギラリと光る。
「んだよ、その動き――!?」
その余りの速度に驚愕し、その分対応は半歩遅れる。
兵士が持つ双剣にクラレントで応じるも、続けざまの一撃でオレの腕は高く跳ね上げられ、舞踏のように連続した回し蹴りがオレの横腹に食らい付いた。
大部分の衝撃は鎧が吸収してくれるも、オレの身体はそのまま蹴り飛ばされ、防波堤を越え、平地の只中に着地する。
そこはまさにトロイア戦争の渦中だった。剣劇と雄叫びが、辺り一面に豪雨のように轟いている。
兵の数名がこちらに気づき、ギロと敵意に満ちた視線を寄越す。
それに立ち向かうべく姿勢を低くし――割り込むように、本能の警鐘。
危機感に従い顔を上げれば、眩く光る太陽に重なる一つの影。
ソイツが手にした弓矢をつがえると、太陽を覆い尽くす程の強烈な魔力が煌々と輝き、轟と唸りを上げて、辺り一面に矢の雨を降り注がせた。
「ぐ、お、おおおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
それはちょっとした対軍宝具に匹敵する一撃。
逃げようにも逃げられない。オレはせめてもの防御として、展開していた兜で顔を覆い、全身を鋼で固める。
眩い光と轟音が感覚の全てを塗り潰す。無数の矢が鎧にぶち当たり、衝撃が身体を揺さぶる。
流星群のような一撃に、オレの鎧は耐えてくれた。顔を上げた後に広がる景色は、無数の矢が突き立つ林に、血を流し息絶える兵士達。
一撃で辺りを死地に変えた弓兵は既に頭上に居ない。
そのあっさりとした退却、驚愕のない辺りの様子が、今の一撃が取り立てて珍しいもので無い事を告げている。
「っ……これが、トロイア戦争……!」
敵将の一人、いや一兵卒に至るまでが、座に辿り着くほどの大英雄。神と人の境界線はなく、幾人もの闘志と神性が混じった空気は、むせ返りそのまま窒息してしまいそうな強烈な濃度で胸を焦がす。
思わず戦慄し、ゾクリと背筋を震わせて……その情けない胸に拳を叩きつけて、オレは自分自身を叱咤する。
「っ……だから、どうした。必ず勝つと、啖呵を切ったばっかだろうがよぉ!」
気合い一喝。吼えるオレを認めて、再び兵士が凄まじい勢いで駆けてくる。
オレは現出させたクラレントを蹴り飛ばす。赤雷を伴い弾丸のように射出された剣は、先頭の兵士の脇腹を掠め、後方を駆けていたもう一人の土手っ腹に突き刺さる。
空気を抉る衝撃に戦いた先頭の兵士。その驚愕冷めやらない顎を、オレのつま先が砕き割った。そのまま魔力放出と共に大地を蹴り、鮮血のアーチを描く男を追い越して宙に舞い上がる。
闘志に据わったオレの目が見据えるは、地上にたむろする古代の有象有象共。
「神だか人だか知った事か。一気呵成に――くたばりやがれぇ!!」
そうしてオレは、煌々と魔力を灯した踵を兵士の土手っ腹に叩き込み、大地に一直線に叩き落とした。
先の弓兵の一撃に勝るとも劣らない、彗星のような衝撃。爆風に巻き込まれ、多数の兵士が蜘蛛の子を散らすように吹き飛んでいく。
この戦は、全て魔術的な産物。あの糞爺の言葉によって産み出された幻想に過ぎない。
オレは兵士で波打つ平地を眺め回し、声を轟かせる。
「コソコソ隠れてねえで姿を見せろ! こんな雑兵共でオレを止められると思うなよ!」
引いた波が再び寄せるように、土埃を巻き上げ兵士が迫り来る。それにオレは、犬歯を剥き出し唸りを上げる。
「オレは怒っているぞ。これ以上なく、テメエを憎んでいるぞ! ホメロス!」
どれだけの兵士の群れがあろうが。一兵卒が神に近い強さを有していようが。それでオレの魂が砕けるとはお笑い種だ。
かつてオレは荒野を駆け抜け、激情と共に数多の騎士を葬り去り、王を殺す宿命を為すまで暴れ続けたのだ。
その怒りは烈火の如く。空を切り裂く稲妻が如く。
必ずや貴様の腹を切り裂き、その身を灰燼に帰すだろう!
「さっさと出てこい! 簒奪の罪を死で以て償え! オレのマスターを、返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
オレは両脚に渾身の魔力を溜め、迫り来る兵士達を薙ぎ払うべく突貫する。
その、秒に満たない一瞬前。
ぶわっと全身を総毛立たせる、死の直感。
意志を外れて身体が竦み上がり、脚に籠めていた魔力が途切れる。
サイレンのように鳴り響く本能が、迫り来る何かの存在を告げていた。
オレは自分でも分からないままにクラレントを大地に突き刺し、そこに全体重を駆けて身を預ける。
情けなくも、その時オレを襲った感覚は、限りなく純粋な恐怖だった。
オレは及び腰になり、飛び込むのを躊躇し……結果としてその逡巡が、オレの命を永らえさせる。
――次の瞬間に横切ったソレを、オレは光の線としか認識できなかった。
兵士達の群れの中に、横一線に走る翡翠色の光。
音も、衝撃も、全ての反応は後からやってきた。
時間が停止したような一瞬を経て、暴風が発生し、破壊の渦を巻き起こす。
導線に居た人は形も残さず轢殺された。
傍にあった全ては暴風に引き裂かれ、細切れにされて宙を舞った。
巨大な破壊の渦は幾百人の兵士を巻き込み、吹き飛ばし、遙か上空へと紙吹雪のように巻き上げる。
直感的に大地に釘を刺していなければ、オレもその紙吹雪の一片として、空に命を散らせていた事だろう。
激風の余波が去って尚、オレの身体は驚愕に凍り付いたまま。硬直した身体は、地面に縫い付けられたように動かない。
両腕の痛みすら、全身を痺れさせる戦慄に塗り潰されている。
空気を抉り去った、その破壊の形跡で、辛うじて『何かが横切った』事を悟る。
「っな……!?」
「今の一撃の中で立っているとは、骨のある戦士がいるな」
背後から放たれる、張りのある勇み声。
振り返れば、巻き上がる砂塵を背景に佇む、一人の男がいた。
「友のため、我が誇りのために参じた戦だが……やはり、強い奴との邂逅は心が躍る。なあ、お前もそうだろう?」
英雄。
その言葉は、ともすれば彼の為にこそあるのではないか――そう思わせる程に、目の前の男は猛々しく、勇気に満ち満ちていた。
戦場に於いて美しくさえある、凜々しく爽やかな美貌。勇猛に吊り上がる柳眉に、一縷の恐れも感じさせない澄んだ瞳。
神々しき黄金の鎧を纏い、男は手にした槍の穂先を、真っ直ぐオレに突き出した。
ニヒルに唇を持ち上げ、男は心底愉しそうに、闘志剥き出しの笑顔を突きつける。
「分かるぞ。強い戦士だ。久しぶりに血湧き肉躍る戦いができそうだ」
「っへ……上等だよ。クソジジイまでの腹ごなしに、テメエにも引導を渡してやる」
「誇りに思うがいい。この俺がお前を勇士として扱い、直接刃を交える事をな」」
遅れて戻ってきた痛みに震える手で、クラレントを握りしめる。
そうしなければ勝てない相手だと確信していた。
何をしてでも勝たねばならないと、覚悟を決めていた。
だから、剣を握った瞬間、恐れは吹き飛ぶ。
怒りすらも不要、死を招く異分子と、一旦脇に捨て置く。
残るは、闘志。
これだけは決して負けない、勝つという覚悟。
騎士モードレッドとして、オレは戦場に脚を降ろす。
勇士との邂逅に、ふつふつと、否応なしに心が昂ぶる。
視線が交差し、瞬間、旋風。
吹き出した互いの魔力が、周囲を色鮮やかに染め上げる。
猛々しき紅蓮。凜々しき翡翠。
二つの魔力が、衝突する。
大地が割れ、世界が慄く。
「さあ戦おう! 俺はギリシア軍が一柱、ペーレウスが子――名を駿足のアキレウス!」
「我が名はモードレッド! アーサー王の息子にして、テメエら神々を下す叛逆の騎士だ!」
「「いざ尋常に――推して参る!!」」
史上最強との戦いが、幕を開けた。