もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
アキレウス。
絵物語に興味の無いオレでさえ、その勇士の名前は知っている。
トロイア戦争において――いや、当時その世界においても、間違いなく最強の戦士。
神より授かりし戦車を繰り、あらゆる武芸に優れ、矢よりも速く大地を駆ける、不死身の男。
そんな英雄の中の英雄が放った槍と、オレのクラレントが交差する。
金属同士が衝突する激音。舞い散る火花が星のように強烈な光を灯し、互いの目を眩ませる。
大上段から槍を振り下ろしたアキレウスは、獣のように牙を剥き、興奮げに嗤う。
「ほう、いいじゃないか、オレの一撃を膝を折らずに受けるとは!」
「ぐぅぅぅぅ……がぁ!」
オレは吼え立ち、乱暴に剣を振り払ってアキレウスを吹き飛ばす。軽やかに着地した彼は、怯む間もなく槍を番える。
肩越しに、大地と並行に構えられた槍。その穂先が狙うは、兜に覆われたオレの眉間。
「まだ挨拶だぜ? これで倒れて、くれるなよ!」
アキレウスが叫んだ瞬間、二人の間の距離が、一気にゼロに帰結する。
音速を超えた疾駆。額目がけ突き出された刃を、オレはクラレントの腹で受けた。
角度を斜めに、神速の突きを上に逃がす事で勢いを削ぐ。
しかし、そんな小細工では英雄は止められない。
致命の刃こそ逸らしたものの、神速の暴風が打突となって、オレの身体を真っ正面から打ちのめした。
「ご――ッ!」
全身に大砲のような衝撃。全ての感覚を置き去りに、オレは遙か後方へと弾け飛ぶ。
常人であれば、鎧の中の肉体は粉微塵の挽肉になっていた事だろう。だがオレは理性を総動員して感覚を呼び戻す。地面に剣を突き立て、何メートルも亀裂を刻んでやっと停止する。
「……か、ほっ」
絞り出すような咳に鉄の匂いが混じる。衝撃に、全身の細胞がビリビリと麻痺している。
身体を震わせながら、それでも両脚で立つオレを見て、アキレウスは槍をくるりと回し、満足げに頷く。
「予想より効いてなさそうだ。それとも痩せ我慢か? だとしたら驚くべき根性だ」
「けっ、どっちだって良いだろう。次はすれ違い様に、腹を掻っ捌いてやる」
「まあそう逸るな。俺は喜んでいるんだ。なんせ強すぎるお陰で、手応えのある奴が少なくてな。お互いに楽しもうぜ」
「生憎と急いでるんだ。チャンバラごっこなら他所を当たってくれねえか?」
なまじ冗談でもないオレの問いかけに、アキレウスは小さく失笑。
当たり前の反応だ。飢えた獣が、御馳走を前にして我慢できる訳がない。
今の邂逅で、アキレウスはオレを好敵手と定めたらしかった。それは大変光栄で、これ以上無く最悪な、悪夢みたいな名誉だった。
「にしても、見ない鎧だな。同胞でなければトロイア軍でもなさそうだ。お前はどこの何者だ?」
「誰でもねえよ。ケジメを付けさせるために、未来からやって来た必殺仕事人だ」
「ハハッ、おもしろい奴だ。聞いた事ないが、アーサーってのは息子に冗談まで教えてくれたのか?」
ぶちん、と堪忍袋の尾が切れる音。
痛みに震えていた瞳孔がきゅっと収縮し、震えていた腕に再び力を纏わせる。
「ッ――上等だ……耳かっぽじってよおく聞いとけ! 我等円卓の騎士を束ねる主、民と精霊に愛されしアーサー・ペンドラゴン! それがオレの仕える王の名! テメエがぶち殺される騎士が仕える名前だぁぁぁぁぁ!」
怒りと共に赤雷を吹き上げ、オレはアキレウスに向けて突貫する。
幾度も刃を交え、火花を散らし、互いの刃を煌めかせる。
大上段から振り下ろしたクラレントと、薙ぎ払われたアキレウスの槍が激突。音が大気を劈き、衝撃が砂塵を吹き曝す。
キリキリと軋む鍔迫り合いの向こうで、アキレウスが獣のように嗤う。
「いい、いいぞ! 素晴らしい闘気だ! 決めたぞ、今宵の宴では、貴様の魂をゼウスに捧げて俺の主賓としようじゃないか!」
「ほざきやがれ! 糞爺が産み出した障害物風情が、舐めた口を利いてんじゃねえぞ!」
オレは鍔迫り合いのまま、内なる魔力を爆発させた。
噴火のように放たれた赤雷が、刃を通して奴の身体を駆ける。
「ぐっ……!?」
「吹っ飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
不意打ちの電撃に硬直したアキレウス。その脇腹に、俺は魔力を滾らせた蹴りを叩き込んだ。余裕綽々を決め込んでいたキザな顔が視界から消え、地面をバウンドしながら吹き飛んでいく。
それでケリが付くほど、英雄は甘くない。奴はオレがそうしたように槍を大地に突き立たせ、直ぐに体勢を立て直す。
「……まさかこのオレが、一撃でも遅れを取るとはな」
膝を着いた姿勢で、オレを睨み付けるアキレウス。その口の端には、吐き出した血が一筋伝っている。
幼少期、アキレウスは最強の戦士に育てたかった母親によって不死の泉に身体を浸された事で、踵を除きあらゆる攻撃を撥ね除ける最強の身体を持つとされる。
その逸話とは違う彼の反応は、この状況において唯一と言っていい僥倖だった。
「聖杯のブーストを借りても、さすがに希代の英雄の完全再現は無理らしいな。不死の神性がなけりゃ、テメエはただの駆けっこが得意な悪餓鬼だ。脚引っかけて、そのムカつく顔を地面で摺り下ろしてやるよ」
オレはクラレントを肩に担ぎ、ここぞとばかりに、膝を着くアキレウスを挑発する。
そうしなければ、壊れてしまう確信があった。
軽口でも吐かなければ、耐えられなかった。
小馬鹿にした態度を取る事で、クラレントを握る手に重篤な痙攣が起きている事をひた隠す。
兜で顔を隠していなければ、誤魔化す事なんて絶対に不可能だっただろう。
小さく身震いし、誰にも聞こえないくらいに鎧が擦れる。
「っ……」
痛み。
激しく身体を駆け巡る、痛み。
脳が、ジリジリと、掻き毟られる。
あと、何撃。
何回剣を振るえば、奴に届く。
どれだけ攻撃を受ければ、奴は怯む。
いや、そもそも。
この戦いに、終わりなど訪れるのだろうか――?
そんなオレの問いなんて知る由もなく、アキレウスはゆらりと立ち上がる。
「上等だ……久しぶりに、本気の速度が出せそうだ」
笑顔に痛い程の殺気を身に纏わせ、英雄がオレを真っ直ぐ睨み付ける。
その闘志に、オレは釘付けにされる。
揺らいだ心に沸き上がった『逃げる』という選択肢が、馬鹿げた考えであると棄却される。
逃げられない。
勝つしかない。
「目を凝らして、しっかり食らい付けよ! 世界最速をその身に受ける事を、光栄に思いながら散るがいい!」
翡翠の魔力を視界一面に噴き出しながら、剣を構えるオレめがけ、最強が躍りかかった。
◇
――彼は、見ている。
既に光を映さぬ双眸で、それでも世界の全てを認識する。
神代のトロイア。
神と人が共にあった時代。空を泳ぐ雲の一縷にまで神性が宿っていた世界。
眼前に広がるのは、彼の言葉によって産み出された固有結界。彼自身が創造したものに過ぎないが。
それでも彼は、世界を見て、息を吸い、迸る闘志に肌を震わせ、確信を得る。
これは、確かにトロイア戦争。
一切の疑問なく自負できるからこそ、同時に彼は、こう思う。
――ここが、頂点だ。
――過去未来、森羅万象遍く全ての頂だ。
――この世界のあるべき姿。幾千年紡がれるべき絢爛な世界。
――やはりこの世は、神々の為にこそあるべきなのだ。
確信を伴ってそう断じ、ホメロスは静かに盲目の目を伏せる。
かつて彼は、その手で自分の両目を潰し、神性を認識する千里眼を手に入れた。
その眼を用い、彼は確かに、あるべき世界の姿と、神々の誉れ高き姿を認識した。
地上から退去する神々を引き留めようとした。
もう一度、あの時の人の信仰を取り戻そうとした。
心躍る神との邂逅を、呼び覚まそうとした。
その彼の試みは――神を忘れた人々によって裏切られた。
彼の言葉は冗句とみなされ、かつての神々の晴れやかな姿は『物語』として形骸化された。
人は容易く神を忘却し、空想として消化し――やがて地上から、神を完全に隔絶した。
この世界は、後世まで続くべき神々しき光景は。
他ならない、自分の言葉が閉ざしてしまったのだ。
故にこそ、ホメロスはギリと歯を食い縛り、宣言する。
「今度は、決して間違えぬ」
そうだ、人は愚昧なものである。
地を這いずるしか能の無い、虫けら同様の生物である。
人に歴史など必要なかった。
言葉の紡ぎ方など、教えるべきではなかった。
神を差し置き、人の営みを信じた事が間違いだったのだ。
だから、今度は何も信じない。
思い知らせよう。
この世界の本当の支配者が誰か。
恐れ戦き、己の矮小さを思い知り、頭を垂れて震えて祈る事こそが、貴様ら人に許された信仰であると。
そうして、過ちを払拭しよう。
愚かな人を排し、あるべき神々の世を取り戻そう。
その決意を胸に刻み、彼は見る。
戦場を走る、紅と翡翠の輝きを、静かに傍観する。
野望が果たされるまで、あともう少し。
奪うべき命は、あと一つ――。