もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活 作:オリスケ
ざぁっ――という、さざ波のような音と共に、古代のトロイア平原が霧散していく。
オデュッセウスの死と共に潰えた世界は、水に浸された絵画のように滲んで、溶けて、跡形もなく消えていく。
次に瞬きをすると、オレは森の中にいた。真っ赤な紅葉がはらはらと舞う、秋の森に。
どれだけの間戦い続けていたのか、世界は夕暮れを通り越して藍色だ。山嶺に消えゆこうとする太陽が、木洩れ日の隙間から、橙色の光でオレの顔を照らす。
耳が痛い程の、静寂。
鳥の声さえ聞こえない。
誰もが息を潜め、訪れる夜を待っている。
終わりが、近づいている。
「……」
オレは夕日に背中を向け、鉛のように重たい足を動かす。
サク、と落ち葉が砕ける音。
透明で澄んだ空気に混ざる土の臭い。
さぁ、と涼しい風が吹き抜けていく。
落葉がハラハラと、視界に美しい紅を飾る。
森の木立の一本を背に、マスターは座り込んでいた。
ぶつかった衝撃で皮が捲れ、生々しい血の染みを付けている。落ち葉の降り積もった地面には、それよりも尚真っ赤で瑞々しい、大量の血が広がっている。
「……」
マスターは、ぐしゃぐしゃだった。
神の鉄槌を、その身で受けたのだ。体内が粉々になっている事が、見ただけで分かる。身体のあちこちが裂け、そこから溢れ出る血は、明らかに一つの命が流していい量を超えている。
右腕が削れていた。
千切れたわけじゃない。無くなっている。
肩口から先には、血も傷跡も、何もない。
存在を証明する資源が無いという、証拠だった。
風が吹いて、マスターの顔を隠していた髪をそよがせる。
半開きの彼の目は、濁った瞳孔で虚空を見つめている。
その目が、ぱち、と瞬きをする。
か細く、本当に苦しげに、胸が上下する。
オレは苦笑して、青ざめて土気色になった彼の頬をぺちぺちと叩いた。
「……おい、起きろよ、マスター」
「っ……あ、と……五分、だけ……」
「……ぷ、ははっ。今寝たら戻ってこれねえぞ、バーカ。ホラ、目を開けろよ」
もう一度、ぺしと優しく頬を触る。
一本だけ残った銅線に電気を流すように、危うげに彼の首が動く。
「……もー、ど、れっど」
「ああ、オレだ。迎えに来たぜ」
苦しげに持ち上がった顔。
重たそうな瞬きを、数度。そうしてオレの顔を捉えたマスターは、死相の滲んだ顔をゆっくりと綻ばせた。
「ああ……そっか……勝ったんだね」
「当たり前だ。お前に勝利を捧げる剣だって、必ず迎えに行くって、誓っただろ?」
「そっか……そっか。良かった。本当に……もう一度、君に会えたんだ……」
本当に嬉しそうに笑みを深くして、マスターはオレの手に、自分の頬を擦り付ける。
頬に添えた手に、ザラリとした錆のような感触。見れば彼の顔や、首、身体のあちこちには、虫食いのような穴が空いて、ボロボロに崩れていた。
オレに魔力を与えた代償。自分を構成する『可能性』を捧げた結果の、欠損。
目を見張るオレの顔を見て、マスターは愉快そうに喉を鳴らす。
「思ったより……ずっと上手く、削れてくれたよ……君を助ける、手と足があって……君を見る目と……口とが……残ってくれて……」
「大丈夫、なのか?」
「いやあ、どうだろう……その分、中はあちこち、空っぽなんだ……骨もないから、奴の拳だって、へっちゃらさ。はは、は……がふ。か、は……」
身体全体を痙攣させて、必死に血を吐き出す。
青ざめた唇に血を滴らせて、苦しげに、喘ぐように呼吸をして。
それでもマスターは、オレを見る。笑顔を作る。
とても、とても、嬉しそうに。
死期を悟っているのは、その表情だけで十分に読み取れた。
「……帰ろう、マスター」
だからオレは笑って、マスターに手を伸ばした。差し出された、ガクガクと痙攣する手を、そっと掴んで持ち上げる。
「今日は、本当に疲れた……早くウチに帰って、さっさと寝ようぜ」
「……うん……そう、だね……モードレッド……」
オレの右腕と、マスターの左腕。
片方だけになった腕でお互いを抱き合って、オレ達は落ち葉を踏みしめる。
「……は、は……おそろい、だ……腕を、どうしたのさ」
「オウ、聞いて驚け。オレは、あのアキレウスを倒したんだぜ?」
「……本当、かい……?」
「嘘吐くもんか。お前のサーヴァントは、世界最強の英雄を下したんだ。お前に会いたい一心でな」
「……それ、は、うれしいな……ほんとう……天にも、昇るくらい……」
「へっ、冗談キツいぜ。今それを言うかよ、普通?」
さくさくという足音に、オレ達の細い笑い声が重なる。
夕日が沈み、夜に世界を譲り渡していく。黄昏が、藍色に変わっていく。
風が吹き抜け、落ち葉を巻き上げて飛んでいき――ぶるり、と鼻息。
顔を上げれば、最後の夕焼けを背に、茶色い毛並みの馬が一頭、オレ達を見つめていた。
「お前……迎えに来てくれたのか」
馬はもう一度、ぶるりと鼻息。
そして鼻を屈めると、地面に転がっていたソレを、鼻で小突いて転がした。
紅い落ち葉の絨毯に転がるのは、金色に輝く杯。
「聖、杯……って」
屈んで拾い上げれば、それは器の七割程度と柱の根元だけを残した、聖杯の破片だった。最早器としての形を残さず、スッパリと切断されている。
オデュッセウスの懐に入れていた聖杯は、俺たちの最後の一撃で、奴の体もろとも断ち切られてしまったらしい。
オレはそれをしげしげと眺め、馬の円らな瞳と見つめ合って……それからたまらず、ぷぷっと吹き出した。
「ははっ。欲する奴には与えず、求めないならあげませんってか。いいオチじゃねえか」
最高の戦利品を懐に、オレは朦朧としているマスターを持ち上げて馬に乗せると、自分も跨がって、首筋をぽんぽんと優しく叩く。
「ありがとな。それじゃあ、連れてってくれるか? オレ達の家に」
返事は、小さな嘶き。
ゆっくり、軽やかな速度で、馬は藍色に染まる森を歩いていく。
オレの右腕は、馬の鬣を握っている。後ろに乗ったマスターが、オレの背中に体重を預けて項垂れている。
「苦しくないか、マスター」
首筋を小さくくすぐる、頷きの仕草。
「そうか。落ちないよう、オレに掴まっていな」
オレは苦笑して、振り子のように揺れていたマスターの左腕を、オレの腹に回してやった。
「……あり、がとう……」
マスターが億劫そうに身体を揺すり、オレに凭れてくる。
身体が寄せあい、オレの背中にマスターが密着する。
肩に乗せられた顔から、苦しげな吐息が聞こえる。その呼吸はもう、そよ風よりも頼りない。
きゅ――と、片方だけの手で、マスターがオレを抱き締めた。
「ああ……君がここにいる。君を、感じる」
息を吸い、抱き締める。ぶるぶると、泣きそうに痙攣させて。
「何もない虚空で……ずっと……ずっと、ずっと、我を忘れるくらいずっと、君に会いたかった……もう一度、君を抱き締めたかった」
顔の乗せられた肩を、温かい雫が伝う。
残り僅かな命の、あらん限りで、抱き締められる。
「よかった……本当に、よかった……」
「……」
蹄の音を奏でながら、オレ達は森を進む。
鬱蒼と生い茂る木立の数が減り、森が不意に途切れる。
小高い丘を見上げたそこには、藍色の空が広がっていた。
夜の訪れを告げるように、一等星がぽつぽつと光を灯している。天高く昇った月が、しめやかな銀色の光で、オレの顔を照らしている。
馬は一定の速度で、丘を登り始める。
うんざりするほど遅い速度。このままずっと続けばいいのにと思ってしまう、ゆるやかな速度。
なんとはなしに、空を見上げる。
ただの夜空の筈だった。生前は足を止める事なんて無かった空。あの時から何も変わらない筈の夜空に、オレは初めて見惚れている。
美しい空。いつだって美しかった筈の空。
ここに生きて、違う生き方を知ってようやく、ただ生きる事の喜びを知った。
「……」
ふと思い立って、オレは懐に仕舞っていた聖杯の欠片を取り出し、表面をついとなぞる。
糞爺が散々吸い取って、オレがぶった切ってしまった器は、それでも十分凄まじい魔力の気配を感じさせる。
オレは聖杯の欠片を、背後のマスターに翳してみせた。
「なあ、マスター。どうやらコレ、まだ聖杯としての機能を果たせそうだぜ」
返事は無かったが、言葉は届いているらしい。背後でごほ、と小さく咳き込む音。
「ラッキーだな。ぶっ壊れていても万能の願望機だ。これなら、お前を治す事くらいできるんじゃねえか?」
「……は、は……」
何気なく呟いたオレの提案を、マスターは苦しげな笑いで遮った。
肩に乗せられた首が揺れる。ふるふると、横に。
「別に、いいよ……」
「いいって、何だよ? マスター、このままじゃ死んじまうぞ」
「いいさ、構やしないよ……ねえモードレッド、そんなことよりもさ」
マスターはついと顔を上げて、虚ろな目でオレの翳した聖杯の欠片を見つめる。
そして彼は、何てことないように、まるで晩飯を決めるような自然さで、言った。
「君、それを使って受肉したら?」
「……」
数秒の、沈黙。
そしてオレは、肩に乗ったマスターの頭に、ごすんと拳骨をお見舞いした。
「……いたいよ、モードレッド」
「バカマスターが。冗談言ってんじゃねえ」
「本気だよ……ただでさえ、何が遺言になるか分からないのに……冗談なんて、言うもんか」
また、マスターはオレを抱き締める。血痰混じりの呼吸が、ぜぇとざらついた音を奏でる。
「全てを賭して……君に勝利を、捧げるつもりだった……なのに僕は、君にまた会えて、こうして君を抱き締められた……もう、十分だ。身に余る、光栄だよ……」
片方だけの手が、縋り付くようにオレに触れる。血反吐を溢しながら、オレに心を告げる。
残る命を振り絞って、言葉が紡がれる。
「生きるべきは、君の方だ」
「また、殴られてえのか」
「聞いて、モードレッド……君がいなくなれば、僕は抜け殻だ。君のいない世界に、生きる理由なんてない……だったら僕は、生きる喜びを知った君に、この世界を謳歌して欲しい」
「……」
「剣を捨てた、平穏……君が、はじめて、人として生きる……それは凡夫の僕の命なんかより、よっぽど価値がある」
「……」
「ねえ、モードレッド……世界には、とっても、楽しい事があるよ。とっても、綺麗な景色があるよ……君はきっと、全く新しい、夢を持てる……新しい、恋だって、きっとできるはず」
「……」
「僕を、君の礎にしてくれ。生きる意味の無い空っぽな僕を、君の心の中に残してくれ」
丘の山頂に、辿り着く。
眩い月が浮かぶ夜。紅葉は月明かりで白銀に塗り潰され、ひっそりと静寂を讃えている。
頭上には幾つもの星。ぽつぽつと空いた湖が、頭上の月を照らして地上にも輝きを落とす。
それはさながら星の万華鏡。
オレ達を見守り続けた森は、最後の時も変わらない美しさで、そこに有り続けている。まるで、どんな決断でも等しく尊重するとでも言うように。
「消えないでくれ。僕の分まで、生きてくれ……モードレッド」
マスターが、譫言のようにそう囁き続ける。
その声は虚ろで、意識があるのかすらはっきりとしない。
死を目前にしてなお、マスターはオレを想い、自分自身を誹り続けている。
山頂を経て、馬が変わらぬゆっくりとした速度で丘を下っていく。ひゅうと抜けた風が、透き通った冷たさでオレの頬を撫でた。
その風と一緒に消えてしまいそうな命を使って、マスターは囁き続けた。
僕の分まで生きてくれ、と。
無価値な僕の命に、意味を与えてくれ、と。
ホメロスの能力から解放された家は、元通りの、二人で過ごした状態に戻っていた。
戦いとは無縁の、平穏を讃えるオレ達の家。辺りの森からは、のんびりとした梟の声と、鈴虫の音色が聞こえる。銀色の月明かりで、遠くまでハッキリと見渡す事が出来た。
離れの倉庫を開ければ、そこもマスターが整頓した、元通りの状態に戻っていた。
オレは倉庫に置かれていたボートを引っ張り出し、湖に浮かべると、そこにマスターを座らせた。
「……全部が終わったら、ボートに乗ってやるって約束だったからな。有り難く思えよ、マスター」
彼の対面に腰掛け、そう嘯く。応える声はない。ひゅう、ひゅうという苦しげな呼吸音だけが聞こえる。
オールを地面に押しつける。ぎぃ、と軋むような音がして、ボートは湖面を滑りだした。
夜空を反射させる、鏡のような湖面を揺らしながら、ボートが進む。
月明かりを讃えた波が星々の映る湖面を揺蕩わせるのは、現実離れした美しさだった。優しい、揺り籠のような揺れに、心が安らいでいくのを感じる。
「……起きてるか、マスター」
「うん……ちゃんと、見えてる。感じてるよ、モードレッド」
「……飽きるほど眺めたはずだけど……こうしてボートに乗ってみると、また全然違うように見えるな……最初は何もない、つまんねえ場所だと思っていたのにさ」
「そう……だね……すごく、きれいだ……」
息も絶え絶えに、マスターが笑う。残り僅かな魂を必死に掻き集めて、最後の時を愛しんでいる。
聖杯の欠片は、オレの手の中にある。月明かりに、古びた金色の光沢を放っている。
自然と、オレ達は視線を交わした。彼の消えかけの虚ろな目をしっかりと見つめ返す。
これが本当の、最後の逢瀬。
言うべき言葉は、告げるべき気持ちは、全部決まっていた。
聖杯の欠片をついと指でなぞって、オレは言葉を切り出した。
「……ずっと前から、言いたかった事がある」
「……」
「なあ、マスター……テメエのどこが凡夫だよ、クソ馬鹿野郎」
すっぱり、そう言い切った。
ずっと言いたかった言葉。ムカつく所は多々あれど、何より一番嫌いな、彼の短所。
「どこの世界に、神に楯突ける凡夫がいる。ちょっと考えりゃ分かんだろ馬鹿。なんの価値もない、つまらねえ男が……このモードレッド様を、籠絡できる訳ないだろ。こんなに好きにさせる事が、できる訳ないだろうが」
「……」
「オレは、お前に生き方を変えられた。ホムンクルスのオレに、生きる喜びを教えてくれた。お前がマスターだったから、オレは古代の神々にだって勝てたんだ」
有り得ない日々だった。今肌に感じ、胸に抱いている全ては、有り得ない経験だった。
幾度英霊として召還されても、こんな日々は訪れないと断言できる。
そんな生活をくれた彼が、普通であるはずがない。
ずっと素直になれなかったけれど、今なら言える。
「大好きだ、マスター。お前はオレの特別だ。世界一だ。例えアーサー王に命令されたって、こんな小っ恥ずかしい事を言いやしねえ」
どんな大魔術だって、オレに愛なんて教えられない。
神様だって、こんな喜びを植え付ける事はできやしない。
「誇れよ。お前は世界でたった一人、このモードレッドが愛した男だ。オレが愛するに値する男なんだ」
そうしてオレは、マスターに身体を傾けた。
マスターの胸に凭れる。彼の手が痙攣しながら動いて、オレの身体を抱き締める。
誰かに受け入れられる喜び。愛されるという幸せ。
道具として生まれ、戦いしか知らなかったオレに訪れた、人としての日々。
「幸せを教えてくれてありがとう。不出来なオレを好いてくれてありがとう」
「もー、ど……れっど……」
「ほんとうに、夢みたいな日々だった……そうだよ。夢を見させて貰ったのは、オレの方なんだ」
手にした聖杯の欠片を、湖に浸す。
器に満ちた清水を含み、オレはマスターに、そっと唇を重ねた。
「ん……」
何かを言うように動いた唇を咥えて、聞き分けのない歯を舌で押し広げて、魔力に満ちた聖水を飲ませる。こく、こくとマスターの喉が動き、奇跡が彼の中に流れていく。
「っぷ、ぁ……だめだ、やめてくれ、モードレッド……」
「へへっ。ばーか、もう遅えよ。最後のキスなんだから、観念して、夢見心地に浸ってろ……ちゅう、る」
だめ押しに、もう一度唇を啄む。舌を絡ませながら、温かい彼の体内に、冷たく澄んだ水を落としていく。マスターの左腕が抗議するように動いていたが、それで覚悟を決めた英霊を止められる訳がない。
「ぷぁ……な、なんで……なんでだ、モードレッド」
顔を離した時、マスターは泣いていた。悲痛な顔で、オレを咎めるようにぽろぽろと涙を溢す。
「どうして、生きてくれないんだ……僕は、ここで終わりでいいのに……生きたって、どうしようもないじゃないか……! 君がいない世界で、僕は、どうやって……!」
「はは、最後まで情けねえなぁ、オレの大好きなマスターは」
右手で、マスターの胸をなぞる。
とく、とく、心臓の鼓動を感じる。
魔力が命になって、体内を巡っている。
聖杯の魔力が、彼の身体を修復するよう働いている。
同時に、遠のく。
聖杯の魔力の消失と同時に、オレを現世に留めていた繋がりが、ほつれていく。
「オレは英霊。とうに散った命の影法師。聖杯から仮初めの命を貰って、世界を間借りして、有り得ない二度目の生を堪能した……ここは、お前の世界だ。オレとの間に育まれた全ては、ぜんぶお前の物語なんだ」
「ちがう。君が紡ぐべきだ……その方がよっぽど……」
「いいんだよ、マスター。価値とか、意味とか、もう考えるな」
マスターの胸に耳を当てて、鼓動を聞く。
温かく力強い拍動。命の音。
それが鳴る意味も、鳴る価値も、考える必要はない。
「あるがまま生きろ。為せる事を為せ。それが、本物の価値だ」
「っ……」
「お前の舞台だ。オレは、舞台に立つお前を照らす、光でありたい。お前が生きて奏でる、謳歌を聞きたい」
身体が、ほどけていくのを感じる。
ほろほろと、光の粒になって溶けていく。
マスターは酷い顔だ。溢れ出る涙が抑えきれず、くしゃくしゃに歪んでいる。
その顔がまったく情けなくて、堪らなく愛おしくて、オレは笑って、ゴツンと額を押し当てる。
「オイ、これは命令だからな? オレが聞いてやるんだ。何でも良いと言ったって、ぼーっと生きてたら許さねえぞ」
「……」
「オレは、お前の中にいる。お前と共に生きている。お前は決して凡夫じゃないって事を、オレが証明し続けてやる」
「……」
「だから自分を誇れ。自分なりに冒険して、分相応に必死に生きて……いつか、どこかで、それを聞かせてくれ」
額を押しつけ、息の交わせる程近くで、互いを見つめ合う。
涙を湛える彼の目は、けれどもう、憂う事を辞めていた。
死は遠ざかり、一筋の光が宿っている。
決して折れない、命の光芒が。
それが見えたから、もう、思い残す事はない。
言いたい事は、これで全部、言い終わった。
光が、オレの身体を包む。オレの魂を、ふわりと浮かび上がらせる。
最後の光に、マスターの顔が照らし出される。
涙でくしゃくしゃのみっともない顔。
すぐにでも「行かないでくれ」と泣きじゃくりそうな、情けない顔。
けれどもひたむきに、前に進む覚悟を決めた顔。
大好きで、大好きで……本当に大好きな。
世界でたった一人の、オレのマスター。
「……愛してる、モードレッド」
「おう。オレも愛してるぞ、マスター」
心を交わして、誰よりも強く結びついて。
そうして、ほどける。
指の隙間から落ちる砂のように、光の粒になって、マスターの心から遠ざかっていく。
胸が一杯のままの離別がある事も、オレは初めて知った。
(……心配すんなよ、マスター)
ホムンクルスのオレだって、人として生きれたんだ。
戦いしか知らなかったオレが、愛を貰えたんだ。
そんな奇跡だって、起こす事ができたんだ。
大丈夫。何だってできるさ。
お前はオレの、世界一のマスターなんだから。
光が、空へと昇る。同時に、美しい湖面に映る夜空を泳ぐ。
夢の終わりを告げる燐光。
愛しい日々に別れを告げ、未来を照らす、祝福の光。
ほどけて宙を舞った光の粒は、どんな星々よりも眩く温かな光で世界を彩り、彼のこれからの行く末を、力強く讃え続けていた。