※この作品はR-18です。

もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活   作:オリスケ

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第46話

 ざぁっ――という、さざ波のような音と共に、古代のトロイア平原が霧散していく。

 オデュッセウスの死と共に潰えた世界は、水に浸された絵画のように滲んで、溶けて、跡形もなく消えていく。

 次に瞬きをすると、オレは森の中にいた。真っ赤な紅葉がはらはらと舞う、秋の森に。

 どれだけの間戦い続けていたのか、世界は夕暮れを通り越して藍色だ。山嶺に消えゆこうとする太陽が、木洩れ日の隙間から、橙色の光でオレの顔を照らす。

 

 

 

 耳が痛い程の、静寂。

 鳥の声さえ聞こえない。

 誰もが息を潜め、訪れる夜を待っている。

 終わりが、近づいている。

 

 

 

「……」

 

 オレは夕日に背中を向け、鉛のように重たい足を動かす。

 サク、と落ち葉が砕ける音。

 透明で澄んだ空気に混ざる土の臭い。

 さぁ、と涼しい風が吹き抜けていく。

 落葉がハラハラと、視界に美しい紅を飾る。

 

 

 

 森の木立の一本を背に、マスターは座り込んでいた。

 ぶつかった衝撃で皮が捲れ、生々しい血の染みを付けている。落ち葉の降り積もった地面には、それよりも尚真っ赤で瑞々しい、大量の血が広がっている。

 

「……」

 

 マスターは、ぐしゃぐしゃだった。

 神の鉄槌を、その身で受けたのだ。体内が粉々になっている事が、見ただけで分かる。身体のあちこちが裂け、そこから溢れ出る血は、明らかに一つの命が流していい量を超えている。

 右腕が削れていた。

 千切れたわけじゃない。無くなっている。

 肩口から先には、血も傷跡も、何もない。

 存在を証明する資源が無いという、証拠だった。

 

 

 

 風が吹いて、マスターの顔を隠していた髪をそよがせる。

 半開きの彼の目は、濁った瞳孔で虚空を見つめている。

 その目が、ぱち、と瞬きをする。

 か細く、本当に苦しげに、胸が上下する。

 オレは苦笑して、青ざめて土気色になった彼の頬をぺちぺちと叩いた。

 

「……おい、起きろよ、マスター」

「っ……あ、と……五分、だけ……」

「……ぷ、ははっ。今寝たら戻ってこれねえぞ、バーカ。ホラ、目を開けろよ」

 

 もう一度、ぺしと優しく頬を触る。

 一本だけ残った銅線に電気を流すように、危うげに彼の首が動く。

 

「……もー、ど、れっど」

「ああ、オレだ。迎えに来たぜ」

 

 苦しげに持ち上がった顔。

 重たそうな瞬きを、数度。そうしてオレの顔を捉えたマスターは、死相の滲んだ顔をゆっくりと綻ばせた。

 

「ああ……そっか……勝ったんだね」

「当たり前だ。お前に勝利を捧げる剣だって、必ず迎えに行くって、誓っただろ?」

「そっか……そっか。良かった。本当に……もう一度、君に会えたんだ……」

 

 本当に嬉しそうに笑みを深くして、マスターはオレの手に、自分の頬を擦り付ける。

 頬に添えた手に、ザラリとした錆のような感触。見れば彼の顔や、首、身体のあちこちには、虫食いのような穴が空いて、ボロボロに崩れていた。

 オレに魔力を与えた代償。自分を構成する『可能性』を捧げた結果の、欠損。

 目を見張るオレの顔を見て、マスターは愉快そうに喉を鳴らす。

 

「思ったより……ずっと上手く、削れてくれたよ……君を助ける、手と足があって……君を見る目と……口とが……残ってくれて……」

「大丈夫、なのか?」

「いやあ、どうだろう……その分、中はあちこち、空っぽなんだ……骨もないから、奴の拳だって、へっちゃらさ。はは、は……がふ。か、は……」

 

 身体全体を痙攣させて、必死に血を吐き出す。

 青ざめた唇に血を滴らせて、苦しげに、喘ぐように呼吸をして。

 それでもマスターは、オレを見る。笑顔を作る。

 とても、とても、嬉しそうに。

 死期を悟っているのは、その表情だけで十分に読み取れた。

 

 

 

「……帰ろう、マスター」

 

 

 

 だからオレは笑って、マスターに手を伸ばした。差し出された、ガクガクと痙攣する手を、そっと掴んで持ち上げる。

 

「今日は、本当に疲れた……早くウチに帰って、さっさと寝ようぜ」

「……うん……そう、だね……モードレッド……」

 

 オレの右腕と、マスターの左腕。

 片方だけになった腕でお互いを抱き合って、オレ達は落ち葉を踏みしめる。

 

「……は、は……おそろい、だ……腕を、どうしたのさ」

「オウ、聞いて驚け。オレは、あのアキレウスを倒したんだぜ?」

「……本当、かい……?」

「嘘吐くもんか。お前のサーヴァントは、世界最強の英雄を下したんだ。お前に会いたい一心でな」

「……それ、は、うれしいな……ほんとう……天にも、昇るくらい……」

「へっ、冗談キツいぜ。今それを言うかよ、普通?」

 

 さくさくという足音に、オレ達の細い笑い声が重なる。

 夕日が沈み、夜に世界を譲り渡していく。黄昏が、藍色に変わっていく。

 風が吹き抜け、落ち葉を巻き上げて飛んでいき――ぶるり、と鼻息。

 顔を上げれば、最後の夕焼けを背に、茶色い毛並みの馬が一頭、オレ達を見つめていた。

 

「お前……迎えに来てくれたのか」

 

 馬はもう一度、ぶるりと鼻息。

 そして鼻を屈めると、地面に転がっていたソレを、鼻で小突いて転がした。

 紅い落ち葉の絨毯に転がるのは、金色に輝く杯。

 

「聖、杯……って」

 

 屈んで拾い上げれば、それは器の七割程度と柱の根元だけを残した、聖杯の破片だった。最早器としての形を残さず、スッパリと切断されている。

 オデュッセウスの懐に入れていた聖杯は、俺たちの最後の一撃で、奴の体もろとも断ち切られてしまったらしい。

 オレはそれをしげしげと眺め、馬の円らな瞳と見つめ合って……それからたまらず、ぷぷっと吹き出した。

 

「ははっ。欲する奴には与えず、求めないならあげませんってか。いいオチじゃねえか」

 

 最高の戦利品を懐に、オレは朦朧としているマスターを持ち上げて馬に乗せると、自分も跨がって、首筋をぽんぽんと優しく叩く。

 

「ありがとな。それじゃあ、連れてってくれるか? オレ達の家に」

 

 返事は、小さな嘶き。

 ゆっくり、軽やかな速度で、馬は藍色に染まる森を歩いていく。

 オレの右腕は、馬の鬣を握っている。後ろに乗ったマスターが、オレの背中に体重を預けて項垂れている。

 

「苦しくないか、マスター」

 

 首筋を小さくくすぐる、頷きの仕草。

 

「そうか。落ちないよう、オレに掴まっていな」

 

 オレは苦笑して、振り子のように揺れていたマスターの左腕を、オレの腹に回してやった。

 

「……あり、がとう……」

 

 マスターが億劫そうに身体を揺すり、オレに凭れてくる。

 身体が寄せあい、オレの背中にマスターが密着する。

 肩に乗せられた顔から、苦しげな吐息が聞こえる。その呼吸はもう、そよ風よりも頼りない。

 きゅ――と、片方だけの手で、マスターがオレを抱き締めた。

 

 

「ああ……君がここにいる。君を、感じる」

 

 

 息を吸い、抱き締める。ぶるぶると、泣きそうに痙攣させて。

 

「何もない虚空で……ずっと……ずっと、ずっと、我を忘れるくらいずっと、君に会いたかった……もう一度、君を抱き締めたかった」

 

 顔の乗せられた肩を、温かい雫が伝う。

 残り僅かな命の、あらん限りで、抱き締められる。

 

「よかった……本当に、よかった……」

「……」

 

 蹄の音を奏でながら、オレ達は森を進む。

 鬱蒼と生い茂る木立の数が減り、森が不意に途切れる。

 小高い丘を見上げたそこには、藍色の空が広がっていた。

 夜の訪れを告げるように、一等星がぽつぽつと光を灯している。天高く昇った月が、しめやかな銀色の光で、オレの顔を照らしている。

 馬は一定の速度で、丘を登り始める。

 うんざりするほど遅い速度。このままずっと続けばいいのにと思ってしまう、ゆるやかな速度。

 なんとはなしに、空を見上げる。

 ただの夜空の筈だった。生前は足を止める事なんて無かった空。あの時から何も変わらない筈の夜空に、オレは初めて見惚れている。

 美しい空。いつだって美しかった筈の空。

 ここに生きて、違う生き方を知ってようやく、ただ生きる事の喜びを知った。

 

 

「……」

 

 

 ふと思い立って、オレは懐に仕舞っていた聖杯の欠片を取り出し、表面をついとなぞる。

 糞爺が散々吸い取って、オレがぶった切ってしまった器は、それでも十分凄まじい魔力の気配を感じさせる。

 オレは聖杯の欠片を、背後のマスターに翳してみせた。

 

「なあ、マスター。どうやらコレ、まだ聖杯としての機能を果たせそうだぜ」

 

 返事は無かったが、言葉は届いているらしい。背後でごほ、と小さく咳き込む音。

 

「ラッキーだな。ぶっ壊れていても万能の願望機だ。これなら、お前を治す事くらいできるんじゃねえか?」

「……は、は……」

 

 何気なく呟いたオレの提案を、マスターは苦しげな笑いで遮った。

 肩に乗せられた首が揺れる。ふるふると、横に。

 

「別に、いいよ……」

「いいって、何だよ? マスター、このままじゃ死んじまうぞ」

「いいさ、構やしないよ……ねえモードレッド、そんなことよりもさ」

 

 マスターはついと顔を上げて、虚ろな目でオレの翳した聖杯の欠片を見つめる。

 そして彼は、何てことないように、まるで晩飯を決めるような自然さで、言った。

 

 

 

「君、それを使って受肉したら?」

「……」

 

 

 

 数秒の、沈黙。

 そしてオレは、肩に乗ったマスターの頭に、ごすんと拳骨をお見舞いした。

 

 

「……いたいよ、モードレッド」

「バカマスターが。冗談言ってんじゃねえ」

「本気だよ……ただでさえ、何が遺言になるか分からないのに……冗談なんて、言うもんか」

 

 

 また、マスターはオレを抱き締める。血痰混じりの呼吸が、ぜぇとざらついた音を奏でる。

 

 

「全てを賭して……君に勝利を、捧げるつもりだった……なのに僕は、君にまた会えて、こうして君を抱き締められた……もう、十分だ。身に余る、光栄だよ……」

 

 

 片方だけの手が、縋り付くようにオレに触れる。血反吐を溢しながら、オレに心を告げる。

 残る命を振り絞って、言葉が紡がれる。

 

 

「生きるべきは、君の方だ」

「また、殴られてえのか」

「聞いて、モードレッド……君がいなくなれば、僕は抜け殻だ。君のいない世界に、生きる理由なんてない……だったら僕は、生きる喜びを知った君に、この世界を謳歌して欲しい」

「……」

「剣を捨てた、平穏……君が、はじめて、人として生きる……それは凡夫の僕の命なんかより、よっぽど価値がある」

「……」

「ねえ、モードレッド……世界には、とっても、楽しい事があるよ。とっても、綺麗な景色があるよ……君はきっと、全く新しい、夢を持てる……新しい、恋だって、きっとできるはず」

「……」

「僕を、君の礎にしてくれ。生きる意味の無い空っぽな僕を、君の心の中に残してくれ」

 

 

 

 丘の山頂に、辿り着く。

 眩い月が浮かぶ夜。紅葉は月明かりで白銀に塗り潰され、ひっそりと静寂を讃えている。

 頭上には幾つもの星。ぽつぽつと空いた湖が、頭上の月を照らして地上にも輝きを落とす。

 それはさながら星の万華鏡。

 オレ達を見守り続けた森は、最後の時も変わらない美しさで、そこに有り続けている。まるで、どんな決断でも等しく尊重するとでも言うように。

 

 

「消えないでくれ。僕の分まで、生きてくれ……モードレッド」

 

 

 マスターが、譫言のようにそう囁き続ける。

 その声は虚ろで、意識があるのかすらはっきりとしない。

 死を目前にしてなお、マスターはオレを想い、自分自身を誹り続けている。

 山頂を経て、馬が変わらぬゆっくりとした速度で丘を下っていく。ひゅうと抜けた風が、透き通った冷たさでオレの頬を撫でた。

 その風と一緒に消えてしまいそうな命を使って、マスターは囁き続けた。

 僕の分まで生きてくれ、と。

 無価値な僕の命に、意味を与えてくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 ホメロスの能力から解放された家は、元通りの、二人で過ごした状態に戻っていた。

 戦いとは無縁の、平穏を讃えるオレ達の家。辺りの森からは、のんびりとした梟の声と、鈴虫の音色が聞こえる。銀色の月明かりで、遠くまでハッキリと見渡す事が出来た。

 離れの倉庫を開ければ、そこもマスターが整頓した、元通りの状態に戻っていた。

 オレは倉庫に置かれていたボートを引っ張り出し、湖に浮かべると、そこにマスターを座らせた。

 

「……全部が終わったら、ボートに乗ってやるって約束だったからな。有り難く思えよ、マスター」

 

 彼の対面に腰掛け、そう嘯く。応える声はない。ひゅう、ひゅうという苦しげな呼吸音だけが聞こえる。

 オールを地面に押しつける。ぎぃ、と軋むような音がして、ボートは湖面を滑りだした。

 夜空を反射させる、鏡のような湖面を揺らしながら、ボートが進む。

 月明かりを讃えた波が星々の映る湖面を揺蕩わせるのは、現実離れした美しさだった。優しい、揺り籠のような揺れに、心が安らいでいくのを感じる。

 

 

「……起きてるか、マスター」

「うん……ちゃんと、見えてる。感じてるよ、モードレッド」

「……飽きるほど眺めたはずだけど……こうしてボートに乗ってみると、また全然違うように見えるな……最初は何もない、つまんねえ場所だと思っていたのにさ」

「そう……だね……すごく、きれいだ……」

 

 

 息も絶え絶えに、マスターが笑う。残り僅かな魂を必死に掻き集めて、最後の時を愛しんでいる。

 聖杯の欠片は、オレの手の中にある。月明かりに、古びた金色の光沢を放っている。

 自然と、オレ達は視線を交わした。彼の消えかけの虚ろな目をしっかりと見つめ返す。

 これが本当の、最後の逢瀬。

 言うべき言葉は、告げるべき気持ちは、全部決まっていた。

 聖杯の欠片をついと指でなぞって、オレは言葉を切り出した。

 

 

 

「……ずっと前から、言いたかった事がある」

「……」

「なあ、マスター……テメエのどこが凡夫だよ、クソ馬鹿野郎」

 

 

 

 すっぱり、そう言い切った。

 ずっと言いたかった言葉。ムカつく所は多々あれど、何より一番嫌いな、彼の短所。

 

 

 

「どこの世界に、神に楯突ける凡夫がいる。ちょっと考えりゃ分かんだろ馬鹿。なんの価値もない、つまらねえ男が……このモードレッド様を、籠絡できる訳ないだろ。こんなに好きにさせる事が、できる訳ないだろうが」

「……」

「オレは、お前に生き方を変えられた。ホムンクルスのオレに、生きる喜びを教えてくれた。お前がマスターだったから、オレは古代の神々にだって勝てたんだ」

 

 

 有り得ない日々だった。今肌に感じ、胸に抱いている全ては、有り得ない経験だった。

 幾度英霊として召還されても、こんな日々は訪れないと断言できる。

 そんな生活をくれた彼が、普通であるはずがない。

 ずっと素直になれなかったけれど、今なら言える。

 

 

「大好きだ、マスター。お前はオレの特別だ。世界一だ。例えアーサー王に命令されたって、こんな小っ恥ずかしい事を言いやしねえ」

 

 

 どんな大魔術だって、オレに愛なんて教えられない。

 神様だって、こんな喜びを植え付ける事はできやしない。

 

 

「誇れよ。お前は世界でたった一人、このモードレッドが愛した男だ。オレが愛するに値する男なんだ」

 

 

 そうしてオレは、マスターに身体を傾けた。

 マスターの胸に凭れる。彼の手が痙攣しながら動いて、オレの身体を抱き締める。

 誰かに受け入れられる喜び。愛されるという幸せ。

 道具として生まれ、戦いしか知らなかったオレに訪れた、人としての日々。

 

 

「幸せを教えてくれてありがとう。不出来なオレを好いてくれてありがとう」

「もー、ど……れっど……」

「ほんとうに、夢みたいな日々だった……そうだよ。夢を見させて貰ったのは、オレの方なんだ」

 

 

 手にした聖杯の欠片を、湖に浸す。

 器に満ちた清水を含み、オレはマスターに、そっと唇を重ねた。

 

 

「ん……」

 

 

 何かを言うように動いた唇を咥えて、聞き分けのない歯を舌で押し広げて、魔力に満ちた聖水を飲ませる。こく、こくとマスターの喉が動き、奇跡が彼の中に流れていく。

 

 

「っぷ、ぁ……だめだ、やめてくれ、モードレッド……」

「へへっ。ばーか、もう遅えよ。最後のキスなんだから、観念して、夢見心地に浸ってろ……ちゅう、る」

 

 

 だめ押しに、もう一度唇を啄む。舌を絡ませながら、温かい彼の体内に、冷たく澄んだ水を落としていく。マスターの左腕が抗議するように動いていたが、それで覚悟を決めた英霊を止められる訳がない。

 

 

「ぷぁ……な、なんで……なんでだ、モードレッド」

 

 

 顔を離した時、マスターは泣いていた。悲痛な顔で、オレを咎めるようにぽろぽろと涙を溢す。

 

 

「どうして、生きてくれないんだ……僕は、ここで終わりでいいのに……生きたって、どうしようもないじゃないか……! 君がいない世界で、僕は、どうやって……!」

「はは、最後まで情けねえなぁ、オレの大好きなマスターは」

 

 

 右手で、マスターの胸をなぞる。

 とく、とく、心臓の鼓動を感じる。

 魔力が命になって、体内を巡っている。

 聖杯の魔力が、彼の身体を修復するよう働いている。

 同時に、遠のく。

 聖杯の魔力の消失と同時に、オレを現世に留めていた繋がりが、ほつれていく。

 

 

「オレは英霊。とうに散った命の影法師。聖杯から仮初めの命を貰って、世界を間借りして、有り得ない二度目の生を堪能した……ここは、お前の世界だ。オレとの間に育まれた全ては、ぜんぶお前の物語なんだ」

「ちがう。君が紡ぐべきだ……その方がよっぽど……」

「いいんだよ、マスター。価値とか、意味とか、もう考えるな」

 

 

 マスターの胸に耳を当てて、鼓動を聞く。

 温かく力強い拍動。命の音。

 それが鳴る意味も、鳴る価値も、考える必要はない。

 

 

「あるがまま生きろ。為せる事を為せ。それが、本物の価値だ」

「っ……」

「お前の舞台だ。オレは、舞台に立つお前を照らす、光でありたい。お前が生きて奏でる、謳歌を聞きたい」

 

 

 身体が、ほどけていくのを感じる。

 ほろほろと、光の粒になって溶けていく。

 マスターは酷い顔だ。溢れ出る涙が抑えきれず、くしゃくしゃに歪んでいる。

 その顔がまったく情けなくて、堪らなく愛おしくて、オレは笑って、ゴツンと額を押し当てる。

 

 

「オイ、これは命令だからな? オレが聞いてやるんだ。何でも良いと言ったって、ぼーっと生きてたら許さねえぞ」

「……」

「オレは、お前の中にいる。お前と共に生きている。お前は決して凡夫じゃないって事を、オレが証明し続けてやる」

「……」

「だから自分を誇れ。自分なりに冒険して、分相応に必死に生きて……いつか、どこかで、それを聞かせてくれ」

 

 

 額を押しつけ、息の交わせる程近くで、互いを見つめ合う。

 涙を湛える彼の目は、けれどもう、憂う事を辞めていた。

 死は遠ざかり、一筋の光が宿っている。

 決して折れない、命の光芒が。

 それが見えたから、もう、思い残す事はない。

 言いたい事は、これで全部、言い終わった。

 

 

 

 光が、オレの身体を包む。オレの魂を、ふわりと浮かび上がらせる。

 最後の光に、マスターの顔が照らし出される。

 涙でくしゃくしゃのみっともない顔。

 すぐにでも「行かないでくれ」と泣きじゃくりそうな、情けない顔。

 けれどもひたむきに、前に進む覚悟を決めた顔。

 大好きで、大好きで……本当に大好きな。

 世界でたった一人の、オレのマスター。

 

 

 

「……愛してる、モードレッド」

「おう。オレも愛してるぞ、マスター」

 

 

 

 心を交わして、誰よりも強く結びついて。

 そうして、ほどける。

 指の隙間から落ちる砂のように、光の粒になって、マスターの心から遠ざかっていく。

 胸が一杯のままの離別がある事も、オレは初めて知った。

 

 

(……心配すんなよ、マスター)

 

 

 ホムンクルスのオレだって、人として生きれたんだ。

 戦いしか知らなかったオレが、愛を貰えたんだ。

 そんな奇跡だって、起こす事ができたんだ。

 大丈夫。何だってできるさ。

 お前はオレの、世界一のマスターなんだから。

 

 

 

 

 

 光が、空へと昇る。同時に、美しい湖面に映る夜空を泳ぐ。

 夢の終わりを告げる燐光。

 愛しい日々に別れを告げ、未来を照らす、祝福の光。

 ほどけて宙を舞った光の粒は、どんな星々よりも眩く温かな光で世界を彩り、彼のこれからの行く末を、力強く讃え続けていた。

 

 

 

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